鼓動を感じる。蠢く臓器の音が聞こえる。温もりと安らぎが自分を包んでいる。
ああ、永遠にここに居られたらいいのに。まどろみの中、遠い日に経験した自宅の布団の居心地の良さを想う。
いや、待て。
……遠い日?では俺はどこに居るのだというのだ。いや、そもそも俺は誰だ?
意識が覚醒していく。
ここはどこだ。何も見えない。狭い所で蹲っているようだ。
試しに手や足を伸ばしてみると、何らかの皮膜(?)に遮られた。周囲は完全に膜に覆われており、暗く、更に体感から言うと液体に満たされている。意識してみれば、自分は息をしていないという事実に愕然とした。
手足を動かしていると、紐のようなものに接触する。その紐は皮膜まで伸びており、それを辿っていくと、自分の腹に繋がっている。
なるほど。これはへその緒だ。自分は子宮に宿った胎児であり、この鳴り止まぬ鼓動は母体の心臓の音か。
記憶が曖昧だが、俺は社会人として生きていた記憶がある。自分の名前も思い出せないが、漠然とした常識や知識は確かに記憶に残っている。
つまり、自分は死に、輪廻転生をしたというのか?
いや、赤子の脳は生まれてから、外部からの刺激によって発達していくと聞く。
胎児の状態ではここまで複雑な考察など出来るはずがない。
自分の記憶している常識と現状の辻褄が合わない。更に言えば、手足が届くとは言え、この子宮内はそこまで手狭ではない。つまり、胎児の大きさから言って、出産まではそれなりの猶予があるということだ。それでここまで複雑な思考能力を有してる時点で常識など当てにならない。
自分の記憶にある常識を疑い始めてからひと時経つと、唐突に一つの記憶が脳裏に蘇った。
病院の白い廊下。金縛りのように動かない自分の身体。正面に現れた人外の美貌を持つ黒いスーツを身に纏った金髪の少年と隣に立つ喪服姿の老婆。
老婆は帽子から垂れるヴェールでその素顔を窺うことはできないが、子供の方は尋常の者とは一線を画す気配を放っている。
ああ、少年が近付いてくる。
「ふふ、ご安心くださいませ。この世界は受胎する事は在りません。
しかし、貴方は光栄にも坊ちゃまに選ばれました。」
この老婆は何を言っているんだ。これじゃあ、まるで真・女神転生IIIの冒頭のシーンの再現じゃないか。
ゲームが現実になったとか、ありえないだとか、そんな事はこの状況を好転させる要素に掠りもしないので、速攻頭から追い出した。解決策を考えようとしても、全身が逃げろと危険信号を発して邪魔をする。煩い、動けないんだよ!
「数多に存在するアマラ宇宙には数奇な道を辿っている世界があります。
混沌王となる存在は確定しているにも拘らず、坊っちゃまの試みは未だ成功していません。」
おい、この流れは良くない。良くないぞ。俺がここで彼女から話を聞いている張本人なのがマズイ。
聞き耳を立てている他人ならまだ、いくらか対処法は在っただろうか。
「通常の世界では決して到達できない存在へ至るには、坊ちゃんも変わった手段をとらざるを得なくなったのです」
良くない事が確実に起こる。しかも残念な事に、それは俺では不可避の出来事だ。
「…動いてはいけません。
……痛いのは一瞬だけです……」
ああ、少年が小さな蠢くモノを手に持っている。
「……これでキミはアクマになるんだ……」
異物を飲み込む嫌悪感とナカから身体が作り変えられていく悍ましさと痛みに耐え切れず意識を失う直前、金髪の少年の口が小さく釣りあがったのを目撃した。
・・・
・・
・
あれは現実だったのか?
