雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか   作:柔らかいもち

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 二万文字超えたよ。最初は三万字もあったんだよ。用があるから次の投稿は二月の中旬以降になります。

 大事な話なので読んでください。

 作者はこの物語を書く時、ダンまちのキャラクター関連の人物や神話を調べて、さらにはダンメモ、オラトリアなどのセリフや新キャラの特徴を深読みして構想を練りました。
 ここからは完全にオリジナルの展開です。伏線を回収して文字が増えまくり、それで先を予想されないために区切ることができなくなり、途中で語彙が尽きたりもしてしまいました。

 それをご理解した上で読んでください。補足はあとがきに。


七十一話 果たすべき約束

『レイン……お前に言い残すことがある』

 

『言い残すほど老い先短いなら酒を飲むな、白々しい』

 

『ノリが悪いぞ! ここは「な、なんだってー!」とか「親父……」ってしんみりしろよな!』

 

『アンタがフィーネを見殺しにしたと自供したのが四時間前。育ててもらった恩があること、俺を育てるために自分達の子供を作れなかったこと、最も悪いのが弱すぎた自分とわかっているから見逃しているが……本当に殺してやろうか?』

 

『おんやー? そんなこと言っていいのか? 最強(ゼウス)最恐(ヘラ)の「魔法」が欲しいんだろ? 教えないぞ――』

 

『――【福音(ゴスペル)】』

 

『うぼあぁぁ!?』

 

『次は当て……口が滑った』

 

『誤魔化せてねぇし言葉の使い方違ぇよ馬鹿野郎っ!! ある意味正しいかもしれんがな! どうすんだこれっ、内緒で買った酒なのに全然飲んでないんだぞ!? ついでに山も抉れたし!』

 

『……フェニックスはな、歌えるんだ』

 

『はぁ? 何だよ急に?』

 

『十分も聞けば精神崩壊。その半分の時間だけでも脱毛、幻覚・幻聴作用、不能や種無しにするといった悪影響がある』

 

『…………うそん』

 

『試してやろうか? 俺の昇華(ランクアップ)で精霊達も強化された。頑丈なだけが取り柄のアンタに逃げ出せると思うなよ……いっそのことやってしまおうか』

 

『すんません教えるんで許して下さい本当に遺言になってしまいますハゲと不能は死んでも嫌だ!』

 

『はぁ……時間を無駄にした。とっとと吐け。キリキリ吐け』

 

『――ふざけるのはここまでにして、と。本当に言わなきゃいけないことがある』

 

『何だ? 興味はないが言ってみろ』

 

『親に向かってなんて口を――手を構えるな話すから。……お前の本当の親の話だ』

 

『……!』

 

『近々「黒竜」を殺しに行くだろう? だから教えるんだ。いつか話すつもりだったし、それが今日になっただけさ。昔から勘が鋭かったお前のことだし、あの子の事情や俺達が本当の親子じゃないのも薄ら察してたんじゃないのか? だから三年も帰ってこなかった』

 

『……帰郷する理由がない』

 

『嘘下手か。「魔法」を聞きに来てるだろうがよ。バッチリぶっ放してきたけど。……気を遣わせたな』

 

『チッ……早く話せ』

 

『はいよ。お前の父親は……そうだな、一言で表すなら「クズ」に尽きる』

 

『一言でそれしかないのか。あんたよりも?』

 

『モチのロン。サポーターなのにすぐ逃げる。「よし皆、囮作戦だ! 皆は餌に、私は逃げる!」が口癖だわ、逃げた先で追い詰められて「誰かタスケテー!?」って泣き叫ぶわ、俺を「ばりあーっ!」とか言って盾にするわ。「私達は皆で一つ! 故に皆の功績はわたしのものに! 私の失敗は皆の責任に! どう転んでも私に損はない完璧な作戦だ、ふははははー!!」とかほざいたことだってあるくらいだ。肉体言語ですぐ大人しくなるが、反省はしない』

 

『はー……』

 

『ドン引くなよ、まだ序の口だぞ。ヘラの全団員の胸を無差別に揉みしだこうとした武勇伝もある。当然のように失敗して埋められたけどな』

 

『変態なだけのあんたがマシに思える……もう聞きたくない』

 

『残念、やめません。あいつは【ファミリア】の中でいっちゃん弱かったが、それでもLv.3だった。オラリオの外なら滅茶苦茶高い。……ちなみに、お前のLv.今いくつ?』

 

『Lv.8。潜在値(エクストラポイント)もあるから、実際の【ステイタス】はよく知らん』

 

『えー……あー……うん。凄く……気色悪い』

 

『喧嘩を売ってるなら買うぞ?』

 

『弱い者いじめは楽しいかぁ! 泣くぞコラァ!?』

 

『はいはい。干乾びるまで泣けよ』

 

『雑に扱ったな! 本当に泣いてやるからな!? ビェエエエエエエッッ――ブッ!?』

 

『五月蠅い。続きを話せ。蹴るぞ』

 

『り、理不尽過ぎる……ッ。あいつはLv.3になった途端「これで私も第二級冒険者! 華麗にどこかの美しい姫を助けたりして、キャッキャウフフしてくるー!」と言い残して都市を飛び出した』

 

『……馬鹿?』

 

主神(ゼウス)は大爆笑して送り出したらしい。「剣も女も、人生すらも、思い立った時こそ至宝」があの爺さんの教えだったし。ギルドも呆れて止めなかった』

 

『だろうな。俺なら「二度と戻ってくるな」と蹴って追い出す』

 

『そんな阿呆だから大して心配せずに、お使いに行く子供を送り出す感覚で見送ったらしいんだが……一年近く戻ってこないと連絡が来た。だから暇になり次第、探しに行こうと思っていたんだけど……赤ん坊のお前を連れて帰ってきた。寿退団している俺達の所にこっそりな』

 

『……………………へぇ。なんとなく先が読めた』

 

『ぶっちゃけ、最初は驚かなかった。あいつ、喋るモンスターを本拠地(ホーム)にこっそり連れ込んで世話してたくらいだしな。部屋の前に立ち塞がって「やめて、こっちに来ないで! 何もいないから! マジでいないからっ!!」の台詞(セリフ)には笑った。……あいつが必死に説得するもんだからよ。隠して世話を続けたまま、ヤバくなったら捕獲したことにしてギルドに押し付ける方針になったんだ。結局、「黒竜」討伐の一年前に渡した』

 

『……それで?』

 

『とんでもない前例があったからこそ、複雑な事情の赤ん坊を引き取るなりしたんだろう、って軽ーく考えてた訳なんだけどさ。……まさか本当にガキこさえるなんて想像できるかよ。あいつの当時の年齢、十四歳だったんだぞ?』

 

『成人していない男の子供が俺か』

 

『お前は感謝した方がいいぞ? 本当にモンスターに襲われていた儚げ美少女を助けたら王女様で、頬を赤らめて城に招待されたら付いていくだろ? 予想外なのは食事に睡眠薬と媚薬を盛られていて、目が覚めたら自分の上で王女様が全裸で腰振ってたことだ。「本物のヤンデレに生存本能が刺激されて、逆に息子が元気になった」の冗談は……流石に笑えなかった。昔言ったろ? ヤンデレの怖さを知らねぇって』

 

『……』

 

『逃げだすまでの間、ほぼ毎日犯されたらしい。一日中合体していた時だってあったそうだ。王女様の腹が膨らんできた頃には逃げる機会が何度もあったらしいが、お腹を撫でる笑顔がヤバすぎて自分だけ逃げられないと腹をくくったそうだ。生まれたばかりでは身体も脆いし、母親とすぐに引きはがすのも可哀想だから、十分な栄養と時間を与え終わるまで大人しく待って、逃亡は二ヶ月後になった』

