ブラッディ・バレンタイン   作:サイエンティスト

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 バレンタインSS第一話。後半でアリスがぶっ壊れる上に若干猟奇的なシーンがあるので苦手な方は注意。



初めてのバレンタインデー

「あっ!? 白雪、大変なことに気がついてしまいました! もうすぐバレンタインデーです!」

「バレンタイン、デー……?」

 

 ある日のこと、何人かの血式少女達と集まって他愛の無い話をしていたアリスは、突如としてそんな声を上げた白雪姫の言葉に首を傾げた。何やら聞きなれない言葉だったからだ。

 

「あー、もうそんな時期なのね。最近色々あったからすっかり忘れてたわ」

「ん……ん……」

「バレンタインデーかぁ。今回もおつうちゃんに甘いお菓子をプレゼントしてあげないと!」

 

 しかし首をかしげているのはこの場ではアリスただ一人であった。親指姫は心底意外そうな顔をしているだけで別段理解できないといった表情はしていないし、眠り姫は姉の言葉に同意するようにこくこくと頷いている。人魚姫に至っては何故かとても幸せそうな微笑みを浮かべ、おつうにお菓子をプレゼントすると口にしていた。

 

(バレンタインデーとは、お菓子をプレゼントする日なのかしら……?)

 

 仮にその予想があっているとしたら、プレゼントする対象はどうなるのか。アリスの場合はやはりジャックにプレゼントするのか。その場合、ジャックはどのようなお菓子なら一番喜んでくれるのだろうか。

 詳細を皆に尋ねた方が早いと思いつつも、ついついジャックはどんなお菓子が一番好きなのかという思考に走ってしまうアリスであった。

 

「白雪は……今回は、その……ジャックさんにもプレゼントしたいなぁ、と思っていまして……」

(ど、どうしてそこで頬を赤らめるのかしら……もしかしてただのプレゼントではなく、そこに何か隠された意味があるとでもいうの……?)

 

 しかし何故か頬を赤らめてジャックにプレゼントすると口にした白雪姫の姿に、再びバレンタインデーへの謎が沸いてくる。一体何故お菓子をプレゼントするだけでそこまで恥ずかしそうにするというのか。

 

「ん……ボクも、する……!」

「じゃ、ジャックに? んー……ま、まあ、ついでにプレゼントしてやるのはいいかもしれないわね。あ、あくまでも義理よ! 絶対本命何かじゃないんだからね!」

(義理? 本命? 一体何のこと……?)

 

 続く眠り姫と親指姫も、程度の差はあれ同じように頬を染める。しかも親指姫の場合は謎の言葉もついている。義理や本命とは一体どういう意味なのだろう。そして何故そこまで恥ずかしがるのだろう。アリスには全くわけが分からなかった。

 

「あ、私もジャックさんにプレゼントしないとダメだよね。でもそうしたらおつうちゃん、焼きもち焼いちゃうかな? だけど焼きもちを焼くおつうちゃんも、ちょっと見てみたいかも?」

 

 唯一反応におかしな点が見当たらないのは人魚姫のみ。彼女だけはジャックへプレゼントすると口にしながらも、変わらず幸せそうに微笑んでいた。果たしてこの違いは一体何なのか。

 

「あ、そういえばあんたはどうすんのよアリス――って、聞くまでもないか。どうせジャックにあげるんでしょ?」

 

 バレンタインデーの話題に入ってから初めて、アリスは声をかけられる。もちろんジャックにプレゼントすると返したいところだが、まずはバレンタインデーとやらの詳細を知らなければ話にならない。

 

「ごめんなさい。私はまずバレンタインデーが何かということを知らないのだけれど……」

「えっ? もしかしてアリスさん、ご存じないんですか?」

「あー……よく考えたらアリスは解放地区に来て一年も経ってないのよね。おまけにその前は、その……」

「んー……」

「あっ、そっか……」

 

