広い広い剣道場。
日が傾き、道場に差し込む光が赤みがかってきた頃。
何十人もの門下生の注目は、中央で向かい合う2人の少女に注がれていた。
バン! と袋竹刀(竹の棒に布を被せた竹刀の一種)がぶつかり合う。
ほんの少しだけ鍔迫るが、あっけなく体格の差で小さい方の女の子が弾かれた。
後退した少女を追い、背の高い長髪の女の子が、間合いを詰めて攻めたてる。
ショートヘアの小さい方の女の子は防戦一方。
のはずが、次の瞬間、技の間隙を突いた切り上げで相手を退かせ、形勢を押し戻した。
「可奈美ちゃん凄い!」
「絶対あたしより強いよ!」
道場の入り口側。低学年の方から小さく歓声が上がる。
片や高校生。現役の刀使。
片や小学生。つい最近御刀に認められたばかりだという少女。
本来、試合にすらならないように思える組み合わせ。
稽古の終わり際に師範に指名されて実現したこの異色の立ち合いは、すぐに小学生の子が負けて終わるだろうという大多数の門下生の予想を覆して、
通常では考えられないほど長引いていた。
立ち合っている最中の2人の表情はまるで正反対。
攻めている側の長髪の高校生の顔は、これが実戦であるかのように険しいのに対して、
後手にまわっているはずの、ショートヘアの小学生「衛藤可奈美」ちゃんの方は、まるで誕生日ケーキを前にした子供のように目を輝かせている。
表情だけ見れば、どっちが優勢なのか分からない。
……いや、実際、真実に優勢なのはどっちなんだろうな。
頰を掠めた袋竹刀に怯えず、むしろ嬉々として反撃に転じる少女を前にして、俺はそう思わずにはいられなかった。
────
折神紫様の命令で、全国の流派の視察なんて雑用(と言ったら失礼だが)をやらされていた俺は、ある時、中部地方で大きな勢力を持つ柳生新陰流の道場にお邪魔させてもらっていた。
師範曰く「観てもらいたい娘がいる」と。
師範の悪戯心か、観てもらいたい子を知らされないまま、稽古を観ていたが、いったい誰がその子なのかは、異様なほど簡単に分かった。
ああいうのを別格と言うんだろう。
本来格上の高校生を相手に、全ての攻撃をギリギリで凌ぎ続ける可奈美ちゃんの動き。
一見ギリギリの綱渡りを奇跡的に連続で成功させているように見える彼女の一挙手一投足。
俺はその姿に違和感を感じた。
その違和感の正体を掴むため、彼女の動きに集中していると、不意に肩を叩かれた。
振り向くとそこには2人の師匠、柳生新陰流師範のお婆ちゃん。
「どうですか。あの子は」
間違いなく可奈美ちゃんの事だ。
もしここで
「あぁ、あっちの高校生の子のことですね」
なんて言おうものなら、俺は即座に道場から叩き出されてしまうだろう。
今日の寝床を掛けてもいい。(掛かってる)
言っては悪いが、可奈美ちゃんの相手の子は平凡だ。
技のキレや判断の速さは、流石に実践を経た高校生だとは思うが、それは年の功であって、本人の才能は中の上と言った所。
それ故に、そのどれも持ち合わせていない可奈美ちゃんの唯一持つ才能がかえって際立って見えるのだ。
一通り可奈美ちゃんの動きを見たであろう俺に向かって値踏みをするようにそう聞いてきたのは、俺の見る目がどれほどのものか試そうとしているに他ならない。
折神紫が自分の代わりに遣わした弟子。
一応はそういうことになっているが、女所帯である刀剣類管理局に紛れ込んだ男など、たとえ後ろ盾があっても信用に値しない。
なんとも世知辛いが、そういうことなんだろう。
まったく、肩身が狭いね。
慣れてるけどさ。
と、無駄話は置いておいて
普通に考えれば、あらゆる能力で圧倒的に上回っている高校生相手に、いくら才能があると言っても、小学生がこうして食らいついていること事態が、奇跡に近い。
それだけでも可奈美ちゃんの実力が相当なもので、伸び代に恵まれていることが分かる。
だけど、それどころじゃないようだ。
衛藤可奈美ちゃんの力は。
可奈美ちゃん自身は試合を楽しんでいても油断は無い。
一進一退の攻防に
けど、その実、可奈美ちゃんは相手のどんな攻撃を受け、身体を動かされても、決して体幹がぶれることも、動きが乱れることも無かった。
