碑文つかささんに支援絵を頂きました!
鬼殺隊屈指の美少女真菰姫です!
しの八はもっと頑張って
月の欠片を握るように、八八は"それ"を握った。
それはただの笛の残骸だった。
黒死牟の想いが詰まった、黒死牟からの想いが詰まった、想いの残骸だった。
兄がその昔、幼い頃、弟に贈ったものだった。
八八は想いを優しく抱きしめるように、その笛を懐に入れた。
「八八」
「義勇」
「肩を貸す。まだ回復しきっていないだろう」
「半分は当たっている。耳が痛い」
ちょうどよく来た義勇――実は肩を貸すタイミングを窺い出待ちしていた――に感謝し、肩を貸してもらい、まだ鍵ライフ値が回復していない八八は歩き出す。
八八の鍵ライフ値は獪岳を助けるために再び枯渇し、外見は少し前より更に酷く、不治の病に肉も骨も持っていかれた死にかけの老人のようになっていた。
「強敵だった」
「この世のどこにも完璧なものなどない。どんなものも崩れ歪んでいる」
「確かに……鬼というものを憐れむ剣士が居るのも納得するような、歪んだ鬼だった」
「魚が水の中にいる自覚がないのと似ている。熟練の侍は別だがな」
「あれほど自然な強さを持つのに、どれだけの修練が必要だったのだろうか」
「箱は見ようとするまでは存在しない。その箱を見ようとした時、箱はおのずとそこにある」
「そうだな。それをどう解釈するかは、あの鬼次第か」
「生きているとも死んでいるとも言えるパラドックスの中にある」
「……あんな鬼のことも忘れず心の中で生かすと決めたのか、八八」
「私は別宇宙から来た―――情報集積体だ」
「俺も……死んだ後、錆兎や真菰、お前に覚えていてもらえるだろうか……」
「生きているとも死んでいるとも言えるパラドックスの中にある」
「……そうだな。鬼殺隊である以上、生きることだけを考えて戦うべきか。うん」
里の人間達は持ち運べるものは全て持ち出して離脱済み。
里は大気剣で跡形もなく吹っ飛んだ。
となれば、もう里の人間を鬼に見つからないように"次の里"にすぐ移送するしかない。
夜の内に大きく移動し、鬼が動けない昼の時間を利用して里に到着、鬼殺隊の重要拠点である刀鍛冶の里を応急処置的に復活させる。
そうしなければ、鬼殺隊の機能がいくつか麻痺してしまうからだ。
不幸中の幸いだが、今やここには柱クラスの人間が二桁集まっている。
真菰を始めとする怪我人の手当てが終わり次第、柱達に護送される形で移動は完了するだろう。
もののついでのような護送だが、世界一安全な里の移動であると言えた。
皆が集まっている方に向けて歩き始めていた二人に、近くにいた蛇柱・伊黒小芭内がうんざりした顔でネチネチと喋り始める。
「お前達の会話は本当に気持ちが悪いな……
胡蝶妹がお前達の会話に混ざれているのが偉業に見えるぞ」
「黒八」
「伊黒」
「同じ言葉で別意なのが通じるのはどうなってるんだ本当に」
「お前もいずれ分かる時が来よう」
「その"いずれ"が来たのは何人居るんだ? この無理解言語の化身が」
「俺は無理解じゃない」
「お前は物事をあせりすぎる」
「俺はお前達とは違う」
「色々あったが簡単に言うなら相互理解のためだ」
「……俺は胡蝶妹の二の舞にはならんぞ……」
死んだ目で二人の会話を流す伊黒。
彼の首に巻き付く相棒の蛇・鏑丸が、長い尾を伸ばして八八の頭をぺちぺち殴っていた。
「大体なんだこの招集は。
柱も柱以外も全員無理をしたようなものだ。
幸い今のところ誰かが死んだという連絡も来てないが……
柱は無理をして集結。
それ以外の隊員もその穴埋めでてんてこ舞いだ。
上弦壱のあの強さを見る限り、その判断は間違ってなかったかもしれないが……
俺は眠い。
長時間の戦闘の任務の後寝ずに此方に来ている。
