星々が散りばめられた夜の空へ、再び黒い渦が出現した。
渦は光の粒子を吐き出し、それは雪のようにはらはらと地へ舞い降りる。
粒はやがて一か所にまとまり、人の形を成した。
先ほどまで大猿となって暴れていたオールラウンダー。その、少年の姿である。
彼はどういうわけか全裸であった。
(
闇人は、自分でも驚くほどすんなりとこの事実を呑み込んでいた。そこには、目の前で倒れている少年の、(彼がそう思い込んでいるだけだが)勇者たらしめる実力を認めている部分と、その姿を見ることなくあっさりと敗れ去ってしまった百手巨人への失望もあったようだ。
彼はがっくりと項垂れ、しばし時の流れも忘れて座り込んでいたが、やがて馬の蹄が地を蹴る音を耳にし、顔を上げた。
一人の女が、馬を駆って廃村へと入ってくる。貴族令嬢だ。
「ソンさん!」
叫んだ彼女は、馬から飛び降りるや否や倒れたオールラウンダーに駆け寄り、一方では鋭く闇人を睨みつけた。
闇人はというと、そんな彼女に危害を加える気など毛頭なかった。
突如として秩序に目覚めたわけではない。
(もう、どうでもよい……)
諦観である。
混沌の神より託宣を受け、意気揚々と今日まで積み重ねてきた物すべてを、あの訳の分からぬ大猿の化け物によって、一瞬のうちに水の泡とされてしまったのだ。
彼の胸中には虚無のみが限りなく広がるのみだったのだ。
「気を失っているだけだ。……とっととそいつを連れて、この場から消えるんだな」
気落ちしたままの声で言う闇人へ、貴族令嬢は訝し気な視線を送る。
(罠か……?)
と思いつつも、貴族令嬢はオールラウンダーを抱えると、素早く身を翻して馬に跨り、その場を後にした。
彼女は廃村の状況を見ただけで、オールラウンダーが闇人に敗北したと勘違いしてしまったのだ。
なまじ闇人の実力は《
(彼と戦っても、犬死するだけ……。さっきの言葉が本当なら、今は引き返して、態勢を整えるべき……)
その結論に至ってしまったのである。
途中、何度か彼女は背後を振り返った。
闇人が追ってくる様子も、《
(余裕のつもりかしら……)
どこか不気味に思いつつ、彼女は馬を走らせる。
オールラウンダーが全裸であると気付き、羞恥の叫びを上げたのは、街へ戻ってすぐのことであった。
……さて。
廃村に残った闇人は、貴族令嬢の姿が見えなくなったことを確認すると、その場で大の字に寝転がり、空を眺めた。
瞬く星々を見つめながら、
「……くっそぉぉぉぉ!」
彼は突如として叫び、地面を叩いた。
忘れかけていた怒りと悔しさが込み上げてきたのである。
「
二度、三度と地面を叩き、彼は歯噛みをする。
浮いた青筋が、今にもはち切れて血を吹き出しそうであった。
「……違う!」
彼は目を見開き、空に広がる星々を薙ぐように手を払う。
「
これを認めるということは、
秀でた剣の腕と魔力は、彼にとって絶対的な自信の後ろ盾となるものであった。故にこそ彼は自負心が大きく、何者かに負けたり劣ったりすることを認めるわけにはいかなかった。
「この私の実力は……こんなものではない! こんなものではないのだ!」
彼の元へ、混沌の神による託宣はすでに届いていなかった。
いや、もはや彼にとってそんなことはどうでもよかった。
「今に見ていろ、勇者よ。私はこのままでは終わらん……終わらんぞ。 神の愛する尖兵が使い物にならぬというのならば……私がそれを凌駕する実力をつければいいのだ!」
自暴自棄の果てに、彼が掴んだ答えはそれであった。
傍から見れば、なんとも滑稽な回答であろう。
神々が支配する世界において、彼は神にも届かんとする力を欲しようというのだ。
しかし、彼は本気であった。
何者にも頼らない。信じられるのは己の力のみ。
秩序の神に愛されているとはいえ、相手は只人の少年。……猿の尻尾が生えているのを見ると、獣人の可能性もあるが。
兎も角。只人であろうと獣人であろうと、闇人の中でも特に秀でた才を持つ自分が、奴の辿り着いた境地に至れないわけがない。
「せいぜい己の力に酔いしれているがいい、勇者! 私はいつか、お前の力を超えてみせる!」
月夜に、闇人決意の咆哮が轟いた。
土日休日の更新時間帯について
-
朝(七時)だと嬉しい
-
正午だと嬉しい
-
夜(十九時)だと嬉しい