タグは保険です。途中で力尽きました。

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アンドロイドにカリカリ

今ここに在る事を後悔したことはない。

こんなにも歪んだ世界でその歪みに飛び込むと決めたのは私だから。

その歪みに噛み砕かれて死んで行くのも覚悟している。

戦友たちがそうであったように自分の番をぼんやりと待っていた。

ただそれだけだったのだ。

 

だけれども。こんなのは聞いていないし。

 

想定もしていなさすぎてキャパシティを超えている。

 

どうしてこうなった。

 

 

 

 

私は死にたいと思って此処に志願した。

何となく早めに死にたいな、みたいな感じで。

 

17歳の夏だった、と思う。

そもそもランドセルを背負っていた頃から友人の一人が軍属の家系で子供向けのスカウトによく共に参加していたから、別段おかしいことではないのかもしれない。

まあ、学生の時点で優秀な軍人の片鱗を見せていた友人のように士官科がある高等学校に進むわけでもなく、一般の高校生をやっていたから、周りからすると奇妙なものに写っただろうと思う。

しかも所属は簿記会計を扱う会計科で部活はほぼ亡霊しかいない写真部。

活動らしい活動といえば月に一度ほどの撮影会もどきくらい。

インドアの極みだろうと言わんばかりの経歴である。

軍事教育がある大学に進学するならまだしも最低限の軍教育の専門学校にほぼ飛び込みで入学したから、面接の時履歴書を二度見されてしまった。

来るところ間違えてないかと3回ぐらい確認された。

うん。わかる。なぜならクラスメイトで軍関係に進んだ子達はほぼ裏方の支援部隊系の学校か士官を目指して士官課程がある大学に進学してったからね。

 

んふっふっふ。調べに抜かりはないのだよ。

軍関係の専門学校やら大学やらにも派閥やら毛色があって、軍に入るにあたっての最低限を叩き込んで速攻で戦場に叩き込み、篩にかけるようなところやら戦闘訓練やら戦術やら教養やらをめいいっぱい詰め込み少数精鋭をつくるところ、あとはお偉いさんの子息向けのところやら、あとは必要最低限の護身とあとは専門的なことを学ぶ支援部隊のところetc.....。

噂にしか聞いたことがないが完全なるスカウト制のところや密偵を作り出すところなんかもあるらしい。

 

それで、ここは放任主義型。そして戦場ぶっこみ率が高めなのだ。

入学もゆるいし卒業試験も出席日数さえ満たせば緩め。

私からすれば選ばないわけはなかった。

 

2年間はなんだかんだとても楽しかったんだと思う。2回くらいぶっ倒れたけど。

 

そして、望み通りに戦場に叩き込まれた。

 

なんだかんだ駆け抜けて今に至る。

 

無感動とかアンドロイドとか言われつつあるのがひそかな悩みである。

そんなに心がないように見えるのか。

たいへん遺憾の意です。

 

とは言いつつ死にそびれたなと頭を抱える日々。

デビュー戦()で同期がかなり間引かれてしまいその後はそれほど犠牲は出なくなった。

そのデビュー戦では、たしか何かの拍子にスイッチが入ってがむしゃらに戦っていた記憶がある。怖いとか殺せないとか新兵にありがちな忌避感とかも特になくとりあえず向かってくる敵と戦いまくった。

気がついたら輸送トラックに揺られてたというオチ。

 

このエピソードは思い出すたびになんだかもやっとする。

 

歩兵部隊への配属を希望して前線で走り回ったり、死に急ぎすぎるということで補給部隊に回された先でそんな時に限って奇襲を受けてみたり、変なおっさんに引き抜かれてストーカーandセクハラand虐待にあったり、そのせいでリスカ飛び降り服毒過剰服薬諸々やらかして保護観察されたり、補給部隊に呼び戻されたり、前線部隊にダッシュで逃げ込んだり。

 

いろいろありすぎじゃないかなぁ?

 

なんだか死にたくなってきたので電子煙草で一服。

ミントの香りを胸いっぱいに吸い込み、キリリとした味も楽しみながら水蒸気を吐き出した。

 

地味に美味いと思いつつ目を閉じて開けてみても忌々しい書類はそのまま机の上に存在していた。

やっぱり現実か。

何度でも言いたい。どうしてこうなった。

 

なしてバディ制度の指令書が来てるんですかね?

 

この軍には上級士官学校を卒業したり、その他大学を卒業して軍に入隊希望を出したりだとかしたいわゆる『ひよこ(たくさん金かかってるからすぐ死ぬと困るorコネ的な意味で死ぬと困る)』とそこそこのベテランで2人1組を作り、3年間寝食や任務を共にするという制度がある。

でもこれは大体コネがあるやつ(優秀とは言ってない)とかエリート(な家系。実力はそこそこ)、その他エリート(人間卒業)が選ばれるもの。

昔は人手が足りな過ぎて必要な制度だったらしいけれど今となっては完全に初志を忘れた制度だ。

そもそもそんな優秀というか貴重な新人はぶっ込まれないし。

単にコネ作りとか、箔をつけるとか、パワーゲームの一部とかそんな感じだから私たち一般兵はほとんど関係ないのだけど。

 

僕みたいな一般家庭出身かつ凡庸な死に損ないアンドロイドもどきに無茶言うな。

 

ワンチャン指令書に違う名前でも書いていやしないかと目を通すも間違いなく名前があることを堪忍してしまい、ダメージを受けただけだった。

 

しんどいわー。コミュ障になんて苦行をもたらすんだ。

あーでも私と組むひよこさんは学校での軍略の評価高いみたいだから前線には行かなさそうだし大丈夫か…?

 

 

銃声。

怒号。

悲鳴。

爆発音。

 

 

 

 

 

で。なして私はひよこさんと戦場のど真ん中にいるんですかねええ。

 

銃弾が!飛び交って!

 

銃声が!悲鳴が!

 

な感じの戦場ですよおおお。

あー久しぶりな感じって思うあたり感覚が麻痺しているけれど、ここは前線からそこそこ離れてたはずなんだよね。電撃戦でも食らったの??

 

ま!しょうがないね!仮拠点が戦場になっちゃったからね!!!

 

「なんだこれ…」

 

しかも、一緒にいたお偉いさんは速攻で逃げる組と殺された組に分かれてしまったのでただいま隠れながらほかの味方への合流を目標に動いていたが無理そうだ。

 

この拠点は放棄かなぁ。

 

「ここはもう放棄…だな」

 

あはは。思わぬ意見の一致を見たね。

にしてもこのひよこさん、このぼんぼんにはみえない落ち着きといい、私の対する丁寧な接し方といい、あんまり遭遇したことの無いタイプと見た。まあ情報少なすぎてよく分からんのだけど。

まあ出会って15分やそこらで拠点くんが襲撃をくらったからちかたないね。

そういやこの子の名前知らんし、自己紹介すらまだだった。

もしかしたらお偉いさんの長々しくてありがたく聞かなきゃならんお話で言ってたかもしれないけど。

まあ拠点で変な気配を感じたら警戒もするよね。ちかたないね。

撤退に使えそうなルートとか考え出しちゃうよ。

さり気なく部屋の扉の方に意識を向けていたら、爆発音とともに吹っ飛んだのはたまげた。次いで何丁持ってるのか銃弾の雨あられ。

そして、今更「敵襲!」とか、騒ぎ踊るお偉いさんに任命式(笑)をしていた会議室は任せてさっさと窓から逃げ去った。

もちろんひよこさん付きで。

 

手を引いた時もしかしたら振り払われるかなとも過ぎったけれど彼はすんなりと着いてきてくれた。

流石に驚いたのか目をぱちくりする彼には悪かったと思うけれど引っ張りながら疾走し、備蓄庫の一つにて今一息ついた。

 

中には野戦装備やら食料や飲料もあったので幾つか拝借することにし、疲れた様子のひよこさんに水を渡した。

 

私は微妙な味の携行食を適当に水で流し込み、喉がしんどそうなひよこさんが少しずつ水で喉を潤していくのをなんとなしに見ていた。

どうすんべな、なんて訳が分からなさすぎてやけくそになりたい気持ちを抑えつつ、脱出の方法を考えながら。

 

整った顔つき。

やや痩せ型で、背は高い。

卒業したてで真新しい軍服。

常に口元はやや笑っているような形。

細いフレームの眼鏡。

 

何となくではあるが年下もしくは同い年なのではと思った。

声はやや低め。よく通りそうだ。

声に出した方がまとまりやすいのか先程からぶつぶつとなんか言ってる。

 

闇雲に突っ走ってもなぁ、と背嚢に適当に物資を詰めつつ、ひよこさんの考えがまとまるのを待った。

そう言えば勢いできてしまったが、この子をなんと呼べばいいのだろう。しかも見た目的にひよこなんて可愛い見た目してない。

どちらかというと背後に鷹とか蛇とか見えそう。うーん?どう足掻いてもハンター系だぁ。

手を動かしつつもそんな考えに行き当たってしまった。

最も相手は書類とかで私のブロフィール位は知らされてそうだけどね。

 

その後楽しそうに作戦を私に説明した新人さんの作戦に従い僕らは見事に生還した。

 

報告書とか書かされてるけどいまいち覚えてないからどうしたものかと突っ伏した。

 

何しろ頭の中は大荒れで、

誰だよ!前線には行かなさそうとか言った奴!

