第10話 チカラの意味 1/早朝の訓練
時刻は午前四時過ぎ。日がまだ登っていないこの時間はとても暗く、それが山奥となれば尚更だ。
そんなところへ、
あくびを噛み殺して車から降りる詩希。冷たい風が頬に突き刺さってきた。冬の風は時間によっては凍てつく刃物だ。マフラーに頬を逃す。
その横を、白い息を吐きながら勢いよく律希が走っていく。
「兄貴早くー」
普段ならまだ眠っている時間であり、加えて寝坊助な律希がこの時間に起きているだけでも珍しいのに、詩希と違い眠気も疲労も感じさせなほど元気にしている。
その姿を見て、詩希はつい小言を漏らしてしまった。
「わかってるって……まったく、これじゃあ普段と逆じゃないか」
あの日以降、律希の好奇心は全力で『ウルトラマンの力』に注がれているらしく、ここ二日はこうして早朝に山奥に来ている。もちろん、ウルトラマンに変身してその力の全貌を知るために。その好奇心が原動力となって、普段であれば絶対起きない時間に起きることができるのだろう。
──好奇心のためなら、三時半起きなんて簡単なことだと、初日に言っていたことを思い出して詩希はやるせない気分になった。
しばらく歩き、適当なところで足を止める。ストレッチを始めながら、
「いいか。毎回言ってるけど、むやみやたらに力を使わないこと。昨日お前が壊した山、下手したらニュースになってたんだからな」
と言った。
痛いところを言われた律希は苦い顔になる。
「あれはちょっと手が滑ったって言うか、なんと言うか……そう、若気の至りだ」
律希の脳裏には、昨日の出来事が浮かび上がる。
律希はウルトラマンに変身してテンションが上がったせいか、その勢いのまま必殺技である“アクアストリューム”を撃ってしまったのだ。
無論、巨大生物が出現しているわけでも、何かを狙って撃ったわけではない。
慌てたふたりは飛び散った山の破片を集めて積み上げ、なんとか『山』に見えるようにしたが、その日は一日中このことがニュースにならないかハラハラしていた。
「本当、心臓に悪い一日だった……」
「ごめんってば。でもいいじゃん。結局ニュースになってないんだから。誰も気づかなかたってことで」
「今日ニュースになるかもしれないだろ……」
大きなため息をこぼす詩希。
その傍らでは、律希がリュックからデジタル時計を取り出していた。表示されている時間は午前四時三十分。
「さて、行きますか」
「ストレッチはしたか?」
「軽くね」
そう言って律希はポケットからクリスタルが入っているホルダーを取り出す。二つ折りになっているそれを開き、いつも通り右上にある『水』のクリスタルと左上にある『火』のクリスタルを取り出し、『火』の方を詩希に向けて投げる。
「さて、えーっと、確かこれの角をひとつ展開して、ジャイロにセットするんだっけな」
『ウルトラマンギンガ!』
クリスタルをジャイロにセットすると、流れる音声と共に秘められし『水』のエレメントが呼び起こされる。そのまま両サイドにあるレバーを握り、三回、引く。エレメントの力が解放され、律希の身を包み込み巨大化。
『ウルトラマンブル! アクア!』
光が弾け飛べば、そこには巨人──ウルトラマンブルの姿があった。
ブルは変化した光景に「おお〜」と声を漏らしながら、まだ変身していない兄の姿を目にする。
「ほらほら、兄貴も早く!!」
「……まったく」
急かされるかたちで詩希もクリスタルの角を二本展開。同じ要領でジャイロにセットし、『火』のエレメントを呼び起こす。
『ウルトラマンタロウ!』
レバーを三回引き、『火』のエレメントを解き放ち身に纏う。
『ウルトラマンロッソ! フレイム!』
空へと登った火柱が弾け飛び、ウルトラマンロッソが姿を現す。
ロッソは一旦自分の体を見下ろして、それからあたりの景色に目を向ける。
(やっぱり、まだ慣れないな……)