 

『素直に感謝しろと言わない辺り、どうせ何かあるんだよな?』

 

『完全に母親似だったお前を俺達に押し付けておいて、俺と嫁と主神(ゼウス)以外に子供ができたことを伝えなかった挙句、「黒竜」討伐失敗直後にヘラの眷属……それもアルフィアの妹を孕ませやがった。何やらかしてんだアイツ、と殺してやりたくなった。妊娠させてすぐに事故で死んでいたが』

 

『……やっぱり聞くんじゃなかった。美しい思い出のままにしておいた方が皆幸せだったんじゃないのか? ほとんど醜聞しかないじゃないか』

 

『そんな訳で、お前には尊い血(笑)が流れている上に、異母弟(おとうと)がいる。多分唯一の肉親だ。お前をボロクソにしていた時のお前の脅しが半分現実になったぞ』

 

『そうだな、ヤンデレの英才教育をされた妹もいたけどあっちは完全に血が一緒だしな。腹違いでも種違いでもなかった』

 

『待って何それ詳しく』

 

『面倒なので断る……と言いたいが、要所だけ教えてやる。意気投合した少女の頼みで国を堕としたら婚姻を申し込まれた。その時にエクシードで少女を調べたら血が繋がってた。それを理由にやんわりと拒否したら、「禁断の愛でむしろ燃えます! それに王族だと近親婚や近親相姦は日常茶飯事なので構いません」と言い切られた。以上』

 

『待って? 何か思うことはないのか?』

 

『? ……二ヶ月もあればもう一人くらい妊娠するだろう』

 

『そこじゃねぇ!! 妹ってどゆこと!? 国を堕とすってなに!?』

 

『ああ、それか。妹は本当に(それだけ)だ。国堕としは腐敗した国の上層部の首を()ねて、法律や税を改善しただけだから、国民に迷惑はかけてない。俺は一ヶ月も拘束されて、王族の在り方とか訳わからんモン覚えるハメになったがな』

 

『怖っ! 義理の息子の才能が怖い! なんちゃって王家から本当の王族になってるじゃねぇか!? 名前が長くなってしまう!』

 

『あんたは権力にビビるタマじゃないだろう。玉座にはほとんど座ってないし、王位継承権は放棄した。どこぞの国の王家の血が流れていようが俺は俺だ。あと何で名前の心配をするんだ』

 

『ちなみにお前の名前は「レインボー」になる予定だったんだぜ? 母親曰く、雨が降った後には虹ができるとかなんとかで。あいつもあいつで「スコール」にしようと譲らず、擦り合わせで奇跡的に「レイン」に落ち着かなけりゃ、お前の名前は凄まじくカッコ悪かったぞ』

 

『そんな豆知識(トリビア)どうでもいい』

 

『そして種が弱い。お前は欠片も父親に似ている部位(パーツ)がない。お前の異母弟(おとうと)も、瞳しか父親のものがない』

 

『あっそ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――お前に殺されて当然の真似をした上に、自己満足で全てを背負わせた俺に何かを望む資格はねぇ。今から口にしようとしているのも、お前を腹の底から嘲笑っているのと同じだ。それでも……お前と異母弟(おとうと)だけは幸せになってくれ』

 

下衆(ゲス)、鬼畜、外道、ゴミクズ、早漏野郎、よくもぬけぬけと……! 俺が幸せになれるはずがないだろうが。第一、実父と異母弟(おとうと)は顔も名前も知らん。そんな奴に力を割こうと思うかよ』

 

『……すまん』

 

『……………………………………友達の形見みたいなものだからな。死にそうになっていれば助けるくらいはしてやる』

 

『! 本当に……俺達にはもったいない息子だよ。――でもツンデレ気持ち悪い』

 

『あんたの上と下にある四つの玉、二ついらんな』

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「『黒竜』に勝利した冒険者がこの騒動の元凶だと……!? 儂をからかっておるのかっ!」

 

 迷宮都市に多大な動乱と破壊が降り注いだ戦いから二日目。

 

 都市北西部に建てられたギルド本部。長い年月を経ても美しかった万神殿(パンテオン)は、今や北東部を吹き飛ばした竜の息吹(ドラゴンブレス)の余波で窓ガラスが軒並み砕け、ロビーの白大理石の床は所々に亀裂が生じている。記念碑(モニュメント)が設置されている広い前庭も瓦礫や木片が散乱していた。

 

 そのギルドに多くの人々が雪崩れ込んでいた。ロビーでは受付嬢のいる長台(カウンター)に複数人が口々に喚いており、内容が微塵も理解できない。前庭からは悲鳴と怒号が絶え間なく飛び交い、そこかしこで乱闘が起きている。

 

 七年前の【静寂(ばけもの)】の出現、人智を超えた大規模攻撃、一斉に起きた神の送還、例外なく命の灯火を消そうとした極寒の冷気によって、全員が恐慌に陥っていた。

 

 そんな中で、ギルド本部最上階にある己の執務室でギルド長、ロイマン・マルディールはエルフにあるまじき肥え太った身体を揺らしながら唾を飛ばした。心労と激しい緊張で贅肉の隙間から脂汗が滴り落ちる。

 

「冗談なら僕はここにいないし、隻眼になることもなかっただろうね」

 

 豪奢な椅子に座るロイマンと執務机を挟んで対峙するフィンは右目だけでロイマンを見上げる。包帯が巻かれた左目に光はない。

 

「【静寂】の目撃情報があったのだぞ!? 『才禍の怪物』の呼び名の所以となった『魔法』も確認された! 【静寂】の生死を確認した【アストレア・ファミリア】はもう消滅した……そうだ、生きていたのだ! あのヘラの眷属ならありうる!! ヘラの眷属でもなければ神殺しなどできん!!」

「……残念だが、本物の【静寂】は間違いなく死亡している。でなければ七年前、僕等が勝利を手にするなど不可能だった。アルフィアの姿と『魔法』は……真犯人があらゆる『魔法』を模倣できる『スキル』を所有していたからだ」

「嘘だ……嘘だ!? そんな恐ろしい話があってたまるものかぁ!!」

 

 力任せに短い腕で机を殴りつける。振動が書類の山を崩し、倒れたインク瓶から流れるインクが書類を黒く染めていく。【万能者(ペルセウス)】の『血潮の筆(ブラッド・フェザー)』ならこうはならなかったのに――フィンはあらゆる意味で絶望するロイマンを見てそう思った。

 

「犯人は【フレイヤ・ファミリア】所属のレイン。ギルドにはLv.6で登録されていたがそれは嘘で、本当の【ステイタス】はLv.9。この二日間でわかった死者の数は四万強……『死の七日間』を優に超える犠牲が出ている。重軽傷者を含めれば更に増える」

「な、なぁっ……!? かっ、神フレイヤはっ、何とおっしゃっている!? 主神ならば【ステイタス】を知っていただろう! 何故虚偽の情報を我々(ギルド)に与えた上に、『黒竜』討伐を報告しなかったのだ!?」

「入団する交換条件が本当の【ステイタス】を他言しないこと、『黒竜』に勝利したのを伏せておくことだったそうだ。もし漏らせば送還するとね」

 

 淡々と返答しつつ、懐から黒い箱を取り出す。

 

「そ、それは何だ?」

「レインから採れた――というより、手加減(ハンデ)として敵が自ら折った『黒竜』の角だ。悪いけど、君には早急にこれが現実だと認識してもらいたい」

 

 前置きして箱を空ける。鎮座しているのは傷一つなく、妖しい黒の光沢を纏う二〇C(セルチ)の角。

 

