悟空は無邪気な冒険者   作:かもめし

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一話一話を2000字程度にするより、ある程度まとめた方が読むとき負担が少ない、とご意見をいただいたので、ちょっと書き方を変えてみようと思います。


暴猿

    一

 

 

 それは、突如として闇の中から飛び出してきた。

 闇人の横をすり抜けたそれは、小鬼拳闘士へと迫るや否や、その顔面を殴りつけたのである。

 闇人は瞠目した。荒々しく息を遣い、黒髪を逆立たせ、黄金色の瞳で敵を睨みつけるオールラウンダーがそこにいたからである。

 

「お前……」

 

 闇人が言いかけた時、むくりと身を起こした小鬼拳闘士が、

 

「GYAOGUOOOO!」

 

 逆上の咆哮を上げてオールラウンダーに迫った。

 乱暴に突き出した小鬼の拳が、少年の顔面へと入る。

 勝利を確信した拳闘士だったが、すぐにその笑みが驚きの表情に変わった。少年が、表情一つ変えずに拳闘士を睨んでいたからである。

 驚きが戸惑いに代わり、身の危険を感じた拳闘士が引っ込めようとした拳を、オールラウンダーはしっかりと掴み、

 

「GYA!?」

 

 そのまま掌に力を入れると、なんと拳闘士の手首が潰れ、切断された拳がぼとりと地面に落ちたのである。

 戦況を見守っていた聖騎士と闇人に、衝撃が走った。しかし、その理由は全く違う。

 聖騎士は単に、まさか拳闘士の腕がこれほど簡単に……小枝が折れるかの如くになってしまうとは思わなかっただけのこと。それに対して闇人は、

 

(な、なんだ……? あの変わりようは……?)

 

 オールラウンダーの変化に驚いていたのである。

 見た目の変貌ぶりもそうなのだが、相手の手首を握り潰した時の、異様な殺気を闇人は感じていたのだ。

 

(あれは……勇者であって、勇者でない……)

 

 未だオールラウンダーを勇者と勘違いしている闇人は、小鬼拳闘士と対峙する者が、オールラウンダーの姿をした()()()だと察知した。

 と、その時である。

 

「がああっ!!」

 

 空気が張り裂けんばかりの大音声を上げたオールラウンダーが、腕を負傷し苦悶している小鬼拳闘士の、その隙だらけの腹へと拳を突き入れた。

 小さな拳が、いとも簡単に拳闘士の腹をぶち破る。

 

「GA!?」

 

 目を見張った拳闘士の口から、夥しい量の血が流れ出た。

 これには構わず、オールラウンダーは拳闘士の体を蹴り飛ばし、乱暴に拳を引き抜く。

 どさりと後方に倒れた拳闘士は、もはや息をしてはいなかった。

 一部始終を見ていた聖騎士が、怯え切った鳴き声を上げて逃げにかかる。

 途中で何度も転げ、それでも懸命に中庭を突き抜け、やっとのことで聖騎士が城門まで到達した時、これをじっと見守っていたオールラウンダーが大きく口を開けた。

 その口元へ赤々とした光が集約していくのを見て、顛末を悟った闇人が、

 

「いかぬっ!」

 

 くるりと身を翻し、オールラウンダーの背面方向へと走り出した。

 直後、背後から耳を(つんざ)く様な爆発音がし、激しい風が吹き荒れた。それによって容赦なく闇人の体が流される。

 

「くっ……!」

 

 乱暴に地面へと叩きつけられ、二度三度と地面を転げた後で、ようやく闇人は体を起こした。

 起こして、

 

「あっ……」

 

 と声を出す。

 城門が。聖騎士が。美しかった砦の中庭が。綺麗さっぱりと消え失せ、代わりに、半円筒状の凹みが地を抉っているのが見えたからであった。

 

「がああっ!!」

 

 それは勝利の咆哮であろうか。オールラウンダーが天を仰ぎ、大音声を上げる。

 大気を震わせるその声が止んだ時。彼はゆっくりと後方を見て、果たして次なる標的を見つけたようであった。

 ……さて。

 この様子を、回廊から貴族令嬢たちも見ていた。

 それまで数の多さに慢心していた小鬼どもも、先の爆発音と、それがもたらした破壊力を目の当たりにし、戦慄の余り動きを止めている。獲物はもう目の前なのだが、

 

(下手に動けば、あの化け物に殺される……!)

