オリジナルの白黒プリキュア 作:ソラ
強さとは、誇るものではなく、振りかざすものでもない。
ただ、揺らがぬもの……揺らがぬ事こそが真の強さだ。
ふっ、と細く息を吐く。心に気負いはなく、そして、緩みもない。
「なんだよアンちゃん、緊張してんのか?」
いつも私とバディを組んでいる先輩刑事が、揶揄うように話し掛けてきたので、「いえ、別に」と短く応えた。
私が刑事課に異動してきて、早一年が経とうとしているが、未だに私は名前で呼ばれない。
警察の隠語で『新入り』を意味する『アンコ』から、アンちゃんなどというアダ名を付けられた。
あまり気に入っているアダ名ではないが、刑事課の同僚に私より年次が下の者はいないから、仕方ないといえば仕方ない。
主任の警部補に指示された通り、私と先輩はとあるアパートの裏通りに陣取っていた。
つい、とアパートの二階の窓を見上げる。そこに、連続空き巣事件の被疑者と思しき人物の部屋があった。
今日の捕り物の標的は、窃盗の前科持ちの空き巣犯だ。敏捷で身軽な男と聞いている。二階の窓から逃走を図る可能性は高い。
逮捕状は既に出ている。おとなしく捕まってくれるなら私達の出番はないが、抵抗するようならば、多少手荒な手段を覚悟してもらう。
「なあ、アンちゃん、ちょっと賭けしねえ?」
「……賭け、ですか?」
「そう、犯人にワッパかけた方の勝ち。負けたら昼飯奢りって事でどう?」
軽薄な笑みを浮かべて、先輩はそう言った。悪い人では無いが、少し頭がおカルイ。
そもそも、私は逮捕術の組手でこの人に負けた事はない。自分に不利な内容の賭けだと、気づいているのだろうか。
先輩は、学生の頃にレスリングをやっていたというだけあって、引き締まったゴムまりのような体形をしているが、性格的にも体術的にも猪突猛進な所がある。
「別に良いですけど、私達以外が逮捕した場合はどうするんですか?」
「そりゃ、そんときは賭けはご破算に──」
先輩が言い切る前に、アパートの窓がガラリと開いた。ジャージを着たボサボサ頭の男が、軽やかに飛び出してくる。
両手をばたばたと振りながら、二階の高さから着地した。特に足の痺れなどは無いようだ。
右手には、伸びきった状態の特殊警棒を持っている。
「よっしゃ、もらったぁ!」
大声で叫んだ先輩は、身を低くしながら男に向かって跳び掛かった。私は内心で舌打ちする。
捜査員の配置から考えれば、私達の役目は少しだけ時間を稼ぐことだ。
ほんの少し被疑者を足止めできれば、近くの通りに配置された同僚たちが集まってきて、完全に包囲できる筈だというのに、先輩は少し、考えが足りない。
先輩のタックルは中々に鋭かったが、被疑者の男は左手で先輩の肩の辺りを押さえながら、軽快な足運びで身を躱し、すれ違いざま、右手に持った特殊警棒で先輩の膝裏を打ち付けた。
あれは痛いな、当分立ち上がれまい。実際、先輩は地面に蹲り、片膝を抱えて呻いている。
「無駄な抵抗はやめなさい。これ以上罪状を増やしたくは無いでしょう?」
私が警告すると、男は歯を剥いて睨み付けてきた。然程迫力はない。その程度の威嚇で、私が恐怖を覚えるはずもない。
男は自棄になったのか、甲高い奇声を上げながらこちらに向かって駆け寄り、警棒を振り上げる。
反射的に、私の身体は動いた。
凶器が振り下ろされるよりも一瞬早く、私の左足刀蹴りが男の鼻先を打ち抜く。
男はくぐもった声を洩らして、たたらを踏んだ。それなりに加減はしたので骨に異常は無いだろうが、男は鼻血を流しながら、眼に涙を浮かべている。
「無駄な抵抗はやめなさい。いらない怪我はしたくないでしょう?」
もう一度、冷静に警告した。
男は左手で鼻を押さえて俯いている。これ以上抵抗しないようなら穏便に済ませたい。
だが、残念ながら私の願いも虚しく、そいつはまたもや襲いかかってきた。
私はバックステップで警棒の一閃を躱す。
そして、再度警棒が振り上げられるよりも先に間合いを詰め、右の下段蹴りを、男の太腿の付け根あたりに放つ。
風船が割れた様な、パァンっという派手な音と共に、衝撃が筋肉を抜けて骨まで届いた感触があった。
男は支えを無くしたように崩れ落ちる。しかし、血走った眼からは、まだ悪意からくる抵抗の意志が読み取れる。気絶させておいた方が良かろうと、右の掌底で顎を打ち抜いた。
