『催花雨を待ちながら』【完結】   作:OKAMEPON

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『何時か喪う定めでも』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 自分の『想い』を自覚したが、しかしだからと言って「何か」が大きく変わったと言う訳でも無い。

 変わらずに共に時を過ごし、そして語り合う。

 だが、そこにある「意識」と言うモノはやはり変わった。

 まるで、ルフレにとっての世界を彩る「色」が一つ増えたかの様に、ルキナと過ごす時間の全てが、そして彼女の存在の全てが、色鮮やかに映るのだ。

 一瞬一瞬が、痛い程に鮮やかにこの胸に刻まれていく。

 クロム達と積み重ねてきた宝物の様な思い出とはまた違う、温かく輝く様なそれが、どうしようもなく愛おしい。

 

 その眼差しに、痺れる様に見惚れている。

 その一言、その言の葉の全てをこの胸に抱きしめていたい。

 守りたい、その心からの笑顔を見たい。

 彼女が望む全てを、叶えてあげたい。

 自分が出来る全てで、ルキナを『幸せ』にしたい。

 

 自覚した途端に、『想い』は後から後から溢れ続ける。

 クロム達への、愛しい仲間達への『想い』は、ずっと前からあったしそれもまた何よりも大切なものではあるけれど。

 ルキナへの『想い』は、それを凌駕する程の「熱」を帯びて、ルフレの心を燃やす様に駆り立てる。

「誰か愛する人を見付け、その人と愛を育むと良い」と、クロムに以前から事ある毎に口が酸っぱくなる程に言われてきたが、その時にはその意味がよく分かっていなかった。

 愛する仲間達が居て、唯一無二の終生の友とも呼べる「半身」たるクロムが居て……それで十分じゃないか、と。

 そう心から思っていたし、彼等が愛する人と『愛』を育んでいるその姿を見守るだけで自分は幸せだと思っていた。

 でも、こうしてルキナへの特別な『想い』を知った今となっては、クロムの言葉は正しかったのだと、そう思える。

 ……尤も、現状ではこの『想い』はただの一方通行のものであり、ただルフレの胸の内で渦巻き深まるだけのものだ。

 

『想い』を伝えたいと、そう思う気持ちは間違いなく在る。

 自覚したその瞬間に衝動的に言葉にしそうになった程だ。

 

 例えルキナから気持ちが返ってくる事は無くても、この胸を焦がし動かす『想い』が消えてしまう事は無いけれど。

 もし……共に温かなこの『想い』を分かち合い育む事が出来るなら、自分が向けている様な『想い』が……彼女からも返ってくる事があるのなら。

 それはきっと……満ち足りるが余りに死んでしまいそうな程に、『幸せ』な事なのだろうから……。

 

 しかしそれでも、この胸を熱く震わせる『想い』をその衝動のままに彼女に伝える事には、僅かに迷いがある。

『想い』に何も返ってこない事を恐れているのではなくて。

 ……『想い』を伝えた事、……いやその『想い』それ自体が、ルキナをより苦しめてしまう事になるのではないかと、その可能性に思い至ってしまったが故である。

 

 ……ルフレの望みは、ルキナの『幸せ』だ。

 ルキナが『幸せ』でなくては自分の『幸せ』は意味が無い。

 彼女にとっての『幸い』が、ルフレにとってのそれに重なるのならば、きっとこの世の何よりも素敵な事だけれど。

 

 だが、ルフレがそうして『想い』を抱いている事が、それを知ってしまう事が、彼女を悩み苦しませ、『不幸』にしてしまうのならば……この『想い』は胸に秘め続けるべきだ。

 何れ程強い『想い』があったとしても、伝えなかったのなら……伝わらなかったのなら、存在しない事と同じだから。

 

 ……ルキナは、余りにも重いものを……『使命』もその過去もそしてそこにある感情も。たった一つ抱えるだけでもう一歩も歩けなくなりそうな程の重荷を、幾つも背負っている。

