ネクストステップ   作:赤川3546

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今西部長との再会

 泰葉がやってきたのは事務所の噴水広場だった。

 よく空が見える景観の良い場所で、時期によっては離れた場所で上げた花火が見えることもあるかもしれない。

 彼女は噴水のへりに腰掛けると雲一つない真っ青な空を見上げた。

 町中のような喧噪さも薄れている場所だからか、泰葉の表情も穏やかで澄んでいる。

 撮影の前に気持ちを落ち着かせるには良い場所なのだろう。

 

「おや……誰かと思ったら、泰葉ちゃんじゃないか」

 

 その場所に一人の人物が現れた。

 眼鏡をかけ、どこか優しげに微笑む初老の男性だ。

 短めの髪は色素が薄くなり始めているのか黒から白へと変わっていく間といった色をしている。

 全体的に温和な雰囲気を漂わせているが、高めの年齢であることを考えると重要な役職の人物であると予想できる。

 

「……今西さん……お久しぶりです」

 

 お互いに面識があるのか、初対面という緊張感は一切ない。

 立ち上がり、一礼をした後の顔を上げた彼女の表情は素直に再会を喜んでいるように見える。

 何かしら恩でもあるのかもしれない。

 

「最後に会ったのは君がアイドル部門に異動する日だったかな」

 

「そうですね、あの時に貰った言葉……今でも覚えています」

 

「律儀だねえ、異動ではあるが新しい始まりになるのだから頑張れ、というだけの話じゃあないか」

 

 今西はやや照れ臭そうに笑っている。

 ただ、嬉しいと感じていることは表情からも伝わってくる。

 

「アイドルとしてのデビューまで、プロデューサーさんに指導をしてもらっていく中で分かったんです。ただ、アイドル部門でお仕事をすることになっただけじゃなくて、私の初心を思い出してもう一度前を向いて歩くための始まりだったんだって。そういう意味も含めての『頑張りなさい』だったんですよね」

 

「まあ……そういった気持ちもあったがね、小さい頃から知っていたし」

 

 今西は噴水のへりに腰を掛け、青い空を見上げながら遠くの……恐らく泰葉に出会った頃を思い返しているようだ。

 あまり楽しそうには見えないが……。

 一方の泰葉も、噴水のへりに座り昔のことを思い出そうとするかのように遠くを見つめている。

 

「……君に出会ったのは十一年前……だったかな?」

 

「そうですね、私が346プロダクションの俳優部門に所属してからなので」

 

「そうか……長い付き合いになったものだ、まあ担当ではなく統括する立場から見ていた間接的な関わりなんだがね」

 

「でも、ファンとしてではなく会社の人間として、芸能界に入ったときから知ってくれているわけですから」

 

 不思議な縁ではあるが途切れずに今に繋がっていることを喜んでいる様子の泰葉。

 芸能界という場所で、十年以上も同じ事務所で、と考えるとかなり希少な関係性ではある。

 

「そう思ってくれているのならありがたいことだ、私は直接何かをしてあげられたわけではないのだから」

 

「でも、ちょくちょく現場の様子を見に来てくれたりしましたよね」

 

 今西はやや目を見開いて驚いた。

 何度か現場に来ていたことを認識されていたとは思っていなかったのだろう。

 俳優……つまり子役として芝居に集中していながらも周りを見る余裕を持てていたことにも驚いているだろうか。

 

「気づいていたのか、話しかけたりしたことはあまりなかったから驚いたよ」

 

「お芝居をしていないときは、監督さんやスタッフさんをよく見ていましたから。今のお芝居はどうだったかなって反応を見たくて」

 

「……そうだったね、君は楽しそうに芝居をする子だった。それでいてあの歳で役作りもしっかりと考えていた。いい子役だという話をよく聞いたものだ」

 

 そう語る今西の表情はどこか寂しげだ。

 過去の話であるという口ぶりなので、現在はそうではないということなのだろう。

 

「私のお芝居で誰かが笑顔になってくれるのが嬉しかったんです。……でも、いつからかその気持ちを忘れていって……」

 

 俯きはしないものの、泰葉の表情に陰りが見える。

 苦しかったと思われる時期のことを思い出すのは辛くて当然だ。

 しかし、思い出したくないことほど心の片隅にずっと残り続けているもので、ふとした瞬間に思い出して苦しんでしまう。

 

「ちょうど子役として活躍している頃だったかな。笑顔が減っていっていることになんとなくは気づいていたが、多忙で疲れているのだろうと勘違いをしていた。このときに気づいて手を差し伸べることができていたらと……今でもふと思ったりするよ」

 

 今西の先ほどの表情は後悔の念からのものだったようだ。

 こういった「たられば」の話はあまり考えない方がいいと言われているが、このようにして少しずつ仮定にすぎない終わってしまっている話に囚われてしまう危険性があるからなのだろう。

 

「……そんな風に考えていてくれたんですね」

 

