冨岡義勇は、生来自己評価が低い。
これでもかと低い。
後天的に何かイベントがあったとかそういうことではなく、ナチュラルに自己評価が低く、ネガティブで陰キャである。
そのくせ剣才は高く、努力も怠らない。
実力は誰もが認める、柱クラスの実力者だ。
不器用なだけで性格も優しく、優しさだけでなく厳しさも併せ持ち、ただ本当に何もかも不器用なのが色々と台無しにしてしまっている。
その不器用さを受け止められる人間からは深く信頼され、その不器用さが受け入れられない人からは嫌われやすい。
その能力の高さと善良さの割に、貧乏くじを引きやすい男であった。
八八が人生を加点方式で伸び伸び生きている男なら、義勇は人生を減点方式でじめじめ生きている男であった。
「……錆兎なら、もう少し上手くやれていただろうか」
失敗ばかり数えてしまう人は、世の中には少なくない。
「錆兎と比べるのはキライでね……本音を隠すのは出来ないタチだ」
「お前はそう言ってくれるが、俺はどうしても比べてしまう。
俺ではなく、俺より優れた水の剣士がここにいれば、もっと上手くやれたんじゃないかと」
「二人共、話しながらでいいので、ちゃんと道作ってくださいね」
凍る床。
凍る壁。
天井から吊り下がる氷の茨に、時たま落ちてくる氷柱。
地下の通路はひと目で分かる『氷の妨害工作』に満ちていた。
それらを破壊しながら進むのには時間がかかり、既に十人の隊士と別れてから三時間以上が経過していた。
別れた隊士達も、この分だと撤退ルートの確保に苦心しているかもしれない。
この氷の血鬼術は強力だ。
広範囲に薄く広げているから対処が可能だったが、そうでなければどうなっていたことか。
一点集中で戦闘に使えばどれほどのものになるのか、しのぶは想像もつかなかった。
そんなしのぶの考察をよそに、義勇は謝るような自責の言葉を続けていた。
「俺が他の隊士の恐れを見抜かなければならなかった。
掛ける言葉を選ばなければならなかった。
錆兎ならできた……と思う。
あいつは万能ではないが、人を鼓舞することに長けている。
俺は何もできなかった。何も言えなかった。
挙句、まともに日本語を話すこともできない八八にフォローを任せてしまった」
「冨岡さんって時々爆発的に他人の感情逆撫でする言葉無自覚に言いますよね」
「"礼"を失ったな……半分は当たっている、耳が痛い」
「これで八八さんも素直に認めて怒らないんですもんねー……」
はぁ、と額に手を当て、しのぶは溜め息を吐いた。
「義勇をどう見ようとするかではない。どう見えるかだ。まだまだ心眼が足らぬ」
「そうだ、俺は、心眼で俺の本質を見ているという八八に甘えているんだ」
「直接ではないが……そうなるな」
「俺はやはり、同期で水柱にまでなった錆兎には遠く及ばない」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」
「姉さん! 姉さん! 私早く鬼を倒して帰りたい!」
虚空に見えた姉・胡蝶カナエの幻影が「しのぶの体重37kgって信じられないわ。サバ読んでない~?」と言って消えた。
読んでないわよ、としのぶはキレた。
深呼吸して、怒りを呑み込む。
そんなしのぶに目もくれず、義勇と八八は会話を続けている。
「義勇がどう思おうが、お前を信頼するかはオレが決めることにするよ」
「……なるほど、そうだな。そうか……」
「信頼していースか?」
「……俺が自虐しても、八八が誰を信頼するかを、俺が決めることはできない、か」
「なんでしょうねこの……なに? 私思考のチャンネル合わないですねここ」
八つ当たり気味にしのぶの刀が氷を粉砕し、三人はじわじわ先に進んでいく。