 その心の何処かを、「救えなかった」と……彼女がそう思っている『絶望の未来』へと置き去りにして。

 この世界に自分が存在する理由だとすら思う程に、その『使命』を強く強く胸に刻んで。

 心の傷が目に見えるのならば、きっと……いっそ心が壊れていない事の方が不思議であろう程に傷付き果てていて。

 それでも、その胸に抱いた『使命』がそうさせるのか、……或いは彼女の矜持が足を動かしているのかは分からないけれど、決して立ち止まらずに前を向いて足掻き続けている。

 ……そこに、ルフレの『想い』などと言う新たな重荷を載せてしまって良いのだろうかと、そう迷ってしまうのだ。

 それをルフレが意図したつもりは無くても、ルフレがこの胸に秘めた『想い』を打ち明ける事で、彼女をギリギリの処で支えていた「何か」を壊してしまうかもしれない。

 重荷を背負い歩く驢馬を潰してしまう最後の麦穂を、ルフレ自身が載せてしまうのではないかと思うと、恐ろしいのだ。

 

 ルフレには、彼女の『使命』について、そして彼女が語った『絶望の未来』で起きた事……その未来での『ルフレ』が辿ったその結末について……どうしても気に掛かる事がある。

 ……ルフレが頻繁に見る夢の事だ。

 何処かの薄暗い神殿の中の様な気味の悪い場所で、ルフレはクロムと共に戦い……そして敵を討ち取った筈の次の瞬間、まるで操られたかの様にクロムを殺す。……そんな夢だ。

 勿論、夢は夢でしかない可能性は大いにあり、色々と悪い方へ考えている内に自分にとっての最悪を夢と言う形で描き出しているだけに過ぎない可能性だってある。

 だけれども、夢でしかない筈のその中での経験は。

 クロムを庇って受けた電撃が身体を走り焼け付き痺れる様な痛みも、……そしてクロムに雷の槍を突き刺したその感触も臓腑までもが焦げ付く臭いもこの手に残る魔法の残滓も。

 その全てが、まるでその場で確かに起こっているかの様に「現実」のそれそのままで。

 ……そして何よりも。

 その夢の中で対峙していた男は、現実の世界で出会う前に既にそのままの姿でルフレの夢の中に現れていた。

 更には、エメリナ様の暗殺未遂の時に殺した筈のその首謀者は、まさにあの男であったのである。

 ……だが、殺した筈の男の遺体は何時の間にか消え去り、そして……ギャンレル亡き後のぺレジア王として再びルフレの前に姿を現したのだ。

 その傍に居たルフレと瓜二つの「最高司祭」といい、明らかに何かがあり……それはきっとルフレ自身に繋がっている。

 未だ戻る気配すらない喪われた自身の記憶の中にその答えはあるのかもしれないが……そうだとしてもあの二人の態度はどうにもおかしく……それが酷く不気味なのである。

 恐らくは彼らの手のものであろう者達がルフレ達の動向を見張り続けているのには気付いてはいるが……それ以上の干渉は仕掛けてはこず、それが酷く不安を煽る。

 その監視の在り方はまるで、何かの意図を逸れない様にと付けられているモノの様にも感じるのだ。

 何か、自分は大事な事を見逃しているのではないか……忘却しているのではないかと、不安でならない。

 ……あの夢を「現実」にせずに済む様に、打てる手は打ったが……しかしそれでも心の何処かでは胸騒ぎが収まらない。

 何時かそれが決定的な破綻を生じさせはしないかと……、それは自分を起点に生じるのではないかと考えてしまう。

 それに、……あの「最高司祭」に対面してから時折、クロムを殺す夢とはまた異なる奇妙な夢を見るのだ。

 血で染めた様な不気味な赤に染まる空、燃え盛り全てが灰に還っていく街並み、逃げ惑う人々、命を蹂躙し冒涜する無数の屍兵、空の全てを覆い尽くさんばかりの巨大な異形の竜。

