最近、アトランタが提督の周辺を頻繁に見まわるようになった。第一の目的はガンビア・ベイの偵察機が提督を盗撮するような真似などしないよう、発見次第撃墜出来るように備えているという事なのだろう。だが、実質は単にアトランタが提督のそばに居たいだけという事ではあるまいか。提督の存在を身近に感じたいし、自分の存在を出来る限り提督に意識させたい。そういう意味では、ガンビア・ベイの偵察機を撃墜するという目的は、アトランタにとって都合の良い言い訳でしかない。
だが、出撃の予定が無いのにも関わらず、フル武装の艦娘が提督の周りをうろついているというのは奇妙な光景である。その姿を見て不審げな視線を送った艦娘は一人や二人ではない。
(何でそういう変な事やりたがるんだお前は)
原因が自分にあるとは分かっているものの、アトランタのこの行動は提督にしてみればいい迷惑でしかない。しかし味方の航空機さえ平気で撃墜するような真似をする今の彼女が素直に指示に従うとも思えないし、もっとはっきり言えば、何をしでかすかも分からない。だから、提督が出来るのは彼女にそれとなく注意し、自制を促すことくらいである。
「あのな、わざわざそんな事をしなくてもいいぞ。俺はガンビア・ベイに関しては特に気にしちゃいない」
アトランタは一瞬嬉しそうな顔をした。「気にしていない」という文言を彼女なりに極めてポジティブな方向へ歪曲して解釈したせいかもしれない。が、すぐにいつもの寡黙な表情に戻り、
「提督さんが気にしてなくても、ガンビーが撮った写真を悪用しないとは限らないでしょ? それに、提督さんの動きが気になるのは別にあの子だけじゃ無いはずだよ」
と答えた。もはや、アトランタにとっても現在の立ち位置は譲れない一線であるようだ。
執務室で作業を続ける提督のそばに立ち、周囲を警戒し続けるアトランタ。しかし、彼女の体力だって無限という訳ではない。特にここ数日はほとんど不眠不休に近い状態で周囲の艦娘、特にガンビア・ベイに対する警戒を続けていたから、頻繁に強烈な睡魔に襲われるようになっていた。これも提督さんの為だ、と自分に言い聞かせて懸命に耐えてきたが、そろそろ限界である。
「ゴメン、あたし、ちょっと仮眠取るね」
そう言ってアトランタは壁を背に座り込み、目をつむった。
そんな彼女の行動が心底バカバカしいと感じている提督は、呆れ返った表情で、
「眠るならソファにしろソファに。今日は来客がある訳じゃ無い。目の前で直接床に寝られてても気分悪いんだよ」
と言うが、アトランタはいかにも生気の欠けたような声で、
「そこは、我慢してよ……護衛がのんびり寝てる訳には、いかないんだからさ……」
と答え、スヤスヤと寝息を立て始めてしまった。
(何が護衛だよ……)
提督は心の中で呟いたが、その声は暗い。確かにガンビア・ベイが何かしらかの手段で今も自分の事を監視している可能性は高いし、それはそれで不気味だが、アトランタが常時自分のそばで武器を構え続けているというのも精神的になかなか辛いものがある。
結局の所、これはアトランタとガンビア・ベイによる提督の争奪戦でしかない。しかも、提督自身はどちらの気持ちに応えるつもりもなく、つまりは物理的な意味ならばともかく、肝心の精神的な意味においては、奪い合いの対象はどこにも存在しないのである。端から無い物を巡って争っているのだから極めて不毛であるが、しかしながらそれで銃弾すらも飛ぶような事態にまでなってしまうなど誰が想像出来ようか。しかも、その原因を作ったのは他でもない提督本人なのである。
ふと、提督はアトランタに視線を向ける。寝ている彼女の顔色は青白く、目元にはクマさえ出来ていた。どうしてここまで出来るんだ、などと考える。
今日片付けたいと思っていた書類は一通り片付いた。しかし、それは提督自身の当初の予測よりも時間がかかってしまっていた。どうやら、自分も連日のアトランタとガンビア・ベイの行動の影響を受けて疲れてしまっているようだ。
