雨が降る。
黒髪の少女が、民家の屋根の上から街を見下ろしていた。
「やっと、返って来たんだ」
足元で、黒い毛並みの猫が口を開く。
『既に編入の手続きはしてある。この街は……臭うぞ』
「ありがと、グリモワール」
猫が喋ることに慣れているのか、少女は気にする事もなく、自身がグリモワールと呼んだ黒猫を持ち上げた。
「この街の人間は、知識の飢えを知ってるのかな」
『あるいは、知識の飢えなど無いと思い込んでいる。自らの知識は誰にも負けない、と』
「〝パンが無ければケーキを食べればいいのに″?」
茶化す様に言った少女に、グリモワールは小さく笑う。
『博識だな』
「常識よ」
そうして再び、少女は街を見渡す。
民家の灯りが、地上に星々を瞬かせた。
◇
「はくしき……しゃべる……あー、わかんねー!」
「落ち着いて、まずは部首から思い出してみよう」
同時刻、とある少年が、国語の居残りを受けていた。
「大体、今どきスマホで翻訳できるのに、なんで国語なんてすんの!?」
「翻訳機能が本人が読めないんじゃ意味ないでしょ。高校受験にも使うんだから、まずはそれを覚えないと」
「イヤだなあ……」
本は好きだ。
読めないこともない。
だが、書くとなると難しい……!
目の前の相手……先祖が神主とかどうのと言っている、成績優秀なヤツを少年は睨んだ。
睨まれた少年はふっと口元を歪め、窓の外を見る。
頭が悪い方……首から下げたプレートに『補修組』と書かれた少年は、不服そうに鼻を鳴らす。
「あーあ……世の中、どうにか変わらないものかなぁ」
「さぁね。けど、変わったらとても良いな」
「少なくとも勉強なんかしなくても良いんだろうな!」
「どう変われど勉強は必要だ。さ、今日はやめにしよう。その本、お前が借りたんだからお前が返せよ」
「わかったよ、もう……」
少年は補修組のプレートを外してカバンに投げ込む。
まったく、不名誉なプレートだ。
「じゃ」
「おう。じゃな」
少年は陽の落ちた世界を見つめる。
昼と夜は、まったくの別世界だ。
住む者も、空気も違う。
我ながら何を詩的な、と鼻で軽く笑い、少年は本を抱えて図書室に向かった。
「ぐっ、重てぇ……」
少年は図書室が補修室の真横で本当に良かったと独りごちる。
まだ完全下校までは時間がある。鍵も開いていた。
まぁ、人はいないけど。
「えーと……?『グリモワールの秘宝』?……あいつ、自分が借りたものも押し付けやがった」
ちゃっかりしている。あいつに息子が生まれたならば、ちゃんと真面目に育ってくれないだろうか。
少年は『フィクション』の棚に向かう。
本棚の前に立ち、グの字を探した。
「あったあった。で、次は……ん」
少年は棚の本の一つが出っ張っているのに気がついた。
腰辺りの高さの棚だ。今まで気づかなかったのもしょうがないが……少年は何気なく本を押し込んだ。
もしかして、棚がひっくり返って秘密基地が出てきたり……なんて考えながら。
カチリ。
まさか本人も、秘密基地を見つけるとは思わなかっただろう。
抱えた本は床に散乱し、空いた口は塞がらない。ついでに秘密基地の入り口も塞がらない。
……少年は機敏に、周りに誰もいないか確認した。
右、左、オールグリーン。
少年は唾を呑むと、棚の裏側に足を踏み入れた。
これは、全ての始まりにして、日常の終わりを告げる、物語であった。