寓意の光景   作:紫 李鳥

11 / 27
11

 

 ――三十分もしないで料理は出来上がった。

 

「お待たせしました」

 

「わあ~」

 

 トレイに載った八宝菜やハムときゅうりの中華風サラダ、かき卵スープに、美音が驚嘆(きょうたん)の声を漏らした。

 

「美音ちゃん、ごはんよそってくれる?」

 

「は~い」

 

 美音が駆けて行った。

 

「早いね」

 

 柴田が感心した。

 

「時間のかからないものを作ったのよ」

 

 皿を置きながら柴田を見た。

 

「うまそうだ」

 

「今、ごはん持ってくるわね」

 

 ――食後、お茶を飲みながらテレビを観ていた。

 

「暖かくなったら、ハイキングでも行くか。美人の森さんにちなんで『美女平』にでも」

 

「うん、行きたい」

 

 美音が即答した。

 

「ね」

 

 柴田が純香に同意を求めた。

 

「……ええ」

 

 明確な返事ができない立場だった。いつなんどき、敵になるか分からない今の状況では、安易な口約束はできない。純香は暗い気持ちになった。

 

「ね、行こう、行こう」

 

 純香と柴田の間に座っている美音が、純香の腕を揺すった。

 

「ええ。行こうね」

 

「うん」

 

「今度、うちに遊びにおいで。学校の帰りにでも」

 

「行ってもいいが?」

 

「うん。校正の仕事はいつでもできるもの」

 

「うん、行く」

 

 美音は嬉しそうな顔を柴田にも向けた。

 

「行ってもいいが、行儀よくしろよ」

 

 柴田が念を押した。

 

「わかっとるって」

 

 

 純香が帰っていった後、

 

「お父さんも一緒に行けばよかったがに」

 

 美音が気を利かせた。

 

「……後にするよ」

 

「ムリししもて」

 

「宿題は?」

 

 柴田が話をすり替えた。

 

「これから。ね、のんべーのみやげはあの人の手作りやったのね」

 

「……ああ」

 

 柴田はテレビを観ながら生返事をした。

 

「きょう、料理を食べてピンときたが」

 

「……そう?」

 

 柴田は上の空だった。

 

「夜中に行かんで、いま行けばいいがに」

 

「そう?では、お言葉に甘えて」

 

 柴田は急いで腰を上げると、マフラーを巻いて、煙草と鍵をポケットに入れた。

 

「鍵して、宿題しとけ」

 

「わかった。お父さん、きらわれんようにシンシテキにせんにゃね」

 

 美音がアドバイスした。

 

「あいよ!」

 

 柴田は急ぎ足で、純香のアパートに向かった。――

 

 

 純香は柴田に抱かれることに罪悪感を抱きながらも、その(ゆる)されない情事を見限(みかぎ)るだけの(かたく)なな信念は無かった。

 

 これといった復讐方法も見出だせぬままに、事の成り行きに身を委ねているというのが現状だった。復讐はいつでもできる。この愛が冷めた後でもいいじゃないか。いや、復讐なんて、もうどうでもいい。というのが正直な気持ちだった。……この愛に浸っていたい。……永遠に。

 

 

 翌日、美音を伴って柴田がやって来た。来る予感がしていた純香は、多めに作っておいた夕食を一緒に食べた。「おいしい」と言って頬張る美音の笑顔を見ながら、純香は幸せを感じていた。

 

 

 ――ところが、予期せぬ事態が発生した。その次の日、丸一日、柴田からなんの連絡も無かったのだ。夕刻はおろか、二十二時を過ぎてもやって来なかった。三人で夕食を摂るという純香の計画は空振りに終わった。

 

 不吉な予感の中で、柴田に電話をするのが怖かった。電話の向こうで、思いがけない出来事が起きてるようで、胸騒ぎがした。その思わぬ事態を抱えた柴田がドアをノックするまで、何も行動しないで、ただ、じっと待つしかないと思った。

 

 そこにも、相手の判断に任せるという、純香の卑怯(ひきょう)な一面が垣間見えた。柴田のことなど気にしてないわ、と装う自分の卑劣(ひれつ)さを認めながらも、それでも、「どうしたの?心配したのよ」と、会社や自宅に電話する素直な気持ちにはなれなかった。

 

 当夜、悪い結果ばかりが頭を(よぎ)り、寝付けなかった。――そして、浅い眠りの中で、その早朝のノックは不安を的中させた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。