いや、嘘だと仮定しても始まらない。最悪を想定して考えなければ、二度目の命を失う事になる。
もし仮に自分が金髪の少年<ルシファー>に悪魔の力が秘められた虫状の物体<マガタマ>を飲み込ませられたのなら、俺は魔人<人修羅>となったのだろう。
全ての悪魔の頂点に立つ<混沌王>へと至る可能性を持つ、ほぼ最弱の悪魔へと。
そう、最弱の悪魔だ。具体的には<ガキパト>と言う造語に終結する。
真・女神転生IIIというゲームを高難易度でプレイする場合、序盤の戦闘でゲームオーバーになる事は珍しくない。
相手はゲーム中最弱の悪魔、<ガキ>である。<パト>とはパトラッシュの略で、ゲームオーバーの演出がアニメ「フランダースの犬」の最終回に酷似したムービーが流れることから名づけられているが、今は関係ないので深くは語らないでおこう。
人修羅は一対一でこの<ガキ>と戦う訳だが、高確率で負ける。仲魔も有効なスキルも無い最序盤とはいえ、イベント戦闘のような強制タイマンで負けるのはとても悲しいものがある。
まあ、つまり何が言いたいのかと言うと、対策を怠れば死ぬということだ。性質が悪い事に、対策をしても死ぬ時は死ぬということだ。
だから、最悪を想定しなければならない。
現状の把握から始めよう。老婆は東京受胎は「無い」といった。つまり……この状況は通常の受胎なのか?
この件は現在分からないから保留だな。次に自分の状態の把握だ。意識してみれば、確かに<マガタマ>、つまり禍魂を体内に感じられる。意識を向けられて嬉しいのか、ピクピク蠢いている。これはカワイイのだろうか?
ゲームでも主人公である人修羅が初期に装備していた<マロガレ>という<マガタマ>のようだが、違和感を感じる。だが現時点ではこの違和感の正体は分かりようがない。
<マガタマ>よりもたらされる悪魔の力は様々だが、それを引き出すためにはマガツヒ、或いは生体マグネタイト、通称MAGを体内に取り込み、成長する必要がある。
人の強い感情などから発生するエネルギーのようなものであり、成長にこれが必要なのは悪魔が情報生命体である事が関係している。
情報生命体である悪魔はその存在の情報量に応じてこのMAGを常時消費し続ける事となる。言い換えれば、これが無ければ悪魔は地上でその存在を維持できなくなる。
消費量は魂の器の大きさによって決まり、大物悪魔であれば生半可な事では地上に光臨できないというわけだ。
現状、魂の器がミジンコレベルの雑魚である俺は、<マガタマ>の力を引き出すためにもMAGを集める必要がある。
方法としては三つ。一つ目は食事。人間をマルカジリすれば、恐怖の感情でMAGも増幅してお手軽だな!
……却下だ。生き残るために自分から人間の心を捨てれば、<混沌王>ルートまっしぐらである。
二つ目は戦闘。相手を殺さない場合であっても、相手の心を屈服させた場合、一定量のMAGが手に入る。邪悪な悪魔であれば、殺す事も視野に入れなければならないだろう。殺すことはいけないことだ等と言う常識に縛られていたら生き残れるものも生き残れない。
三つ目は自然吸収だ。高濃度のMAGに晒されていれば、無意識の内にいくらかは吸収される。一般人が覚醒して異能に目覚めたりするのも、このパターンが存在するとか。
胎児であり、無力な現状、母体のMAGを少量吸収する以外道はなさそうだ。
意識して吸収できないだろうか?ああ、それはスキル<吸魔>と統合されるのか。
……!?<マガタマ>から情報が頭に流れてきたのか!
