雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか 作:柔らかいもち
忌々しそうに少女を担ぐ
ここまで本当に僅か数時間で到着したことにも驚いたが、町の外にそこそこの住人が集まっていたことに驚いた。彼等は
「おいっ、ここにはワルサ兵が来たはず! なのに何故逃げようとしないんだ!?」
今も町の中から悲鳴が聞こえる。もしかすると彼等はまだ町の中に残っている住人を見捨てることが出来ないのかと思ったアリィが、慌てるが故に声を荒げてしまう。
その声に反応した住人がアリィ達の方を振り向く。彼等の顔は青ざめ、その手足はガタガタと震えていた。まるで恐ろしいナニかを見たかのように……。
「あんた……黒ずくめの少年の知り合いか?」
「レインのことか? 確かに私達はそいつの仲間だが――」
「頼む! あの
「……は?」
思わず声が漏れてしまう。化け物からワルサ兵を助ける? ワルサ兵から
そんなアリィを置いてフレイヤが町の中に入っていく。それに気が付いたアリィも、慌ててその後を追う。
『――ギャァアアアアアア!!??』
三日前に通った北門を再び通ると、町の中央部――フレイヤが買った『オアシスの屋敷』のある方から凄まじい絶叫が響いた。その方角からはここからでも目が眩むほどの光が放たれている。
光に目が慣れると、アリィの眼には鮮血で汚されたオアシスや、ぶちまけられた品々、冗談のように転がる大量の死体が目に入った。あまりの光景にアリィが立ち尽くしていると、フレイヤ達のもとへ駆け寄る影があった。纏う衣装のあちこちを焦がした男、ボフマンである。
「フ、フレイヤ様ぁぁぁぁぁぁ!? ど、どうか、どうかお助けをぉ!」
「先に状況を言え」「速やかにだ」「フレイヤ様の『私財』はどうなった」
女神を背にかばって立ちふさがるガリバー兄弟に、折檻をうけたボフマンはびくりと怯えたものの、それ以上の恐怖を保ったまま説明した。
「と、突如ワルサの兵が急襲し、防壁を突破っ、問答無用で町に火を! 略奪の限りをつくしながら、『アラム王子はいるか』と問い、答えられぬ者から葬って……!」
「……ァ」
自分がここに身を寄せたせいで、無関係の国の人々が襲われてしまったことにアリィは絶望する。フレイヤは今にも崩れ落ちそうな少女も、膝をついて戦々恐々としながら言葉を絞り出すボフマンも一瞥することがない。
「フレイヤ様の『私財』をも……。屋敷にも押し入られ、元奴隷たちは既に……」
フレイヤはボフマンの言葉を最後まで聞かずに進む。その先は『オアシスの屋敷』に続く道。そこに横たわっていたのは、彼女の眷属になりたいと願った、少年と少女だった。その瞳に光はない。
「…………」
手を重ねるようにして死んでいる少年と少女の瞼を、フレイヤは汚れるのも厭わず、無言のまま片手で覆い、そっと閉じさせた。
他にも逃げ延びようとしたのだろう。道の奥には多くの奴隷が倒れ伏していた。全てフレイヤが買い取った元奴隷たちだった。例外なく、殺されていた。
女神の相貌には、何の感情も浮かんでいなかった。
「やめろ……やめろぉぉぉぉぉ――!?」
その光景に、涙を流すアリィの叫びが
どしゃり、と建物の陰から音が響いた。それも複数。少女の悲鳴が敵を呼び寄せたと思った眷属たちは、フレイヤを守るために彼女の前にでる。
『ソレ』が姿を現した途端――歴戦の戦士たちですら目を見張ることになる。
「……ダ……ジュゲデ、ェ……」
「アヅぃ……! アジィよォィ……!」
「死ニデぇ……シねネぇ……ェ!」
言葉にするなら『燃え続ける人間』。例外なく火に全身を包まれているソレ等は、第一級冒険者でさえ脅威に感じる火力にも関わらず生きていた。身に纏っていた物は見当たらず、皮膚は見える範囲のすべてが炭化して黒くなっている。