「俺も仮眠、取るか……」
そう独り言ち、提督は椅子からゆっくりと立ち上がった。彼もまたその表情にやつれが見える。
はっきり言って、提督はこれまでの自分の行動に対しても嫌気が差してきていた。もちろん、ガンビア・ベイとアトランタの件である。この二人が苦しい思いをしているのであれば手助けしてあげよう、そうすれば艦隊の運用はより円滑になるだろう、そう考え、鎮守府そのものの改善の為にと思って行動してきた。しかし、その結果がこれである。手助けしようとしていた二人どころか、提督自身でさえも精神的に追い詰められてしまっていた。
これが無能な働き者ってヤツか、いや、俺は働き者ですらないが、などと自分自身に悪態を吐きつつ、提督はソファに座り込んだ。大きなため息を吐き出し、天井を見る。ただし、その焦点はどこに合っている訳でも無く虚ろであった。
そのうち、猛烈な眠気が提督を襲ってきた。仕事に一区切りついたという気持ちもあったのだろう。彼はそれに抵抗する事無く、眠りの世界へと落ちていった。
そののち、ほんのしばらくして、カチャ、と小さな音だけを立てて、ゆっくりと執務室のドアが開いた。姿を覗かせたのはガンビア・ベイだ。
「クスクス……二人とも同時に寝ちゃうなんて……」
彼女は静かに笑いながら言うが、明らかに顔色が悪い。おそらく、彼女もまた他の二人と同じく、まともな睡眠もとれないような、全く心の休まらない日々を過ごしていたのだろう。
そして今の行動から、やはりガンビア・ベイは提督とアトランタの行動を何処からか監視していたらしい。1機や2機、アトランタに撃墜された所で、予備の偵察機は他にもある。
ガンビア・ベイは物音を立てないように、そろりそろりとソファで寝入っている提督に近付いて行った。そしてその顔を覗き込む。
(ああ、アドミラル……やっぱり素敵……)
これがガンビア・ベイの偽らざる感想だ。そしてただ眺めているだけでは飽き足らず、まるで吸い寄せられるように自らの顔を提督の顔へと近づけていったその瞬間、ガンビア・ベイの背後からガチャリ、という音がした。
いつの間にか起きていたアトランタがガンビア・ベイの後頭部に機銃を突き付けていたのである。
「舐め腐ったマネしてんじゃねえよ……ど頭ブチ抜かれたくなかったらさっさと提督さんから離れな」
「……その前に構えちゃんと直したら? その位置だとアドミラルにも弾が当たっちゃうよ?」
相変わらず冷えた態度のガンビア・ベイにはイラつかされるが、今は彼女を提督から離れさせることが優先だ。仮に撃つとすればそれからである。
「提督さんが疲れて寝てるの分からないの? 誰が原因かくらいわかるでしょ?」
「そうだよね、私だよね……」
素直に答えるガンビア・ベイに対して、アトランタは分かってるんなら最初からやるなと思い、
「でしょ? だったら、大人しく……」
と言いかけたところ、
「アトランタだって共犯なの、実は分かってるんだよね?」
と、ガンビア・ベイが聞いてきた。
「!?」
何も言えずにいるアトランタ。そんな彼女の方へと少しばかり首を回し、横目で見つめながらガンビア・ベイは、
「貴女がそうやって見張りをしてるのを見てるのも、アドミラルは辛いはずだよ。でも、止められないんだよね……?」
と言い、提督の方に向き直って更に続ける。
「私達、アドミラルの事こんなに苦しめてる。でも、止められない……」
コイツは何が言いたいんだ。そうアトランタが思っていると、
「だから、こうやって撃ってくれる?」
と、ガンビア・ベイは提督を抱き抱えるようにして言った。
「私も、もう疲れたの。でも、アドミラルと離れるのはイヤ。だから、一緒に撃って? そうすれば、アドミラルと私はずっと一緒……」
ガンビア・ベイはアトランタが予想も出来ないようなとんでもない行動に出た。ガンビア・ベイはともかく、提督を自らの手にかけるなど、今やアトランタにとっては自らの魂を殺すようなものである。
