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出会ったその時から、私はその人のことが気に食わなくて仕方がありませんでした。
魔女であり、旅人。
私と同じ立場でありながら、私よりもよほど平和で安穏とした旅をしていたらしい彼女は、その境遇を写したかのようにお気楽かつ能天気な性格をしていたのです。
とある一件以来、少しは現実が見えるようになった私からすれば、そうした彼女の無神経さと無理解さは苛立たしく、あえてこちらの神経を逆撫でするかのような、わざとらしい笑顔は大変勘に触りました。
せいぜい三日足らずの出会いでしたが、彼女への印象は概ね上記のようなものだと言えます。
たとえ、結果として彼女に救われたのだと頭で分かってはいても、その時の感情を全てすっきり清算できるほど私は出来ていません。
決して自分が捻じ曲がっているとか、それ故まだ真っすぐでいられる彼女が妬ましかったとか、そういうことではありません。
ただ単に、気に食わなかったのです。
もう随分と昔のことなのに、なぜ今になって彼女のことを思い出したのかは分かりません。
人は忘れる生き物ですが、記憶というものは時に他愛もないことから頭の奥底で奇妙に結びつき、とても古い過去の出来事が呼び起こされるそうです。
そんな類のものだったのでしょう。
ともかくそんな回想に耽り、無意味に、無益に、現在とは全く無関係に苛立って眉間に皺をよせていた私は、これまた無関係な入国審査の人を、無意味にビビらせていました。
「あ、あの・・・本国への入国目的を伺っても、いいでしょうか・・・」
おずおずと、気弱そうな入国審査官の方が訊いてきました。
「宿泊です」
ただ端的に一言、私はそう口にします。
「しゅ、宿泊・・・なるほど、もし観光などでしたら、こちらに予約した宿などを書いていただけると」
「観光?いいえ、私は宿泊と言いましたが」
ここは近隣諸国でも有数の観光名所があって、とにかく山の景色が美しいと有名なのだそうです。
なので、この国に訪れる旅人というのは大概が観光目的で、私もそれだと思われたのでしょう。
しかし、興味がありませんでした。
すげなく否定された入国審査官さんは顎を引いていたものの、ずいぶんと親切な人のようで、そんな私の態度にもめげずにこんな助言をしてくれました。
「は、はあ、あの・・・でしたら、観光地から離れた町中の宿をお勧めします。予約無しでは空きが少ないかと思われますので・・・・」
「有難う御座います」
ただただ不愛想に礼を述べる私に少々辟易したように、入国審査官の人は微妙な表情を浮かべていました。
もともと談笑など求められず、最低限の事務的なやり取りに終始するべき入国審査ですが、審査される側の方が冷たく機械的であるというのは傍から見ればおかしな光景だったかもしれません。
しかし当人たる私はおかしいとも可笑しいとも思わず、愛想笑いの一つも浮かべることはありません。
もうどれくらい笑っていないかな、と私はふと思考が他所へと移りかけます。
もとより声を上げて笑うことなど皆無に等しかった私ですが、ここしばらく、口角を曲げたことすらないような気がします。
そうした想起の途中で彼女のへらっとした笑顔が再び脳裏に浮かんできて、思わず目元がぴくりと動いてしまいました。
そんな私にすっかり怯えてしまったらしい入国審査官の人が、あからさまに機嫌を悪くしている私を刺激しないように、上目遣いで訊いてきます。
「え、えーと・・・では最後に、お名前を・・・」
それは普通最初に聞くべきだろうに、と呆れながら、私は自身の名を口にしました。
「イレイナ。灰の魔女です」
霊峰のフェンベルスタ、という、仰々しい名のその国は、巨大な山のふもとに位置しており、その山の恵みで大きくなった国だそうです。
なんでもその国の始まりからして、初代国王が山から偉大な力を授かってどうたらこうたらという話で、国王が偉いのか山が偉いのかわからない、というのがこの国お決まりの冗談なのだとか。笑えないですね。
