オリジナルの白黒プリキュア 作:ソラ
まだ雪原と仲良くなる前のナツキは、ひとりで登校していた。通学路にはぽつぽつと疎らに、小学生たちの姿が見える。
その中のひとりに雪原の姿を見つけて、ナツキは声をかけた。
「おはよう、雪原」
「あ、黒木野さん。おはよう」
この頃の二人は、顔を合わせれば挨拶くらいは交わしていたが、特に仲が良いわけでもなかった。
しかし、通学路で出会って、ばらばらに学校に向かうのも変な話だ。ナツキは小走りに駆け寄り、雪原に並ぶと、歩調を合わせた。
しばらく無言で歩く。教室内でも、なにか用があればコミュニケーションをとることはあったが、二人の間にわかりやすい共通の話題はない。
このまま、一言も喋らずにただ歩くのも気詰まりに思ったナツキは、少し気になっていたことを雪原に訊いた。
「雪原ってさ、佐浦のこと、どう思ってんの?」
えっ、と雪原の口から小さな疑問の声が洩れる。突然の質問に、戸惑ったのかもしれない。
しかし彼女は、僅かに表情を曇らせたあと、真剣な様子で答えた。
「佐浦さんのことは、少し、嫌い……少なくとも、好きじゃない」
そうだろうな、とナツキは頷く。普段のやりとりを見ているだけでも、そんなことは訊かなくともわかる。
聞きたいのは、そういう好悪の感情についてではなかった。訊ね方が悪かったのだろう。やはり自分は口下手だと、若干自嘲した。
「んー、なんていうかさ。あんなヤツ、放っとこうとかは、思わないわけ?」
「放っとく?」雪原が首をかしげる。
「そうそう、放っときゃ良いじゃん。どうせ、クラス替えまでの辛抱だろ。一生付き合っていかなきゃならないわけでもなし、流して放置すればいい」
それが、ナツキの本音だった。何より、雪原は佐浦とぶつかる度に、傷ついているように見える。わざわざ自分が傷ついてまで、相手を注意することもないと思う。
けれど雪原は、困り顔を浮かべて首を横に振った。
「駄目だよ。先生も、みんなも、迷惑してるもの」
「そうか? 案外、みんな慣れっこになってきてると思うよ。私にしても、授業が進まなくなった時は自習してるしな」
言外に、だから放っときなよ、という意志を込める。ナツキの内心が伝わっていないとも思えないが、それでも雪原は、意志の強い瞳を見せたままだった。
「佐浦さんって、柔道習ってるんだって。黒木野さんは、知ってた?」
「ん、まあ、聞いたことはある」
佐浦が柔道をやっているという話は有名だった。本人が頻繁に、どこそこの大会で優勝しただのという自慢話をしていたし、時には喧嘩で、柔道の投げ技を振るうこともあるらしい。
「佐浦さんの暴力が怖くて、意見できない人もいる。私、そういうの許せないんだ」
「へえ、雪原は武道とか嫌いなんだ」
だとしたら少しショックだった。自分も、空手をやってると知られたら、嫌われてしまうかもしれない。
ナツキは喧嘩に空手を使ったことなど一度も無いし、そもそも喧嘩自体もしたことがないけれど。
「違うよ、柔道とか、武道とかが嫌いなわけじゃないよ。むしろ武道をやってる人って尊敬できる人が多いと思う。でも、そういう、努力して覚えたもので、暴力を振るうのは間違ってると思うだけ。私、暴力は嫌い」
雪原は、強い調子で言い切った。ナツキは密かに安堵する。成る程、ナツキの祖母も確かに、喧嘩に空手を使うなと強く戒めている。
鍛錬して得た技術で他者を害するのは、間違った行いなのだろう。
やはりこの子はいい子だ……おばあちゃんとも話が合いそうな気がする、とナツキは思った。
学校に着いた二人が教室に入った時、室内は重苦しい雰囲気に包まれていた。
教室の、丁度真ん中あたりで、佐浦とその取り巻きの一人が何やら揉めている。佐浦に険悪な顔で睨みつけられているのは、井上とかいう女子だった。
子分が謀反でも起こしたのか知らないが、微塵の興味もないナツキは、さっさと自分の席に向かった。
しかし、雪原はクラス内の揉め事を看過できないのか、遠巻きに佐浦たちを眺めているクラスメイトに問い掛けた。
「なに、佐浦さん、なんで怒ってるの?」