 

 奴らはそう思っているらしい。

 これを見た貴族令嬢は、ふと傍にいた剣士が腰に吊るしていた雑嚢を引っ手繰り、中身を探ると、

 

「行きますよ!」

 

 何を思ったのか。石畳の床を蹴り、剣士に抱き着き、そして城壁から身を投げ出したのだ。

 呆気に取られていた小鬼どもが、獲物の突然の行動に気付きはしたものだが、やはり動けぬ。

 

「なっ、なにをっ!?」

 

 あまりにも唐突すぎる行動に、すっかり剣士が混乱していると……。

 がくり。唐突に、落下が終わりを告げたのである。

 娘二人の体は、ぶらりぶらりと宙に浮いて……いや、吊るされていた。

 

「よかった。あなたがしっかりと用意してくれていて」

 

 貴族令嬢が、片手でしっかりと剣士を抱きしめつつ、そんなことを呟いた。

 彼女のもう片方の腕は、ぴんと上方へ伸びており、その拳が何かをしっかりと握っている。

 

「あっ……!」

 

 貴族令嬢が握っているものを見て、剣士は納得の声を上げた。

 それは、鉤縄であった。駆け出し冒険者に向け、様々な物品を一まとめにした『冒険者ツール』と呼ばれる装備のうちの一つなのである。

 先端の鉤はしっかりと城壁を掴んでおり、これを確認した貴族令嬢は、

 

「行きますよ」

 

 言うや、宙ぶらりんの状態から城壁を蹴って手早く下へ降り、ある程度のところまで行くと、ぱっと手を離した。

 降りた先は、砦の外側……ではなく中庭。今まさに、暴走したオールラウンダーが闇人を仕留めんとしている戦場なのである。

 

「どっ、どうして……!」

 

 どうして砦の外へ逃げなかったのか。その理由を訊こうとして、

 

「こっちですよ!!」

 

 剣士の声は、オールラウンダーへと呼びかけた貴族令嬢の声によって阻まれた。

 闇人へ飛びかかろうとしたオールラウンダーが、ぴくりと動きを止め、声のする方へと体を向けた。

 剣士は、ますます貴族令嬢の考えが読めずにいた。しかし、この後の展開は予想できる。

 鋭い目をこちらに向けたオールラウンダーは、白い息を吐き出しながら、

 

「あああっ!!」

 

 予想通り、標的を娘二人へと変更し、突進してきたのである。

 

 

 

     二

 

 

 

 自分たちへ迫りくる脅威を前に、しかし貴族令嬢は落ち着き払っていた。

 彼女は、未だ自分に抱き着いている剣士を強引に引き離すと、腰元の剣を引き抜いた。

 

「戦う気ですの!? 無茶ですわ!」

 

 剣士が叫んだ。

 しかし、貴族令嬢の目的はオールラウンダーとの戦闘ではなかった。

 彼女は、手にした長剣を、

 

「それっ」

 

 上空に放り投げたのである。

 地を駆けながら、オールラウンダーはその剣の行方を目で追った。

 くるりくるりと回転しながら、長剣は目いっぱいの高さまで到達し……そしてオールラウンダーの視界に入った。長剣が舞う地点からもう少し上の、回廊からこちらの様子を伺っている小鬼どもの姿を。

 途端に、オールラウンダーが走りを止め、唸り声を上げる。その顔には、貴族令嬢たちへ向けたものよりも一層強い敵意が見える。

 

「走りますよ!」

 

 剣士へ呼びかけ、貴族令嬢が急いでその場から闇人のいる方へと駆けだす。

 

「あっ……えっ!?」

 

 戸惑いながらも、剣士はそれに続いた。

 

「なるほどな」

 

 自分の下へ二人の娘が駆け寄ってきた後で、闇人は呟いた。

 

「勇者の注意を引き付けつつ、小鬼どもの殲滅を計ったわけだ」

 

