時流歌変茨木香   作:ハルアas稗田阿求

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 この作品は東方projectの二次創作作品です
 予めご了承の上、お読みください


三章 前編

三章・氷消波洗旧苔髭

 良香が綱の家を訪れる十数分前。

 羅城門にいる華扇は、良香からもらった食料を喰らっていた。貴族といえど、不作の続いている現在、良香もあまり生活に余裕はないらしく、持ってくる食料のほとんどは、傷物だったり、少し腐っていたりする。それに加え、死体と共に保存されているという、最悪な保存状態が、食料を決して人間が喰らっていけない程の物に変化させる。華扇は、同じく良香からもらった酒を茨木の百薬升に注いで飲むことで、腐った食料を食べたことで生ずる病にも、死体が密集したがために生ずる瘴気にも耐えることができていた。

 ここに来て一日目の何も食べる物がない状況よりは断然いい環境のはずなのに、それを甘受する華扇の表情は、一日目以上に険しくなっていた。なぜなら……

 (何が、「あなたはもう『鬼』ではないですよ」ですか。私は鬼です。それも大江山の鬼の副将・茨木童子ですよ。良香に利用価値が無ければ、とっくに殺しています!)

 昨日、人間に言われた言葉を思い出し、華扇は、左手の食料としてもらった傷ついた林果を握る力を強める。それだけで、林檎は砕け、果汁が華扇の左腕を濡らす。

 本来の華扇ならば、人間が唱えた考えなど、何の関心もなく切り捨てるはずなのだが、それについてこんなにも悩んでいる時点で、かなり良香の影響を受けているのだが、そんなことは華扇自身も理解出来ていなかった。

 いや、理解したくないから、そのことについて考えていない。

 が正確かもしれないが……。その所為で、事態の根幹には思考が至らず、良香の昨日の言葉に対して、堂々巡りの思考をしてしまう。

 (共に仙人になりましょう、ですって。ふざけるないで下さい! 何故そんな思考に至るんですか。私は鬼ですよ! 今更、そんな者になれる訳がないでしょうに)

 (いや、もはや良香は私を鬼だとは思っていないのでしょうか? それにしても何故そこまでの思考に至るんです? 私達は高々一週間ほどしか話していないんですよ)

 (それもほとんど歌の話とか、千年後に童の間で流行ってそうな動く絵とかの話しかしていないのに、どうしてそこまで言い切れるんですか?)

 (あれですか? いつまで経っても私が良香を殺そうとしていないからですか? でもそれは、良香から都の情報を少しでも得ようとしていたからであって、それ以上の理由は一切ないんですからね)

 (そうです。彼女に利用価値が無ければとっくに殺しています。そうです。もしこれから良香が私の腕を取り戻して来てくれたら、もう良香は用済みです。のこのこやってきた所を、殺してしまって、私が鬼であることを証明しましょう)

そこまで考えると、華扇は、急な吐き気をもよおす。

 (私が良香を殺す? そんなこと、絶対に駄目です)

 人間一人殺すことにどうしてここまでの拒否感が現れるのか、華扇にはわからない。ただ、自分が鬼ではないと言われた時以上の恐怖が、華扇を締め付けていた。

自分の頭の中で、不可解な脅威が華扇を襲ったその瞬間。もうひとつの脅威が、彼女に差し迫っていた。

ガタッ

下から、梯子を登る音がする。

(誰かがここに上がってくる)

この七日間。羅城門の二階に上がって来た者は、誰もいなかった。良香に食料や酒を貰う時ですら、狐が通れるほどの大きさの壁の穴がある所に食料を置いてもらって、良香が帰ったあとに回収するようにしていたし、鬼を探しに来た兵は、結局一人もいなかった。華扇は、素早く酒と食料を死体の影に隠すと、角を術で隠し、生きながら死体の列に加わった。

ガタッガタッガタガタ

 梯子を登る音が続く。この七日間で、最大の危機が、茨木華扇の前に顕れた。

 右手に細長い木箱を抱え、左手には松明を持ち、都良香は真夜中の都を駆けていた。先ほどまで雨が降っていたようだが、今は既に止んでいる。ただ、雨によってできた泥濘が、良香の足を重くする。この時間帯は、妖どもと遭遇する可能性が高いが、今日は全くそれがない。良香が短い期間で学び、そして現在使用している仙術が、きちんと効果を発揮しているのか、単純に運がいいだけか、もしくは、自分が現在、右腕に抱えている物の影響か。そう考えて、良香の、木箱を抱く腕によりいっそうの力をかける。

