雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか 作:柔らかいもち
この年頃の子供が使える言葉ってなんだろ?
→ならニワ……なんちゃらの杖が出てくる魔法小説を読もう!
→久々に読むと面白いな……あっ、進んでない。
→進まねぇ……寝よ。
→めっちゃ進む! 眠くなった。寝よ。
15000字を超えました。言い訳と補足説明があとがきに。
どうぞ。
「私はこの世界に生まれ落ちた瞬間から呪いを宿してた。好きになった人を、物を
先程までと立場が逆転したかのように、男に顔を見られないために伏せた少女は語る。
「お母さんとお父さんは『精霊の血が混じっていて、そのおかげで未来が見えるだけ』って教えてくれたけど。……知ってたの、そんな英雄譚みたいに綺麗な『奇跡』じゃないって。私が呑気に寝ている間、沢山の人に『私を殺せ』って怒鳴られながら暴力を振るわれていたのに、私には変わらず笑いかけて不安がらせないようにしててくれたの。私はずっと甘えてた……わざと優しい嘘に騙された」
【終焉を齎す者】の忌み名を与えられた少女の小さい肩が震える。
「お母さんとお父さん以外にもっ……! こんな私に優しくしてくれる人達がいたの。不器用で、見栄っ張りで、誰よりも強くて優しい『冒険者』が。私は皆を好きになって、皆に甘え続けて――皆を死なせた」
声に嗚咽が交ざり始めた。地面に受け止められる
「皆、世界の彼方にいるとっても強くて、怖い『竜』に殺された……。私は見たの、『竜』が皆を引き裂いて、焼いて、食い殺すところを……。私さえいなければっ、皆は生きていたかもしれないのに!」
隣にいる男に己の罪を語り終えた少女は泣いて願う。
「私は生まれちゃいけなかった! 生まれた瞬間に死ななくちゃならない存在だった! そう頭でわかっていたのに……皆を殺した罪から逃げてきた。ここに来るまで本当に忘れてた。だけど、今なら逝ける。やっと皆に謝れる。どんな理由と思惑があったとしても、誰かの為に命を懸けられる貴方になら――」
そう言葉を切って、少女は涙ながらに男に叫ぶ。
「お願い――私を殺して!!!」
♦♦♦
クリュスタロスは無知を許さない。他ならないクリュスタロス自身が無知な人類に舌先三寸で丸め込まれて力を貸した大精霊によって封印されたからだ。献身的に人類を救済し続けてきたクリュスタロスは、守ってきた
しかし何の因果か、二柱の大精霊は一人の少年の『魔法』として顕現し……救われた。
『お前等は伝え残されてきたような「魔獣」じゃない。ほいほい嘘に流される馬鹿なんぞ死んで当然だ。……よく頑張ったな。これから先は自分の為だけに生きろ』
初めて『魔法』を使って呼び出した少年の言葉は色褪せずに残っている。精霊使役魔法にある『
ずっと欲しかった言葉は少年に忠誠を捧げるのに満足できる報酬であり、真実を独力で解き明かした事実は少年の為に生きようと思うのに十分な切っ掛けとなり、強力な大精霊を束縛も媚びることもせぬまま『友』として接してくれるその在り方は何よりも愛おしい。
だからこそ。
レインの『過酷』を知らず、レインに与えられるはずの『平和』を我が物顔で享受し、レインを『邪悪』と定めた痴れ者を許せない。
『嘘だ、とでも言いたげに気持ち悪い面をするな……楽に殺してしまいそうになるだろうが。心配せずとも、貴様等の腐った脳みそでもわかるよう教えてやる』
おぞましく恐ろしい
クリュスタロスから発生しているのは空気を震わせ、石レンガに罅を生じさせる
天からの視点を持たない下界の住人は気付けない。冷気は『ダイダロス通り』だけでなく、都市全域に及んでいることに。特に発生源である『ダイダロス通り』の冷気は一段と低く、冒険者達は足を氷で地に縫い付けられていた。それどころか血と汗に塗れた髪や包帯すらも凍り始めている。
例外なのは白い炎に包まれているレインだけだ。