「椿に確認してもらった。彼女が全神経を注いで手を施してみても、この角は形を変えないどころか傷一つ付かなかったそうだ。ガレスが全力で殴っても駄目だった」

「【単眼の巨師(キュクロプス)】……最上級鍛冶師(マスター・スミス)すら不可能なのか!?」

 

 フィンもロイマン、どちらも鍛冶に詳しくないが頭はいい。壊すことができない最硬金属(オリハルコン)だろうと加工して、最上の武具を生み出すのが鍛冶師だ。決して壊れない『不壊属性(デュランダル)』の特性を持つ武器を手掛ける椿が匙を投げた……意味がわからない二人ではない。

 

「他にも翼や鱗、尾を回収した。【ガネーシャ・ファミリア】が調教(テイム)したモンスター達に近付けてみたけど……怯えるどころか失神したよ。紛れもなく『黒竜』の『ドロップアイテム』だ」

「……、……、……っっ!?」

 

 強すぎるモンスターの『ドロップアイテム』は同族を寄せ付けない。たとえそれが物言わぬ骸であろうとも。

 

 人はここまで目まぐるしく顔色を変化させられるのか、と思ってしまうほどロイマンの顔色は悪い。何か言おうとしても、ただ息を吐き出すだけになっている。

 

 ――さて、()()()

 

 私腹を肥やして権力が大好物。それでも迷宮都市を真摯に想うロイマンに、フィンは残酷な選択をさせる。

 

「ロイマン、『黒竜』の素材をいくつか君に譲ろう。僕等のできることならいくらでも力を貸そう。だから、都市民を全て都市の外へ誘導してほしい」

「フィン、まさか、貴様――」

「ああ――オラリオを捨ててくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりー、フィン。どうやった?」

 

 【ロキ・ファミリア】の執務室。ギルドから戻ってきたフィンへのロキの第一声は、それだった。

 

「『相手がこちらを見下している内に力をつける』と言えば納得してくれたよ。千年もの間、オラリオの頂点に君臨したゼウスとヘラを蹂躙した『黒竜』。それを下した(レイン)との実力差は、今どれだけの戦略、駆け引き、小細工を弄しても埋められない……とね」

 

 執務室にいるのは重要な情報を整理するときの面子(メンバー)。フィン、リヴェリア、ガレス、ロキ。

 

 少し異なるのは、ロキが行儀悪く机に腰掛けず立っていて、おちゃらけた笑みを浮かべていない所か。

 

「皆を疑っとる訳やないけど聞くわ。――マジで手加減されたんか?」

 

 ロキが糸目を見開いて尋ねる。そこには残忍な――天界で多くの神々に恐れられた『神の本性』がチラついていた。

 

 彼女はキレている。大切な眷属を奪われて、生き残った子供も四肢欠損、後遺症が残るほどの傷を負わされて、ここまで迷宮都市を……下界最後の砦を痛めつけた。

 

 肝心の下手人(レイン)は『殺したくなかった』『力を抑えた』と抜かしたらしい。子供を愛するロキからすれば、喧嘩を売ってる以外の何でもない。叶うなら『神の力(アルカナム)』で最も苦しい死を与えてやりたい。仇を討ちたい。

 

 付き合いの長さでロキの気持ちはよくわかる。それでも……フィン達の口から出たのはロキが望まぬ答えだった。

 

「本当に手を抜かれたよ。《ルナティック》の遠隔攻撃、『魔法』の乱れ撃ちや薙ぎ払い、竜の息吹(ドラゴン・ブレス)に鱗の弾幕。これを空から無差別に撃ち続けられるだけでも僕等は死んでいた。どれも防御が意味をなさない破壊力……終始手加減されていた」

「被害地区にも偏りがあったわい。広域攻撃が使われたのは都市北東部と東部。最初は気にも留めんかったが、他の地区には儂等の本拠地(ホーム)、レインと交流していた【ディアンケヒト・ファミリア】に『豊饒の女主人』、神フレイヤがいる可能性が高かった摩天楼(バベル)や【フレイヤ・ファミリア】の本拠地(ホーム)がある。どれも奴にとって死なれては困る人物がいる箇所じゃ」

「『魔法』の詠唱破棄もなかった。その上、私達の『魔法』の模倣もしなかった。心を折るならば、こちら側の『魔法』を元来(オリジナル)以上の火力で行使すればよかったというのに……」

 

 どれもこれも気付けなかった。自分の命を守るのに必死で、仲間を助けるのが精一杯で――レインの思惑(やさしさ)に気付こうとしなかった。竜の姿になっただけで、彼の優しさがなくなったと決め付けていた。

 

 ロキも理解している。馬鹿げた冷気に、それを搔き消した白い炎。まだ感じられる己の『神の恩恵(ファルナ)』が何よりの証だった。

 

「……はぁ~~。手ぇ先に出したんがうちの眷属()やからなぁ……仕返しもできん。逆恨みなんぞしてても空しいだけやし」

「もう建設的ではないことを四の五の言ってる場合じゃない。これ以上被害を広げないためにも、名声にこだわっている訳にはいかない」

 

 フィンの執務机には手紙が――今朝、いつの間にかあった。

 

 金品は紛失していないことから火事場泥棒ではない。そもそも、【ロキ・ファミリア】に侵入する鋼の心臓(メンタル)と気取られない技術を持つのは一人のみ。

 

『猶予は一週間。

 死にたくな■なら逃げろ。

 絶タい■五〇K(キロル)■上ハナれロ。

 そ■■■■■■■■■■■■■■ 』

 

 紙に綴られている文字は汚かった。読みにくいどころか吐き気を催す。まるで熱病に伏せった患者を叩き起こし、凄まじい重量のペンで無理矢理書き殴らせたように乱れていて、狂気を感じられずにはいられない代物。

 

 書き手の性格上、同情を誘うためだけに文字を崩したりしない。全力で隠そうとするはずだ。それができないほど弱っている。

 

「レインの筆跡だ。『精霊の分身(デミ・スピリット)』と邂逅した『遠征』の時に送られた手紙と比較したから間違いない」

「……あの時から今の状況を予想していて、筆跡確認のために儂等へ手紙を渡していた可能性は? 奴は基本、直接口で伝える性格をしておる」

「ありうるなぁ。デメテルに都市の破壊者(エニュオ)の正体教えてもろうたけど、聞いて初めて『人造迷宮(クノッソス)』を発見した時の反応を理解できたし。神々(うちら)より神様しとるで、ホンマに」

 

 手紙の内容に疑問は持たない。それよりこの指示を完遂することに注力する。

 

「都市外に避難言うてもどうする? ロイマンが口先三寸で丸め込んでも、『ダイダロス通り』の子供の中には栄養不足で動けん子もおるやろ? 動けへんかったら元も子もない」

「アミッドが高頻度で寄付をしていた……それも第一級冒険者の収入並の金額を、な。おかげで『ダイダロス通り』の住人は下手な労働者より健康だ。衣類も充実している」

「おまけに動けない病人を運ぶための補助器具も開発されていた。ベートのように足を失った者、アキ達のように心が不安定になって動けない者も運べる。大きすぎて門を一台くぐるのが限界だったが、レインが市壁を綺麗に消し去ってくれたおかげで何処からでも出られるよ」

「仲間を一気に喪ったからのう……遺品の回収に行けとるのも本拠地(ホーム)の留守をしておった組と、ラウルにアリシア、レフィーヤだけじゃ」

「ラウルとレフィーヤは何となくわかるんやけど、アリシアは何で平気なんや? 生真面目過ぎるし心壊すんやないかと心配しとったのに……」

「レインがしれっと『行き遅れ』と馬鹿にしたからだね。僕も童貞勇者、ガレスとリヴェリアは年増と侮辱されたし」

「儂とリヴェリアが括られた理由がわからん」

「罵倒の語彙が尽きたのだろう。あるいは、罵倒された者がこの惨状でも発奮(はっぷん)するように、本人が最も気にしていることを突いたのかもしれん」

「「「「……」」」」

 