私だよくっしょー!!

私は死んでもいいけど!!

このひよこさんは!

生きて返さんとやばい!!!

いいとこの坊ちゃんだったら前の隊の皆とかにも被害がいきそうだもの!!ヤメテー!!!

 

みたいな感じだったから。

 

まじで指示に従って動いてたらいつの間にか何とかなってたのだ。

 

ひよこさんすげえ。有能すぎるやろ。

 

あ、ひよこさんとか言いつつちゃんと名前聞いたんよ。

 

佐倉京司(さくらけいし)。それが彼の名前。

渡されたプロフィールによると冬生まれの22歳。AB型。男性。

軍関係者なら知らない者はいないであろう程の名門の佐倉家の、いわばまじもんのおぼっちゃま。三男坊らしい。

この春都大学軍学部を卒業し、つい先日配属。専攻は戦術、戦略とかなんやら。

配属先にて拠点襲撃を受け、撃退したのが初陣。

 

笑いつつ「俺のことは京と呼ぶように」と階級が私より高い彼に言われたため京さんと呼んでいる。

めんどくさいからほかの人の前では佐倉少佐と呼ぶが。笑顔で凄まれても無理なものは無理だ。

 

私のバディこと佐倉少佐はいつも笑みを浮かべている。

そして、戦術なんかの頭を使うものに滅法強くほぼ無敗。

しかし同時に考え込むと近くで戦闘が始まっても気が付かなくなるほど集中してしまうため、ボディーガードは必須かもしれない。

何度失礼を承知で腕を引き時には抱えあげ背負い退避したことだろう。

彼がその辺寛容で良かった。

でなければ今頃社会的にも物理的にも私の首は無事ではあるまい。

 

少佐は私を何故かよく猫のように扱う。この間など猫と呼び頭を撫でてほわほわ笑っていた。しばらくKitty呼びだし。うへぇ。

彼の脳は優秀だがどこかに致命的なバグがあるのかもしれない。

 

なんで私と組むことになってるんだろね。

わけわからん。

 

少佐はそのカリスマと見事な手腕で任された部隊の面々をあっという間に手懐けた。

そして、この不安定な情勢で外交にも赴き双方にとって有益な条約を結んだり、敵国との戦争において前線の指揮を取り何やら勲章を貰ったりしていた。

 

バディ制度だから私はずっと隣や一歩後ろにいた。

でもこれは私要らないと思う。

本来あるべき指導とか全く出来ないし。

だって教えることないしむしろ教わる側だから。護衛くらいしか出来てない。

少佐はいつの間にか大佐になっていて、あと少しで3年間が終わる。

 

あと、すこし。

 

大佐と過ごした日々は悪くなかったと思う。

 

でも、もうすこしでおわり。

また前線組に再編かなぁ。

 

なんて。思ったからいけなかったのかもしれないね。

大佐を狙う銃口に気付いたのは偶然、気付けてよかった。

不敬を承知で飛びかかり頭を抱くように抱きついた。

驚いた大佐が目を丸くしていたのが見えた。

銃声が3発。1発は防弾チョッキで受けることが出来たようで金属の棒で殴られたような衝撃で済んだ。

残りは左大腿部に焼けるような熱と遅れて痛みをもたらした。

残り3人の護衛が即座に反応し、不届き者を拘束し通信機で応援を呼んだ。

 

どうやら少しの間気を失っていたらしい。

 

ぎゅうと止血のためか左足を強く圧迫される痛みで意識が少しはっきりした。

勢い余って大佐を床に押し倒してしまったけれど、怪我がないみたいでよかった。

急速に血が体から出ていっているのだろう。

力が抜けるし、寒い。

大佐と護衛についていた仲間が応急処置をしてくれているらしい。

 

べつにいいのにな。

私は死にたくて軍に入ったんだもの。

 

私は疲れてしまったからゆっくり眠りたいんだよ。

だからそんなに苦しそうな顔をしないで。

そんなに辛そうな声で呼ばないで。

答える力ももうの残ってなくて目を開けているのもやっとなんだから。

 

悔いなんてないはずなのにな。

 

もう、京さんが分かりにくく落ち込んでいても軽食を作ったり紅茶を入れることは出来ないのは寂しいかもしれない。

暑さに弱くて夏は特に気をつけないと体調を崩したり、ストレスをためるとすぐにご飯を食べなくなるから心配かもしれない。

 

……悪くない死に方のはずなんだけど。

 

なんでだろう。今は起きていたい。

 

あとすこしだけ、すこしでいいから。

 

でもまぶたが重くて。

 

仲間達と大佐の声を聞きながら意識を飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから何やかんやで病棟に担ぎ込まれたらしい私は生きてた。

まさか一週間も眠り続けるとは思わなかった。

なんか傷そのものは致命的なものではなかったらしいんだけれど、出血が酷かったんだって。

あとは三徹明けでめっちゃ体力が落ちてたから肺炎起こしたらしい。

我ながらよくぞ生きていたと思う。

軍医殿にめっっっちゃ叱られた。

ニコニコしてるのに目が笑ってなくてこあかった。

思わず素直に謝りまくったよね。

 

 

それから面会謝絶はとけたけれどしばらくベットの住人になることは確定事項らしい。

言いつけ通りに安静にしていられたのも5日までだった。

だいぶ回復して薬とか熱とかでボケてた思考が戻ってきて2週間近くも過ぎてたことに飛び上がった。

もはや気になって気になって眠れなくなりそうなレベルで仕事が心配なんじゃー!!!とごねたら書類仕事の許可貰えたけど。

これはーあかんー!

私のパソコンがーきっとパンクしちゃうー!ペーパーレスで減らしてある書類でさえ溜まってタワーになってるよぉー!

やばいんじゃあー!!やばいんじゃー!!!

 

なんて真顔で喚きつつ愉快な部隊の面々に運んでもらって軍医殿のストップまで捌いてた。まあ思ったよりだいぶ少なかったけれど体力がガタ落ちしてたから、休み休み3日かけて一通り片付けたけど発熱して絶対安静が一週間延びた。大佐と軍医殿の過保護で。

 

かーなしーみのーうみーにぃーおぼーれるぅー。

(*゚∀゚)あひゃww

 

 

でね?命に関わる様なものではなかったけど、軍人としては致命的なものだった。

 

私はもう走れないらしい。

なんか当たりどころが悪かったんだってさ。

リハビリである程度は戻るけれど杖を補助に歩く程度にまでしか戻らない可能性が高いんだって。

 

一応事務方とか後方支援とかで残ることも出来るからゆっくり考えてねと気遣わしげに軍医殿は締めくくり、また来るよと部屋を後にした。

 

はえーこりゃどーしましょ。

もはやショック過ぎて頭がほぼ真っ白ですわぁ。

ごろごろ転げ回りたいような感じがする。

点滴で無理だけど。

 

え、まじで?まじなの??とワンチャン聞いて見たかったが声のトーン、表情共にガチのようだった。ドッキリの可能性は絶望的。

おわた。

 

んー退役して…死ぬか☆

ほとぼりが覚めた頃に!

 

よし。そんな感じのプランで行こう!

 

こうなれば戸惑いつつも受け入れる姿勢を見せつつ、やんわりと退役の意思を見せてフェードアウトが理想だな。

 

にしても、病室ってこんなにも寂しい感じだっけ??

弱ってるから??

 

痛み止めがよく効いているせいか意識を眠気に食われたため、疑問は有耶無耶になってしまった。

 

 

 

そうして無事に入院生活を卒業した私はリタイアを希望したのだが、何故かまだ軍属である。

リハビリがしんどいです…。

よく分からんが提出した書類はどこかで握りつぶされどこかからの圧力で私の意思はガン無視で配属が決まったためだ。

だから今日も今日とて杖に縋りつつ、難儀しながら上官について行く日々だ。

勘弁して欲しいと願ったが叶いそうにない。

 

若干足を引きずりつつ歩く私に向かって大佐が微笑んだ。

なんだか顔が良すぎて無性にイラッとした。

 

殴りたい。殴れないけどね。

身体的な意味と社会的な意味で。

大人になってから転ぶのっていろいろな意味で痛いんだよ…?