 それは、ルキナから断片的に聞いた『絶望の未来』の光景の様で……彼女の語るそれから、自分が無意識の内にも思い描いた物かもしれないのだけれども。

 だが……その夢の中でルフレは、ルフレの視点は……。

 夢を起きた時に全て覚えているのは難しいが、幾度となく繰り返していれば嫌でもその光景が目に焼き付いてくる。

 ……それをただの夢と切って捨てるのは簡単だけれども。

 ルフレは、軍師として備えなければならず、故にそれについて考え続ける必要がある。

 そしてそうやって考え続けた先に最後に辿り着くのは、欠け落ちた自身の『過去』についての事であった。

 覗き込んでも何も見えはしないそこに、何か恐ろしい物が隠されているのではないかと、そう思ってしまう。

 そしてそれが、彼女の『未来』に於いて、最悪の結末をもたらしてしまったのだとしたら……。

 そして、『未来』でそれが起こったのだとして、……この世界でもそれが起きないと言う保証は無い。

 ルフレの意志一つで回避出来るのならば何としてでも回避するのだけれども、今のルフレでは触れようも無い『過去』に起因するものであるのならば、それも保証出来ない。

 そう……ルフレは、『自分自身』を疑っているのだ。

『未来』に於ける「裏切者」は、自分だったのではないかと。

 ルキナ自身、その「裏切者」が誰であるのかとは知らない様であったけれど、間違いなく彼女にとっても「疑わしい」人物の中にルフレは居るのだろう。

 

 ……だからこそこの『想い』を伝える訳にはいかなかった。

「裏切り」の事実がどうであるにしろ、そんな者からの『想い』など、無駄な重荷にしかならないであろうから。

 もし、彼女がその『使命』を果たさねばならなくなった時に、それを縛る事の無い様に、その決意を惑わさぬ様に。

 ルキナを心から『想う』のであれば、それこそ墓場にまで秘めていくべき『想い』ではある。

 

 だが、いっそ度し難いとすら自分でも思うのだけれども。

 ルフレにはルキナにどうしても伝えたい『想い』があった。

 