おそらく移動完了まで、あと十二時間以上は余裕で眠れないだろう。
わかるか? お前のせいだキチ八。
俺はイライラしている。申し訳無さそうな顔もしていないお前にな」
「半分は当たっている。耳が痛い」
「勝手にダメージ半減するなクソっ」
これ以上ここに居ると染まる、と、八八と義勇の相乗効果に危機感を覚えた伊黒は、逃げるようにしてその場を去っていった。
「伊黒はいつも不機嫌だな」
「不機嫌ではない、不器用なのだ。義勇と同じだ」
「そうなのか」
そこかしこで人が動き回っていた。
最年長の柱として隠などへの指示を出している悲鳴嶼。
鬼が周囲に居ないか念入りに調べている、風柱実弥と、風の呼吸の派生・霞柱の無一郎。
甘露寺は女性ながらに怪力を発揮し、重い荷物を荷車に積み、皆に感謝されている。
錆兎は先行し、里の人間達の移動ルートの安全を確保しているようだ。
隠達も戦いに参加できなかった負い目からか、かなり張り切って里の移転に助力していた。
「おお! ここに居たか! 八八八八! 探したぞ!」
「アン八か」
「
だがいい加減ちゃんと覚えて呼んでくれると嬉しい!」
「だがアン」
「
そこに、うるさい男がやってくる。
「その気持ちの良い大声……間違いない……
先代炎柱様の長男にして炎の呼吸免許皆伝。
狛犬の鬼と戦い激戦を繰り広げる未来が見えた炎の侍……」
「む? それは初耳だな! 俺は狛犬の鬼と戦うのか! その日が楽しみだ!」
「俺は腹が減ったので失礼する」
「うむ! 行ってくると良い! さらばだ!」
「お前もいずれうどんとカツ丼を食う時が来よう」
『会話のノリが合わない陽キャが親しい友達と楽しげに話している横で会話に混ざれず一人黙っていないといけない空気』を嫌った義勇は、ブラっとどこかへ歩いていった。
「して何用か、アン八」
「うむ! 怪我人の手当てが終わった!
八八八八の性格からして気になっているだろうと思ってな!」
「気遣いかたじけない」
「すぐに移動できればよかったのだが!
どうやら橋が暴風で落ちていたらしい!
先行組が仮の橋を作るまでは、ここで怪我人を休ませておいた方が良さそうだ!」
「……」
大気剣はこれだから使いにくい、と八八は思った。
「その説明をする前に、アン八の弟の状況を理解する必要がある。元気にしているだろうか」
「うむ! 千寿郎はすこぶる元気だ!
俺はもっと元気になってもいいと思うが!
健やかで前向きに生きているのであれば言うこともあるまい!」
「そうか。良いことだ」
「だがどうした! 突然だな! 君はいつも突然で飽きない男だということは知っているが!」
「いや……煉獄はやっぱりいい兄だな」
「? そうか! 自分では判断のつけようがないが! そう言ってもらえるのは嬉しいぞ!」
「まさか弟を散体させるような義を決め込んだ兄はいないと思うが……」
「さあどうだろうか! 人それぞれ、兄それぞれ! 俺もその辺りはよく分からん!」
"この兄"と共に過ごした弟は、たとえ兄に劣等感を抱いても、それをこじらせたり憎しみに変えたりすることはないのだろうと、八八は思う。
八八が内心を語ることはなかった。
小鉄は、かつて継国縁壱と関わりのあった者の子孫だ。
類稀なる才能を持ち、この里で生まれ育って技能を伸ばしているが、まだ幼い子供である。
八八に刀を投げ渡して助けたこともあったが、基本的には無力な子供だ。
ひょっとこの仮面で顔を覆い、感情が読めない小鉄と、八八が、大気剣の余波で吹っ飛んだ里を眺めていた。
「あれは……?」
「……君のいた……里だ……」
「いやまあ吹っ飛ばしたのあなたですけどね」
「すまぬ」
「いいですよ別に。誰も死んでませんし、結果良ければ全て良しです」
「そうか」
「怪我してる人達のところに会いに来たんですか? 案内しますよ!」