「ウプッ、オエェ……! なんだ……なんだ、これはぁ!?」
あまりのおぞましさにアリィが胃液をぶちまける。アレンが面倒くさそうに燃える人間を殺そうと槍を構えるが、ボフマンが慌てて止める。
「炎に触れてはなりません! 一度燃え移ったが最後、
ボフマンの言葉の意味が分からない。女神の眷属たちがボフマンに目を向けて、答えを吐かせようとする。だがボフマンが答えを口にする前に、フレイヤが歩き出した。他の面々も燃える人間を避けてついて行く。
ついに――『オアシスの屋敷』にたどり着いた。
♦♦♦
そこに広がるのは地獄絵図。数えきれないほどの人間が炎に身を焼かれ続け、絶叫を上げている。水を狂ったかのように頭から浴びている者もいるが、炎が弱まる気配はない。時折呟かれる神の名は、炎に焼かれて誰の耳にも届かない。
これが町の外で告げられた言葉の真実。敵に同情してしまうほど、目の前の光景は悲惨過ぎた。
再び吐きそうになったアリィだが……フレイヤの視線の先にあるものに目を見開く。
フレイヤが見ていたのは『オアシスの屋敷』の屋根の上。そこにいるのは全身黒ずくめの少年と、純白の炎を身に纏う大きさ三メートル程の巨鳥。その鳥の姿からは神々しさすら感じられたが、少年の目を見た途端、心の底から震えあがる。
呆れた目でも、バカを見る目でも、怒った目でもない。まるで駆除するべき害虫を見るような――おおよそ普通に生きてきた者の目ではなかった。
アリィは恐怖から目をそらしたが、彼女の目の前にいる女神は――笑った。普段となんら変わらぬ声音で少年に呼びかける。
「レイン。この炎は貴方の手によるものかしら?」
「そうだ」
「お願いがあるの。この炎を全て消して頂戴。ついでに傷も治してくれると嬉しいわ」
「……………………わかった」
あっさりと承諾したレインが純白の
炎に焼かれていた奴等――ワルサ兵達の喜びは凄まじかった。全員が涙を流し、女神に感謝を捧げる。神ラシャプから
誰も気が付かなかった。フレイヤの笑顔の中で自分達を見る目がレインと同じものだと。
「お礼はいらないわ――私は貴方達を
「……?」
最前列でフレイヤに
「ヨナ、ハーラ」
いくつもの名前を、音に変えた。
「アンワル、ラティファ―,ムラト、ヒシャム、ハジート――」
終わることのない女神の読み上げに、マルザナが疑問の声を上げようとしたが、区切りをつけたフレイヤは声音を変えた。初めて、そのソプラノの声に威圧を込めた。
「貴方達が殺めた、私の子供たちの名よ」
その言葉を聞いた瞬間。アリィの体に、電流が走り抜けた。
「町が燃えようと、人が死のうと、戦争の犠牲になんて興味はない。けれど私の子に――『私のもの』手を出した輩は、許しておけない。」
フレイヤは覚えていたのだ。解放した奴隷たちの名を。気紛れで助け、自分の名を呼んだ人々の顔を。
「な、なにを……」
「誰だって自分の所有物に手を出されるのは嫌でしょう? 財でさえ、想いでさえ……命であっても」
ようやくフレイヤの異常な様子に感付いたのか。マルザナは確かに気圧された。その超常の存在に、怯えた。
「だから、相応の報いを受けてもらうわ」
フレイヤは彼等を憐れんでレインから助けたのではない。報復するためにレインから奪ったのだ。それに気付いたレインは大人しく従った。フレイヤもレインと同じように怒りを覚えていたことに、一目で気が付いたから。
フレイヤの眼が見開かれる。銀の瞳が妖しく輝く。その体から、異様な『神威』が立ち昇る。
「――――――ッッ!!」
その時、初めてアレンたちが顔色を変えた。いかなる状況にも動じなかった最強の冒険者たちが、焦りをあらわにした。
「目を閉じろ!!」
「えっ?」
なりふり構わないアレンの怒号にアリィは動けない。舌打ち交じりに