『ほら……誰も動けんだろう? 氷と冷気を操ることしかできない私だけでも、この「英雄の地」を滅ぼすのは容易いんだ。私と同格であるフェニックスも同じ。そんな私達が
ピッと白い指が立てられる。まともに話を聞けているのはフェルズだけだろう。呼吸を必要としない永遠の愚者を除けば、誰もが『息を吸う』という生きていく上で当たり前の動作に全神経を注がねばならないのだから。しくじれば肺が凍ってお陀仏だ。
『その二。レインは【
指が増えて二本になる。クリュスタロスは内容を理解してもらおうなどとは露程も思っていない。自身の言葉が聞こえていれば――見えていなかった真実を突き付けられていると感じさせれば――それでいいと、都市から容赦なく熱を奪い去っていく。魔石製品や『魔法』で火を起こそうと試みた者は絶望するだろう。瞬いた炎はあっさりとかき消され、一瞬の熱すら得られないのだから。あまりの寒さに泣いてしまえば、凍る涙が内部を圧迫して苦しめる。
『そして三つ目。レインは
三本目の指を立てる。前線に立つガレスは抉られた頬から侵入した冷気が徐々に体内を蝕んでいくのがわかった。未だに発動しているのが不思議な
『「竜」は欲を抑えない。己を動かす衝動のままに生きる生物。腹が減った時に暴食の限りを尽くし、睡魔に襲われた時に惰眠を貪り、気に食わないことがあれば必要以上の破壊を振りまく。……どれ一つ取っても、何度も心が折れて、挫けた貴様等の脆弱な精神では耐えられん己の本能と心と魂からの誘惑』
もしも――もし【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】が『黒竜』を討ち取ったとしよう。そんな『もしも』があれば、世界は三日と経たず滅んでいた。レイン本人も知らないことだが、複数人での『黒竜』討伐に成功すると、【
するとどうなるか? あちらはこちらより仲間が死んでいない! 連中はトドメだけ持って行った! この力は人が持つには大きすぎる! ……とにかく何でもいい。怒りでも、嫉妬でも、恐怖でも、感情を刺激される出来事があれば【
【
本来『黒竜』討伐は栄光で舗装された地獄への道である。その道を歩む者をたった一人に絞り込んだレインは、本人がどれだけ否定しようが間違いなく世界を救った『英雄』だ。
地獄へ行くのは一人。『黒竜』を倒す代償に大精霊の『奇跡』を限界を超えて使ってしまい、更に竜からの『呪い』を抑えるために
それがクリュスタロスには許せない。
こいつらの同情なんているものか。こいつらから謝罪なんぞほしくもない。そんな逃げ道なんか絶対に与えてやらない。
『今も昔もこれからも、レインは貴様等を守り、守ろうとしていた訳だ。そして貴様等は恩をン万倍の仇で返すかの如くレインを誤解し、舐め腐っていた訳だ。「賢者」と崇められた
世界の中心であるオラリオ。間もなく氷に覆いつくされる迷宮都市に響くのは一人分の冷えた声。
『完全に凍るまでざっと十秒。今貴様等がどんなことを思っているのかに興味なぞ欠片もない。だが困惑、恐怖、後悔、未練、罪悪感といった感情を吐き出して楽になりたいことは手に取るようにわかるぞ。――それをすることは許さん。永久に氷の中で死んだように生き続けろ』
半端な温情はなく、中途な慈悲もなく、ただただ無慈悲にクリュスタロスは告げた。
『氷の中で意識だけ鮮明なまま生き続ける』。動くことも、寝ることも、喋ることもできないまま無意味に寿命を消費する。誰一人として決して死ぬことはない。けれど、生きていると言える者も誰一人としていなくなる。
これがクリュスタロスの与える罰。クリュスタロスの氷を溶かすことが可能なのはフェニックスの炎のみ。同じ精霊の力である『クロッゾの魔剣』だろうと力不足だ。よしんば届いたとしても、氷から生きて解放されるよう調節することはできない。
氷も中の生物が死なないように調節されているのだ。微かな温度変化で閉じ込める『檻』から殺す『棺』へと変化する。生かすも殺すもフェニックスの裁量次第。そしてフェニックスはクリュスタロス側だ。
