律希の様子は家に帰ってきてからも変わらなかった。ブツブツと時々独り言を漏らしながら部屋に戻って行き、朝食の時間にやって来て、大学に向かうまでの間、律希は何かに没頭したままだった。
「なあ、律希どうしたんだ?」
「さあ? おれにもわからない」
父・響介も律希の様子が気になるようで問いかけてきたが、詩希もわからないのだから答えようがない。
結局、律希が何を考えていたのかわからないまま時間が過ぎていった。
そして現在、時間はお昼を回ろうとしたところで、詩希は急にやってきた眠気に、ついあくびを漏らしてしまう。
「ふわぁーあ……」
「コラ、詩希。営業中だぞ」
「あ……ごめん……」
響介から注意を受ける詩希。幸い店内に客はいないが、だからと言ってあくびをしていいわけではない。
気を引き締め直す詩希だったが、眠気は一向になくならず、むしろまぶたがより重くなっていった。
(やばい……さすがにしんどいな)
三日連続三時半起き、さらにウルトラマンに変身した疲労が積み重なり、詩希の体は休みを欲していた。
そんな詩希の体調を感じ取ったのか、響介が詩希に近く。
そして、意を決したように口を開いた。
「……やっぱり、よく眠れてないのか?」
「え?」
「父さんはその場にいなかったから、お前がどれだけ恐怖を感じたかわからん。普通じゃあ理解できないほどの恐怖だったろう。それがまだお前を苦しめているなら、まだ休んでてもいいんだぞ。いくら体が大丈夫でも、心が大丈夫じゃなきゃ仕事にならない」
「いや、大丈夫だって」
「けどな、無理したって、パパたちは嬉しくないぞ」
「パパの言う通りよ、無理しても体壊すだけ。お店の方はパパとママに任せて、詩希は休んできなさい」
響介の言葉に、母・詩織も賛同してくる。
ふたりは、先日の巨大生物出現に巻き込まれたことで、詩希がまだ心身共に疲弊していると思っているのだ。
本当は、三時半に起きているのが原因なのだが……。
もちろん、そんなことを正直に言えるはずもなく、だからと言ってうまいごまかしが思いつかなかったので、結局昨日と一昨日は休みを貰っている。
流石に三日目も休むのはどうかと思い復帰した詩希だが、端から見るとまだ本調子には見えないようだ。
「……ん、わかった。少し寝てくる」
ここで無理を言っても両親に心配をかけるだけ。うまいごまかしが思いつかない以上、ここは両親の心配を少しでも取り除く選択をするべきだろうと考えた。
それに実際、この体調では万全に仕事をできないことは確かなのだから。
店の奥にあるスタッフ専用扉を通じて、自宅へと向かう。
階段を登って自室へ向かっていると、その途中にある部屋の扉が開かれた。
中から姿を現したのは、ピンクのパジャマに身を包んだ鈴音だ。鈴音は詩希の姿を見ると、首を傾げた。
「あ、シキ兄……お仕事は?」
「店主からの休め命令」
詩希の返答を聞いて、鈴音は納得の表情を浮かべる。
「そっか……大変だったもんね」
「おれの方はそうでもないよ。大変だったのは鈴音の方。体はもう大丈夫?」
平日の昼に高校生である鈴音が家にいるのは、先日の巨大生物出現に巻き込まれたのが原因だ。
詩希の方は、言ってしまえば疲労困憊で済んでいる。これは律希も同じで、後から聞いた話ではあの日一緒にいた香澄と有咲も、それほど大きな怪我はしていないらしい。
しかし、鈴音だけがそうではなかった。鈴音はあの日、香澄たちと逸れたあと突然体調不良に襲われて意識を失ってしまったらしい。詳しいことは本人も覚えていないようで、ただ苦しくて頭が重くなったことだけは覚えているようだった。
加えて、どうやらその時に額を浅く切ったようで、詩希たちと再会したとき額にはガーゼが貼られていた。その後、搬送された病院で受けた検査では、額の傷以外に大きな怪我は見受けられず、意識を失ったことだけが気がかりだったが、本人が大丈夫だと言うためその日のうちに帰宅することにした。
だが、家について安心したのか熱を出してしまったことで、元々一日だけ学校を休む予定が三日になってしまったと言うわけだ。
「うん。熱も下がったし、元気百倍だよ」
「おでこの傷は?」
「それも大丈夫。あ、でも、傷が残ったらどうしよ」
「前髪で隠せば大丈夫だって」
「それもそっか〜って、それは返としてどうかと思うよ?」
「それじゃあ、正解は?」
「それは兄としての正解が欲しいのか、男としての正解が欲しいのかで変わるね」
「できれば男としての答えが欲しいけど、この場合は兄の方がいいのかな?」
「それなら──」
と、鈴音が言葉を続けようとしたところで、詩希はあくびをしてしまった。
「あ」と詩希の口から言葉が漏れ、鈴音の冷たい視線が刺さる。
「……シキ兄、人が答えを教えてあげようとしているのに、それはないんじゃないかな」
「ごめん。ちょっと、眠くて」
「……仕方ないか。シキ兄も疲れてるもんね。いいよ、答えは今度教えてあげるから。じゃあね」
そう言って、鈴音は階段を降りて行く。
ひとり残った詩希は、その背中を見送りながら鈴音の体調が回復したことに安心していた。さっきの会話からしか判断していないが、自分の妹がどの程度回復したのかはわかる程度には十分な会話だったのだ。
そこでふと、香澄と有咲のことが気になった。あれから連絡は取っておらず、店の方にも来ていない。聞いた話では、鈴音のように熱を出したとか入院しているとか聞いていないが、あんな目にあって大丈夫なのか気になってきたのだ。
