雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか   作:柔らかいもち

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 また区切ることになってしまった。時間が本当にない。しかもめっちゃ眠い。

 区切る理由としては今まで仕込んできた伏線やらを回収するためです。


六十二話 灰から黒へ

「機嫌が悪そうですね、ミア母さん」 

 

 小綺麗な宿屋を彷彿とさせる酒場『豊穣の女主人』。

 

 厨房でせっせと皿や調理器具を磨いて綺麗にしていたシルは、仏頂面で入って来たこの酒場の女将であるミアに声を掛ける。

 

「機嫌も悪くなるさ。いなくなった馬鹿娘の代わりの仕事をサボろうとする馬鹿に、本来の仕事そっちのけで騒いでるアホンダラども。今日が碌に客が来ない日になってなきゃ、拳骨一発じゃ済ませないよ」

 

 酒場の店主(ぼうくん)の言葉に、彼女が来るまで手を抜いていた少女は薄らと汗を流す。しかも拳骨一発じゃ済ませない、つまり一発は確定しているという事実に笑みを引きつらせた。

 

「……シル、あんたはあの真っ黒なバカタレのことをどう思ってる?」

「え?」

 

 どうにかして他の従業員に罪を擦り付けられないかとシルが画策していると、不意にミアが尋ねてきた。真っ黒なバカタレ……ベルは黒いインナーを身に着けているが『坊主』呼びだし、レインだろう。あれは全て黒だ。

 

「ええと……苦手と嫌いを足して二つに割った気持ちですね。完全には嫌ってないですけど、好きには絶対なれない感じでして……」

「どうしてだい」

「だってあの人っ、私のことを『食材への冒涜の擬人化』『殺意と愛情を履き違えている狂人』『何でも殺せる劇物製造機』なんて呼ぶんですよ! 事実無根です!」

「そうかい」

 

 ぷんすかぷんすか、と可愛らしく怒る少女に淡白な反応を返し、ミアは戸棚から果実酒の入った酒瓶を取り出す。ミアが酒を飲むのは店を閉めてから部屋で一人きりの時、と彼女の自分ルールを知っているシルは首を傾げる。

 

「アタシはあの馬鹿が大嫌いさ。それこそ、あの女神よりずっとね」

「!?」

 

 面倒、馬鹿、阿呆と罵ることはあっても滅多に使われないミアの「嫌い」という言葉に、シルは持っていた皿を落としそうになるほど驚いた。――手から滑らせた瞬間には血の気が引いたし、間一髪で受け止めた時は心底安堵した。

 

「あの馬鹿はいつもヘラヘラ笑っちゃいるが、内面は違う。周りに面倒事を全部押し付けるように見せて、本当に重いもんは何だって一人で背負い込む。神にだって悟らせない」

 

 ミアの視線の先には何十人もいる従業員の内、数少ない真面目に仕事をする栗色の髪の従業員、新入りの少女がテーブルを拭いていた。

 

「絶対に『本心』ってのを見せない。(オトナ)に弱音の一つ吐き出しもしない子供(ガキ)なんざ大嫌いだよ」

 

 レインとは無縁にしか思えない言葉の数々に、鈍色の娘が母親に何かを聞こうとする寸前。

 

 ()()()()()()を揺るがす鐘の音が響く。『豊穣の女主人』でも棚に飾られている本や花瓶が僅かに震えた。

 

 再び騒ぎ始める従業員達を尻目に、ミアは注がれた果実酒に映る自分の渋面を見つめる。

 

(憎たらしいくらいそっくりだよ、あの馬鹿どもに)

 

 離れにいつの間にかあった『フィーネを頼む』とだけ書かれた羊皮紙と大量の金貨を見た時から胸の中にある感情を飲み下すように、ドワーフの元冒険者はジョッキを思い切り(あお)った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 灰髪の女性(アルフィア)の背後にいるベルは、未だに槍で縫い止められた竜女(ウィーネ)を助けることも忘れ、目の前の惨状に身体を震わせる。

 

「……ほう。私の『魔法』をあえて近距離で受けることで、衝撃(おと)が後方へ流れないようにしたか。使役する『魔法』の規模がどれほど広大であろうと発動箇所が手であれば、そして発動直後ならば、酒樽同然な貴様の矮躯でも全てを受け止められるな」

 

 『ダイダロス通り』は再び静寂に包まれていた。

 

 何棟もの建物が壊れてしまった訳ではない。大勢が殺されてしまった訳でもない。全ての人間が()()を目にしてしまい、見たものを脳が理解するのを拒んだからだ。

 

