「……はぁ……」
本日何度目かのため息をつき、俺は自室のベッドに横たわっていた。目を閉じ、掌で顔を覆う。しばらくして先程の光景が脳裏に浮かぶ。
あの交差点で俺と別れ、自宅に向かった花宮さんが二人の男に襲われていた。俺がその光景を目にした途端、半分自我を失い、真っ先に男に向かって走り出した。花宮さんの後ろに立つ男の横っ面を思い切り殴り、気絶させた。次に花宮さんの腕を掴んでいた男を引き剥がし、怒り狂った奴の拳を避け、脇腹に全力の拳をお見舞いした。二人とも気絶で済んだものの、俺が自我を取り戻さなければ、殺してしまっていたかもしれない。
俺がそうならずに済んだのは、すべて花宮さんのお陰だ。彼女は必死に俺の名前を呼び、俺を正気に戻してくれた。
俺は間違ったことをしたとは思っていない。あの時ああしなければ花宮さんはもっと酷いことになっていただろう。
しかし、彼女の前であんなことをしてしまっては、怖がられても仕方がないだろう。当然だ。自分が襲われて恐怖を味わい、その上俺のあんな姿を目の当たりにしたのだから。
「嫌われちまった……かな…」
正直、俺は間に花宮さんの人柄が好きだった。
素直で、努力家で、俺が何か話す度に楽しそうな顔をする。
もっとたくさん話をしたかった。もっと飛び方を教えてあげたかった。
でも、
「もう、無理かもしれないな…」
怖がられてしまったのではないか、嫌われてしまったのではないかと思ってしまう。
「明日、謝ってみよう」
俺はそう決意してから睡魔に襲われるまで、そう時間はかからなかった。
「そういえば…女子とハグしたの…初めてだなぁ……」
俺は薄れゆく意識の中、そんなことを口にして瞼を閉じた。
次の朝、少し早めに起きた俺は、余裕を持って家をでた。敢えて飛ばず、歩いて学校に向かうためだ。昨日、下校中に通った道を
ゆっくり歩きながら考え事をする。
今日学校で花宮さんに会ったら何て言えば良いんだろう?
話しかけた瞬間逃げられたらどうしよう?
そもそも昨日のショックで学校を休むかもしれない
そんな不安がどんどんと俺の中に募っていく。俺は気を紛らわすように頭を降り、深呼吸をした。気晴らしにとスマホとイヤホンを取り出し音楽再生アプリを開いた。
お気に入りの音楽を何曲か聞きながら歩いていると、昨日花宮さんと別れたあの交差点にたどり着いた。
「…っ!」
昨日の記憶が鮮明に甦る。恐怖に囚われながら喉から絞り出した
花宮さんの声。目に涙を溜め、肩を震わせていた花宮さんの顔。そして、花宮さんを恐怖へ陥れ、心と体に大きな傷を与えたあの二人の男。
それらを思い出した途端、再び怒りがこみ上げてきた。二人の男への憎しみと、花宮さんを恐怖から守れなかった俺自身への怒りが混ざり合い、行き場のない怒りへ変わる。今の俺には、イヤホン越しの音楽すら聞こえていなかった。
俺は無理やりその交差点から目を反らし、学校へ向けて歩を進めた。
「少し、のんびりしすぎたかな」
俺は腕時計が7時34分を指していることを確認し、そう呟いた。まだまだ登校時間に余裕はあるが、ゆっくり歩いていたせいで家を出てからそれなりに時間が経っていた。
「だらだら歩いててもしょうがない。さっさと学校行くか」
俺は自分に言い聞かせ、少し歩くスピードを上げた。
それからしばらく歩き、ようやく冷泉の校門が向こうに見えた。近付くにつれ、校門の前で立つ人影があることに気付く。肩まで切り揃えた髪と身に付けている服の上から羽織った白衣が風に揺れている。
「あれは…、如月先生か?」
爽やかな挨拶とキリッとした表情で、生徒からの人気が高い。しかし、そんな如月先生が昔、とある競技でその名を世界に轟かせていたことを知る人は限りなく少ない。少なくともこの冷泉でそれを知る人間は俺くらいしか居ないだろう。
と、考えていたら、いつの間にか俺は校門にたどり着き、如月先生と目が合った。
「お、おはようございます。如月先生」
「お、早いな、湊。今日は飛んで来なかったのか?」
涼しい顔のまま先生は答え、
「ふっ。何かあった、って顔をしてるぞ?それも花宮が関係してるな?」
「んなっ!?」
何かあったことを悟られるのは想定していたが、花宮さんが関係していることまで読まれるとは……。
やっぱりこの人には敵わないな。
「俺、そんな顔してたかな?」
自分の顔をあちこち触り、そう呟いた。それを見ていた先生は愉快そうに笑いながら、
「ははは。考えてることが顔に出やすいな、お前は。昔から変わってないよ」
「如月先生……」
きっと、先生なりに俺を元気付けようとしてくれたのだろう。その優しさも、昔と全く変わらないものだった。
「湊。お前らに昨日何があったのか、私は無理矢理聞こうとは思わない。だがな…」
先生は微笑を浮かべ、
「目を反らし、逃げることだけが解決法じゃない。ちゃんと向き合うことも、努力することも、立派な解決法だ」
「……はい!」
恐らく先生は、全てを悟った上で行ってくれているのだろう。俺の話を聞き、的確なアドバイスをするのではなく、俺自身の手で解決して欲しいのだと思う。
「いい顔つきになったな、湊。」
俺は言葉を返す代わりに、強く頷いた。
「ありがとうございました、如月先生。いや、葵羽さん」
昔、飛び方を教わっていた頃の呼び方を5年振りに口にした。先生は珍しいものを見たように口を開け、すぐに表情を元に戻した。
「湊、お前なら大丈夫だ。なんたって、私の自慢の弟子だからな」
「元弟子、ですけどね」
言い合って、互いに笑った。