『……あと五秒』
四。
三。
二。
一。
ビチャリッ、と
♦♦♦
私を殺して――そこまでがレインの限界だった。
腰に佩いていた剣を鞘ごと引き抜き――森の奥へ放り投げる。そしてフィーネに手を伸ばし、力いっぱいフィーネを抱きしめる。
驚いたのか嫌がったのか、フィーネは抵抗するが……絶対に離させない。
「どうして……? 私は呪われているのっ! 同じ空気を吸うのも嫌がる人だって沢山いたのよ!? なのに、なんで――」
フィーネは……困惑と怒りを込めて怒鳴った。
「なんで、貴方が泣くのよ!?」
レインは泣いていた。瞳から流れる滴で肌を濡らし、嗚咽の代わりに抱きしめる力を強くする。
「同情のつもり!? そんなのいらない! 私に触らないでっ、哀れむくらいなら死なせてよ! もう嫌なの! 何か不都合があれば全部ぜんぶ私のせいにされる! 『呪い』の条件だって知っているくせにっ、何もかも私が悪いって決めつける! 私と私の『呪い』を不幸のはけ口にする人は皆嫌い!! こんな世界大嫌い!!!」
紛れもない本音が心の底から溢れ出てきて止まらない。静かで綺麗だった彼女の瞳が、激しい感情で荒れ狂っていた。
フィーネはずっと追い詰められていた。身に覚えがない罵詈雑言を浴びせられ、意味不明の正義を免罪符に殺されかける。敵に比べて味方は途轍もなく少なく、彼等の負担にならないために弱音を吐くこともできない。ぶつける先がない怒りと悔しさは蓄積し続け、そこに大切な人を死なせたかもしれない罪悪感がのしかかる。
好きな人だけ周りから消えていく。嫌いな奴ほど生き残る。最後には孤立して孤独になる。幸せがなかったとは言わない。しかし、それを帳消しにして余りある不幸に見舞われた。幼い少女が心を守るには、記憶を隠すしかなかったのだ。
フィーネは思いつく限りの言葉を叫んだ。手足を乱暴に振り回し、何度もレインを痛めつけた。
レインは抱きしめる腕を緩めなかった。彼女が記憶を取り戻したことで爆発した不満を全て受け止めた。目を殴られても呻き声を漏らさず、急所を蹴られても身じろぎ一つしない。
「私が何をしたの……ッ? どうして私だけ……お父さん、お母さん、皆……会いたいよぉ……」
どれだけの時間が経ったのか。フィーネの慟哭は鳴り止み、レインの肩に顔をうずめていた。
「死にたい……。私も私が嫌いな人達と一緒……自分の欲を優先してる。近い内にあの黒い『竜』が世界を壊す……私のせいで……」
「――君のせいじゃない」
フィーネが話し始めてから黙りこくっていたレインが、初めて口を開く。
「……なんでそう断言できるの!? 終焉を齎す『竜』を殺せる人はもういない! 他ならない私がこ――」
「だって僕、その『黒竜』に勝ったし。一人で」
「………………………………………………ふぇ?」
――間抜けな顔でもこの子だと凄く可愛く見えるな。辛い記憶とかシリアスな空気を忘れてしまったような表情を浮かべるフィーネに、レインは益体もないことを考えながら彼女の背に回していた腕を戻し、片膝を地面に付けて視線を合わせる。
「言っただろう? 僕は世界最強だって。『黒竜』を倒したから最強なんだよ。だから呪われたんだけれども」
「えっ……えっ? 嘘でしょう?」
「ここまで信じてもらえないとか傷つく」
レインは思わず苦笑した。
「僕の好きな人は何でもできると言ってくれた……歌と絵は論外って断言されたけど。とにかく、僕は大概のことができる。――それこそ、君の『呪い』とやらを封印したりね」
フィーネが目を見開いた。クリュスタロスの『凍結』は『封印』と似通った性質をしている。肉体に使えば仮死状態に。恐らくレインにしかできないが、魂に使えば【ステイタス】を封じられる。後者は使用状況が限られるせいで確証はないが、ほぼ確実に実現できる。
「君の本心を教えてほしい。君は死にたい? それとも生きたい?」