「……鈴音に聞けばよかったな」
鈴音に聞けばわかるだろうが、なんとなく直接会って確認したいと思った。
ライブハウスに行けば会えるだろうか? もしそうなら夕方行ってみようと考えながら、自室のドアを開けるのだった。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎
──花咲川女子学園・中庭。
現在は午前中の授業が終了し昼休みとなっている。
中庭には、戸山香澄をはじめとした『Poppin’Party』のメンバーが集結しており、各々持ってきたお弁当を広げて昼食を取っていた。
いつもであれば和気藹々と楽しげな会話が繰り広げられるはずの昼食。しかし、ここ二日ほどは静かであった。普段の彼女たちの昼食風景を知っている者からすれば、驚ろく光景だろう。主に会話を種を蒔く香澄が、そしてそれに反応する有咲が今日も驚くほど静かにしている。
「有咲。その唐揚げ、私のレタスと交換しよ」
「ん」
「え? いいの?」
「ん」
「……重症だ」
いつもなら真っ先に声を上げるはずの有咲が「ん」のひと言しか返してこない。その事態にこの主である花園たえは顔を真っ青にして呟いた。
そんなふたりのやりとりを見ていた牛込りみが、心配した表情で隣にいる山吹沙綾に小声で問いかける。
「香澄ちゃんと有咲ちゃん、どうしたのかな? 昨日も少し元気なかったみたいだし」
問われた沙綾は「うーん」と少し考えてから、頭に浮かんだことを口にする。
「もしかして、“あれ”に巻き込まれたとか」
「“あれ”?」
「巨大生物が出現したってニュース。多分、それに巻き込まれたんじゃないかな」
「え!?」
沙綾の言葉にりみは驚きの声をあげた。
『巨大生物出現のニュース』。それは先日起きた出来事で、今最も世間を騒がせているニュースのことだ。
突如出現した巨大生物によって、まさに世界の終わりとも言える出来事が起きた。普通であれば誰かがでっち上げた妄想だと揶揄するのだが、今回ばかりは違う。本当に、現実に巨大生物が出現したのだ。多くの目撃者と、破壊された跡が残る紅葉公園がそれを証明している。
何よりその日のうちにニュースに取り上げられて、動画サイトにはたくさんの動画がアップロードされたのだ。知らない者はいないだろう。
「巨大生物が出現した日と、ちょうど香澄と有咲が紅葉狩りに行った日……ううん、それだけじゃない。場所も一致してるの」
「……」
そう言えば、と香澄に紅葉狩りを誘われた際に言っていた行き先と、今回巨大生物が出現したと言う場所が一致していることに気づいた。
「それに一昨日学校を休んだのも、多分……」
もし自分が巨大生物出現の場所にしたとして、その翌日学校に行けるだろうか。そう考えてみたりみは、とてもじゃないが行けないと思った。きっと恐怖で足がすくんで家から一歩も出ることができないだろう。
それを考えたせいか、沙綾とりみまでもが黙ってしまし、より重たい空気が流れ始めてしまった。
「……おい、なんで沙綾たちまで暗くなってんだよ」
と、そんな重たい空気の中で一番に声を発したのは有咲だった。
「いや、その、何て言うか」
口籠る沙綾を見て、有咲は息を吐いてから、
「わかってるよ。どうせ私と香澄のことだろ」
と言った。
「それじゃあ、やっぱりふたりは巻き込まれたの?」
「ちょっとおたえ!?」
ストレートに聞くたえに声を上げる沙綾だったが、有咲が「うん」と正直に返答したため、驚きはすぐに塗り替えられた。
「まあ、私としてもこんなに引きずるなんて思ってもみなかったよ。むしろ、香澄が今日まで引きずってる方に少し驚いてるくらいだ」
「……だって、本当に怖かったんだもん」
元々香澄は怖いものが苦手だ。巨大生物なんてまさにそれだろう。実際、有咲もあの時の光景がまだ脳裏に焼き付いている。
「……本当、夢だと何度も願ったよ。目の前に起きてることが信じられなくて、怖くて、今日で全てが終わるって思った」
静かに、ゆっくりと思い出すように語り始めた有咲の言葉を、誰もが静かに聞いていた。その一言一言に、その時有咲が感じていた感情が鮮明に込められている。
「よく、無事に帰ってこれたね」
有咲の言葉を聞いた沙綾がポツリと感想を漏らした。
「助けられたからな。巨人に」
「巨人?」
「ほら、ニュースにもあっただろ? 巨大生物と戦った二体の巨人。私たちはその巨人に助けられたんだよ。多分な」
有咲の言葉にたえは「なるほど」と言葉を漏らす。
「多分って、どういうこと?」
最後の一言が気になったのだろう、首を傾げてりみは有咲に聞いた。
「本当に私たちの味方かなんて、わからないからな。巨大生物を倒した後に消えたけど、あのまま残っていたら何をしていたか……」
「……私は、味方だと思うよ」
今まで沈黙していた香澄が、ポツリと呟いた。
「私は、味方だと思う」
「……ま、どっちでもいいけどよ。それより、早く食べないと昼休み終わるぞ」
そう言って有咲は食べるスピードを少し上げた。まるでこの話はここまで、と言いたげに。
きっとこの話を続けても、より空気が重くなるだけと判断したのだろう。有咲の気持ちを汲み取った沙綾は「そうだね」と言って自分もお弁当に箸を伸ばした。
その後、誰も巨大生物のことを持ち上げることなく、昼休みを過ごすのだった。