夜になっても雨は上がらなかった。
「今日は、ここで寝るしかねぇわな」
老爺のこの言葉に異を唱える者はいない。といっても、他には少年少女の二人だけであるが。
かくして老爺は、角灯の近くに置いてあった、竹を編んだ長方形の籠から一枚の毛布を取り出し、
「ほれ」
これを外套少女へと手渡す。
「床は硬ぇが、まぁご愛敬だな」
少女は老爺の手から毛布を受け取ると、そのまま黙って寝転がった。
「すまねぇな、坊主。毛布は一つしかねぇのだ」
「オラはだいじょうぶだ」
すっかり乾いた道着に袖を通したオールラウンダーが、気丈に笑って見せる。
少女がすやすやと安らかな寝息を立て始めた。
しかし、老爺と少年はまだ眠気が来ないらしく、じっと角灯で揺れる炎を眺めている。
「実は、な」
老爺が、ぽつりと呟いた。
「おりゃぁ、盗人なのさ」
老爺の唐突な告白に、
「ヌスットって、どろぼうのことか」
とオールラウンダーは問い返す。
「そうとも」
老爺は頷きつつ、少年を見やった。
彼は角灯の炎を難しい顔つきで睨み、右に左にと首を傾けている。
彼は悩んでいた。
泥棒とは他者から金目の品々などを盗む者のことで、それが悪いことだというのは知っている。
知っているがしかし、傍にいる老爺を悪人だと認めて捕縛することを、彼はどうしてか躊躇っていた。
今までに、こんな経験はなかった。
さて、どうしたものか。
頭を悩ませているオールラウンダーを、老爺は苦笑を漏らして見つめながら、
(今日は、なんて日だ)
心の中で、呟きと溜息を吐いた。
オールラウンダーが「一仕事」終えた帰りに偶々この洞窟へ寄りかかったのと同じで、老爺もまた、「一仕事」の帰りに雨に降られ、
「こりゃいかん」
偶々この洞窟を見つけ、雨風を凌いで一夜を過ごすことに決めたのだ。
老爺の仕事の収穫品は、今傍らで眠っている少女一人だけであった。金目のものなど、何一つない。
だからといって、老爺が少女誘拐を趣味としているわけではないし、今頃は彼女の行方を気にしているであろう両親から攫ってきたというわけでもない。
老爺は専ら、ゴブリンの巣を『仕事場』としているのである。
ゴブリンは、略奪種族だ。
腹が空けば近くの村から家畜や農作物を奪い、武器が必要とあらば斃した冒険者たちから奪い、繁殖欲と残虐欲を満たしたければ女を攫う。
更に奴らは、財宝をも奪うことがある。
その価値も知らずに溜め込まれた財宝の数々を盗んでも、咎める者は誰もいない。持ち主であるゴブリンは憤慨するだけで、まさかにギルドや都へ被害の提出をするわけもないからだ。
尤も、老爺がゴブリンの巣に拘る理由はそれだけではない。
老爺は、ゴブリンどもが許せなかったのだ。
弱者からのみ奪い、殺し、女を犯す。
(そんな盗みなら、誰だってできるのだ……)
老爺は、盗みというものに一種の誇りと芸術性を見出していた。
無論、不当な力を以て他者から物を奪い、自分の糧とすることは許される行為ではない。そのことは老爺も理解している。しているからこそ、
(極力、他人様へ迷惑をかけてはいけねぇ。盗むなら、阿漕な真似をして私腹を肥やす人面獣心の輩から。そいつらも、殺してはならねぇ。そこに女がいたとしても、犯してはいけねぇ)
老爺は、盗みにおいてそのような制約を設けていた。
むしろこれこそが、『盗みの本道』と信じて疑っていない。
そこを行くと、ゴブリンどものすることなすことは『邪道』とも呼べるものではないか。
奪うのは決まって、戦う者が殆どいない農村ばかり。
男であれば殺して食し、女であれば孕み袋として犯し、やはり食う。
(ちくしょうめ。なんて奴らだ……!)
奪われた者たちに対する憐みもあったかもしれない。だが老爺はそれ以上に、自分の信じる『盗みの本道』に泥を塗られたような気がして、それが我慢ならなかったのだ。
かくして老爺は、ゴブリンの巣へ狙いを定めた。
一人で潜る時もあれば、手下を連れて攻め入る時もある。老爺は、盗賊団の頭であった。
今日の仕事は、
下調べの結果、
「俺一人で充分な規模だ」
ということが分かっていたからだ。
して踏み込んで、十五匹あまりの小鬼と
体の至る所に切り傷や打撲痕があったものの、どうやら慰み物にはなっていなかったようだ。
粘り強く事情を聞いてみると、どうやら娘は近くの村から連れされられて間もなかったらしい。
(なるほど。小鬼どもめ、娘を巣へ引き込んで、宴を始めるつもりだったのだ)
そこへ、老爺が折よく襲撃をかけたというわけだ。
更に老爺は、出身の村の場所を聞いたものだが、娘は何度も頭を振るばかり。
(こりゃ、
娘が今まで住み暮らしていた村は、今や焦土と化している頃だろう。恐らくは村の者たちも……。
(ま、ともあれこの娘の身の振り方も考えてやらねば……)
そうして老爺は、根城へ向けて娘を連れ立って歩き始めたものだが、そこへの驟雨。そして、現在に至るわけである。
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