 泰葉は少々意外そうにしている、上の人間なのでダメになったのなら仕方がないという考え方であると思っていたのかもしれない。

 長く芸能界にいれば、芽が出ないからと去る人を多く見てきたはずだ。

 

「あくまで現在の話だ。当時は気づけなかった、なにかおかしいと気づいた頃には君のモデル部門への異動が決まっていたよ」

 

「…………」

 

 今西の話を泰葉はじっと聞いている。

 感情的になる様子はなく、ただただ冷静に。

 今だからこそ、彼の話を自分の中で整理しながら聞くことができるのかもしれない。

 

「以前からジュニアモデルの仕事もしていたからね、行き詰まっているならそちらを主にしてみるのもいいかもしれない……そう思っていたが……今度は良い話も悪い話も聞かなくなってしまった。完全な停滞だ……」

 

「たしかに、あの頃はただ言われたことを淡々とこなしていくだけで……どれだけお仕事をこなしても手ごたえや達成感が得られませんでした。今思うと空虚で……怖いですね……」

 

 いつからか言われたことを完璧にこなすことが目的になってしまっていた。

 見てくれた人に喜んでほしい、楽しんでほしいという最初に持っていたはずの大切な気持ちが失われてしまっていた。

 そのことに気づけず慣れてしまったということが一番恐ろしいとも言えるだろう。

 自分で気づけないのなら、誰かに気づかせてもらえなければ大切な初心を取り戻すことができないのだから。

 

「それには……しばらくしてから私も気づいたよ、君の笑顔を見たときに気づいたんだ。昔の笑顔とは決定的に何かが変わってしまっている、とね」

 

「やっぱり分かる人には分かってしまうんですね」

 

 モデル部門にいたころも、作った笑顔とまではいかずともぎこちない笑顔だとは言われることがあったのかもしれない。

 そして、作っている笑顔であると気づいた瞬間、今西はどう感じたのだろうか。

 

「私は子役としてデビューしたときの君の笑顔を知っているからね、そうでなければ気づけなかったかもしれない。だからこそ、どうにかしなければいけないと思った。そんな時だったかな、新しくアイドル部門を立ち上げようという話が出てきたのは」

 

「じゃあ、もしかして全てが今西さんの指示で……?」

 

「いや、プロデューサーが君に出会ったのも、君がアイドル部門へ異動したのも、君たちの意思によるものだ。私がしたことは、外だけでなく他部門でスカウトしたいと思う子を探してもいいと許可を出して、理由を聞き大丈夫そうだと感じたら所属している部門に少しだけ働きかけただけだよ」

 

 働きかけた、がどの程度の圧力を持っていたのかは気になる部分ではある。

 恐らく、泰葉のように行き詰まっている子ならば、このままこの部門にいて成長できるのかを担当に考えてもらった程度だと思われるが。

 

「そうでしたか……」

 

 泰葉は少しほっとしたようにも見える。

 自分が変わることのできたきっかけが、上から指示されただけだった……、では受け入れることは難しくて当然だ。

 そう感じるほどには大切な出会いだったことは容易に想像できる。

 

「まあ期待はしていたがね、ただ……君の問題に気づいてプロデュースをしたいと申し出る者が出てくるかはなんとも言えなかった。だから、君のプロデューサーが話をしたと報告してきたときは安心したものだよ」

 

 今西は嬉しそうに語る、どうやらプロデューサーの報告は安堵できる程度にはちゃんと泰葉のことを見ていたようだ。

 

「報告ってどんな感じだったんですか?」

 

 好奇心からか泰葉はそんなことを尋ねた。

 自分のことをプロデューサーがどう思ってスカウトしたのか、やはり聞きたい気持ちはあるのだろう。

 

「そうだな、要約すると……あの子は変われる、もっと輝ける……といった感じだったか。詳しい話は今度聞いてみるといいんじゃないかな」

 

「い、いえ、大丈夫です……」

 

 恥ずかしそうに俯きながら泰葉は言葉を絞り出す。

 単純に褒めただけではない辺りが特に気恥ずかしくなってしまうのかもしれない。

 

「そうかい……。それにしても、プロデューサーの言っていたように変わったね、君は」

 

「そう見えますか?」

 

「もちろんだ、いい顔をしているよ。子役としてデビューしたあの時とも違ったいい顔をしている」

 

 今西の言葉を聞き、泰葉は嬉しそうに笑った。

 デビューの頃から知っている人物に今の自分を肯定してもらえたことが本当に嬉しいのだろう。

 

「プロデューサーさんが初心を思い出させてくれて一歩進んで、みんなと一緒に色々なことに挑戦することで更に次の一歩を踏み出せたから……でしょうか」

 

「一歩ずつ……か、君たちに合っている方針だ。結果も出始めているし、美城専務も君たちとプロデューサーの力を認めている」

 

「あの成果主義の専務に認められている……本当ですか?」

 

