『催花雨を待ちながら』【完結】   作:OKAMEPON

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『どうか、僕と』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 最近、ルフレが何かを思い悩み……何か言おうとして言い出せない様な、そんな視線を向けてくる事が増えた。

 それと同時に、何かと「今の生活に不満はないか?」と聞く様になったりと、どうにもおかしい。

 だが、問い返してもその歯切れは悪く。

 ルキナは、何となく収まりが悪いモノを感じていた。

 

 そんな中、ルキナは仕事の都合で王城を訪ねる事になった。

 今のルキナは、ルフレの護衛を兼任したその職務の補佐をしていて、割と頻回に王城を訪ねる事があるのだ。

 王城を歩き回る時は、聖痕が刻まれた左眼は眼帯で隠し、髪型も結わえ上げる様にして極力「ルキナ」との印象が被らない様にはしている。

 そのお陰なのか、今の所ルキナが「ルキナ」との関係を邪推された事は一度も無い。

 ……まあ、「ルキナ」はまだ幼く、こうして大人であるルキナとその印象が重なる事もそう無いだろうが……。

 …………かつて、この城に居る時に感じていた、胸を強く締め付ける様な痛みは、もう感じない。

 それはきっと、ルキナがもう「この世界」とあの『絶望の未来』についてある種の「納得」をしたからなのだろう。

 愛らしい幼子である「ルキナ」が皆から愛されている姿を見ても、まあ少しは寂しさの様なものはあれども、もう呑み込み切れぬ様な苦しみは何処にも無い。

「ルキナ」に対して自分と「同じ」存在だと言う感覚は既に無く。何処までも良く似た他人と言う意識になったのだろう。

 ……「この世界」はもう、あの『絶望の未来』とは決定的に違う「未来」を歩んでいる。

 ルキナが「過去」に干渉したからと言うだけでなく、「この世界」に生きる人々の選択の末に、世界は決定的に変わった。

 ……ルキナの居たあの『絶望の未来』は、何処にも無い。

 それを、他ならぬ自分の「心」が納得したからこそ。

 ルキナの心が、もうそれに苦しむ事は無いのだろう。

 

 どうして自分の世界はあんな結末になってしまったのか、それなのにどうして「この世界」は救われるのか、だなんて。

 

 誰にも言う事なんて出来なかった、心の奥底に沈めてきた醜い感情……幼いままに傷付いた心が泣き叫ぶ様に訴えていたその悲嘆を、ルキナはもう昇華させたのだ。

 それにはやはり、ルフレの存在がとてつもなく大きかった。

 

 ……あの『未来』を、本来は自分が在るべきだった世界を、あの世界でこの身に刻まれてきた絶望も悔恨も喪失も、その何れもを、ルキナは決して忘れる事など出来ない。

 例え何れ程に満ち足りた『幸せ』な日々を送ろうとも。

「過去」を「無かった事」にする事は誰にも出来ないのだ。

 何らかの要因で記憶を喪う……と言う可能性もあるだろうが、例え記憶を喪おうとも、この身体が或いは記憶に残らない無意識の何処かが、必ずあの『未来』を覚えている。

 ……例え『使命』を果たしていても、その心が完全にあの「過去」から解き放たれると言う事もない。

 だが、この身に、この心に、この魂に。……自分を構成する全てに深く刻み込まれた傷痕……或いは欠損であっても。

 その上を少しずつ何かで優しく覆っていく事は出来る。

 時折その傷痕が顔を出し、苦しくなる事はあっても。

 

 その上に積み重ねていたものがあればある程、その頻度も……そしてその傷痕に触れた痛みも、和らいでいくのだ。

 そして、そんな心の傷痕の上を優しく降り積もる様に覆ってくれたのは、ルフレとの日々のその温かな記憶であった。

 何か物凄く特別な……強烈な経験が、その傷痕を覆っていくのではなくて。寧ろ、本当に細かな日々の積み重ねが……小さな小さな淡雪の様な『幸せ』が主となって、その傷痕を優しく覆ってくれていた。

