予めご了承の上、お読みください
また、今回は本編の重大なネタバレを含みます。先に本編を読むことを推奨いたします
真の終章・都良香
華扇が逃げた後、良香は、自らの生きた道を振り返っていた。いわゆる、走馬灯という物だろう。
承和元年、つまり八百三十四年に生まれた良香、初名は、漢詩に秀でて、文章博士をつとめていた。菅原道真と親交を深めるに至った。そして、ある月の夜のこと、
「気霽れて、風は新柳の髪を梳る」
「氷消えて、波は旧苔の髭を洗う」
良香は羅城門で、鬼になったばかりの茨木童子に出会った。その時、華扇が羅城門で何をしていたのかは分からない。百二十年も経って、華扇はそのことについては忘れていた。
その時、歌を返してきた者が鬼だと気付かなかった良香は、後に道真にこのことを話した際に、返歌してきた人物が鬼だと知ることになる。
そして、時は流れ、ついに、道真が良香の位を抜いた時、良香は、(もう、ここに私の仕事はないでしょう)と考え、兼ねてより興味があった、仙人の道を志し、大峰山に行くことにした。都では、道真に位で抜かれたことに腹をたてたという噂もあるし、実際良香も、「そう思って大峰山に行くことにした」と華扇に伝えたが、全くの嘘だ。嘘が嫌いな華扇が知ったら、きっと腹を立てていたであろう。
そうして、仙人の修行をした良香は、寿命を延ばし、縮地を使いこなし、見た目も若返り、仙人の末席を汚せる程度には成長した。寿命を延ばす術を持つ仙人の中では、高々百二十年の修行で獲た術など、嗜むレベルのことだろう。
かつての友人・菅原道真の一生を知った時は、心から悲しんだし、その怒りを鎮めた陰陽師には、今回の件も含め、とても感謝している。俗世のことは、これしか知らなかった。
だから、大江山の鬼退治の話を知ったのは、本当に偶然だった。たまに天狗と呼ばれる妖怪が書いている、板の情報誌に、その話題が取り上げられていた。
最初に気になったのは、羅城門で共に歌った鬼の行方である。それを知るために良香は山を下り、羅城門へ向かった。何か手掛かりがあったというよりは、勘だ。仙人の勘。
そうして華扇と再会した良香は、この鬼が極めて鬼に向いていない性格であることを思い知る。そして決意したのだ。この鬼に正しい道を示すと。
そのあとは、思い出すまでもない。華扇の腕を取り返すために奔走し、失敗した。最終的に、華扇に道を示すことはできたが、どうやら、自分の命と引き換えてしまったようだ。
良香がそこまで考えた時のことである。声がした。
「この門に来れば、良い死体が手に入るとは思っていたけど、……まさか、仙人の死体が手に入るなんてね。ついてるわ~」
良香は、その声に聞き覚えがあった。山で会った仙人の一人にして、良香が知る唯一の邪仙。
「せ……いが?」
もう一度言おう。この物語は、私が一人の仙人の証言を基に記述した物語である。と。
そう、華扇という桃色の髪の仙人もどきが、良香と晴明の争いを知る訳が無い。良香という駆け出しの仙人が、綱と金時の会話を最初から聴いていた訳が無い。
なら、この物語を私、稗田阿求に語った仙人とは誰のことなのか。それは、……
無理非道な仙人・霍青娥のことである。
本来であれば、都を囲む結界が、邪悪な存在たる青娥の侵入を阻むはずだが、壁抜けの術を持つ仙人には意味をなさない。華扇が羅生門に来たのと丁度同じ時、青娥は都に侵入し、都の各地に分身を配置して、羅城門での鬼と駆け出し仙人の語り合いも、綱の家や陰陽師の屋敷での話も全てを見聞きしていた。唯一、あの陰陽師だけが、彼女の存在に気付いていたが、その目論見を邪魔するには至らなかった。青娥が何故そんなことをしたのか。それは、
「可愛い死体を手に入れて、
そして、自らの目的のためであれば、家族だろうが、何だろうが、平気で裏切る。それが青娥という仙人だ。それは、百二十年の交流を持つ良香に対しても例外ではない。
「良香ちゃんには、これから殭屍になってもらうわ。そうね、折角だから、名前を変えてもらおうかしら」