まるで氷がサンドバッグのようだった。
「俺はもう大丈夫だ。もう迷わない」
「言葉に偽りはないな。今の拙者は心眼で侍魂の純度を見定めできる」
「八八さんは突然新単語出して説明せず話進めるのやめませんか」
「まだまだ心眼が足らぬ」
「足りないのは私への説明ですけど? ですけど?」
「しの八は顔が良いので『負けた』って思いました」
「八八さんって死ぬほどお世辞下手ですよね……
いやもういいです、なんか慣れましたし。友人を励ますのは、いい人だと思いますから」
しのぶは苦笑気味に微笑んだ。
「胡蝶」
「はい、なんでしょうか、冨岡さん」
「悩みがあれば何でも俺に相談していいぞ。
俺も八八や錆兎のように、誰かを受け止める人間になっていきたい……」
「…………他人から貰ったものを繋いでいこうとする意思自体は、いいことだと思います」
「輝く褒め言葉! 正解だ! 頑張ったかいがあったぞ! 義勇!」
「ありがとう八八。やはりお前は誠実な男だ。
誠実な人間は瞳に曇りがない。
会話をしなくても通じ合うことはできる。目は心の窓なんだ」
「お前は結論を急ぎすぎる」
「俺はお前とは違う」
「急ぎの友情……拙者、お前との間に"友"を見た」
「八八……」
「……」
シャブをキメたような会話に一から十まで全部否定してやろうかと思ったが、まあもう二人が楽しそうならいいかな、としのぶは無視の呼吸に入った。
そして時間をかけ、彼らは地下最深部に辿り着く。
「……濃厚な鬼の気配。この奥か……」
「もうついたのか……」
「やっとつきましたね……」
楽しい時間はあっという間に過ぎる。義勇のように。
苦痛の時間は長く感じる。しのぶのように。
肉盾になる八八を先頭に、彼らはその部屋に入る。
同時に、風切り音がした。
「!」
八八の襟首を掴んでしのぶが右に跳ぶ。義勇が左に跳ぶ。
左右に分かれた彼らの間を、不可視の気絶弾がすり抜けていった。
「いきなりか」
部屋の奥で、肥満鬼が義勇に狙いを定める。
肥満鬼のこめかみに、一筋の汗が垂れた。
物理攻撃も、血鬼術も、義勇の剣の間合いに入れば全て『凪ぐ』。
ただ切り落とすだけではこうはならない。
目だけに頼らず攻撃を感知し、攻撃の軌道を的確に読み、極めた剣技で無力化する……大抵の鬼が百年剣技を磨いても、おそらく到達できない剣技。
鬼は悔しげに歯を噛み締めた。
並行して、しのぶも歯を噛みしめる。
「広い……!」
そこは地下とは思えないほどに広い部屋だった。
床、壁、天井、全てが凍っており、広い範囲のほとんどが氷に覆われていた。
氷は刀で砕いても数秒で再生し、肥満鬼が足で踏む場所だけ、氷が消えるようになっていた。
氷の上は走れない。
足を乗せた瞬間コケる。
よって近付けない。
氷を砕いてもすぐ直ってしまう。
しかも気絶の血鬼術が砕いている間に跳んでくる。
部屋は広く、部屋の奥の鬼の所まで跳ぼうとしても届かない。
刀を投げても届きそうになかった。
部屋の入り口近くにいる人間、奥で構える鬼、その間に氷の領域が広がっている。
"人間は単独で空を飛べない"。
それが人間の基本ルール。
このフィールドは、それを的確に逆利用している。
人間のことをよく分かっている、そんな戦術の構築だ。
「死ぬがいい、鬼狩り!」
だからこそ、異端能力の塊である八八の技能が天敵となる。
「拙者の犬掻きで二人を運んでぐああああああっ!?」
「八八さん!?」
が。
磁力を操って空を飛ぼうとした八八の全身が、凍り始めた。
「シャアアアー!!! 凍る凍る凍るッ!!!」
突如部屋に現れた氷の人形。その人形が放った冷気が、八八の全身を凍結させていた。
人形は何の特徴もなく、のっぺりとした外見で、『超一流の造形師が小学生の粘土細工を真似した』ような、綺麗な適当さがあった。