 …………「この世界」に在るべき存在ではないルキナに対して、たった一つの、唯一の、『特別な』存在であると……。

そんな直向きで温かな『想い』を向け続けてくれているルフレが居るからこそ、もう辛くは無いのだ。

 

 きっとルキナは、『帰る場所』が……自分にとって本当の意味での『居場所』が、ずっと欲しかったのだろう。

 それは「この世界」では決して手に入る筈も無いと諦めていたモノでもあり、……諦めていた筈でも無意識の内では、ずっと欲し続けていたモノでもあった。

 だからこそ、ルフレと想い結ばれた今のルキナには、かつて渇望するが故に感じていた痛みは、もう無いのだ。

 一度は喪ったけれど、彼は再びルキナの元に戻って来た。

 だからこそ、もう辛くは無い。

 彼が居るこの世界に、自分の『居場所』が……帰る場所があるのだと、そう思えるから。

 

 

 そんな事を考えながら城内のルフレの執務室に行くと、何故か其処にルフレは居なくて、代わりにクロムが居た。

 

 

「ああ、ルキナか。すまんな、ルフレは今席を外していてな」

 

「あ、そうなのですね。

 お父様は何かルフレさんにお話でも?」

 

「ああ……まあ、そんな所だな」

 

 

 クロムはそう頷くと、ルキナに座る様に勧めて来たので、ルキナは自分用に常備されているそれに座った。

 クロムは、何故か視線を少し迷う様に彷徨わせて。

 それにルキナが首を傾げていると。唐突に切り出してきた。

 

 

「ルキナは、ルフレと結婚する意思はあるのか?」

 

 

 突然のその言葉に、ルキナは驚き、何かを答えようにも言葉が出なくなった。視線はあらぬ場所を彷徨ってしまう。

 そうやって狼狽えるようなルキナを見て、クロムも自分の発言の唐突さを少し気まずく思ったのか、小さく頬を掻く。

 

 

「あ、いや……その流石に話が突然過ぎたな……。

 結婚するかどうかと言うのはさて置いてだな……。

 ルキナは、ルフレと過ごす事に何か不満や不安を感じていたりはしていないか? 

 …………もし、お前がルフレには言えない事があるのだったら、俺に話してみないか? 

 勿論お前が望まないなら、その話を聞いても俺はルフレに何か言ったりもしない。

 ……だが、ただ話をしたいんだ、お前と」

 

「私と話を、ですか……?」

 

 

 ルキナは思わず首を傾げた。

 

 

「ああ。……思えば、お前とはこうしてゆっくり話をする機会なんて、殆ど無かったからな……。

 あの戦いの中では、お前は『使命』の事や……何時かここを去る時の話ばかりをしていたし……。

 あの戦いの後も、ルフレが帰って来る迄はそれ所では無かっただろう?」

 

 

 クロムは、そう言って少し寂しそうに微笑んだ。

 ……確かに、クロムと気軽に話をした事は、そう無い。

 それは、ルキナが『両親』に対して線を引いていたからであり……『使命』を果たす為にも『両親』に甘える訳にはいかないのだと自制していたからでもあった。

 しかしこうして『使命』も果たされ、確かな寄る辺を得た今、これまでの様に逃げる様に距離を置く必要も無いだろう。

 だから、ルキナはクロムに向き合って、静かに話し始める。

 

 取り留めのない様な日常の話から、ちょっとした思い出話など、ルキナが思っていたよりも『父』との話は弾む。

 ……本当は、ずっとこうやって話してみたいと思っていたのだろうか? それは、ルキナにも分からない。

『絶望の未来』の事は、話さなかった。

 もう何処にも存在しない「未来」の事を話しても、『父』をただ悲しませ自分の心の傷を無意味に抉るだけであろうから。

 そして、クロムが尋ねて来た事。

「ルフレとの結婚を望むかどうか」に関して、ルキナはどう答えれば良いのか迷っていた。

 