 何があっても、何を成そうとするのだとしても。

 自分はルキナを信じている……ルキナの味方なのだと。

 例え、その『使命』の先で……自分がその命を捧げる必要があるのだとしても、それを受け入れる、と。

 だからどうか、今この瞬間も『絶望の未来』に心を囚われ苦しみ苛み続けるルキナ自身を、救ってあげて欲しい、と。

 滅びも絶望も、何一つとしてルキナに咎は無いのだと。

 この世界でなくても良い、そこが何処であっても良いから、生きたい場所で、心が望むままに生きて欲しいのだ。

 ただただ、ルキナに『幸せ』になって欲しい。

 ルキナが笑って生きていてくれる事だけが望みなのだ、と。

 それを、彼女の『幸せ』を願う心を。

 この世の他の誰でも無く、戦い続け傷だらけになったルキナ唯一人の『幸せ』を、心から願う者は確かに居るのだと。

 ……それを願う者が居たとしても、彼女にとってはこの世界に『居場所』は無いのだとしても。

 ほんの一時の安らぎを、小さな小さな春の陽だまりの中での微睡の様に……傷付いた心を僅かにでも癒す温もりならば、「この世界」にも在るのだと、そう気付いて欲しくて。

 だからこそ、……その『想い』だけでも伝えたいのだ。

 彼女の心を傷付けているのが他ならぬルフレ自身であるのだとしても……自分では到底『居場所』になれないとしても。

 …… ヴァルムとの戦争が終わった今、この世界はまた一つ、彼女の知る『未来』への分岐点に近付いているのだろう。

 だからなのか、今のルキナは張り詰めた弓弦の様に、余裕を失くして思い詰めている様に思える。

 このままでは、彼女の心の方が先に限界を迎えてしまうのではないかと……そうルフレが焦燥に駆られる程に。

 ……もし、ほんの少しでも、ルフレの『想い』が、今にも崩れそうな彼女の心をほんの少しでも癒せるなら……。

 ルキナが自分の心を癒す術を見付けるまで、それを支える事が出来るなら……。

 それだけで良い、それさえ叶うならば何ももう望まない。

 だが、『想い』が心を少しだけでも救う可能性と同時に、『想い』が彼女の心へ止めを刺してしまう可能性だってある。

 それ故に、どうしても一歩が踏み出せない。

 しかしこうしている内にも今にもルキナの心は限界を迎えてしまうのではないかと思うと、何もしない訳にはいかない。

 一体どうする事が最善であるのか、最もルキナの為になるのかと悩み続けながら歩く内に、視界に白い花の姿が過った。

 小さなその可憐な花を見ている内に一つ妙案が思い浮かぶ。

 

 直接言葉にする必要など無いのだ、と。

 古来より人は花に様々な想いを託してきた。

 ならば、解釈を相手に委ねる事で、過剰な負担を掛けずに必要な分だけの『想い』が伝わるのではないか、と。

 ……もし、それが重荷になりそうならば、そんな花言葉など知らなかった、偶然だったのだと押し通してしまえば良い。

 

 その花に求めている意味が秘められているのかを確認してから、ルフレはそれを幾つか選んで細やかな花束を作る。

 そして小さな花束を抱えてルキナの元へと急ぐのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ヴァルムとの戦争も終わり、イーリスへと帰還しても、ルキナの成すべき事には些かの変わりも無い。

『使命』を果たす為には、寧ろ今からが重要なのだ。

 絶対に、「この世界」を『絶望の未来』へと向かわせない。

 何があっても、何をしても……『クロム』を死なせない。

『クロム』の死と言う『絶望の未来』への分岐点が訪れるまでに、何としてでもその流れを変えなくてはならない。

 その為に、ルキナは「この世界」に存在している。

 

 ……だが、今の所ルキナ自身に直接何か出来る事は無い。

 邪竜ギムレー復活阻止の為にイーリスもフェリアも動いていて、『クロム』も……そしてルフレも、必死に奔走している。

 だが、公的な立場は存在せず寧ろその存在は何があっても秘匿されねばならない「在ってはならない存在」であるルキナには、そう言った国レベルで動く事には何も力になれない。

 それは仕方の無い事で……しかし本来の自分が果たすべきであった事でもあり、どうしても心に引っ掻き傷を作る。

 それに……『クロム』がその厚意から王城の人目に付きにくい一画に、「この世界」に帰る場所も居場所も無いルキナの為に滞在する為の部屋を与えてはくれたのだが……それが却って胸を強く締め付ける様な苦しみになっている。

 ルキナの帰る場所だった『イーリス城』はもう存在しない。

 あの『絶望の未来』に於いて、『イーリス城』は襲撃してきたギムレーによって跡形も無く吹き飛ばされてしまったし、時と世界を越えてしまった以上もう何処にも存在すらしない。

 この城は、イーリス城ではあるけれどもルキナにとっての『イーリス城』とは、……違うのだ。

 

 ……外観自体は、そう大きく変わらないであろう。

 ただ、人々から余裕が奪い去られてしまっていたあの『絶望の未来』では、日常的に使用している部分ですら、掃除などの手が行き届かず調度すら壊れたらそのままであり、況してや普段人が寄り付かない場所など埃だらけであった。

 しかし、「この世界」の……滅びが訪れる気配すら無い城は、隅々まで完璧に掃除も手入れも行き届き、半ば空き部屋であったルキナの使う部屋にすら埃一つ落ちてはいなかった。

 

『未来』では枯れ落ちた草木が立ち並び荒れ果てていた大庭園や中庭なども、「この世界」では城付きの庭師達の手によって完璧に美しく手入れされ維持されている。

 建造物としての見た目自体は同じであるだけに、細かな違いが容赦無く目に付き……それ故に酷く居心地が悪い。

 

