雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか   作:柔らかいもち

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多分あと三話で終わります。あとがきに色んな補足が。長いと最後が雑になりますね。


七十三話 罪の名は

 多くの人間は自らに恩恵を与えた者を知ろうとするどころか、恩恵を与えられた自覚すらない。そして、気付くのはいつだって失ってからなのだ。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

『犠牲……?』『奴は大罪人だろう!』『神様、今の話は本当ですか!?』『責任とれ!』『もう嫌だこんな世界っ』『誰か答えなさいよっ、貴族の私が命令してるのよ!?』『夢だ……これは夢だ。きっとベッドの上で夢を見てるんだ……』

 

 風に乗って聞こえる声に反吐が出そうだ。どいつもこいつも……自分のことばかり、もしくは認めがたい現実から逃げることを考えている。そこに他者を慮る意思はない。

 

(こんなのを助けるためにレインは……僕は――!) 

 

 今度は腸を焼く感情を抑えることをせず、歯を軋らせながらテュポーンは風に殺意を籠めて操っていった。

 

『ぎゃっ』

『ぺん!』

『ぷもっ』

『ぐし!?』

『やん!』

『あげごッ?』

 

 捩じ切る、押しつぶす、破裂させる。特定の形を持たずに変化する風で実現できる全ての殺害方法を用いて、騒がしかった中でもひと際強い怒りを抱いた人間と神を殺す。神を殺して発生する『神の力(アルカナム)』で巻き添えを喰らった奴等もいたが、不幸を認識する間もなく死んでいく。上がった断末魔は残った全ての者に聞かせてやった。

 

 今ので悲鳴と絶叫が連鎖する前に、テュポーンは自分の声を乗せる。

 

「黙れ。お前達の汚い声は僕にも聞こえるんだ……(クズ)人間(ゴミ)がたかだか()()()死んだくらいでピーピーギャーギャー喚くな――殺すぞ?」

 

 するとあっさり静かになった。世界を駆け巡る風から伝わる情報に自然と失笑が漏れる。

 

「お前達の感情は薄っぺらいな。僕の行動を理不尽だと怒って、泣いて、憎んでも……僕の殺意と生殺与奪の権を握られているだけで恐怖する。芯がないから抵抗の意志が湧かない。力がないから理不尽に打ち勝てない。とても残念で、哀れで、惨めだ。まるで虫……いや、虫と比べるのも烏滸がましい」

 

 口を動かしながら命を奪う。断末魔の乗った風に血飛沫を混ぜてやれば、怒りや悲しみが限界を超えた者の絶叫や慟哭が響いた。ただ耳に障るとしか感じない、そいつらも殺す。少しだけ「殺した方がこいつらの救いになるのでは?」と考えたが、そんなのは極一部だと思いなおして即座に殺す。

 

 眷属の契りを結んでいる様子の神と人間は殺さない。かつてテュポーンとガイアが突き付けられた尊厳を弄ばれる二択のように、奴等にも選ばせてやろう。(じぶん)の命と眷属(こども)の命、どちらを救うかを。――選んだ方を殺すと決めてあるが。

 

(結局……僕も本質は『神』なんだな)

 

 復讐の動機は十二分にある。テュポーンは己のそれを否定しないし、誰かにさせるつもりもない。ただ……嫌悪感を与えるための所業が憎んでいる神々とどうしようもなく似ていると気付いて、テュポーンは無意識に胸元を握りしめる。

 

「さて……神々の胸糞話を聞いてさぞ不快な気分になっただろう。話し手の僕だって口が腐るかと思ったし、今すぐにでもこの世のあらゆる生命を根絶やしにしたいくらいだ」

 

 それでもテュポーンは復讐をやめない。

 

 神々への憂さ晴らしは終えた。次は人類(おまえたち)の番だ。

 

「だから今度はレインの話をしてやろう。何人にも知られることなく世界を救って死ぬことを決意した、誰よりも優しい戦士の話を、ね」

 

 僕が……僕達が今まで奪われていた幸せ(もの)を、奪い返してやる。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「神、様……?」

 

 今の話は嘘ですよね? 『外道』や『非道』じゃ言い表せない、嫌悪感しか湧かない闇派閥(イヴィルス)以上の所業に賛成するなんてこと、ないですよね? ウィーネやリドさん達がされてきたことを知っていますよね?

 

 そう言いたいのに、ベルの口は溶接されたかのように開かなかった。ヴェルフ達も縋るような眼差しでで自分達の主神を見つめるだけ――ヴェルフと命に至っては好いた相手が神である。ベルよりも心は荒れているだろう――。

 

 問い質したい相手(ヘスティア)も眷属達を一瞥したきり、歯を食いしばって何も訂正してくれない。

 

 ツインテールを荒ぶらせながら『僕がそんな邪神みたいな真似すると思うかー!? 君達が一発殴れば勝てるゴブリンにだってフルボッコにされるんだぞ!』とするはずだ。

 

「………………本当だよ」

 

 なのに。ヘスティアは否定をしなかった。周囲にいる神々のように否定してくれなかった。

 