 別に、ルフレに何か不満があると言う訳では無いのだ。

 ただどうしても。

 果たして自分に、ルフレと『夫婦』になる資格があるのかと言うその点が気がかりになってしまう。

『未来』に帰りたい、なんて事は無い。

 そもそも『使命』を果たした所で、ルキナが残してきたあの『絶望の未来』が果たしてどうなったのかなど分からない。

 だから、万が一「帰りたい」と願っても、ルキナがあの世界に帰る事は元より叶わないのだ。

『使命』を果たし、託された『希望』を不完全ながらも果たしたルキナには、「この世界」に留まる義務は無いけれど。

 それでも有り得べからざる「異物」でしかないと自覚しながらも、こうして「この世界」に留まっているのは。

 偏に、「この世界」にはルフレが居るからだ。

 ルキナにとっては、ルフレが居る場所こそが……ルフレが居る世界こそが、自分にとっての帰る場所であり、彼の傍が自分の居たい場所だ。

 

 だがしかし、そう想っている一方で。

「この世界」の存在であるルフレと、「この世界」に在るべきではないルキナが、果たして本当に、共に生きていても良いのだろうかと言う不安は、今でも少しはある。

「この世界」の何処かには、本来ルフレと結ばれるべき……自分では無い「誰か」が居るのかもしれないと、何時かルフレが、自分では無い『運命の人』に巡り逢ってしまうのではないかと思うと。僅かに躊躇いがあるのだ。

 ルキナは、今の『恋人』と言う関係性から『夫婦』と言うより確かな関係性に進む事に、足が竦んでしまう。

 それでも。彼とより確かな関係性に……『夫婦』になる事。

誰にも文句も付けさせない、自分こそが彼にとっての「特別」なのだと、そう心から思っても許されるその関係性を、ルキナが望んでいない訳は無い。

 だがそれをルキナの「思い込み」が阻む。

 そしてそれ故に、その不安や葛藤を、ルフレに伝える事も出来なかった。

 

 願っていても踏み出せない矛盾。

 そうやって踏み出せない事を何よりももどかしく思うのに、……それでも竦んでしまう心。

 願う事への躊躇いが、今でも心に刺さる小さな棘が。

 ルキナの心を、何処にも行けぬ様に縛っている。

 だがそうであっても、ルフレと過ごす日々は温かくて『幸せ』で……。そこから動かなくてはならない、動きたいのだと言うルキナの思いを、少しずつ削り取ってゆく。

 それを贈病だ惰性だと謗る事は難しくないが……。

 

 

「……なあ、ルキナ」

 

 

 ルフレとの関係の話になると次第に言い淀む事の多くなったルキナへ、心配そうな眼差しを送っていたクロムが、小さな溜息と共に、ぽすぽすと柔らかくルキナの頭に手を置いた。

 突然のその行動に驚いたルキナが目を丸くしていると。

 

 

「俺は、お前達が『幸せ』なら、どんな関係性であっても良いと思っているんだ。それが、『恋人』でも『夫婦』でも。

 ただ……、お前が本当に望んでいるのなら、それは確りと言葉に出さなくては、行動に移さなくては、伝わらない。

 ……お前がこれまで経て来た苦難は俺では理解しきれるものではないのだろうし、だからこそお前が苦しみ続ける理由を全て理解してやれるかは分からん。

 だが、そうやって寂しそうな顔をする位なら、自分の心に従えば良い。心の望みの声を、聞いてやれば良い。

 それが何であっても、俺はその望みを後押ししよう。

 だからルキナ。……お前は、どうしたい?」

 

 

 ルフレと、『夫婦』として、生きたいのか、どうなのか。

 クロムはそう真っ直ぐにルキナを見詰め、尋ねる。

 

 

「私、は──」

 

 

 そんなクロムに。ルキナは初めて。

 その心の内の「願い」を明かしたのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……そろそろ出てきたらどうだ?」

 

 

 クロムにそう言われ。

 ルフレは身を潜めていた収納棚の中から姿を現した。

 