「そんなの、出来るかよ……! 提督さんから離れろ!」
怯えたような表情で、悲痛な声を上げるアトランタ。その機銃を持つ手は震えている。
「離れろ……! 離れろよお!! 撃つのはテメエ一人だけなんだよぉ!!」
アトランタは泣きそうな表情で必死の思いと共にガンビア・ベイに訴えかける。そんな彼女に対して、先程から微笑みを浮かべたままのガンビア・ベイは、一つの提案をする。
「じゃあ、さあ……三人まとめて、撃てばいいんじゃない? アトランタのソレだったらあ、人が三人重なってても、抜けるよね?」
完全に正常さを失ってしまった目つきのガンビア・ベイは、アトランタに向かってそう言う。ただし、提案の内容自体は極めて本気のようだ。確かにアトランタの機銃なら、姿勢さえ工夫すればその弾丸で三人の頭蓋骨を一気に貫通させる事も出来るだろう。
「そうすればあ……もう誰も、苦しまないんだよ……?」
虚ろながらもアトランタの恐慌じみた目を捉えて離さないガンビア・ベイの視線。アトランタもまた、ここ最近の自らの内面から生み出される強迫観念じみた精神状態と、それに由来する行動によって消耗しきっていた。だからガンビア・ベイの提案はとても魅力的に感じられ、提督と、そしてガンビア・ベイと共に心中を遂げるというのは、現状を打開するための最善の方法であるように思えた。
それだ。
アトランタがガンビア・ベイの提案をそう感じ取り、一歩踏み出した途端、
「ガンビア・ベイは俺から離れるな」
と言う声が執務室内に響いた。よくよく見れば、眠っていたはずの提督が既に目を覚ましており、クマの出来た目でアトランタを見つめながら、ガンビア・ベイを片手で離れないように抱きしめていた。
「アトランタ、まず艤装全部外せ」
提督はアトランタに艤装の解除を指示した。
「で、でも……」
「いいから外せ! これは命令だ!!」
今ここでガンビア・ベイが自分から離れたら彼女だけが撃たれる可能性がある。ゴネようとするアトランタを強引に言い伏せ、艤装を解かせる。
「よぉし……もう良いからガンビア・ベイも離れろ。アトランタと一緒にそこ座れ」
来客用のソファにガンビア・ベイとアトランタが並んで座る。そして、テーブルを挟んで向かい合わせで置かれているもう一つの来客用のソファに提督が座った。
「俺もライフルやらなんやら担いで訓練なんてのは散々やらされたがな、ここまで疲れたのはこれが初めてだ」
両手で顔を擦りながら提督は言う。
「良かれと思ってやったのがこれなんだからざまあないが」
そう言った彼は顔を上げてほんの少しだけ視線を空中に投げた。その呆れ顔は自分自身に向けられたものであろう。提督の配慮がガンビア・ベイとアトランタに想定外の変化を引き起こし、結果として三人とも疲弊し切ってしまった。しかし、単に働きかけただけで二人がここまで彼に執着するようになるものなのだろうか。ここが提督にとって理解出来ない点であった。
提督が見た所、対面にいる二人は先程の狂気に取り憑かれたような状態では無く、ある程度落ち着きを取り戻しているようだ。多少話を聞く事ぐらいは出来るだろう。
「……聞いて無かった気がするから聞くんだけど、ちょっと、質問いいか?」
二人が揃ってコクリと頷いたのを確認して、率直に聞いた。
「お前ら、えらく俺にこだわるよな? 何でそこまでこだわるのか、理由が分からないんだよ。……何でだ?」
「前にも言ったでしょ。一緒にいるとあったかい気持ちにさせてくれるって。他の人じゃ、ありえないよ」
アトランタが言う。これにはガンビア・ベイも同意見のようで、無言で頷いている。じゃあ、何でそんな気持ちになるんだと感じた提督は整理するように質問を重ねる。
「そう思うようになったのって、いつ頃?」
これにはガンビア・ベイが先に答えた。
「それは、アドミラルが私にお話をしてくれるようになってからです」
「……あたしも、同じ」