「末端とも呼べん搾りカスとはいえ、直撃を受けて原型を留め、尚且つ息がある。――褒めてやろう、ドワーフ」

 

 ソレは赤黒い塊だった。ソレは血にまみれた肉の残骸だった。ソレは、【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロックと呼ばれるドワーフだった。

 

 彼の纏っていた装備は例外なく木っ端微塵に砕け散り、強靭なはずの肉体は、骨と肉の境目すら曖昧な血袋へと変貌していた。内臓はいくつがまともな形をしているのかわかったものではなく、むしろ脳を破壊されなかったこと自体が奇跡に近い。

 

「ッ!!」

「待てティオナ!」

 

 リヴェリアの制止の声に耳を貸さず、いつも浮かべている笑顔を消し去ったティオナが屋根を砕いて飛び出した。かつて『人造迷宮(クノッソス)』で傷つけられた(アイズ)を見た時と同様、瞳に瞋恚(しんい)の炎を灯して。

 

「あの馬鹿っ!」

「先走ってんじゃねえぞッ、馬鹿ゾネス!」

 

 【ファミリア】で一番の馬鹿で一番の仲間想いである少女の特攻に、その姉と犬猿の仲である狼人(ウェアウルフ)の青年は舌を弾きながら突貫する。ティオナよりは冷静であったが、二人も剣呑な眼差しになる程度には怒りを覚えていた。

 

 通りの中央に君臨するアルフィアに、ティオナは接近しつつ回転させていた超大型武器、《大双刃(ウルガ)》による横薙ぎの一撃を繰り出した。防御は一切考えず、また手心を加えることもせず、ありったけの力を込めて振り切る。

 

(普通の攻撃は当たらねえ。狙うのは――)

(――回避直後の隙!)

 

 『深層』で何度も見てきた狂戦士(バーサーカー)の一撃。『迷宮の孤王(モンスターレックス)』だろうがモンスターの大群だろうが等しく葬り去る斬撃が当たるとはベートもティオネも考えていなかった。回避にしろ、イカれた『魔法』での迎撃にしろ、それで生まれる隙を叩く。

 

 三人の内二人が犠牲になっても一人は当てる――Lv.6による三人がかりの捨て身とも呼べる作戦は、

 

「この武器と呼ぶのも烏滸がましい金属の塊は何だ? 重量と規模(サイズ)で技量の不足を誤魔化すとは……呆れを通り越して嘆かわしい。オラリオの冒険者の質はどこまで落ちた」

「――」

 

 ティオナの手から武器が()()()()()、攻撃そのものをなかったことにされて崩壊した。

 

(……オイ待てふざけんな)

あの馬鹿(ティオナ)の攻撃に、どれだけの『(パワー)』と『敏捷(スピード)』があると思って――)

 

 隔絶した力の開きがなければ不可能な行動に硬直するベート達。

 

 直後、本来の持ち主を超える速さで振るわれた大双刃の腹がティオナの身体を絡めとり、骨を砕きながら民家に叩きこむ。吐き出される鮮血。刈り取られる意識。

 

「【炸響(ルギオ)】」

 

 零される一声――爆散鍵(スペル・キー)。不可視の爆発。瀕死のガレス、その傍を駆け抜けようとしていたティオネとベートが顔中の穴から血を噴き出しながら吹き飛んだ。

 

 ガレス、ティオナ、ティオネ、ベート。彼等が戦闘不能になるのに要した時間は十秒に満たない。四名の第一級冒険者を文字通り()()したアルフィアは、手に入れた戦利品(ウルガ)を興味なさげに投げ捨てる。

 

「……嘘……」

「【ロキ・ファミリア】が……一撃で……?」

「俺達を、庇ったせいで……」

 

 ずぅぅぅん、と大重量の武器が地面に放り出されて響いた大きな音を発端に、次々と零れる声。民衆は徐々に現実を受け入れ始める。

 

 一個人の人生など簡単に捻じ曲げる民衆の悪意はとうに消えていた。目の前の存在の逆鱗に僅かでも触れてしまえば、命をアリでも潰すように刈り取られると……思い知らされた。

 

「『化物』だ……」

 

 ぽつりと呟かれた言葉。オラリオに身を置いていれば必ず聞く単語。モンスターを示すだけだったもの。

 

「あれが、本当の『化物』だっ……!」

 

 迷宮街にゆっくりと響き渡る恐怖と絶望だけを含んだ叫び。

 

 次の瞬間。

 

 混乱ではなく――『大恐慌』が起こった。

 

『うわぁあああああああああああ!?』

『きゃああああああああああああ!?』

 