 ……ルキナに、婚約の誓いを立てようと、そう決意したのは良いのだけれども。少しだけ踏ん切りがつかなくて。

 それで、どう切り出せば良いのかと、クロムに相談しに行った所、クロムは呆れた様な顔をして。

 そして、そこに隠れている様に、と。

 ルフレの執務室の収納棚にルフレを押し込めた。

 何が何だかさっぱり意味不明で混乱したルフレだったが、一体何の意図なのかとクロムに問い質そうとしたその時。

 ルキナが、執務室にやって来て、出るに出られなくなった。

 その為、ルキナとクロムが話している内容を、結果として隠れて盗み聞きしてし

まう事になった訳なのだが……。

 

 

「ルキナ……」

 

 

 ルフレは、ルキナへの申し訳なさと自分の不甲斐無さへの呆れに、思わず深い溜息を零してしまう。

 

 ルキナがクロムに語った事。

「望み過ぎる」事を恐れる心、そうすればこの『幸せ』を喪ってしまうのではないかと言う「思い込み」も。

 自分にルフレと結ばれる「資格」が本当にあるのかと、悩み踏み出す事が出来ないと言う葛藤も。

 

 本来ならば、ルフレが先に気付いてそれを解消しなくてはならない事であったのだし、そもそもルフレがもっと早くに思い切ってルキナに求婚するべきだったのだ。

 ルフレの煮え切らない曖昧な態度が、ルキナをより苦しめてしまったのだろう……。

 だからこそ、ルフレは自身に忸怩たる思いを懐いてしまう。

 

 そんなルフレの背中を、クロムが力強く叩いた。

 結構な力が入っていたので、ルフレも驚く。

 

 

「ちょっ……結構痛かったんだけど今の……」

 

「すまんな力加減を間違えた。

 まあそこで独りウジウジと反省会をする位なら、先にやるべき事はあるだろう? 

 前にも言った様に、俺ではあの子の望みを叶えてやれん。

 ……ルキナの望みを叶えられるのは、お前だけなんだ」

 

 

 ……愛する妻を得て、そして「ルキナ」と言う愛娘を得て。

 姉や妹と言った「血」の繋がりではない、もっとまた別のモノで繋がった、自分の新たな『家族』を得てから。

 クロムは、随分と変わったと思う。

 初めて出逢ったあの日の様な、熱意が身体を振り回している様な感じでは無くて、より思慮深くなった。

 元々その懐はとても大きかったのだけれども、最近益々それの深さを感じる事がある。

 クロムは、ルキナの「本当の父親」にはなれないと言っているしそれは事実だけれども。

 ルキナの『幸せ』を案じるその姿は、間違いなく「父親」に違いなかった。

 ……それが何だか嬉しい。

 

 

「それは…………。……うん、そうだね。

 遅くなってしまったかもしれないけれど。

 僕は僕なりに、その責任を果たしに行くよ」

 

 

 ルフレがそう決意して頷くと。

 クロムは安心した様に笑った。

 

 

「全く、俺の『半身』は随分と手が掛かるな。

 まさか、ルキナを傷付けないかと心配でどうしたら良いか分からない、なんて相談されるとは夢にも思わなかったぞ。

 ……傍から見たら、これ以上に無い位思い合っているのは分かるのに、妙な所で互いに足踏みしたり尻込みして微妙にすれ違っているのは、似ているのか何なのか……。

 ……『家族』が必要なのは、きっとお前もなんだ。

 だから。ルキナと二人で、ちゃんと幸せになれ、ルフレ。

 お前が一生を掛けて果たすべき『使命』は、それだからな」

 

 

 そうクロムから贈られた心からのエールに背を押されて。

 ルフレは、ルキナの元へと駆け出すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 結局ルフレに逢えないまま、必要な仕事を終えたルキナはルフレと住んでいる家に帰って来た。

 するとそこには。

 平素の穏やかなそれとは違う、戦場にて指揮を執っていた時の様に真剣な面持ちのルフレが、ルキナを待っていた。

 

 

「あの……ルフレさん?」

 

 

