バレンタインデー話最終話。終わりの方にちょこっとだけおまけに某夫婦のお話があります。
「はあっ……結局、バレンタインデーってどんな日なのかな……」
明日になるまでは知らない方が幸せ、という言葉でハルの元から追い返されたジャックは、自室に戻って机の上に纏めた血式少女達からのプレゼントを眺めていた。大小さまざま、色とりどりにラッピングされたどれも可愛らしいものである。中に入っているのはお菓子のはずだが、もしかすると手作りのものも混じっているかもしれない。
それ自体はとても喜ばしいしプレゼントを貰えた事も嬉しいのだが、何故か素直に喜んではいけないような気がしていた。それもこれもハルとくららの思わせぶりな言葉のせいである。
「でもまあ、とりあえず開けてみようかな? せっかくプレゼントしてくれたんだから、できたら早い内に食べちゃいたいし」
まあすでに受け取ってしまったし、そもそも親指姫や白雪姫などはあんなに恥ずかしそうにしながらも頑張ってジャックにプレゼントをしてくれたのだ。今更返すなどありえないし、受け取らないという選択肢もありえない。
なのでジャックはバレンタインデーの真実に対するそこはかとない不安を覚えながらも、それは脇に置いて皆からのプレゼントを開けてみるのであった。
「あっ、親指姫のはクッキーかな? 黒い粒粒みたいなのが混ざってるけど、もしかしてこれがチョコレート?」
そもそも開ける必要が無い上にすでに中身が何なのか知っているかぐや姫からのプレゼントはともかく、他の少女たちのプレゼントはほとんどが手作りのお菓子であり、一目で気持ちがこもっているのが分かるものばかりだった。
まあ赤ずきんのものだけは手作りできなくて申し訳ないとでも言いた気に、あるいは物量で誤魔化そうとしているかのように既製品のお菓子がぎっちり大量に詰まっていたのだが。
「これはお返しが大変だなぁ。ただ量を三倍にして返せばいいわけじゃないし、僕も手作りで返した方が良いのかなぁ……」
念のためお返し用に買って来ていた大量のお菓子をちらりと眺めて、あれだけではお返しの気持ちが足りないと感じてしまうジャック。
もちろんかぐや姫に対してならあれで釣り合いは取れているだろうが、他の少女達のプレゼントには全く釣り合わないだろう。一見店売りの既製品を大量に詰め込んでいる赤ずきんからのプレゼントも、よくよく見れば販売所では見かけなかったお菓子ばかりだし、拭き取った痕があるものの包装の一部にピンク色の血痕が残っているものさえ存在する。赤ずきんがこれらのお菓子をどこでどのようにして集めたのかを考えると、間違いなく手作りに引けは取らないくらいに気持ちはこもっていると言えるだろう。
「それにバレンタインデーには何か秘密があるみたいだし……うーん、ちゃんと皆が喜んでくれるようなお返しができると良いんだけど……」
皆からのプレゼントを眺めて嬉しさと不安を同時に抱えながら、お返しについて頭を悩ませるジャック。確かにハルとくららの言うとおり、これは非常に大変な問題であった。
「――ジャック、今部屋にいるかしら?」
そんな風に首を捻っていたところ、ノックの音と共に部屋の外から声がかけられる。誰の声かなど考えるまでも無く、すぐにジャックは部屋の扉を開けに向かった。
「どうしたの、アリス? 僕に何か――って、そ、その手はどうしたの!?」
扉を開けて向こうに立っていたのはやはりアリス。そこまでは予想していたのだが、何故か左手に包帯を巻いている所は完全に予想外であった。しかも手の平から手首まで巻いているあたり、ただの怪我にしてはかなり広範囲である。開口一番目を丸くして尋ねてしまうのも仕方が無かった。
「あ、これ? これは、その……お菓子作りの最中にちょっと失敗して、手を切ってしまったの。別に大きな怪我ではないから気にしないで?」
何故か頬を染め、左手をかばうように隠してしまうアリス。その動きのせいで右手に持っている小箱が微かに背後から覗き、アリスが訪ねて来た理由をジャックは察した。
(アリスが僕の所にプレゼントを持って来たってことは……もしかしてアリスが怪我をしたのは間接的に僕のせいなんじゃ……?)