 

 

 

業務は前から似たようなことをしていたこともありそこそこやれている。

問題は前線に行けなくなったこと。

そして、無理やり大佐について行っても大佐と一緒に護衛されてしまう。

 

つまり死ねるチャンスがかなり減ってしまったことにある。

ああもう!なんでこないだの時に生き残っちゃったのかなあ!!

うぅぅ……無理生きてるのしんどいマジ無理。

疲れたまじ永眠したい。

もう世界があせてモノクロにしか見えないよ…

しんどすぎてリスカしそう。

……周りの人間に知られると面倒だからやった事ないしやるつもりもないけれど衝動がない訳では無い!

これも面倒だから誰にも言えないんだけどね!

そのせいかここのところ常に頭の中はそれで占められていてうっかり零れてしまったのかもしれない。

でもわざわざ大佐の隣のときでなくてもいいと思うんだよね。

 

「なぁこの報告書なんだが、すこ」

「…しにたーい。リスカしたい…」

「っ?!」

「えっ…あ!なんでもな」

「ないわけないな」

 

へたこいたー!!!!

ただでさえ私が撃たれてから過保護になってしまったというのにこれはやばい。

あっ真顔だ…怖い。

そろーっと逃げようとするも即座に距離を詰められて腕を掴まれてしまえば振り払うことも出来ない。上官だし筋力落ちているし…。

くそう、大佐のくせにいい。あ、ごめんなさい!痛い痛い。力強すぎでしょこの人。

頭脳労働派のくせに力強すぎぃぃ。

 

 

「どこへ行く気だ」

「ちょ痛い痛い痛い痛いです」

「おっとごめんな。でも逃げる気だっただろう?」

「逃げませんからぁ!」

 

腕をへし折られそうな予感に涙目になりつつした懇願が届いたのか大佐は逃げるなよ、と前置きして腕を離してくれた。

じんじんする腕を摩りたいが杖のせいで摩れずふらふらと揺らすに留まった。

 

「京さん痛いです」

「すまんて。驚いて力がこもってしまった」

「すみません。なんでもないので忘れてく」

「なんでもない訳が無いだろう」

 

ですよねー(σ'∀')σ

 

お願いだから誤魔化されておくれ。

ここで勘づかれるといろいろ面倒なんだよ!

 

「いやぁ疲れたんでしょうかね。なんとなしにぽろっと口から出てしまって。私も驚いているくらいです」

「……そうか。話せないか」

「えっ大佐?」

「ならこちらもこうしよう」

「た…京さん?」

「やはり猫には鈴をつけた方が良いのか…今治」

「はっ」

 

ちょ、今治くーん!!?なして僕を持ち上げるの?!!君護衛なんだから両腕塞がるようなことしちゃだめでしょぉ??!

僕だって軍人だから少し痩せたとはいえけして軽くはないのにそんなひょいっと子供抱っこしないでえええ!!?!

 

「久遠。大人しくしていろ」

 

びっくりして暴れようとするも大佐の声が鼓膜を揺らし、身体に込めた力が抜けてしまった。

その声で言うのは卑怯だ。命令を下す時の声でしかも目を見て言われたら従ってしまうに決まっている。しかも顔がいいし声もいい。

うぐぐ。ちょっとときめいたぞこのクソ大佐ぁ!

 

今治君に抱えられて移動しているため、くつくつと控えめな笑いが伝わってくる。

てかよぉ!!おいてめー笑ってんじゃねーぞ!!今治君よぉ!!模擬演習で闇討ちすんぞ((`△´))ゴルァ!

なんて。内心少しイラついているとそう機嫌を損ねるなと優しい声が降ってきて肩をぽんぽんと撫でられる。

それに少し気を良くしたことに気付いた大佐がそのまま佐倉京司大佐率いる隊の所属の証であるお揃いのピアスを軽くくすぐり、頬を撫でたりと優しく触れてきた。

 

「んぬぬ」

「久遠」

「僕はほだされませんん…っ」

「本当ににゃんこみたいですねぇ」

「だろ?」

 

こんなんで機嫌がよくなったりなんか…してるけど歩きながらとかあんたら器用ですねえ。

しかも軍基地内だから普通に他の隊とかの兵士の目とかありますよ。

みんな見て見ぬふり貫いてるけど。

ここにも階級主義上下関係絶対主義極まれりだけども。

 

なんかもうどうにでもなーれ★な気分な僕はいつの間にか医務室のベッドに下ろされた。

 

そんで軍医殿にもやたら親愛のこもったスキンシップされつつカウンセリング(?)みたいなことされたんですが……なにこれ。

 

んん。どうしちゃったんだろう僕。

あなたこんなにスキンシップ過多でしたっけえ。なんかほんわりするけど。

 

 

んでね。僕なんだけども。

どうやら愛猫体質になってるらしいんですよ。

どーゆー事ぉぉー。

僕の家系にはいないみたいだったからそんなことありえないと思ってた。

けれど祖先からの隔世遺伝という形で発現することもあるんだと。

ウッソだろ。

生活上大したことは無いけど、この体質を持つものは愛されないと体調を崩し、最悪死ぬ。

招き猫的な効果でもあるのか住む土地を栄えさせるとも言われていて、スキンシップを好み、見目麗しいため、めっちゃ愛されて幸せな場合もあれば闇オークションにかけられてる時もあるとか。

二極化半端ない。

愛猫体質と呼ばれるのはこの性質を持つ者はどこか猫のような印象を受けるからそう言われてるんだって。くそか。

だから僕は現在進行形でスキンシップが心地よくてたまらないのか。前はそんなに好きじゃなかったのに。

納得。

なんか死にかけて強く性質が出たんじゃないかと軍医殿は言ってた。

oh.....。

僕は顔面偏差値平均ギリギリくらいなんですけど。無骨な軍人なんですけども。

 

『愛猫体質Happy Life!』

 

というパンフをくれた。なにこのリア充醸し出す感じ。

 

「安心出来るパートナーをつくろう」

 

「1日3回はハグをしよう」

 

「だっこは恥ずかしくない〜愛される幸せ〜」

 

「もっと撫でて!愛猫さんの撫で方」

 

 

 

ぱらぱらっと読んだだけの非常に緩くポップな紙っぺらの癖になかなか精神にクる。

 

なあにこれ。僕もこの世界の住人にならんといけないの??

可愛い子とか美人さんなら絵になると思うけどさ。あっキツめの美人さんもきっと美味しいやつぅ。

……なしてしにたがりのぼくなんですかねぇぇぇ。

 

眠いなら寝てていいよとリクライニングチェア的なものに体をあずけ目を閉じ軍医殿の声を聞いていた。

 

うとうとしたかな、位から記憶が飛び目覚めたら大佐の腕の中だった。

驚いたけれど耳をくすぐるようにピアスに触れてから髪を梳くように撫でられたのが気持ちよくてもっとと強請るように頭をぐりぐりと擦り付けた。

ごろごろと形容するのが正しいような音が喉のあたりから出ていてまじで猫みたいだと思った。

でもそんなことが気にならなくなるくらい幸せを感じている。

気持ちよくてあったかい。

いい子だって言われるのがすごく心に響く。

 

愛猫体質ってこんな感じなんだ。

 

 

 

 

 

そんなこんなで死にたがりの僕は何やかんやで今日も生きている。

 

「久遠」

「はいどうぞ。今日はリラックス効果のあるハーブティーにしてみました」

「ああ、ありがとう。あの件なんだが」

「備品の補充の予算案でしたら可能と担当者に確認が取れました」

「ああ。あいつか」

「ええ。彼はなかなかやり手のようです」

 

「京司。入るぞ」

「…祥吾か。返事をしてから開けろと言っただろう」

「すまんすまん。気をつける」

「全くお前は。で、何かあるんだろう?」

 

なんて上官のお茶くみ兼雑談相手をしていたら、ノックとほぼ同時に扉が開いて大佐のご友人らしい風見祥吾中佐が入ってきた。

片手に書類が入っているらしきファイルを持っているので何か気になる案件でもあるのだろうか。

関係がありそうな事柄を頭の中でいくつかピックアップしつつ、備え付けの簡易キッチンに引っ込んだ。

 