 軽口を叩いて空気を軽くし、けれども最善を尽くすために憂慮を排していくフィン達。

 

 時間を忘れて語り合い、暗雲が取り払われた空が茜色に染まる頃、

 

「いっこ、気になることがあるんや」

 

 ロキが指を立てた。小人族(パルゥム)鉱人(ドワーフ)王族妖精(ハイエルフ)、三人の亜人(デミ・ヒューマン)は口を閉ざして彼女の言葉を待つ。

 

神々(うちら)の性格は似通っとる。自分の欲望に忠実で愉快犯。面白そうな情報(ニュース)や自慢話が手に入れば即拡散。うちも自慢の眷属が【ランクアップ】すりゃ盛大に吹聴する。半鎖国状態のカーリーん所もアルガナとバーチェのLv.は判明しとった」

 

 一呼吸置く。

 

「そんな神が『黒竜』に勝って、都市外でLv.9になって、見た目もいい眷属を手に入れたのに、レインの情報はオラリオに来んかった。他ならん主神と眷属が情報を漏らさんかったからや。三、四年もあったのにやぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フレイヤの詐欺じみた入団とは違って、レインも眷属の契りを承諾した。あの堅物の童貞(はじめて)をもらった神……いったい何者や?」

「下劣な言い方をするなッ!!」

 

 眉をひそめたリヴェリアの蹴りがロキの脛に炸裂した。

 

 汚い悲鳴が散った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――お前、都市の破壊者(エニュオ)の人形だろう?

 

 男は何でもなさそうに彼女――フィルヴィス・シャリアへ告げた。燃え上がる淫欲に塗れた宮殿。娼婦達の叫喚と悲鳴。その一切合切を認識していないかの如き能面の表情で『D』が刻まれた球体の精製金属(インゴット)を弄びながら。

 

 命懸けで『鍵』を奪取するか、命懸けで逃亡するか。突き付けられた二つの選択肢。どちらも『魔法』の解呪式を唱えて決める。

 

 どちらを選んだのかはよく覚えていない。『分身』が死んでも支障はないが、それだけでは絶対に『鍵』を奪えない。かといって『全力』を出したとしても勝利できるかは不明で、危険な賭けに変わりはない。

 

 結論から言えばどちらも選べなかった。解呪式を唱えても『魔法』は解除されず、『分身』は『分身』のまま。目を周囲に向ければ、複雑奇怪な魔法円(マジックサークル)が刻まれた結界が張られていた――後に『反魔法障壁(アンチ・マジックフィールド)』と聞いた。

 

 ――この結界内では俺の『魔力』を上回らなければ『魔法』を使えない。発動し終わっている『魔法』は別だがな。

 

 結界の詳細(てのうち)を明かされる侮辱。屈辱を覚えながらも舌を噛み切って、喉を切り裂いて、心臓を貫いて自害――もできなかった。不思議な光を放つ瞳に見つめられた途端、身体の自由を奪われた。

 

 ――ふーん。『精霊の六円環』、それを囮に第一級冒険者を誘き出して『第七の精霊(ニーズホッグ)』で葬る、か。手の込んだ計画だな、おい。

 

 己の額に触れながら暴露された『エニュオ』の計画。記憶を読み取るなどという嘘を見抜く神の眼よりふざけた能力に戦慄を抱く――よりも先に、フィルヴィスの顔は絶望で罅割れる。

 

 彼女がここにいたのは裏切りに近い行為……レフィーヤを救うために【ロキ・ファミリア】も助けてしまったこと、その失態を挽回するためだ。計画に支障をきたすことは『エニュオ』の中の己の利用価値が、穢れた自分に与えられる『愛』が失せてしまうことに繋がっていた。

 

 体よく利用されても良かった。都市崩壊の計画(シナリオ)の歯車程度に見られても構わなかった。ただ……縋らせてほしかった。フィルヴィスは寄る辺の喪失を何よりも恐れていた。神の甘言に縋らなければ生きられないほど弱いエルフだった。

 

 ――なぁ、『取引』しないか? いつ互いを見捨てても文句なしの取引だ。

 

 当時は『エニュオ』と同じ『悪魔』の契約に思えた提案。圧倒的にこちらに利益(メリット)がある提案を男はしてきた。

 

 ――このまま『エニュオ』の駒になっていても待つのは破滅だけ。だから、こちらに手を貸せ。露骨に寝返らないかと言ってるんじゃないぞ? 手を貸すだけだからな?

 

 【ロキ・ファミリア】に突き出される、もしくは『エニュオ』にこの出来事をバラして無理矢理従わされると想像していたフィルヴィスは、思いもよらぬ言葉に思考を停止させた。

 

 ――この提案に乗るなら《傾国の剣(ルナティック)》の本当の力を使ってやる。59階層の『精霊の分身(デミ・スピリット)』は滅茶苦茶嫌がっていたしな。多分、手先を強制的に奪われるのが嫌だったんだろうよ。

 

 フィルヴィスの願いは死ぬこと。『化物(クリーチャー)』としてこの世をさまよい続ける生き地獄から解放されること。男の言葉を信じるなら、願いが叶う糸が目の前に垂れている。

 

 ――よく考えろ。お前の弱みに付け込む『エニュオ』と真正面からお前を肯定するレフィーヤ。どちらが正しい? どちらが愛しい? お前はどちらを心から守りたいと思う?

 

 ぐらつく天秤。片方に『エニュオ』がくれる黒く邪悪な甘い蜜、片方に失いたくないと思ってしまった同胞の笑顔。選択を邪魔する男への猜疑心。

 

 うじうじ悩んでいたフィルヴィスだが、無表情だった男の忍耐が尽きる方が早かった。

 

 ――俺にも生涯を賭けた『悲願』がある。もしも。もしも、だ。【ロキ・ファミリア】が俺の敵になることがあれば――レフィーヤとリヴェリア諸共躊躇なく殺す。この提案に乗るなら殺さん。二つ数えるまでに決めろ! でないと殴る!! 

 

 待つの短いなっ!? そう言いたげな顔をしている間にも、男は半秒で二をカウントしようとしていた。結論から述べるならば、フィルヴィスは(半ば反射的に)『エニュオ』を裏切り、男の手を取ったのである。しかし、彼女が生きてきた十九年の人生最高の英断であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『取引』の成立後、男は本当に力を使ってくれた。驚くほどあっさりと『穢れた精霊』の触手――眷属としての繋がりを断ち切ってくれた。

 

 頭に響いていた耳障りな『精霊(ハハ)』の囁き声が聞こえない。生殺与奪の権を取り戻した身体は、『魔石』の前に短剣を持ち上げても強張らない。『穢れた精霊』と運命は分かたれ、本体が死んでも影響はなくなった。

 

 永遠に埋もれ続ける闇の中から掬われて、ある筈がなかった光がこの手にある。

 

 男はきっと知らないだろう。彼が前払いとして与えた報酬が、フィルヴィスにとってどれほどの救いだったのかを。『エニュオ』への未練を砂粒一つ残さず、がっつり忠誠心(ハート)を鷲掴みにするものだったのかを。

 

 彼女は男の頼みを片っ端からこなしていった。頼んだ側がドン引きするほど。深い所までは聞かないようにしていた男の気遣いが阿呆らしくなるくらいに。

 

 赤髪の怪人(レヴィス)と【白髪鬼(ヴェンデッタ)】が死んだ今、『精霊の分身(デミ・スピリット)』に干渉可能なのはフィルヴィスのみ。『闇派閥(イヴィルス)』の者は危険な余り近寄ろうともしない。つまり……誰も異常がわからない。

