雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか 作:柔らかいもち
『フィーネはこの話が嫌いなのかい?』
そこは一人の少年のお気に入りの場所だった。村の住人が目もくれず近寄ろうともしない森の中にある、それなりの力で石を投げれば向こう岸に簡単に届いてしまう程度の小さな湖。明るい春の日差しが木々の隙間から湖面に降り注ぎ、宝石の如き輝きを放っていた。
しかしそこは、もうたった一人だけの秘密の場所ではない。椅子の代わりに倒木に腰を下ろしている少年の隣には、くたびれた青いブラウスと白いスカートを穿く少女がいる。二人のお気に入りの場所となった湖の
先ほどの心配そうに尋ねたのは、少女の顔を見たら嫌そうな顔をしていたからだ。少年は少女が不機嫌になったことを割と見たことがあったが、彼女が本を読んで機嫌を悪くすることは一度もない。……ちなみに、彼女の不機嫌そうな顔を何度も見ることになったのは、恋人になるまでしつこく
親父に『ストーカーか、お前は』と言われた
『……だって、このお話は
ぽつりと、少女が呟く。
心の底から絞り出されたかのような少女の声は、ずっと少年の心に残ることになる。
近い将来、目の前の少女が死ぬことで絶望し、嬉しいことや楽しいことの記憶を埋もれさせてしまっても、少年はこの時のやり取りをずっと覚えていた。
『レイン。もし貴方がこの物語の『魔法』を使えたとしても、私に絶対に使わないでね』
♦♦♦
消える。消失する。崩れ落ちる。
レインの腕と指の隙間から、フィーネだった灰が流れ落ちていく。馬鹿みたいに撃ちまくった『魔法』の熱気と冷気によって呼び出された無情の風が、そこにフィーネがいたことを証明する灰の山を奪い去っていく。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
フィーネが身に纏っていた黒い
手に取ってみると、その正体は押し花だった。使われている白い花の名前は
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
溢れる感情に身を任せるまま泣き喚く。狂ったように手足を振り回し、理由のない暴力で息遣いを感じない迷宮を破壊する。愛しい人を殺した現実に耐え切れず、直視できず、受け止めきれず、自殺する。
いずれもレインの思考に引っかかるどころか、思い浮かびもしなかった。今のレインには己に対する憤怒も、フィーネを失った悲しみも、最愛の人を殺してしまった絶望もいらなかった。……いらない感情を全て捻じ伏せ、強引に精神を安定させているだけだが。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
自分の状態を冷静に確認する。火傷、打撲、骨折、切り傷。それが全身の至る所にある。回復魔法を行使する。一瞬で全ての傷が癒され、万全のコンディションを整える。
空間の状態を確認する。全方位から立ち昇る殺人的な熱気。敵が来る可能性がある金属の『扉』。氷結魔法を行使する。空間の温度は適温になり、『扉』は氷漬けになって開かなくなった。消耗した
白い花を包み込むように両手を合わせる。敬虔な信徒が、神々に祈りを捧げるように。
黒を纏う男は都合の良い奇跡を信じない。信じることは決してないが、奇跡を引き起こす事ができるのは知っている。
「……それが君の頼みなら、俺はそれを叶えよう」
レインに必要なのはたった一つ。少女が死にながら零した本当の願いを必ず叶える意志だけである。不可能に等しい難題に向き合い、彼は『
【
下界の歴史を調べ上げてもレインしか発現したことがない、唯一無二の『レアスキル』。
あらゆる眷属が喉から手が出る程欲しがる『成長補正』。どれだけ完璧な冒険者にも存在する弱点と捉えられる、『主神がいなければ【ステイタス】を更新できない』という変えようのない常識をひっくり返す、【ステイタス】の『自動更新』。
これからレインが使うのは【
効果と詠唱の完全把握。これの凄い所は
つまりレインは今を生きる人類の『魔法』だけでなく、
(あの爺さんには感謝しとかねーとな……)
本好きの少年に英雄譚を何度も持って来た好々爺を思い出す。『浮気は男の勲章じゃああっ!』とかふざけたことをほざいて親父と一緒にお袋に殴られていた