「どうして……私に優しくしてくれるの?」
いつしか彼女から感情は削ぎ落され、レインの瞳だけをまっすぐに覗き込んでいた。
彼女はこんな都合のいい話がある訳ないと諦めかけている。同時に、彼女はレインの返事を恐れている。その都合のいい話があってほしいと。
レインは目を逸らさない。フィーネの手を両手で包み込み、きっぱりと告げる。
「世界の全てが君の敵になったとしても、僕は最後まで君の味方でいる……そう決めてるんだ」
「なんて意地悪な夢なのかしら……。こんな優しさを知ってしまったら……戻れなくなるじゃないっ」
「夢はそういうものだよ。遠慮なく願いを言っても大丈夫。現実だったら儲けもんだと考えればいい」
レインを知る者が見れば信じられないほど優しい声音。彼はフィーネが答えるまで手を握り続けた。
「……………………………………生きたい」
「それだけ?」
「私の傍にいてくれるおばあちゃんと一緒にいたい。……こんな私に好きだって伝えてくれた人に、私も貴方が好きだと伝えたい!」
「……それだけ?」
「嫌いな世界に、負けたくない!!」
「……君の本当の願いは?」
涙を流す少女は叫ぶ。今度こそ、本当の願い――助けを求める声を。
「だから、お願い――私を助けて!!!」
「――ずっとそれを聞きたかった」
言うが早いか、レインはフィーネの胸に手を伸ばし、
「【
――本来、大精霊の『奇跡』は大精霊を呼び出さねば使えない。しかし、今はできるという謎の確信があった。
エクシードでフィーネの魂を探る。隅々まで念入りに確認し、その『呪い』らしきものの活動が停止しているのがわかった。
「これでもう大丈夫。周囲で不幸な出来事があったとしても、それは絶対に君のせいじゃない。余程そいつの運が悪かったか、俺の封印が不完全だったかだ――っと?」
万が一のために全ての責任を自分に向けようとしていたら、フィーネが力なく倒れ込んできた。受け止めて彼女の顔を見てみると、ひどく眠そうにしている。
(そうか……もう時間が来たのか)
これはただの夢じゃない。間違いなくエクシードによってこの場が用意され、今のレインと六年前のフィーネが招待された。フィーネと恋人になって約一年、ずっと無事でいられた絡繰りが解けた。あの冒険者崩れも
そっと息を吐く。特別だろうと夢は夢。間もなくレインの意識は浮上する。その前にやっておかねばならない措置がある。
「……君が幸せになれるおまじないをしよう」
フィーネの頭を柔らかく撫でながらエクシードを発動させる。彼女はここであった出来事を覚えていない方がいい。躊躇なく記憶を消す。……エクシードもただの発展アビリティで済ませるには汎用性が高すぎるし、まだまだ隠された能力があると考えた方がいいだろう。
頭の片隅で己の能力の検証をぼんやりと決めていると、ここでやるべきことは全て終わったとばかりに、意識は急速に浮上していった。
「――レイン……ありがとう」
その言葉が自分の心が作った幻聴なのかわからない。しかし、もうレインは迷わない。
♦♦♦
勢いよく振り返ったクリュスタロスは目に映る光景が信じられなかった。
彼が倒れたのは意図的なエクシードの暴走。
少なくても丸一日は失神している。意識が戻ったとしても喋るだけで精一杯。立つどころか
そのはずだった。それを前提にしていたからこそ、クリュスタロスは猛威を振るった。彼が復活しても取り返しがつかない状態にするべく邁進していた。
『どうして……』
なのに、彼は――レインは立っていた。夥しい量の命の雫を滴らせ、失血と激痛で力が入らないはずの身体でありながら、魔剣を地に突き刺して立っていた。
ありえない。クリュスタロスはそう否定したくても、『レインだから』という理由で腑に落ちてしまう自分がいた。彼が『
「【
レインに操られるフェニックスの炎が白い波紋となって広がっていく。光粒を散らす焔の衣は抱きしめるように、包み込むように氷に触れては溶かしてゆく。
