艦これ短編集 作:マロニー
また、下品です。
「司令官、セックスとはなんでしょうか?」
二人しか居ない部屋の雰囲気が凍りついた。
そう、感じた。
「……」
「司令官、セックスとは」
「二度も言わなくても良い。
大丈夫、聞こえてるから」
(…聞かなかった事にしたいけど)
脂汗が滲み、呼吸が荒れる。
ここから先は少しの会話のミスも許されない。
緊張しつつ口を開く。
「何故、急に…そんな質問を?」
「いえ。以前、隼鷹さんから男女で行う事だと教えて貰ったのですが、詳細が分からなくて。司令官なら知っていらっしゃるかと…」
(…5。いや、半年は禁酒だな、あいつ)
「…ああ、知ってるさ。知ってるとも」
「!!そうですか!
では、是非ともご教示して頂きたいのですが!」
「……」
この時、提督の頬には汗がつたい、神経は蒼白となって震え、己の細胞が次々に死滅してゆくかのような嘔吐感に包まれた。ぞくつくような絶望と、純真無垢たる期待の目つきだけがただその口を開かせる。
「ああ…いいだろう…
いいか、セックスというのはだな…」
このような純潔無垢を汚して良いのか?
否、否である。
しかし、いつか彼女も知る時が来るのでは?
それならば、今教えても変わらないのでは?
否。現在のこの純真は決して穢してはならぬ。
だが、自らの信条として、嘘は吐きたくない。
それを彼女らにしてしまうのは、信頼への裏切りな気がしている。
僅か二秒なれど、数えきれぬ程の逡巡の後。
「…英語で『性別』を表す語句だ」
彼はあくまで嘘はつかず、なんとかこの場を収めようとした。
「成る程…
…?しかし、隼鷹さんは行動であると言っていましたが」
おのれ隼鷹。
「…そうだな。ところで朝潮。どうやって子供が産まれるのか。それを知ってはいるか?」
「…?ど、どうしたのですか?」
「いや、急に話題を変えてしまい済まない。
そうだな、人間でなくともいい。動物でもなんでも、どうやって産まれるか知っているか?」
少女からすれば、急激なる舵切りであるように思われるだろう転換。しかしそれは、彼にとっては地続きであり、限りなく近い暗闇なのだ。
朝潮はそれにほんの少し困惑した素振りを見せたがしかし、その忠誠心たるや。直ぐにその質問に答えることを優先した。
「は、はい!知っています!
コウノトリが運んで来る、と!」
嗚呼。
提督は天井を仰いだ。
もし 動物の『交尾』を知るならば。
『その単語』は、その意味を含むのだと。
出来るだけ遠回しに遠回しに。
可能な限り純潔を穢す事なく終わることが出来ると考えていた。
だが、駄目だ。
駄目だった。もう何もかも台無しだ。
何もかもが、地獄の巷だ。
(いっそ誰か殺してくれ)
今迄の人生にて一度たりとも感じなかった自死の衝動すら堪え、逡巡を続かせる。思考を休めるな、脳髄を廻せ。
悩んだ先に、その脳が出した結論は。
「…あまり大きな声では言えないがな。
実はこの言葉には『秘め事』を示す用法がある」
「ひ、秘め事?それは、まさか…」
「ああ。
…キスの事だ」
彼は嘘を吐いた。
彼は、信条も誇りもかなぐり捨て、嘘を吐いたのだった。
それは果たして本当に彼女らの為か。
保身か、エゴか。それでも、言えなかった。
(言えてたまるかチクショウ…!)
唇が傷だらけになっている事に気づく。噛み締めすぎた。
「そ、そうなのですか…!」
キスと聞くのみで顔を赤らめ、そして恥を感じる。
そんな可愛らしさを、状況が状況ならば最大限愛でていただろう。
だが、今はそんな気になれなかった。
「ああ。だからそんなに大声で言ってはいけない言葉なんだ。
あまり、公の場で声に出してはいけない」
「そ、そうなのですね…私はとても恥ずかしい事を…」
「なに、知らない事は誰だってある。今回は偶々それが恥ずかしい事だっただけさ」
「そう言って頂けると、有難いです…」
「ああ。…もう、大丈夫か?」
「はい!ありがとうございました!」
びしりと敬礼をする朝潮。
そんな彼女を見て、提督は漸く安堵の溜息をつく。
話をしている時間は数分に過ぎなかったが、この数分で提督の黒髪は 灰色に変貌していた。
…ふと。ある事に提督は気づく。
朝潮がもじもじとし、部屋を出ていかないのだ。
提督が不審に思っていると、少女は、吃りつつも話し始めた。
「以前荒潮に聞いた話だと、国外では親しい者は気軽に…キ、キスを!すると聞きました!」
「その…で、ですから…その文化に則って…
その…キスをして頂けませんか?」
(……!?)
こんな状況でないなら。提督は健気に想いを寄せてくれている娘に対して、『それ位ならば』と応えただろう。
だが、この時は。この、極端に少女が穢れる事を恐れた、この状態の提督は。咄嗟に拒否をした。駄目だ、と。
少女はあたふたとその拒否へと反応をする。
「い、一度だけでいいんです!一度で良いので…」
ガチャ
「失礼します提督、書類に不備が」
「…私と『セックス』しましょう!」
「……」
「……」
『詰み』である。
「…ええ、はい、憲兵さんですか?
はい、少し。…ええ、お願いします」
「……」
先ほど部屋に入ってきた大淀が、それきり内線を切り、此方を見る。
それは、笑顔だった。悍しい、悍しい。
「何か言い遺す言葉は?」
「それでも僕はやってない」
終わり