 何かあったのかと、そうルキナが尋ねようとしたその時。

 

 

「ルキナ。……君に、伝えたい事があるんだ。

 聞いてくれるかな?」

 

 

 訊ねる様な口振りではあるが、そこには有無を言わせぬ迫力の様なモノがあり、元より聞かない理由も無いので、ルキナは少し驚きつつも頷く。

 そんなルキナに、ルフレは静かに語り掛け始めた。

 

 

「……僕は、こうしてこの世界に帰って来れてからずっと、……君とこうして日々を過ごせる事が堪らなく『幸せ』で。

 だからこそ、この時間を壊してしまうかもしれない『変化』を、恐がっていたんだと思う。

 そして、そうやって『変化』を恐れていたからこそ。

 もし、その『願い』が全部僕の独り善がりで……君を酷く傷付けてしまうかもしれないと思うと……。

 僕には、それを誓う『資格』なんてないのかもしれないと。

 それを直視しなくてはならない事が、恐かったんだ。

 でも……。自分の気持ちにも、そして君自身の想いにも、向き合う事から逃げ続ける事は、誠実な行為ではない。

 ……二年以上も僕を待ってくれていた君には、もっと誠実に向き合わないといけないと、……そう思うんだ。

 だから……聞いて欲しい」

 

 

 ルフレは、静かにそう言うと。

 その眼差しを静かに揺らして、そしてその手を緊張からなのか、強く握り締める。

 ルフレが何を伝えようとしているのか、ルキナには分からないけれど。何故か鼓動が早くなっていった。

 

 

「……僕は、君を遺して逝く事を承知の上で、ギムレーと心中する事を選んでしまった身だ。

 ……あの選択には、今でも後悔はしていない。

 だからこそ──そんな僕が、……一度はこの手で君を『幸せ』にする事を諦めてしまった僕が、君と人生を共に過ごす資格などあるのだろうか、と。そう……考えてもしまう。

「必ず帰る」とすら約束出来なかったのに、二年も君の時間を縛ってしまった……。

 君を『幸せ』にしたいとそう心から願っていた筈なのに、君を何よりも哀しませてしまった……。

『喪失』の痛みを、再び君に与えてしまった……。

 そんな僕に、君を『幸せ』にする資格はあるのか……。

 その答えは、今も分からないままだ。

 それに……僕は一度、完全にこの世界から消滅した身だ。

 でも、何も遺さず消滅した筈なのに、僕は今ここに居る。

 僕はもう『ギムレーの器』ではないけれど、今の僕が『何者』であるのかは分からない。『人間』であるかすらも……」

 

 

 ルフレが静かに語る言葉に、ルキナは何も返せない。

 そんな事は無いと返すのは容易いけれども。

 だがそもそも、そうルフレが語る言葉は、ルキナ自身も己に問わねばならない事である。

 そこにどんな事情が在れ、ルキナは一度想い合っていたルフレに剣を向け……殺そうとした。

 ルキナはその瞬間、言い訳のしようも無くルフレよりも「世界」を……『使命』を選んだ。

 あの時のルフレは、自分の意志を踏み躙られて操られた事への恐怖や……『炎の紋章』をファウダーの手に渡してしまった事への後悔に沈んでいて……ルキナの支えを必要としていた筈だっただろうに。ルキナは、それを斬り捨てたのだ。

 一度は自身の手でルキナを『幸せ』にする事を諦めて命を投げ捨て、ギムレーと共に心中する事を選んだルフレと。

 一度はその命を奪おうと剣を喉元に突き付けたルキナと。

 どちらが、相手と人生を共にする「資格」が無いのかなんて、一々考えるまでも無い。

 その罪を相殺する事なんて出来はしないだろう。

 