「この声が……テュポーンが言っていることは全て真実だ」

「――ッ! いつか自分達を殺す()()()()()()、というだけでですか!?」

「そうだよ。全知全能である神々(ぼくら)を殺せる力を持つ存在を野放しにすることなんてできない。本人にそんな意思がなくてもね」

「相手を大切に想い合っていただけの女神様方に……何故そんなことができるのですか!?」

子供(きみ)達からすれば鬼畜に見えるだろうね。でも、あの二柱の事情を考慮すれば十分に慈悲を与えてあるんだよ。『ずっと一緒にいたい』って願いを叶えてあげたんだからさ」

 

 あろうことか独裁的で、高慢で、清々しいほど自己中心的な所業を肯定した。ベルは立っていた地面が崩れていくような気分になり、不格好に背中から倒れ込む。

 

 これが真実……あんまりじゃないか。神々の眷属になる人はモンスターに復讐しようとしてなった人だっている。それが復讐に必要な力を手に入れる一番の近道だからだ。他ならないベルだってそうだ。家族をモンスターに奪われた。その瞬間を見なかったから憎しみを抱けなかっただけで、もし見ていたとしたら――『異端児(ゼノス)』の手を取ることはできなかっただろう。

 

 ヘスティアはその事情を知っている。話した時に自分のことのように怒って、慰めるために抱きしめてくれたことを、ベルはずっと覚えていた。

 

 なのに、復讐相手(モンスター)を生み出すことになった原因が神々? じゃあなんだ、神々は自分達が不幸のどん底に叩き落とした相手に善神を装って手を差し伸べて、感謝する人間(こども)を笑顔の裏で嘲笑っていたのか? 貴方のお陰で仇が取れたと言う人類を、その仇の大元は自分だと爆笑していたのか? 恩着せがましく? 趣味が悪過ぎる。罪なき女神が理不尽に苦しめられた代価として得られる『魔石』を人類が持ってくるたび喜んで、それを何食わぬ顔をして利用して。

 

 胸の奥から吐き気が込み上げてくる。頭がガンガンしてきた。神々の腐った性根に眩暈がする。

 

 ヘスティア……目の前の女神は苦しそうな顔をしている。だから何だ? 下界に来て直接被害者(じんるい)と触れ合って、今更罪悪感が芽生えたのか? 正直に話すことが誠実とでも言いたいのだろうか? ずっと隠していたのだから誠実なわけがない。きっとウィーネ達に同情的だったのは罪滅ぼしのつもりだったのだろう。

 

 神々は人類を愛しているのだろう。人類の人生を尊重しているのだろう。同じ視点からではなく、(プレイヤー)の意思一つで破棄されてしまう盤上の駒(キャラクター)と、駒が決して逆らえない盤外からの指し手(プレイヤー)の関係として。いざとなれば人類を容易く排除できる――『神』として。

 

 何のために『神の恩恵』を背に授かったのだろう? ヘスティアを一人にしないという約束が、ヘスティアを幸せにするという密かな誓いが、ベルの中から消えていく。

 

 ずっと気にもしなかった。ヘスティアが『バレたらマズイ』と言った時、ベルは『誰に?』と考えたのに。ウィーネを隠れ里に届けた後、ダンジョンについて尋ねた時も、口籠っていたのは知っていたのに。

 

『だから今度はレインの話をしてやろう。何人にも知られることなく世界を救って死ぬことを決意した、誰よりも優しい戦士の話を、ね』

 

 今や世界を支配している声が響く。声に含まれていた名前に反応して顔を上げたベルは、不安定な精神に更なる衝撃を受けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『レインはね――全て知っていたんだよ。クソみたいな封印(ダンジョン)がどうしてできたのかも、「神の恩恵(ファルナ)」の裏の意味(おかしさ)も、神々の本性も全部』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――は?」

 

 知らなかったのは精々、僕の名前くらいじゃないかな――後付けのように響いた言葉は右から左に抜ける。オラリオの住人、特にレインと関係があった者にとって聞き逃せる情報ではなかったのだ。

 

『んー、最初から教えてやるから黙っていなよ。(クズ)の話をもう一度しろと言われたらそいつを殺すが、レインの話なら百万回語っても足りないくらいだし』

 

 先程まで憎悪と殺意を隠そうともしなかった声が、一転して明るいものになる。まるで別人に切り替わったみたいだ、と感じてしまうほど落差が激しかった。

 

『仔細は省くけど、僕は封印されていた母さん(ガイア)の分身を地上に出した。永遠の寿命がある者からすれば瞬きに等しい時間だけど、ずっと地下深くに封印されているよりはマシだと思ってね。なのにガイアは彼女自身を殺せる存在を探し始めた。つまり、ダンジョン最下層まで攻略可能で、神を殺せる力を有していて、神を殺すことに躊躇しない人類だね』

 

 誰も意味がわからない。どうして想像を絶する惨い仕打ちから解放されたというのに、自ら死にに行く真似をするのか。

 

 ――彼女の真意を理解しているのは、この世界にたった二人だけ。

 

『封印から解放される前の僕は普通のモンスターと同じで、許容量を超える損傷(ダメージ)を受けたら死んでいた。今はダンジョンに面白半分に足を踏み入れた愚か者(かみ)を取り込んで、不老不死の力を取り戻したがな。――ガイアの目的は(ぼく)と心中することだったのさ』