おそらくこれが、十人の隊士が言っていた、上弦の鬼が貸している氷の血鬼術。
八八が動けなくなるほどの分厚い氷が彼の体を覆っていく。
当てるためではなく、引き剥がすための牽制で放ったしのぶの六連撃を氷の人形がひょいっとかわし、八八の凍結が止まった。
「これが……話に出ていた、氷の人形?」
「なるべく鍵は傷付けるな……
「あ、寒いんですね。待っててください今なんとかします!」
しのぶは八八の全身を覆う氷を砕こうとするが、そこに不可視の血鬼術が飛んで来る。
耳でそれを感じ取ったしのぶが横っ飛びにかわし、氷を砕くのを中断してしまうと、またさっきの氷の人形が八八の全身凍結を再開した。
「面倒ですね……」
「血鬼術で作った氷の人形が、上弦級の血鬼術を……
私の記憶はまた繋がってしまった―――いや拙者これどこかで似たようなのを見たような」
この氷の人形を倒さないと始まらない。
義勇がしのぶを気絶の血鬼術から守れる位置に入ったのを見て、しのぶは床が砕けそうなほどに力強く踏み込み、氷の人形に刀を振るった。
現在の鬼殺隊で一、二を争うほどの身の軽さを誇るしのぶが、四方八方にうねるような踏み込みで氷の人形の背後に回り、その首を突き刺した。
無個性な氷の人形が崩壊し、消滅する。
やった、としのぶは思った。
やってない、と義勇は直感的に理解した。
「避けろ胡蝶!」
「!」
たんっ、と軽やかに素早くしのぶが跳ぶと、一瞬までまで彼女が居た場所を極寒の冷気が通り過ぎていく。
しのぶの着地の隙を狙って飛んで来た気絶の血鬼術を、義勇がなんとか切り落とした。
"それ"を見て、しのぶは苛立ちを顔に浮かべる。
氷の人形だ。
新たな氷の人形が居る。
再生か、再生成か……なんにせよ、恐ろしい。
直撃すれば即死の氷の血鬼術を放つ癖に、何度倒しても戻って来る、この部屋の氷の床を維持し続ける、恐るべき極低温の悪夢がそこに在った。
「これじゃいたちごっこ……」
「拙者の全身を砕け義勇!」
「分かった」
義勇はしのぶを狙った気絶血鬼術を凪で消し去り、自分を狙い飛翔する気絶血鬼術を跳躍で回避しながら、空中で縦に一回転。その勢いのまま、全力で刀を振り下ろした。
氷が粉砕され、氷と共に八八の全身がバラバラになり、されど一瞬で『凍っていない肉体』が再生を完了した。八八は得意げにほくそ笑む。
そして、再生した八八の背後に氷の人形が回り込み、また凍らせ始めた。
凍結速度が速すぎる。
生半可な工夫では逃げ切れないのは明らかだった。
「ヒエヒエしかしねェーよ!!」
「義勇さん! この人形、倒してもまた出てきます!」
「分かっている! 分かっているが……」
肥満鬼はこのフィールドだと普通の人間には倒せない。
倒すには八八の犬掻きが要る。
その八八が凍らされて動けない。
八八を解放するには氷の人形を消し去らなければならない。
だが、氷の人形は倒してもすぐ復活してしまう。
すなわち、詰みに近い状況だった。
「くっ、眠気が……」
「! 寝るな八八、死ぬぞ!
真菰に聞いたことがある!
雪山では眠ったら凍死すると! 眠ったら死……なないなお前は」
「その通り」
「なんか大分余裕ありますねお二人共」
八八の氷を削り、人形が再出現したら倒し、人形にまた氷を増やされた八八の氷を削り、人形が再出現したら……そんな繰り返しに、しのぶの体力は地味に削られていく。
(この人形……八八さんを狙っている?
そういう命令が仕込まれている?
それなら背後に回って倒し続けるのは難しくない……
でも、何度倒しても蘇るなら倒しても意味はない。
人形を倒し続けて氷の人形が出なくなるまで待つ?
何時間かかるかも分からないのに?