 それに、ルフレは、今の自分が『何者』であるのか分からないなんて言うけれど。

 それは、ルキナの方こそ言わねばならない事である。

 既に「未来」は分かたれた。

 分かたれたその『未来』がどうなったのかなんてルキナには分からないし、その『未来』からやって来た自分自身が一体この先どうなるのかも分からない。

 ある日突然、「世界」から拒絶される様にその存在が消えてしまう可能性だって無くはないだろう。

『時間』に干渉する、それを変えると言う結果の先がどうなるのかなんて、この世界の誰も知る事では無いのだ。それ故に、可能性だけなら文字通り「何が」起こってもおかしくは無いだろう。それに比べれば、ルフレがもしかしたら『人間』ではないかもしれない事なんて、些末なモノだと、そう思う。

 少なくとも、ルキナにとってはそうだ。

 

 

「そんな……「資格」なんて……。

 私の方が、無いですよ……。

 ルフレさんと生きる「資格」が本当にあるのかなんて……。

 ……でも、それでも……私は……」

 

 

 貴方の傍に居たいのだと、それだけは譲れないのだと。

 そう言葉にしようとした時だった。

 

 

「だけど、僕には君だけしか居ない。

 君以外の人を、君以上に愛する事は無い。

 僕が人生を共にしたいと……先の見えない「明日」を共に生きたいと望むのは、君だけなんだ。

 僕は、僕の出来る全てを賭けて、必ず君を幸せにする。

 僕の人生の全てを、君に捧げると誓うよ。

 こんな僕でも君と一生を共にする「資格」があるだろうか?

 君を愛し続けても、良いだろうか? 

 もし、君がそれを赦してくれるなら、どうか……。

 僕が君と人生を共に歩む事を許してくれるのなら。

 これを……受け取って欲しい」

 

 

 そう言って、ルフレはその懐から、小箱を取り出した。

 丁寧にそっと開かれたそこには。

 美しい細工の指輪が、収められていた。

 

 透き通る水底の様な深い蒼の宝石が、蝶の羽を模す様な彫り込みの中に嵌められていて。

 そしてその周囲には、白銀に輝く宝石と淡い紫の宝石が指輪に彩を添える様に嵌め込まれている。

 細工の見事さから、相当腕の良い彫金師が手掛けたのだろう事が分かる指輪だった。

 飾りの宝石も、付けたままでも手の動きの邪魔にならない様な大きさになっていて。

 ルフレの想いが、伝わる様な。そんな素敵な指輪だった。

 

 こうして指輪を送られる意味は、ルキナも分かっている。

 そして、それを受け取る意味も。

 それは、ルキナの心からの望みで。

 今も、泣き出してしまいそうな程に、この胸には歓喜が満ち溢れているのだけれども……。

 ルキナはその指輪を受け取る事を躊躇ってしまう。

 だけれどもそれは、ルフレに問題がある訳では無い。

 ルキナの、心の問題だ。

 

 

「……有難うございます、ルフレさん。

 でも……怖いんです、それを受け取るのが……。

 こんなにも沢山、『願い』が叶ってしまえば。

 その代償に、ルフレさんがまた……消えてしまうんじゃないかと思うと……。不安で、仕方が無いんです……」

 

 

 自分に都合の良い事ばかりが起こるなんて有り得ない。

 望み過ぎれば、代償の様に大切なモノを喪ってしまう……。

 ……そんな「思い込み」が、ルキナの心を最後に縛る。

 

 本心では、その指輪を受け取って愛を誓いたいのに。

 心を縛る鎖が、ギリギリとその手を押さえつけてしまう。

 

 そんな「思い込み」に苦しむルキナに、ルフレは……。

 

 

「……消えないよ」

 

 

 そう言いながら指輪を一旦仕舞って。

 ルキナをそっと優しく抱き締め、その耳に自分の鼓動の音が聞こえる様に、自身の胸にルキナの頭を抱き寄せた。

 ルキナの耳に、ルフレの鼓動が、その命が燃える音が届く。

 ルフレが確かに此処に生きている事を主張する様に、その温もりがルキナに伝わる。

 ルキナの心の一番柔らかな場所に、傷付き果てた傷痕の近くに、その音と温もりは響く様に伝わっていく。

 それにどうしてか、ルキナは声を上げて泣きたくなった。

 少し見上げると、ルフレはルキナを安心させる様に微笑む。

 

