プロローグ
俺には小学校入学以前の記憶はない。
自分の本名も、誕生日も、出身地も、両親も、何も分からない。
思い出そうとはするが、どう頑張っても、うっすらとしたもやがかかっていて、あと少しなのに思い出せない。
少なくとも俺は日本人ではないことは分かった。
外見から判断すれば、だが。
俺の記憶のある中で最も昔の出来事は、5歳くらいのとき、どこかも分からず、街にある文字は初めて見る文字でさっぱりわからないし、話しかけられるが言葉の意味が理解できず、ただただ途方に暮れて歩き回っているところを警察に保護されたということだ。
そのあとよくわからない場所で、言葉はわからないが、取っ替え引っ替え色んな人が来て遊んでくれていた記憶だ。
今思い出せば、あれはヒーローの皆さんがパトロールの合間をぬって俺の相手をしてくれたという、とても素敵な思い出……
でも、何故彷徨っていたのか、日本人ではないのに何故日本にいたのか、それさえも謎だった。
記憶を掘り起こそうとすればするほど、頭痛がするから俺は思い出す努力をあまりしていない。
そのあと俺は養子になった。
そして、『鍵無 彗仁』という名を貰った。彗星の如く輝き、仁の心を持った人間になって欲しいという願いだそうだ。
小学校は一般の小学校に入学した。
最初はとんでもなく大変だった。
いきなり全く知らない言語の使用者と集団行動をしなくてはならないからだ。とても大変だったが、養父母はとても良くしてくれた。
もちろん今も。
だから俺の今はある。
確かに言葉を覚えていくにつれて、俺にかけられている言葉の中には蔑むような言葉もあったことを理解した時は苦しかった。
しかし、今はそれも乗り越えて元気にやっている。
───ときどき、夢の中で時々俺に話しかける声がするんだ。
「Hallo!(こんにちは!)」
「Wie heißen Sie?(あなたの名前は)」
しかし、幼い少年と思われるシルエットはぼやけていく一方だ。
そして何も言わずに消えてしまう。
そのまま目覚めると朝なのだ。
だから今日はこう言った。
「Ich werde Held!(俺はヒーローになる!)」
「Sehr schade.(とても残念だよ)」
そう言って幼い少年は消えた。
それっきり、もう夢は見ていない。正確には謎の少年の影は話しかけてこない。
俺は、医者に個性は“ロック”だと告げられてから頻繁に見ていた夢を見なくなって少し寂しい。
それに何か大事なことを忘れている衝動に駆られる。
でもやっぱりそんなことはどうでもいい。
ヒーローになりたい。俺みたいな何者かもわからない迷子を、言葉も通じないのに、笑顔にしてくれた存在に俺もなるんだ!
「行ってきます!」
俺は口数が少ない。
信頼するまでは人と話す自信がないのだ。
ただ、家族やバンドの時は口数は圧倒的に増える。
しかし、初対面では滅多に言葉は発さない。
人見知りではない。単に笑顔でいるが、話はしない。
普通に話せるまでに信頼できる人と巡り合えるだろうか…
そんな一抹の不安もあるが雄英高校の入学試験に向かう俺の顔はきっと晴れやかだ。
そこには…
『Wo sind wir?(ここはどこですか?)』
そう言って涙を流して彷徨っていた幼子の面影は見えない。