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序章・羅城門の鬼
時は平安、大江山の鬼が
密着するほどの近くでも、大声で話さなければ声が届かないほど雨音の強い日のこと、修理もされず、門の半分が崩壊している羅城門に三人の男が雨宿りをしていた。後に羅生門と呼ばれるようになるこの門は、都の中央・朱雀大路の南端に位置し、都の内と外とを隔てている。その内の二人、
杣売りが
「人間が信じられんなんざ、当たり前のことだぁ。昔、この羅城門に住んでいた鬼は、人間の恐ろしさに逃げて行ったというぞ」
どこか言い訳にも聞こえるその言葉を、門の二階の壊れた部分にいる少女、大江山の鬼退治の時期から仙人を目指し修行している少女も聞いていた。雨音が声の波を掻き消すが、仙人の修行の影響で、十分聞き取れる。大雨の所為で、ずぶ濡れになっているし、真横には相変わらず身寄りのない死体が無造作に捨てられているが、彼女は全く気にしていない。桃色の髪に二つのお団子のような髪飾りを着けていて、右腕が包帯で完全に包まれているのが特徴的だ。
『私とあの歌人の物語は、今の人の世ではそのような形で語られているのですね』
かつて鬼だった少女は、静かにそう思った。腕を切られ、その腕を取り戻すためにこの羅城門で過ごした七日間。その日々を思い出しながら、茨木華扇は静かに歌う。
「水消えては波、旧苔の髭を洗う」
出会いの切っ掛けとなった歌を歌うと、どこからか、あの歌人の歌の幻聴が聴こえてくる。
出会いは十数年前、大江山の鬼退治から、なんとか生き延びた直後だった。あの歌を聴き、この歌を返したのは、
これは、私が一人の仙人の証言を基に記述した物語である
第一章・気霽風梳新柳髪
「はぁ、はぁ、はぁ」
誰にも見られていないのを確認し、鬼はそっと息を吐く。ただし、鬼の象徴たる頭の角は折られ、そして、力の象徴たる腕の片方をも失って、まだ彼女が鬼といえるかは彼女自身ですら知るところにない。
「鬼を探せ!あの鬼は
外では自分を追っている武士の声が響いている。
時は長徳元年、西の国々の暦では、九九五年に相等する時代の羅城門。その二階。
鬼は、この門に潜伏して、人間の追手をやり過ごそうとしていた。
潜伏場所に羅城門を選んだ理由は二つ。一つ目は、ここに、身寄りのない人間の死体がすてられていることだ。もしここを探しに来る人間がいても、折られた角の痕を隠して死んだふりをしていれば、見つかることはないだろう。二つ目は、鬼自身がここを訪れたことがあるからだ。何のためにここに来たのか、そして何をしたのかは忘れてしまったが、この門の構造は覚えている。全く知らない場所に潜伏するよりかは安全であろう。
そこまで考えてから、鬼は自分の思考に対して、怒りに似た感情を覚える。
(私は鬼だ!それも大江山の鬼達の二番手、酒吞童子の副将・茨木童子だぞ。なんで、なんで人間なんぞから逃げねばならないんだ)
この鬼はもともと、人間の村の単なる一人の少女だった。貧しくもなく、富んでもいない。そんな家の長女であった。しかし、ある日、彼女は謎の呪いを受けて村を追い出されてしまった。呪いのせいで、どこかに定住することも各地の人間に許されず、食料とはとても言えないようなものを食べて放浪するなか、彼女は伊吹童子に出会った。伊吹童子が持っていた『鬼の百薬升』と呼ばれる升で酒を飲み、彼女は自らに憑いた呪いを掻き消し、その副作用として鬼となった。鬼は、その選択が間違っていたとは思っていない。
(もし自分があの時、伊吹童子の酒を飲んでいなければ、自分は今ごろ、空腹か、もしくは呪いの魔の手によって、この門に捨てられてた死体の中の一つになってしまっただろう。)
鬼は正直にそう思っている。それが理由で、もしくはそれを理由として扱って、鬼は、自分がなした悪行は全て仕方のないことだと考えるようにしていた。そうしているうちに長い時が流れ、彼女は、自らに鬼になる道を示した鬼・伊吹童子が長い時をかけて成長した存在にして、都で散々あばれた大江山の鬼たちの大将・酒吞童子の副将にまで昇り詰めていた。
そんな鬼が、なぜ人間から逃げて、この羅城門に隠れているのかというと・・・
始まりは数週間前、攫った人間を取り返すために人間達が酒を持ってきて、友を解放してくれと懇願してきた時だ。それ自体は特別なことではない。鬼に捕まった者を助けるため、金や酒、なかには他の人間などを連れて、鬼に懇願する人間は大量にいる。それで気分が良くなった時には、実際に攫った人間達を返したことだってある。問題はその時に人間が持ってきた酒だ。