 

「……ルキナが僕の名を呼んでくれるのなら、僕を必要としてくれるなら……僕はもう絶対に消える事は無い。

 例え何があったって、君の所に必ず帰ってくる。

『死』だって乗り越えてこうして帰って来たみたいに。

 何度だって何度だって……。

『人間』じゃなくなったって、絶対に君のもとに帰る。

 だって、君の居る場所が、僕の帰る場所だから。

 君の事を、誰よりも愛しているから。

 だからもう、君を置いて消えたりなんかしないよ。

 もし何があっても、必ず帰る。そう『約束』する」

 

 

 ……何の根拠もない言葉だ。

 こうしてギムレーと共に消滅する筈だったルフレが還って来てくれた事だって、到底起こり得ない程の『奇跡』だったのに……「絶対に」なんて、何の保証も無い言葉だ。

 それでも、「あの日」は交わしてくれなかった『約束』を、ルフレはこうして今ルキナに誓ってくれている。

 それが、どうしようもなく嬉しくて。

 心を縛る鎖は、少しずつ解けていく。

 ルフレの温もりが、想いが、言葉が、溶かしてゆく。

 

 

「ルフレさん。

 ずっとずっと……歳を取って……何時か共に眠るその日まで、ずっと一緒に居て下さい。

 もう、何処にも行かないで下さい……」

 

 

 何とも身勝手で欲深い「願い」を言葉にしながら、ルキナはルフレに縋り付く様にその身体を抱き締める。

 そんなルキナを愛し気に見詰めたルフレは、その耳元に囁く様な声で応えた。

 

 

「ああ、約束する。

 二人で、一緒に歳を重ねていこう。

 お爺さんとお婆さんになっても、僕はずっと側に居る。

 愛してるよ、ルキナ」

 

 

 そして、柔らかな口付けを、ルキナの頬に落とした。

 それに、ルキナ温かな歓喜の涙を零す。

 

 

「私も、心からルフレさんの事を愛しています。

 貴方は、私にとって世界で一番大切な人なんです。

 私も、私の全てを賭けて、貴方を幸せにします。

 だからどうか、一緒に幸せになりましょう」

 

 

 何時か、ルキナは時の環から弾き出されてしまうかもしれない、ルフレの身に何かが起きるかもしれない。

「未来」は……、これから先二人が「今」を積み上げていった先にあるそれは、まだ誰にも分からないけれど。

 それでも、何が起きたって。二人でなら、きっと『幸せ』を見付けられる。何処に居たってルフレと共に居れば、そこがルキナにとっての『幸せ』が在る場所なのだから。

 

 

 

「ルキナ……。僕と、結婚してくれるかい?」

 

「ええ……喜んで」

 

 

 ルフレから指輪を受け取ったルキナは、『幸せ』その物を抱き締める様に、指輪を大切に抱き締める。

 かつて、ルキナはあの『絶望の未来』で、『家族』を喪った。

 ……喪ったそれを取り戻す事は例え時を遡っても叶わなかったが……。それでもそうして辿り着いた「この世界」で、ルキナは新しく愛しい者に巡り逢い、想い結ばれた。

 そして、……新しい『家族』を得た。

 それは、幼いルキナが求め泣いていた、『親』と『子』と言うカタチの『家族』ではないけれど……間違いなくそれと同じかそれ以上に愛しくて求め続けていた『家族』の在り方だ。

 老い衰え、何時か共に『死』の御腕の中で安らかに永遠の平穏の中で眠るその時までの、長き時を共に生きる『家族』。

 決して互いを孤独にはしないと言う、強い強い約束で結ばれた、何よりも愛しい存在。

 

 ……ルキナは、きっと今漸く。

 本当の意味で、確固たる『居場所』を……心の寄る辺を、『家族』を、手にしたのだろう。

 

 この『幸せ』を永遠に心に刻み付ける為に。

 ルキナはそっとルフレと深い口付けを交わすのであった。

 

 

 

 

 

 

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