 闇人の指摘通りである。

 新たな敵を見つけたオールラウンダーは、逃げ出した貴族令嬢たちには構わず、回廊でこちらを見ている小鬼どもへ向け、大きく口を開いた。

 これが何を意味するか。すでに一度、砦の主の顛末を見た小鬼どもが察知できぬわけがない。

 ゆっくりとオールラウンダーの口元へ赤き光が集まっていく中、小鬼どもは我先に逃げようとし、しかし城壁から飛び降りる勇気もなく、もみくちゃになり却って身動きが取れなくなってしまった。

 ……と。

 遂に紅の閃光がオールラウンダーより射出され、砦の一角ごと小鬼どもを包み、飲み込んだ。

 

「あっ」

 

 という間もない。砦に巣食っていた小鬼どもは、こうして呆気なく、何の感動もなく、綺麗さっぱり全滅したのである。

 化け物退治は終わった。しかし、戦いそのものが終わったわけではない。

 

「ふうっ……! ふうっ……!」

 

 強大な力を連発したことで、流石に疲弊したと見えたオールラウンダーであったが、やがて顔を上げ、すんすんと鼻をうごめかせる。

 匂いだ。オールラウンダーは、ついさっき逃げた貴族令嬢と剣士の匂いを嗅ぎ取り、そして……、

 

「あっ、あああっ!!」

 

 見つけた。娘二人のほかに、先ほど自分が襲い掛かりかけた闇人の姿もとらえ、オールラウンダーは雄たけびを上げる。

 

「さて、どうする? 勇者の取り巻き」

 

 闇人が、無駄と悟りつつ身構えながら問うのへ、

 

「勿論、戦います」

 

 貴族令嬢は言うのだが、彼女の得物は、囮に使った代償に、小鬼どもと運命を共にしてしまった。

 

「まさか……素手で戦うつもりですの……?」

 

 剣士が、血の気失せながら問うのへ、

 

「そうしないと、彼を助けられないので」

 

 貴族令嬢は、澄ました顔で言ったものである。

 この態度に何かを察した闇人は、

 

「貴様。勝機があるのか?」

 

 問うと、

 

「……確実じゃないし、敵のあなたには教えたくなかったんですが……」

 

 前置きをした後で、

 

「彼は、尻尾を握られると力が抜けるんです。なんとか隙を見て、尻尾を握れば……」

「馬鹿な! あの化け物の背後に回り、尻尾を掴めというのか!」

「だから、確実じゃない、と言ったんです」

 

 少しばかり苛立った様子の貴族令嬢は、ちらりと剣士を横目に見て、

 

「《稲妻(ライトニング)》の呪文は、あとどれくらい?」

「……あ、あと一回……」

 

 これを聞いた貴族令嬢はこくりと頷き、

 

「結構。彼の援護をお願いします」

 

 言ったかと思うや、思い切り地を蹴り、オールラウンダー目掛けて駆けだしたのである。

 

「阿呆が! 飛び出すのは囮の役目だろうが!」

 

 青筋立てた闇人が、咄嗟に拳を突き出す。

 彼の薬指には、赤い宝玉がはめ込まれた指輪が光っている。

 迫りくる貴族令嬢を迎え撃とうと、これも地を蹴ったオールラウンダーへ、

 

「勇者! こっちだ!」

 

 叫ぶのと同時に、少年の左手方向へと跳び、

 

「《オムニス(万物)……ノドゥス(結束)……リベロ(解放)!!》」

 

 と唱えた。

 すぐさま白き光が指輪の宝玉から迸り、《分解(ディスインテグレート)》の魔法がオールラウンダーのこめかみを撃った。

 もとより、それで頭を撃ち抜かれるオールラウンダーではないが、注意を引き付けるには十分。こうした暴走の欠点は、目の前の敵にのみ視点が向かってしまうために外部からの襲撃を受けやすいことであり、加えて言うならば、新たな敵を見ると、簡単にそちらへ注意が逸れてしまうのも欠点と言えよう。

 果たしてオールラウンダーは、標的を貴族令嬢から闇人へと切り替えた。

 

「貴様!」

 

 闇人が、切羽詰まったように剣士へ呼びかける。

 

「私はこんなところで死ぬつもりはない! 貴様も命惜しくば、死ぬ気で援護しろ!」

 

 

 

      三

 

 

 