 そして何よりも……。

 この城には……「ルキナ」が居る。

「この世界」にとっての、『本物』の「ルキナ」が……。

『両親』からの溢れんばかりの愛情を受けて健やかに育っていくのであろう……ルキナが『使命』を果たした先で『絶望の未来』を知る事も無いまま成長するだろう「ルキナ」が。

 まだほんの小さな赤子、大人たちの庇護の手が無くては生きていけない無力な命……しかし、ルキナが心から望み希い今でも心の何処かでは諦めきれずにいる「それ」を、何の瑕疵も無く享受していく事が約束された、そうであるべき存在。

 ……「ルキナ」に対してどう言う気持ちを抱けば良いのか……ルキナには今でもその答えは出ない。

 

 無論、「彼女」に対して害意などは欠片も無い。

『幸せ』になって欲しいと……あんな『絶望』を知らずに済んで欲しいと、そう心から願っている。

 自分が生きる事の出来なかった、『幸せ』な未来を……少なくともあんな『絶望』しか存在しない様な未来では無いそれを、せめて「彼女」だけは生きて欲しいと、そう願っている。

『両親』に見守られ愛されながら、成長して欲しいと……。

 ……命ある限りは別れと言うモノは何時か必ず訪れるのだとしても、「彼女」にとってのそれはずっとずっと先の未来であって欲しいと……そう心から思っている。

 それを叶える為に、ルキナも、そして『クロム』達も戦って、この世界の未来を変えようと抗っているのだけれど。

 

 しかし、それなのに……。

『両親』からの愛情を目一杯に受けている「ルキナ」の姿を目にするのは……彼等の『娘』を幸せそうに見詰める『両親』の姿を見続けるのは……どうしてだか、苦しかった。

 それを「当然」の事であると、分かっているのに。

『両親』が愛するべき『娘』は「彼女」であって……ルキナではないと誰よりも分かっているのに。

 

 ほんの少しだけでも気に掛けて貰える事自体が望外の喜びである筈であるし、それ以上を望むべきではない。

 だけれども、「この世界」に於ける自分の存在に対し納得し理解している理性とは裏腹に。

 ……心の何処かに居る「あの日」のままその時を止めてしまった幼いルキナは、家族と居場所を求めて泣いているのだ。

 帰りたいと泣くその心を、切って捨ててしまえるならば、無意味に苦しみ傷付く事も無いのだろうか。

 祝福するべきその温かな光景を、苦みも混ざった複雑な想いで見詰める必要も無くなるのだろうか。

 何れ程悩んだ処で、自分の目にすら見えぬ心と言うモノを、意識的にどうこうする事は難しく。

 寧ろ意識すれば却って幼い心はより存在を主張してくる。

 ルキナに出来るのは、耳を塞ぎ目を反らす事だけだ。

 イーリス城から出れば、少しはこの胸の苦しみもマシになるのかもしれないが、『クロム』の厚意を無碍にするのも心苦しく、そしてここを出た所でルキナに身を寄せる宛は無い。

 それに、この痛みはルキナが「この世界」に存在する限り、自分の在るべき世界ではない「世界」に生きる限りは、ずっと消える事など無いものであり、城を離れても消えはしない。

 だからルキナは、自分の居場所では無いと感じながらも、イーリス城に留まり続けていた。

 

 そして、ルキナを苦しめているのはそれだけではない。

 刻一刻と迫っているのであろう「その時」……『クロム』が裏切りによってその命を落とす可能性がある瞬間が、何よりもルキナの心を追い詰めていく。

 ……考えれば考える程、『クロム』の周囲の人間関係について理解すればする程に、『未来』で父を裏切ったのは……裏切って父を殺せる状況に居たのは、「ルフレ」しか居なかった。