来客用のティーカップを温め、紅茶を淹れる。

ふわといい香りが鼻をくすぐるのに思わず頬が緩む。

よし。これでよし。

小さめのワゴンにティーカップやティースプーン、お茶菓子、シュガーポット、ミルクジャー達を乗せてゆっくりと押していく。

コケたら洒落にならないから。

 

よいしょよいしょと押してゆくと二人は簡単な応接スペースのような感じになっているソファに座ってなにやら話していた。

 

「お茶をお淹れしました」

「久遠。ありがとう」

「おお、すまんな。にゃんこ殿」

「可愛いだろう。私のにゃんこだ」

「惚気がひどいぞ」

 

oh......私は一体何をしてしまったんだろう。

お茶を入れてきただけなのにこの仕打ち。

 

「…風見中佐。こちらをどうぞ」

「まて。そこまでこいつにする必要は無い。こっちに来なさい」

「っしかし」

「おい。祥吾自分で運べ」

「おー。ありがとなぁ。俺が紅茶好きなの覚えててくれたんかぁ」

 

……これですよ。ワゴンからサーブしようとしたら大佐に手を引かれ逆らえずにソファに座っているの彼の膝の上に着地。慌てるも左手でさりげなくホールドされているこの状況。そして蔑ろにされた中佐は気にもしておらず、ティーカップとお茶菓子をテーブルに引き寄せ、早速香りを楽しんでいる。

なぁにこれ。

 

「久遠」

 

ぼけっとしていると命令で伸ばし始めた髪を弄びつつ癖なのか私のピアスをいじる大佐。

撫でられると悲しいことに大抵のことはどうでも良くなる僕はどうにでもなーれとばかりにくてんと京さんに寄りかかった。

 

頬や顎をうりうりされるとごろごろと喉がなる。なでなでに勝てないっ…。

 

「うー、けいさ…。ねむくなっちゃ…かりゃ…やぁ」

「ん。寝るといい」

「らめ…しごと」

「おお…噂はマジだったのか」

「可愛いだろう…やらんがな」

「おお怖。まさかお前さんがこうもでろ甘になるとはなあ」

 

覚えているのはそれまでで僕は眠気に負けたのだった。悲しいね。

 

 

 

ふ、と目が覚めた。

密やかな大好きな声と誰かの声。

楽しそう。

軽く身じろげばこしょこしょと前髪をくすぐり、さらさらと撫でてくれる大好きな手。

うとうと。

近づいてくる気配。

知らない。だれ。

 

けーさんに近づかないで!

 

 

「ふふ。すごいだろう」

「たまげたな。結界術か」

「無意識に使っているようで当人に自覚はないがなかなかのものだぞ」

「いいなぁ。可愛くて優秀でこんなにも懐いてくれる子が俺にもいないかなぁ」

「俺のだからな」

「はいはい。ごちそうさまごちそうさま」

 

ん。この足音は今治くんだ。

んん?鼠でもいた??

さっき変な音がしたし。

 

ややしてノック音。

「今治です」

「入っていいぞ」

「失礼します」

「何かあったか」

「ええ。先程東雲秘書官の結界に阻まれた暗殺者と見られる者を捕らえました。現在地下牢にて拘束しておりますが如何しましょう」

「情報を吐かせろ。多少荒くても構わんと伝えてくれ」

「はっ。失礼します」

「おーよく手懐けたなぁ。『狂犬』の今治だろ?今のやつ」

「…祥吾。お前でも許さんぞ」

 

けーさん?怒ってる?

僕何かした?

僕のせいなの?

ぼく、いらない?

 

「…なさぃ」

 

ごめんなさい。すてないで。

 

「侮辱する意図はなかったが謝る。すまん」

「全く……久遠?おいっ」

「……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ッ」

「…えっ」

「目を覚ませっ」

 

くるしいこわい。

こわい。

ないちゃだめだ。またたたかれる。

いらないって。なにもできないって。

みすてられる。

いたい。こわい。

いらない。

こんなぼくはいらないのに。

なんで。

できないの。

ないちゃだめなのに。

できない。

こわい。

ぼくできない。

もうしぬしかない。

しねばいいんだ。

らくにな

 

「久遠!!!」

「けー、さ?」

「久遠。呼吸を私に合わせろ」

 

できるだろう?そう、いい子だ。

ゆっくりだ。

 

目が覚めたらすごく息苦しくて訳が分からなくて。

溢れて制御できない気持ちが暴れているみたいだった。

両腕をさっと掴まれて振り払おうと暴れて京さんを蹴ってしまった。

こんなことしたい訳じゃないのに。

さあっと血の気が引いて、また息が苦しくなる。

なんだか苦しくて怖くて。

いやだ。と思う。

何が?

分からない。

目が霞む。

やらなくちゃ。ぼく。

意味がなくなっちゃう。

何をやるんだっけ。でもしなくちゃ。

でもこわい。もういやだ。

楽になりたい。

いなくなりたい。

しななくちゃ。きえなくちゃ。

 

「久遠。俺を見ろ」

 

けーさん。

 

「なんだ?」

 

けー、さん。ごめんなさい。

 

「よしよし、ゆっくり息をしような」

 

こわい。

 

「いい子だ。よく言えました」

 

ぎゅうっと抱きしめられて背中をぽんぽんと撫でられる。

伝わってくる熱があつくて鼓動の音が聞きたくて右耳を寄せた。

左耳。眉のあたり。目尻。前髪。頭頂部。うなじ。

確かめるように触れる手が優しくてその温かさにすがりたくて。

堪えようと思ったけれど緩くなった涙腺からほろほろとこぼれてしまった。

人前で泣くなんてという気持ちとそのせいで面倒くさいと思われたらと思うと涙を止めたいのに苦しくなるばかりで止まってくれない。

 

「こら、息つめない」

ほら手もこんなに強く握りしめない。

 

従いたくて必死に息をする。

ちゅ、ちゅ。とおでことほっぺたに親愛のキスをもらった。

愛されている、のかな?

そんなふうに思ったせいかそこからの回復は早かった。

 

 

……愛猫体質ってまじで僕と相性悪すぎないかな?

我に返ってみるとちょいちょい記憶が飛んでいるものの恥ずかしいことこの上ない。

やめてくださいしんでしまいます。

 

「びっくりしたなーそんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だぞー?」

「…この度はお見苦しいところをお見せしました……」

「祥吾見るんじゃない。久遠がへる」

 

そーなんですよ。大佐だけじゃなく中佐もいたんですよちくしょう。顔から火がでそう。

 

病み期に落ちた挙句ケアもとい誰得よっていうイチャコラもどきまで見られた…。

もういやだ。

ため息しか出ないよ……。

 

体調?イチャコラもどきのケアでだいぶ良くなりましたとも!!!

 

この部屋から逃げ出したいけれど走れないから捕まる未来しか見えない哀しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食も終えて月が登り始めた頃。

特別なことは何もしてないのに気疲れを覚えてベッド上で緩く丸まっていた。

嫌な気持ちの名残とケアの温かさとほんの少しのいたたまれなさ。

明日から二日部隊の休養日。

いっそこのまま寝てしまおうとふわふわの毛布に懐いていた。

ふわふわもこもこで気持ちいい。

そういえば「結界」が使えるようになったらしいんよな。僕。

これはいわゆる体質に近いもので使えるものは少ないと言われている。

ほとんどが先天性で遅くとも思春期頃には自覚するものらしく、僕のように成人してからのケースは珍しいらしい。

自分の周りを手の届く範囲ほどまでしか張れないものもいれば小規模な建物ならすっぽりと覆えてしまうものもいるらしい。

強度にも個人差があるらしくこれはわざわざ計ることも余りないので弱くとも銃弾を撃ち込まれたくらいでは壊れたりしない、くらいしかよく分かっていない。下ならまだしも上を見ればキリがない。砦に立てこもり援軍を待つ三日間大砲を何発打ち込まれても爆発物を仕掛けられても己の結界で全て防ぎきったエピソードで有名な総帥秘書官がいい例だ。

あとは共通として本人が味方と認識したものしか基本的に結界の中には入れない。

なんとも思っていないならまだしも苦手意識があったり、敵愾心を感じ取ったりするともはや絶望的に入れない。同じ隊でも、偉い人でも。

心理的なあれこれなため、本人にもどうにもならない不便なものでもある。

結界を目視は基本的に出来ないが、扱う本人は当然として結界を扱える者にはだいたい感覚でどの程度のものかくらいは解るらしい。

まぁ何かあればわかりやすいくらいわかりやすく見えるんだけども。

例えば結界の近くで埃とか毒を混ぜたりした小麦粉をぶちまけたりするとそこだけハッキリ弾かれるから一目瞭然だったり。

あとは石を投げてみると硬いものに当たったような音を立てて跳ね返ったりするから壁があるようなものだと説明されたりもする。

 

