雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか 作:柔らかいもち
ベルはまだ知らない。想い人のいる場所の高みも、英雄になる夢の難しさも、オラリオに蔓延る怪物たちも。
想い人を超える高みにいて、自身の夢を叶えることができる力を持ち、怪物達をことごとくねじ伏せる男の実力をベルはまだ知らない。
♦♦♦
「ハモハモハモハモハモ……ゴクンッ。ベル君、大丈夫かいっ!?」
「だっ、大丈夫ですっ!?」
この女神の咀嚼音、独特過ぎるだろ――と視線の先で夕日の光を浴びて慈愛の精霊と言われても信じられそうなほど美しい少女にボコボコにされる少年を応援しながら、それでもジャガ丸くんを食べる手を止めない幼女の女神の隣に座るレインはそう思った。
数時間前、昼寝の訓練を終えたベルをレインがサンドバッ……ゲフンゲフン、訓練をつけているとベルがお腹を鳴らしたのだ。ただ眺めていただけのアイズも。動けなくなっては元も子もないので、小腹を満たすのに丁度いいジャガ丸くんを買いに行ったのだ。
しかしジャガ丸くんを売っている露店で、ベルの主神『ヘスティア』に遭遇。己の眷属が懇意でもない他派閥と行動していたことを幼女神は烈火のごとく怒ったが、レインは意図して一緒に行動していた訳ではないと説明した途端、
「レイン君、これからもベル君と仲良くしてくれ!」
レインにはいい笑顔を向けてきた。アイズには敵意の籠った視線を向けていたというのに、対応の差が激しい。この時ヘスティアの心の中では、
(ベル君には悪いけどっ、ベル君よりスペックの高そうな男の子がいれば、ヴァレン何某がベル君に惚れる可能性は低くなる! うまくいけばサポーター君も排除できるかも!)
好きな男を独占したい女の、何ともゲスい考えがあった。
その後、アイズとレインの関係の説明とベルの必死の説得、アイズとベルの懇願を受けてもヘスティアは鍛錬の続行を渋っていたが、
「ヘスティア、あんたの露店にあるジャガ丸くんをあるだけ買おうじゃないか。俺達が食べきれなかった分は持って帰ってもらっても構わん」
「まったくしょうがないなぁ! けど、今日はボクも君達の訓練を見学させてもらうぜ。とことん甘いよなぁ、ボクも!」
大量の
「まぐまぐ……がんばれー! 負けるなベル君!」
「はいっ! 頑張ります!」
心なし苛烈になった鞘の連撃を、ベルは自分を見守ってくれている女神の声援を糧に必死に気絶しないよう粘る。少女の攻撃が過酷になっているのも、少年が粘り強くなっているのも一人の女神が原因と誰も思いつかないまま、時間はゆっくりと過ぎていった。
ジャガ丸くんは全て女神の腹に収まった。アイズはちょっぴりヘスティアの事が嫌いになった。
気が付けば、すっかり夜は更けていた。満身創痍のベルをご機嫌なヘスティアが支え、その前をレインとアイズが小型の魔石灯を持って石造の階段を下っていく。何段もの階段を下りれば、都市の端、北西部の裏通りに出た。
「あ、あの、神様? もう外には出ましたし、手を離しても……」
「何言ってるんだい、ベル君。メインストリートと違って、こっちはかなり薄暗いじゃないか。ボクが転ばないようにしっかり手を繋いでいておくれ」
夜空に見下ろされながら四人が歩く。賑やかな後ろとは違い、前の二人は物静かだ。
「――止まれ」
洒落たポール式の魔石街灯が、鈍器を叩き込まれたかのように粉砕されているのを確認し、レインは指示を出す。
アイズは一瞬で【剣姫】の顔になり、一拍遅れてベルも急に止まったことで前のめりにふらついたヘスティアを支えながら、周囲を警戒し始める。
(このままやり過ごせる……なんて事ができる奴等じゃないか)
剣呑な気配が感じられるとある建物と建物の細い隙間、その暗闇の奥。自分達がこのルートを通らなければどうするつもりだったんだ……などというどうでもいいことを考えていると、気配の主が影を払って歩み出てきた。もしかすると、気配の主も似たような事を考えたのかもしれない。
現れたのは
「―――――」
次の瞬間、
「チィッ!?」
「反応が遅い」
「グッ!?」
己を確殺しようとする一撃を全力で首を傾けて回避するが、意識が薙刀に移った途端、鳩尾にレインの前蹴りが突き刺さった。【剣姫】を無視した襲撃者は強制的に少年の目の前から退けられる。
(――反応できなかった)
(速すぎるっ!?)