今回でウルトラマンに変身したのは四回目。とはいえ初回はほとんどが戦闘で他のことを気にする暇がなかったため、こうして自分の体の変化や周りの景色をしっかりと見るのは三回目と言った方がいい。そして三回目ともなれば、この変化に慣れるものだと思っていたが、まだ違和感が拭い切れていなかった。
自分より高いはずの木々が小さい、ずっと遠くにあるはずの空が少しだけ近くなった気がする、見えるはずのない山の向こうが見える。それらの変化に心がまだ慣れないのだ。
見える世界の角度が変われば、世界は広い。その広さの衝撃が、詩希の心に深く印象に残ったのだ。
律希曰く『すごく高いところに立っていると思えば慣れるって』とのことなのだが、それちょっと違うだろ、と言うのが詩希の素直な感想だったりする。
「ほらほら見て兄貴! バク転、バク宙! どれも簡単にできる!」
そんなロッソの横ではブルがバク転やバク宙、側転など思う存分に体を動かしていた。どうやら、ウルトラマンに変身することで身体能力が向上し、まるで体操選手のように体を動かすことができるようになるのだ。
普通なら練習しないとできないバク転やバク宙が簡単にできる。側転ですら、足が横ではなく真っ直ぐ上に向いた綺麗なフォームでできるのは、律希にとってたまらなく嬉しいことらしい。
詩希もジャンプひとつで七百メートル以上飛んだときは、さすがに度肝を抜かれた。
考えてみれば、同じサイズの巨大生物と戦うのだから、このくらいの身体能力の向上は必要なものだ。そもそもあのときは気にしなかったが、腕から光線やら何やらが出るのだから、この変化は小さなものだろう。
「……あれから三日。巨大生物はもう出ないのか?」
ふと、気になったことが言葉として漏れた。
あれか巨大生物は出現していない。もし出現があの一回限りなら、詩希たちの手元にウルトラマンの力は残らないはずだ。それが今も残っているということは、あれは始まりにすぎないのかもしれない。
(もし、今後も現れるようなら、おれたちは勝ち続けなきゃいけない。負けは許されない……一回でも失敗なんてしたら……──)
「──って、律希!! 後ろ!!」
「え? って、うぉ!?」
物思いにふけっているロッソの視界に飛び込んできたのは、バク転を続けるブルが危うく山と山の間に架かる橋を巻き込もうとしているとところだった。慌てて声を飛ばし、ブルも気づいた様子でバク転を止めようとするが、既に体が後ろに反り返っている。腕を振ってなんとか体勢を直そうとしているが、既に重心が後ろに行っている以上復帰は無理だろう。このまま橋を巻き込んでしまう、と思っていたが、
「うおおおおおぉぉぉぉ……おお? 浮いてる?」
突然感じた浮遊感に疑問の声をあげた。
この声が聞こえたロッソは、顔を覆っていた手をずらしてブルの方を見てみる。
ブルの体がまるで風船のようにフワフワと浮いていた。
「おおっ! これってもしかして!」
何かに気づいたブルはそのまま浮遊していき、やがて体をまっすぐ伸ばし始めた。足先をくっつけ、握り拳を作った両手を突き出す。
すると、ブルの体が空を自由に駆け巡り始めたのだ。
「飛んでる……俺今飛んでるよ!!」
空を飛ぶ。それは、本来人間では到底不可能なことだ。
しかし、今律希は『ウルトラマン』に変身してる。その力によって、彼は今広い空を縦横無尽に駆け回ることができるのだ。飛行機やヘリコプターといった乗り物ではなく、己の体で、鳥のように空を駆け巡る。普通なら絶対体験できないことに、ブルは歓喜の声をあげた。
「兄貴も来いよ! マジ最高だって!!」
興奮を隠せないようで、息を荒げながらロッソにも飛ぶように促してくる。
呆気にとられていたロッソも、ブルの姿を見て興味を抱いていた。
膝を曲げて準備に入る。ジャンプする勢いを使い、飛翔。
「──!」
そして、飛んだ瞬間に言葉を失った。
(……これが、飛ぶ……)
それはとても新鮮な感覚だった。重力に逆らい、通常であれば見上げることしかできない空を、今、縦横無尽に駆け巡っている。
自分の力で、空を飛んでいる。
(ははっ、これは律希が興奮するのも無理ないな)