 

 ガイアは自身の愚かで甘い選択を悔いていた。ダンジョンの底で自分をずっと責め続けて、暗闇しかなかった地底が心を慰めるような場所になって、娘の優しさを感じて更に責めた。

 

 だからこそ。だからこそ、テュポーンの優しさで太陽に照らされる地上を踏んだ時、誓った。ないに等しい可能性であろうと、悲願を――死で彩られた救いの手を差し出してくれる者を見つけると。

 

『そして、出会った。彼女の悲願を叶えられる、最強の戦士――レインに。彼は下界全土(せかい)に潜ませていた「神への刺客(黒いモンスター)」を一切合切殺し尽くし! ついには僕の分身とも言える「空の皇者(ジズ)」をッ、「黒竜」にすら勝利を掴んだ!! ……あの時ほど、「黒竜」と視界が接続(リンク)していて良かったと感じたことはないっ』

 

 ベルが辺りを見渡せば、黙れと釘を刺されたにも関わらず、周囲で驚愕の声や悲鳴が上がった。中にはその『黒竜』に勝った人物(レイン)に助けを求める者までいる。

 

 ――その嘆願する行為が、テュポーンの逆鱗であるとも知らずに。そもそも、人類を滅ぼすと告げた相手が人を褒めていることに気付かなかった時点で遅すぎたのだ。

 

『ああ、本当に良かった――レインが優し過ぎると確信できたのだから。レインが強すぎるとわかったから。彼ならガイアを殺さずに解放して、僕だけを消滅させようとすると予想できたからね! おかげで僕は何の被害もなく封印をぶち破れたし、大技を使った反動で生じた隙を狙ってレインの首を落とせた』

 

 テュポーンは人類と神々の心に希望を芽生えさせ、最悪のタイミングで潰した。

 

 レインの強さを知っている者ほど、絶望が強く心を蝕んだ。レインの強さを知らない者ほど、絶望が小さく――姿を見せずに散った希望(レイン)に理不尽な怒りを覚えた。

 

 そして吐き出してしまった言葉は、テュポーンの意識を弾けさせるほどの禁句だった。

 

「ふざけんな! そいつが腑抜けで優柔不断な真似をしたから、俺達はこんな目にあっているのか!? 迷惑だから生まれてきてんじゃねーよ! 俺達まで巻き込むな!」

 

 もしかすると、発言者にとっては他者を鼓舞するために強気な言葉を使ったのかもしれない。死者さえも利用しなければ無意味に死ぬと直感した可能性もある。

 

 しかし、代償は余りにも大きかった。

 

『―――――――――――――――――』

 

 時間にして僅か一・四秒。テュポーンはとある『声』を風に乗せた。

 

 乗せたのはガラスに思いっきり爪を立てたような、悪に酔いしれた者が発する神経を逆撫でする哄笑のような、地獄に落ちた亡者が上げる怨念のような、不快と狂気を極めたものを混ぜ合わせたかの如き音。

 

 ――『黒竜』との戦い以降、レインが絶え間なく浴び続けた憎悪の声。

 

 たったそれだけで……世界の総人口の一割以上の人間が死んだ。精神の死に釣られて肉体が死んだ。精神的苦痛に耐えきれず死んだ。発狂して殺し合って死んだ。

 

 死んで死んで死んで死死死死死死死死――死が広がった。

 

「――で? まだレインを侮辱する奴はいるか? 言っておくが、レインは一年もの間、今の声を聞いていたぞ。それでも彼の立場になりたいと言える? 彼と同じことができる?」

 

 口にしながらテュポーンは世界が滅んでもありえないとわかっている。レインほど異常な性格をしている人間はいないのだ。

 

 彼は責任転嫁を絶対にしない。自分の不幸を嘆かない。自らの行いを正当化しない。これらは全て人が心を殺さないために無意識にでもする行動だ。

 

 レインの心は死んでいるも同然だ。それでも空になった心の器にある優しさの残滓と、溢れる憎悪だけで精神と肉体を動かしている。

 

 テュポーンも語る気が失せた。

 

 レインは『黒竜』に代わって世界の敵になろうとしていた。奈落の底にいても感じられる力の波動には精霊の力が混じっていた。レインの性格上、強大な力を得て傲慢になることはないし、無意味な殺戮のためでもない。力を見せつける、ということが重要なのだ。

 

 恐らくレインは『異端児(ゼノス)』さえも救おうとしていた。テュポーンだけが死ねばダンジョンは残り、生まれるモンスターは『異端児』に限りなく近い存在になると、怪物の王(テュポーン)は感覚で理解していた。

 

 圧倒的な恐怖や強大な敵は、長年争った隣の敵を味方へ変える。生きるか死ぬかの境界に近付かねば強くなれない冒険者と違い、『魔石』を喰らうだけで強くなっていく理性のあるモンスター。一年や二年は無理でも、いつか手を取らざるを得なくなるだろう。『異端児(ゼノス)』や彼等に同情した者に向けられるはずの恨みや嫌悪も引き付けるつもりだったはずだ。

 

 精霊達はレインが生きていると思わせるための布石。異常進化した大精霊二柱に勝てる冒険者など間違いなく現れない。レインが死んでいることは誰にも知られず、永久的な平和が約束される。