やがて……氷は溶けて消えた。己の力で生み出した特殊な氷だったからこそ、鮮明に知覚してしまった。
『どうして……ッ! どうして邪魔するんだよ!?』
溶けない氷の化身は悲鳴じみた大喝を上げた。
クリュスタロスはレインが大事だ、大好きだ。
レインは報われるべきで、幸せになるべき人間だ。『黒竜』だけじゃない。隠れ潜み、長い年月をかけて力を蓄えたモンスター、神を取り込んで『
レインは地獄へ続く道を歩んでいる。舗装しているのは全て『困難』と『苦痛』。行く手を阻む逆風も吹いている。進むだけで彼を傷つけ苦しめる。
レインが守る世界は糞だ。蔓延る醜悪と澱みを彼一人に排除させるくせに、『
だからクリュスタロスは選んだ。世界と引き換えにレインを生かす選択をした。
【
レインが【
結果として殺されてもいい、憎まれてもいい。彼が生きていてくれるなら、それで良かったのに――
「――ありがとう、二人とも。俺のために怒ってくれて。もう、大丈夫だから」
彼の隠していた寿命をバラして、彼の計画を台無しにしようとして、彼の恋人を殺そうとしたのに。彼が気付かないはずがないのに。彼はこんな『魔獣』に笑ってくれる。
『……絶対に負けるなよ』
「もちろんだ、クリス」
破損させてしまった結界の代わりに氷でフィーネを包み、二柱の大精霊は姿を消した。
(絶対に血が半分以上なくなってる……左目が見えない……ああ鱗のせいか……剣が重てぇ……手足を千切れば少しは軽く……腹減った……眠い……)
レインは瀕死である。正直、目を開いているのも億劫だ。感情を乱して破壊の化身となりかけたため、咄嗟にエクシードを暴走させたが、【
フーッ、フーッ、と死にかけた獣のような息が漏れる。背筋は老人並みに曲がっていた。引きずる剣と血糊で歪なレッドカーペットが出来上がる。格好付けずにフェニックスに傷を焼いてもらうなり、クリスに凍結してもらうなりすればよかった、とちょっぴり後悔もする。
どれほどの時間を浪費したのかは知らない。それでも、ちゃんと歩けていたようだ。
翡翠色と美しい魔杖。焦げ茶色と無骨な大戦斧。黄金色と銀色の槍。竜角が爆ぜて割れた額から流れる血が入って赤くなった上に、半分欠けている視界でも、それらはよく見えた。
「よぉ……勇者サマ。お前等……っぐ、正義の味方名物、『都合よく敵が弱る』が起きたぞ。喜べよ……っ」
自慢の一つである白い歯を見せるように笑ったが、血を吐いた直後に失敗を悟った。血を吐きすぎて歯が真っ赤になって、歯を見せつける意味がない。相手は歯ぎしりしているかもだが、目が霞んで表情までは見えない。
きっとそうだ。憤怒の表情ならわかるが、泣きそうな顔は見間違えに違いない。
「レイン……もう、やめにしないか?」
「はっ、何を言うかと思えば……俺に降伏しろと? つまり、俺に負けを認めろと抜かすのか?」
「違う。降伏するのは、僕達だ」
レインの瞳に驚愕が映る。七年前、二人のLv.7に蹂躙された時にも徹底抗戦の意志を緩めなかった【ロキ・ファミリア】の首領が死にかけのLv.9一人に降伏するなど、予想だにしなかった。
戦力は十分にある。まだ団員も半分程度は生きている。フェルズも【フレイヤ・ファミリア】幹部がいる穴に飛び降りていた。全癒魔法があればLv.8が一人、Lv.7が三人を万全の状態で復帰させるのも訳ないだろうに。
「今の言葉……俺が殺した人の前でも言えるか?」
「ッ」
「俺に、づっ……どんな崇高な使命があろうと、多くの犠牲を出したことは変わらない。迷宮都市を守護する派閥として、都市を滅ぼそうとする敵に容赦をするな――
有無を言わせぬよう剣を構える。湧き上がってくるのは底なしの殺意と
なるべく殺さないという
誰かが何かを叫んでいる――ほんの少し前まで聞こえていたのに、どうやら聴力も著しく落ちてしまったようだ。しかし、周囲で昂る戦意が教えてくれる。
弱者の抵抗を、正義の咆哮を、未来への意志を!