視覚と聴覚が途絶えた世界の中で、けれどアリィは、その女神の『神威』を捉えた。あらゆるものを貫き――『魂』そのものを鷲掴みにせんとしてきた。
そして――レインは
『ひれ伏しなさい』
”すべての人間の鼓動が弾けた”。”あらゆる生命の音が、打ち震えた”。びくりっと全身を痙攣させたアリィは、そう錯覚した。
その『神の声』は一言だった。しかしその一言で――立ち尽くしていたワルサの兵とマルザナは、
一糸乱れぬ動きで、女神の前にひれ伏す。
「はははぁ――――――ッ!」
アレンから解放されたアリィは、異様な光景に目を見開いた。
誰もがおかしかった。その頬は上気し、口から垂れる涎を野放しにし、悠然とたたずむ女神を仰ぐ。その眼差しにはもはや好色などの感情は存在しない。あるのは目の前の存在だけを望む『虜』の感情だけ。まさに『魂』を抜かれたように。
「私の愛が欲しい?」
「は、はいっ!ぜひっ、どうかっ、何ものにも代えてっ、貴方様のご寵愛をぉ!!」
「そう。でも困ったわ。私は貴方達を許さないと決めたの。報いを受けさせないと気が済まない。そんな子達を、どうして愛せるかしら?」
「そ、そんなぁ……!?」
女神の一言一句に、マルザナと兵は翻弄され、打ちひしがれた。既に笑みを浮かべているフレイヤは、銀の瞳を輝かせながら、魔女の言葉を重ねる。
「けれど、そうね。死して天界で待ってくれるなら、あるいは――」
次の瞬間、マルザナ達は狂笑のごとく唇を吊り上げ、落ちている鋭い木片、石、武器を拾い上げる。
「畏まりました! 待っております――我が女神!!」
『惨劇』は一瞬だった。兵士達が手にした凶器を眼窩に、首に、あるいは胸へと突き立てる。マルザナは呪文を唱え、喉仏に押し当てた手から『魔法』を発動させた。
閃光と爆音が走り、笑みを貼り付けた男の顔が宙を舞い、天に届くことなく落ちる。フレイヤの神意に従い、全ての敵兵が死んだ。
これがフレイヤの『魅了』。何人たりとも逆らうことを許さず、全てを茶番に成り下げさせる、無敵の力。それは絶対支配。傾国の魔女ならぬ『
フレイヤがあらゆるものを支配しようとしないのは、娯楽を楽しむため。何より下界を尊重しているため。己の権能がこの上なく虚しく、これ以上なくつまらないと理解しているから。
だからフレイヤは下界にまつわるものを『魅了』しようとしない。女神の逆鱗に触れられた、その時を除いて。
「私が天界に帰って、今日を覚えていたら愛してあげる。覚えていたら、ね」
その時アリィが見たフレイヤの笑みは、無慈悲に魂を弄ぶ女王の笑みだった。
その女王は屋根の上で、
少年の女神を見る瞳は、空に浮かぶ月を雲が隠したことで見ることは出来なかった。
【ナパーム・バースト】
炎の攻撃魔法ではなく、炎の精霊を使役するという希少魔法。使役する精霊は炎の大精霊にあたるフェニックス(低級の精霊もいるので、こういう精霊もいるはず。作者の願望)。
攻撃対象をかすっただけで灰にする超火力から、今回のように永遠に火炙りの刑にすることも可能。自然現象の火も操れる。
また、火に関する負傷のみ回復させられる……訳ではない。ワルサ兵が死なずに火であぶられたのも、火が消えた途端治ったのも、これが理由。
この魔法によって生み出された炎は、レインの意思か、最上位の回復魔法でしか消すことが出来ない。防ぐなら『精霊の護符』。
ボフマンが炎の性質を少し知っていたのは、町の中を逃げ回っている時に、ワルサ兵からワルサ兵に炎が燃え移るのを見たから。それでレインにビビった。
旅をしている時、レインはこの魔法で火を確保していた。エルフに見られれば誹謗中傷待ったなしである。
レインがフレイヤに『魅了』されなかったのは、スキル【???】が関係しています(どんな感じでこのスキルの正体を書こう……)。