鍛え上げた鬼殺の剣士は、剣が物質的に触れる範囲外も衝撃波で破壊する。
鍛え上げた鬼もまた、拳を振るだけで遠くまで人の肉を削ぐ衝撃波を飛ばす。
人外の鬼も、それに迫る剣士も、極めた攻撃の一部は『飛ぶ』。
道を極めれば到達地点は似通うものだ。
月の呼吸は。黒死牟は。間違いなくその極致に到達していた。
黒死牟が振るった切り上げの斬撃が、大きな三日月を三つ、小さな三日月を無数に放ち、森を削ぎ取るように月が夜闇を突き進む。
狙うは八八。
放つは月刃。
八八は鋼鐵塚から受け取った現状最高の出来の八輪刀を握り、侍の力で素粒子を操作し、二丁拳銃へと変形させた。
弾切れのない銃弾の連射が、小さな月を砕いていき、八八は大きな三日月の隙間に潜り込む。
撃ち砕かれなかった三日月達は八八の左右で、後方で、森の木々をまるで砂糖菓子のように切り裂き粉砕していった。
鉄の盾でも切り裂きかねない、三日月の弾幕。なんとも恐ろしい。
「侍は刀だけではないぞ」
「いや……少なくとも銃は……侍らしくはないが……」
「お前がどう思おうが侍に銃が似合うかどうかはオレが決めることにするよ」
「……侍の時代に生まれた者でもなかろうに……」
続き放たれる黒死牟の月を、八八の二丁拳銃が撃ち抜き、できた隙間に八八が体を滑り込ませ、なんとか回避していく。
空には月。
地にも月。
黒死牟が放つ月は、戦闘者の目にはとても恐ろしいものとして映った。
「我が名は
大きな三日月に小さな三日月が多数まとわりつき、一番小さな三日月でも鍛えた人間の腕を切り飛ばす威力がある。
月は不規則に動き、長さや大きさも変化する。
速度も回避が難しいほどに速い。
"殺すための最高効率"を極めたような最悪の刃だ。
八八の動体視力と技量では、ギリギリのところで見切れない。
銃弾で大きく隙間を作り、そこに逃げ込むしかないようだ。
「貴様の弾幕ゲームに付き合う"義"はない。お前は物事をあせりすぎる」
「だんまくげぇむ……?」
「拙者銃より刀の方が得意であるが……
流石に貴様に近付けばすぐ微塵切りだ。
カツの付け合せのキャベツのようにされかねんぅおぅっ」
八八が回避した先に踏み込んだ黒死牟の横一閃が、八八の首をすっ飛ばし、一閃に纏わりついていた小さな三日月達が八八の全身をズタズタに引き裂いた。
だがすっ飛んだ八八の首は空中で肉体を再生し、黒死牟の一閃で宙を舞った八輪刀を掴み、隙無く両足で着地した。
黒死牟は不快感を覚える。
異様なまでの生命力。
異様なまでの生き汚さ。
今肉体を細切れになるまで切り刻まれたにも関わらず、平然とそこに立つ胆力。
黒死牟は感覚で理解していた。
これは、精神性に由来する不死性だ。
もはや明確に実力差は分かっているだろうに、"負けを認めない精神"だけで、実力差も負けも認めず、八八は食い下がっている。
黒死牟は諦めない戦士は嫌いではない。
それは、勝利を掴むために必要な精神性であるからだ。
だがこれは違う。
八八は勝ち目が完全に0であるのに、負けを認めず食い下がり続けている。
それはスポーツで言うところの、勝利を目指す努力ではなく、負けを受け入れられないチームの遅延行為に近い。
少なくとも、黒死牟にはそう見えた。ゆえに苛立つ。
「頸を落とされ。
体を刻まれ。
負けを認めぬ醜さ……生き恥……! 貴様それでも侍を名乗る者か……!?」
「うむ」
「うむじゃないが」
「恥を知るがいい……!」
「"恥"を失ったな」
「恥を失えばただの恥知らずであろう……!?」
地面を走る強力な複数の斬撃が、大八八に向けて飛ぶ。
強力な力を込められていたがゆえか、月の呼吸漆ノ型は二丁拳銃の銃弾による守りを容易に突き破り、八八の胴体を両断しながら粉微塵に吹っ飛ばす。