小鉄に案内され、八八はしのぶ達が怪我人を治療しているところに向かう。
小鉄は昼間とは違い、両手足を覆い隠す服装に着替えていた。
その服の下には、大気剣の暴風で吹っ飛ばされて地面を転がったため刻まれた擦り傷がある。
小鉄は着替えることでそれを隠していた。
それは、少年の中にある八八への感謝の気持ちであり、ちょっとした怪我で大人に心配されたくないという、可愛らしくも生意気な子供の意地の表れでもあった。
「あら八八さん」
「しの八か。相変わらずいい仕事をしている」
「……まあ、今は流しますけどね、しの八でも」
はぁ、としのぶが溜め息を吐き、少し離れたところで天元の怪我の状態を見ていたカナエが、八八に手を振っていた。
カナエの周りに、握った拳を突き上げる天元、軽く頭を下げる獪岳、爆睡している善逸を見て、八八は人知れずほっと息を吐く。
胡蝶姉妹は、鬼殺隊の医の中核の一つである、蝶屋敷という施設の主である。
八八は行ったことがないが。
蝶屋敷は怪我をした隊士を手当てし、命を救い、最速で戦場に復帰させる。
よって八八は行く必要がない。
前線に出てもうっかり戦死することがなく、前線で怪我人の手当てができる胡蝶姉妹は、替えの利かない非常に優秀な人材であると言えた。
「あまり動かさないであげてくださいね」
「うむ」
八八が膝を折ると、彼の前には、うつ伏せに寝かされている真菰がいた。
元気な男衆――月の呼吸に切り刻まれてなお鬼に喰らいつくほど元気だった――とは違い、背も低く体格も優れていない真菰は、大量出血が死に繋がりやすい。
穏やかな寝息が命に別状がないことを証明しているが、男衆ほどに元気はなく、顔色は青く、うつ伏せに寝かせなくてはならないほどに深い背中の傷は、包帯越しにも痛々しく見える。
意識が戻るまで、まだ時間がかかりそうな様子であった。
しのぶが真菰を見下ろす八八の表情を覗き込む。
普段しない――けれど戦友ならば何度か見たことがある――八八の珍しい表情が、そこにはあった。深く深く、しのぶは溜め息を吐く。
「普段からそういう顔もっとしてれば、周りは八八さんをもうちょっとまともに扱いますよ」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「はいはい」
「拙者、お前の中に"知"を見た。
良いものだ。他人を治せる技術は良いものだ。
きっと大昔の、怪我や病気で大切な人をなくした者達が作り上げたに違いない」
「ロマンチストですねぇ」
「いや……医学の発展はものすごく時間がかかるのだ」
うんうんと、八八は腕を組み頷いている。
「自分の体だけいくらでも治せる拙者より、他人を治せるしの八の方がよほど尊い」
「……そうですか。ま、私はあなたのその体質はもっと誇っても良いと思ってますけどね」
"私だけ一方的に照れてるのはなんだかズルいと思う"と、しのぶは思った。
「よし」
真菰が死にそうにないことを確認し、八八は立ち上がる。
立ち上がる八八の手を、眠っていると思われていた、意識も朧気な真菰の手が掴んだ。
「……最後まで一緒に戦えなくて、ごめんね」
八八は無言のまま真菰の手をぎゅっと握り、優しげな声色で褒め称える。
「真菰姫が庇ってくれたおかげで最後に一仕事できた。感謝する。"勇"を見た」
大気剣直後の八八を真菰が庇っていなければ、八八が死ぬことはないにしても、八八の復帰が間に合うことは無かっただろう。
そうなっていたら、戦いがどう転がっていたかは分からない。
少なくともこの勝利は、真菰のおかげと言えるものではあった。
自分たちが勝てたのは君のおかげだ、と。
意識が朧気な真菰の目に映る八八は、揺るぎなくそう思っている。
「ねえ、八八く……」
俺の刀が折れたのはお前のせいだ、と。