 事務所の重役から一目置かれているということに泰葉は驚いている。

 成果主義と評しているところから、時間をかけて前へと進んでいく自分たちはあまり評価されていないだろうと考えていたのかもしれない。

 

「勿論だとも、上に立つ者としてかかった時間に見合った結果を出し始めているのなら評価せざるを得ないからね」

 

「言われてみると……たしかにそうですね。私たちの頑張ってきたことが専務のような人にも認められるのは素直に嬉しいです」

 

「ここだけの話、彼女は君が子役とモデルをしていたときも目にしている。そして、役者として才能のあった君が伸び悩んでいたことも知っている。だからこそ、プロデューサーのやり方で君がかつて以上の輝きを手にしたことを彼女は何よりも評価しているということさ」

 

 今西の表情は優しさのある笑顔になっている。

 泰葉がより大きく成長していること、美城の考え方にも影響を少なからず与えたこと、どちらも彼にとって嬉しいことなのだろう。

 

「そう言ってもらえると自信になりますね」

 

「今の君を評価しているという点ではモデル部門で担当をしていた者も同じだ」

 

「……そうなんですか?」

 

 泰葉は少し意外そうな表情だ、そういった人物とは思っていなかったのだろうか。

 

「たしか、今日はモデル部門で撮影だったね?」

 

「はい、そうですね」

 

「実はその仕事、かつての君の担当が撮りたいと私に言ってきたんだ。今の岡崎泰葉をどうしても撮りたいんだ、とね」

 

「今の私……ですか」

 

 そのことは泰葉も理解はしていた。

 忙しくなり始めた現在、なぜこのタイミングでモデル部門から撮影の仕事なのかを考えれば妥当な線だ。

 売れ始めたからというだけならばプロデューサーが断っている、という前提の予想ではあるが。

 

「要求に応えられる自信はあるかな?」

 

 今西はそんな試すようなことを聞いた。

 表情も穏やかさがなくなり、隙のない真顔が圧迫感さえ与えてくる。

 しかし、泰葉はそんな彼の雰囲気に惑わされることなく、微かに笑いながら答えた。

 

「勿論です、プロデューサーさんにもありのままを見せてこいと言われましたから、自分の感じたままに表現するだけです。もし意見が対立するようなら、妥協点を見つけるために話し合えばいいわけですし」

 

 より良いものを作り上げるためには必要になること、泰葉の目がそう語っている。

 指示に従うだけの彼女はもういない。

 

「うん、大丈夫そうだね。上がってくる写真を楽しみにしているよ」

 

 もう心配する必要がない、そう感じさせる泰葉の表情と言葉だった。

 今西の表情もいつの間にか優しさを帯びた穏やかな表情に戻っている。

 

「はい、ありがとうございます。……っと、そろそろ時間ですね」

 

「もうそんな時間だったか。すまないね、話に付き合わせてしまって」

 

「いえ、今西さんの話を聞けて良かったです。より良い気持ちで撮影に臨めそうです」

 

 泰葉は自信のこもったいい表情をしている。

 これこそが今西が見たかった表情なのだろう。

 

「応援しているよ、部長として……だがね」

 

 彼の言葉にニコリと笑うと、泰葉は立ち上がり一礼をしてその場から歩き出す。

 だが、少し歩くと彼女はふと立ち止まり今西の方へと振り返った。

 その表情は決意に満ちた、迷いのないものだ。

 

「今西さん、私は……大事なことを思い出させてくれたプロデューサーさんと、大切なみんなと、一歩ずつ進んでいきます、たくさんの人に笑顔になってもらえるように。どこまで行けるか、これからも見ていてくださいね」

 

 突然の彼女の言葉に驚いたのか、今西は太陽に照らされる泰葉をただただ見ることしかできていない。

 強い気持ちの込められている陰りのない表情はひたすらにまぶしい。

 

「…………ああ、頑張りなさい……」

 

 ようやく口を開いて出た言葉は送り出すものだった。

 それを聞いた泰葉は、笑顔で再度一礼すると今度こそ噴水広場から去り現場へ向かっていった。

 

「みんな変わっていくものだな、いいことだ……」

 

 今西はそんなことを言いながらポケットからタバコを取り出しじっと見つめる。

 その表情は眉間に皺の寄った難しそうなものである。

 

「むう……、私も今の社会を受け入れ変わっていかなければ取り残されてしまうか……」

 

 なにより、喫煙者たちの希望により作られた事務所唯一の喫煙場所はここから最も遠い敷地の端の方だった。

 未成年者も多く所属しているのでと配慮された場所だ。

 時間も体力も浪費してしまう。

 泰葉の熱い気持ちに感化されたのか、今西はそのままタバコをポケットにしまった。

 

「さて、缶コーヒーでも買って私も机に向かうとするか。見届けると約束したようなものだし、まだまだがんばらねば」

 

 そう言いながら立ち上がる今西の表情は清々しいものだった。

 彼もまた、後悔していた気持ちにケリをつけ次の一歩を踏み出すのだ。

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