 大江山の鬼の生き残りにして羅城門にいる良香の友人・茨木華扇の右腕。それが入った木箱だ。

 数時間前

 乳母化けて綱の家に行くと、案の定、物忌みを理由に追い返されそうになったが、「旦那様に暇を与えられ、泊まる場所がない」だの、「例えここに鬼が来るとしても、妖どもと対峙する可能性の高い外と、鬼が来ようとも、頼光四天王の二人がいる綱の家、どちらが安全か」だのと宣い、どうにか家の中に上がることが出来た。その後、幾らか酒を飲みながら、互いに近況を語らい。綱がある程度酔ったところで、「鬼の腕を見せてほしい」と告げた。「さすがに、それは出来ない」と断られたが、親不孝とか、義理が云々とか、考えうる限り武士が嫌がりそうな単語を並べて、何とか承諾まで漕ぎ着けた。あとは、予め用意していた煙幕を放つと共に、全身全霊で羅城門へ駆け出して、今に至る。

 「鬼を追え~! 鬼は綱殿の乳母に化けている。いかなる手を使っても鬼の腕を取り返せ!」

 遠くから叫び声が聴こえる。こちらの目的地が分からないだろうし、変装はすでに解除しているから、すぐに見つかることは無いだろう。

 一瞬、良香は思考のために警戒を怠る。それが失敗だった。

 突如、目の前に暗闇が顕れる。

 夜だから、闇があるのは当然だ。しかし、良香は現在、松明を所持している。目の前の暗闇はその光に照らされず、ただただ、そこに存在した。

 妖。そう考えるしかないだろう。良香は直前まで考え事をしていたこともあり、対応が遅れる。その結果、

 闇が良香を呑み込む。どうやら、闇自体が妖の本体ではないらしく、完全なる暗闇の中でも、良香は意識を失ってはいなかった。そこに、声が響く。

 「あなたは食べてもいい人類?」

 妖の声だ。声から判断するに、この妖は女らしい。良香は咄嗟に距離をおこうとするも、どちらに妖がいるのか、判断出来ず、動けない。結果、妖怪の足音とおぼしき低温から、更なる恐怖が生まれるのみで、時間だけが過ぎていた。

 (自分は彼女を見ることが出来てませんけど、もしかしたら向こうも自分がどこにいるのか分からないのですかね)

 数分、もしかしたら数十秒かも知れないが、一向に襲ってこない妖に対して、良香は細やかな疑問を浮かべる。本当にそうなら、随分と間抜けな妖だ。でも、だとしたら此処から逃げる方法も、

 「未熟ながら、今までの人生の全てを懸けた我が仙術、ご覧あれ。縮地!」

瞬間、土地自体が縮まり、良香は妖が作った闇を切り抜け、そのまま全力で疾走し、羅城門へ急ぐ。

 華扇は知るよしもないが、歌人・都良香とは、仙術と、その先にある不老不死の研究にその生涯を捧げている。そのため、腕はまだまだ未熟だが、仙術の幾つかは使うことが出来た。

 しかし、縮地を使った時に発生した音は、妖に良香の居場所を知らせるのに十分なものだった。

 「わはー」

 暗闇が、疾走する良香を追跡する。もう一度追いつかれれば、良香の死は確定的なものになるだろう。

 だから、良香の、妖怪の身体能力に関する誤算は、良香の命を奪うのに十分なものになった。

 たちまち追いつかれて、再び闇に呑まれた良香は、先ほどとは異なり、胴体が強く抱きしめられているのを感じた。

 「つかまえた~」

 声がする。良香の胴体はまるで万力にでも押さえつけられているが如く、びくともしない。

 「いただきま~す」

 もう逃げられない。

 そう思った直後の出来事だった。

 「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン―一字咒(いちじじゅ)喼急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

良香の背後から、炎が出でて、妖の闇を切り裂いた。炎は、そのまま、妖の脇をかすり、彼女は闇纏って追いかけて来たのとは全く逆に、光を纏って逃げていった。

 「五大明王が一角、不動尊の炎は、あらゆる不浄を祓う浄化の炎です。最も威力の低い一字咒ですが、あの程度の妖なら、ひとたまりもないでしょう」

 後から声がする。不動明王を原型とする術には、一字咒、慈救咒(じくじゅ)火界咒(かかいじゅ)の三種が存在する。今回発動した一字咒は、威力は低いものの、比較的容易に扱えて、詠唱が短い。妖怪に襲われた人間を助けるためには、最適な術であろう。