……その事はもしかしたら、本人ですら気付いていないのかもしれない。その事に気付けている人間は、道場内に殆ど居なようだった。
俺が見る限り、気付いているのは、俺と彼女たちの師匠である師範だけだ。
他の子は呑気に上辺を観戦してるだけ。
それでも対戦相手の子は何か様子がおかしいと感じているのか、可奈美ちゃんと剣を合わせるたび、戸惑い僅かに首を傾げている。
可奈美ちゃんの荒削りながら相手を完全にいなしきっている動きを見ていると思わずグッと拳を握ってしまう。期待か興奮か、それは俺にも分からない。
「……強い。今の段階ですら、俺が今まで見た剣士の中じゃ五指に入るぐらい強い」
可奈美ちゃんの真の実力。
高校生を前にしても底を見せない才気の泉。それは一体どれほどのものだろう。
「……そうですか」
だいぶ主語を省いてしまっていたが、どうやら俺は合格したらしい。
俺の言葉を聞いた師範は、そのまま憂いに満ちた瞳で小さな少女を見つめていた。
────
本来、刀使同士の試合は、長引かない。
基本的に一回勝負。
生身で木刀、または竹刀を使うため、一度負けた側の身体へのダメージが大きく、そう何度もやれるものではないからだ。
そしてそれ故に緊張感も絶大。
一瞬の隙が致命傷になるため、極限の集中が続けられる僅かな間で決着がつくことがほとんどだ。
だが、もしも
それが長期戦になると言うのなら、
それは
双方の実力が高度に拮抗している
か
圧倒的な実力差を持つ相手がわざと手を抜いているか
の二択だ。
────
長く続いた試合に決着を着けようと長髪の少女が袋竹刀を大きく振りかぶる。
ダン! と音が道場内に響き渡るほどの力強い踏み込み。
そこから繰り出される全霊を込めたであろう乾坤一擲の袈裟斬り。
可奈美ちゃんは、その一撃を僅かに肩を入れるようにして僅かに半身になる事で躱してみせた。
呆気ないほどに容易く躱してしまった。
そして、肩を入れた勢いのまま
一回転して横なぎの一閃。
ガッと、二本の袋竹刀がぶつかる。
長髪の少女はなんとかその一撃を受け止めるが大きく体勢を崩す。
道場内が一瞬沸き立つ。
……
しかし、そこで失速。
可奈美ちゃんは相手が体勢を崩した時点で剣を止めてしまっていたのだ。
可奈美ちゃんが二撃目を繰り出す前に少女が体勢を立て直してしまう。
『あぁー』
道場内に可奈美ちゃんが勝機をこぼしたことに対するため息がこだました。
「あぁ──」
この試合は
素人目に見れば拮抗しているようにも見えるかもしれないが、分かる人間からすれば、こんな惨い試合は無い。
教導試合の方がまだ見れる。
今の行動で、俺の予想は確信へと変わった。
特に今の攻防なんて、幼稚園ぐらいの子供にお父さんが腕相撲で悲鳴を上げるほどに白々しい。
それを小学生が高校生に向かってやっていると言うのだから、
この試合の物悲しさに拍車をかけていた。
先程の攻防は、袈裟斬りをギリギリで避けた時点で、胴を薙げば決着がついていた。
それを可奈美ちゃんはわざわざ
相手の防御が間に合うように。
さらには、防御したものの衝撃で体勢を崩した相手に対して、追い打ちを仕掛けなかった。
きっと、いや、絶対に、手加減していたとしても倒しきってしまうからだろう。
周りの子たちは口々に「惜しかった」だの、「今チャンスだったじゃん」とか言ってるけど、そんな事、可奈美ちゃんが一番分かっているんだ。
……分かっているはずなんだ。
ことココに至るまで何十回と可奈美ちゃんの実力なら勝つチャンスは有った。それなのに、一つとして可奈美ちゃんはソレをモノにしてこなかった。
その事から導き出される真実は一つ。
可奈美ちゃんは
再び2人が向かい合う。
初めの頃から更に格差のついた覇気の違い。
可奈美ちゃんの実力を理解し、今にも泣き出しそうな顔をした高校生と、あいも変わらず眩しいぐらいの笑顔を見せる可奈美ちゃん。
もし俺の手元にタオルが有ったなら、きっとすぐさま投げ込んでいたことだろう。