脳を揺さぶられて完全に意識を刈り取られた男は、顔から地面に倒れ込んでいく。
地面に着く寸前で、仕方なく、襟首をつかんで止めてあげた。無駄な怪我をさせることはない。
私は、強さを誇るつもりも、振りかざすつもりもない。
ただ、揺らがぬこと。大地に根ざした大樹の様に、揺らがぬことだけを心掛けていた。
それが、師に教わった、私の武道だ。
「……相変わらず、おっかねえなあ。アンちゃんの空手」
未だ地面に蹲ったまま、先輩が顔だけこちらに向けて言う。
「手加減はしましたよ」
「つうか、怖くねえの? 普通の女の子なら、警棒持った犯人とか、悲鳴ものだと思うぜ」
普通の女の子なら……か。確かにそうかもしれない。
しかし、私にとっては、警棒で武装した程度の被疑者など、何ほどのものでもない。
──昔、私がプリキュアだった頃……その頃の敵に比べれば……些少の脅威も無いのだから──
「昼飯、署の食堂のラーメンでお願いします。野菜とチャーシュー増しで」
私は先輩に向けて微笑んだ後、黒のレディースジャケットの懐から手錠を取り出し、気絶している被疑者の手首にかけた。
カシャン、と小気味良い音がアパートの裏通りに響いた。
一日の業務を終えて署をあとにする頃には、既に夜の帳が下りていた。アイツとの約束の時間には、少し間に合いそうにない。
そろそろ四月に入ろうというのに、日の沈んだ街並みには春の訪れを拒むような、硬く冷たい風が吹いている。
ただ、心地良い疲労感と、ざらつくような喉の渇きは、キンキンに冷えたビールを求めていた。
そう、一気飲みしたら、顳顬に激痛が走るくらいに冷えてるのが良い……のだけれど、今日の店はアイツのチョイスだから、無駄に気取った店だとしたら、ビールをガバガバ飲んだら浮くかもしれない。
前に連れて行かれたお高そうなレストランでは、私の給料一ヶ月分が吹き飛ぶ赤ワインを飲ませてもらったが、正直、味はよくわからなかった。
しかも、二人で一本空けたくらいでは然程酔えなくて散々だった覚えがある。
奢りだというから流石に文句は言わなかったけれど、私としては割り勘で良いから適当な居酒屋でも行きたいものだ。
アイツは度々、品格漂う高級店というヤツに私を連れて行きたがる。そういうのは目当ての男にでもしてやれば良いと思うのだが、相手はいないのだろうか。まあ、私も人のことは言えないが。
昨日の電話で伝えられた場所に行ってみると、其処は意外な事に大衆向けの呑み屋街だった。
私が書き取ったメモが間違いでないならば、その一角に建つ古ぼけた焼き鳥屋が、目的の店だ。
微かな郷愁を感じさせる店構え。暖簾には崩し字で『鳥香堂』と書かれている。
電話越しで『トリカドウ』という音を聞いた限りではてっきり、洒落た外国語の店名だと思っていた。『鳥香堂』ね、日本語だったのか。
木枠に磨りガラスが嵌められた引き扉を開けて、暖簾をくぐる。こじんまりとした内装の奥に、アイツの後ろ姿が見えた。
背筋がピンと伸びた綺麗な姿勢で、座敷に正座している。白いカーディガンに、腰まで伸びた黒髪の対比が眩しく見えた。
席を案内しようと声を掛けてきた店員に、連れがいるからと断り、とりあえずビールを頼んだ。
「よう、久しぶりだな」
声を掛けながら対面に胡座をかいて座ると、アイツは嫋やかに微笑んだ。まさしく深窓の令嬢みたいな雰囲気のくせに、焼き鳥をアテに盛っ切りの升酒を飲んでいる。
普通なら明らかに違和感を覚える佇まいだけれど、不思議とコイツはその場に馴染む。
「遅かったなぁ。先に始めてるで」
「構わねえよ、遅れた私が悪い」
東京に越してきて十余年が経つというのに、コイツの京言葉は直る気配がない。元々、直す気もないのだろう。
アクセントが強いのに、妙に穏やかなコイツの言葉は、嫌いではなかった。
店内に漂う、焼き鳥屋独特の香ばしい匂いが食欲をそそる。思えば昼飯のラーメン以来なにも口にしていない。空っぽの胃は、強い空腹感を訴えていた。
目の前の卓にちょこんと置かれた盛合せの皿から、鶏皮の串を選んで奪い取る。