おまけに、アリスの怪我の原因も。
とはいえ自分のせいで怪我をしたのだと言ってしまえば、きっとアリスは気に病んでしまうだろう。なのでとても心配だがジャックはあえて言及しないことにした。
「その……部屋に入っても良いかしら、ジャック?」
「あ、うん。もちろんだよ」
今日だけで何度も見た恥じらいと緊張に染まる表情を浮かべるアリスを、ジャックは部屋に招きいれた。普段は冷静で落ち着いたアリスでさえこんな反応をするとは、バレンタインデーとは本当に謎の多い日である。
「……あら? このお菓子の山は?」
部屋に入ったアリスは机の上に纏めてある皆からのプレゼントを見つけて、驚いたような顔をしていた。この反応からすると案外アリスはジャックがプレゼントを貰えないのだと思っていたのかもしれない。
「あっ、それは皆に貰ったバレンタインデーのお菓子だよ。三倍で返すのが礼儀みたいだから、お返しが大変そうで実はちょっと困ってるんだ」
「そ、そう……それじゃあ、私からのプレゼントは必要ないのかしら……?」
「そ、そんなことないよ! アリスからのプレゼントがもらえるなら、三倍返しくらい何ともないよ!」
少し前に予想したとおり、ジャックの負担を気にしてお返しどころかプレゼントそのものを止めようとしてしまうアリス。
無論ジャックはどれだけお返しが負担になろうとも、アリスからのプレゼントなら喜んで受け取るつもりであった。むしろ幼馴染で一番長らく過ごしたアリスだからこそ、プレゼントが貰えたらいっそう嬉しい。
「ほ、本当に? じゃあ、その……これが、ジャックへのプレゼントよ。あなたのために、手作りで頑張ってみたのだけれど……」
どこか不安げな面持ちを恥じらいで赤く染め上げながら、両手で小箱を差し出してくるアリス。やはり左手の包帯が若干の痛々しさを感じさせるものの、そんな怪我をしてまでジャックのために頑張って手作りのお菓子を用意してくれたのだ。不謹慎かもしれないが、そこまで想われていることが堪らなく嬉しいジャックであった。
「ありがとう、アリス。手作りなんてすごく嬉しいよ。どんなお菓子なのかな?」
「バレンタインデーには本来チョコレートというお菓子をプレゼントするのが伝統らしいから、グレーテルに協力してもらってできる限りそれを再現してみたわ。ジャックもバレンタインデーのことは誰かに教えてもらったの?」
「うん、人魚姫さんに教わったよ。女の子が仲の良い男友達にお菓子をプレゼントする日――って聞いたけど、絶対他にも何かあると思うんだ……」
人魚姫は明らかに嘘をついていた。嘘ではなかったとしても絶対に必要な知識を教えてくれなかった。何故そんなことをしたのかは不明だが、最早それは疑いではなく確信である。まあ恨むほどのことではないのでジャックはあまり気にしていないが。
「わ、私もつい先日知ったばかりだから分からないわ……そんなことよりもジャック、良かったら今食べて味の感想を聞かせて?」
「いいの? それじゃあお言葉に甘えて」
どうやらアリスはすぐにでも味の感想が聞きたいようだ。なのでジャックはアリスと共にベッドに腰掛けると、受け取った小箱のリボンを解いて開けてみた。
「あははっ、ピンクのハート型だ。すごくかわいい形だね?」
中から出てきたのは何とピンク色のハートであった。ちょうど手の平に乗る程度の大きさでありしっかり小袋で密封されているものの、おいしそうな甘い匂いが袋の内から溢れてきている。重さからするとこれはキャンディの類ではなくクッキーかその辺りのものだろう。
「その……どうもそういった形の方が、貰う方は嬉しいと聞いたから……」
「確かに形にもこだわってた方が、貰う方は嬉しいだろうね。もちろん僕も嬉しいよ。それじゃあ、いただきます」
袋から取り出し、ハート型のクッキーと思しき物体をかぷりと一口。もぐもぐと味わうその様子を、アリスは神妙な面持ちでじっと覗き込んできていた。相変わらずどこか赤い顔で。
「ど、どう、かしら?」
「……うん、とってもおいしいよ! 甘いのに苦いっていう不思議な味だね。それにこの苦味は全然嫌な感じじゃなくて、甘味を引き立ててるっていうか……とにかくすごくおいしいよ!」