私はよくわからんけどね…。

昔は器用なものなら相性のいい物質に付加することもできたんだとか。

そんなんもはや伝説級で現在誰もいないけどね。

てか実在したのかすら怪しいという意見が多い。

 

まあ結界自体がよくわからんものっていうのもあるんだけど。

科学的に全くメカニズムも何もわかってないし。

まあ高官からすれば副官とか秘書に置いとけばステータスになるし単純に安全対策に使えるしでわりと重宝されているけれどね。

後は見た目でわかりやすくなってるのもある。

軍が結界を扱える者に大してある程度の特権を与える引き換えに男女問わず髪を伸ばすこと(結界の強度が上がったりするらしい)や、支給されるブローチを軍帽等のどこか見える場所に身につける事などを定めている。

おとりだァ!肉壁だぁ!と誰もが思うだろうが主立って誰も言わないし、本人達も特に何も無いようなのでここ数年ですっかり馴染んだものだ。何かあっても物理なら結界で防げてしまうし。

私もいつの間にか申請されていて小さいくせにやたら自己主張激しいブローチを制服の襟に付けている。なんか小さいとはいえ宝石っぽいのついてて怖い。

思わずイミテーションですよね?って持ってきてくれた服飾部門の人に聞いたら無言で微笑まれた。

違いますかそうですか…。

 

髪の毛?もともと少しなら縛れるくらいには伸びてたし特にこだわりもないから問題なし。

大抵邪魔くさいから後ろでひとつに括ってるけど。

誰得よ。これ。

 

ちなみにもっと目立てとばかりに服装に関してもゆるゆるで制服を改造したり、そもそも制服を来ていない者すらいる。他はわりとガチガチだからめちゃくちゃ目立つ。れっつ囮。階級高くなるとまた別なんだけどもね。

私にはそんな度胸もこだわりもないから普通に制服を着ている。ただでさえ歩き方といい杖といい目立つのにこれ以上目立ってたまるか。

 

部隊ごとにデザインの違うピアスと言いこの軍アクセサリー好きすぎくない?

 

 

 

 

 

好きで聴いているはずなのにどことなく気に触りイヤフォンを外してアプリを終了させた。

ちら、と端末のデジタル表示を見ればもう午前2時。

本格的に寝てしまおうと目を閉じた。

 

音楽を聴くのをやめたせいか、面倒くさいことにもやもやと心配事や過去の亡霊が五月蝿い。

耳には聞こえていないのに脳内でわんわんと反響して気が狂いそうだと思った。

 

ああ、ここまで心を乱してしまって今夜はもうなかなか眠れないだろう。

こみ上げてくる恐怖のせいで意味もなく流れる涙を流しつつ、自分を必死に押しとどめていた。

怖くて。寂くて。

心細くて。

 

なんだかとても怖くてあの人の声が聞きたくて端末に手を伸ばしそうになる。

助けを求めてしまいそうになる。

 

鼻がつんとして、自分の顔が歪むのがわかる。

今独りでいるのが怖くて、あの温もりを思い出したら目頭が熱くなって、止められなかった。

情けない声さえあげてしまいそうになって必死に声をこらえる。

 

 

弱い自分が辛くて仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣き疲れてぼんやりと虚空を見つめていた。

夜明けが近いのか月明かりすらない闇。

充てられた部屋は少し広いくらいで、圧迫感などないはずなのに酷く怖い場所に思えた。

まるで、檻みたいだ、と。

理性は夜明けの暗さと気分の沈み込みがそう見せているに過ぎないとしたり気に語ってみせるが、この嫌な感情は治まってくれそうにない。

 

泣きすぎたのか頭が痛い。

身動きした拍子に痛みが走り抜けた。

じくじくと疼く左足。

傷が塞がってもときどきこうして痛む。

弱い僕の弱い足。

杖がなければ歩けもしない約立たず。走ることすら出来ないゴミ。

 

なのに。捨てられたくないという気持ちがが消えてくれない。

諦めてしまえば楽なのに。

どうして。消えてくれないの。

 

僕、もう何も出来ないのに。

 

戦場を駆けることも。

あなたを護ることも。

 

もう、出来なくなってしまったのに。

 

ねえ、なんで僕を引き止めたの?

 

けいさん。

 

なんで。

 

僕はもう…使い物にならないのに。

 

結界だって全然わからない。

 

効率を考えるなら僕は切り捨てるべき駒なのに。

 

 

 

 

 

 

 

なんていう感傷も朝になってしまえば、なんてことないわけで。

 

あーねむ。くっそねむい。

 

「昨日は完全に闇堕ちしてたなぁ…」

 

現在午前7時。程よい喧騒に包まれる食堂は、いつもなら混み合うこの時間帯にも関わらず、私達の隊全体での休みのせいか空席が目立っていた。きっと皆思い思いにハメを外しているのだろう。

私といえばいつもの時間よりは遅く起きたものの、ほとんど眠った気がしない。

 

ずずず、とコーヒーを啜るも全く改善される感覚がない。辛い。

 

特に予定もいれておらず、日用品をいくつか補充するくらいしかやることも思いつかなかった。

ため息をついて、だるさにかまけて寝てしまおうと算段する。

 

ふとした瞬間にずくりと左足が痛んで、きっと雨が降るなと一人でごちた。

この調子では雨とともに気温も下がるだろう。

買い物は午前のうちに手早く済ませねばと脳内スケジュールに書き加えた。

 

そうして身支度を整え、杖をつきつつ基地近くにある商店街へ向かうために自室を後にした。

 

 

 

で、どうしてこうなったんだろ。

 

乱雑に揺れる車内。

煙草の煙。

隠しきれない硝煙の匂い。

重い手錠。

ぼんやりする頭。

上手く動かない身体。

変な薬っぽい匂い。

 

私、東雲久遠。誘拐された模様。

 

嘘だろおい。

 

現実ですありがとうございません。

有難くねえ。

 

やめてくれや。私に利用価値なんてないぞ。

情報は絶対吐かないし、人質としての魅力もない。

 

買い物してただけなんだけどなあ。

 

てくてく歩いてたらいきなり何かを嗅がされて気がついたらこうだもの。

何がなにやらまったく分からない。

目を開けていることに気づかれたせいかまたハンカチに染み込ませているらしい何かを嗅がされてしまった。

くわん、と揺れてそこからの記憶がほとんど無い。

 

うすらと意識があった気もするが怖いと思っていたと思う。

 

 

次に意識を取り戻した時にはどこかのベッドに寝かされていて、大佐や慣れた仲間たちの気配や声に安心したのを覚えている。

 

そうしてまた眠って、少しの時間意識を取り戻して、また眠りに着くようなことを繰り返している。

 

起きている時に受けた診察では疲れと使われた薬品の後遺症のようなものだろうと軍医殿に言われた。タチの悪いものだったんだって。

 

なぁにそれ。

 

やめてほしかった。

 

普通に仕事したいだけなのに。

 

ショックでほとほとと泣いてそれだけでも体力を使ったのかそのまま眠ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めると椅子に固定されていた。

見回すも天幕のようなものの中らしい。

気配を探るが全く知らないものばかり。

声も知らない声ばかり。

 

どうして。

 

なんで。

 

どうして。みんないないの。

 

けーさん。

 

いまばりくん。

 

つゆりくん。

 

 

 

 

 

ねえ、こたえて。

 

なんで。

 

だれもいないの。

 

 

拘束を解こうと藻掻くが筋力がすっかり落ちてしまったのか全く歯が立たない。

どうにもならなくて、涙が零れた。

泣きたくなんてないのに。

勝手に溢れて止まってくれない。

 

苦しい。

でもこの感覚はなんだろう。

 

息は出来ている。

心拍も体感的にはそうでも無い。

 

なにこれ。

いたいいたいいたい。

 

やめて。

 

 

 

 

次に目が覚めた時は知らない男が目の前にいて、私の事を人形、と呼んだ。

ぼうとしていると首輪に繋がる鎖を引っ張られた。

私は結界を発生させる人形なのだという。

故に意思は必要ないし、意識もなくて問題ない。ただ生きて結界を張ればいいと言われた。

 

よく分からなかった。

 

みんなは。けーさんは。

 

気になって。

 

聞きたかった。

 

でも聞けないから。せめて。

 

口だけでも反抗したかった。

 

僕だって軍人なんだ。

京さんの秘書官なんだ。

戦えなくてもそのくらいしたかった。

 

でも、声が出なかった。

 

首輪に私の結界の力を吸わせて機械でコントロールしているからだと聞きもしないのにペラペラと喋る男は私を数発蹴って去っていった。

 

ただ息をして、眠りに落とされて、意識を取り戻して、蹴られて、気を失って、水に沈められて、殴られて、気を失う。

 

そんな悪夢みたいな時間を僕はどれだけ過ごしたんだろう。

 

蹴られたのが左足で。

既に折れていたのに。

つよく蹴られて。

骨が。

飛び出し、て。

 

痛覚が鈍くなっていて。

今までは痛くなかった。

 

なのに。

 

いたい。

いたいいたいいたい。

 

けーさん。たすけて。

 

泣いた声は音にならなかった。

 

あれ。けーさん。て、だれ。

 

僕は記憶らしい記憶が思い出せないことに気づいた。

 

 

 

結局両足は骨折していて、左足は複雑骨折。手の指もいくつか折れていた。

死にかけたせいかどこかから呼ばれたらしい軍医らしい男に治療を受けた。なんか手術もしたんだって。

彼は本意ではないのか始終渋い顔をしていた。

でも彼は何故僕を撫でたのだろう。

 

なつかしいようなきがした。

 

あなたを僕はしっているの?