 しかし、不動尊の炎を扱えるような術師は数に限りはある。

 良香は、先ほど妖に襲われた時と同等の、もしくは、それ以上の恐怖を感じて、後を振り返る。

 青い狩衣に、腕には数多の数珠をつけている。若年性の白髪に、狐を彷彿とさせる妖しげな顔立ち。

 稀代の陰陽師にして、『天文博士』・安倍晴明。妖の子供とも言われるこの時代の最強の陰陽師が目の前に立っていた。

 「はて、都良香殿とお見受けしますが、その鬼の腕は何のために使うおつもりですか?」

 既に、自分の名前も、現在腕に抱えている物も知られている。どうやら、単純に人間を襲った妖怪を退治した、では済みそうにない。

 「もし、その腕を、件の鬼に返そうとしているならば」

 いつの間にか、目の前から晴明の姿は消えていた。仙術の心得を持つ良香でさえ、一瞬にして背後にまわられたと気づくのに、数秒かかってしまった。

 「この道をこれ以上進ませることはできませんよ」

 優しげな声ではあるが、その裏には、有無を言わせない厳格さがある。良香が考えた、華扇を仙人にするための計画。その最大の障壁が、眼前に立ちはだかっていた。

 

 良香が安倍晴明と対峙し始めたのと丁度同時刻、羅城門でも華扇が危機的状況に陥っていた。

 (なぜ、このような場所に人間が来るんですか!?)

 人間が現れたら使おうと思っていた死んだふり。まさか、鬼を追う人間以外に使うことになろうとは、華扇は思ってもみなかった。

 羅城門は、狐狸がでるなどと言われていて、死体が捨てられていることもあり、ほとんど人間が来ない。来るとしたら、それこそ良香のような、よっぽどの物好きしか有り得ない。華扇はそう考えていた。

 しかし、今ここにいる人間はその類いではないようだ。檜田色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆だ。老婆が右手に持っている、火を灯した松の木片の明かりから、それらの情報を得た華扇は、依然、死んだふりを続け、老婆をやり過ごそうとする。

 そんな華扇の願いも虚しく、華扇の横に座ったその老婆は、死んだふりをしている華扇の頭から、一本一本丁寧に髪を抜いている。それが何のためか、どんな利益に繋がるかは分からない。しかし、死者を冒涜するとんでもない悪行だということは、華扇にも理解出来た。鬼として散々大暴れした華扇も、人のことは言えないだろうが、……

 ここに上がってきた時から、老婆は何かブツブツと喋っているようだが、先ほどから響いている雨音の所為でほとんど聞こえない。

 (まぁ、それほど身分が高い訳でもないだろうし、ここで殺しても問題ないか)

 従五位下と名乗った良香とは異なり、この老婆は身分の高くないだろう。それも、こうして、この人の寄り付かない羅城門で死体を弄っている時点で、かなり貧しいのであろう。ここで消えても、門に捨てられた死体の数が一つ増えるだけで、大規模な犯人探しがなされる可能性はないだろう。

 そう考えて華扇は、一瞬で老婆の首を握ると、軽く力を込めて首をへし折る。老婆は全く反応できずに斃れ、他の死体と混じって、死体の山が少しだけ大きくなる

 はずだった。

 左腕が動かない。大江山で退治される前は、数えきれないほどの回数を行ってきた行動、腕を動かし、ほんの少しだけ力をいれるだけの作業。その筈なのに、体が動かない。華扇の脳内には、ただただ昨日、良香が話した言葉の幻聴が聴こえていた。

 ——あなたはもう『鬼』ではないですよ——

 動かない。

 ここで人を殺したのを知った場合の、良香の声音を思い浮かべる。

 動けない。

 一週間の間、壁を隔てて会話をしただけの関係性。未だ、顔すら見たことのない人間。そんな誰かの失望した声が、今は何よりも恐ろしい。

 動きたくない。

 先ほど、良香を殺すと考えた時と同種の恐怖が、再び華扇を包み込む。

 殺したくない。

 結局、老婆に髪を抜かれたままの状態で、数分が経過した。

 (そろそろ、自分の頭の見た目が心配になってきた。あっそうだ。金が無くてこの門で雨宿りをしていた生きた人間として振舞えば、怪しまれませんし、鬼だとは分からないでしょう)

 退治された原因でもあり、良香と初めて話した時は、鬼であることを隠すのを諦めてまでつかなかったはずの嘘を、華扇は今、平気でつこうとしている。

 (人を殺せず、嘘をつこうとしている。良香の言葉を真に受ける訳じゃないけど、完全に、人間失格ならぬ鬼失格ね)