串の根元から齧り付いて一気に引き抜いた。焦げ目がつく程度に焼かれた、皮のパリパリとした食感と、おそらく態と少しだけ残された身の弾力が口の中で程良く溶け合う。
シンプルな塩の味付けに、微かな梅肉の風味があった。塩辛さの中に仄かな酸味の効いた味が舌の上に広がって、一日の疲れを癒していく。
「私、カワ好きやねんけど?」
「知ってる」
ついでに言えば、好きなものを最後まで残すタイプだということも知っている。
アイツは眉間に皺を寄せ、唇を尖らせていた。形の良い眉が奇妙に歪んだ様を見ていると、私の口から自然と笑いが洩れる。
丁度お通しと共にビールが運ばれて来たので、適当なメニューを数品注文した。もちろん、鶏皮を多目に。
「ほら、頼んでやったぞ、鶏皮」
はあ、と大袈裟に嘆息して、アイツは肩を竦めた。
「まあええわ、今日はあんたの奢りやからな」
「あ? なんで?」
メニュー表を見たところ、別に奢れないような値段でもないが、いつもの通りならこういうリーズナブルな店では割り勘で済ませるはずだ。
鶏皮を取ったのがそんなに気に障ったかと訝しんでいると、アイツはほんの僅か悲しげに、少しばかり寂しげに呟いた。
「送別会って、そういうもんやろ」
「……送別会……そっか、送別会か」
いつか京都に帰る事になるという話は、何年も前に聞いていた。
突然だな、という驚きと、仕方ないな、という諦念が私の中で綯い交ぜになる。
「来週、京都に行くねん」
「行く、じゃなくて、帰る、だろ」
「ん? ああ、私も東京住んで長いからなぁ、すっかり東京もんみたいな気分や」
「東京の人間は、東京もんなんて言わねえよ」
「さよか」
全く寂しくない、といえば嘘になるけれど……何も今生の別れというわけでもない……東京と京都、会おうと思えば小旅行がてらいくらでも会えるさ。
「私もそろそろ、本腰入れて家業を継ぐ準備せなあかんてことや。修業自体はどこでもできるけど、本部は京都やからなぁ」
殊更明るい口調で、アイツは言う。ならば今日は別れの酒ではなく、『親友』に向ける餞別の酒なのだろう。
照れくさいので、『親友』だなんて、言葉に出しては言わないが。
「よし、じゃあ今日はぜーんぶ私の奢りだ。遠慮せずじゃんじゃん飲めよ!」
「言われんでも、しこたま飲んだるっちゅうねん。財布の中身カラにしたるから覚悟しいや」
二人で朗らかに笑いあう。多分この笑顔は、今日で当分見納めなんだろう。
私はビールジョッキをアイツの目前に掲げる。アイツは盛っ切りの升からグラスを取り出して、私のジョッキに、優雅な動作でこつんと当てた。
乾杯の時まで、嫌味なほどに上品なヤツだ。
ぐでんぐでんになるまで酔ったあと、互いに肩を組んで会計を済ませる。
久方ぶりの楽しい酒だった。冗談抜きで財布がカラになるまで飲んだので、結局、帰りの電車賃を借りる事になってしまったのは、多分一生の不覚だ。
「見送りの時にでも、返しにきいや」
「さてね、こっちはのべつ幕なし呼び出しくらう刑事稼業だ。見送りに行けるかどうかは分からねえよ」
「ほんなら、京都に返しにおいで。煎茶ぐらい飲ませたる」
可愛らしく、京都に遊びに来てね、くらい言えないのかよ。素直じゃない奴。
暖簾をくぐって店を出ると、星の見えない都会の夜空に、ぽつんと月だけが輝いていた。
日付も変わった時間帯だけあって人通りの少ない道に、二人並んで月を見上げる。
「綺麗なお月様やなぁ」
「そうだな。京都の月も、綺麗か?」
「アホ、月の綺麗さに、場所は関係ないわ」
左を向くと、月明かりに照らされたアイツのほうとした横顔があった。
何もなくとも笑い出してしまいそうな酩酊感からか、不意に悪戯心が騒めく。
私はそっと距離を取り、その横っ面に、左の順突きを放つ。「うきゃっ」と声を上げて、アイツは頭を下げて躱した。
驚くと、小猿が鳴くような声を出してしまう癖は直ってないらしい。
初めて闘りあったあの日と同じ、すまし顔から洩れ聴こえたコミカルな悲鳴に、私はくつくつと喉を鳴らして笑った。
アイツは髪を振り乱しながら更に身を屈めて、地面すれすれの水面蹴りを返してきた。袴のように長いサーキュラースカートの裾から飛び出した蹴りが、私の足首を刈ろうとする。
私は大袈裟に跳び下がって距離を取った。右脚を引いて腰を落とし、半身で構える。私が構えたのに呼応するように、アイツも、拳を握って中段で構えた。