(
鬼が飲めば毒に、逆に人間が飲めば力が増す摩訶不思議な酒。これにより、鬼の戦力は零に等しくなり、人間こと、源頼光と、金太郎こと坂田金時や渡辺綱を含む頼光四天王に鬼達は蹂躙され、酒吞童子も後の天下五剣が一角・童子切安綱でもって、その首を切り落とされてしまった。それでも、
(まだだ。まだ終わっていない)
人間たちは気付いていなかったが、酒吞童子が首を切られるその刹那、彼女は首を霧状にして、刃に直接触れるのを避けていた。酒の力で能力が使い辛くなっているのにうまくやったと、鬼は正直に思う。つまりは、
酒吞童子は生きている。そして、それに気が付いた鬼、現在、羅城門にいるこの鬼や、酒呑童子に劣らぬ力を持つ星熊童子なんかは、途中から逃げに徹し、散り散りになった。
(・・・まぁ、私がこんな状況に陥ったのは、かなりキツイが)
死体しかない筈の羅城門の二階で何かが落ちる音がするなんて妙な出来事が起きれば、すぐに怪しまれて見つかる。そういう悲劇が起きないように、鬼は目だけを動かして、自分の右腕があるはずの場所を見つめる。そこには、中年の男の死体が転がっているだけで、自分の右腕は何処にもなかった。
(渡辺綱、随分と厄介なことをしてくれたな)
頼光四天王が一人・渡辺綱。鬼を切る名刀である髭切の使い手。その一撃は、逃げに徹する鬼の片腕を完全に切断し、それと同時に頭の角も折ってしまった。しかも、
(私の百薬升を持てしても治らないとは、これもまた、鬼に対して有効な術式ってところか)
髭切は、鬼丸や鬼切とも呼ばれている鬼に有効な力を持った刀で、童子切安綱と同じく天下五剣に数えられているが、鬼は知る由もないことだ。とりあえず鬼は、酒を入れて飲めばどんな傷でも治るはずの百薬升ですら治らないこの傷を治す方法を探す必要がある。そのための第一目標は、
(腕を取り戻すこと。か、しかしそれもそれで難しいんだよな。相手は渡辺綱、既に都に入っているし)
そう考えて、鬼はまたもや目玉だけを動かして、向かい側の壁の方向、即ち、都の方向を見る。都との間に張られた結界は、この門を境に、鬼の侵入を許さない。腕を取り戻すのはかなり苦労、いやっ、もしかしたら不可能かも知れない。
そこまで考えてから、思考が途切れる。外で、一際大きな叫び声が聞こえてきたからだ。
「捜索範囲を広げる。何としても見つけ出し、殺せ!」
どうやら、鬼が見つからないのに痺れを切らし、捜索範囲を広げるようだ。その分、ここを探しに来る人間は少なくなるだろう。それが分かると、鬼は少しだけ緊張の糸を緩める。
(さて、これからどうやって腕を取り戻すかな・・・)
高速で頭を回転させて、鬼は思考を続ける。どうやって結界を突破するか、どうやって対鬼に特化した武器を凌ぐか、そして、どうやって腕を取り返すか。どんなに考えても、どこかでその作戦が失敗する。色々と考えている内に、星が流れ、月が沈み、日が昇った。外で散々鳴り響いていた鬼を探す人間の叫び声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。鬼は、半分眠った頭を無理矢理に動かして、思考を進める。
考えて、考えて、考えて、鬼は少しずつ、その目蓋で彼女自身の視界を消していった。
鬼が目を覚ましたのは、その日の正午ごろになった。追手が何処にいるかは気になるが、そのためにこの門から出るのは、リスクが高すぎる。ただ、周囲からは物音がしないし、多少は動いても問題無さそうだ。
(いい加減、空腹が限界に近づいてきた。)
身動きがとれるようになると、目的以外のことも考える余裕も出来て、鬼は自らがかなり消耗していることに気付く。何か飲むものと、食べ物を用意しなければ、本当に死んでしまう。
鬼がそんなことを考えた時だった。鬼があの歌を聴いたのは、
「気霽れて、風は新柳の髪を
空は麗らかに晴れて、風は新芽の柳を宛ら佳人の髪を梳るように揺らす
女性的な声だが、男性の声と言われてもそれ程違和感のない声。澄み切っていて、どことなく懐かしい歌声。
鬼を探すための術式かもしれない。ここで反応すれば、自分の居場所がばれるかもしれない。
そんなことを鬼は考えなかった。
「氷消えて、波は旧苔の髭を洗う」
氷は解けて、細波は古い苔を宛ら顎鬚を洗うように流れる
だから、無警戒に返した。これまた、どこかで聴いたことがある気がする歌。きっと、それほど耳に馴染む美しい歌なのだろう。先ほどの歌を聴いた時に自然と頭に浮かび、そして自然と口に出ていた。それがいけなかったのだろう。