 

 男の指示通り、適当に『蘇生魔法』の存在を仄めかして【デメテル・ファミリア】を運び出させ、その間に死神(タナトス)や一部の強者を捕獲し、『27階層の悪魔』の元凶(せいれい)を怨みを込めて始末した。

 

 吊り橋効果があったのは認める。心が磨り減っていたのも理解している。しかし、男は妖精(フィルヴィス)の好みを悉く満たしている。

 

 裏切る気が皆無だとわかってから教えてもらった『呪い(スキル)』。自分以上の苦しみを微塵も感じさせず、友人を心配させないために吐血すれば自傷して訓練だと誤魔化し、誰かを守るために『必要悪』となることも厭わない。一途なのもいい。

 

『お前は……私を悍ましいと思わないのか? 怪人(クリーチャー)であるこの身が怖くないか?』

 

 男の本心が気になって思わず零してしまった問い掛け。しまった、と気付いた時には遅かった。

 

 醜いなんて言われたらどうしよう――なんて考える間もなく、フィルヴィスの頭に振り下ろされる鞘入りの魔剣。

 

『普通の女の子を何で怖がるんだ。弱っちいくせに馬鹿にしてんのか』

 

 痛みと衝撃でうずくまるフィルヴィスに男は続ける。

 

『俺の判断基準は普通じゃない。「魔石」があればモンスター、人を殺せる爪牙があればモンスター、なんて思わない。だから「魔石」があるだけのお前は化物(モンスター)じゃない。それに、その身体から逃げずに友を助けようとする今のお前は……誰がなんて言おうと、高潔で綺麗なエルフだ。――罪を償う気があるなら自殺はするなよ』

 

 自分の言葉をどう解釈したのかはわからない。しかし、伝えられたのは間違いなく男の本心。

 

 どちらの方が不幸だったなど論じる気は無い。でも、裏打ちされた言葉には芯が通っていた。

 

 ――この天然ジゴロが。

 

 これで堕ちない方がどうかしている。フィルヴィスは濡れ羽色の長髪で赤くなった顔を隠しながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルド長と【ロキ・ファミリア】の秘密会談があった翌日。オラリオは揺れていた。原因はギルドから正式に公表された知らせ。

 

『此度の緊急事態は「黒竜」を討伐した男、【フレイヤ・ファミリア】所属のレインによる犯行である』

 

 ギルド前に設置されたガラスケース内で存在を主張する角、翼、爪、尾、鱗といった『黒竜』の部位。立て続けに起きた異常な現象も最強派閥(ゼウスとヘラ)が敗北を喫した『隻眼の竜』より強い男がやったと聞けば、人々も神々もあっけなく納得した。

 

『勇敢なる冒険者の奮闘によって、敵が行おうとしていた「大殺戮」は一時的に防がれた。稼がれた猶予は六日。失われた命を無駄にしないために、ギルド及びギルドが指定した【ファミリア】の指示に従うことを神ウラノスの名において厳命する』

 

 祈祷を捧げてダンジョンの活性化を防いできたウラノス、都市の平和を守り続けた【群衆の主(ガネーシャ)】を筆頭にする有力派閥(ファミリア)。彼等の眷属は日夜問わず『都市からの撤退』を呼びかけた。

 

 信頼する【ファミリア】の指示に都市民は従い、次々に都市外へ姿を消していく。しかし、避難は順調と呼び難いものだった。

 

「何で【ロキ・ファミリア】に指図されなきゃいけねぇんだ……。あいつ等が負けたからこんな状況になっているくせに!」

「なくなった手足を見せつけるみたいにして……死ぬまで戦えよ、この時のための冒険者だろうが!」

怪物(モンスター)と手を組んで戦ったって噂もあるぞ。『怪物趣味』の集まりなんかに守られたかねぇな」

「五〇K(キロル)は離れろって何だよ。具体的過ぎるし、敵と内通してるんじゃないか!?」

「返してよっ! 私の家族を返してよぉぉぉ!!」

 

 指示を出す【ロキ・ファミリア】の冒険者達は文字通り死ぬ気で戦った。けれど、それを理解できるのは命のやり取りを経験した同業者や『助けられた』ことに感謝できる者だけであって、勝手な理想を押し付ける一部の民衆には厭悪の感情を向けられた。

 

 無視されるのはいい方だ。石を投げつけられ、身体を支える松葉杖を蹴り倒され、酷ければ発狂した住人に殺されかけさえした。心が摩耗していく下界の子供達の姿を、こんな時でさえ神々は平気で笑い、嗤う。

 

 レインに対する憎しみと恨み……恐怖はそれ以上。彼を知る人は失望を、知らない人は悪意を含んだ言葉を吐いた。【フレイヤ・ファミリア】はゴミを投げ込んだ瞬間に始末された馬鹿がいたため、被害は全くなかった。

 

 極限状態で神と人の醜さが露呈しようと、時間は無情に過ぎていく。

 

 六度月は沈み、六度太陽は昇る。

 

 そして六度目の太陽が沈み……七度目の月が昇った。

 

 オラリオに独りで存在する人間となったレインが目に焼き付ける、生涯最後の月が。

 

 ――『英雄の一撃』を突き立てられた時、レインは腕を斬り落とすよりベルを助けることを優先した。内臓が破裂しない程度の力で蹴り飛ばして、階位昇華(レベル・ブースト)による一時的なLv.4の『耐久』では耐えられない爆炎から遠ざけた。

 

 直後に腕を斬って感電死は免れたものの、凄まじい熱を孕む業火はレインの右目を蒸発させ、逆に鱗で覆われていた左目は守られた。雷も完全に逃れた訳ではなく、右足に僅かな麻痺が残っている。

 

 粉々にされた左腕の肩口から先には『氷の腕』が生えていた。傷口の腐敗を防いで左右のバランスを保つ役割であるため、義手のように自由自在に動かせたりはしない。とある小人族(しょうじょ)の『魔法(シンダー・エラ)』ならば、と考えたが無駄だった。

 

 残り少ない寿命(いのち)を使って迷宮都市を歩く。思い出がある場所、見覚えすらない場所にも足を運んだ。

 

 絶対に忘れないために。

 

『完全に人はいない。「人造迷宮(クノッソス)」で確保していた「闇派閥(イヴィルス)」も回収されている。「精霊の分身(デミ・スピリット)」も壊滅した』

「……」

『ダンジョンに残っていた「異端児(ゼノス)」も地上組と合流した。今は【ガネーシャ・ファミリア】に紛れて何処ぞへ避難している。「マーメイド」の運搬が面倒そうだったが』

「……」

『ダンジョン内の遺品、墓地に埋葬されていた遺体の運搬も完了した。お前の想い人は【ヘスティア・ファミリア】が保護しているし、オラリオ周辺に留まる馬鹿は多重人格根暗陰険エルフが排除している』

「……」

『「スキル」の副作用で苦しむ時間を延ばして、限界まで猶予を与えたことに意味はあった? 満足いく結果になった?』

「……ああ」

 

 傍でずっと報告をしていたクリュスタロスに返事をする。

 

 もう十分だ。覚悟はできている。

 

「やるぞ、クリス。一気に片を付ける」

『……今からでも気が変わったりしないか?』

「恰好を付けるなら『天才ってのは、人のやらないことをやるから天才』、悪く言うならただの独り善がり。全て俺の独善で決めたんだぞ? ここで止まれば全てが無意味に成り果てるだろうが」

『お前のそれが独善なら世界は邪悪で溢れかえるわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜明けとともに終わるこの人生。どうせ歴史上類を見ない大罪人として名を刻まれるだろうし、最後は派手に行ってみようか!」