傍から見れば、酔っぱらい女の喧嘩に見えるかもしれない。
でも、私たち二人の顔には笑みがあった。お互い承知しているのだ、こんなのはただのじゃれ合いだと。
私は右足で地面を強く蹴り、鋭く踏み込んで右拳の鉤打ちを放った。正確に顳顬を狙ったそれは、寸前で上体を逸らされて空振る。
アイツは、空を切った私の右腕の、手首と肘を掴みながら、その場で身体ごと回転した。円を描くようにして、私の身体を自らの後方へ流す。
流された私は、勢いのまま数歩踏み出した後、くるりと振り返った。
拳を構えながら迫り来るアイツと、視線が交差する。
私には、日本舞踊の経験はない。自分で踊った事がないのは勿論、他人の踊りを観た事も殆どない。けれど、アイツの体捌きは、いつ見ても日舞の流麗さを想起させる。
顔の高さも、腰の高さも上下させずに、すうっと滑るようにこちらへ近づいてくる。一瞬見惚れる。
その動きは、鋭い俊敏さと、確かな力強さがあるというのに、まるで止まっているようにも見える。矛盾しているようだが、その矛盾こそが、アイツの武の真髄なのだろう。
風を切り裂く音を立てながら、アイツの右拳が私の眉間に迫る。私は両掌を重ねて、その拳を受け止めた……びりびりと痺れるような痛みが、掌に走った。
「相変わらず、綺麗な突きだ」私は手首を振って、痛みを払いながらそう言った。
「……ツキが綺麗ですねってか? やかましいわ」肩を竦めて、アイツはそう応えた。
数瞬の間をおいて、ふふっと、どちらからともなく笑い出す。
最初のうちは小さかった笑い声が、だんだんと大きくなっていく。
いつの間にか、二人揃って肩を揺らしながら、大笑いしていた。近所迷惑かもしれないけれど、ここは呑み屋街だ。酔っぱらいの笑い声くらい日常茶飯事だろう。
それに、今日はこんなにも月の綺麗な夜なんだ。少しくらいの馬鹿騒ぎは、許してほしい。
これほど楽しい夜は、私のこれからの長い人生でも、そう幾度も無いだろうから。
─────────────────────────
病院のベッドに横たわる父、虚ろな目は何を写しているのかもよくわからない。上体を起こすことも、首を曲げることすらも最早難儀するようで、時折その眼差しだけをナツキに向ける。
幼い頃の記憶ゆえ理由は定かではないが、その時、病室には父と娘の姿しかなかった。
その頃まだ三歳だったナツキが、一人で見舞いに行くわけもないので、母か祖母も一緒だった筈だが、所用で席を外していたのだろう。
父の年齢は三十路に差し掛かったところだったというのに、筋肉が削げ落ちたその腕は細く頼りなかった。ナツキの軽い身体すら、持ち上げられそうにない。
頰がこけて骨張った顔貌には生気がなく、首筋には葉脈のような血管が透けている。
治療の副作用で髪の抜け落ちてしまった頭に被った、黒いニットキャップが少しズレて、取れそうになっていた。
ナツキがベッド傍の丸椅子から立ち上がり、ニットキャップの位置をそっと直すと、父は掠れた声で、「ありがとう、ナツキは優しいね」と呟いた。
そんなこと言わなくていい、とナツキは思った。少女の表情が、意図せず悲痛に歪む。
幼い少女には、死というものの概念が上手く理解出来ていなかった。しかしそれでも、父がそう永く無いことだけは直感的に悟っていた。
命というものを灯火に例えるならば、父のそれは既に消え入る寸前であった。そよ風が吹いた程度の僅かな揺らめきにすら耐えられそうにない。
無理して喋らなくていい、喋るだけで、父の灯火は消えてしまう。ナツキはそう思った。
しかし、父はゆっくり目を閉じると、娘に向けて口を開いた。
「ナツキ……他人に優しく出来る人はね、とても強い人なんだ。ナツキには、強く生きてほしい……誰よりも……強い人になってほしい」
森林の奥から響く、葉のざわめきのように微かな父の声が、ナツキの耳に届く。父が娘に対して言うおそらく最期の願いが、少女の心を震わせた。
「わかった……わたし、強くなるよ……せかいでいちばん強くなる。だれにも負けないくらい……強くなる」
ナツキが精一杯の想いで応えたそれは、誓いの言葉であり、或いは、呪いの言葉でもあった。