第1話
世界が、いろんな色が、私から離れていく。
私は抗うことも出来ずに、一人居場所を失くした。
世界から拒絶されて、私には何も残らなかった。
あんなに心から安らいでいたことが、温かく感じていたことが、まるで最初から儚い夢や空想の幻でしかなかったかのように――
全てが、私のもとから跡形もなく消えていった――………。
"空虚"という二文字がまさしく相応しいと言うように、見下ろした自身の両手の中は、空っぽだった。
頬を伝ってボロボロと地面に零れ落ちる生暖かな液体に、絶望感を感じた。私にはすでに頼ることも、縋ることもできない。
ああ、"孤独"なんだって、"独りぼっち"なんだって、自覚してまた雫が溢れる。
恨みも憎しみもない。ただ、悲しかった。
――ねぇ、どうして? 私が一体何をしたの?
――これ以上、私をそんな"目"で見ないでッ――――!!
私を見る目の色が変わった、世界からの目に急に怖くなった。
どんなに目を瞑っても、耳を塞いでも、堪えるように歯を食い縛っても、世界が怖い目で私を見る。突き刺さるその視線が、さらに私の恐怖や自虐心を煽る。
――やめてッ! 私は何も悪くない!!
もう、こんな怖い世界にいるのは嫌だ。こんな理屈もない理不尽な恐怖に震えたくない。こんなに無様に脅えて、ちっぽけな自分なんか要らない。
このまま自分なんて、灰のように消えてなくなれば――……。
そう思った時、ふと体が軽くなったような気がした。
最後に感じた温もりは、優しく私だけを包んで、そうして私から世界を消した。
これが"天罰"というものなのか――…… その罰は、果たして誰への贈り物だったのか……――
答えが浮かぶ前に視界が眩んで、灰色の景色が白へと化していった――――
久しぶりに感じる、温かい感触が私の体を優しく包んでくれる。気持ちいいなって素直に思っていると、自分がまだ思考していることに不意に疑問が浮かんだ。
クエスチョンマークと共に、意識して目をパチリと開けてみる。…………あ、開いた…… 目が……。思いもしないことに内心驚いていると、視界に映った高くて朱色っぽい天井の色に、意識が現実の方へと向く。
よく見れば、白い天井に赤っぽい光が反射していて朱色っぽく見える。光の感じからして、その正体は日光。赤っぽいってことで、今が夕暮れ時なのだと密かに悟った。
冷静になって自分の現状を把握すれば、フカフカで大きなベッドの上に寝そべって、さらにフカフカで肌触りのいい暖かい布団に体を包まれていた。
そして私は冷静につっこむ。………どこなの、ここは?
どうやらシャンデリアなんてついているとても豪勢で素晴らしい部屋に、私は今現在進行形でいるらしいが、体を起こして辺りを見回すけどどれもこれも目にしたことのない初めましてのものや風景ばかりで、私はまた数回目を瞬かせた。
思いも寄らない自分がずっと寝ていた部屋の広大さに、思考までが呆気に取られてしまって、私はベッドの上でしばらくそのまま固まっていた。
思考が無事復活を果たして、ふと窓の外を見ればまだ空が朱色に染まっていたのでそこまで長く固まってはいなかったと安堵すると、そこに再び思考を遮るように部屋の扉が静かに開いた。
途端に体をビクつかせて、私はその扉の先を凝視する。そこに顔を出したのは、やはり見知らない男の人の顔だった。
「あれ? もう起きてたのか?」
その金髪の男の人は、布団を顔の前でギュッと握りしめて、その顔を蒼白にさせる私に向かって、そんな陽気な声を出すと扉を閉めてスタスタと私のいるベッドに近づいてくる。
だんだんと近くなる彼との距離に、近づいてくるその顔に、私は声にならない悲鳴を上げた。
「――――――ッ!!」
すぐ後ろの壁まで下がって身を縮こませるそんな私のもとに、謎の彼はすぐに近づいてきて、大きな手をスッと伸ばしてくる。そうして俯く頭を、その手に優しく撫でられた。
「――――え……?」
「そんなに怖がらなくても、安心しろ。オレはお前の味方だから」
み、かた………?