アトランタも同調する。恐らく、きっかけそのものは二人とも全く同じではないだろうか。
「つまり個別でミーティングをするようになってからって事か。あれ、ちゃんと仕事上の目的があってやってた訳だよな? それは分かってるよな? だから、俺の立場からするとお前らの言う『あったかい気持ちになる』ってのが分からん訳だ」
「……それで、私達の気持ちをやたらと『勘違い』って言ってるんですか?」
不満そうにガンビア・ベイが言う。
「そう言う事。だって俺の中じゃ、繋がってないからな? あくまで解決のヒントが欲しくて、話を聞いてただけだ。これってお前らの気持ちが変化する要因がどっかにあるか?」
提督が言った途端、相手方の二人からは不機嫌そうな雰囲気が漂い始めた。それを証明するように、アトランタが言う。
「……なんか、それだけじゃ気持ちは変わらないはずって決めつけてる提督さんに、腹が立ってくるんだけど」
これに続けて、提督はなおも分かっていないという事に気付いたらしいガンビア・ベイが真っ直ぐな視線で言う。
「そういうのも、十分きっかけなんです! それにミーティングなんてしなくても、アドミラルの事ならいつか好きになってました!」
「……ああ?」
訝しげな表情の提督に対して、ガンビア・ベイは自分の内側を整理するように説明を続ける。
「悩んでる事を話してる時も、それを別に悪く言ったりしないで聞いててくれてましたよね? それだけですごく楽になったんです」
「あと、無理に『ああしろ、こうしろ』みたいな事も絶対言わなかったよね? あたしが自分でどうにか出来るようになるのをそばでずっと見守ってくれてる感じでさ。『ああ、この人いれば大丈夫だ』って思えるようになったよ?」
アトランタが補足するように言うと、ガンビア・ベイは更に言った。
「そういう事してくれる人、居ませんでした。だから好きになったんだと思いますし、そんな人が近くにいたら、何も無くても後は時間の問題というか……」
「そういうもんなのか……」
そう言いつつ首を傾げる提督に対して、アトランタは呆れた顔をして、
「……提督さん、人から鈍感って言われた事ない? 主に女の人からだけど」
と聞いた。
「いやまあ……言われてみれば、まあ……うん、心当たりは、無くは無いんだが……」
「やっぱり」
提督の歯切れの悪い返答を聞いたアトランタの表情は実につまらなそうだ。その様子を見た後、ガンビア・ベイは続ける。
「それに、アドミラルと話してる時、別に私達だけが一方的に色々言ってた訳じゃないですよね。アドミラルも自分の事話してくれたりして、それでアドミラルの事どんどん知るようになっていって……」
これも提督にとっては意外であった。別に彼の意識としてはある程度こちらから自分の事を言った方が相手も話しやすかろうと思っていた程度なのであるが、相手方の二人にとっては提督の内面に対する関心を強める結果となっていたようだ。
「提督さんの新しい事知るとさ、それでどんどんハマってくんだよ。もちろん、貴方にだってダメな所がある事ぐらい知ってる。でも、もうそんな事はどうでも良いんだよ」
(ダメな所がある事ぐらい知ってる、か……)
アトランタのこの一言が提督の心に響いた。この二人は自分の様々な負の要因をも飲み込んだ上で、気持ちを向けているのである。
おそらくこの二人は気質的に一旦、この人だ、と思えば、その相手の事をとことん好きになってしまう、言ってしまえば一途なタイプなのであろう。そして現在のこの状況はその一途さが過剰になったものと捉える事も出来る。となれば、現状、提督が思い浮かべる事の出来る選択肢は二つある。一つは、二人の気持ちをハッキリと拒否し、帰国させてしまう事。未練など一切残してはいけないし、その為には二度と会ってはいけないからだ。そして、もう一つは過剰になったものも含めて自分が受け止める。つまり、二人の気持ちを受け入れる事だ。
本当は自分がこの二人の事をどう思っているのか、どうにか整理したくなった提督は二人にこう聞いた。