 

 レインにとって『黒竜』は()()()

 

 きっと彼にしかできない責務。彼にしかできなくなった使命。

 

 レインの目的――ダンジョン最下層攻略。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 虐殺による恐怖で都市民を追い出すのと別の策……フィンが最初の脅し文句に頷いていた場合でも、迷宮都市を囲む市壁の破壊は決定していた。

 

 一つ目は彼我の力量差をわからせるため(もしも木っ端が騒ぎ立てていれば、エクシードで潰して不気味な血溜まりにしていた)。二つ目は避難経路を確保するため。

 

 三つ目――あと一日も生きられないレインが考案して、レインにしか実現不可能な『多分二時間でできるダンジョン攻略』による被害を抑えるため。人の力で築かれた壁は脆すぎる。

 

 現在、オラリオは月の光を反射する美しい『氷の大壁』に囲まれていた。厚さ、高さ、強度ともに元の壁を上回っている。これがたった一柱の精霊の力だと確信できるのは、この地を湖に変えた水精霊(ウンディーネ)の英雄譚を信じている者だけだろう。

 

「その気になれば氷だけの街とか城とか作れるんじゃないか、クリス?」

『……作ってやるとも。お前が望むならいくらでも』

「じゃあ見るために……早く終わらせよう」

 

 クリスに跨ったまま一振りの剣を抜く。長年付き合ってくれた相棒は、真っ青な魔力の光を強く放つ。

 

都市の破壊者(エニュオ)は十五年費やしても、オラリオとその周辺を吹き飛ばす()()で終わった。俺は五秒もかけずに消し飛ばしてやるっ」

 

 瀕死ではなくなったレインから立ち上る青白い魔力の奔流。

 

「【穿て、雷霆の剣】!」

 

 超短文詠唱を唱え、右手に握る魔剣を空へ突き上げる。

 

「【デストラクション・フロム・ヘブン】!!」

 

 レインは対軍魔法【デストラクション・フロム・ヘブン】をダンジョン等の地下空間では使わない。理由は絶対に空から発動し、道を阻む全てを貫いて術者が狙った対象を砕くからだ。

 

 眼下に漂っていた小さな雲を霧散させ、天空より灼熱の閃光が飛来した。異常な『魔力』と『スキル』の効果で()()魔法にまで昇華した光の剣は、氷の壁に収まる大都市に突き刺さった。

 

 衝撃波も爆発音も特にない……しかし、光に呑まれた都市がどうなったのかは見ずともわかる。

 

 文字通り『大穴』ができた。古代におけるダンジョンの呼称である『大穴』のように表面だけを見た表現ではなく、奈落の底へ直通の穴だ。

 

「【穿て、()()()()()()()】」

 

 ()()()。『詠唱連結』によって、雷から氷の『魔法』へ切り替わる。

 

「【アイスエッジ・ストライク】!!」

 

 夜空の彼方から巨大なんて言葉じゃ到底足りない規模の氷塊が降って来る。天に届くほどの摩天楼(バベル)の倍を優に超える大きさの氷が、信じられない速度で向かってくる。大気との摩擦で溶けるはずなのに水滴一つ生じていない。

 

 氷壁の上にいるレインとクリスの鼻先を通り過ぎた直後、壮絶な轟音が鼓膜を揺らした。隕石と変わらない氷の塊は落下と着弾のエネルギーを解放させ、大陸どころか世界全てを滅ぼす衝撃と振動を振り撒く――

 

「【凍え震えろ(フリーム)】」

 

 ことなく、精霊の『奇跡』でなかったことにされた。――衝撃(エネルギー)のように自身を消費する事象は、時間経過で『溶けて消える』。氷を司る大精霊(クリュスタロス)の『奇跡』として当然の効果だ。何せ氷なのだから……氷は溶けるものだ――。

 

『……レイン、大丈夫?』

「なんとか」

 

 レインは零れた鼻血を乱暴に拭い、熱を帯び始めた頭を無視して()()()の『魔法』を装填した。そして、放つ。

 

「【穿て、怒れる炎帝】――【ナパーム・バースト】!!」

 

 大喝に応えた太陽より眩い炎の柱が氷塊を穿つ。いかなる金属よりも高い融点を持つ『精霊の氷』を、集束された『精霊の炎』は溶かした。完成したのは『大穴』を塞ぎつつ出入り可能な『氷の蓋』。

 

「……ゼェ、ハァ……クリス」

 

 口元を鮮血で汚したレインが名を呼んだ。クリュスタロスは上半身を人型に変化させ、レインが僅かでも楽になるように支えながら冷たい自分の身体に押し付ける。そして怒涛の勢いで垂直の壁を駆け下り、直径十五M(メドル)の穴に飛び込んだ。

 

 氷が透き通っているおかげで、ダンジョン内部の現状はよく見える。『上層』『中層』『下層』辺りの位置にはダンジョンの構造そのものがない。オラリオと同規模と呼ばれる『深層』からようやく階層の断面が確認できた。

 

(――レインの希望通り、()()()()()()()()

 

 クリュスタロスが注視するのは、所々で狂ったように氷を殴りつける『化石の怪物(ジャガーノート)』――ではなく階層の断面。いくら破壊されても再生する無限の迷宮(ダンジョン)は、氷を分解(とか)して元に戻ろうとしている。けれど遅い。異物(こおり)のおかげで、深層域の驚異的な復元速度も低下していた。

 

 トンネルの終点が見えた。正確に数えていた断面の数が、次が99階層であることを知らせる。

 

 しかし、ここはダンジョン。狡猾で悪辣な生きた迷宮。

 

 希望の糸を垂らして、掴もうとする者を突き落とし、これ以上ない手段で冒険者の意志を潰す魔窟。

 

 規格外の能力で埒外の攻略をするならば、未知の『異常事態(イレギュラー)』で踏み躙りにかかるのがダンジョンだ。

 

(なのに……()()()()()()()()()()?)

 

 警戒していたのが馬鹿みたいに思うほどあっけなく、クリュスタロスは99階層の床を踏むことができた。『闘技場(コロシアム)』のように無数のモンスターがいるかもしれないと構えていたのに……。

 

 この階層にいたであろうモンスターは残骸(ドロップアイテム)すら残っていない。恐らくレインの【デストラクション・フロム・ヘブン】に訳もわからぬまま殺されたのだろう。

 

 視認可能な距離の床には微かに焦げた跡。迷宮都市(オラリオ)がすっぽり収まるという言葉が誇張ではない37階層、その倍以上の数値の階層なのだから壁面は欠片も目視できない。

 

 そして目の前には、遥か遠くの月明り(スポットライト)に照らされる――『穴』が存在していた。

 

 レインがクリュスタロスから降りる。何も言わずにクリュスタロスは姿を消す。

 

 穴を覗き込む。そこには下へ下へと続く螺旋階段があった。隣で口を開ける深淵は、根源的恐怖を呼び起こすほど暗く、深い。踏み外してしまう想像をするだけで足が竦む。

 

 レインは迷わず階段を下り始めた。傲然と顎を上げ、鼻歌まで歌っている。明かりはない。強いて言えばずっと握りしめている魔剣の光が明かりだ。

 

 静寂で満ちた闇に響くのはレインの歌と魔剣の燐光(おと)

 

 一段一段、踏みしめて降りる。

 

 降りて、降りて、降りて。

 

 ピタリ、と足が止まる。

 

 先がない。階段は六百六十六段目で終わってしまった。

 

 誰もどの階層が最下層なのか知らない。もしかしたら99階層が最下層で、この階段は地獄やら魔界やらに繋がっていた名残なのかもしれない。

 