青娥は無邪気に微笑み、殭屍に作るための準備をする。良香の体は、いつ死体と呼ばれるようになってもおかしくない状態だ。
「ややこしくなるから、発音は替えない方がいいわよね。そうね、良い香りじゃなくて、芳しい香りなんてどうかしら?」
名とは、世界で最も短い呪にして、万のことの根幹。名付けとは、妖怪にとっては支配と同義だ。
身体のほとんどが機能を停止し、残されたのは、聴覚のみとなった良香の死体は、何の反応もせずに、その宣言を聴いていた。
「良香ちゃん、あなたはこれから」
青娥は、良香の額に御札を張り付け、優しそうに宣言する。
「宮古芳香と、名乗りなさい」
その直前、良香の聴覚は消え去り、完全にその生涯を終えた。
その時、死体は唐突に目を見開き、立ち上がった。
その直後、宮古芳香の頭の中で、何かが崩れ去った。
「k……kいwrでかjじんryぼぉvああwvv……vvvv……」
「あらあら、死体になったばかりで、まともに喋れるほど、馴れていないのね。それに、傷の修復と、着替えが必要ね」
かつて歌人だったそれは、声なき声を発する。それを見て、青娥は冷静に現状を分析すると、何かを思い出したように、ほくそ笑む。
「ふふっ、こんな姿に成り果てた親友を見たら、あの鬼はどんな反応を見せるのかしら」
邪仙の口角が不気味にあがる。良く言えば、好奇心に満ちた顔だ。
「楽しみですわね、再会のときが。ねぇ、芳香ちゃん」
芳香の頭の中にはもう、決して忘れないと誓った陰陽師に対しての恩も、とある鬼との思い出も、一片たりとて残っていなかった。
華扇が杣売り達を見て、良香のことを思い出した時、羅生門に捨てられた死体の中に、宮古芳香という名の殭屍が混じっていた。
芳香は、生前のことは覚えていない。だが、それでも、この羅生門にいると、何故か気分が落ち着いた。だから芳香は、主人の指示が無い時は、ほとんどの時間を、ここで過ごしていた。
「氷消えて、波は旧苔の髭を洗う」
歌が聞こえる。その瞬間、風が芳香から御札を引き剥がす。
遥か未来、私は、その著書でこう語る。
御札を剥がせば生前の行動原理に戻ることがあるらしく、墓地一面に広がる紅葉の上で、呆然とした彼女が歌を詠んでいる姿もあった、と
御札が剥がれた芳香は、本能のままに歌い出す。
「気霽れて、風は新柳の髪を梳る」
その歌を、華扇は幻聴だと、推測していた。
芳香の歌が華扇に届くのは、遥か未来、遠い遠い場所。霊夢という少女が博麗の巫女をつとめる、幻想郷での出来事なのである。
此処から先は、安部晴明が記した、青娥すら知らない、華扇の腕の行方の話である。
真夜中、盗人が一人、朱雀大路を北に走っていた。右手には、老婆から奪ったきた檜田色の衣、左手には、泥まみれの人間から奪った木箱をもっている。
盗人が、更なる悪行を為そうと人を探すと、道の端に、童の死体を見つける。正確には、生死を確かめている訳ではないが、こんな時間に道の端に倒れる童など、生きているとも思えない。
盗人は、金目の物がないか調べるために、童の死体に近づく。丁度その時、雲の間から、月光が降り注ぎ、
童の、この国の人とは思えない黄金色の髪を照らす。
「あなたはたべてもいい人類?」
直後、月光すら、遠ざける本当の闇が盗人を包む。
「ヒィィィィ、助けてくれ、化物だ!」
童の正体に気付き、盗人は悲鳴を上げる。ただ、その音は童の姿をした妖怪にしか届かず、妖怪に盗人の居場所を知らせるだけだった。
「そーなのかー」
声から盗人の位置を把握すると、妖怪は速やかに食事を始める。
再び月が隠れ、妖怪の闇が消え去った時、そこにあったのは、血塗れの妖怪と紅く染まった衣、
そして、空の木箱だけだった。
その妖怪・ルーミアは、先ほど陰陽師から受けた傷を食事によって癒すと、かろうじて血に濡れていない木箱の蓋を見る。
鬼の腕
漢字の難しさと暗さで、ルーミアにはその内容がわからない。
「まっ、いっか。新しいご飯をさがそーっと」
理解できないことは放っておいて、妖は一人、新たな獲物を求め放浪する。この出来事は後に大きな事件の引き金となるのだが、それはまた別のお話なのである。
(終わり)