艦娘探偵・あきつ丸 作:マロニー
「夕餉のご準備が出来ました」
そう、部屋へと男が恭しく入っていきました。
その視線の先には探偵さまがいらっしゃいました。あきつ丸さまは一枚の写真をお取りになり、それをしみじみと眺めております。
「おや、ありがとうございます。
良い香いでありますなぁ」
優雅にお話しをします、その最中にも。あきつ丸さまは古びた写真から目を離しませんでした。余程、肝要たる物でありましょうか。
「…もしやしますと、その写真は探偵さまの追う事件の重要資料なのですか?」
好奇心の蠢きに負け、衝動的に男は尋ねてしまいます。そうしますと。
く、はは。
ただ屈託のない笑いがその場を包みます。
「いえいえ、そう言った訳では、とても。
以前にこの旅館に来た時。共に居た恋人の写真を見て、郷愁に浸っていたのでありますよ」
そう、そう。
今、彼女がいらっしゃるのは、とある宿舎。なにしろ、事務所が惨憺たる有様故。
「こ、これはこれは。…いや、しかし。私はこの旅館に長い事勤めておりますが、探偵さまを見かけた事は一度もありませぬが。いつの話で御座いましょうか」
そう、そう。この男は店の主人。
今彼女がいらっしゃる宿舎にて商売を営む。
閑話休題、致しましょう。
そういったご質問に、うんと唸るように思案をなされた後、こうお答えになりました。
「申し訳ない。もう、可成り前の事。
確かな日付は、とてもとても」
さて。
再び、部屋には静寂が戻りました。
旅館の者である男は去り、部屋にはあきつ丸さま一人。
夜闇へ染みるような蟋蟀の音をバック・グラウンド・ミュウジックに、またその写真をうっとりと眺めていました。今や輩と居ない、彼方を想い。
(可成り、前か。いいや、まるで昨日の事のようだ。そうだ。自分の時間はあの刻から動いてはいないのだ)
陶酔にも悔恨にも、どちらにも近しいその沈黙をただ噛み締めて。ただその古ぼけた一枚の写真をじっとりと眺めておりました。
そうしていたところに。バタバタと騒がしい音が聞こえます。幾つもの足音。それが、旅愁に浸る探偵さまの鼓膜を揺さぶります。
…部屋より、また静寂が失われました。
がらりと、襖が開かれる音。
即ち、戦乱の幕が開かれる音で御座います。
ひ、ふ、み。
三つの足音が、高らかに入って参りました。
見るからに暴漢である出立ちの、その男達は、あきつ丸さまを見かけると、匕首を同時に抜き放ちました。誰がどう見ても、害を成すつもりでしょう。
「これは、これは。
御部屋を間違っておいででありますよ。
宜しければ案内致しましょうか」
戯れには、何も反応が御座いません。ただ三人共々余裕も油断もないままに、むっつりと黙り込むのみ。
しかしてまた。
その硬直は長くはなくありました。
はっ、と。極短い気合と共に三人の中の一人がその凶刃を煌めかせて参ります。
嗚呼、嗚呼!このまま噂の怪人探偵さまは、ロオブまでも赭に染め、斃れてしまうのでしょうか?
…しかし。そうならぬのが彼女が帝都一の探偵である所以でも御座います。
声も立てず凛と軍刀を抜き放ちましたあきつさまは、ひらりと刃をすり抜け、襲ってきた者の背後をお取りになりました。
そうして、切り掛かって来た男、背後にて短刀を構えた男の二人を阿吽の二呼吸で、ずんばらと斬り伏せてしまいました。
否、血は出ていません。
慈悲深く、峰打ちで済ませたのです。
残るは一人。探偵さまのその圧倒たる様子を見ても怯まず勇猛に襲って参ります。
その、刃の右手を突き出して。
(…ほう。やはり、これは)
不意をついたとはいえ、瞬く間に二人を打倒した探偵さまに一人では敵うはずもありませぬ。しかして男に怯みは無いまま。
それを感じ、探偵さまの所作からも油断などは欠片も御座いません。
脚を引きその右手を水と受け流す如くに払い、取り、ぐるりと。気がつけば男は取り押さえられておりました。奇術にまで練り上げられた流麗なる柔術。お美事。
あ、という間。
結果で言えばその数瞬の狭間の殺陣は、一人の勝利を残しここに終わります。
が、話は終わりません。あきつ丸さまは組み伏せたままの男にお話しになります。未だ、興奮冷めやらぬ瞳孔を爛爛と輝かせて。
「殺しはしませぬ。それと、拷する事も。
何も吐くつもりは無いのでありましょう」
男は何も、答えはしません。血が通う生き人形のように、ただ組み伏せられ。
軍刀の切先を、牽制の為に向けられ。
「故に。貴方の雇い主に伝言を御頼みします」
「ただ一言。
『近日、真相を頂戴しに参ります』と」
生き人形。否、男はそれを聴き初めて人らしい感情を顔に顕します。驚愕、恐怖、疑念を懇々と混ぜた、色の悪い感情を。
それを受けた探偵さまは、にこり。
可憐に微笑みなさいました。
「さあ、早くお帰り頂きたい。折角の夕餉が冷めてしまうではありませんか。
おおっと、そこの伸びてる方も忘れずに。
勝手口まで手伝いましょうか?」
「…結構で御座います」
ぺらぺらと饒舌に舌を巡らすあきつ丸さまとは対照的に、忌々しげに一言吐き捨て、男は帰って往きました。その、雇い主の場所へ。
「いやあ、全く災難でありましたなぁ。店主どのも、お怪我はありませんか」
おずおずと様子を見にきた店主は、そう問われ肩をびくりと震わせます。
無理も御座いません。その圧倒的なまでの武勇はしかし、恐ろしいものでもありましょう。
「も、申し訳もありませぬ。
私も入口にて止めようとしたのですが、その…脅されてしまい、無理矢理。」
「気に病む必要はありませんよ店主どの。
もし下手に逆らって落命でもされたら、そちらの方が余程一大事だ」
こんな下らない依頼より、余程。
そう付け加え、お呟きになりました。
「こんな依頼…と申しますと。もしや、今の暴漢は追ってらっしゃる事件とご関係が?」
「ええ。言うまでもなく、彼等はそこらのゴロツキでは無いでしょうな。にしては、練度が高すぎる故。尤も、襲い方のみは御粗末も良い所でありましたが」
「確かに、この行動は余りにも、その…計画的であるように思えました。頭の悪い強盗には、ああいった事は出来ない筈です」
「正しくその通り。つまりはこれは、黒子として思惑が背後に居る事の証座。自分の事務所も同じ者が命じたものでしょう」
「…もしや、先の…暴漢への伝言といい、探偵さまには事の真相がお判りになってるのですか?」
「ええ。まだ証拠も無いので『推測』の域を出る事は無くありますが、おおまかには」
「おお!して、黒幕は如何に!」
最早好奇心と野次馬根性を隠す素振りも無いまま、眼を輝かせ、身を乗りだして店主は聞きます。
致し方ありますまい。
秘密は、余りにも甘美故。
くく、と含み笑いを浮かべ。
「ええ、それは……」
ちらりと視線を下に降ろし。
「夕餉を食べてから話す事にしましょう」
すっかり冷め、油の固まった汁物を前に。
ひとつ溜息をお吐きになりました。