 普通ならここで引き返す。何も知らないならここで見たことが全てになる。

 

「……」

 

 上を見る。階段を下りきっても地上から開通した穴は確認できた。

 

 レインは軽く頷きながら剣を鞘に戻すと、再び眼下の穴に視線を巡らせ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奈落へ身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浮遊感を感じたかと思えば、謎の膜を潜り抜けたような感覚がした。直後に『植物』を踏む感触。落下距離は大したことがなかったようだ。

 

 瞳に映るのは『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』を彷彿させる景色。動物と水晶が存在しなくなった18階層と形容するのが近いかもしれない。ここには光源がないのに温かい光があった。

 

 視線の先には花畑がある。咲き乱れる花々は一輪たりとも覚えがないが、その美しさは言葉にできない感動を与えるだろう……レインは微塵も感動しないが。

 

 ゆっくりと口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、でいいのか? それとも……()()()()と言うべき?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きっと初めましてが正しいだろうね。でも私は、久しぶりの方が嬉しいな」

 

 幻想的な花畑の中心には女神がいた。緩やかに流れる緑がかった淡い金髪は長く、形の良い豊かな胸部にかかっている。相貌は『美しい』よりも『落ち着く』という言葉が相応しく、まるで『母』という概念を擬人化したような……そんな女神だった。

 

 彼女は笑っていた。手を、足を、腹を、胸を、首を……冷たい鎖で雁字搦めにされて、白い柔肌を蹂躙されて笑っていた。『自由に生きるのが好き』と言っていたのに、自由を奪い尽くされた姿で笑っていた。

 

 レインは信念を胸に抱いてここにいる。この手で剣を振るい、彼女を解放するために来た。

 

「じゃあ改めて……久しぶりだな。約束を果たしに来たぞ――ガイア」

 

 人類が求め続けた謎。ダンジョンの最下層には何があるのか?

 

 答え。『どこぞの天然金髪の面影が見える女神がいる』。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 十五歳で故郷を飛び出したレインはあることに悩まされていた。その悩みとは『神の恩恵(ファルナ)』を授けてくれる神の選択。

 

 いずれ足を運ぶことを決めている迷宮都市。かの都市が管理するダンジョンには【ファミリア】に所属していることが絶対条件。つまり、都市外で意地を張ってLv.0のまま戦うのは大幅に時間を無駄にするのと同義。そう自分に言い聞かせて契約を結ぶ神を探していたのだが、

 

『ねぇねぇねぇ! 恩恵なしでLv.3ぶっ殺した子供って君だよね!? 私の眷属にならないかい!』

『俺の神眼()は誤魔化せないぜ……君に眠る男の娘の才能を! ちょっとメイド服着て「ご主人様ぁ……」って言ってくんない?』

『デュフフ……そのままでも……グフフ』

 

 ゴキブリのように禄でもない神にばかり群がられた。奴ら独自の伝達網(ネットワーク)があるのか、何処へ行っても湧いて出てくる。何度潰しても不死者の如く蘇る。気配を断とうと神の勘で気取られる。こちらの都合などお構いなしだ。

 

 さっさと眷属になってしまえばそれを口実に断れる。だが、レインが求めるのは『眷属が一人もいない、かつ情報を一切漏らさない、そして自分の方針に異論を挟まない神』。

 

 刹那的快楽主義の神には高すぎる望み。それでもこの条件は譲れなかった。

 

 いっそのこと、適当な神を脅してしまうか、などと血生臭い荒業を思案していた時――一人の少年と一柱の女神は出会った。

 

 ――何かに導かれるようにお互いが腹の内を偽りなく晒した後、黒い炎に身を焦がす天才は『胎』が存在しない女神の眷属となる。

 

 少年は『(おれ)が絶対に勝てない存在の居場所の提示』を、女神は『ダンジョンの最下層にいる本体(わたし)を殺すこと』を約束して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別れてから一年も経っていないよね? いや、お前には【竜之覇者(スキル)】があるからむしろ遅すぎるくらい? 尖り過ぎて『厨二病』になりかけたお前なら、オラリオに到着してすぐに来るものだと予想してたのになー?」

 

 鎖で縛られた痛々しい姿にそぐわない明るい口調。こちらの性格を理解している彼女は敢えてこう振舞っている。自分の苦しむ姿が大切な誰かの顔を曇らせることを何よりも嫌がる……似た者同士の神と眷属。

 

 だから、レインもそれに乗った。彼女と話ができるのはこれが最後になると、別れた時からわかっていた。

 

「むしろ早い方だろうがっ。あんたの頼みで都市をもぬけの空にする手間がかかったんだ。『異端児(ゼノス)』だって逃がしたんだ、感謝しろ! 崇め奉れ! エロ方面の褒美でもよこせ!」

「ふっ……お前も男だもんな。エロいものは大好きだよな。仕方ない……強調された私の巨乳を視姦するのを許してやろう!」

「へっっぼ! 何で見るだけなんだ、揉ませるくらいしろや!」

「おめー、好きな人いるって言ってただろーが!? なに堂々と他の女と乳繰り合おうとしてんだ!」

「残念だったな、俺は本番以外なら数え切れない女と経験している。妹と凄く重たいキスをしたことだってあるからな! ……ちなみに全部あっちからやられた」

「へっ、変態だー!? なんか業が深くて屑だけど情けなくて可哀そうな童貞(へんたい)がいる!」

「業はあんたの方が深い! 主神(はは)眷属(こども)の貞操狙うとか何考えてんだっ」

「愛情によるご褒美ですー! 背徳的なシチュで興奮させてあげたんですぅー!!」

「ハッ、無様にバナナの皮で滑って勝手に気絶(しっぱい)した馬鹿が」

「なんだとぉぉぉ!? だいたい――」

「あぁん!? そっちこそ――」

 

 女神も青年も、重苦しい気持ちを忘れるまで語り合った。相手の触れてほしくない所には決して触らず、大丈夫な黒歴史(ところ)は容赦なくほじくり返しながら、心から怒り、恥じらって、楽しんだ。

 

 たった二人の【ファミリア】。どうしようもない願望で誰かの心に傷を残すくせに、自分より誰かを優先する性格をした眷属と主神。矛盾を孕んで歪に完成していた、『未知(イレギュラー)』な二人だけの【ガイア・ファミリア】。

 

 半刻足らずの言い合いが、レインの口から紅の塊が吐き出されて終わりを迎える頃には、お互いに覚悟を決めていた。

 

 レインとガイアだけが知る【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)】の副次効果は――神の生殺与奪。この地上でただ一人、長い人類の歴史の中で唯一、レインだけが神を真の意味で弑する力を得た。

 

 レインが剣を抜く。神を憎んだ双子が創造した魔剣を前にしても、ガイアは恐れず笑っている。

 

 彼女はレインだけを見ていた。死んでも約束を守ろうとする、誰よりも優しくて強い、己だけの自慢の子供を。

 

「レイン……お前は自分を許せた?」

 

 『元』眷属と『元』主神の関係になったあの日の独白が、最後の今になって言葉になる。

 

「許せないよ。世界のために大切な人を犠牲にしようとする愚図なんぞ」

 

 冷えた声音で言い切り、刀身がブレる速度で振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから俺は、大切な人を選ぶ。この選択で世界が衰亡の運命を辿ろうとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り切られた魔剣はガイアを避けて、縛っていた鎖を無残な鉄片に変えた。

 

「な……んで……」

 

 困惑、茫然、悲哀を瞳の中で溢れさせる女神の意識を手刀で刈り取り、隻腕故に肩に担ぎ上げ、

 

「【ナパーム・バースト】。来い、フェニックス!」

 