なぜだか、その言葉だけで心が軽くなったような気がした。その証拠に、ギュッと握りしめていた手の力が自然と緩んでいた。
驚いてまた呆然としている私に、その男の人は話かけてくる。
「無理するな。何があったかは知らねえが、もうこれからは一人じゃねえし、辛い思いはさせない。何か抱え込んでんなら、もういっそ吐き出しちまえよ」
名前も知らない、初めて会ったにも拘らず、彼はまるで私の心の全てを見通すかのようにそう言って、脅える私を励ましてくれた。
そんな彼に、私もなぜだか安堵すると共に、久しぶりに感じる温かい感情に一気に肩の力が抜けた。そして、ああは言ってくれたものの、私は見知らない男の人の前で盛大に大泣きしてしまった。緊張で突っ張った糸が切れて下へ垂れるように、私の視界を濁して涙がどんどん溢れてきて、雨のようにシーツに染みを作ってはその範囲を広げていった。
けど、そんな無様な泣き面をした私を侮辱することも憐れむこともしないで、彼は私を支えてくれていた。そんな彼の優しさに、私は素直に安心できた。私という"存在"を真正面から認めてくれた彼を、私もすんなりと受け入れていたんだろう。
豪快に泣いた後は、さらに夕陽が傾いていく一方で、私はひとまず落ち着いた心身を確認して、目の前の彼にお礼を言った。
「あの…… ありがとう」
私がそう言ったら、何が可笑しいのか、彼はケラケラと笑って片手を振った。
「よせって、そんな畏まらなくたっていい。お前も今日からこのファミリーの仲間なんだからよ。素のままで気楽にいろ」
な? と返事を求めてくる彼に、私は気になって彼に尋ね返した。
「…………"ファミリー"?」
「おっと、まだ説明してなかったな。んじゃ、今するか」
彼の方がひとつ頷いて、一旦腰を私のいるベッドへと落ち着かせると、彼はおもむろに私へひとつひとつ話し始めた。
「じゃあまず、"マフィア"とは何だか分かるか?」
「マフィア………?」
説明の第一歩にその単語は驚愕だった。ここイタリアで、その組織の名を知らないものはいないと思う。もちろん私も、噂程度にはその名を聞いていた。
その問いに対して私が彼に分かるように首を縦に振ってあげると、続いてこう詳しく話してくれた。
「マフィアはひとつとは限らず、さらに幾つかの組織にグループ分けをして構成されているんだ。例えば、ひとつの国ん中にさらに市や町があったりする、そんな感じで、マフィアには無数の"ファミリー"が存在しているんだ。
そして、お前が今日から入ったのはキャバッローネファミリー。そしてオレは、ファミリーの10代目ボス、ディーノだ」
最後にそう自分の名を言ってくれた彼、ディーノさんは、私の目を正面からじっと見据えて、そうして微笑んだ。
「だから、お前の世話はオレが責任持って見るからな。心配ならいらねえぜ。これからよろしくな」
鳶色の澄んだ綺麗な瞳に、思わず見惚れてしまう。こんなに安心出来たのは、たぶん生まれて初めてなんじゃないかな――……。
そう思う半面、正常に回っていたハズの思考がふと違和感を覚える。
――――? あれ……? 何だろう、この靄がかかったような不思議な感覚……… 私は、一体――?