アリス手作りのチョコレートクッキーはお世辞抜きに美味しかった。甘みと苦味が程よく調和した不思議な味わいであり、香りも何とも癖になるものだ。本物のチョコレートをまだ食べたことの無いジャックだが、もしかするとこちらが本物であると記憶に残ってしまいそうなほどである。
「そ、そう……! 良かった、喜んでもらえて……!」
そんな反応にアリスは心から嬉しそうな笑みを浮かべると同時、確かな安堵をも見せる。
味の再現が上手くできているかどうか、ジャックが喜んでくれるかどうかなど、不安なことがきっと色々あったのだろう。もちろんジャックとしては例え味がおかしくともおいしく頂くつもりだったのだが。
「これは予想以上にお返しに困っちゃうなぁ。こんなにおいしいお菓子の三倍返しなんて、僕は一体何を返せばいいんだろう?」
しかしアリスのお菓子は予想以上に美味しかったので、舌鼓を打ちつつもそのお返しに困ってしまうジャックであった。三倍にして返すのはもちろんのこと、やはりアリスが手作りだったのだからこちらも手作りでお返しするべきなのかもしれない。
「別に無理をして返さなくてもいいのよ。これは、その……私の、ジャックへの気持ちだから……」
「僕への、気持ち……?」
包帯を巻いた手を胸に抱えるようにして、アリスは静かに語る。見ればその面差しは恥じらいに染まり、まるでプレゼントを渡してきた時の赤ずきんや白雪姫のように真っ赤であった。
「え、ええ。あなたへのプレゼントは、その……本命、だから……」
「本命……?」
視線を逸らし、消え入りそうな声で紡がれた言葉であったが、確かにそれはジャックの耳に届いた。
しかし悲しいことにジャックは未だ本命とはどのような意味なのかが分かっていないため、気の利いた言葉を返すことはできなかった。とはいえ落ち着きのあるアリスでさえ今にも顔から火が出そうなほど赤くなっているのだから、どのような意味であれジャックには気の利いた台詞を口にすることはできない意味なのだろう。
「そ、それじゃあ、私はもう部屋に戻るわ! またね、ジャック!」
「あっ、アリス……」
それにどのみち、言葉を返す時間は無かった。プレゼントが本命であることを伝えたアリスは、もう耐えられないと言わんばかりに顔を赤くして部屋を出て行ってしまった。
「……バレンタインデーのこと、聞きそびれちゃったなぁ。まあいいや。明日になったらハルさんが教えてくれるみたいだし、無理にアリスたちから聞き出すのはやめておこう」
さすがに幾ら幼馴染とはいえ、あれだけ恥ずかしがっているアリスから無理やりその理由を聞き出したりはできない。どうせ明日になればハルから教えてもらえるのだから、好奇心が騒いでも今日は我慢しておくべきだろう。
そう心に決めたジャックは本命という言葉の意味やバレンタインデーの謎は一旦全て脇に置いておき、とりあえず少女達からプレゼントされたお菓子を味わうことにするのだった。
「それにしても、アリスが作ってくれたチョコレートは本当においしいなぁ。一体どうやって作ったんだろう?」
苦味と甘味が完璧に混ざり合った、癖になりそうなほど素晴らしい味わい。お菓子作りに関してあまり知識の無いジャックであるが、それぞれの味を混ぜ合わせただけではこうならないことは容易に理解できていた。それほどに自然な味わいだったのだ。
きっと何か途轍もなく珍しい材料をジャックのためだけに見つけてくれたのだろう。そう考えるとよりいっそう美味しく感じられて、夢中で食べてしまうジャックであった。
「なんかおいしそうなにおいがするー! ジャックのへやからだー!」
「あれ? 今の声は……?」
そして残り半分程度に差し掛かった頃、そんな興奮気味の声が部屋の外から聞こえてきた。どうやらアリスが作ったチョコの甘い香りは強烈なものであるらしい。まあ声の主の嗅覚が鋭いだけなのかもしれないが。
「あー!? じゃっく、ひとりでかくれておかしたべてるー!」
(いや、別に隠れてはいないけど……)
数秒も経たずに部屋の扉がノックも無しに開かれ、予想通りラプンツェルが姿を見せる。ジャックがおいしそうにお菓子を食べている姿を発見したせいか、羨ましそうに瞳を輝かせていた。今にも涎を垂らさんばかりに目が食べかけのお菓子に釘付けである。
「そのような食欲を誘う罪深い香りを漂わせるものを独り占めするなど、絶対に許さんぞジャックよ! ワレにもよこすのだ!」