 

 

 

 

怪我から発熱し肺炎を誘発し生死の境を真面目にさまよった僕は弱いと今更思われたのか暴力に晒されなくなったし、衛生的な世話もなんだかきちんとされている。

足折れてるし動けないからありがたいようなイヤなような。

その代わりかは知らないけれどひたすら罵倒される。

約立たず。意味の無い存在。

 

わかっているよ。と呟きたかったが、残念ながら声によるコミュニケーションは僕にはのぞめないのだった。

 

そのあとなんか知らないけれど戦車の上に括りつけられている。

なんだろ。これ。

 

勝ち誇ったような笑い声。

よくよく僕を殴ったり蹴ったりしてきていたゴテゴテした軍服の男が隣であほみたいな笑い声で笑ってる。

変なの。

 

僕なんかを晒したって意味なんてないでしょーに。

 

うーん。なんだろな。

不思議な感じがする。

なつかしい?

なんだろ。あったかい?

 

うーん。なんか目の前の敵(?)の人達とっても怒ってないかな。

怒ってるね。

 

不思議なことに僕の力で作られた結界は彼らを阻むことなく、こっちの人間達はさっくり捕虜か肉塊か屍になった。

僕はといえば首輪も鎖も手枷も外されて、ボロ雑巾みたいになっている体に手厚い治療が施された。肋骨にもヒビが入ってたらしい。気づかなかったや。

あっれ?この前の軍医さんってここの所属なんだ。

その節は大変お世話になりました。

しかもなんかこれからもお世話になるみたい。よろしくお願いします。

 

殴られそうな感じがしないのをいいことに来る人来る人に渡されたタブレット端末のメモ帳機能で何故助けたの?と聞いてみると泣かれたり叱られたりするのでなんだろなと疑問は残るものの五人程で諦めた。

 

どーゆー事なんだろ。

 

んで僕が寝かされている白い部屋に1番多く訪れるのは白い人達なんだけど、この背の高い軍人さんもなかなか頻度が高い。

 

なんかお菓子とか花とかほぼ毎日持ってきてくれる。

 

なんでだろ。

ポチポチ打ち込んでなんで?って聞いたら一瞬泣きそうな顔が見えてすごく後悔した。

すぐに微笑まれて内緒だ、と言われてしまったけれど。

美人さんの泣きそうな顔ってすごく罪悪感がある。

でも、なんでだろ。あの人が悲しそうだとなんか辛いんだよね。

すごくすごく落ち着かないし。

わかんないなぁ。

 

 

平和な日々は回復してくると暇なもので。

未だにテーピングやらなんやらで保護はされているものの、折れてはいなかった両手の親指やら人差し指、右手の中指なんかを使ってちょこちょこと紐を編んでいる。

暇だろうからって軍医の人がくれた。組紐の材料。

なんとなしに手に取ったのは落ち着いた緋色。綺麗だな。

右手の人差し指でくるくるさせつつ、スルスルと弄んで。金。桜。緋。白。

うんうん。綺麗。

ちょんとつまんで引き寄せて。

一緒に置いて言ってくれた本は見なかったけれど、不思議と指は動き組み上げていった。

 

楽しくて夢中で組んでいて、昼食を運んできてくれた白い人に気づかず笑い混じりに叱られてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に出来た組紐はあの背の高い軍人さんにあげた。

はい、いつものお礼ってプレゼント。

そうしたらぽかん、としていたけれど、保護テープだらけの僕の手ごとそぉっと包み込んで下を向いてた。

温かい雫が手の上に落ちてきたけれど何も言えずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだろう。わからない。

 

本当に?

 

わからないよ。

 

嘘。

 

僕わかんない。

 

解ってるでしょう。

 

こわい、やだ。

 

うん。

 

でも。私はあの人のもの。いや、僕はあの人のそばに居たい。隣でなくとも…せめてそばに。

 

うん。

 

大佐。佐倉大佐。っ、けいさん。けーさん。

今治くん。五月七日くん。瀬波くん。玉置くん。姫路くん。

 

「…っ!」

 

思い出したよ。

 

こんなにも大切な人を。仲間たちを。

 

でも私、何も出来なくなっちゃったな。

 

あると思っていた記憶力すら当てにならなくなってしまった。

 

だって、思い出せない。

 

昨日軍医殿と話した詳しい内容は?

 

大佐はお見舞いに何を持ってきてくれた?

 

今日食事を持ってきてくれた隊員の顔は?

 

必死に辿っても欠片も掴めなくて愕然とした。

 

前は難なく覚えていられたのに。

 

確実に後遺症か何らかの病気で記憶力や思考力が落ちているのだ。

 

こんなんじゃサポートすらできない。

 

声も出ないし。

 

僕は自分で戦うどころか立てもしなくなってしまったのに。

 

頭まで信用出来なくなってしまった。

 

こわい。攫われてもろくな抵抗などできないし、情報を出してしまうかもしれない。

 

足でまといになってしまう。

 

今回の戦闘だってどれだけ、損害がでたのだろう。

 

 

答えはひとつしか出せなかった。

 

 

 

 

そのあと私は数日間、リハビリと称して組紐を編んだ。

 

青。黒。紫。緑。桃。水色。

 

んー。ヘロヘロになっちゃったりとかしたけれどまあまあ上手くできた。

 

渡したいけどもらってもあんまり嬉しくないかな…?

 

軍医の先生には今編んでる白と青のコンビネーションのやつを渡そうかな。

 

組紐って古来はお守りだったりしたらしいし、皆を守ってはくれないかな〜って編んでる。

 

大切な人なんだもの。

 

僕はもう、何も。

 

何も出来ない、から。

 

これが終わったら、消えるから。

 

これだけは、編ませて。

 

そう思いながら、編み続けた。

 

涙はもう出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

文字の練習に手紙を書きたいと便箋とペンをもらった。記憶を取り戻したとは言えなかった。

 

このまま、私は記憶を失った元仲間のまま死ななければいけない。お世話になりました、くらいしか書けないな。

 

サイドテーブルに簡単にしか書けなかった手紙を置く。ばいばい。

 

ベッドサイトに置いてくれている車椅子にベッドの枠につかまりながら座る。

体力が落ちていてこれだけでも息が上がってしまうのだ。くやしい。

 

現在午前四時。

 

まだまだ暗いけれど闇に紛れるならちょうどいい。

 

慣れない車椅子の操作に手間取りつつもあてがわれていた部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

巡回する夜回り番の兵士に見つからないようにひっそりと抜け道へと進んでいると、嫌な予感がした。

 

思わず身構えると破裂音がした。

何かが出ている感覚がして、撃たれたのだと気がついた。

僕を撃った何者かはそのまま何発か撃ち込んできたが、結界は難なく防いだ。

これが。

この感覚が結界を使うこと。

 

私の意識の中のどこか無機質な私が力を振るう。

 

どしゃり。ばしゃ。

 

敵は沈黙した。

 

ああ、この力は守る力なんかじゃない。

 

殺すための力だと確信した。

 

僕のこれは拒絶だ。

 

だから

 

こちらに銃口を向ける見知らぬ男達は。

 

物言わぬ骸になった。

 

久しぶりの戦闘に思考が急速に冷えていく。

 

きっと情報取得や秘密工作で侵入するならこんな目立つことはしない。

しかもこの敵は消音器すら付けずに発砲してきた。

ミスという可能性もあるがバレても構わないからだろう。

それは陽動か、それとも。

 

遠くで爆発音。発砲音。

 

ビーッ!ビーッ!