 

 レインは力を付け過ぎた自分という存在も心配していた。一人で世界を滅ぼせる個人を各国が放っておく訳がない。レインを取り込むために道を踏み外していくだろう。そして、必ず失敗を忘れて同じ過ちを繰り返す。

 

(きっとこれがレインの計画。代償としてレインは富も名声も与えられず、汚名と憎悪と神々の尻拭いを押し付けられて死ぬ、か……)

 

 テュポーンは本当なら全部話したかった。レインの高潔さを猿でも理解できるように語って、人類と神々に己の醜さを自覚させて殺してやりたかった。

 

 でも、気が変わった。殺す。ただ恐怖で心を塗りつぶして殺す。

 

「『無知』。それが人類の罪だ。……『無知は罪』とかいう言葉を作ったのは人類(おまえたち)だし、言い訳なんてしないよね。させる気も、聞いてやる気もないけど」

 

 風は極限まで圧縮するとプラズマを発生させる。この世にある風を支配できるテュポーンならばエネルギーのロスもないため、地上を焦土にするのに十分な破壊力を容易く生み出せる。地上から恵みが消え去ろうと、無限の資源(ダンジョン)さえあればいい。

 

「――もう躊躇も油断もしない。神も人も、存在自体が間違った生物だ。辞世の句を詠む程度の慈悲は与えてやろう。後悔と絶望を抱いて死んでいけ」

 

 そう吐き捨ててテュポーンは声を乗せる風を止めた。わざわざ聞かなくても醜い責任の押し付け合いや命乞いが起きているのがわかる。

 

 すぐにテュポーンはプラズマ精製に意識を向けて――やめた。

 

 代わりに二人の人間を手繰り寄せる。有象無象はまとめて始末してもいい。が、この二人だけは自らの手で殺すと決めていた。

 

「うわあっ!?」

「ッ」

 

 一人は男。雪のような白髪と深紅(ルベライト)の瞳の少年。

 

 一人は女。金の髪と金の瞳を有する、ガイアによく似た少女。

 

「初めまして、ベル・クラネル。初めまして、アイズ・ヴァレンシュタイン。僕の手で逝けることを死ぬほど感謝して、死ぬほど絶望するといいよ」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「どうして名前を知っている? とでも言いたそうだな。それに答えるなら、残り一年足らずで勝手に壊れるくらい封印(ダンジョン)が弱まっていたからであり、お前達二人は『黒いモンスター』を通して見たことがあるからだ」

 

 この場に自分達を招いた絶対者の十字の瞳に睨まれ、アイズとベルは息をすることもできなかった。冒険者として培ってきた生存本能が、想像を絶する『格』の違いを訴えてきたからだ。――見抜けたと思えた『格』の差が、テュポーンにとってはあってないものと知らないことは、二人にとって最大の幸運だった。

 

 そして、最大の不運は――目を逸らせば死ぬと思い込んで、絶対者の顔を直視してしまったことである。

 

「……フィーネさん?」

 

 絶対者の正体が知人だと知って生じた少しの安堵と、極限まで高まっていた緊張。それらが合わさってベルは思わず声を出してしまった。

 

「――気安くその名を口にするな」

 

 冷たい声が耳朶を震わせた直後、ベルの顔のギリギリを風が一過して――べちょり、と何かが手甲に落ちてきた。

 

 恐る恐る手甲に目を向けると、そこには赤く染まった耳が――ベルの左耳が落ちていた。知覚した途端に左側頭部が灼熱で炙られたように熱くなった。

 

 部位欠損という大怪我の激痛とショックから、血と涙と脂汗を流すベルの喉から絶叫が迸ろうとする。

 

 しかし、

 

「喚けばもう片方も落とすぞ」

 

 叫ぶことはできなかった。憧憬(アイズ)に見られていることも忘れて、ベルは右手に嚙みついて悲鳴と恐怖でがちがちと鳴りそうな歯を止めることに全神経を注ぐ。

 

 一部始終を見ていたアイズがベルに失望するということはなかった。彼女も目の前のテュポーンが恐ろしい。復讐も全て投げ出して逃げ出したいと、心の中の幼いアイズが叫んでいた。

 

 必死にテュポーンの怒りを買わないように思考を回す二人の内心を見抜きながら、テュポーンはその言葉を発する。

 

「ああ、やっぱり……お前達だけは神と同じくらい腹が立つ。どうせ最後だから確認してみたけど、本当に臓腑を焼かれている気分だ」

 

 身に覚えのない怒りをぶつけられて、アイズとベルは困惑するしかない。困惑してしまうのは当然だったが、それがテュポーンの怒りを煽る。

 

「そりゃあ理解できないだろうね。僕とレインがずっと求めていたものを……『幸せ』を当たり前に享受してきたんだから」

 

 当たり前に幸せを享受してきた。その言葉はアイズの中に眠る憎悪の炎を猛らせる燃料になる。

 

「私の幸せは自分の手で手に入れた! 手に入れる前の幸せは、貴方がっ、お前が生み出したあの竜に奪われたんだ! 私の幸せを奪ったお前(モンスター)が、そんなことを言わないで!!」