 アリスがその事実を口にすると、皆がどこか悲痛な面持ちを浮かべる。親指姫に至っては言葉を濁してしまうほどだ。

 きっとそんな反応をさせてしまうのは、解放地区に来る前にはアリスが牢獄に囚われていたからだろう。アリスとしては思い出したくも無い記憶というわけでもないが、それはジャックが一緒にいたからこそそう思えるに違いない。

 

「ええ。だから解放地区の行事やその他のことについてはまだ疎いの。良ければ教えてくれないかしら?」

「は、はい。バレンタインデーというのは解放地区特有の行事ではなく、元々は地上の風習なんですよ」

「気になる男の子に、女の子がチョコレートっていう甘くて苦いお菓子をプレゼントする日なの。もちろん私はおつうちゃんにプレゼントするんだけどね?」

「まあ別に絶対男にプレゼントしないといけないわけじゃないし、私たちは毎年仲間内でプレゼントしあってたわね」

 

 先の重くなった雰囲気を払うためにもアリスが質問を投げかけると、白雪姫に始まり皆が丁寧に答えてくれた。

 男の子にプレゼントをする日なのに人魚姫はおつうにプレゼントするようだが、まあ彼女にとっておつうは王子様らしいので特におかしくはないだろう。そして親指姫の言葉から察するに、どうやら仲の良い者たちでプレゼントしあうのも一般的なようだ。

 

「なるほど。概ね理解したわ……でも1つだけ分からないのだけど、気になる男の子とはどういう意味なのかしら?」

「えーっと……そ、それはですね……」

 

 一点分からなかったことを尋ねると、何故か白雪姫は頬を染めて口ごもってしまう。やはり何か恥ずかしいことがあるようだ。そこを更に深く追求しようとしたアリスだが――

 

「それはもちろん、大好きな子にっていう意味だよ? だから私はおつうちゃんにあげるの。女の子だけど、私にとっては大好きな王子様だもん」

「えっ……」

 

 ――別の方向から、先ほどからずっと幸せそうな微笑みを浮かべていた人魚姫から答えが届いた。これにはアリスも驚きを隠せず、目を丸くしてしまう。

 人魚姫とおつうは本人たちが言うには夫婦の関係であるらしい。要するに二人は愛し合っているということになる。そんな人魚姫が口にする大好きな王子様とは、愛しているおつうのことに他ならない。つまり人魚姫の言葉を参考にすると、気になる男の子の意味とはたった一つ。

 

「そ、それはつまり、友情や親愛の情を意味するのではなく、もっと深い意味ということ……?」

「うん、そうだよ。だから私はおつうちゃんにプレゼントするの」

 

 何の恥じらいも無く、幸せいっぱいの笑顔で頷かれてしまう。確かにすでに相手と夫婦の関係である人魚姫なら、プレゼントすることにさほど抵抗や恥じらいは無いのだろう。むしろそのプレゼントによって喜んでくれる相手の姿を想像して、幸せに浸っていたに違いない。

 

「そ、そうなんです! そして好きな子にあげるチョコレートは本命チョコというんですよ!」

「そして……本命以外は、義理チョコ……」

「まあ要するに、本命チョコをあげるのは告白も同然なわけよ。それでもどうせあんたはジャックに渡すんでしょ?」

「え……そ、それは、その……」

 

 三姉妹による補足と質問を受け、アリスは答えに詰まってしまう。

 無論チョコレートを渡すならアリスにはジャックしかいない。しかし本命チョコを渡すのが愛の告白と同義だというなら、さすがにそれは躊躇われた。何故ならアリスは何を以って愛しているというのかが分からないからだ。にも拘らず告白を意味する本命チョコを渡すなど、ジャックに対して失礼な気がしてならない。

 

「本命として渡すのが恥ずかしいなら、義理と言い張って渡すのはどうでしょうか? 一応そういう伝統もあるようですし」

 