今更ながらあの好々爺の正体が気になったが、どうでもいいと切り捨てる。
これより使うのは
愚者となった『賢者』とは異なり、『魔法』を完成させれば絶対に生き返らせる秘儀。代わりに発動条件は、
「【振り返る愚行。閉ざされる道。破られた誓いに愚かな
詠唱を開始した直後。身体に異変が生じ始めた。
レインの全身にガラスを殴りつけたような亀裂が生じ、間を置かず血が吹き上がる。いや、皮膚が内側から破れて血が噴出し、傷口が亀裂に見えてしまう程全体に広がっているのだ。血が出るのは広がった傷だけではなく、目から、鼻から、耳から、栓を抜いたような勢いで血が流れ始める。
苦痛も尋常ではなかった。世界中の『痛み』という概念で作り上げた切れ味の悪すぎる
『蘇生魔法』は命を賭ければ発動するのではない。使用する過程で命を落としてしまう程の『傷』と『痛み』と『制御』を使用者に背負わせるのだ。禁忌に手を伸ばした愚か者を捕らえた
「【無意味となった代償。
『魔力』の手綱は離さない、離せない。未だに膨れ上がる『魔力』で
そんなことは決して許さない。『誰かを救おうとした』免罪符を掲げて『それでも無理だった』と格好つけて
「【
レインは命の雫を流しながら荘厳な音色を奏で続けた。自分の命より大切な人を助けるために祈り続けた。
「【紡ぎ、伸ばし、切り離す。穢れなき貴方は、暖かい場所で笑ってほしい】」
流れていたレインの血に変化が起きた。意志を持ったように動き始め、レインの前に複雑な
「【嗚呼、私の愛しい人よ――】」
遂に迎える詠唱の終わり。誰もが夢見て諦める『奇跡』を、諦めを知らない男は掴み取る。
「――【ディア・エウリュディケ】」
青い光が白い光に生まれ変わり、音のない輝きの爆発が空間を埋め尽くした。
歌は止まっていた。酷使していた喉から血を吐き出し、力なく身体を投げ出す。打ち付けた額から痛みは感じない。数舜前まであった苦痛が嘘のように消え失せ、代わりにふわふわとした心地よさがある。
レインは震えながら顔を上げる。同じように震える右手を伸ばす。
それだけで彼は満足だった。死んだまま突き進んだ戦いの道だけど、ようやく意味があったと思うことができた。
愛しい人の手を握りしめることはできない。そうする資格があるとは思わないし、血を失いすぎてそれだけの力も残っていない。それでも触れる。そして笑う。こうでもしておかなければ、上から来ている奴らは絶対に自分が負けたと勘違いする。もし『負けたのか!?』とか言う奴がいたらぶん殴ろう。
上の階層から流れて肌を撫でる金色の少女の風を感じながら、レインの意識はゆっくりと暗闇に落ちていった。
♦♦♦
『ごめん、フィーネ。もし僕は君が死んだりしたら迷わずこの『魔法』を使うよ。君に嫌われることになってもね』
悲しそうな顔をする少女に少年も悲しくなるけれど、目を逸らさずきっぱり告げる。
『だって君は、もう僕の命より大切な人だから』
【ディア・エウリュディケ】
名前はフェルズの『蘇生魔法』を参考。効果は本文にある通り。発動条件はえげつない。
一度使えば最後まで完成させるか途中で死ぬの二つに一つ。
英雄譚の聖女は失血死したが、レインはLv.9で頑丈なので多分死なない。
詳しい効果は次回。
少年時代のレインにたくさんの英雄譚を持ってきた爺さん、一体何者なんだ……? 爺さんと知り合いのレイン父も何者なんだ……!?
英雄譚の聖女様。この物語はいい話なのか悪い話なのか、意見がよく分かれる。推測だけど、ダンまち世界の英雄譚って本当にあった話を使ってると思う。本当にあった話っていうのはダンまち世界の実話ってことです。
『
作者にとっての最強。どれだけ攻撃を食らっても死なないとか、心臓の音で相手を殺すとかじゃない。相手が自分より強くても、苦戦しまくっても負けない。それが最強だと思っています。原作レインも何回かボコボコにされてるし。ぶっちゃけ、ずっと苦戦しないキャラとか書いてて詰まんないし面白くない(あくまで個人の感想です)。
もうここで終わりでよくね? フィーネ生き返ってハッピーエンドでいいじゃん! 五十話目でキリもいいし(小話抜きで考えたら)! そうしよそうしよ!
うわっ風が! ん? なんだこれ(いろんな伏線やらが書かれた紙)?
……。
まだまだ続くよ!