「その幸せを自ら捨てたのは貴様達だろうが。命を奪いに来た者が、命を奪われるのを嫌と言える道理はないぞ」 

「――! お前達『怪物(モンスター)』は――」

「大人しく殺されるべき存在だと? 神々が保身に走ったせいで生まれたのがダンジョンだ。貴様の恨みを受け止める義理などないし、僕はレインほど優しくない」

「嘘だ! 全部、全部、全部! お前達(モンスター)さえいなければ!!」

 

 そこまでアイズは叫んで、凄まじい衝撃と共に地に倒れ伏した。顔の中央が訴える途方もない痛みが、アイズの意識を刈り取っては覚醒させる。

 

 Lv.6の顔面が陥没するほどの膂力で殴り倒したテュポーンは、小刻みに痙攣するアイズを蹴り飛ばしてベルの前に転がした。

 

「嘘じゃないんだよ。神々が地上にいくつも悪夢の種を蒔いた。お前だってその一つ。どうせ『黒竜』を討った後に真相を明かされて、お前自身が厭悪(えんお)した『黒竜』になっていただろうさ。そうしないためにレインは復讐の矛先を自分に向けさせて、お前が死ぬまで隠し通すつもりだったのさ」

 

 次に回復薬(ポーション)をアイズに使おうとしているベルに焦点を合わせる。

 

「お前もだ、ベル・クラネル。『英雄』になりたい? そんなに神々の悪戯の後始末をしたかったのか? 

 確かにお前ならなれただろうね。世界を救おうとする偽悪者を邪魔した偽善者か、罪なき女神を手にかけた道化にな」

 

 テュポーンは恐怖心を煽るように徐々に剣を抜き、圧倒的弱者へゆっくりと歩を進めていく。

 

 ベルは動けない。仮に動けたとしても、彼と彼が介抱する少女の命を奪おうとする死神からの逃亡は不可能だ。

 

 それでも最後の賭けとばかりに、必死に喉を震わせた。

 

「どうして……僕達まで殺そうとするんですか……? 恨みがあるのは神様達だけじゃ……」

「何も知ろうとしなかったことに腹が立つ。僕と母さんとレインを犠牲にして人類が繫栄するのが頭にくる。お門違いの恨みつらみをモンスターに向けてくるので限界が来た。全ての人類が愚かではないのは知っているけど、僕はレイン以外どうでもいい。神も下界に降りて変わった奴もいるだろうが、僕には微塵も関係ない。冒険者(おまえ)は弱肉強食の迷宮で生きてきただろう? 今回は絶対的強者(ぼく)が気に喰わないと思ったから、圧倒的弱者(かみとじんるい)を滅ぼす。今更善悪を論じる気はないから、反論は聞かないよ。嘆きは天界で裁きを下す(クズ)に言えばいいさ」

 

 テュポーンの心は揺るがない。テュポーンが【神を誅殺せし獣(テュポーン)】となった時から、同じ過ちを繰り返さないと誓ったのだ。

 

「じゃあね、道化の英雄と復讐姫。二人の人生はどこまでも神の玩具でしかなかったよ」

 

 無力な二人の人間の命を散らすのに十分な威力と速度が乗った一撃が、振り下ろされた。

 

 道化の英雄と彼が庇う復讐姫に抵抗する力はない。彼等に残された選択は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「……助けて」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他者に救ってもらうことを願うだけだった。無意識に零れた弱者の言葉(いのり)。しかし、世界を滅ぼす怪物から二人を助けられる者など、この下界にいるはずがない。

 

 ()()()()()()()()()

 

 キィイイイン! バチバチ! と澄んだ音と電流が流れたような音がアイズとベルの耳に届いた。

 

「――ふ、ふふっ、ふふふふふ! やっぱり生きていた! この二人を呼び寄せた時に()()()()()()確信したけど、君なら生きていると思っていたよ!!」

 

 二人は彼に何度だって救われた。恩はこれっぽっちも返せていないのに、幾度もひどいことをして傷つけた。だというのに、自分達はその背に守られている。どこまでも大きくて優しくて暖かい、その黒い背中に。

 

「やっぱり君は最高だ――レイン!!!」

 

 世界を滅ぼせる力を持った怪物(モンスター)と同じく、世界を壊せる力を手に入れた戦士が駆け付けた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 火花を散らして瓜二つの青白い魔剣が離れる。正直に言って、レインが間に合ったのは本当にギリギリだった。クリュスタロスが吹き飛ばされたのがレインがいた方向でなければ、『分身魔法』の影響で【ステイタス】が半分に割れていた自分では手遅れになるところだった。

 

 今の一撃もそうだ。隻腕のレインは単純に考えても力が半分落ちている。分身で【神を誅殺せし獣(テュポーン)】を消し飛ばしたおかげでLv.10に昇華(ランクアップ)したが、腕が一本あるのとないのでは馬力が違う。加減されていなければあっけなく押し負けて、そのまま両断されていた。

 

「【ディア・フラーテル】」

 

 視線は前に向けたまま重症の二人を治療する。純白の魔法円(マジックサークル)に包まれるベル達の傷が癒されても、テュポーンは何もしない。楽しそうに笑うだけだ。

 