 何が起こったのか第一級冒険者以外まともに把握もできない瞬殺劇。正体不明の圧倒的な力による蹂躙は際限なく恐怖を引きずり出し、解き放たれる悲鳴は生まれた負の感情を加速させ、際限ない恐怖はありえない妄想を現実だと思い込ませる。

 

 振り切られる理性。『生きたい』という本能が倫理や道徳を押し潰し、目的を果たすために動き出す。 

 

 正気を失った人間によるなりふり構わない逃走。その光景は、()()の一言に尽きた。

 

 エルフの男が前を走っていた小人族(パルゥム)を蹴り飛ばし、踏み潰す。化物(アルフィア)が現れる前に避難指示を出していたはずの獣人の冒険者が、武器を振り回して自らの退路を作る。左手薬指に銀の指輪を嵌めたヒューマンの女が、同じ指輪を嵌めた男と盛大な罵り合いを始める。

 

 誰かの悲鳴。誰かの泣き声。誰かの怒声。母親がはぐれた子供の名を呼ぶ一つの声は、十の罵倒に飲み込まれて消える。母親の手を放してしまった子供は人の波に押し潰される。

 

 やがて『ダイダロス通り』からは【ロキ・ファミリア】、【ヘスティア・ファミリア】、塔の上から見下ろすヘルメスとイケロス、そしてアルフィア以外の人影が見えなくなった。

 

 ベルは一気に見晴らしがよくなってしまった大通りに目をやる。

 

 そこには決して少なくない数の死体があった。壁に寄りかかっている頭が陥没したアマゾネス。肩口からバッサリと斬られて倒れているドワーフ。顔も判別できない程踏みつけられた跡がある小さな肉塊は、子供か小人族(パルゥム)か。血が見えない道はない。

 

「うっぐぇ……!?」

 

 胃液がこみ上げてきて、ベルは咄嗟に口を手で押さえる。

 

「これだから雑音どもの相手は面倒だ。群れるだけで強くなったと誤認し、根拠もなく己は害されないと思い込む習性。殺気を出せば従順になる分、家畜の方が余程賢しい」

 

 目の前の惨状を生み出す一端を担っておきながら、アルフィアの態度に変化は見られなかった。彼女にとってこれは惨劇ではなく、適当に虫を追い払おうとしたら勝手に自滅した……その程度の認識でしかないのだと、ベルは悟った。

 

『――アアアアァァッ!?』

 

 その時、何度も身を揺すっていた竜女(ヴィーヴル)が遂に槍を引き抜き、拘束を脱出する。

 

(ウィーネ!)

 

 鮮血をまき散らしながら大蛇のごとき長躯をくねらせる竜を前に、ベルの身体は動かなかった。原因はモンスターに対する潜在的な嫌悪感と忌避感が躊躇わせるのではなく、ただ「五月蠅い」という理由で人を肉塊に変えようとしたアルフィア。

 

 そんな暴君が叫喚を上げる竜を、そしてそれを助けようとする少年をどう思うか。

 

 ベルが迷ったのはせいぜい瞬きの間だろう。だがその時間は長すぎた。

 

「チッ……今の騒動の隙に回収すればいいものを、何もできない無能共め。――邪魔だ、ガキ」

「――ギッッッ!?」

 

 肩を()()()()()。そう感じた時にベルがいたのは、通りの脇にいたヘスティア達の()()。遅れてやって来る轟音。煉瓦(レンガ)の壁に叩きつけられた衝撃はベルに吐血を強要し、左手の中にあった紅石の消失を気付かせない。

 

 顔を上げたベルの揺れる瞳に映るのは、尾を掴んで枝のように細い腕からは信じられない力で竜女(ヴィーヴル)を引き寄せるアルフィア。引きずられて絶叫を上げる少女の姿に、ベルは最悪の事態を想起して喉を干上がらせ――少女の暗く窪んだ額に紅石が嵌め込まれた光景に目を見張る。【ヘスティア・ファミリア】も【ロキ・ファミリア】も。

 

 第三の眼を取り戻した竜女(ヴィーヴィル)の変化は劇的だった。七M(メドル)を超える体躯の大半を占めていた胴体と大翼が目に見えて縮小し、翼はどういう原理か背中に納まり、胴体は二つに分かれて瑞々しい二本の足になる。

 

 硬質化してささくれ立った顔はそのままだが、白眼と化し血走っていた瞳には琥珀色の光が宿る。身体の随所を覆っていた鱗は小さくなった身体に必要な量を残すかのように剥がれ落ちた。

 

「――わたし、は」

「よくも私の手を煩わせてくれたな、小娘」

「!」

 

 アルフィアの腕に抱かれていたウィーネがハッキリと意識を取り戻す。同時に知らない人間(ヒト)から逃げなきゃ! と竜種の潜在能力でアルフィアの腕を振りほどこうとして――全身から力が抜けた。

 

(あ……れ?)