「泣いても笑っても……お前等と戦うのはこれが最後だ。悔いも未練も残さずに、全力でかかってこい――『英雄』になりたいのならば!」
宣言すると同時、レインは地面スレスレの前傾姿勢で疾走した。
♦♦♦
死に物狂い、無我夢中、全身全霊、一心不乱、ありったけ。これらの言葉が相応しい死闘は目の前の戦場で繰り広げられている、と選ばれなかった冒険者は理解した。
「弓兵、構え! ――撃てっ、撃ちまくれ! 団長達なら避けてくれる! なんならガレスさんは当たっても大丈夫だ!」
「『魔法』も片っ端からブチかませ! とにかく攻撃を途絶えさせるな!!」
「回復も入れろ!
駆け回るのは【ロキ・ファミリア】。彼等の顔に油断はなく、回す足も緩まない。何故なら――
「かっ?」
「オルバ!?」
一人の首が前触れもなく
「~~~~~ッ!! 絶対に足を止めちゃ駄目っす! 『並行詠唱』ができない人は大人しく抱えてもらうんだ! 死にたくないなら走るっす! 仲間を死なせたくないなら、仲間の死を無駄にしたくないならっ、全力で走れぇ!!!」
『っ、おおおおおおおおっ!!』
自身も弓を携え、
『アレ』に遮蔽物は意味をなさない。選ばれていない
「あっ」
涙で前が見えなくなってしまった
都市を揺るがす大剣と大戦斧の剛撃。間を縫うように繰り出される槍、剣、杖の柔撃。星の如く輝く膨大な火花。
それら全てを無駄なく打ち落とし、武器の柄で攻撃の軌道を変えて同士討ちを誘発させ、あまつさえ相手の武器の上を回避場所に変えてのけるは漆黒の死神。
死神の得物である青白い魔剣の光の軌跡が見えた――その思考を最期に、男の意識は深い闇に落ちていった。
「ボサッとすんなぁ!
「はいぃ!?」
違う。男はまだ生きていた。現実を見れば、
「クソッ……!」
「……ッタレがぁ!?」
戦場でヘディンとアレンの悪態が繋がる。思わずといった風に漏らした二人は、互いに貶すこともなく戦闘に意識を再集中させる。
――先刻から【ロキ・ファミリア】の命を淡々と奪うのはレインの『遠隔攻撃』。それも《ルナティック》の力ではなく、
今のレインに『魔法』を使う余裕はない。《ルナティック》の『遠隔攻撃』は詠唱が必要ないだけで仕組みは『魔法』とほぼ同じだ。使うことは不可能ではないが精々二、三発が限度であり、威力も落ちる。超速戦闘の最中では使うつもりは毛頭なかった。
しかし、死の淵に足を踏み入れたことでレインは殻を破った。知識にあるだけだった極東の武術、居合の極致、『横一文字』――真空の刃を発生させるに至った。
対峙する側からすれば悪夢以外の何でもない。いっそ悪夢であればどれだけ救われたか。『魔力』の兆候がない不可視の攻撃は有無が判別できず、剣の軌道に入らぬよう神経を擦り減らすハメになる。戦線維持のために離れられない回復要員達は、的を絞らないよう動き回り
それだけではない――。
「ぐおっ!?」
一撃目を受け止めた瞬間、流れるように首に迫った二撃目をギリギリで
『武器破壊』ならぬ『持ち手破壊』。武器をぶつける際に発生する衝撃を逃がさず、相手の身体に押し付ける技。連続でレインの攻撃は受けられない。必然と連携の難しい――おまけに敵対派閥同士――大人数での戦いを強制される。