 他の可能性に逃げてしまいたくてそれを必死に追い求めても……追えば追う程に探せば探す程に、やはり彼しか居ない。

 あの『未来』で彼は何時だってルキナに対して優しかった。

 ……とても、優しい人だった。

「この世界」のルフレがそうである様に、仲間達皆にとても好かれていて……。幼かった自分にはまだよく分からなかったけれども、今思い返せばそこには確かな絆があった。

 ……それでもやはり裏切ったのは彼でしか有り得ないのだ。

 その動かす事の出来ない極めて確度の高い推測は、何処までもルキナを追い詰め苛む。

『使命』の為に『成すべき事』は、もう分かっている、痛い程に……理解してしまっている。

 それでも、ルキナはそれに踏み切れない。

 もっと決定的な証拠が存在しないなら、絶対に目を反らせない「何か」が無いのならば……きっとあれやこれやと自分でも苦しいと分かっている言い訳を重ねて、逃げてしまう。

 それは……そうしてしまうのは……。

 ルキナが、『彼』の事を……「この世界」のルフレの事を……もしかしたら『クロム』以上に大切に、想っているから。

 ……否、……ルフレに『恋』をしてしまっているからだ。

 

 何時からだったのかなんて、そんな事は分からない。

 決定的な瞬間と言うモノも、これと言って思い浮かばない。

 だけれども、きっと。

 ルフレと過ごした時間に、安らぎと『幸せ』を感じた時に。

 ルフレとの思い出に、心を救われた事を自覚した時に。

 ルフレの存在が、「この世界」の未来と『使命』と、比較しその『価値』を量る天秤へと載せてしまったその時には。

 ルキナにとってルフレは、この世の何よりも掛け替えの無い、『特別』で愛しい……唯一人になっていたのだろう。

 ……だからこそ、ルキナの中で全てが不安定に揺れ動く。

 

『使命』の事、『絶望の未来』の事、ルキナが犯した罪の事、「この世界」の事、『両親』の事、そして……ルフレの事。

 その全てがルキナの中で混沌を生み出し、ルキナが進むべき道を惑わせる様に心を乱す。

 選ばなければならない事、……だが決して選びたくない事。

 それがグルグルと頭の中を巡り続け、ルキナを悩ませる。

 まるで、行く道も帰り道も見失い途方に暮れる幼子の様だとすら、そう自分の現状を思ってしまう。

 迷い子を導いてくれる手は無く、ただ立ち尽くすばかりだ。

 広い部屋の中で何をしようにも落ち着かず、結局は部屋の窓から城下を見下ろす様にして時間を潰してしまう。

 そんな自分に嫌気が差し、手持無沙汰でならば文献を読み解くなりして少しでも『絶望の未来』を回避する為に尽力するべきであろうと、城の書庫に行こうかと思い立ち、椅子から立ち上がったその時。

 部屋の戸を控えめに叩く音がした。

 

 

「ルキナ、今時間は大丈夫かい? 

 少し、君に渡したいものがあるのだけれども」

 

「え、はい、大丈夫ですよ。どうぞ」

 

 

 ルキナを思い悩ませているその元凶であり……そしてルキナにとっては特別な人のその声に、思わず胸が高鳴る。

 少し慌てて部屋の戸を開けると、そこにはやはりルフレが立っていて、何かをその手に抱えていた。

 

 

「やあ、ルキナ。

 えっと……今日はこれを君に渡したくてね。

 良ければ、受け取って貰えると嬉しい」

 

 

 部屋に迎え入れた『彼』は、何故か少し緊張した様な様子でその手に抱えていたモノをルキナに手渡してくる。

 それは、ルキナには見慣れない可憐な白い花で作られた、細やかな花束であった。

 その花の匂いであろう優しく甘やかな香りが鼻孔を擽る。

 

 

「綺麗……。それにこの香り……心が安らぎます……」

 