 苦悩するアリスの姿を恥ずかしがっていると受け取ったのか、白雪姫がそんな救いの手を差し伸べてくる。

 確かに義理チョコと偽ってしまえば、告白の意味は無くなるのだから問題なく渡せるはずだ。あとはジャックが喜んでくれるかどうかが問題である。

 

「……その、ジャックもバレンタインデーのチョコを貰えたら、やっぱり喜んでくれるのかしら?」

「もちろん! きっと喜んでくれるよ!」

「はい! アリスさんからのプレゼントなら、ジャックさんは間違いなく喜んでくれます!」

「ん……ん……!」

「男ならチョコをもらえれば誰でも嬉しいって聞いたことあるし、きっとジャックだって変わらないわよ。難しいこと考えてないで、軽い気持ちでプレゼントしたら?」

 

 どうやらバレンタインデーのチョコレートとやらは、貰えた方はとても嬉しくなるらしい。皆が笑って間違いなくジャックは喜ぶとお墨付きをくれた。

 

(ジャックが喜んでくれるなら、私もプレゼントをした方が良いわね。義理チョコを……)

 

 なのでアリスは自分もジャックにプレゼントすることを心に決めた。愛の告白を示す本命チョコではなく、軽い気持ちで渡せる義理チョコを。少なくともこの時点ではもう本命チョコを渡す気は無くなっていた。

 

「あ、そうだ。アリスさん、ジャックさんのことが好きなら気を付けてね? バレンタインデーっていうのはね、とってもカップルができやすい日なんだよ? アリスさんが本命チョコをあげなかったら、ジャックさん他の本命チョコをくれた女の子と恋人になっちゃうかもしれないよ?」

「じゃ、ジャックが……他の、女の子と……?」

 

 しかし、人魚姫のその言葉で心はあっさりと揺れ動く。

 アリスは何を以って愛しているというのか分からない。だからジャックのことを愛しているのかは分からない。だがジャックが自分以外の女の子と恋人になるかもしれないという言葉を聞いただけで、身を裂かれるような悲痛な気持ちを感じていた。

 

「あ! そ、それはもしかしたらの話で、絶対じゃないよ! ジャックさん、もしかしたら誰からも本命チョコを貰えないかもしれないから!」

「意外と酷いこと言うわね、あんた……」

 

 その気持ちは表情に出ていたのか、人魚姫は慌てて先の言葉を否定する。しかし否定されてもアリスが感じた気持ちは本物であった。

 

「ボク……ジャックに、あげる……!」

「えっ? ね、ネムちゃん? それってもしかして、本命チョコ?」

「ん……秘密……」

 

 その気持ちに拍車をかけるのは、眠り姫の思わせぶりな言葉。もしも眠り姫がジャックに本命チョコを渡し、アリスが義理チョコを渡していたら。そこで結果は決まったようなものだろう。

 

(………………本命、チョコ……)

 

 自分がジャックを愛していると言えるのかは分からない。そもそも恋すら良く分かっていない。

 しかしアリスはジャックのためなら何でもできるし、ジャックを笑顔にするためならどんな犠牲も厭わない覚悟もある。そして願わくばこれからもずっと、ジャックと一緒にいたいという気持ちもある。この気持ちが愛なのかどうかは良く分からないが、それでも誰かにジャックの隣にいる権利を奪われたくはない。

 だからこそアリスは覚悟を決めた。義理チョコではなく、告白を意味する本命チョコをジャックにプレゼントすることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本命チョコを用意するにあたり、アリスはまず情報の収集に努めた。バレンタインデーをついさっき知ったばかりな以上、そこを疎かにはできない。その結果、なかなかに難しい事実が幾つか判明した。