現時点でのレインの【ステイタス】はLv.6の中堅程度。【ステイタス】という絶対の
意識の隙を突けば攻撃は通る。戦う相手の
瀕死になろうと、戦況は
ゴォン、ゴォォン――――と。
前触れなく。予告はなく。予兆もなく。
♦♦♦
人型の黒い竜。最初にその姿を見た時は、『恐ろしい』としか思えなかった。
人の身には過ぎる雷霆。抗うことを許さない絶殺の砲口を向けられた時は、心の天秤が死の安寧に傾いたのを理解した。
氷の大精霊が言った通り、ベルの心は折れて、挫けて、ボロボロだった。『竜』の一挙一動に子兎のように怯え、自分より強い冒険者が吹き飛ばされる度に何度も何度も絶望感を味わい、意識のない女神と憧憬の少女を抱える腕に力を入れた。
とっくに諦めたはずだった。
(そのはずなのに――)
視線の先で繰り広げられる『死闘』が、胸の奥にある熱い
ベルの視界に映る黒衣の戦士。
レインの動きが
先程までのレインは何もわからなかった。動いたのか動いてないのか、それすら知覚できなかった。
今の彼は弱っている。武器を振るえば鮮血が舞い散り、攻撃を逸らせど血を吐き出す。攻めても命が削れる。守っても命が減少する。いつ倒れても……それどころか死んでもおかしくない。素人のベルにすらわかることを、レインが気付かぬはずがない。
それでも彼は――笑っていた。焦りと恐怖など忘れてしまったように、ふてぶてしく。
勝利を微塵も疑わず、力尽くで掴もうと足掻く
(僕は、最低だ)
沢山の命を奪った。沢山の人を裏切った。沢山自分達を傷つけた。嫌悪すべきだ、憤慨するべきだ、罪を償わせるために殺すべきだ。
理性はそう叫んでいるのに……今、この時、ベルはレインに強く憧れた。真の竜の怪物を討った力に、笑えない剣術に、少女を人質にされただけでここまでする
ヘスティアとアイズに精一杯謝りながら腰を上げる。同時に背後から聞こえた四つの足音。
無事だったのか、と目だけで尋ねる。親友の鍛冶師は、俺の血が「逃げろ」と教えてくれた、と苦笑いをして答えた。
極東の女武士は、お二方を退避させます、と女神と女剣士を静かに持ち上げた。
ベルの身体を無数の光粒が包み込む。貴方様の足手纏いには死んでもなりません、と狐の巫女は最強の
神の刃を掴む――嘘のようにあっさり引き抜けた。待ちくたびれたとばかりに《ヘスティア・ナイフ》が紫紺の輝きを放つ。
「リリ、お願い」
手本は見た。彼は三つで自分は実質二つ。追いつきたいなら、超えたいならば、この程度はやってみせる。
初めての
そして
【
決着のために全ての力を漆黒のナイフに集め、荘厳な鐘の音を高めていく。
ゴォン、ゴォォン――――と。
(あの光……18階層で見せた一撃か!)
伸長していく業火と轟雷が融合した刃、乱舞する金と白の光。ナイフを手にして光を纏い、こちらを見据える白い少年。
(ベートの一撃と比べりゃ……こっちの方が遥かに上か)
《フロスヴィルト》は『魔法』を喰らうだけ。ベルの『一撃』は【
(
笑みが深くなる。なんせ、目の前に『黒竜』を殺す可能性を手にした存在がいるのだ。
邪魔をする無粋な真似はしない。当たらぬ場所への退避も論外だ。真正面から迎え撃つ!