「少し、俺の話を聞いてくれるか?」
途端、二人は神妙な顔つきになった。その表情からは、これから何を言われてしまうのかという不安も覗く。
「俺はな、お前達に意地悪がしたいとかそういう訳じゃないんだ。むしろ心配だったからというのは前も言った通りだ」
と、提督は切り出した。
「お前らは元々、十分な地力はあると思ってる。だけど、いつもどこか不安そうで本当にか細くてな。それはやっぱり辛い思いをしてきたからだろうなというのはあったんだよ。そんなのに引きずられてなければ俺よりもよっぽど人の役に立つ」
そう言った途端、ガンビア・ベイとアトランタが猛烈に反論する。
「アドミラルが私達より人の役に立たないなんてありえません!! アドミラルが人の役に立たないのなら、貴方がいないと何の意味も無い私は一体何なんですか!?」
「気に食わねえがガンビーに同じだ!! あたしは提督さんに会えたからやっと自分に意味があると思えるようになったのに!!」
悲痛な声で言う二人を片手で制するように、「まあ、聞いてくれ」と言う提督。
「放置するという選択だってあったんだ。前からいた連中だけで人員を回してこれまで通りの防衛線を維持する。冷淡だがそういった事も可能な訳だ」
無言で聞いている二人に向かって、更に続ける。
「現状維持だけならそれでもいいかもしれん。だが、それだけじゃ保たなくなる時が来るかもしれない。そう考えるとさっきの選択はあっていいもんじゃない」
これはあくまで戦術・戦略の観点から提督は言っている。鎮守府を預かる立場の人間であるから自然とそうなるのであろう。
「で、ここからなんだよな、俺にとっては」
提督は話題の方向性を変えた。
「だけどな、本当のところを言うと俺はそういった計算だけでお前らを扱いたくなかったんだよ。他との連携が取れないから追い返すなんて真似、絶対にやりたくなかったしな。ここに来て辛い思いをさせているのかもしれないのなら少しでも楽にさせてやりたい。こいつらに居場所があって欲しいとも思っててだな」
一瞬黙り込む提督。彼の雰囲気が先程とは若干ながら変わった事をガンビア・ベイもアトランタも感じ取った。
「それとな……あー、やっぱり整理すると、俺はお前らの明るい顔が見たかったんだよ。お前らの表情を暗くしているものがあったのなら、俺の出来る範囲でどうにかしてやりたかったからな」
聞いている側の二人は顔を見合わせる。まさか提督がそんな事を考えていたとは思いもよらなかったからだ。
「それで……もうハッキリ言ってしまうとな、立場の違いさえなければ、ひたすら甘やかしてやりたいくらいに考えてる。そんな相手が放っておけなかったんだな。最後に私情が入ってしまうのは情けないが、これが俺の正直な気持ちでね」
そう一気に言って、提督は軽いため息をついた。何かを噛み潰したような表情をしているが、決して深刻に思い詰めている様子ではない。最後の彼の発言に驚いたガンビア・ベイが信じられなさそうな表情で聞く。
「え、アドミラルって私達を甘やかしたいんですか?」
「今話しながら考えてたら、そうなっちまったな」
真っ直ぐ見つめ返しながら答える提督に対して、今度はアトランタが問う。
「じゃ、元々気持ち的に『ノー』は無いんだ?」
「正直、な……」
提督は素直に認める。
「しかも、二人から好意を向けられて嫌な訳が無い。どっちか選べって言われると困るんだが……後は、何だか他の連中の扱いが雑に思えてきて、自己嫌悪してるところだけどな」
提督は苦い顔をして、首筋をかきながら下を向いてしまった。心底自分に呆れているらしい。そんな彼に対して、まるで蘇生したかのような表情をしたガンビア・ベイが、
「じゃあ、私達二人だけが、アドミラルの特別っていう事ですよね?」
と言うと、アトランタも、
「そうなるよね、そっかそっか」
と言って続く。更に二人は目配せをして立ち上がり、反対側のソファに移動して提督の両側に着席した。ガンビア・ベイが提督の顔を覗き込むようにして言う。