持久戦になったら、こっちの体力が先に尽きる可能性も……)
閉鎖空間である地下を満たす、氷の血鬼術が生む低温。
それは容赦なく体力を奪い、人の体を蝕んでいく。
呼吸の剣士でなければ体の末端に血液も体温も回らず、あっという間に手がかじかんで刀を落とし、指先の壊死が始まってしまうだろう。
鬼殺隊の武器は"呼吸"。超常的な力を生み出す呼吸だ。
ゆえに呼吸は止められない。
息を吸って吐く度に、体温と体力が白い息になって出ていってしまう。
しのぶは八八に心中で感謝しつつ、八八が渡してくれた暖かな上着を擦った。
低温は鬼から体力を奪わない。
凍死で鬼が死ぬわけもない。
このフィールドは、全てが肥満鬼に味方している。
まさしく、絶体絶命。
肥満鬼が笑う。
義勇に守られながら八八の氷を削っていたしのぶの刀が、氷を弾いて、それがつるつるの床の上を滑り、肥満鬼の足元に行く。
氷の欠片を踏んだ鬼が、絶叫した。
「痛ぁあああああ!!?」
それは、異様な絶叫だった。
ある程度なら痛みに強い鬼が。
人間とは比べ物にならない鬼が。
氷の欠片を踏んだだけで、この世のものとは思えない絶叫を上げていた。
それを見て、しのぶは気付く。
「な、なんだ?」
「おや……あの時投げた刀、当たってたんですね」
"いいものを見た"とばかりに笑むしのぶを見て、肥満鬼は気付く。
自分の足にかすっていた刀。
数時間前、逃げた時、投げつけられた刀。
肥満鬼が逃げた時に投げつけた刀を、しのぶは拾い、今構えている。
「あの時は毒を調合してる暇が無かったんですよ。
だから捨てる予定だった毒をそのまま刀でぶつけたんです。
あの時の毒は、八八さんの血液を溶媒に作ってみた毒。
全ての鬼に効くわけではない、体質で効くかが決まる毒。
一度作ったものの、再現性が無くて、少量を一度だけしか作れなかった毒。
『感覚を倍加する毒』です。
五感が増すわけではありませんよ? 痛覚などを倍加していく毒です」
「師匠の説教より長い口上……聞いてらんないよ」
しの八は無視の呼吸を放った。こうかはいまひとつのようだ。
「一分で50倍、感覚は倍加します。
二分で100倍。三分で150倍。
薬が効き始めるまでの時間を差し引いたとしても、三時間以上作用していたと思われますね」
「つ、つまりおれは」
「ええ」
「―――感度9000倍―――!?」
その薬の名にしのぶが使った漢字は『仁』。
歌舞伎で『にん』と呼ばれる漢字だ。
「他人に対する親愛や優しさ」を表す漢字でもある。
不死身の体をしのぶの毒研究のために提供し、新しい毒の開発に役立ってくれた八八への、しのぶの感謝が込められていた。
ゆえにこの一回こっきりの毒薬の名は―――
対魔仁、感度9000倍。
「ぐ、ぐぅ……おのれ鬼狩り……!」
痛みで鬼の動きが鈍る。
「拙者、"勝機"を見た」
八八はまだ凍っていない唯一の四肢、右腕を前に突き出し、技を発動せんとする。
だが技を発動する前に、氷の人形に右腕も凍らされてしまう。
とうとう八八の首以外の全てが、分厚い氷に覆われてしまっていた。
これではもう本格的に何もできない。
氷の人間を貫きながら、「うわぁ」としのぶが思わず声を漏らしていた。
「全部凍っている……耳が痛い」
「ああ、冬の朝に外歩いてると耳が痛いですもんね……ってそんなこと言ってる場合じゃ」
「いや、勝つ方法を思いついた」
「! 教えて下さい、八八さん!」
「その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」
「"勇"だけじゃなくて"言う"も失ってくれないかなこの人……!!」
「勝つ方法があるのか八八」
三人がささやくような声の大きさで会話できるほど密集し、三人に向かって飛んで来る攻撃の全てを、義勇の『凪』が無力化していく。
八八は、思いついたことを二人に説明した。
「ええっ!?
八八さんを氷の上を滑るための板にして肥満鬼の所まで冨岡さんが滑っていく!?」
「頭がおかしいな……」
「拙者を覆う氷の表面を刻めば滑りを減らせる。
凍った雪の上を板に乗って滑るのと同じだ。
足を乗せただけで滑る氷の上は、板に乗ってまっすぐ滑っていった方が良い。
……かつて、武神不動明王に仕える一人の侍がいた。
その男……他の流派のどこにも属さず異を唱え、新たな流派を立ち上げる……それが―――」
「八八さんの話聞くのはここまででいいやつですねこれ」
しのぶは『攻撃役』を八八と冨岡に任せ、氷人形の駆除に集中し始める。
「冨岡さん、八八さんに乗ってください!」
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!
……やったことがないことだ、俺には成功させる自信がない!」
「お前がどう思おうがお前を信じるかどうかはオレが決めることにするよ」
「んぐっ」
「めちゃくちゃかっけェ……めちゃくちゃかっけェ……めちゃくちゃかっけェ……」
「雑に褒め言葉を連打して自信を付けさせようとするな、話術初心者か?」
要は八八をスノーボードにして、義勇が攻撃を防ぎながら氷の上を滑っていき、肥満鬼をぶった切ろうという作戦なのだが、義勇の自信のなさと自己評価の低さが思い切り吹き出していた。
「大丈夫です冨岡さん! やってみればきっと意外と簡単ですよ!」
「これを簡単と言ってしまえる簡単な頭で羨ましい……」
「私を煽ってるんですか? 後ではっ倒しますよ?