また、八八の首が宙を舞った。
大斬撃に纏わりついた小斬撃が八八の首も両断しようとするが、八八の頭が空中で突如飛翔を始め、斬撃の範囲外に逃げる。
磁力操作で首だけ飛行を為した八八の首はあっという間に体の修復を完了し、犬掻きの磁力で八輪刀を引き寄せ、また構えた。
「侍……というよりは飛頭蛮ではないか……?」
黒死牟の六つの瞳が八八の体を凝視する。
鬼の再生力が児戯に見えるほどに早く再生を終える八八を見て、黒死牟は数百年ぶりに『人内の怪物』を見た気持ちになった。
「信じられぬものを見た」
継国縁壱が後世の人間達に残した視界―――『透き通る世界』。
感覚器の技能の極みに在る極限を、黒死牟も習得している。
人の体内を透かして見て、相手の動きや弱点を見通すこの技能は、人間に対しても鬼に対しても極めて強力な透視能力として機能する。
だが。
八八に対してそれを使い、八八の体内を透かして見た黒死牟が覚えたのは、悍ましさであった。
「空恐ろしい……貴様、その体内、どうなっている……?」
「"SF"が描きたかったんです!」
「いや……どうなってるのか分からないのはその頭の中身もだな……」
鬼舞辻無惨を透かして見ることはできた。
継国縁壱を透かして見ることはできた。
だが、八八の全てを透かして見ることができない。
それが黒死牟には、心底おぞましいものに見えてしまう。
「……あの御方が苦戦するわけだ……
貴様の体内は……あの御方に匹敵するほどに人間からかけ離れている……
縁壱と同じく生まれたままの体を弄っていないならば……あまりにも異端……」
「なんとなく話が見えてきましたよ。拙者には鬼のような酷使棒は無いからな(テコキ…」
「……」
「思ってた上弦の鬼と違うね定義…雰囲気台無し」
無言で放たれた月が八八の顔面を吹っ飛ばしたが、ものの数秒で傷一つ無い顔に戻っていた。
黒死牟の透き通る視界に見えるのは、サイボーグの異様な肉体。
肉のように見えるが本質的に人肉と異なる皮膚と肉。
金属の骨格。体を動かす人工筋肉。体内を通るコード。脳の代わりに坐する鍵。
全てが黒死牟の理解の外側で、ゆえにこそ何もかもが異質に見える。
特殊な金属などが多く使われる八八の体は、黒死牟の目を持ってしても全て見通すことはできない。ゆえに理解不能なのだ。
思考回路はもっと理解不能なのだが。
本来黒死牟は相手が人間であれば、体内の内臓や筋肉を見ることで、攻撃の前兆動作より早く反応しその攻撃を抑え込むことができる。
まさに無敵。
負ける要素がない。
ただし八八の思考と肉体だけは見通せないがために、その優位性が活かせない。
けれど。そんな優位性だけで勝てるほど、黒死牟は弱くない。
「様子見は……終わりにするとしよう……」
「―――!?」
"大分目が慣れてきた"と思い、攻撃に転じようとする八八の思い上がりを粉砕するように。
黒死牟の剣速が、その威力が、一瞬にして桁違いに跳ね上がった。
空から、細かな三日月達を纏わせた巨大な三日月達が、槍のように降ってきた。
大地が砕ける。
地層深くの土まで空に舞い上がる。
草木は粉砕され、土石は砂となり、砕けた岩盤や大木がまるで木の葉のように宙を舞った。
指定した空間を丸ごと粉砕するかのようなその大技は、黒死牟がここまで八八の能力を見極めるために、全力で技を放っていなかったということを、如実に証明していた。
森の一角を一瞬で凸凹の更地にするような一撃。
当然それは、八八だけをミンチにする一撃ではない。
獪岳もまた、その攻撃の範囲に捉えられてしまっていた。
「―――!」