更にお菓子の甘い香りに引かれたのか、ラプンツェルの隣にはハーメルンの姿もあった。こちらも若干羨ましそうにしながらも瞳は鋭く、堂々とお裾分けを催促してくる。
この反応からすると少なくとも二人はジャックにプレゼントをしにきたわけではないのだろう。というかジャックでさえ今日初めてバレンタインデーを知ったのだから、二人の今までの生活環境を考えるにむしろ知っている方がおかしいレベルだ。
「ねーねー、じゃっく! ラプンツェルにもちょうだい!」
「さあ、ワレに供物をしゃしゃげる……捧げる! のだ!」
瞳を輝かせて近寄ってくる、小さな子供と大きな子供。やはり二人は今日が何の日なのか知らないようだ。あのかぐや姫でさえジャック自身に買いに行かせたとはいえ、一応プレゼントをくれたのだから。
(うーん。別にあげるのは構わないんだけど、これはみんなが僕に食べてもらいたくてプレゼントしてくれたお菓子みたいだからなぁ……)
可愛らしい子供たちにはむしろ喜んでお裾分けしてあげたいものの、さすがに今回は躊躇われた。プレゼントをくれた時の少女たちの反応から察するに、きっとこれはジャックに食べて欲しいと思っているに違いない。別段そういった気持ちを感じなかった人魚姫とかぐや姫からのプレゼントなら分けても良いかもしれないが、せっかくプレゼントしてくれたのだからやはりジャックが食べるべきだ。
しかしそうすると二人にあげるお菓子が無いわけである。その事実を伝えたらとても悲しそうな顔をされるのは火を見るよりも明らかだ。何か二人に満足してもらえることはないだろうか。
「……あっ、そうだ! じゃあこれを二人にあげるよ。喧嘩しないように、仲良く半分こにしてね?」
悩んだ末、ジャックは少女たちへのお返し用に購入したお菓子をあげることにした。
お返しのお菓子をまた用意しなければいけないが、所詮これは既製品の山である。もらったプレゼントはそのほとんどが手作りだったので、既製品には頼らずジャックも手作りをするべきだろう。なのでこのお菓子はもう必要ないし、これで二人が喜んでくれるならちょうど良かった。
「わーい! ありがとう、じゃっくー!」
「ワレへの供物、確かに受け取ったぞ! 感謝するぞ、ジャックよ!」
「どういたしまして。せっかくだし、ここで一緒に食べようか?」
幸いにも二人は満面の笑みを浮かべ、山のようなお菓子を受け取ってくれた。
それでも不用品を押し付けたような気がして若干胸が痛いジャックであったが、皆にお返しをする時はラプンツェルとハーメルンの分も用意してあげることに決めると多少はそれもマシになった。後はアリスのお菓子作りに協力してくれたらしいグレーテルの分も用意してあげるべきだろう。
「うん、たべるー!」
「よし、ならばワレはこれから頂くぞ!」
二人はジャックが腰かけているベッドに上がってくると、お菓子をシーツの上に広げて思い思いに食べ始めた。本当に子供であるラプンツェルはともかく、ハーメルンの方も子供っぽくて実に微笑ましい光景だ。まあほとんど裸同然の格好はちょっと目の毒だったが。
(それにしても、アリスのお菓子は本当においしいなぁ。まるでアリスの気持ちがたっぷり詰まってるみたいだ)
そんな微笑ましい光景を眺めて楽しみながら、ジャックはアリスからのチョコレートを味わっていった。アリスが一生懸命ジャックのために作ってくれたその頑張りや想いが込められているかのような、とても味わい深いチョコレートを。
「それで、結果はどうだったのかしら?」
「大成功よ! ジャックは凄く喜んでくれたし、とてもおいしそうに私が作ったチョコレートを食べてくれたわ! あなたの協力のおかげよ、グレーテル!」
ジャックに手作りのチョコレートをプレゼントした後、アリスはその足でグレーテルの下を訪れていた。
ジャックのために作り上げたお菓子は渾身の一品ではあるものの、だからこそ余計に不安であった。ジャックは喜んでくれるかどうか、おいしいと言ってくれるかどうか。作っている時からそんなことを考えてばかりいたのだ。
しかしジャックはそんなつもりに積もった不安を吹き飛ばすような、爽やかな笑みを浮かべてくれた。アリスが自分と気持ちを込めて作り上げたお菓子をおいしそうに食べてくれた。その事実だけでも最早天にも昇りそうな心地であり、それはグレーテルへのお礼の言葉にも如実に表れていた。