そんな冗談が許されてしまうあたり、今の代の国王はおおらかというか、まだしも現実が見えている方のようです。
かつては神聖視され、近づくことすら許されなかったという山も今では観光客が麓までなら訪れてもよい場所になり、峻厳たる山峰は一見の価値あり、などと言われる景観ゆえか人気もそこそこあるとのこと。
旅人たちがそうした目的で訪れればそれにかこつけた商品も売れ、宿屋も増え、活気が沸いて金が回るようになったと国民には概ね喜ばれているそうでした。
朝食に選んだ喫茶店で、訊いてもいないのにカウンター越しに店主がぺらぺらとそんなことを散々喋ってくれたために、無駄にお国事情に詳しくなってしまいました。
なんでも先日訪れた旅人がそういう歴史に興味のある方だったらしく、あれこれ聞かれたものだから余所者には需要があると思ったのだとか。ありません。
あれでパンが大変美味しくなければクレームもやむなしでしたが、しかしパンもコーヒーも大変美味しかったのでひとまず不問としましょう。
「それにしても、活気が沸いて金が回る、ですか・・・」
私は店を出ながらそんな独り言を呟き、ふと山の方に目を向けます。
フェンベル山という名のその峰に近づくにつれて建物は増え、中心にある王城を囲むように乱立しています。
山を背にした城も立派ですが、その後ろにそびえる山はてっぺんが霞んで見えるほどに高く、雄大、という言葉が確かに相応しく思える威容を誇っていました。
城のあたりは既に傾斜があるのか、そこから半円状に広がる国の様子がここからでもよく見えます。
そして僅かに聞こえてくる、露天商たちの謳い文句や観光客たちの笑い声。
確かにこの辺り、国の外周に位置する区画に比べて随分と賑わっているようでした。
以前までの私ならただ単に興味本気で、あるいはその景気に乗っかってちょっとした小銭稼ぎでもするために、意気揚々とそちらに足を運んでいたでしょう。
活気が沸いて、金が回る。その言葉をそのまま受け取っていたに違いありません。
しかし、今の私はこんなことを思っていました。
「トラブルも多いでしょうに」
観光客の多い国、というのは景気が良いと同時に、治安に不安を抱える可能性が高くなる国でもあります。
浮かれ気分の観光客を狙った窃盗にはじまり、あまりに浮かれすぎた観光客たちのマナーを逸脱した振る舞い、諸々。
迷子や忘れ物などの小さな事件も含めれば、数えきれないほどに頻発していることでしょう。
そこへ魔女などが足を運ぶと、何かと魔法で解決してくれと頼まれることも一度や二度ではないに違いありません。
そんな経験上の確信がありました。
それも承知の上で、あるいはあえて快く頼み事を引き受けるのがかつての私だったかもしれません。
・・・生憎と、そういう気分にはなれませんでした。
溜息をついて私は視線を外し、その拍子に額の上で揺れた前髪を指先で払います。
そのまま自然と髪を一房つまんでから、しばし私は顔をしかめました。
いつからか、自分の髪を弄る仕草が癖になっていることに気づいたのがつい最近のことです。
肩に届かない程度のあたりで、ばっさりと切られた灰色の髪。
今となっては慣れてしまい、これはこれでと思える髪型ですが、ふとした時に触れるとこうなった当時の心境を思い出してしまうのです。
無暗に人の事情に首を突っ込んでは、深く後悔することになる。
そう思い知ったすぐ後に切り落とされた髪の毛は、それまで迂闊だった私への罰。
あるいは、戒めのように思っていたのです。
人は他愛のない事からでも、頭の奥底に結びついていた記憶を呼び起こすもの。
ふとした仕草の度にそれを想起してしまうのは、私にとっては、もはや呪いに近いものでした。
失恋でもあるまいに、と余人なら笑うかもしれませんし、自分でも少し馬鹿馬鹿しく思えます。
そんな感傷に浸り、いつまでも過去から目も背けられない愚かな魔女は、髪を弄りながら遠い目をしています。
それは誰か。
・・・などと問うことも、もはや無駄でしょう。
私以外に、そんな人物は存在しないのですから。
あとがき
本筋よりもだいぶ刺々しい「短髪の私」が主人公のお話が、この先に続きます。