巻き込まれる、死ぬ……獪岳がそう思った、その時。
『自分のためにしか頑張れない獪岳』を、『他人のためにしか頑張れない善逸』が、救った。
月の呼吸の降り注ぐ三日月の中、善逸は大きさも長さも変わる三日月の中を恐れること無く全力疾走で突っ切って、獪岳を抱きかかえ、勢いを殺さず攻撃圏内を離脱した。
「獪岳、大丈夫!?」
「……!」
「走れる!? 走れなくても走れよ! 早くここ離れて宇髄さんと合流しないと!」
獪岳は戸惑っていた。
先程まで、善逸達を裏切って鬼につこうとしていた自分が、善逸に救われている。
嫌いだったはずの善逸に救われている。
なのに、不快感はなく、善逸に仲間として扱われていることに、不思議な安堵すら覚えていた。
獪岳は、自分で自分が分からない。
分からないけれど、心底獪岳の無事を喜んでいる善逸の表情を見ていると、獪岳の胸の奥に湧き上がってくる、言葉にし難い感情があった。
「無事で良かった、ほんとよかった」
獪岳を救う時、三日月がかすっていた善逸の腕から、血が流れ落ちる。
普段ちょっとした怪我でもすぐピーピー泣く癖に、と獪岳は思い、歯を食いしばった。
修行の時の傷は痛いから耐えられない。
でも他人のために負う傷なら耐えられる。
それが雷の呼吸の『勇』。
知っている。
知っているのだ。
獪岳は"これ"が、壱ノ型・霹靂一閃を使う資格であることを知っている。
もしも立場が逆だったら、獪岳は善逸を助けに月の群れの中に飛び込みなどしないだろう。
だからこそ、獪岳は、壱ノ型が使えないのだ。
獪岳の嫉妬と憎悪の中には、見えにくくとも、確かな尊敬があった。
「善逸、俺は……」
「ん?」
「……なんでもねえ」
だが本気を出した黒死牟の技の連打は止まらない。
攻撃に巻き込まれる範囲はどんどん広がり、一度攻撃範囲外に出た彼らも、また黒死牟の技の攻撃範囲に入ってしまう。
月が来る。
かわせないほどの数と速度で、善逸と獪岳を襲う。
「危ねえ!」
その時、獪岳は何故か、善逸を庇うように抱きしめた。
何故か抱きしめた。
自分でも分からない感情に突き動かされて抱きしめた。
頭で考えていたら、きっと善逸を盾にしてでも生き残ろうとしていただろう。
けれど、何故か庇っていた。
獪岳が善逸を庇ったことに二番目に戸惑ったのが善逸で、一番戸惑っていたのが獪岳だった。
頭ではなく、心が体を突き動かしていた。
それは、桑島慈悟郎が、獪岳を弟子に取った理由に繋がるものであり。
完全な悪人であれば尊敬などしない善逸が、獪岳を尊敬していた理由に繋がるものであり。
絶対的な命の危機に陥り選択肢が無くなりでもしない限り、どんなに追い込まれても、どんなに鬱屈しても、獪岳が自分から裏切者や鬼になっていこうとしない理由に繋がるものであり。
獪岳自身ですら知らないような、獪岳の一側面だった。
善逸に対する完全な嫉妬も、完全な憎悪も無かった。
善逸に対する獪岳の気持ちはいつだって不完全で、そこには何かが混ざっていた。
不完全だからこそその想いに見て取れる、美しさがあった。
(なんだ、なんで、俺、こいつを―――)
迫る月が二人を両断せんとして、されどそれらを、割って入った八八が砕く。
目にも留まらぬ、超高速の突きの連打。
されど技量の差は明らかで、八八は全ての月を打ち落とすことができず、打ち落とせなかったものは体を張って体で止める。
全身月がぶっ刺さった八八が振り向き、獪岳と善逸の無事を確認し、ほっとする。
「あんた……」
「拙者、お前の中に"勇"を見た」
「―――」
勇気が無いと、誰も獪岳には言わなかった。
善逸も、師匠も、周りの人間も言わなかった。