「ふふっ、どういたしまして。私もあなたのおかげで素晴らしい事実を知ることができたから礼を言うわ。ありがとう」
ニヤリと笑いながら同様に礼を言うグレーテル。その手にはアリスが作り上げたものと似たようなお菓子の食べかけが握られていた。よくよく見れば唇の端に食べかすらしきものがついている。アリスはジャックの分しか作らなかったので、あれはグレーテルが自ら作り上げたものなのだろう。
「どういたしまして。ああ、それにしてもジャックが本命の意味を知った時のことを考えると、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいわ……!」
本人の口振りや反応から察するに、ジャックはバレンタインデーについて正しい知識を教えられていない。何かおかしいと疑問に思いつつも、女の子が仲の良い男友達にお菓子をあげる日としか理解していないのだ。故に本命と言う言葉に秘められた意味も知らないのだろう。ジャックがもしもその意味を理解していたなら、きっと少しくらいは頬を染めてくれたに違いないから。
ただもしもジャックのバレンタインデーに対する理解が深かったなら、アリスはきっとプレゼントが本命であるとは口に出来なかったに違いない。本命のプレゼントを渡すのは告白と同じ意味であるせいか、自分でも思っている以上に緊張してしまったのだから。とりあえずはジャックに浅くしかバレンタインデーの知識を教えなかった人魚姫に感謝である。
「……そのことなのだけれど、ジャックはあなたから以外にも本命のチョコをもらっているのかしら?」
「さすがにそれを聞く勇気は無かったわ。可能性は高いと思うのだけれど……」
ジャックの部屋に入った時、机の上にはジャックへのプレゼントがたくさん置いてあった。あれが全て販売所などで購入した既製品ならさほど気にしなかったかもしれないが、少し眺めただけでほとんどが手作りだと分かってしまった。それもかなり気合の入ったものばかりである。少なくともあの中に一個か二個は本命のプレゼントが混ざっていてもおかしくない。
「それが、どうかしたの? まさか、あなたもジャックに……?」
バレンタインデーの真実を知ったジャックが、本命のチョコをプレゼントした少女と結ばれる。そういった事態を避けたいがために、愛や恋といった気持ちも分からないアリスも本命チョコを作りプレゼントしたのだ。その協力をしてくれた人物までもが敵になるというなら、さすがに穏やかな気持ちではいられなかった。
「ふふっ。面白そうな催しだから私も参加したかったし、用意はしていたのだけれど……一次欲求を、抑えられなかったわ……」
そう口にして、どこか悲しげにお菓子を更に一口齧るグレーテル。
一時欲求とはすなわち食欲と性欲、そして睡眠欲である。グレーテルは色に狂っているというわけではないし、睡眠欲については眠り姫レベルにはほど遠い。つまり本人が言っているのは食欲のことだろう。要するに食欲に負けてバレンタインデーに参加できなかったということか。
(まさか、今食べているお菓子がジャックへのプレゼントだったのかしら……?)
だとすれば少なくともグレーテルは敵ではない。食欲に負けてジャックへのプレゼントに手を出すような人物が、自分と同じくらいジャックを想っているわけがない。恐らくは知的好奇心から参加してみたかっただけに違いない。それが分かって何となくほっとするアリスであった。
「まあそれは置いておきましょう。本題は別のこと。あなたがチョコを作り終わってから私なりに色々と調べてみたのだけれど、実は興味深い事実が発覚したのよ」
「興味深い、事実?」
「ええ。バレンタインデーでは女性が異性にチョコレートを贈るのは一般的で、手作りのお菓子を贈るのも一般的。けれど、ごく稀に手作りのお菓子の中に意図的に異物を混入させることがあるらしいの」
「せっかくの手作りに異物を混入? 一体何のためにそんなことをするというの?」
プレゼントした時の相手の笑顔や反応を考えて一喜一憂しながら、想いを込めて一生懸命に作り上げる。それが本命のプレゼントのはずだ。なのにそこにわざと異物を混入させるなど、アリスには正気の沙汰とは思えなかった。