鋼鐵塚蛍は、揺るぎなくそう思っている。
「くあああああああアアアアアアアアァァァァァ!!!!」
「ぶっ」
「は、八八くーん!」
真菰の目の前にいた八八が、刀匠鋼鐵塚の体当たりで吹っ飛んだ。
許さぬ、また刀を折ったな、と飛びかかる鋼鐵塚。
彼の包丁は軒並み大気剣で吹っ飛び、八八に恩を感じた里の者達が刃物を一切鋼鐵塚に渡さなかったため、鋼鐵塚が八八にぶっ刺せる包丁も刀もない。
だが八八に恩を感じつつも、八八への恩より刀への愛の方が勝る鋼鐵塚は、刃物がなくとも八八にマウントを取り、その首を全力で締めにかかった。
全身のエネルギーを腕に集中し、八八の首を全力で締める。
血が集まり、腕が赫く染まる。
首を締めるは、万力の握力。
しかし特に効いていなかった。
「また! 俺の刀を! 折ったな! 殺す! 殺してやるぅぅぅ!!!」
「拙者は窒息死もしないのだ、すまぬ。
宇宙空間で生身で戦える侍に酸素は要らんのでな……」
「キェェェェェェェッッッ!!!」
「こんなにも早く折ってしまって申し訳ない。
拙者の制御の大気剣では、加減が効かず刀は消し飛んでしまうのだ……すまぬ」
「う、ぐぅ、うぐぐぐぐっ……!!」
鋼鐵塚の声が大の大人とは思えないほど情けなく涙声になり、八八の首から手を離し、その場に膝をついた。
大気剣は最強の剣だ。
だが武器が相応でなければ全力を発揮できない特性がある。
キーホルダーがあれば、『侍の真剣』が使えるために威力100%。
つまようじを剣にして撃てば、せいぜい1%未満の威力になる。
大気剣が黒死牟を仕留め損なったのは、鋼鐵塚の刀の強度が足りなかったから、と言うこともできるのだ。
八八の大気剣の威力は、鋼鐵塚の腕にかかっているのである。
少なくとも今回黒死牟にぶつけた威力では、鬼舞辻無惨を100%殺せるとは言い難い。
ぐずぐず泣き出した鋼鐵塚を、小鉄が八八から引き離した。
「うう……剣士が全力で振れる刀も打てないとか俺はゴミクズだ……」
「鋼鐵塚さんに自分卑下させるのって八八さんくらいのものですよね……どうどう」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「次は……次はお前が全力で振っても壊れない刀を目指すからな……待ってろ……」
「恩に着る、鍛冶八。やっとらしくなってきたな」
「らしくなってやる……待ってろと言ったが待たせる気はないからな……」
「いやもう本当に八八さんから離れましょうね。
こんな弱り切ってる八八さんよく躊躇なく殺しに行けるなこの人」
小鉄が鋼鐵塚を止め、どこかへと連れて行ってくれた。
しのぶはとてもとても穏やかな感情の見えない微笑みを浮かべ、意識が朧気に戻った真菰の診察を始める。ガン無視である。
「真菰さん、お薬注射しますから腕を出してください」
「あ、うん。本当この慣れた空気……」
「不死川実弥、入んぞ」
「煉獄だ! 失礼する! 移動の準備が終わったので怪我人を運びに来たぞ!」
「無一郎です。ええと、まずは何をすればいいのかな」
「む、大勢来ましたね……
八八さんそこにタオル敷いた担架用意しておいたので寝ててください。
移動の時間になったら誰かが運びます。
体力の消耗度合いだけで言えばあなたが一番酷いんですよ?
消化にいい食事と温かいスープも用意してもらいましたから、ゆっくり休んでください」
「かたじけない、しの八」
「またしの八……そういえば戦いの最中だったので話の途中でしたね、その件」
ちょっとイラッとした様子のしのぶに、周囲の男達が善意からなだめにかかった。
「落ち着きやがれェ、しの八よォ。八八に悪気があるとはどうしても思えねえんだ」
「うん? しの八! 親しみを感じるいい愛称ではないか!