 

 本能が彼我の実力差を悟って命を諦めた訳ではなく……竜としての身体が誰かに操られた、異形の名残が残る少女はそう思えた。

 

 警戒心どころか抵抗の意思すら消え去った少女を見て、アルフィアはぽつりと呟く。

 

「この『魔法』でも発動していたか……どこまでも邪魔をする『スキル』め」

「……! それはどういう――」

 

 アルフィアの言葉に、どさくさに紛れて回収したガレス達の治療を命じていたフィンが『違和感』を感じた、その時。

 

 ダンッ! ダンッ! ダンッ! ドンッ!! と。四つの人影が【ロキ・ファミリア】がいる屋根とは別の屋根に降り立った。

 

「おいチビ。なんだ、この茶番は」

 

 一番にやって来た猫人(キャットピープル)が、苛立ちを隠さずフィンを睨みつける。

 

「尻軽ド淫乱の傀儡ども。今頃になって来るとは……女神(ババア)の乳でも貪っていたか?」

「御託はいい。この問答すら面倒だ。さっさと化けの皮を剥げ」

「違うな宿敵。こいつは女神を侮辱した。神秘のヴェール諸共我が魔炎で浄化し、(こうべ)を地に沈めてやろう」

 

 白と黒の妖精(エルフ)は――片方は『魔法』で人格が変化している――アルフィアの侮辱に間髪入れず反論する。そして片方は怒っているのは分かるのだが、こじらせた表現で何を言いたいのかさっぱりだった。

 

 【フレイヤ・ファミリア】。

 

 【ロキ・ファミリア】と並ぶ都市の双頭である派閥。しかし、全幹部の【ランクアップ】を経て大多数に都市最強……いや、世界最強の派閥と称えられるようになった【ファミリア】。

 

 最後に口を開くのはLv.7の三人と異なり、都市唯一のLv.8。

 

 【猛者(おうじゃ)】オッタル。

 

「……お前にどんな目的があるのか知らん。何故その女(アルフィア)の姿をしているのかもわからん」

 

 『都市最強』『世界最強』と呼ばれる猪人(ポアズ)の武人は――『真の最強』に怒りを込めた視線を送る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だが、奴等の誇りを貶めるような真似はするな――レイン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――【響く十二時のお告げ】」

 

 アルフィアが唱えた聞き覚えのある『魔法』の解呪式に、【ヘスティア・ファミリア】の面々……特にリリは顎が外れそうなくらい口を開けて驚愕を露わにした。

 

「別にアルフィアが嫌いとか、あいつの誇りをズタボロにしたいとかでこの姿になった訳じゃない」

 

 灰色の光膜の中から聞こえてきたのは聞き覚えがある男の声。驚かなかったのは初めから正体を察していた【フレイヤ・ファミリア】のみ。

 

「むしろ逆だ。尊敬してる。アルフィアは必要ならいくらでも命を摘み取るけど、不要な殺しはしない。リリルカの『魔法』は対象の身体能力も複写(コピー)可能なんでね、『手加減』と『掌握』がしやすい【ステイタス】のアルフィアになったんだ。『魔力』の能力値(アビリティ)だけ俺の能力(ステイタス)依存だったのは予想してなかったが」

 

 光の膜が消える。現れた人物は全てが黒い男。手袋や靴、上下の衣服、髪や目の全てが漆黒。腰にはなかったはずの二振りの長剣が佩かれている。

 

「あとはそうだな……最恐の眷属(かつての威光)でビビらせて、邪魔者を限りなく排除したかった。俺も無益な殺生は趣味じゃない。万が一の場合、犠牲者は少ない方がいいだろう?」

 

 その声は知っているはずなのに、まるで別人ようだと感じてしまうほど冷え切っていた。

 

「安心しろよ、もう変身は使わない。これから始める『下界崩壊』、正体を隠してやるなんて……恰好悪いからな」

 

 その顔に浮かんでいるはずの笑みはない。凍り付いた湖を想起させる、醒めた無表情。

 

 時が止まる。誰もが声を失う。

 

 漆黒の戦士――レインがそこに立っていた。




 アルフィアって意外と口数多いよね?

 どこかの話でレインは『魔法』を使うときに【竜之覇者】を発動させている、と書いていましたが、厳密には少し違います。『魔法』を使うと勝手に発動してしまう、というのが正しいです。

 蘇生魔法を使うとき以外、レインは【シレンティウム・エデン】を使っていたものと思ってくださいお願いします!

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