「あのね、井上さんが、佐浦さんの、お泊まり会の誘いを断ったみたいなの」
聞き耳を立てていたわけでもないが、そのクラスメイトの声が、ナツキの耳に届いた。
──くっだらねえ、なんだそれ。
ナツキは内心で呟き苦笑した。
どんな御大層な理由の喧嘩かと思えば、『お泊まり会の誘いを断った』からとは、肩透かしにも程がある。
ご機嫌斜めの佐浦のせいで、朝から教室の空気は最悪だ。
「ねえ、黙ってちゃわかんないんだけど? せっかく誘ってあげたのに、なんで断るのよ」
佐浦の、怒りを含んだハスキーな声が、静まり返った教室にこだまする。
佐浦と交友のない女子たちは怯えながら成り行きを見守っているだけだし、男子連中は女子同士の揉め事にはノータッチだ。結局のところ、巻き込まれては堪らないという思いが、クラスメイトたちの心中を支配している。
ナツキはランドセルから引っ張り出した教科書などを机にしまい、空になったランドセルを後ろのロッカーに突っ込むと、何とはなしに佐浦たちを眺めた。
担任教師は早く来ないだろうか、まあ、来たとしてもあの人では、佐浦相手に喧嘩の仲裁など出来ないだろうが。
「ちょっと、なんとか言いなさいよ!」
佐浦が俄かに大きな声で怒鳴ると、それまで俯いていた井上は、肩をびくんと揺らして顔を上げた。
「あの、えっと、うちのお母さん厳しいから、そういう、お泊まり会とか、行っちゃダメって……」
「はあっ? 小四にもなって、ママの言い付けは守らなきゃ〜って、なにそれ、ダッサいわね! そんな決まり事、破っちゃえばいいじゃない」
佐浦は呆れたように大きく両腕を広げて詰った。井上は再度俯き、遂には鼻を鳴らして泣き出してしまう。
そんな二人の所へ、決意を秘めた表情の雪原が近付いていく。内心の怒気が表れているのか、雪原の足取りはいつもより幾分荒い。教室の床を踏み鳴らしながら、彼女は佐浦たちの間に割って入った。
「佐浦さん」
「あっ? なによ雪原」
井上を庇うように立つ雪原を、佐浦は冷めた目で見遣った。
「井上さんは、佐浦さんの友達でしょう。そんな馬鹿にするような言い方、するもんじゃないわ。それに、家の決まり事って、家庭によって違うと思う。井上さんの家では外泊が禁止されているというなら、その決まり事は尊重するべきよ。いい加減、我儘を言うのはやめなさい」
雪原の言葉は、確かに正しかった。けれど、だからこそ佐浦を苛立たせる。
佐浦は、自分が我儘を言っているということに気づいている。気づいた上で、どこまでも我儘に、限りなく横暴に振る舞っていた。だって、この教室で、自分は誰よりも強いのだから。
一番強くて、一番偉いのだ。そんな自分に対して、喧しい物言いで詰め寄ってくる雪原は、目障りな存在だった。
頭に血が昇った佐浦は、目前のこの女に身の程を弁えさせてやろうと、雪原のシャツの襟首を掴んだ。そして、力を込めた右足で雪原の両脚を刈るように払う。
重心を落として耐えることも、体捌きで避けることもできないド素人相手なら、これだけでよかった。
「きゃっ」小さく悲鳴を上げて、雪原の体勢が崩れる。
無様に床に這いつくばればいい、と暗く嗤った佐浦だったが、しかし、望んだ光景は訪れなかった。
「おっと」
突然傍に現れたナツキが、雪原を抱きとめる。目を白黒させて驚いている雪原に、ナツキは優しい声音で「大丈夫か?」と囁いた。
「う、うん、大丈夫」
雪原はドギマギしながら応える。とりあえずなんともなさそうなので、ナツキは頷いた。
「佐浦、受け身も取れない子に、足払いなんかかけるなよ。柔道だって、最初に教わるのは受け身だろ?」
「うるさい」
「大体、こんなとこで転んで、机に頭でも打ったらどうするんだよ」
ナツキは辺りを見回すように首を振った。周りには、机が整然と並んでいる。
「うるさいっつってんだろうがっ!」
唐突に激昂した佐浦は、両腕を振り上げてナツキに襲いかかった。
佐浦とナツキの間には、未だ戸惑った様子の雪原がいる。ナツキは雪原が巻き込まれないように彼女と体を入れ替え、佐浦に対して、突っ張る形で右手を伸ばした。