「どーう? 空を飛ぶ感覚は? 最高でしょ!!」
「ああ。これは、ヤバイな……!」
「よっしゃ! んじゃ、次はもっとスピード上げてみようぜ!」
「ヒャッホー!!」と声をあげてブルは速度をあげた。流れる景色が先ほどより早くなり、次々と置き去りにしていく。
ロッソも速度を上げ、やがて二体共マッハの速度に達する。
風を切り空を駆け巡るロッソとブル。
しばらくして、ブルが何かに気づいた様子で進行方向を変えた。
「おい律希! どこ行くんだ?」
「今なら行ける……! 空の向こうに!!」
その言葉を聞いて、ブル──律希がどこを目指しているのか理解した。
律希は空の向こうに広がる『宇宙』を目指しているのだ。
今律希が最も興味を抱いているのは『ウルトラマンの力』だが、勉学の面ではまだ宇宙に関すること。その宇宙に行けるチャンスが、今の律希にはある。今まで本や動画でしか見たことがなかった宇宙を、この目でみることのできるチャンスなのだ。
宇宙に行くなんて、普通の大学生には不可能なこと。しかし、今の律希はウルトラマンだ。この力を使い、不可能を可能にすることができる。律希は真っ直ぐに空の先を目指した。
しかし、
「──! 律希! 時間だ! 戻るぞ!」
胸のカラータイマーが点滅を始めた。これまでの変身でわかったことだが、どうやらウルトラマンに変身できる時間には限りがあるようで、その時間はおよそ三分。三分経つと強制的に変身んが解除されてしまうのだ。
今、ロッソとブルは遥か上空にいる。もしここで変身が解除された場合、地面まで真っ逆さまに落ちることになる。
絶対に助からない高さだ。
だからロッソ──詩希は引き返すように促す。
「まだ……まだ、行ける……!」
「バカ言うな! ここで変身が解けたら洒落にならないぞ! 安全を第一に引き返すんだ!!」
ブルに引き返す気がないと思ったロッソは、その手を伸ばしてブルの足をつかもうとする。
だが、同時にもしここでブルの足を掴んだ場合、どうなるのかという疑問が頭を横切る。バランスを崩し、下手に落下することになったら、それはそれで危険なことだ。
どうする、とためらうロッソ。
すると、タイマーの点滅が先ほどより早くなった。これにはさすがに限界を感じたのか、ブルが方向転換。地上に向けて進路を変えたのだ。ロッソの後に続き、なんとかギリギリ制限時間内に地上へ戻ることができた。
「──あっぶねー。ギリギリだった」
「後ちょっとだったのに」
「何が後ちょっとだ。まったく、無理するのだけは勘弁してくれ」
「兄貴は心配性だな。大丈夫だって、ウルトラマンの速さならすぐに戻れ……え? ……」
「??? どうかしたのか?」
突然、律希の動きが止まった。
疑問に思った詩希が視線を向けると、そこには眉間にシワを寄せて難しい顔をしている律希の姿があった。
「おかしい……だって、あの景色の流れる速度から考えて、スピードはかなり出てたはず……そもそも、俺たちは巨大化してるんだ。人間の定義が当てはまるわけがない……」
何か動揺した様子でぶつぶつと言い始める律希。詩希が「律希?」と名前を呼んでも無反応。
律希は詩希の横を通り過ぎると、リュックから大学で使っているノートとペンケースを取り出す。そして、ペンを一本手に取ると、ノートに何か数字を書き始めた。
「おい、律希?」
「ごめん兄貴。今日は帰ろう。確認したいことがある」
「あ、おい」
そう言って、律希は足早に車の方へ向かって行く。
「ウルトラマンの身長は、周りの風景から推測すると……五十メートルか、それ以上か……違う、これは人間サイズだからウルトラマンの大きさに当てはめて……」
車についてからも、律希はぶつぶつと独り言を続けた。こうなってしまった律希は、こっちがいくら声をかけてもしばらくは返事を返さない。頭の中に浮かんだことを、外に出して整理し終えるまでは放っておくのは一番なのだ。
だから、詩希は車を発進させ家へと帰宅する。
その間にも続く、律希の独り言をBGMにしながら……。