「私には理解しがたいのだけれど、愛する人に自分を食べてもらいたい、愛する人の一部になりたいという想いから、自分の身体の一部を混入させるのよ」
「そ、それはあなたでなくとも、理解しがたいと思うわ……いえ、待って。身体の一部……?」
正気の沙汰とは思えないし、理解もしがたい。だが、一つだけ思い当たることがあった。
アリスが作り上げた手作りチョコレート。材料は通常のお菓子作りで使われるものばかりだが、実は一つだけ極めて特殊な材料を用いている。そしてその材料は普通なら決して使わない、それどころかむしろ忌避されるであろうもの。
「具体的には体毛や爪といったものから、唾液に始まる体液まで。この辺りは個々人によって異なるようだけれど、中にはあなたと同じものを混入させる例もあったわ」
「そ、そんな! わ、私はただ、ジャックのために、できる限りチョコレートの味を再現したかっただけで……! そんな狂ったことを考えて、自分の血を混ぜたわけではないわ!」
ただジャックのためにできる限りチョコレートの味を再現したかっただけのアリスは、グレーテルの言葉を必死に否定する。
ジャックのために作り上げた手作りチョコレート。それに用いた極めて特殊な材料とは、他ならぬアリス自身の血液。だがアリスはそんな猟奇的なことを考えて自らの血液を混入させたわけではなかった。
「もちろん分かっているわ。あなたが作ったチョコレートの味わいは本物に勝るとも劣らないものだったもの。まさかジェノサイド化した血式少女の血の味わいが、チョコレートに近いものになるだなんて考えもしなかったわ」
そう、味付けにどうしても必要だったのだ。ジェノサイド化したアリスが包丁で自分の指を切ってしまい、消毒のために傷口を舐めた時、舌に伝わってきた味わいは正に求めていた通りのものであったから。
考えてみれば実に簡単なことであった。メルヒェンの血は甘い。人間の血は苦い。ならばメルヒェンの血により、ジェノサイド化した血式少女の血はどんな味になるか。答えはアリスの血液を大量に用いたお菓子を食べたジャックが、これ以上無いほど嬉しそうに語ってくれた。
「だけどそのおかげで、あなたは他の本命チョコより抜きん出た結果を得られたのよ。何といってもジャックに自分の血を摂らせたのだから。おめでとう、アリス」
「そ、それは、素直に喜んで良いことなのかしら……?」
アリス自身は別にジャックに自分の身体の一部を食べさせたいとは思っていなかったのだ。かなり思考や性格が凶暴になってしまうジェノサイド化した状態の時でさえも『これでジャックのために完璧なチョコレートを作れる』ということしか頭に無かったくらいである。
しかしアリスのやったことは一般的に考えれば異常とも取れるし狂的とも取れる。だからこそ、他の少女達の本命チョコよりも抜きん出た結果を得られたと言われても喜ぶのには躊躇いがあった。
「常日頃からメルヒェンやジャックの血を浴びている私たち血式少女の価値観が、ただの人間と異なるのは仕方が無いと思うわ。それなら逆に聞きたいのだけれど、あなたはジャックの血を浴びることや舐めることに、抵抗や忌避感が沸く?」
「……一片たりとも、沸かないわね」
少しだけ考えてみたものの、そういった悪感情は微塵も沸いてこなかった。
もちろんジャックがそんなに大量の血を使うことは心配だし、できればやめて欲しいと思っているが、それはジャックの身を心配しているだけでアリス自身とは無関係な問題である。確かに血式少女の価値観は一般人とは若干異なるらしい。
「そうでしょう? だから別におかしなことではないのよ。血式少女にとっての独特の価値観なのだから」
「それなら、良いのだけれど……」
何だか流されている気がしないでもないが、確かにアリスは疚しい気持ちで以って自らの血を用いたのではない。結果として他の本命チョコを送った少女達よりも一歩先を行くことができたのなら、ある意味それは躍進と言えるだろう。たとえ一般的には忌避されるような事柄であろうとも。
(でも、確かに嬉しいと思ってしまう私がいるわ。ジャックが、私の血を味わってくれたということを……ああっ! 変な女の子でごめんなさい、ジャック……!)
