艦これ短編集 作:マロニー
「ん?ああ、ありガッ」
そのトンチキな発音に目の前の少女、朝潮はキョトンと小首を傾げる。彼であろうと好き好んでこんな珍妙な発音をした訳ではない。普通に礼を言いたかった。
だが、落とし物…彼女の手の内にあるものが動揺を誘い、そうはさせてくれなかったのだ。
朝潮が拾っていたのは避妊具…
所謂『ゴム』だった。
「ち、違う!それはその…落とし物で!
物が物だから取りにいくのも恥ずかしいだろうと持ち主不明箱に入れてこようと…!」
一言一句違わぬ真実だ。賭けてもいい。
だがこれは、どう聞いても嘘か言い訳にしか聞こえないような言い様だろう。
だが朝潮はその態度に怪訝な態度を見せはするものの、軽蔑だとか、疑念などは抱いた様子は無い。
「?そうなのですか?」
と、不思議そうにするだけだ。
…嗚呼、もしかして。と。
(…知らないのか?何に使うのか)
騙されないようにと、最低限の性教育は行われている筈。しかし教育担当がまだ彼女には早いと判断したのか、はたまた、教えてもらってはいるが知識と現物が頭で結びついてないだけなのか。
いずれにせよ、命拾いをした。
…そう、ひとまずは。
しかして彼は気を抜けはしなかった。
この状況のそれは(社会的な)死を意味していた。
何故ならこの年頃の少年少女、その知的好奇心は異常と言ってもいい。故に次に来る言葉は…
「…あの。これは一体何に使う物なのでしょうか?」
ほら来た。
逃れ得ぬその質問にそう思い、歯噛みをしてその衝撃に耐え凌ぐ。予測が無ければ即死だった。
「…あ!す、すみません!
急に、その…質問をしてしまいまして!」
「いや、良いんだ。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』とも言う。ちゃんと質問をするのは偉い事だぞ」
そう答えると少女は、嬉しそうに、誇らしげに笑う。出来る事ならばその微笑ましい光景を享受していたいものだったが、しかし状況はそんな悠長な事を許してはくれない。
さて問題は、どう説明するかと言う事だ。
嘘を言うか?
否、それこそ信頼を失うだろう。
では嘘を吐かず、本来の用途を話すか。
…否、彼自身の心が承服しない。
ギリギリおかしく思われない程度の間の、その後。こう答えた。
「……そうだな、どうしても知りたいのなら。
後で自分で調べてみるといい。俺からは少し言えないからな」
辞書に責任転嫁する事にした。
汚いと、卑劣だと、姑息だと言うがいい。
だが最早彼女の知識への欲求は止められない。
しかしそれをここで教えるなぞしたら…
…それを思うだけで怖気が襲う。
故にこの後回し、盥回し。間違いなく愚かではあるが、極限状態の男の思考には最早そのような方法しか浮かばなかったのだ。
朝潮の顔を、窺い見る。
渋い顔だ。しかしそれは、相変わらず疑念ではない。むしろ、信頼に基づくその顔。
何か、嫌な予感がした。
「…なるほど、極秘指令と言う事ですね」
「は?」
「お任せ下さい。
この朝潮、完遂してみせます!」
そう言うとビシィと華麗な敬礼を行い…
そして、それを持ち帰ろうとする。
「ちょっちょちょ!
待った朝潮、何だ、何がどうしてそうなった!」
しどろもどろにただ、心の声をそのまま口から放つ。
「はっ、司令官の焦り方の様子からしてこれを危険物だと考えました!そしてそれを処分する様任ぜられたのだと思いまして!」
そうだな、尊厳やらなんやらが吹き飛ぶ危険物だ。…と、そうじゃなくて。
(……俺のせいかァ〜〜っ……)
脱力と共にへたり込む。
「…違、かったのでしょうか…」
顔を桃色に染め、もじもじと思い違いを恥じる朝潮。可愛らしい。
しかし次の行動は…
…乾いた紙の音が鳴り、『落とし物』の封が開かれる。
へ?と。息が抜けただけの無様な声だけが軍人から漏れる。あまりにも急な事だったので、何も反応すらできなかった。
「これは…風船でしょうか?」
「あさ、朝潮?何故開けた?」
「…す、すみません、つい……」
ハッとしたように、顔を伏せる。
そうか、その慇懃、丁寧な言葉遣いから忘れていたがまだ彼女は子供だ。好奇心のまま身体が動いてしまう事もあるだろう。
「……そうだな。これは落とし物だ。誰かのものだから勝手に中身を見てはいけないぞ」
「!確かに…申し訳ない事をしました…」
「いや、それを恥じ、反省が出来るなら、それで良い。俺はお前みたいな賢い子を誇りに思うぞ」
しゅんと落ち込んでいた姿から一転、嬉しそうに微笑む。
そうして俺はその『落とし物』を朝潮から取り上げようと…
「…それで、危険物でないなら結局これは何なのでしょうか?」
そのまま流せなかった。チクショウ。
「い、いやだな、これは…」
……いつもだ。こういう、最悪の状態。
こういう時に限って、さっきまで無かった、人影を感じる。
嗚呼そうだ、それは即ち、死の気配だ。
横を徐ろに向く。そこには鳳翔が居た。
前を向く。避妊具の中身を手に持つ少女。
自分を鑑みる。脂汗だらけの成人男性。
役満だ。投了だ。
鳳翔は困ったように顔を伏せる。
その顔は赤く染まっている。気まずそうな顔。
しかし、次に聞こえる言葉は罵倒ではなかった。
「…お、おおかたは分かりました。恐らく…その落とし物をめぐって話していたんですよね」
死を受け入れる準備をしていた彼にとって、その言葉は、予想外に尽きた。
「あ…はい。そうだ、鳳翔さんなら知っていませんか?」
「…そうね。ふふ、朝潮ちゃんには少し早いかしら」
そう、慈母の如き笑顔を浮かべ少女を撫でるその姿は正しく女神だった。
朝潮はその一言に不服そうではあったが、一旦は納得したようである。
それだけではない。今度はこうも言った。
「提督。その落とし物、私が置いてきましょうか?」
「なっ…いやいや、流石に悪いですよそんな」
「いえ、物のついでですから」
どうやら近くを通る用事があるらしい。
正直、もう持っていたくはなかった軍人はそれを鳳翔へと手渡した。
これで、何もかもが解決したのだった。
……
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「…はぁー、マジ助かった……」
そう、部屋で一人息を吐く提督。
結局、落とし主不明のアレは、次見た時には無くなっていた。持ち主が回収したんだろう。
これも鳳翔のお陰だと、そう思う。
一つ残る疑問としては、あの『落とし物』は一体誰のものだったのだろうという事。
…ふと、頬を赤く染めた鳳翔を思い出した。
何故、すぐにあれが落とし物と分かったのか?
……
「ハハ、まさかな」
頬を軽く叩き、失礼な妄想を一笑に付した。
おわり