「そうかい? それは良かった。

 ……最近のルキナは、前にも増して特に思い詰めた様な顔をしている事が多かったからね……。

 そんな君の慰めに少しでもなれたなら、僕も嬉しいよ」

 

 

 ルキナの心を優しく包む様なその香りに思わずそう呟くと、ルフレは嬉しそうに微笑む。

 その優しい顔を見ていると、思わず頬が熱くなってきた様な気がして……どうかルフレにそれを気付かれていないと良いのだけれど、とそんな事を思ってしまう。

 ルフレが自分の為に用意してくれたのだと思うと、名前も知らぬこの白い花が無性に愛しく思えた。

 

 ……だけども、この「恋」はルフレを傷付けるだけだ。

 何時か自分を殺すだろう相手が自分に「恋」をしているだなんて笑い話にも出来ないし、そんな想いを向けられていると知っても良い事なんて一つも無いだろう。

 だからこそこの「恋」は、殺さなくてはならない。

 この「恋」は、叶ってはならない。

 今こうして気を遣って花を贈ってくれたからといって、ルフレからも想われているだなんて勘違いをしてはいけない。

 どうかすれば溢れてしまいそうなこの想いに必死に蓋をして、悟られないようにしなくてはならない。

 

 

「見た事が無い花です……。

 とても珍しい花だったのでは……」

 

「いや、そんな事無いよ。街でも普通に見かける花だからね。

 ただ、薔薇みたいな王城で育てる様な花じゃないから、ルキナには見慣れない花だったのかもしれないね。

 精油の原料になったり民間薬の原料になる花として、一般的によく育てられている花なんだって。

 この花には、素敵な花言葉があるんだ。 ……分かるかな?」

 

 

 そう言って微笑むルフレに、ルキナは首を横に振る。

 知らない花だからというのもあるけれど、……ルキナは元々花言葉の類には疎いのだ。

 

 ……あの『絶望の未来』では、花なんてもう何処にも存在しなかったし、そんな事を覚えている暇なんて無い程にあの『未来』でルキナ達はただただ戦う事しか出来なかったから。

 そんなルキナに、その眼差しに僅かに痛みの様な色を映して、ルフレは優しくその答えを示す。

 

 

「『逆境に耐える』、『苦難の中の力』、『運命に打ち克つ』……。

 何度踏み潰されたって、決して枯れずに美しく咲くこの花には、そんな花言葉があるんだ。

 ……この花は君にとても似ていると、僕はそう思うよ」

 

「…………」

 

 

 ルフレの言葉に、再び手の中の花に目を落とす。

 可憐なこの花を、ルキナの様だと……そしてそう思ってそれを贈ってくれた事が、言葉にならない程に嬉しくて。

 思わず抑えきれずに溢れ出た想いが、涙となって零れた。

 ルキナが涙を流した事に、ルフレは狼狽えた様に慌てだす。

 

 

「えっと、その……嫌……だったかな? 

 ごめんね、ルキナを傷付ける意図は無かったんだけど……」

 

「いえ、違います……違うんです……。

 ただ……嬉しくて……。

 ルフレさんの気持ちが、そうやって想って貰える事が……。

 私には……本当に……」

 

 

 泣き止まなくてはと、そう思うのだけれど。

 どうしてだか、中々涙を止められない。

 哀しいのではなくて、嬉しいのだけれども。

 しかしそれと同時に息をする事すら儘ならない程に、胸を締め付ける様な苦しさがある。

『想う』事は酷く苦しく、しかし同時に『幸い』であった。

 

 そんなルキナを見て、動揺した様に眼差しを揺らしていたルフレが、小さな溜息と共に何かを考えるかの様に目を瞑る。

 そして、意を決したように、目を開けたルフレは、ルキナを真っ直ぐに見据えた。

 

 

「ルキナ……僕は……君に伝えたい事がある。

 僕は……君の事を。

 他の誰でもなく、君自身を。

 何よりも大切に想っている。

 君が好きだ。君を……誰よりも愛している。

 ……その花の花言葉にはまだ続きがあるんだ。

『愛の誓い』。

 それが、僕が君に一番伝えたかった『想い』だ」

 