虫のようだとは思っていたが、情報の共有まで出来るのか……
なら、スキルのことや違和感についても情報のすりあわせを行うか。
・・・
・・
・
うむ、期待していなかったが、やり取りできる情報はあくまで<マガタマ>の能力についてであって、ルシファー閣下や謎の老婆、この母体などについては返答が得られなかった。
新たに得た情報としては、この<マガタマ>は俺の成長に合わせて自らの性質を変える力を得ていく事、そして想像通り魂の器の増幅(ゲームで言うところのレベルアップだな)に併せて新たに異能を扱えるようになるという事だ。
異能とはゲームのスキルの事だろう。人修羅が最序盤で習得する初期スキル<突撃>は使い勝手が微妙な割りに、三レベルでやっと覚えたはずだ。簡単に有用なスキルが手に入るとは思わないほうがいいだろう。地道にMAGを集めていくしか無さそうだ。
問題は<マガタマ>の性質変化だ。予想が正しければ、これは<マロガレ>以外の<マガタマ>の性質を自動で習得していくということだ。
ゲームでは新たな<マガタマ>を求めての探索も大変だった記憶があるので、非常に助かるわけだが、裏がありそうで、怖いのも事実。
つまり、外は探索できないような世界なのか?いや、疑い出したらキリが無いな、やめよう。
今はこの身体に慣れていき、この世界に備えるしかない。人修羅は低レベルの内は鍛えた人間とそこまで差がある能力は無かったはずだ。生き残るためにも、この身体に馴染み、自分にできる事の把握、今後のプランを練る、生き残るという大目標のほかに小目標の設定、出産までやることは少なくない。
後悔の無いように、できる事は全てやろう。
・・・
・・
・
「阿久間さん、頑張ってください、もう少しです!」
「千晶!」
「ヒッヒ、フーッ、ヒッヒ、フーッ!」
せ、狭い狭い!いや、子宮内もそろそろ狭くて苦しかったがこりゃおかしいって!
出るように出来てないだろ!頭が割れる!明らかに面積の大きさの設計間違っている!
「よし、出てきた、ひっぱります!旦那さんは奥さんの手を応援してて」
「あ、おお?」
ぎゃああ、頭が変形してる、体引っ張るな、痛いんだよ、そういう風に出来てねぇんだよ!
「おめでとうございます、元気な男の子です!」
「はは、元気に泣いてまあ、千晶の勝気な性格に似たのか?」
「フーッ、フーッ、勇、あとで覚えてなさい、フーッ、フーッ」
い、痛い!最初の呼吸をしたら肺まで全て焼けるように!
頭の鋭い痛みも治まらないし、身体も全身痛いし、中まで痛い!
初めて呼吸器官を使ったからか?いや、待て!じゃあ消化器官も同じなのか?や、やめてくれ!
「ふふふ、夫婦仲がいいのはよろしいですが、そろそろお別れの時間です。次の面会は明日になると思うので、旦那さんは受付で予約しといてくださいね」
「ん、そっか。頑張ったね、千晶。ありがとう」
「ふん、こんなの朝飯前なのよ、フゥ、フゥ」
痛みのピークは過ぎた。俺は今、必死になって泣いていた自分に気付き、落ち着くことに意識を割いている。体は赤子のそれだ、意識が俺であっても感情の揺り幅次第ですぐに泣くようだ。
目を開けても周りが恐ろしくぼやけてて何も見えない。音は拾えているが、しっかり認識されていない。まるで普通の人間の赤ん坊のようだ。
いや、まてよ。もしかすると今までのは全て妄想で、俺は実は普通の人間の赤ん坊なのかも!
いや、転生者が普通であるかは置いておくとしてだ。
「OK、有給は取ってあるから千晶も安心して。
でも、異形型とはびっくりだね、全身タトゥーみたいでかっこいい」
「あら、個性発動した後の私達の姿よりは人間してるわよ」
「ははは、違いないね!」
「(よかった、異形型は未だに偏見が強いって聞くけど、この夫婦は大丈夫そうね)
あら?首の後ろに小さな突起があるわね。」
「じゃ、またな、千晶」
「ええ、またね、勇」
ふははは、俺の取り越し苦労なら何の問題も無い!
雰囲気的にここは明らかに病院だし、俺を抱えているのは病院関係者だろう。
特に俺について大声で言い合っている様子もないし、抱いている仕草はとても自然だ。
何より、周りから放たれているマガツヒ、つまりMAGは非常に穏やかだ!
普通でない見た目の赤子に向けるものではない。つまり俺は人修羅ではないということだ!
「阿久間さん、名前は決まっているんですか?」
「ええ、勇と一緒に決めていたの。人修羅、これがこの子の名前よ」
……あれ?
そもそも普通の赤ん坊はマガツヒなんて見えないです。