それは、掌底ともいえない、ただそっと伸ばしただけの掌だったが、勢いよく突っ込んできた佐浦の胸に当たり、彼女の体を押し返す。その衝突は丁度、ボクシングでいうカウンターパンチのタイミングだった。
胸に衝撃を受けた佐浦は、軽く咳き込んで後退する。
「あー、これくらいは、暴力じゃないよな。雪原」
「えっ、えと、暴力とは、違うと思う」
頰を指で掻きながら、首だけ振り返って言うナツキに、雪原は焦りながら返答した。
「てめえっ、黒木野ぉっ!」佐浦は完全に我を忘れた様子で、ナツキを睨め付ける。
「佐浦、私、喧嘩とかしたいわけじゃないんだ。暴力とか振るうの、駄目だと思うしさ。まあ、ここは、佐浦も悪かったって事で、納めてくれないかな」
ナツキの態度に、益々佐浦の怒りが増していく。
佐浦は素早く身を屈め、レスリングのタックルのように低い姿勢で飛びついてきた。
対してナツキは、傍にあった机を自分と佐浦の間にグイッと引っ張り、佐浦のタックルを遮る。そして、雪原の腰を抱きながら、彼女と共に数歩退がった。
佐浦のタックルは机にぶち当たり、勢いで倒れた机が、朝の教室には不似合いな大きな音を立てた。周りで傍観していた生徒たちもその音を合図に、金切り声を上げて逃げ出す。
佐浦は机に当たった右肘を庇いながらも、ナツキに怒りを込めた視線を向ける。その形相は、さながら檻の中から襲いかかろうとしてくる動物園の熊だ。いや、むしろ熊の方が、幾らか愛嬌があるかもしれない。
「よし、逃げるぞ」
ナツキは雪原に声を掛け、返事も聞かずに手を繋いで逃げ出した。後ろの扉から教室を出て、廊下を駆ける。
佐浦に追いつかれたらまずいなあとナツキは心配していたが、意外にも雪原の脚は速く、仲良く逃げ回っているうちに佐浦は数人の教師たちの手で取り押さえられた。
その後ナツキは雪原と一緒に、渡り廊下で担任教師から事情を訊かれた。経緯を正直に話したところ、別段叱られることはなかったが、担任は頭を抱えていた。
多分、彼女の脳裏には頭痛の種である佐浦の顔が浮かんでいる。慢性頭痛にならない事を祈りつつ、二人は教室へと戻っていく。
「黒木野さん……救かった。ありがとう」
「ん、どういたしまして」
教室に入る直前、雪原はぺこりと頭を下げて礼を言う。ナツキは、少し照れていた。改まって礼を言われる事に、慣れていなかったからだ。
その日、授業が始まった時には佐浦の姿はなかった。どうやら、体調を崩した、と言って早退したらしい。間違いなく仮病だろう。
担任教師は愁眉を開いたような様子で授業を進めている。担任としてその態度はどうなんだと思うが、気持ちはわからないでもないナツキだった。
二時間目の授業が終わり、長い業間休みに入ると、ナツキの席に雪原が近寄ってきた。彼女はどこか、妙に緊張しているように見えた。
「あの、黒木野さん、一緒に、遊ばない?」
言葉をひとつひとつ区切りながら話しかけてくる雪原。彼女にこんな風に誘われたのは初めてだった。
雪原は大抵、休み時間には本を読んだり絵を描いたりしている事が多い。別に一々観察したことはないが、ナツキは何となく把握していた。
「いいよ。じゃあ、お絵描きでもするか?」
お絵描きだなんて、なんか女の子っぽいな、と僅かに気恥ずかしくなる。しかし、雪原は頷かなかった。
「別に、私に合わせてくれなくていいよ。黒木野さんは、いつも何して遊んでるの?」
「私は、ドッジボールとか、鬼ごっことか」
グラウンドに出れば、若いスポーツマンの教師が主導して、そういう遊びをしているグループがいる。
クラスはおろか学年もバラバラだったりするが、声をかければ仲間に入れてくれるので、ナツキはよくそのグループに参加して遊んでいた。
「じゃあ私も、たまには外で遊びたいかな」
「わかった。じゃあ行こうか」
そのグループには、ナツキも含めて常連みたいな子はいるけれど、メンバーは固定されていない。雪原が参加したいと言っても、拒まれることはないだろう。
下駄箱で靴を履き替え、外に飛び出す。照りつける太陽の眩ゆい光が瞳に入って、微かに痛みを感じた。
グラウンドの中央あたりで、ゴムボールを持った教師が子供たちに囲まれている。今日はドッジボールをするらしい。