 剣士は、もうなりふり構わぬ様子であった。

 冒険者として家を出た時に持ち出した、家宝とも呼ぶべき突剣を引き抜き、

 

 

「う、わあああぁぁぁっ!!」

 

 悲鳴にも似た声を上げ、オールラウンダーへと肉薄した。

 無論、これを易々と許すようなオールラウンダーではない。

 ぎろりと剣士へ視線を向けると、瞬時にそちらへと体を向け、疾風の如く向かって来る。それへ、

 

「どこを見ている!」

 

 闇人がまたもや《分解(ディスインテグレート)》の魔法を放つ。

 後頭部を打たれたオールラウンダーが、前のめりに扱ける。

 

(これで、あと二回……)

 

 使用できる魔法の回数なのである。

 そこへ、迫った貴族令嬢がうつ伏せているオールラウンダーの尻尾を掴もうとし、

 

「あっ……!」

 

 両手両足を発条のようにし、オールラウンダーが宙へ跳びあがったので、か細い貴族令嬢の指は虚空を掴んだのみである。

 

「ちっ……!」

 

 舌を打った闇人が、空に浮かぶオールラウンダーを見た。

 少年は、真下にいる貴族令嬢へ狙いを定めている。

 

(奴が死ぬのはどうでもいいことだが……駒が減ると、それだけ勇者の暴走を止められなくなる……)

 

 咄嗟にその判断をした闇人が、オールラウンダー目掛けて跳びあがった。

 身動きとれぬ空中で、しかも貴族令嬢へ意識を向けていただけに、オールラウンダーは迫りくる闇人に気付くのに少し遅れた。

 そのまま、彼は闇人に組み付かれる形で地へ落ちる。

 しばらくもみ合った後、蹴飛ばされたのは闇人であった。

 なんとか立ち上がろうとする闇人へ、素早く迫ったオールラウンダーは、その腹に蹴りを入れた。

 

「ぐふっ……」

 

 鈍い音ともに、彼の体は崩壊寸前の城壁へと叩きつけられ、力なく地面へと落ちる。

 

(いけない……!)

 

 悟った貴族令嬢が、

 

「私が囮に……!」

 

 提案しようと剣士の方を向いた時だ。

 大きく掌を広げ、これを前へと突き出した剣士は、

 

「伏せて!」

 

 と叫んだ。

 すぐさま意図を組んだ貴族令嬢が、頭を抱えてその場に倒れ伏す。

 途端、彼女の頭上を、雷鳴が轟き、掠めた。

 剣士最後の《稲妻》が、オールラウンダー目掛けて放たれたのである。

 いかなオールラウンダーとて、瞬時に迫る雷を避けるのは不可能であった。

 伸びる紫電が彼の体を捕らえ、

 

「あがぁっ!」

 

 眩い閃光の中で、少年は苦悶の声を上げた。

 光が失せ、びりびりと火花が瞬く。

 灰色の煙がもくもくと立ち込め、その中でオールラウンダーは……、

 

「ぐぅ……!」

 

 こちらを睨み、立っている。雷を受けてなお、彼にとっては大したダメージではなかったのだ。

 しかし……。

 

「う、うぅ……」

 

 体が動かない。流石に、電撃による麻痺だけは、どうしようもなかったらしい。

 

「さぁ、早く!」

 

 剣士の声を受け、最後の力を振り絞って駆けた貴族令嬢は、

 

「これで、終わり……!」

 

 逆立つオールラウンダーの尻尾を、力強く握りしめた。

 途端。

 

「あ、あぁ……!」

 

 情けない声を上げたオールラウンダーが、へなへなとその場に崩れ落ちた。

 逆立った黒髪も、それにともなって垂れ下がり、それまで黄金色に輝いていた瞳の色も、平時の黒へと戻ったのである。

 

「はれひろはれ……」

 

 言葉にならぬ言葉を放ち、やがて少年は目を閉じた。

 

「し、死んでしまったのですか……?」

 

 恐る恐る剣士が問うのへ、答えたのはオールラウンダーだ。

 

「ぐごおおおおお! ごがあああああ!」

 

 まさに「廃墟」となった砦の敷地内に、まるで洞穴の奥に潜む竜の如き鼾が木霊したのである。

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