(おのれ……! 勇者の力がこれほどとは……!)
盛り上がった筋肉と額に一層の青筋を浮かべ、闇人は内心で舌を打った。
魔神を打ち倒し、水の街における邪教団を滅ぼしたという勇者の話は、伝いに伝った情報で耳にしていた。魔神を斃したのは実のところ勇者ではなく、針鼠の獣人と背丈が高く聡明そうなゴブリンだった、という目撃情報もあるが、今はどうでもいい。
彼にとって大切なのは、目の前に対峙する只人の少年が、一端とはいえ
(この幼さでこの力とは……! 今のうちに潰しておかねば、必ずや我ら混沌の勢力の障壁となる……!)
対して少年は、
(やっぱ世の中ってのは広いんだなぁ。こんなにつええ奴がいるなんて……)
驚きつつも、嬉しさを抑えきれずにいた。
勿論、目の前にいる闇人が悪い奴だというのは知っている。知っているがしかし、それ以上に強者の存在というのは少年の胸を高鳴らせるものだったのだ。
強者の存在というのは少年にとって、気持ちよく力の全てを出し切ることが出来る存在であり、自分を更なる強さの領域へと誘ってくれる師のようなものなのだ。例えそれが、どうしようもない悪人であっても。
少年……オールラウンダーがにんまりと笑っていることに気付き、更に青筋を太くした闇人は、
「何が可笑しい!」
叫び問う。
オールラウンダーもこの問いに、
「あんたつええからさ、オラわくわくしてるんだ!」
などと馬鹿正直に答えたものだから、
「舐めるな!」
これを余裕ある挑発と受け取った闇人が、地を蹴って肉薄してきた。
振り下ろされる闇人の拳を、頭上で組んだ腕を以てオールラウンダーが防御する。
ぼこり。彼らの周囲の地面が、丸く凹んだ。
更に闇人が力を入れようとするのへ、
「だあっ!」
オールラウンダーは組んだ腕を広げ、巨人の力を秘めた拳を弾く。
「ぬっ……!」
大きく仰け反った闇人の腹部へ、
「だりゃっ!」
オールラウンダーの正拳が突き入った。
一瞬、呼吸がまともに出来なくなった闇人であったが、それでも感心にオールラウンダーを見下して睨むと、膝頭で少年の顎を蹴り上げた。
宙に浮かんだ少年の体へ、
(しめた……!)
好機を逃すまいと、闇人が拳を突き出す。
この時、何か布が裂ける音がした。
勝利を確信した闇人の顔が、すぐさま驚愕に染まる。
何故か手応えのない右腕……その手首に、猿の尻尾が巻き付いている。その尻尾を辿ると……。
「あっ、シッポがはえた!」
なんと尾が生えているのは、オールラウンダーの尻からなのだ。
「なっ……!」
瞠目する闇人を他所に、無邪気な笑みを浮かべたオールラウンダーは、するりとぶら下がった腕から降りると、そのまま嬉しそうにぴょこりぴょこりと周囲を跳ねまわる。
しかしその動きが、先ほどよりも明らかに鋭さと速さを増していることに気付き、更に大きく目を開いた。
「貴様……何者なんだ……」
驚きの連続のあまり闇人が誰何するのへ、
「オラ、孫悟空だ!」
名乗ったオールラウンダーが、ふと姿を消した。
(否……!)
姿を消したわけではあるまい。あまりに速い動き故に、巨人の力を宿した闇人の目でさえ、少年の姿を捉えられずにいるのだ。
果たしてオールラウンダーは、闇人の眼前に姿を現すと、物も言わずにその顔面へ蹴りを入れた。
「おっ……おおっ……!」
よろめき、痛む頬を抑える闇人へ、
「そらっ!」
オールラウンダーは組んだ腕を振り下ろし、その脳天を叩く。
「ぐっ……!」
地面へ叩きつけられ、それでもなんとか立ち上がった闇人だが、脳を揺さぶられたせいで視界がぐらりぐらりと安定しない。
オールラウンダーはそんな彼をじっと見つめ、やがて視界が安定したのを確認するや、
「けっこうきいたろ!」
にこやかに言い放つ。
(おのれ……この私が、遊ばれている……!)
屈辱が胸の中を支配し、しかしどうにもならない力量差を目の当たりにし、やはり悔しさが込み上げてくる。
それによってもはや冷静さを失った闇人は、
「おのれっ!」
右の拳をオールラウンダーへ突き出した。
その薬指に嵌めた指輪から繰り出される、本日三回目の《
オールラウンダーは慌てることなく、そっと右の掌をかざす。
そこへ吸い込まれた熱線は、決して少年の皮膚を貫くことなく、無慈悲にも果てた。
「もうそんなのきかねぇぞ」
といった時、すでに闇人の姿は目の前から消えていた。
すぐさまオールラウンダーは気配を感じ、空を見上げる。
常人ならざる跳躍力を以て、闇人は宙に跳んでいたのだ。その手には、先ほど捨てた魔剣が握られている。
瞬間。暗雲が少しばかり開けて、真ん丸とした月が顔を出した。
「死ねぃ!」
落下の勢いと巨人の膂力を以て振り下ろされた魔剣。しかし、その刀身が折れた時、さすがに闇人は恐怖を感じた。
(こいつ……! 化け物か……!)
折れた魔剣を今度こそ捨て、それでも距離を取ってなんとか隙を見ようとした闇人が、オールラウンダーの異変に気付いた。
彼は空を見上げたまま、棒立ちの態なのだ。まるで闇人のことなど眼中にない。
やがて、彼の体がどくりどくりと大きく震え出し、その瞳が真紅に染まった。
得体の知れぬ不気味さに闇人が動けないでいると、突如としてオールラウンダーが空に浮かぶ満月に向けて吠え出した。
次の瞬間、盛り上がった筋肉によって山吹色の道着は弾け飛び、彼の体が一回りも二回りも大きくなっていく。
ぐんぐんと巨大化していく彼の体は、次第に全身から毛が生え、それこそ山一つすら超える背丈を持った、恐ろしいヒヒの化け物となったのである。
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