ただ周りの人間は、壱ノ型を使えないことを陰でこそこそ言っていた。
勇気が無いと獪岳に言っていたのは、獪岳の心の声だけだった。
自分だけが自分を責めていた。
自分だけが自分を許していなかった。
自分だけが自分を臆病者と罵っていた。
己に勇気など無いと、どこか諦めていた。
己に勇気が無いから、自分が欠陥品としか思えなかった。
己に勇気があると思えないから、幸せの箱にずっと穴が空いていた。
だから獪岳は承認欲求が高いのに、自分が嫌いだった。
だから獪岳は勇気がある善逸を妬み、羨み、敬意を持っていた。
だから獪岳の心の一番見え辛い部分に、その言葉は深く刺さった。
その言葉を引き出したのは、咄嗟にしただけで、思わずしてしまっただけで、頭で考えてやったわけではない行動……獪岳の"勇"だった。
八八は額にぶっ刺さっていた三日月を引き抜き、捨て、視線を黒死牟に向け直す。
それは、黒死牟の攻撃から二人の背中を守るから、さっさとここを離脱しろという意思表示。
『作戦』で獪岳と善逸が役割を果たすのは、まだここではない。
「天元と合流しろ獪八。その後は、分かるな」
「……ああ。度肝を抜いてやろうぜ、八八先輩!」
「相変わらず話が早くて助かる。かたじけない」
逃げる二人。
攻撃を放とうとする黒死牟。
無言で八八が間に割って入る。
「もっと速く走れよ兄貴! 爺ちゃんに後で二人まとめてどやされちゃうぞ!」
「黙ってろカス! 調子に乗って昔の呼び名に戻してんじゃねぇ!」
何やら上機嫌で兄貴兄貴と言っている善逸と、弟弟子に劣等感を持ちながらも上手くやっている獪岳を見ていると、黒死牟の頭の片隅が痛んだ。
何故痛むのか、黒死牟には分からなかった。
痛みの理由も、もうとっくに忘れてしまっていた。
八八の刀が侍の力で、二刀に分かれる。
「『義を見てせざるは勇なきなり』。
善八はいい"義"を見せてくれた。
獪八はいい"勇"を見せてくれた。
これで何もしなければ拙者も"勇"を失ってしまうというもの」
「それが貴様の信じるもの……貫く遺志か……
貴様はあの二人の少年に……輝くものを見たのだな……」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「いやそこはそうだと言い切らねばならんのではないか……?」
「お前もいずれ分かる時が来よう」
「会話に困ったらはぐらかすな……この半天狗二世が……!」
三日月が円状に繋がったものが幾重にも重なり、高速回転する刃の円柱のようなものとなって、八八に迫る。
八八は神速の踏み込みから、二刀による切り上げで迎撃。
三日月が幾重にも重なってるのを見切り、一番下の三日月を全力でかち上げることで三日月同士を激突させ、攻撃を霧散させる最適解だ。
だがそれと引き換えに、三日月の群れに突っ込み微塵切りにされてしまう八八を見て、その後の再生を見て、黒死牟は眉をひそめる。
この世の理が狂っていくような。
他の世界の理に世界が侵されているような。
継国縁壱という"異物"を誰よりも見てきたがゆえに分かる、異物感。
体内が透けて見える黒死牟には、刀を構える八八が、まともな人間に見えていない。
「始めから勇無き者は勇を失わぬ。
ゆえに侍は言うのだ。
かつて"勇"を持っていた素晴らしき人間に。
今は"勇"を持たぬおぞましき鬼に。
憐憫と侮蔑と自戒をもって言うのだ。―――黒死牟、勇を失ったな」
けれど、きっと。
透かし視る眼を理由に、"お前は人間ではない"と八八に思う黒死牟と。
心眼で獪岳、善逸、黒死牟の勇を見て、"お前は人間ではない"と黒死牟に思う八八は。
根本の部分が、どうしようもなく違っていた。