無駄にでかい
ある意味ベルが行っている二種の『魔法』と斬撃強化の『
弓を射たり接近して殴ろうとする者もいたが、無駄に終わる。荒れ狂う『魔力』の奔流が嵐を巻き起こし、何人たりとも近寄らせない『風の結界』を形成したからだ。単純な出力も【エアリエル】を超えていた。
余剰の『魔力』だけでこれほど。《
「攻撃型の『魔法』を使えない者は退避! 使える者はここで全てをあの鐘の音に賭けろ! 後のことは考えるな!」
フィンの号令。反射で冒険者達は従う。『
数多の詠唱が重なり合う。凄まじい『魔力』が渦を巻く……それでもレイン一人に届かない。化物が! と魔導士達の杖を握る手に汗が滲む。
暗雲に覆われたオラリオの空に昇る『蒼』と『白』の光柱。唸り声を上げる魔の風と壮大な鐘の音。
ベルの
そして――大鐘楼がひと際高く鳴り響く。三分、
「行けぇっ、ドラゴンキラーッッッ!!!」
二〇
「【ヒルディス・ヴィーニ】!!」
「【レア・ラーヴァテイン】!!」
「【ティル・ナ・ノーグ】!!」
黄金の一撃が、獄炎の紅花が、勇者の一投が炸裂する。『英雄の一撃』を無駄にさせないために、冒険者達は炎、氷、雷と千差万別の『魔法』を撃ち続けた。
黄金の一撃は引き千切られ、紅蓮の花は無残に散り、勇者の槍は
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
己の身を最強の一撃に変えて、ベルは雄叫びとともに突貫した。
ぶつかり合う『
(僕の『力』が絶望的に足りない。押し負ける――!?)
刹那、『敗北』の二文字がベルの脳裏をよぎる。しかし――それを捻じ伏せるような力強い腕が、ベルの背中に押し付けられた。
驚いて顔を向ける。いたのは片角を欠けさせた漆黒の猛牛。片手でベルを支え、残った手で握る
――言葉はいらなかった。自然と意志は通じて、意地の咆哮は重なり合う。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
『英雄の一撃』が、『
喉笛を噛み切る牙を持つ兎が迫ってくる。回避はできる。それでも選ぶのは『迎撃』。
構えられる左手。装填するのは最速の『才禍の魔法』。哀れな兎を肉塊にする殺戮の福音。ベルが見るのは駆け巡る走馬灯だ。
「【
唱えられた超短文詠唱。死を悟っても足を止めなかったベル。――
振り上げられるナイフ。咄嗟に盾のように構える左手――唐突に剥がれ落ちる鱗。
(幸、運――)
ベルにあってレインにないもの……それは『運』。神よりも存在があやふやなもの。レインはないと決め付け、ベルは発展アビリティとして習得した。
鱗が剥がれた腕に突き刺さる『英雄の一撃』。ベルの手に確かな手応え。同時に腹部に衝撃を受けてナイフから手を離した。
そして――大爆発。
とある少女を守っていた氷は、衝撃と熱を受け止め切って砕けた。
爆発地点に、手首から上だけの竜の手が乾いた音とともに落下する。
意識がある者は『ダイダロス通り』からいなくなった。
♦♦♦
こつこつ、と足音が一寸先も見えない暗闇に響いている。
少しでも光源があれば影が一つ見えただろう。隻腕の人間を背負った人影が。
「まったく……私も軽い女だ。レフィーヤを殺さない契約と甘い言葉を囁かれただけで、こいつを守ろうと思ってしまうんだから。……いや、こいつの声にも原因が……」
暗闇に小さな二つの赤緋色が浮かび……すぐに消えた。
・フィーネ
報われない子。二歳ごろから酷い目にあってた。それでも自殺せず、性格も歪まなかったレインの次に精神が強い子。
13歳から『スキル』は発動していなかった。見ていた未来はエクシードで記憶を消されたことでエクシードに目覚めてしまったのが原因。レインが扉を見つけるまで『
あの時空は謎。何が先に起きたのか本当に謎。エクシードは原作でも解説されてない能力があるので……。
・レイン
報われない人。『黒竜』に勝ったら弱くなった。自分にクリュスタロスの『凍結』を使わなかったのは、使うと【ステイタス】が上がらないから。九割以上動きが落ちても無双。新しい技はバトル漫画に出てくる剣豪が必ずと言っていいほど使う技。絶対に使えるはず。
スキルを封じる道具を作れないかフェルズに聞いたことがあるので、フェルズはレインのステイタスを見ている。
・最後の人影
詳しいことは次回。
レインが事に及んだ真相も次回。ヒントはばら撒いているつもりです。
途中から何書いてるのかわからなくなった。口調も迷子。でもアステリオスがヒロインしてたのがわかる。アイズ? 気絶してたよ。ヒロインの座を奪われちゃった。