「ルフレ……さん……」

 

「でも、……僕はそれを伝える事を、躊躇っていた。

 この『想い』が君にとって重荷になるのかもしれない、君を縛り苦しめる事になってしまうのかもしれない、と。

 ……それが、怖かったんだ。

 何故なら、僕にとって一番大切な事は、君を『幸せ』にする事だから……君を『不幸せ』にしてしまうかもしれないならこの『想い』は墓場まで持っていこうと、そう思っていた」

 

「それは……」

 

 

 それを想うべきなのはルキナも同じであった。

 何時かその命を奪うかもしれないのに、ルフレの事ではなく『使命』の方を……最後には選んでしまうのに、と。

 そんな想いを抱く資格なんて無いと、そう思っていた。

 そうして殺しきれない想いと『使命』とに板挟みになって苦しみ続けていたのだけれども。

 そんな苦しみを、ルフレも抱えていたと言うのであろうか。

 

 

「……それでも、僕はどうしても君に伝えたい想いがあった。

 ルキナ、僕は何があっても、そして君が『使命』の為に何を成そうとするのだとしても、ルキナを絶対に信じる……君の絶対の味方になる、君の全てを受け入れる。

 君の苦しみも、悲しみも、怒りも、全て受け止める。

 君自身が自分を苛んでいるその罪も、僕が背負う。

 だから……この世界でなくても良い、そこが何処であっても良いから、生きたい場所で、心が望むままに生きて欲しい。

『使命』を果たしても、君の未来は続いていくんだ。

 だからこそ、ルキナに誰よりも『幸せ』になって欲しい。

 ルキナが笑って生きていてくれる事だけが、望みなんだ。

 それを……どうしても伝えたかった」

 

 

 そう言って、ルフレは慈しむ様に優しい微笑みを浮かべる。

 

 

「僕の事を好きじゃなくても良い。

 僕の気持ちを受け入れられないなら、それでも良いんだ。

 ただ……君に『幸せ』になって欲しい、と。

 それを願う事だけは、どうか赦して欲しい」

 

 

 優しい……いっそ残酷な程に何処までも優しいその『想い』に、ただでさえ潤んでいた視界がぼやける。

 こんなにも真っ直ぐで優しい『想い』に直接触れるのは、生まれて初めての事で。

 どう答えれば良いのか分からなくて、言葉を見失ってしまいそうになるけれども。

 それでも、ルキナも伝えたかった。

 この胸に抱え続けてきた想いを、今この瞬間に。

 だから、必死に言葉を探す様にして、音を紡ぐ。

 

 

「……私にとっても、ルフレさんは、特別で大切な人です。

 ……許されるなら、ずっと傍に居たいと思ってしまう程に。

 貴方の事を……愛しています」

 

 

 それを願う事が、赦されて良い事かは分からないけれど。

 それでも、今こうして感じている喜びを、想いが通じ合っていたその事実へ感じた『幸せ』を、否定する事はきっと神様にだって出来はしないし、させはしない。

 ……この想いは、何時か絶望の果てへとルキナ達を導いてしまうのかもしれない。

 例え奇跡が起こって『使命』がルフレの命を奪う事が無かったとしても、「この世界」に在ってはならぬ存在であるルキナは、何時かルフレと別れなくてはならないかもしれない。

 それでも、今この時だけでも、夢を見ていたいのだ。

 それが現実からの逃避に等しい行いであるのだとしても。

 今は、今だけは……と、そう願ってしまう。

 

 

 

「好きです……貴方の事が、好きなんです……。

 この先に、どんな未来が訪れるのだとしても……。

 今は……どうか今だけは……このまま……」

 

 

 何時か全て喪う定めなのだとしても。

 どうか──

 

 

 

 

 

 

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