「なるほど。『黒竜』に代わる脅威を大精霊にするのはいいとして、まだ生きている『黒竜』をどうするのかと思ってたけど……今の君なら半分の【ステイタス】でも勝てるな。一度戦った相手には絶対に負けないもんね」

 

 さらりと行動や使っていた『分身魔法』の制約(デメリット)まで言い当てられて眉を顰める。今のやり取りでも相手(テュポーン)が自分と同等以上の知能があるとわかった。せめて人間というだけで見下す隙があってほしかった、と内心で舌打ちする。

 

 テュポーンの瞳はレインの後方の遥か先を射抜いている。『分身魔法』を解除すると同時に置いてきてしまったが、こちらに来ているクリュスタロスの背に乗っている存在が恐らく見えている。

 

「どうして『魔石』を狙わないのか気になっていたけど……やっぱり君は優しいね」

「……俺ほど器の小さい人間はそういないぞ」

「まさか! 僕が君を軽く見る訳がないだろう? 僕を殺せる手段を持つ君を、さ」

 

 レインは隠さずに舌を弾いた。後ろの二人を不安にさせたくなかったが、認めるしかない。

 

「ま、僕を殺せる力があっても、君は僕に勝てない。違うかい?」

「そうだな。時間があるなら別だが、俺にはもう半日も残されていない」

 

 忌々しい。今の自分では絶対に勝てないと認めなければならない自分の弱さに殺意が湧く。

 

「恥じることはないさ。君なら時間があれば本当に僕に勝てるだろうし」

「何の慰めにもならん」

「アハハ、それはごめんね。お詫びとしてレインには時間(これ)をあげるよ」

 

 そう言ったテュポーンの掌に『魔力』が集まる。触れさせるだけで超硬金属(アダマンタイト)も塵にしそうな『魔力』の塊は圧縮されていき、妖しく輝く『魔石』になった。

 

「これを胸に埋め込むといい。継続的に『魔石』を取り込まないと朽ちる怪人(クリーチャー)と違って、これは寿命の存在しない人を超越した種族、言わば魔人にしてくれる。僕とレイン、そして母さんの三人で永遠に面白おかしく暮らそうよ!」

 

 テュポーンの笑顔に曇りは微塵も見受けられない。自分の提案がとても素晴らしいものだと心の底から信じ込んでいる。

 

「あ、別に魔人になっても力に変化はないよ。本当に寿命を取り払うだけだから安心して!」

「……俺が魔人とやらになることを受け入れたとして、神々と人類はどうする?」

「殺すけど? 反省も後悔も一時だけで、すぐに僕等を恨んでくるよ。見逃す意味が何一つとしてない。――まさか……まだ救おうとするつもりじゃないよね? あれだけ浅ましくて醜い本性を曝け出されたのに」

 

 優しく話していたと思えば――瞬く間に一転。眦が裂けた、恐ろしい無表情で見つめてくる。

 

 レインは背後に目を向けた。アイズもベルも、レインに縋る眼差しを向けている。しかしその目には、隣の相手を命に代えても守ろうという覚悟があった。

 

 ――ならば俺も覚悟を決めよう。

 

「ある訳がないだろう? 自分の命を捨ててまで目に見えない誰かを助けようなんて思わんよ」

 

 後ろの二人が動揺する気配がした。反対にテュポーンの顔は喜色で彩られる。

 

「じゃあ!?」

「けどな。守ると決めた相手は、そいつに見限られようと守り抜くと決めてるんだ。だから、お前は俺の敵だ」

 

 剣を突き付けて、不敵な笑みでそう言い切った。

 

「――はぁ?」  

 

 激震と共に大地が大きく抉られる。抉れ具合は大きなものから細いものまで様々だ。

 

「僕が、レインの、敵?」

「そうだ。ぶっちゃけ神はどうでもいいが、人類を滅ぼすのは見過ごせん」

「そうじゃない……弱すぎて僕にとっては敵ですらないって――言ってんだよッ!!」

 

 能面のような顔になったテュポーンの怒号を合図に抉られた地面が、散弾となってレインを傷つける。

 

「殺してからゆっくりと魔人にしてあげる。僕を殺せる【インフィニティ・ブラック(まほう)】を使う暇は与えな――」

「――誰が『魔法』を使うと言った?」

「……なんだと?」

 

 身体に空いた穴の痛みにも揺らがなかったレインの笑みが、最強最古の怪物(モンスター)に理由が付けられない危機感を覚えさせた。

 

 テュポーンはレインの背に刻まれた【ステイタス】を見たことがない。しかし、『黒いモンスター』を通してレインの戦いを観察し、『魔法』と『スキル』の効果や数を予想していた。――予想が完璧に当たっていることは本人も知るところではないが――そのため、レインに打つ手がないはずだとわかっている。

 

 背に刻まれた『神の恩恵(ファルナ)』に目を通せば、完全にレインに打つ手なしと決め付けるだろう。テュポーンの劣化模倣とも言える竜にまつわる二つの『スキル』は言うに及ばず、『魔法』は一つ発動させる間に千回は殺せる。

 

 ――他ならぬその『スキル』を発現させたレインしか、真の力に気付けなかった。

 

 レインはテュポーンに突き付けていた剣を反転させた。必然、切っ先はレインに向く。

 