 自らの現状を鑑みて、華扇は正直にそう思う。そして、嘘をつこうと足を少しだけ動かしたその時、羅城門の二階に新たな闖入者が現れた。

 太刀を持った若い男だ。太刀に手をかけて、大股で、華扇と老婆の前に歩みよって来た。華扇が、死んだふりの所為で、動けずにいると、老婆は一人、驚いてその場から立ち去ろうとする。

 「おのれ、どこへ行く」

 男は、老婆の行く先に立ち塞がると、互いに無言のままつかみ合う。片方は痩せた老婆、片方はまだ若い男。取っ組み合いの結果は、火を見るより明らかだ。

 老婆を捩じ伏せたあと、つき放すと、太刀を抜いて、老婆の眼前につき出す。

 「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ」

 老婆の顔が、分かりやすく恐怖に包まれる。どうやら、華扇を追ってきた武士ではないらしい。

 そこから続いたのは、実に下らない問答だった。

 門を通りかかった旅の者と自分を評した男に、幾らか冷静さを取り戻した老婆が、自らの行いの意図を説明する。どうやら彼女は、死体の髪を使ってカツラを作り、それを売って、生活の足しにしようとしていたようだ。それを悪だと男は言うが、老婆は、『自分が行っていたのは、謂わば、生きるための悪であり、仕方ないことだ。自分が毛を抜いていたこの女も、嘘をついて、物を売っていた悪人で、そんな彼女なら、自分が為すこの生きるための悪も許してくれるだろう』と死体の身の上について嘘をつき、自らの行いを正当化しようとしていた。

 それを聞いた華扇は、

 (私の髪色は、桃色なんだが……、これは、鬘になるのか?)

 伊吹童子と出会ってから、自分の髪色は変色していて、今では、この国の人間では有り得ない桃色の髪になっている。そんな物を鬘にしても、売れる訳がない。染めるにしても、わざわざそんな手間のかかる死体の髪を選ぶ理由もない。

 華扇は、老婆の色覚を心配しつつ、老婆が主張した、『生きるための悪』について思考する。

 華扇自身も、呪いの魔の手から身を守るために、 鬼となり、あらゆる悪事をしてきたと言ってもいいほど、その腕を血に染めてきた。

 鬼になる以前も、空腹から逃れるため、明日の御日様を仰ぐために、数え切れないほどの悪を為してきた。

 鬼となる前も後も、捕まれば、もう二度と自由は手に入らないと思える罪を重ねてきた。

 それらも全て、『生きるための悪』だ。

 検非違使の役人や頼光たちなどが見れば、彼らは皆、断罪されるべき悪と判断されるだろう。しかし、ここにいる老婆や、大江山にいた鬼たちの中には、『仕方ない』と言う者の方が多いだろう。結局、『生きるための悪』とは、一度は本当の飢餓を味わった者にしか理解されないだろう。

 それに、罪と言うなら、自殺こそが最大の罪だ。どんな手を使ってでも生きようとせず、自らの命を(どぶ)に捨てる行為と、あらゆる手段を駆使して、生き延びようとする行為。どちらが罪深いかは、彼岸の閻魔しか判断できないであろう。

 『生きるための悪』とは、そういう物だと、華扇は考えている。

 男も、同じような思考をしたのか、「きっと、そうか」と何処か嘲るような声で念を押す。

 「では、己が引剥をしようとも恨むまいな。己もそうしなければ、餓死をするからだなのだ」

 どうやら、この男もまた、明日をも知れぬ身らしい。きっと、華扇が先ほど騙ろうとした、金が無くて、この門に雨宿りをしていた人間なのだろう。

 男は、そう叫びながら老婆の着物を剥ぐと、足にしがみつく老婆を、死んだふりをする華扇の方へ蹴飛ばし、梯子に向かって、駆け出した。

 華扇は、老婆に当たった衝撃を、生きていることがばれないよう、最低限の動きで受け流し、醜き人間の営みには目もくれず、老婆が気絶していることを確認すると、正体がばれなかったことに一人で歓喜していた。いつの間にか雨音は消え去り、羅城門には、華扇と老婆の鼓動以外、何も聞こえない。

 一難が去り、緊張が解けた華扇は、死体の陰から酒を取り出すと、自然と口角を上げながら、都で華扇の腕を取り戻すために奔走しているであろう良香について、思いを馳せる。

 (彼女は今、どうしているのでしょうか?)

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