しかし価値観が一般人とは異なる血式少女であるせいか、ジャックが自らの血を味わってくれたことに対して、アリスは確かに喜びや幸せといった感情を覚えてしまうのであった。
それこそジャックがバレンタインデーの真実を知り、自らに贈られた本命のプレゼントの意味を理解することにより巻き起こるであろう問題も、今は気にすることなどできないほどに。
やはり自分はそれなりに狂っているのかもしれない。アリスはそう思いながらも、胸の中に湧き上がってくる喜びを抑えることはできなかった。
「姫……その……まだ、なのかい……?」
バレンタインデーも終わりが近づき、そろそろ日付が変わりそうな頃。
後で特別なプレゼントを用意しているという人魚姫の言葉を信じてずっと待っていたおつうだが、さすがにもう我慢できず本人に尋ねてしまった。王子様にしては堪え性が無いような振る舞いだが、もうバレンタインデーが終わるまで二時間もない。まさか忘れているのではないかと思って不安のあまりに尋ねてしまったのだ。
「もうっ。おつうちゃんったら、そんなに我慢できないの?」
忘れてはいなかったようで、人魚姫は王子様らしくないおつうの様子をくすくすと笑っていた。微かに頬が赤く染まっているのは、やはりいつものことであろうと面と向かって本命を渡すのは恥ずかしいからなのだろう。
「す、すまない。だけど姫から貰えることが分かって安心したせいか、先に貰ったジャックが羨ましくなってきて……」
「しょうがないなぁ……それじゃあちょっと早いけど準備するから、おつうちゃんは少しだけ向こうの部屋に行っててね?」
「あ、ああ、分かった! 姫の準備ができるまで、大人しく待っているよ!」
愛する姫からの本命チョコがもらえるならば従うのに否は無い。一も二も無く頷き、おつうは即座に隣の部屋へと移動した。そして扉に背を預け、その時を今か今かと待ちわびる。さらしで押さえつけている胸の内は、今や期待に激しく鼓動を刻んでいた。
(ああ、姫からの本命チョコがもらえるなんて……僕は何て幸せ者なんだ!)
すでに人魚姫とは夫婦であることや、去年もその前の年も貰っている、などという事実は関係は無い。前の世界でならともかく、少なくともこの世界では初めて貰うのだ。つまりは記念すべき初めての本命バレンタインチョコ。これを喜ばずして一体何を喜ぶと言うのか。
(しかし本命と言えば、ジャックも誰かから本命チョコをもらったんだろうか?)
不意に思考が若干逸れて、ジャックのことを考えてしまう。
バレンタインデーのことをジャックに教えようとしたら、人魚姫に口を塞がれてしまったおつう。そのすぐ後で本人に聞いたところによると、ジャックへ本命チョコを渡す少女達への配慮からの行動だったらしい。確かに本命チョコの意味を知らない相手になら幾分渡しやすくなるに違いない。
なのでおつうもジャックを探して再び伝えることはしなかった。ジャックに悪いとは思うが、ほぼ間違いなく誰かから本命チョコを渡されそうなジャックになら必要な措置だと言えるのだから。
(アリスは間違いないとして、他に本命チョコを渡しそうなのは――いや、どうせなら本人に直接尋ねてみる方がいいか。ジャックはまだ本命の意味を分かっていないだろうし、それを教える代わりにね)
実際それを教えるのはおつうの役目だ。おつう自身も性別は女であるが、人魚姫の王子様なのだからバレンタインデーではジャックと同じ貰う側だ。ジャックがそれを受け入れるかはともかく、男友達との会話のように話せればそれに越したことは無い。
(ああ、しかし楽しみだなぁ! 姫は一体どんなプレゼントを用意してくれているんだろう!)
ほとんど毎年、人魚姫からのプレゼントは手作りのお菓子であった。ならば今回もそうに違いない。人魚姫からの愛がたっぷりこもった本命チョコは、いつも脳髄を溶かすほどに甘く切ない味わいだ。その味わいを思い出し、今からごくりと喉を鳴らしてしまう。
(……いや、待て。どうしてわざわざ僕を違う部屋に行かせて準備をする必要があるんだ? もしかして、普通にお菓子を手渡すだけじゃない……?)