 テュポーンは何もしなかった。レインの性格を見抜いている自負があっただけに、彼がその行動に出ることは予想の範疇に存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう。レインがそのまま剣を引き絞り――心臓に突き立てるなど、想像できるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 ベルの震えが止まる。アイズの息が止まる。テュポーンの時が止まる。三者三様の反応も勢いよく奪われていく生の熱も意に介さず、レインは柄を握る手に力を籠めて、思い切り捩じった。

 

 それは儀式だ。ガイアから『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた瞬間に()()()()()、『本当の望み(スキル)』の封印を解除するための儀式。

 

 一本、また一本と外れていく抑制の楔。『神の恩恵(ファルナ)』が刻まれた背中が尋常ならざる熱を放ち、邪魔だと言わんばかりに神の血(イコル)で綴られた神聖文字(ヒエログリフ)を蒸発させた。

 

 『神の恩恵(ファルナ)』をなくして力を失うはずのレインは、これまでとは比べ物にならない究極の力が溢れ出すのを感じていた。これがあれば何でもできる、そう直感してしまうほどの力を。

 

 圧倒的な力は人を容易く狂わせる。だが、レインが変わることはない。

 

 その『スキル』はレインからありとあらゆる『救済』を奪い去る。その『スキル』はレインの戦い(ちかい)を否定する。

 

 正しく感情を受け取る機能を壊さねば耐えられない軟弱な精神、人であれば必ず訪れる死、言い訳を許してしまう身体の欠損、全てが奪われることが決定した。引き換えに未来永劫蝕まれることのない心を、死を奪われた結果ともいえる不老不死の肉体を、人智を超えた特殊能力が与えられた。

 

 三者の前でレインの姿が変わっていく。

 

 身体は一回りほど縮み――というか幼くなり――十五歳程度の見た目に。ボロボロになった服は一瞬で消え失せ、どこからともなく現れた黒衣が瞬きの間に彼を包み込み、長い黒の襟巻(マフラー)が風で揺れる。

 

 ベルによって奪われた左腕と右目には黒い靄が集まり、コマ送りのような速さで生え変わった。同時にレインの黒眼と白眼が反転する。

 

 そのまま一気に剣を引き抜き、心の中で知ったその『(スキル)』を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「【我に従え】――【時死黒剣(マハカーラ)】!!!」

 

 狂気を孕みながらも美しかった青の魔剣は、どこまでも深い黒に染まっていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「な……ん、だ? いったい何をした?」

 

 絶句しながらもテュポーンは口を動かした。知らなければならない、知らないままにはできないという強迫概念に突き動かされて。

 

 レインは笑った。不敵にではなく、消えてしまいそうなほど儚げに。

 

「【時死黒剣(マハカーラ)】。【憎悪刻魂(カオスブランド)】の本来の姿と言ってもいい。効果は無限の寿命、塵になろうと復活できる再生能力、時間経過で上昇する身体能力、黒いもの全てを操る特殊能力、使用した相手を確実に殺す剣の獲得。デメリットは、ない」

「!?」

「発動条件は……俺自身の意思で命を絶つこと」

 

 レインはずっと死にたかった。本当は死んで、あの世でフィーネに謝りたかった。それが彼にとって最上の『救い』だった。

 

 皮肉極まりない『スキル』だ。逃げる(しぬ)ことを選んでしまえば、彼は永遠に生きなければならなくなる。消えてしまった最後の救い()に焦がれて、積み重ねた屍と鍛錬を無意味にする力を持ったまま、永遠に。

 

(そこまで……自分を犠牲にしても、君はそいつらを守るのか。僕を――殺すのかぁ!?)

 

 どれだけレインが自分を押し殺して『スキル』を使ったのか、その『スキル』にレインの思いがどれほど込められているのか――テュポーンは理解してしまう。

 

 激怒と憎悪がテュポーンの心を染め上げる。でも、それ以上にレインが――

 

「――僕に挑む気か。人間」

「ああ」

「君が持つその剣、それは僕を殺せるのだろうが、裏を返せば君も殺せるんだろう」

「そうだ。これを使えば俺も死ぬぞ」

 

 向かい合う二人は静かに、それでいて激しく意志をぶつけ合う。

 

 一時の静寂が訪れ、それを破るようにテュポーンが青い《傾国の剣》を振るった。神器に匹敵する魔剣は秘められた力を存分に発揮させ、何もなかった空間に青き残光に沿って裂け目を入れた。

 

「その覚悟に敬意を表して、一騎打ちで相手をしてやる。力の制限がいらない別の世界でな。特別に一分だけ時間をやろう。来なければ、鏖殺だ」

 

 一方的に言い残して、テュポーンは星に似た無数の光が煌めく闇の中に消える。

 

 脅威が消え去ったことで空気が一気に軽くなった。ベルとアイズは強張っていた身体の力を抜いて、盛大に息を吐く。

 

「おい」

 

 しかし、二人は再び身体を硬直させた。

 

 この場にはまだレインが残っていた。アイズは見当違いの憎しみを散々ぶつけ、ベルに至っては腕を欠損させる重傷を負わせている。謝って済むとは思えず、気まずい空気が流れた。