 まず一つはチョコレートの入手自体が厳しいという点である。チョコレートは高カロリーな食べ物であるため、緊急時の食料としても使われていたそうなのだ。そして今はだいぶ安定しているものの、街が地下に沈んだ当時は正にその緊急時。貴重な食料としてかなり消費されてしまったらしい。今では繁華街エリアを探し回ってもまず見つからないそうだ。

 もちろん探せばまだ持っている人はいるかもしれないが、アリスにその気は微塵も無かった。本命チョコは告白と同じ意味のチョコレート。だからこそ、人から譲ってもらったものを本命チョコとして渡す気になれなかったのだ。それではジャックに対する自分の想いが欠片もこもっていない。

 そんなわけで本命チョコを用意するためにアリスが取る行動は必然的に一つであった。可能な限りチョコレートの風味を再現したお菓子を、自らの手で作り上げること。

 

「――そういうわけで、あなたに力を貸してもらいたいの。チョコレートの代わりとなるお菓子を作るために」

「なるほど、事情は理解したわ。喜んで協力させてもらうわね」

 

 そう結論を出したアリスが訪れたのはグレーテルの部屋であった。様々な本から得た知識を持っていて、なおかつ甘いお菓子を食べたいがために色々と研究を行っているグレーテルなら戦力になると考えたわけである。

 

「……簡単に協力してくれるのね。もう少し交渉が必要になるかもしれないと思っていたのだけれど」

 

 しかし思いのほかあっさりと協力を取り付けられたため、若干拍子抜けしてしまうアリス。てっきりお菓子を渡すよりも言葉で告白をした方が早いのではないか、と言われる気がしていたのだ。

 

「私にとっても理のある話なのだから当然よ。もしあなたがチョコレートの味に近いお菓子を作ることができたなら、それを再現してあの味わいを何度も楽しむことができるようになるのだから」

「あなた、チョコレートを実際に食べたことがあるの?」

「ええ。ヘンゼル兄さんの身体の一部に、チョコレートの部分があったのよ。だから味わいはよく覚えているわ」

「な、なるほど……」

 

 またしても予想外の答えに、アリスも若干反応に困ってしまう。

 それはつまり兄の身体を食べていたということに他ならないが、兄であるヘンゼルはナイトメアだった。不死性により身体が再生するのだから、もしかするとヘンゼル本人が食料として自ら与えていたのかもしれない。むしろそうでない場合は随分恐ろしいことになるが。

 

「そ、それでチョコレートとは一体どんな味わいのお菓子なの?」

「そうね。原材料に関してはジェイルでは手に入らないから置いておくとして、味わいは簡単に表現するなら甘くて苦い、という表現になるわね」

「甘くて、苦い……」

 

 気を取り直して尋ねた所、そんな矛盾した答えが返って来る。甘いのに苦い不思議なお菓子、それがチョコレートというらしい。

 

「ええ。だけどその甘味と苦味が程よく調和していて、一つの味わいとなっているの。単純に甘味と苦味を持つものを加えればできる、という話ではないと思うわ」

「そう……それならまずは完成形を思い描いてから必要な材料を決めた方がいいわね。あまり時間はないから手早く済ませましょう」

 

 バレンタインデーとやらまであと数日。実際には街が地下に沈んだ際の混乱から多少のズレがあるのかもしれないが、だからといって余裕を持っていいわけではない。何といってもこれから作るのはジャックへの想いをこめたチョコレートだ。時間などいくらあっても足りないくらいである。

 

「ええ。メルヒェンの血液ならストックがあるから、糖分は問題ないわ。問題は他の材料ね」

「それなら他に必要なものは――」

 

 そうしてアリスはグレーテルと共に、チョコレートの味を再現するために必要なもの、お菓子を作るのに必要なものの準備を始めた。

 お菓子作りの道具に関してはグレーテルの部屋に揃っていたのでそこは問題ないのだが、問題は味の再現に関するものだ。甘みと苦みが同居した味わいという矛盾した存在を再現するにしても、ジェイルの中では常に物資が不足気味。甘みの元となる糖に関してはメルヒェンの血液で賄えるが苦味に関しては非常に難しく、色々と候補を用意するのにそれなりの時間を要してしまった。