しかしそこで不意にあることに気が付く。今まではこんな風に別の部屋で待つことを求められたりはしなかった。二人きりの時にバレンタインチョコを手渡しされ、更にキスもプレゼントされるという流れであった。
どうやら今回のプレゼントは本人が口にした通り、今までとは違う特別なプレゼントなのだろう。ますます楽しみになってきて、扉の向こうを覗きたくなってきてしまうおつうであった。
「準備できたよ、おつうちゃん。入ってきても、良いよ……?」
しかし王子様なのにこっそり覗きをしてしまう前に、人魚姫からの許可が出された。
果たしてどんなプレゼントを用意して待ち受けているのだろうか。期待に胸を膨らませながら、おつうは扉を開けた。
「あれ? 姫、どうして灯りを消しているん――っ!?」
そして、目に飛び込んできた光景に固まった。
部屋の中は何故か灯りが消されていてほとんど真っ暗であった。そのこと自体は疑問に思っただけで、別段驚くには値しない。おつうを固まらせるほどの衝撃を与えたのはベッド脇でたった一つだけ灯されている灯り、その仄かな光に照らし出されたベッドの上の姫の姿。
「……バレンタインデーのプレゼントだよ、おつうちゃん。プレゼントは、私自身」
仄かに頬を染めて扇情的な台詞を口にする人魚姫は、あろうことか衣服を纏っていなかった。身に着けているのは長い真っ赤なリボンのみ。それが人魚姫の白い肌に巻きつき、頭の上で可愛く結ばれている。リボンで隠されているのは大切な所のみで、それ以外の箇所は大胆に曝け出されていた。柔らかそうな太股も、可愛らしいおへそも何もかもである。
どういう状況なのか混乱しつつも見てはいけないと頭では理解しているおつうだったが、人魚姫の白い肌から視線を逸らすことはできなかった。
「え……あ……なっ……!?」
「……ちょっと、やりすぎだったかな? でも、おつうちゃんに焼きもちを焼かせてみたくてあんなことしちゃったし、お詫びも兼ねてこのくらいはしてあげようかな、って思って?」
恥じらいに頬を染めながらも、頭の上で揺れるリボンの結び目を弄る人魚姫。あれを解いてしまえばその身体を覆う頼りない布きれは瞬く間に意味をなくすだろう。思わずごくりと息を呑んでしまうおつうであった。
「ひ、ひひひ、姫……そ、その、格好は……!?」
「もちろん、本命のおつうちゃんにだけあげるプレゼントだよ。受け取って、くれるよね?」
「う、受け取る!? そ、それはつまり……つまり!?」
自分をプレゼント。そして裸にリボンのみの格好。それはつまり、そういう意味だろう。どちらかといえばそういった知識は無い方のおつうでも、容易に察しが付くほど分かりやすかった。
「受け取ってもらえなかったら、私傷ついちゃうなぁ……せっかく、おつうちゃんのためだけに用意したのに……」
悲しそうに言いながらも、どこか妖艶な微笑みを向けてくる人魚姫。
考えてみれば、おつうと人魚姫は幼い頃から夫婦でありながらその手の行為とは無縁であった。それどころかキスの回数も数えられる程度だ。無論回数が多ければ良いというわけではないが、男女の仲であったのなら回数が多くなっていくのは自然の摂理だ。そして、キスよりも先に進んでいくのも。
今までそうならなかったのはきっとおつうが王子様として振舞いながらも、男として振舞うことは失念していたからだろう。
(これは……もう、僕に逃げ場は無いのでは?)
伊達や酔狂で人魚姫がこんな真似をするはずは無い。恐らく人魚姫は更に深い関係になることを望んでいるのだろう。
もちろんその気持ちはおつうにもよく分かっていた。せっかくこの世界でも再会し、幸せを取り戻すことができたのだ。だからこそ安心してお互いの関係を深める最後の一歩を踏み出すのも、理解は出来ていた。
「受け取って、欲しいな……?」
というかそれらを脇に置いても、女の子にここまでさせてしまったのだ。受け取らなければ人魚姫の気持ちを無碍にしてしまうし、何より恥をかかせてしまう。真に王子様として振舞うならば、最早おつうに選択肢は残されていない。故に覚悟を決めるしかなかった。
「……いいでしょう。では今宵、あなたに甘い夢を見せてあげますよ、姫。チョコレートのように甘い夢を、ね?」
間近で見る人魚姫の柔肌にうるさいくらいに胸を高鳴らせながらも、おつうはできる限り王子様として振舞いながらベッドに上がる。正直なところいつまでこのまま王子様を続けられるかは未知数であった。
しかしそれでも姫のため、できる限り頑張ろうと心に決める。たとえあまりの緊張と興奮に今にも心臓が爆発しそうになっていても、おつうは人魚姫の王子様なのだから。
「えへへ……不束者ですが、よろしくお願いします……」
恥らいつつも嬉しそうに笑う人魚姫に優しく口付け、おつうはその頭の上で揺れるリボンを解くのであった。
後に人魚姫から受け取ったプレゼントの三倍返しをどうすれば良いのか、本命チョコの意味を知ってしまったジャックと共に大いに悩むおつうであったが、それはまた別のお話である。
バレンタインデーのお話終了。
最後にあった通り、後におつうは人魚姫への三倍返しに大いに頭を悩ませ、ジャックは本命の意味と本命をプレゼントしてきた人数に苦悩します。まあとりあえずおつうちゃんは裸で胸とかに溶かしたチョコレートをかけて人魚姫に「め、召し上がれ……?」とか言えば解決ですね。ジャックくんもハーレムすれば解決でしょうし……何だ、ハッピーエンドじゃないか。