 

「ベル」

「はいっ!?」

「自分にとって大切な者は、何が何でも守り抜け。後ろ指差されて笑われようが、人類の敵として罵られようが、守れないよりは絶対に良い。……俺みたいになるなよ」

「――」

 

 その言葉は、ベルの心の奥深くに刻まれる。

 

「アイズ」

「……何?」

 

 レインは無言である方角を指した。アイズがそちらに目をやると、生きているのが不思議な傷を負った白馬がいた。クリュスタロスである。その背に乗っている何かの正体を理解した瞬間、アイズの金色の眼が限界まで見開かれた。

 

 それを見届けて、レインは最後の戦場へ続く次元の裂け目に歩き出す。

 

「待って! レイン、待ってよ!」

 

 レインが次元の裂け目数歩手前まで来たところで、アイズが感付いた。

 

 いつ次元の裂け目が閉じるのか不明な以上、彼女を止めるために言葉を発するのは当然だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイズ、そこにいなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――」

 

 丁寧な言葉遣いにしたのは、その方がアイズにはいいと思ったから。それ以外に意味はなく、実際、アイズは足を止めた。

 

 振り返らなかったレインはアイズの顔を見ていない。彼が入ってすぐに次元の裂け目は閉じたため、確認する機会がやって来ることは二度とないだろう。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――どこまでも広がっていそうな闇は、実際にはとても薄いものだった。それが次元の裂け目をくぐったレインの感想である。

 

 その世界に太陽はない。名もなき白い花が咲き誇る無限の大地を照らすのは、天で輝く無窮の星々と薄い極光(オーロラ)だ。

 

「来たね」

 

 地に刺した剣に両手を重ねてテュポーンは待っていた。閉じていた目を開くと、レインが何も持っていないのが見えた。

 

「無手でやるつもり?」

「んな訳あるか。あの剣は使うのに条件があるんだよ」

「へぇ? どんな条件?」

「相手が敗北を認めた時。それだけだ」

「……本当に君らしいスキルだ。でも、武器はどうする?」

「こうする」

 

 軽く目を閉じ、右手を前に出す。そして低い声で唱えた。

 

「【我に従え、雷霆の剣】!」

 

 眩い閃光と共に、レインの右手には黄金の剣が収まっていた。

 

糞爺(ゼウス)の雷……使い手を焼き殺す代償に『雷霆』の加護を与える剣か」

「もう寿命がないからな。遠慮なく使える。……今更だが、この世界は何だ。名前はあるのか?」

「……この世界の名前は『楽園(エデン)』。いざという時に僕が母さんと閉じ籠ろうと計画していた世界。ここでは元の世界の()()()の早さで時間が進む。……少しでも長く、ほんの少しでもいいから幸せな時間を過ごしたいと願った名残だ」

 

 レインは何も言わなかった。テュポーンも慰めや同情を欲しがらなかった。

 

 合図もなく同時に武器を構える。高まっていく戦意と殺意。勝利への飢えが、最強達の心を激しく燃やし、前に進むための力になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「これが僕の――最後の戦いだ!!!」」

 

 【神を誅殺せし獣(テュポーン)】と【雨の日に生まれた戦士(レイン)】が、激突した。




 こんな感じでレインは生きていました。フィルヴィスを仲間にしたので『分身魔法』は当然模倣(コピー)しています。予想できた人はいますか?ちなみにレインが生きていた他のヒントとして、傾国の剣が二振りあるという描写をしなかったのがあります。

 黒竜の名前として出した『空の皇者(ジズ)』ですが、完全に推測です。ベヒーモス、リヴァイアサンと続いたのでジズかな? と思っただけです。テュポーンが黒竜で通しているのはジズが何と聞かれるのが面倒だから。彼女は効率中です。

 そして登場したレインのスキル【時死黒剣(マハカーラ)】。これはこの話を書く時から決めていました。意味は「時間、死、暗黒を支配する者」です。無限の寿命が時間、再生能力が死、黒を操る特殊能力(主に影。夜なら無敵と言ってもいい)が暗黒です。スキルの名前も「時死」→「自死」→「自殺」。「(こく)」→「(こく)」と掛け合わせています。少し若返ったのは、この頃のレインが最も苛烈で攻撃的な性格だったからです。

 チート中のチートみたいなスキルですが、こういった力はレインが絶対にいらないと思っていたものです。だからこそ自殺、逃げた時に発動するようになっていました。

 レインのスキルは、生まれた時から使えるエルフの『魔法』のようなものです。『神の恩恵(ファルナ)』がなくなっても【憎悪刻魂(カオスブランド)】の特性も残っているので、『魔法』は問題なく使えます。他のスキルは……不明。

 本当なら【ステイタス】はLv.0としか表示されませんが、参考としては全部の能力値が一秒で1000ずつ上昇し、一分で【ランクアップ】すると思ってください。そして『雷霆の剣』がアルゴノゥトを『加速』させたように、成長速度も『加速』されます。

 余裕で勝てそー、と見えるかもしれませんが、テュポーンには神を殺したことによる莫大な『経験値(エクセリア)』があります。彼女自身も成長するので、戦いの結末がどうなるのかはわかりません。


 ではまた次の話で。






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