 

「――どうよ!?」

 

 そして準備を開始した翌日。

 何度目かの試作品としてクッキーを完成させたアリスは、グレーテルに味見を求めた。作成の過程、主に味わいの再現の部分で何度も何度も味見をしているアリスは若干舌が馬鹿になっていて良く分からないのである。まあ分からないのは舌ではなく頭が原因かもしれないが。

 

「……これもダメね。ただ甘みと苦みのあるクッキー、それも苦味の方が強いものだわ。この二つの味わいが全く混ざりあっていないもの」

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁっ! また失敗よ!」

 

 静かに咀嚼して淡々と感想を述べるグレーテルとは対照的に、叫びを上げてテーブルを引っくり返してしまうアリス。集めた材料や調理器具が音を立てて床へとぶちまけられてしまう。

 目の前でこんな暴挙を行ったにも関わらず、グレーテルはやはり淡々としていた。むしろその眼鏡の奥の瞳には理解の色さえ浮かんでいる。

 

「抑えるのが難しいのは私自身よく分かるのだけれど、あまり暴れないでくれないかしら。壊れやすい道具もあるからそうそう何度も机をひっくり返されるのは困るわ」

「悪かったわねぇ! これでも気を付けてるし抑えてる方なのよぉ!」

 

 すでに三回目だというのに、控えめに注意を促してくるだけのグレーテル。 

 例え失敗の回数がどれだけ重なろうとも、普段のアリスなら絶対にこんなことはしない。激情に任せて当り散らすような真似をするなど考えられない。しかし今のアリスは少々事情が違った。

 

「あああぁぁあ……これで何度目の失敗かしら。こんなんじゃジャックに私の愛を伝えることができないわ……あぁ、ジャックジャックジャック……!」

 

 ジャックを他の女の子に取られたくないという理由からお菓子作りを始めたはずなのに、今は自らが抱くジャックへの想いを本人に伝えたくて堪らない。それも言葉だけでなく、考えられる限りの肉体的接触を以って。

 そんなことを恥ずかしげも無く考えてしまうのは明らかに異常だが、今のアリスにとっては何故今までそれをしなかったのかということの方が異常に感じられた。

 

「……素朴な疑問なのだけれど、好意を伝えるのが目的なら何故わざわざバレンタインデーを利用するの? 別に面と向かって好意を口にしてもいいのではないかしら?」

「私は恋や愛がよく分からないから言葉の伝えようがないのよ! だから本命のチョコレートを渡して察してもらおうとしているってわけ!」

「……それなら、ジェノサイド化している今こそ伝えに行けばいいのではないかしら?」

 

 そう、今のアリスはジェノサイド化していた。

 お菓子の糖にメルヒェンの血液を用いて、何度も何度も試行錯誤を重ねながら味見をしているのが原因なのだろう。気が付けばお菓子作りの最中に感情が異様に昂ぶり、こんな有様になっていたのだ。

 

「ダメよっ! もしジャックに振られてしまったら、力付くでジャックを私のものにしようとしかねないって分かってるから行けないのよ!」

「……振られず、受け入れてもらえた場合は?」

「そのときはもちろん、ジャックを押し倒すわ! 押し倒して、キスして、その先も……! ああぁぁぁ、ジャックジャックジャック……私を滅茶苦茶にしてぇ……!」

「……どちらにせよジャックは押し倒される運命なのね」

 

 この状態なら告白も容易そうな気がしているが、その後欲望に任せて行動してしまいそうなので結局アリスはお菓子作りを続けているのだ。

 ジェノサイド化してもアリスにとって最優先されるのはジャックのこと。故意では無いにしてもジャックを傷つけてしまうかもしれない今の自分のまま、ジャックの元に向かうことはできなかった。

