雲間を縫って、三日月が煌々と照っている。
その近くでは、緑色に、不気味に光るもう一つの月があった。
一説では、小鬼どもはその緑の月からやって来た……などとされているが、真偽は不明である。
さて……。
件の小さな村の酒場では、黒装束に身を包んだ三人組が、ぎらりと光る白刃を見せつけつつ、
「てめぇら、動いちゃならねぇぜ」
伝法な口調で村人たちを脅していた。
脅し主は、酒場店主の老爺と、その仲間の大男・腰の曲がった親仁の三人である。
「お、親仁さん……。ど、どうして……」
脅されている村人の中の、禿げあがった頭に白髭を蓄えた老人が戸惑いの声を上げるのへ、
「へっ。馬鹿な奴らだ。酒場の店主が、まさか盗賊団の首領だとも気が付かないでなぁ」
店主の……いや、盗賊団首領の老爺が、嘲るように言ったものである。
村人たちの驚愕は、底知れぬものだった。それほどまでに、老爺たちが手にした信頼というものは、大きいものであったのだ。
ある者は目を見開くばかりで、ある者は口惜し気に歯噛みをしている。脅されている中には年端も行かぬ子供もいて、彼らは訳も分からぬままに泣いていた。
ふと、黒装束の一人……大男が窓から外の様子を見て、
「あっ、頭……」
と老爺へ声を掛けた。
闇に紛れての『仕事』を得意とする男の目が、村の外からこちらの様子を伺う黄色い粒の数々を捉えたのだ。
言うまでもなく、これはゴブリンどもの瞳なのである。
(ふむ……ざっと見て……三十というところか。まぁ、こんな小さな村を襲うのだ。妥当というところか)
一人気に納得し、頷いた老爺は、
「おい。このド阿呆どもを、地下蔵に押し込んでしまえ」
命じるや、大男と親仁はすぐさま頷き、カウンターへと引っ込んだ。
カウンター奥の床板は外れやすく出来ており、それを剥がすと地下へ通じる階段が現れたではないか。
「それ。さっさと入らねぇか」
大男に急かされ、村人たちは怯えながら足早に階段を下りていく。
全員が地下へ向かったことを確認した老爺は、
「おい」
大男へ声をかけ、
「村の人たちが、万が一に抜け道に気が付かねぇということもある。お前、一緒に地下へ行ってな。見張り役と見せかけて、それとなく脱出口を教えてやってくれ」
と命じた。
大男は一瞬戸惑ったが、
「へい」
力強く返事をすると、自分も地下へと消えていった。
これを見送った親仁が、
「それにしても頭。大芝居を打ったものだね」
にんまりとして、老爺を見やった。
老爺は鼻を鳴らし、
「細々ながら、平和な時間が長かったこの田舎村だ。小鬼の軍隊が襲って来る、だなんて騒いだところで、戯言だと受け取られかねないからな」
「そこで、本業の盗人稼業を使って、無理やりに村の人達をそれとなく逃がそう、って魂胆だ」
「あいつも、な」
「だろうと思った」
老爺の言う『あいつ』とは、先に地下へ潜った大男のことである。
「あれはまだ若い。それに力もある。抜け道を行った先で、小鬼どもが待ち構えているやもしれぬしな」
「腰の曲がるようになった老いぼれは、さっさと世を離れた方が良いものね」
「……皮肉か?」
「まさか」
旧知の共の如く、微笑み合い言葉を交わした老人二人。
彼らの目は瞬時に鋭いものとなり、それまで村人たちを脅すために使っていた、柄のない、身の反りかえった不思議な形状をした剣を握りしめ、
「さて、そろそろ暴れるかね」
「……死ぬなよ」
「無茶言うな」
その言葉を最後に、二人は老いぼれとは思えぬ素早さを以って、音もなく酒場を出た。
小鬼どもは、まだ村の外から様子を探っているようだったが、やがて村の静けさに安全を見たらしく、無作法な足音を轟かせて突撃を仕掛けてきた。
殿を務めるは、まるで鍋のような形状をした石兜を被った小鬼。こやつは右に左にと指をさし、
(さぁ、攻め込め!)
とでも命じたらしく、これを受けた他の小鬼どもが、忌々し気な顔をしつつも、村に点在する小屋へ入ろうとした。
まさに、その瞬間である。
家の屋根から、黒い影が降りてきたかと思うや、一匹の小鬼の頭を踏みつぶし、次いで驚愕の余り動けなくなっている別の奴の首を、
「それっ」
掛け声とともに、煌く銀色の一閃が切り裂いた。
殿の小鬼が、黒い影の除去を命じる。
夜目の利く小鬼どもは、すぐさま影……盗賊団首領の老爺を捉えるや、飛蝗の如く群がった。
一匹が跳び向かって来るのを、
「むん!」
鉄の籠手を嵌めた甲で弾いた老爺は、そのままもう片方の腕に握りしめた剣を、
「くたばれ!」
迫りくるもう一匹へ突き入れた。
しかし、こうなると隙が出来る。
小鬼にとって、戦いにおける仲間の死というのは、自分の手柄を上げるための踏み台に過ぎないのだが、それとは別に仲間を殺された恨み怒りが噴出するところが、面倒なのである。
怒り狂い、しかし目先の手柄に胸躍らせた一匹の小鬼が、手にした石斧を振るい上げたのへ、
「ひゅっ……」
と風を切って、『何か』が飛来した。
その『何か』は小鬼の首筋を正確に捉え、
「GYA、GYAO!?」
小鬼め、もんどりを打って倒れると、すぐに動かなくなってしまった。
この様子を、少し離れた小屋の陰から見ていたのは、老爺と共に小鬼を迎え撃つために残った親仁。
彼の手には、細長い筒のようなものが握られている。親仁、得物は吹き矢であるらしかった。
(さて。奇跡が起きて、冒険者様たちが来るのを期待でもしようかね)
到底かなわぬ事態を期待しつつ、親仁は矢を筒に詰めた。
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