適当にチーム分けをして、ゲームが始まった。
内野に入った雪原は、きゃあきゃあとはしゃぎながら逃げ回っている。なんだか可笑しくて、可愛らしいその光景に、ナツキの口角が少しだけ上がった。
示し合わせもせずに、放課後は、二人で下校した。言葉にして確認したわけではないが、二人は既に、友人になっていた。
ナツキは、然程内気な性格ではない。しかし、これまで特定の友人と付き合うということをしてこなかった。
放課後には祖母との空手の稽古がある。クラスメイトたちから遊びに誘われても大抵断るので、やがて学外での交友に誘われることはなくなったのだ。
その事に関して、彼女自身に不満はもちろん、不安もなかった。そもそも空手の稽古は、誰かに強制されて行なっているのではない。強くなりたいという想いを胸に、自分で決めた事だ。
ナツキの母などは子供の頃から社交的で、自身は友人も多かったゆえか、娘が友達のひとりも家に連れてこない事に幾許かの心配を寄せたりもしたが、結局今では、そういう子供もいるだろうと、娘の個性として納得している。
そんなナツキが友人と連れ立って帰るのは、とても珍しいことだった。もしかしたら、初めてといってもいいのかもしれない。
雪原は頭が良く、本をよく読んでいるだけあって、話題も豊富だった。物静かな文学少女という印象だったが、存外お喋り好きな様子だ。
「黒木野さんって、家では普段なにしてる?」何気なく、雪原が訊いた。
偽わる必要もないだろうと、「空手かな」とナツキは答える。
「空手? 道場とかに通ってるの?」
「通ってるっていうか、家の敷地内に道場があるんだ。そこで、うちのおばあちゃんに教えてもらってる。生徒は私ひとりだけど」
雪原は、「まあ、おばあさんに?」と軽く驚いたあと、逡巡するように数刻黙った。
そして、遠慮がちに口を開くと、「私も、空手教えてもらえないかな。黒木野さんのおばあさんに」と言った。
友達と一緒に空手を習うって、良いな、それ、と俄かに心を踊らせるナツキだったが、冷静な頭の片隅では、友達になったからって無理矢理空手の稽古に付き合ってもらうのは、よくないんじゃないかと考えていた。
「別に、私に合わせてくれなくていいよ」
奇しくも、今日の休み時間に雪原が言ったのと全く同じ言葉で、ナツキは応えた。折角できた友達に、無理をしてまで合わせて欲しくはない。
友達だからって、放課後までずっと一緒にいる必要はないと伝えると、雪原は少し困ったような笑顔を見せて、「違うの」と否定した。
「合わせてるわけじゃないよ。ただ、私も武道とかには、前から興味があったんだ」
聞けば、雪原の家では祖父も父も兄も、男連中はみんな剣道をやっているらしい。
雪原自身も、ひとつ上の兄が通っている少年剣道場で、見学だけはしたことがある。しかし、その道場には女子の門下生がひとりもいなかった。
男子しかいない中で、自分だけ女の子という状況で竹刀を振るうのは、彼女にはちょっと怖くて、二の足を踏んでしまったそうだ。
「だから、黒木野さんと二人でだったら、私にも武道、できるかなって思って」
「ふーん」
気のないような返事をしたナツキだったが、内心ではとても喜んでいた。やはり、仲間が出来るのは嬉しいのだ。
とりあえず祖母に紹介するからと、ナツキは雪原を家に誘った。ナツキの家は、マンション暮らしの雪原の目には珍しく映る、純和風建築だった。
白い築地塀を回り込み、昔ながらの数寄屋門をくぐると、平屋建ての母屋の隣に、立派な武道場があるのが見える。
門から母屋へと続く石畳の道を、ナツキの後ろについて歩く途中、雪原は庭に聳え立つ大きな木が気になって、ふと足を止めた。
天に向かって真っ直ぐに伸びた大樹を見上げると、深緑の葉が青々と繁っている。不意にそよいだ風が小枝を揺らして、葉がさらさらとざわめいた。
そんな筈もないだろうが、雪原は、この木に自分が歓迎されているように感じた。
「なにしてんの雪原、こっちおいでよ」
「あっ、うん」
母屋の引き扉を開けて待っているナツキに呼ばれて、雪原は石畳の道を駆けた。