後方に吹き飛ばされた
「あー、ちょっと相談があるんだけどな。怒らずに聞いてくれるか? 屋根の上でコソコソしている四人も」
「!?」
ベルが三階建ての人家の屋上を見上げると、剣、槌、槍、斧、四つの得物を持つ四つの小柄な影がいた。相手の反応を待たず、レインは呼びかける。
「俺が世界最強でイケメンなのは事実だが、別に人を傷つけるのが好きってわけじゃないんだな。お前らを叩きのめしてもヴァリス金貨の一枚にもならないし。お前らにとっては現実を教えてもらえるから、一億ヴァリス位の価値はあるかもしれんが」
よどみない口調でレインはしゃべり、一同を見渡す。襲撃者達の殺気の密度が、さらに濃くなった。ベルとヘスティアの顔は青ざめ、アイズは変わらず無表情。一人でうんうんと頷き、さっさか先を進める。
「嫉妬して俺の知り合いに手を出すのは勝手だが、それはお前らがそれっぽっちの価値しかないと証明している様なもんだ。どこの色ボケに頼まれたか知らんが、お前等にすりゃどうせ無駄な努力なんだし。だからここは一つ、お互いに見なかったことにして――」
そこまで口にしたところで
「って、だから怒るなって先に言ったろ?」
が、レインは当たる直前で、薙刀に付いている飾り輪で槍を受け止める。小さな輪を悪魔のような正確さで使うことで神速の槍を止めたことに、レイン以外が時を止める。その隙をレインが見逃すはずもなく、
「吹っ飛べ」
体をひねって大振りの後ろ回し蹴りを放った。いささかのたわみもなく蹴り足がまっすぐ伸びる。正確に
屋上に残っていた小柄な四人だが、いつの間にか姿を消していた。後ろの方から感じていたLv.1程度の実力しかない奴等の気配も遠ざかっている。
「――ふっ」
ため息をついて髪をかき上げ、レインはニヒルに呟いた。
「弱すぎて修行の足しにもならん。勝利とてむなしい……」
「いや、彼等が襲ってきた目的、途中から君が挑発したことに変わってなかったかい?」
格好つけてるレインに、ヘスティアは誤魔化されないぞとばかりにツッコむが、
(このくらい強くないとアイズさんに並ぶことなんて許されない。でも、こんな僕があんなに強くなれるのか……? こんなに弱い僕はアイズさんに関わることなく一生を過ごして、彼女の隣にはレインさんがお似合いなんじゃ……?)
己の眷属がはっきりと見せつけられた、上級冒険者との隔たりに絶望しているのがよく分かってしまい、レインに構っている場合ではなくなってしまった。
ちょっと騒ぎを起こしたので、ギルド職員や市民がやって来るかもしれない……余計な面倒に巻き込まれる前にここから離れようと結論した後、誰も口を開くことなく細い裏道を進んでいった。
そんな四人を月夜にそびえる白亜の巨塔が見下ろしていた。
フレイヤ命の【フレイヤ・ファミリア】。彼等はレインという強者が現れたのに、原作通りの強さでいられますかね?
襲撃ポイントに目的の人物が来なければ、ただ時間を無駄に過ごすだけになるよね。