 

警報がなった。

 

数を生かした攻勢戦闘だから、か。

 

これはもう十中八九囲まれているだろう。

 

ここの通路の先は情報通信室。

 

警備システムを落として中からも引っ掻きまわそうとしたのかな。

 

ドタバタと騒がしくなった。

きっと指令が飛んで対応に向かうのだろう。

 

どうにか巻き込まれたふりをして死ぬか、騒ぎに乗じて逃げなくては。

 

だるい体に鞭打って車椅子で爆走させた。

 

 

なのに。

 

 

あーあ、なんで戻ってきちゃったのかなぁ。

でも気になっちゃったからしょうがないのかなぁ…

 

息はきちんと吸えているのに酸素が足りなく感じて息苦しい。目がチカチカする。

 

思わず胸のあたりをおさえつつ、肩で息をする。

 

ふ、と口元だけで笑って結界は意識的に使うとこんなに疲れるのかと心の中でごちた。

 

いや、体力落ちただけかもしれないけれども。

 

敵が目の前にいる今、結界を解く訳には行かない。

 

僕だけだけならともかく背に庇った部屋には負傷者がいる。

 

その中には巡回していた同じ隊の子がいるのだ。

もう僕には名前すら思い出せやしないけど楽しく話したり、苦楽を共にした戦友なのだ。

そして、軍医殿や医療部隊の人達も必死に手を施している。

 

ここを通すわけにはいかない。

結界でなぎ倒すも数が多すぎるしもう消耗が激しくて守るだけで精一杯。

もう嘘ついたり、結界能力を隠す余裕なんか吹っ飛んで、意図的に結界能力でみんなを室内に押しやって扉の電子ロックになんとか覚えていた緊急コードを打ち込んで最低でも2時間は開かなくしちゃったし。

 

ちらっと見えた驚いた顔に心が折れそうだけど、気にしてる暇はないし。

 

力を使い続ける。

 

僕の呼吸が変なことに軍医殿に気づかれてしまったからか、こちらに来ようとする気配がした。

ごめんなさい。

 

どんどんと叩く音がする。

 

来るなと叫んだ。

 

まあ、声にもならないような掠れまくって酷い音になったけど。

 

ごめんなさい。

 

僕にはこれしかなかったんだ。

 

 

心臓が、痛い。

 

まるで握りつぶされるみたい。

そんな経験ないけど。

締め付けられるような痛みにそんな形容しかできない。

 

苦しい。

 

ついに車椅子にすら座っていられなくなって崩れ落ちた。痛みが身体中を走り回り、目の前がスパークする。

 

床に叩きつけられて這いつくばっても目を逸らさない。

結界も解かない。

 

僕は死んでも負けないんだって強く強く思った。

 

助けが来るまで。

 

もってよ。

 

僕の心臓。

 

きっと、もう少しだから。

 

もって。

 

お願いだよ。

 

ぼくにまもらせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっと目を覆われた。

 

だめ。めをそらしたら結界がとけてしまう。

 

そう言おうとしたのにこえがでなくて。

 

てをどけようと思ったはずなのにてが動かなくて。

 

声がいう。もう解いていいと。

 

終わったのだと。

 

久遠と呼ばれて、声の主が大佐だと気づいた。

 

京さんと音なく形だけなぞって結界を解いた。

一気に負荷がとけてぐったりと京さんに身を預けた。

揺れると思ったらいつの間にか抱き上げられていて移動しているらしい。

全く力の入らない左脚がゆらゆら揺れる。

ガラスか何かで切ったのかざっくりとした切り傷から血が流れているのが見えるけれど何も感じない。

 

あんなに苦しかったのに何も無くなった。

 

 

ゆるりと眠りにも似た覚えのある気配がして目を閉じると京さんが呼んでくれた。

 

もう返事をする力は残ってなかったから冷えたからだには熱く感じるくらい温かい彼に頭を預けて彼の香りを吸いこんだ。あったかい。

 

白くなってゆく世界でも彼が呼んでくれたから怖くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この基地には守り神がいる。

 

いつしかそんな話が語られるようになった。

 

与太話かと思いきや、私は正体を知っている。

 

もう3年も眠り続けている久遠のことだ。

 

 

 

 

 

私を京さんと慕うどこか猫を思わせる子だった。

もともとは前線を駆け抜ける歩兵部隊所属だった。

久遠はきっと覚えていないだろうが、私は一目で手元に置きたいと思ったからあの日のことはよく覚えている。

 

軽やかに駆け、敵を屠り、味方を補助し敵の策の穴をつき、獰猛な笑みを浮かべる。

 

狂気が渦巻く戦場を楽しそうにかける獣のようだと思った。

 

それと同時に欲しいと所有欲が湧いた。

 

 

 

そうして、私は持てるものを活用し、手にした。多少強引な手を使ってしまったが後悔はない。

久遠は素っ気ないようでいてもあっという間に私に馴染みなくてはならない存在になった。

私が隊を任された時もするすると溶け込み、気がついた時には隊の部下達に私を馴染ませていた。

これは一種の才能だと考えているが、とにかく警戒を抱かせずするりとテリトリーに入るのがうまいのだ。そして軋轢さえするすると解いてしまう。

上に立つものとしては喉から手が出るほど有益な才能だといえる。

実際何度か打診があり、断ったが奪われかけた時すらあった。

本人がさらりと交わして戻ってきたので事なきを得たがあれは肝が冷えた。

 

そんなことがあってからさらに手元から離さず、他の部下から心配されるくらい溺愛した。

 

そのうちにこの感情がなんであるか気づいた。

 

忌避されることも覚悟していたがむしろ受け入れられ、真面目な性分なものだけでなく普段は軽く振る舞うものにさえ同意はきちんと取れ、無理強いはしてくれるなと警告されたのには少し傷ついた。

私はそんなにも強引に見えたのかと。

 

 

頭を撫でる、肩を叩く等の軽い触れ合いから慣らしてゆき、抱きしめたり頬にキスくらいなら受け入れられるようになった。

 

調べた経歴から何らかの精神的外傷をおっていても不思議でなかったので殊更慎重に進めた。

幸い腕の中で無防備に寝てしまうほど気を許してくれるようになったが、傷つき死にたがる心を完全に癒すことはついぞ出来なかった。

死に急ぐのは気付いていたが、血を流し苦しむ心に気づいてやれなかった。

沈んた表情は見せても涙は見せなかったからまだ大丈夫なのだと勝手に思っていた。

 

泣かなかったのではない。

泣けなかったのだ。

 

いつだったか暗い目をしてもうなんの感情も抱きたくないと零したその言葉にどれだけの思いと諦めが篭っていたのだろう。

 

砕けた心の欠片を知りたくてわざわざ追い詰めて泣かせた。

私に心を許したばかりに身体まで開かれて攻め込まれて奥の奥まで暴かれた可愛くて可哀想な久遠。

限界を訴えて震える体を抱きすくめてさらに快楽に堕として。

動けなくなるくらい溶かして沢山泣かせていじわるをして愛を注いで無理やり痛みを吐かせ続けた。

本当に嫌がることはしていないから嫌われてはいないと思いたい。

愛を傷ついた身体と心に染み込ませ続ければ、喜怒哀楽が少しずつ出るようになり、笑顔も増えた。

 

大丈夫だと思ってしまったのだ。

 

かの私の愛猫の傷はもっと手強かったと言うのに。

 

都合よく利用したバディ制度も終わりに近づき、正式に副官に据えようと動いていた矢先だった。

 

私を庇って、死にかけた。

 

自らの血の海に沈む久遠は朦朧としつつ、助け起こした私の声を聞いて幸せそうに微笑んだ。

 

まるで悔いなどないと言わんばかりに。

 

私は庇われたことも忘れて怒鳴りたくなった。

 

私は彼の生きる理由にはなれなかったのだと忸怩たる想いだった。

 

 

それ以上に己の無力を思い知らされた。

 

 

 

 

 

一命を取り留めた彼は駆ける力を奪われていた。そう聞かされた久遠の目は淀みよからぬ事を考えていることが丸わかりだった。

消えようと逃げる久遠を持てる力を全て使い秘書官にし縛った。

 

お前が必要だと言葉でも態度でも示し、いつもそばに置いた。

少しでも目を離したら消えてしまいそうなくらいだったから。

 

リハビリ中だったのに復帰させたせいで手合わせにかこつけて久遠と仲が良い今治に殴られたし、趣味友らしい五月七日には蹴られた。

いやほっといたら無理しそうだったと言う理由で許してもらったがあれは痛かった。

 