俺もアン八だ! 何が悪くて何が気に入らないのだ! 教えてくれしの八!」
「おーいしの八。派手に水くれ水。
重傷のかわいそうな俺に水を持ってきてくれ、よく冷えた派手なやつ」
「僕もしの八って呼んで統一した方がいいのかな。有一郎兄さんだったらどうするだろう」
「どいつもこいつもですよ……!」
キレ散らかす寸前のしのぶを放って、八八はしのぶが用意してくれた食事を胃に入れ、タオルが敷かれた担架の上に体を横たえた。
八八は夢を見た。
先程見たものを思い出すような夢を。
獪岳の一撃を受け、黒死牟は消滅していった。
死を迎えた鬼の体はバラバラに散りながら消滅していく。
散る体こそが、鬼の死を証明する終わりの光景である。
「黒八、あれの近くに降ろしてくれ」
「? 危険なだけだ、意味はないだろう」
「頼む」
「……よく分からんやつだ」
何もかも失った黒死牟に、再度脳の読み取りをするが、上手くいかない。
何も読み取れない。
だがそれが、黒死牟への刺激になった。
消えかけの黒死牟の残滓の中の、ほんの僅かに残っていた、『継国巌勝』が蘇る。
鬼は時たま、死の間際に人間としての心を取り戻すという。
黒死牟は生と死の狭間で、朧気な意識の中、思い出に浸るように、記憶に引きずられるように、
「そんな顔をするな」
もう何も見えておらず、何も感じられていない巌勝の中で、目の前の八八が、思い出の中の弟と重なる。
化物のような八八と、化物のような縁壱が重なる。
化物のような弟に生前語りかけていたような口調で、巌勝は言葉を紡ぐ。
「超越者は、誰にもできないことができるのかもしれない
だが。全ての人を救う責任など、お前にはないのだ、縁壱」
それは人間だった頃、巌勝が縁壱に言おうしたこと。
結局言えなかったこと。
伝えられなかった想い。
夢見るような心地の中、巌勝は縁壱と重なる八八に、縁壱に言っているつもりで言葉を紡ぐ。
「背伸びをするな。
お前が全てを救えなかったことを知っている。
お前が救えなかったものを数えていることも知っている」
八八は超越者である。
救えたものは多くあった。
だが救えなかったものもあった。
これからも救えないものはあるだろう。
継国縁壱にも、救えたものがあって、救えなかったものがあった。
誰もが『あいつは化物だから仕方ない』と言っても。
『アイツみたいな能力欲しいよな』と言っても。
『超人のあいつは俺達みたいな悩みなんて無いんだろうな』と言っても。
縁壱の中に苦悩があったことを、巌勝は知っている。
巌勝は、縁壱の兄だったから。
「しょうがなかったのだ。
お前自身が言ってたことだろう。
私達はそれほど大したものではないと」
巌勝だけが、縁壱を正しく人間と見ていた。
周囲の誰もが縁壱を神仏の化身と見て、追いつくことを諦める中、巌勝だけが諦めなかった。
『絶対に人間が勝てない化物』ではなく、『いつか超えるべき目標の人間』として扱い、根本的な部分で人間として扱い続けた。
それが、縁壱の救いだった。
多くの者が「お前みたいな化物に勝てる人間居るわけないだろ」という視線を向ける中、懸命だった巌勝こそが、縁壱の心を救ってくれていた。
だからその言葉は、八八にも刺さる。
「何もかも背負おうとするな。
自分が失敗したら全て自分のせい、などと考えるな。
自分を何の価値もない男だなどと思うな。
お前は特別強いが、全ての責任がお前にあるわけではない。
お前は悪くない。
自分を誇れ。救えなかったものの数ではなく、救えたものの数を数えろ」
最後の残滓も、言葉を残して、消えていく。
「―――お前はきっと、私とは違って、幸せになるために、生まれてきたんだ」
誰も、巌勝の死を悼まない。
誰も、あの世から迎えには来ない。
巌勝は地獄に落ちる。
縁壱への嫉妬の炎よりはるかに生温い地獄の炎に焼かれながら、未来永劫奈落の底で苦しみながらのたうち回り続けるだろう。
誰にも許されない黒死牟は、誰にも認められず死んでいく。
誰にも救われないまま、誰かを救って消えていく。
弟の心を救い、八八の心に優しさを与え、けれど弟にも八八にも救われることはない。
間違い続けた人生の果て、彼は最後に、不死身の超越者の心の奥にあったわだかまりを消し、その心を救っていった。
巌勝は人を殺す醜悪の中ではなく、人を救う光の中で消えていった。
八八は彼の最後の言葉を忘れることはないだろう。
地獄のような人生で、心を歪められ生き、罰であり贖罪のような最後であったけど。
最後の最後まで、紛うことなく、彼は自分の意思で選んでここまで歩んで来た。
「……」
月の欠片を握るように、八八は"それ"を握った。
それはただの笛の残骸だった。
巌勝の想いが詰まった、巌勝からの想いが詰まった、想いの残骸だった。
兄がその昔、幼い頃、弟に贈ったものだった。
八八は想いを優しく抱きしめるように、その笛を懐に入れた。
きっと誰も作らないから、墓を作ってやろうと、八八は思う。
この笛を収め、花を飾る、兄弟二人のためだけの墓を。