可奈美ちゃんのそのウズウズとした表情からは彼女がまだ戦い足りないと思っているのがヒシヒシと伝わる。
彼女の勝ち負けよりも、相手の引き出しを全て観たいという欲望が見てとれる。
その想いに悪意はこれっぽっちも。
1ミクロンたりとも無いんだろう。
でも
身の丈を遥かに超えた期待を押しつけられるのは、相手側からすればたまったもんじゃない。
彼女がしていることは、言うなれば、刃牙道で宮本武蔵が語った望み。
斬り殺した相手に「もう一度立ってくれ」と言っているようなものだからだ。
……その願いは、こんな道場試合に持ち込むには余りにも重く、余りにも
「
「はい。あの子の剣は貪欲すぎるのです」
その後、しばらくじゃれあいのような攻防が続き、
終わりの時が来た。
ガツン バチバチバチ
地面に投げられた袋竹刀が静かな道場に大きな音を響かせた。
「もう嫌!!」
長髪の少女が突然袋竹刀を投げ捨てて観客席に逃げてしまったのだ。
少女はそのまま仲が良いのであろう友達のお腹に顔をうずめて泣きだしてしまった。
駆け寄られ抱きつかれた友達の方は、何がなんだか分からず困惑した様子。
いや、道場全体が優勢だったはずの高校生の女の子が、突然試合を放棄したことに困惑していた。
当然その中には可奈美ちゃんも含まれている。
真実がどうであれ、彼女は意識の上では全力で立ち合っていたのだから。
相手が突然試合を捨てれば驚きもする。
可奈美ちゃんは袋竹刀を構えたまま呆然と立ち尽くしていた。
この突然の事態に一番ショックを受けたはあの子かもしれない。
……もしかしたら、原因が自分だと理解していないのかもしれない。
……
「勝者、衛藤」
どうすれば良いのか分からず、オロオロしていた審判役の子に代わり、師範が声を上げて場を閉める。
瞬間、わっ! と低学年側が沸き立ち、何人もの同期生が可奈美ちゃんの元に駆け寄る。
「凄いよ! 那由多先輩に勝っちゃうなんて!」
「なんで勝てたかわかんないけどとにかく凄かった!」
「……あはは、ありがとう」
「もー、何よその顔はー」
ワイワイと騒がしい団子が出来上がるが、その中心に立つ可奈美ちゃんの笑顔はどこか煤けている。
その様子を見て、俺の隣に座る師範の顔がくしゃくしゃになった。
「……私たちでは、あの子を満たしてあげられないのです」
何かを堪えるように、絞り出すように師範は言った。
今日一日、稽古を見ていたが、可奈美ちゃんの相手だった高校生の女の子は、可奈美ちゃんを除けば、今日道場に来ている子の中では一、二を争う程度には強かった。
それがこの有り様なのだから、可奈美ちゃんの剣は、他の門下生とは別次元に有るとしか言えない。
師範のお婆ちゃんもその事を理解しているのだろう。
自分たちでは可奈美ちゃんと勝負にならないのだと。
冷えた頭でそう結論を出していたのだろう。
けど、本来部外者であるはずの俺に対して、いったいどんな想いでその事を言ったのか。
どれほど理屈として、現実として自分たちが至らないことを認識していたとしても、それに心が納得するかどうかは別の話だ。
師範の握った拳がやけに赤く見えるのは、日差しのせいだけじゃない。
悔しいのだろう。
悲しいのだろう。
師範の声からは、娘が望むモノを、娘に必要なモノを、与えられない歯痒さを感じた。
そしてそれ以上に、
並び立つ者を持たない我が子の行先を案じる親としての情を、俺は感じていた。
お婆ちゃんが俺の手を握り、乞い願うように言う。
「あの子と……立ち合っていただけますか?」
その言葉の意味を、俺はきっちり受け取った。
……受け取れたはずだ。
お婆ちゃんは、あの子に勝ってくれと、
あの子を1人にしないでやってくれと。
そう言ったのだ。
「俺なんかで良ければ」
俺はお婆ちゃんの手を握り返し、すぐさまそう答えた。
益子薫は半幼なじみ設定のため、既に病む素養がありましたが、
他の子に関してはほとんどが初対面(原作2年前はメインキャラの多くが小学生)のため、しばらくはヤンデレ要素が薄くなってしまうと思います。
[本日のあらすじ]
衛藤可奈美は既に最強。