それにしても死にかけた理由がワーカホリック故の三徹だと聞かされた時我々は頭を抱えるしか無かったし、意識が戻って数日で書類を捌き出した時には隊が阿鼻叫喚の騒ぎになったものだ。

 

杖に縋りつつもひょこひょこ着いてくる久遠は秘書官としても優秀でなぜ前線部隊の下っ端だったのかが謎でしょうがなく、情報通の五月七日に聞いたところ、彼はああ見えてかなりの問題児だったらしい。単独行動、命令無視なんて日常茶飯事の。そしてサボり魔。

優秀だが手のつけられないプライドの高い猛獣というのが当時の上官の意見だとか。しかも成果を上げてくるので処罰程度で済ませるしかなくかなり疎まれていたらしい。

だから当時の彼を知る者達は今の彼を見るとかなり驚く。

私としては初めから従順すぎるくらい従順な久遠しか知らないのでなんだか新鮮だと思ったのを覚えている。

まあ必要とあれば私を担ぐ辺りには確かに名残が見えるかもしれない。

 

そのあと無意識にストレスを溜めてしまった久遠がぽろっと零した言葉に肝が冷えた。

しかも顔色が悪くふらふらしていて今治と医務室に駆け込んだ。

 

まさか愛猫体質を拗らせていたとは思わなかったが。

 

愛の篭もったスキンシップで改善されると説明され、目が輝いてしまったのか今治に肩を殴られた。

そのあと催眠によってくるしいさみしいこわいすてないでころしてたすけてと泣き、隠してきた苦しみを吐露する久遠は本当に痛々しかった。

 

催眠から目覚めて光のない目でおはようございます。と微笑む久遠が痛々しすぎて直視出来ず抱きしめることしか出来なかった。

 

久遠は愛猫体質と共に結界能力も開花させた。

 

結界能力を持つものは一人でも戦局を左右しかねない。

 

ますます目が離せないと常に傍において撫でくりまわしていたら五月七日にドン引きされた。何故だ。

 

 

四六時中一緒にいる私達だが自室はまだ別々のままだ。

私としては久遠に早く引っ越してきて欲しいのだが構い過ぎると嫌われますよと何人もの知り合いや部下に釘を刺されては何も出来ない。自発的に言ってくるのを待つしかないというかなり歯がゆい手段しかとれない。

もちろんちょくちょく招いて慣れてもらう努力は欠かさないが。

落ち着かないのか行為をしたり一緒に寝ようと誘わない限り自室に戻ってしまうのがまたその言葉たちに信ぴょう性を持たせた。

 

だが、私は思う。

 

たとえ嫌がられても目を離すべきではなかったと。

 

そうすればこの悲劇は回避出来たのかもしれないと。

 

ある休息日の事だった。

買い物に行くと街に降りた久遠が攫われた。

 

直ぐに駆けつけ救出したものの、使用された薬品がタチの悪い物で久遠は起きていられなくなってしまった。

 

もちろん調子の良いときは上体を起こして話をしたり事務仕事すらできるものの、悪い時は意識を保てずとこに伏せたままぼんやりと虚空を見つめるばかり。

 

彼の心を打ちのめすのにはそれだけで十分だった。

 

日に日に殻にこもる時間が増えてはっきりと意識を保つ時間が削られていく。

 

そんな最中だった。

 

彼が連れ去られたのは。

 

基地が襲撃され撃退に追われる間に拐かされてしまった。

私の久遠。

最愛。

 

持てるものは全て使って探した。

そして、あちこちに出向き捜索に協力してくれていた軍医殿から知らせはもたらされた。

機械に繋がれ、結界能力を無理矢理使われている。

ひどい仕打ちを受け瀕死の重傷である。と。

敵は隣国のとある高官。

私達はあちこちには働きかけ宣戦布告まで持っていった。

もともと戦争をする予定だったのだ。少し早まっただけだ。何も問題は無い。

 

苦戦を強いられるかと予測していたが、機械によって無理矢理展開される結界が私達を拒むことは無く、圧勝することが出来た。

 

保護された彼は酷い有様で生きているのが不思議なくらい傷つけられていた。

 

それは報告されていたし、覚悟もしていた。

いちばん辛いのは彼なのだから。と。

だからそれ以上があるなんて思えなかったのだ。

 

峠を越え、意識を取り戻した彼は記憶と声を失っていたのだ。

 

私はその辺から記憶が曖昧だが、彼は彼だった。

思わず涙が止まらなかった。

 

 

足をまめに運び、会いに行っていた彼の回復の兆しが見えた時だった。

 

基地が再び襲撃を受けたのは。

 

複数の密偵に入り込まれていたため、甚大な被害をもたらした悪夢のような襲撃。

 

正直基地ごと壊滅していてもなんらおかしくはなかった。援軍が間に合ったため、事なきを得たが。

 

そんな緊急事態の中、正直どの部隊も手が回せなかった医務室を守り抜いたのが彼だ。

 

おそらくどこかのタイミングで記憶を取り戻していたのだと思う。

 

彼がなぜ病室から抜け出していたのか等謎が尽きないが、私が推測するにきっと彼は消えるつもりだったのだ。

記憶を取り戻し現状に絶望した彼は死ぬつもりだったのだろう。

不運にも抜け出したその時に襲撃に遭った様で、咄嗟に迎撃した彼は状況がつかめないなりに防衛にまわったのだろうか。

車椅子で爆走してきた彼が脅威に晒された仲間を守るために非戦闘員や怪我人を医務室に押し込み、強制ロックをかける様子が監視カメラに映っていた。

そして自身が這い蹲ろうと結界で守り切った。

 

救援が駆けつけた時には既に彼の意識はほとんどないまま結界を張り続けていたのだという。

 

救援部隊が敵を一掃しても彼は結界を張り続け私が目を閉じさせ声をかけてやっと解いた。

 

くたりと身体を預け安らかな顔をする彼は悲しいくらい軽かった。

 

その後懸命の治療により一命は取り留めたものの、もう3年も眠り続けている。

 

彼は眠ったまま目を覚まさない。

 

拒絶からか恐怖心からか結界により今の彼に触れられるのは軍医殿と私だけだ。

 

彼の結界が私や軍医殿は拒まないが他のものは一切近づけないため、部下達にさんざん嫌味を言われたがしかたがないと思う。

 

彼の結界は特殊で彼の体を守る常時張られているものと、有事にのみ発動するこの基地を覆うもの。

そして、彼が手ずから編んだ組紐より発動する個人を守る結界。

 

普通であれば結界能力者は結界は己を中心として結界を張るために、範囲を広げたり狭めたりはできるが基本的に単一の結界になる。

そもそも同時に多数発動させるという発想がない。

それだけでも異例というのに彼は物質に力を付与しある程度の状況に応じて結界を発動するように力を編み込む事すら遂げたらしい。

私や軍医殿、今治に五月七日、その他仲の良かった隊員へと贈られた組紐に正直何度も命を守られている。

 

直接的な攻撃のみならず、盛られた毒は無毒化されるし、飛んできた水は弾かれるし、埃は防ぐし、過度な暑さ寒さ湿気乾燥からも守られるという徹底ぶりだ。

私に至っては風邪すらひかないからもしかしたら病気からも守られているかもしれない。

風呂上がりに髪をタオルドライのみで放置しても、いつの間にかドライヤーでたも使ったかのようにきちんと乾いているからかもしれないが。

 

過保護にも程があるだろう。

 

あなたが無頓着すぎるんです!なんて彼がぷんすこ怒るさまが何故か浮かんだが気の所為だろう。

 

ぽこぽこ怒りながら最後にはしょうがないですねえなんて優しい声が聞こえてきそうな顔で笑う彼が恋しくてたまらない気持ちになる。

 

ああ、声が聞きたい。

 

まぶたに隠れてしまっている美しいアイオライトの輝きが見たい。

 

そう考えてしまったらもはや思考は止まってくれず、抱きしめたい。

共に眠りにつきたい。キスがしたい。抱き合いたい。

ああ、とてつもなく彼が足りない。

 

早く、会いたい。

 

なぁ、久遠。

 

愛している。

 

まるで独り言のように呟き、彼の少しひんやりした手にそっと口付けた。

 

彼は起きない。

 

個室に移された彼の病室はとても静かで、微かな呼吸と柔らかな風が揺らすカーテンのさざめきだけが響いていた。

 

眠り続ける久遠に話しかける。

 

静かすぎる空間に不吉が脳内を過ってついつい大袈裟にたわいもない話を一方的に話し続けた。

この燻る嫌なモヤを、振り払うように。

 



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