「もうこの際、二人一緒でもいいです。私達の事好きになって下さい」
その反対側からは、アトランタが同様に覗き込むようにして言ってくる。
「そうそう、素直になれよ。こっちは何が何でも好きなんだし、もう勘違いなんて言わせないよ?」
困惑した提督は二人の表情を交互に見る。正直なところ、気持ちを向けられるのは嬉しい。が、自分はこの二人を散々振り回してしまったのである。この二人にふさわしい相手とも思えない。二股というのも如何なものだろうか。
「いいのか、こんなロクデナシで?」
提督はそう聞くしかないが、
「少なくとも助けられたあたし達にとっちゃロクデナシじゃないけどね」
と、アトランタがあっさり否定してしまう。
「そうです。アドミラルはもう少し自覚を持つべきだと思います」
ガンビア・ベイがアトランタの発言を補足したが、よく分からない点が一つ。
「おい、なんで助けたって話になってるんだ? さっきまで俺はお前らを追い詰めてたんだぞ?」
と聞いたが、即座に、
「『必要悪』って言葉知ってます?」
と、ガンビア・ベイに切り返された。
「だね。提督さんが気付くには避けて通れなかったって事」
と、アトランタも楽しそうに言う。
どうやっても二人は自分に気持ちを受け入れさせるつもりらしい。その証拠に、提督の両腕に二人がいつの間にか抱きついた状態になってしまっており、身動きが取れなくなってしまっていた。すっかり観念した提督は冗談まじりで最後に一言だけ言った。
「……向こうじゃディベートの訓練をやる事もあるらしいな? こういうのもやったりすんのか?」
「……さあ?」
これは別にガンビア・ベイとアトランタが罠を張ったという事ではあるまい。結局は諦めきれずに狙い続けていた二人が最後の最後、ギリギリのタイミングでようやく提督が隙を見せたところを、見逃さずに捕らえたと考えた方が良さそうである。
「おい、アトランタ。お前また演習で張り切りすぎたろ? 弾薬の数が合ってないぞ?」
提督は一枚の報告書を手に、そう言った。言われた側のアトランタは急いで立ち上がり、
「え、本当?」
と言いながら提督のデスクに駆け寄る。
「こんなんで嘘は吐かんよ。ちょっとこれ見ろ」
提督が示す報告書をアトランタは慌てて確認する。
「……で、ここ。最終的な残弾の数な。どうやったらこれで済むんだ?」
報告書のある一点を指差し、ジロリと提督がアトランタを見る。彼女は気まずそうに、
「……これって誤魔化したり出来ない?」
と言うが、提督は苦い顔でこう返す。
「却下だ。大体、どうすればこんだけの差を誤魔化せるんだよ? キチッと記録精査して直しとけ!」
「面倒くさいなあ、もう……」
自身の戦闘の報告書を修正する作業に取りかかったアトランタはつい愚痴る。
「まあまあ、そういう面倒くさい作業も今まではアドミラルがずっとやっていた訳だし……」
書類を手にガンビア・ベイがなだめる。
提督を補佐する担当として秘書艦、と言うポジションが海軍の制度として以前から存在している。この鎮守府でも以前から秘書艦を担当する者はいたが、それはその日のスケジュールに応じて決まるというかなり変則的なもので、とある艦娘で固定されるという事は無かった。
ところが、最近この鎮守府ではガンビア・ベイとアトランタというコンビが秘書艦を務める事が多くなり、この二人が執務室に半ば常駐するかのような状態になっていた。
かと言って他の艦娘がそれを不審に思うかと言えばそうでもなく、先程のようにアトランタがミスをしたせいで提督に叱られているのを見て、「ああ、秘書艦って大変だもんねえ」と思う程度であった。
「でもアドミラルってこんな事毎日やってるんだよね。やっぱり尊敬しちゃう」
複数の書類をファイリングしながらガンビア・ベイがそう言うのに同意して、
「だね。だけど弾薬の計算くらいもう少しいい加減でも……」