 召喚した白炎の不死鳥の背に跨って、天井の穴を全速力で潜り抜けた。更に螺旋階段のど真ん中を突き抜けていく。

 

 迷宮都市を跡形もなく消し飛ばしてまで作った氷の洞穴(トンネル)。ダンジョンから生きて脱出するために確保していたそこにフェニックスは飛び込み、一気に地上を目指して飛翔する。

 

 一時間と経たずに帰って来た地上。美しい月に感傷を抱く間もなく、レインは氷壁を越えた瞬間にフェニックスからクリュスタロスに乗り換えた。フェニックスは意識のないガイアを連れて滑空する。

 

「クリス。俺は勝てると思う?」

 

 何に、とクリュスタロスは訊かなかった。

 

『思うよ。だから私はお前の傍にいるんだ』

 

 自信たっぷりに笑ったその時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョンと超重量の氷塊を()()()()()()()で粉砕、破砕、爆砕させ、東西の果てに届く凄まじい爆音を奏でながら――『ソレ』は姿を現した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ああぁ……? ああああああああぁぁ……!?AAAAAAAAAAaaaaa……!?!?」

 

 オラリオの方角を観測していた一般人は壊れた。幾度も死線を潜り抜けた上級冒険者は股間から湯気が立つ液体と固形物を垂れ流した。『英雄』と呼ばれるに相応しい第一級冒険者でさえ、脳が現実を受け入れることを拒絶した。

 

 あまりにも『ソレ』は大きかった。蛇の下半身――蛇腹が確認できた――が峻厳たる絶峰を超える高さにある。どれほど見上げようと『ソレ』の再現がない巨体は測れない。夜空で輝く星々に頭が擦れていると言われても、誰一人として否定しないだろう。数々の大型モンスターを倒してきた冒険者の心を、『ソレ』は人智を超えた体高(おおきさ)で圧し折った。

 

 手(?)に該当する部位。指の代わりにあるのは大蛇。『海の覇者(リヴァイアサン)』がミミズ程度に見える巨大な蛇が、両手(?)を合わせて十匹。全て異なる意識を持っているかの如くうねっている。オラリオから遠く離れた土地の空で。

 

 背中の翼を広げたら、それだけで夜の帳が下りたような暗闇に包まれるだろう。羽ばたきでもされたら――どれだけ最悪な被害を想像しても及ばない『破滅』が訪れる。

 

 誰かが諦めた。誰かがちっぽけな己に絶望した。【ロキ・ファミリア】を無責任に弾劾した者でさえ抵抗の意志を放棄した。『竜』に死にかけの虫けらが立ち向かうどころの話じゃない。剣を天に向かって振り回し、天そのものを斬り落とすのに等しい。

 

 ありとあらゆる要素が心地よい諦観の腕へ変貌し、生きることの渇望を潰し、永遠の眠りへ手を招く。本能が死を逃げ場にしようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――【永久(とわ)なる闇よ、我が声に応じ、闇よ来たれ! 我が力をもってこの地を絶望で染め上げよ】――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明らかに聞こえないはずの声が聞こえた。声の主を知る者は「ああ、もう何とかなるんだ」と、根拠なく受け入れた。

 

 詠唱が進むにつれ、急激な変化が訪れた。雲の邪魔がない月明りのおかげでぼんやりと窺えていた周囲がまるで見えなくなった。一寸先どころか自分の手を眼前にかざしても見えない。

 

 原因はレイン。彼を中心に発現している如何なるものにも染められないような純白の魔法円(マジックサークル)から、光を吸い込むような暗黒が急激に広がっている。あたかも、この世界を漆黒で染め上げるように。

 

 影は止まらない。地上を、地底を、空を。全てを純黒で覆い尽くしていく。暗闇のどこからともなく風が吹き出し、不気味な笛の音のように鳴り響く。

 

「【万物の(ことわり)は我が手中にあり。天地の狭間に破壊と死をもたらさん】!」

 

 状況を把握する間もなく闇から吐き出された人々が目にしたのは、数舜前まで自分達を吞み込んでいた闇の正体。

 

「【来たれ】――【インフィニティ・ブラック】!!!」

 

 範囲攻撃魔法【インフィニティ・ブラック】。世界を滅ぼせるほどの憎悪を宿したレイン最凶の『魔法』。効果範囲は球体状。射程距離はLv.×半径一〇K(キロル)――直径一八〇K(キロル)内の万物を滅する。長文詠唱で発動する比喩抜きに世界を滅ぼせる禁呪。

 

 レインの人外の『魔力』が射程距離を無理矢理変える。横向きの射程を半径三〇K(キロル)まで削り、余剰分の六〇K(キロル)を上下に加えて一二〇K(キロル)まで伸ばした。完全に、地底から出現した『ソレ』を黒いドームに閉じ込めた。

 

 天地を覆っていた暗黒の領域は一気に集束して消え去り、内部にあるもの全てを道連れにした。下界の大地ごとこの世から削り取り、何もかもを消し去った。

 

 大陸にできた前代未聞の大穴に流れ込む海水の音だけが世界に響いていった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――【インフィニティ・ブラック】が発動して数秒後。

 

「俺は血塗られた破滅への道を選んだと思っていた。沢山の命を奪ったからフィーネに嫌われていると思ってた」

『レイン?』

 

 返事がない。名前を呼んだのに、こちらを見てくれない。

 

「選択はもっと前にあって……蘇生魔法を使った時点で、俺は……」

『レイン! レインッ!?』

 

 嫌な予感がする。どうして声に力がない。どうして顔を上げない。どうして――懺悔するように口だけを動かすの?

 

 顔を覗き込もうとしたクリュスタロスは……肩を押されて尻餅をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん……守れなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突き飛ばされたクリュスタロスの視界から色が失せた。

 

 なんで。

 

 なんで。

 

 どうして、()()()()()()()()()()()()()

 

 レインの首を恍惚とした顔で抱いて笑う、こいつは――!!

 

 憤怒を爆発させる大精霊の耳朶を震わせるのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、というかさっきぶり? ()の古い名前は【神を誅殺せし獣(テュポーン)】。今の真名は【終焉を齎す者(フィーネ)】だよ。よろしくね」

 

 血を滴らせる青の魔剣を持つ、レインが愛した少女の声だった。




悲劇予知女(アンティゴネー・パンドラ)
・一定以上の愛情(おもい)で発動。
・対象に試練付与。
・繝Η繝昴繝ウ縺ョ螳悟驕ゥ蜷井ス


 レインが【ロキ・ファミリア】の『魔法』を使わなかったのは、『魔法』は誇りや願いが具現化したものだと思っているからです。だから『正義側』のは使いませんでした。

 アミッド→治療師として殺人など許せるものではないですが、レインが優しくて誰かの為に戦う人だとわかっているので憎めません。
 ちなみにレインがアミッドに『呪い』を教えなかったのは、彼女では力不足だったからです。クリュスタロスにばらされてしまいましたが、黙っていたせいで解呪できなくなったと思ってもらえそうなので構いません。

 デメテルは交戦なしで都市民を追い出せそうになった時、出ていかない頑固者が現れたら食糧供給を止めてもらうことを約束していた。

 ディオニュソスは彼の酒蔵に放置。【ファミリア】は生存ルートへ。

 傾国の剣→アルテミスが封印されていた遺跡で手に入れた想像です。だから名前は《ルナティック》。

 ガイアを縛っていたのは『アルゴノゥト』に登場した支配の鎖、その完全版です。

 ロイマンは『黒竜』が死んでいないことを知りません。勝利した=討伐したと決め付けてしまいました。敢えてぼかした言い方をして訂正もしないのは、フィンなりの優しさです。


 レインがどんな秘密を知ってこんなことをしたのか。それが完全に明らかになるのは次回。



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