「あわわ、えっ、こんな所に人!ちょっ、まずっ、落ちゃ・・・」
ズッドーン
(そういえばここは二階だったな。どうやら、屋根に登って歌を歌っていると、急に誰もいないと思っていた場所から返されて驚いたってところか)
鬼が現状を分析しながら同情していると、下から声がしてくる。
「大丈夫ですか?貴族殿」
「大丈夫です。前方不注意で転んでしまっただけですので」
「それならば良いのですが・・・。しかし、今はこの羅生門の近くに鬼が現れたと聴いております。くれぐれもお気を付け下さい。」
騒ぎを聞きつけてやってきた衛兵が、敬語を使っている。どうやら、それなりに身分の高い人間のようだ。
ガタッ、ガタッ
梯子を上る音がする。衛兵か、貴族と呼ばれた歌人か。どちらかが登ってくる。壁の内側を調べられれば、鬼の潜伏場所が武士たちにばれるのは必然であろう。どちらにしても早く口を封じなければならない。鬼は、感知されない程度に妖力を高め、登ってきた人間を迅速に仕留めることの出来るよう、都側の壁を睨む。すぐに弾かれるかもしれないが、一瞬であれば結界を超えて行動することができるだろう。
しかし、
「お騒がせして申し訳ありません。私は従五位下・『
鬼の予想からは大きく外れて、本当に、一切の警戒も無く人間が話しかけてくる。
「先ほど衛兵が話していた鬼とお見受けしますが、少し私と話しませんか?」
幕間・うらみ葛の葉
鬼と歌人が出会う数時間前のことである。上弦の月から数日が過ぎて、あと七日ばかりで満月になるだろう月が地上を照らす夜、一条戻り橋には多くの人影が集まっていた。年寄の女に壮年の男、中には童も混じっている。
散々悪さをしてきた大江山の鬼、その二番手の腕をどう扱うか。
その相談をするために、とある武士が人影たちの主人たる陰陽師を訪ねてきたという情報が噂になっている。
「して、その武士様とはどのような御方なのじゃ?」
「いかにも貴族って感じの人だったよ。小柄の男性で、鬼なんて切れそうになかったけど~」
老若男女、皆それぞれ思ったことを口にする。夜遅いこともあり、何も知らない人間が見れば、かなり心配するであろう光景だ。
その様子を見て、とある武士こと、渡辺綱が陰陽師を見る。陰陽師は長身の男性で、青く染めた狩衣に、幾つもの数珠を身に着けていた。まだ若いであろうに見事と呼べる程の白髪を生やし、目尻の赤い化粧の所為か、もしくはとある噂の所為か、何処か狐の様に見える。
「その橋にいる人影たちは・・・」
綱が口を開くと、それだけで、陰陽師には通じたようで、
「ええ、全員、人間ではありませんよ。全て私の式神ですよ。」
一般人が見れば何も分からないのだろうが、あの人影には、妖の類である。そして、綱は、それが分かる類の人間である。
「やはり、一条戻り橋の近くに住まう陰陽師が、橋に妖の類を住まわせているという噂は本当だったのか。まぁ、式神ならば危険もないのだろうが・・・」
陰陽師が答えると綱がとりあえず応じる。
だが、それでも綱は、納得していない顔をしていた。何を気にしているのかを察して、陰陽師が微笑む。
「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉 ですか。確か、私の母が狐の類だという噂でしたかね。そんな噂は、人の数だけあるものですよ。そんなことより、本題に入りましょう。大江山の鬼の腕でしたっけ?」
ここで噂を否定しないのが、この陰陽師の妖しい所なのだろう。ただ、実際に綱もそんな話はどうでも良い。今、この陰陽師と話したいのは、
「この腕、どう扱えばいいものか」
数週間前、髭切りをもて大江山で切り落とした鬼の腕。それが、綱と陰陽師の間に置かれていた。対鬼に特化した刀で切ったこともあり、切られた腕を付けなおす以外に、腕を元に戻すことは不可能である。
つまり、
「鬼は必ずこの腕を奪い返しに来るだろう。その対策を其方と練りたいのだ。そなたの、稀代の陰陽師と呼ばれるその術をもて、私を鬼の魔の手から守ってくれ」
綱たちが大江山で鬼を倒せたのは、酒の毒の力と鬼の油断のおかげだ。それを理解している綱は、例え片腕を失っていても、鬼との正面戦闘は避けたいと感じている。
陰陽師もそこまで分かっているようで、
「分かりました。では七日の間、物忌みをなさって下さい。『天文博士』
稀代の陰陽師は、綱の願いに応えるべく、自らの名を口にした。