 ただしかなり暴力性が高まっているジェノサイド化した状態で、繊細な作業を要求されるお菓子作りをするなど死ぬほど相性が悪く、あろうことか始まった時よりも難航しているのだが。

 

「……おおっと! 妄想してる場合じゃなかったわ。早くジャックに私の愛を込めたお菓子をプレゼントするために、チョコレートの味を再現しないとねぇ!」

 

 それでもジャックのことを思えばやる気は無尽蔵に沸いてくる。チョコレートをプレゼントした時、ジャックはどんな反応をしてくれるか。それを思い浮かべるだけで、例え何万回失敗しようとも諦めない固い意思を得るには十分であった。

 

「ふふふ……おいしいよってジャックが笑顔で答えてくれるところを想像するだけで、私、どうにかなりそうなくらい幸せだわぁ……!」

 

 ただし思考がそのまま流されて行き、お菓子を作る手が度々止まってしまうのが困りもの。

 今もアリスは手作りのチョコレートを食べるジャックの笑顔を思い浮かべ、包丁片手に身を捩っていた。

 

「……これはジェノサイド化しているからそう思えるようになっているのかしら。それとも普段からのもの? 血式少女という存在はまだまだ奥が深いわね」

 

 そんな普段のアリスなら絶対に見せない様子を、興味深そうに見つめるグレーテル。アリスはそれを認識してはいるものの、羞恥など一切感じることができなかった。尤も時間が経って元の姿に戻った時には羞恥を思い出し、軽い自己嫌悪に陥ってしまうのだが。

 

「はっ!? そうよ! ジャックに私が食べさせてあげるって手もあるじゃない! はい、ジャック。あーん……っていう風に! あははははっ、最っ高じゃない! それで今度は、お返しにジャックが私に――っていったぁっ!?」

 

 包丁を手にしていることも忘れて妄想にはしゃぎ回った結果、アリスは手首を浅く切りつけてしまった。その痛みで我に返ることができたものの、流れる赤い血を目にしてますます感情が昂ぶるのを感じていた。

 

「あら、包丁で切ったの? まあ、あの様子ならいつかやるとは思っていたけれど」

「予想してたなら注意しなさいっ! って、何度か注意していたわね……あああぁぁぁぁっ! 冷静になれない今の自分が憎いわぁ!」

「とりあえず消毒をして絆創膏を貼っておいたらどうかしら? 辺りにあなたの血が飛び散っているわ」

「そうね! とりあえず軽く消毒――っ!?」

 

 グレーテルの言葉に従い、アリスは消毒のために自らの手首にぱくりと噛み付く。

 そしてその瞬間、舌に伝わってきた血の味わいに全ての思考が吹き飛び固まった。

 

「……どうかしたの、アリス?」

「ふ、ふふ、ふふふふふ……ははははははははは! あははははははははははははははははは!」

「……ついに壊れたのかしら。これはジャックを呼んでくるべきかもしれないわね」

 

 失礼なことに、湧き上がる喜びに哄笑を上げてしまうアリスを壊れたと称するグレーテル。

 しかしアリスはそんな些細なことなどどうでも良かった。何故なら試行錯誤を重ねてチョコレートの味わいを不恰好に再現せずとも、実に自然で深みのある味わいの元が何よりも近くにあったから。おまけにそれはアリスが気持ちを込めずとも、これ以上無いほどに込められている。ならば使わないなどということはありえない。

 故にアリスは改めて包丁を握ると、抑えられない喜びに笑みを浮かべながら、今度は意図的に自らの手首を切りつけた。

 

「……やっぱりあなたは壊れているわ」

 

 その様子を見て、物分りの悪いグレーテルはアリスが壊れたと断定するのであった。

 

 

 

 

 

 

 





 ※アリスは正気を失ったわけではないです。鋭い人なら理由の見当は付くはず……。

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