氷の塊の上で気絶の血鬼術を全部防げるのはあなただけです!
しっかりしてください! それでも大人の男なんですか情けない!」
しのぶに怒られ、しぶしぶ義勇は冷凍スノーボード八八におっかなびっくり乗る。
「お、落ちないだろうか、これ」
「いけるいける義勇いけるお前はできる子拙者は知ってる」
「よ、よし」
そして、義勇はすってんころりと足を滑らせ、ゴン、と思い切り背中を床に打ち付けた。
「俺は頭にきてる。猛烈に背中が痛いからだ。よくもやってくれたな八八」
「直接ではないが……そうなるな」
「いや……俺も注意が足りなかった」
「頭を下げて詫びる姿、オレにとっては一番
「あのすみません、私守勢に向かないんで本気で早くお願いします!」
しのぶが毒の効かない氷人形の首を懸命に貫いて壊しながら叫ぶ。
八八は頷き、頭蓋骨を前後にパカッとオープンした。
「ここだ義勇! 拙者のここに足をかけろ!」
「ええ……?」
「急げ五空!」
「俺は五空じゃない」
八八は頭蓋骨を開く。締める。開く。締める。開く。締める。
早く足をかけろとアピールする。
義勇は嫌そうに、滑る要素がない八八の頭蓋骨の中に片足を差し込み、冷凍スノーボード八八に乗る。
服と靴の隙間から入って来た湿気が、足首から足の表面をじわじわ昇ってくる感覚があった。
「うわっ……胡蝶! 八八の頭蓋骨の中がじっとりしてる! 気持ちが悪い!」
「遊んでないで早くしてください!!!!」
しのぶが八八を――その上の義勇ごと――肥満鬼に向けて蹴り飛ばす。
氷上を一直線に滑ってくる義勇に鬼は全力で気絶血鬼術を連射するが、その尽くが『凪ぐ』。
最初から無かったかのように、消える。
そして義勇は、敵の血鬼術の正体を看破した。
鬼の腹が、凹んでいる。
「奴の血鬼術の正体は……吐息か」
この鬼は肥満体であると同時に、風船体でもあったということだ。
息を吸い、腹を膨らませ、そこで血鬼術を発動する。
風船のように膨らんだ腹から、高圧力によって目に見えない血鬼術の息が飛ぶ。
これに当たると人間は気絶してしまうのである。
膨らんだ腹は脂肪だけでなく、空気によっても膨らんでいたのだ。
そして今、義勇を殺すために全力を出し切ったせいで、腹の空気は枯渇している。
息を腹に溜め込むまで数秒。
義勇達が肥満鬼に到達するまで数秒。
鬼が"まだ攻撃されない"と油断しきった数秒を、八八と義勇は活用しきる。
「終わりだ」
生生流転。
水の呼吸最強の技で、全身を回転させながら放つ連撃は、刀を振る度にその威力を上げる。
氷に覆われた体と頭蓋骨の内側を器用に足場にし、義勇は八八を幾度となく踏み、八八の上で回転を加速させていく。
そう、氷の上で回転しベイブレードとなったあの時の八八のように。
「「 もう……散体しろ! 」」
鬼の下に二人の男達が到達した時は、もう手遅れだった。
鬼が反応できない速度。
鬼が防御できない威力。
鬼が予測できない連携。
八八の閉じた頭蓋骨を足場として放たれた生生流転は、肥満鬼の首を切り飛ばした。
切り飛ばされた首が宙を舞う。
鬼の体が消えていく。
肥満鬼の消滅に連動するかのように、しのぶと戦っていた氷の人形も溶けて消えた。
「トドメの台詞本当にそれで良かったんですか?」
「うむ。氷も消えたようだ。悪い計画はいずれバレるって事さ。これにて一件落着だな」
「そうだな。うん」
任務達成。
鬼殺隊は今日も今日とて、使命を果たす。
八八が笑って拳を突き出す。
義勇がおずおずと拳を突き出す。
しょうがないなぁ、といった風な表情でしのぶが拳を突き出す。
無言のまま、三つの拳がこつんとぶつかった。
次号より新展開へ―――!