とアトランタが言いかけた途端、
「弾薬ってのはタダじゃないんだぞ? その大元の金は誰が出してくれてるのか考えろ?」
と言う提督の声がその耳に届いた。
「あー、ヤダヤダ」
ウンザリしたように言うアトランタに対して、ガンビア・ベイはなだめるように、
「終わったらアドミラルのお部屋に行って遊べるんだし、ここは我慢しよ?」
と言うが、それに対しても提督から、
「今日はそれも却下だ」
と言う声が届いた。
「ええっ!? 何でですかあ!」
途端に書類を秘書艦用のデスクの上に放り出し、立ち上がって抗議しようとするガンビア・ベイ。それに対して自分のデスクに肘をつき、その手に顎を乗せて気怠そうにした提督が言う。
「昨日お前らいつまで俺の部屋に残ってたよ? 俺は朝辛かったし、お前らも遅刻しかけたろうが」
「うう……それはそうですけどお……」
いかにも不満顔のガンビア・ベイ。アトランタはアトランタで「冗談キツいよ……」と言いながらデスクに伏せていた。この二人、隙さえあれば提督の自室に押し掛けるようになっているのである。もはや提督にとってもそれ自体は悪い気はしないのだが、次の日の事を考えればいつまでもグダグダとのさばられるのは考えものだ。
それでもアトランタが様子をうかがうようにして、聞く。
「ほんの少しだけでも……ダメ?」
それに対する提督の返答は素早い。
「ふざけるな。そうやってズルズル引き延ばしするつもりだろ?」
「チッ、バレてたか……」
微塵も反省の色が見えないアトランタの発言を聞いて、全くしょうがない奴らだ、と提督は呆れる。彼女達は提督の自室を訪問したらしたで、そろそろ帰れと言われてもなんだかんだと理屈をこねては部屋を離れたがらないのである。アトランタの言う「ほんの少し」が絶対に少しどころでは済まない事ぐらい提督の経験則で把握済みであった。
「今日くらいは我慢しようよ、明後日ってアドミラルはオフでしょ? それは私達も同じ……」
いつになく悪い表情を浮かべたガンビア・ベイがアトランタに耳打ちをする。
「ああ、そうだったね。提督さんと三人で……」
そして二人はクスクスと笑う。
(あー、あいつらまた何か企んでるな……)
そうは思いつつも、提督はこれ以上何かを言う気は無かった。この二人に悪印象を抱きようが無いからというのもある。
「アドミラル、そろそろお昼休みですが」
と、ガンビア・ベイが声をかけると、
「ああ、もうそんな時間か」
と、時計を見ながら提督はそう返す。秘書艦にガンビア・ベイとアトランタがメインに据えられるようになってから、昼食も三人で摂るというのが当たり前になっていた。基本的に食堂へは行かず、ガンビア・ベイとアトランタが作った弁当を執務室で食べるという形式だ。
ちなみに、この二人は仮に前日の深夜まで提督の私室にいたとしても、昼食を作って持参するという事だけは忘れない。
「ほら、今日のお昼ご飯はこういうの用意してみた」
アトランタがランチボックスを取り出す。サンドイッチがメインだが、具材はかなり凝っており、おまけにサラダがふんだんに盛り込まれていた。
「こっちは、これです」
ガンビア・ベイがそう言って、アトランタと同様にランチボックスを取り出したが、その献立は肉類を中心に組み立てられているようだ。やはりこちらもかなり凝っているようだし、どちらも分量としては盛り沢山である。
「それでさ、明日はピーマンの肉詰め持ってきていい? こないだ習って作って、それで評判良かったやつ」
アトランタが明るい表情でガンビア・ベイに言い、ガンビア・ベイは、
「あ、だったらそれに合わせたもの用意してみるね」
と答えた。もはや明日の昼食の献立がこの場で決まってしまったらしい。
「それから、飲み物。コーヒーですよね」
そう言ってガンビア・ベイは楽しそうに三人分のマグカップを取り出す。
(いい加減甘いなあ、俺も)
提督はそう思い、内心苦笑しつつも自らの首を撫でてから、こう言った。
「ああ、頂こう」