そこに、ディーノさんの声がまた聞こえてくる。
「それで、ずっと『お前』っていうのもアレだから、そろそろ名前を聞きたいんだが――」
「――――ない……」
ディーノさんが言い終わらないうちに、そんな僅かな声が間に入る。けど、聞き取れなかったようで、ディーノさんは聞き返すように私の俯く顔を下から覗いてくる。
「………私…… 分からない……… 自分の名前……………」
今にも消え入りそうな、そんな微かな声で呟いて、上からはディーノさんの強張った声がふと洩れてきた。
だけど私は彼に構わず、己の思考だけに意識を向けていた。
その感覚は、一言で言うなら"不思議"――…… かな……。思い出そうとすればするほど、白い靄のような何かが思考を妨いでくる。そして私は、自分のことさえ何ひとつ思い出せない。まるで
「――ッうあぁ…… だめっ………!」
その呻き声は、襲ってきた痛みによるのもではなく、私の中の本能が"記憶"を思い出さないように、必死にそんな声を漏らしていたんだと思う。
「おいッ、大丈夫かッ!?」
意識のどこかで、ディーノさんのそんな声が聞こえてくる。私を心配してくれているんだろうその声は、とても焦っているようだった。そんなに取り乱すほど、今の私の姿は滑稽なものなのかなと、どこかで冷静に自嘲している自分がどこかにいた。
痛みが少しして収まると、私の息は少し上がっていた。その様子を見て、傍らにいるディーノさんが気を遣って背中を摩ってくれている。
「わ、私……… 私は、一体…………」
「落ち着け。無理に思い出す必要はない。オレはお前に苦しんでほしくて、ファミリーに入れたんじゃねえんだ。そんな面するのはやめてくれ……」
ディーノさんもまた苦い表情で私を見てそう懇願してくる姿に、私も取り乱しすぎたと反省して深く深呼吸する。そして落ち着くと、お詫びの言葉を彼に告げた。
「ごめん………」
素直に謝ったのに、なぜか額を小突かれる。地味な痛さに思いっきり眉を顰めると、こんなことを言われる。
「だーかーら、笑えっつってんだろ。そんなしんみりした情けねえ面したまんまだと、許してやんねーぞ?」
………なるほど。確かに私は彼の言葉を丸切り無視して、彼にそのままの情けない面で謝ってしまった。彼が怒る(というか拗ねてる?)のも道理がある。
「うん、ありがとう。ディーノさん」
「ああ、その調子だぜ。"さん"がなけりゃ、さらに褒めてやるとこなんだがな」
「………分かった、ディーノ」
笑顔で私が彼に応えれば、彼の方も笑顔で私の頭を撫でてくれる。私もそれにはなんだか安心出来るので、特に抵抗もなく受け入れたのだった。
「素直にいうこと聞けたいい子には、ご褒美してやんねえとな。腹は空いてねえか?」
お腹……? 言われてみれば確かに…… と、その時私のお腹が素晴らしい音色を立てて空腹だということを告げた。広い部屋に十分響き渡るその音に、私も無意識に顔を赤らめ俯いた。素直になんてなるんじゃなかった……。
案の定隣のディーノからは腹を抱えて笑われている。失敬だな。レディーの失態はイタリア紳士なら
膨れっ面になって彼を睨めば、喉の奥で笑いを堪えながらもマフィアらしからぬ優しい微笑みで、
「なぁ、"
「アカネ……?」
「ああ、お前の新しい名前だ。ずっと"お前"って言われんのも嫌だろ? だからオレとアカネが初めて会話したこの時間の思い出として、お前は今日からアカネだ。どうだ?」
私にそう意見を求めてくる彼は、その顔に微笑みを湛えながらも真剣な瞳をしていた。きっと彼なりに、一生懸命考えてくれたんだろう。私たちがこうして出会うことの出来た今を、窓の外から見える茜色に染まった空を眺めて――――
初めましてにも拘らず、脅える私を宥めて、泣き崩れる私を何も言わずに支えてくれて、怖がらないように優しく微笑みかけてくれる。そんな彼が私のためと思って考えてくれた名前を、拒む理由なんてどこにもない。
今日から、私は
ベッドの上に座ったままでいる私に、するとディーノが腰を浮かして、カーペットの敷かれた地面に膝をつく。
「では、アカネ姫。お手を」
そっと差し出された右手に、にわかに顔が紅潮してしまう。これはつまり、エスコート。記憶を失くしてしまってはいるけど、戸惑う感覚に全く経験のないものと知って普通に焦った。それにディーノみたいなカッコいい男の人にされたら、余計に取り乱してしまう。
時間は少しかかったものの、ディーノの差し出してくれた手を、私は彼とは似つかないとても小さな手で取った。その際にディーノからは小癪に笑われたが、真っ赤な顔で言い返したところでさらに笑われてしまうんだろうなと思い至ってやめた。これ以上恥はかきたくない。
そしてディーノのエスコートにより、私はベッドから立つと、彼とそのまま二人で部屋を後にして行った。
でも、今なら分かる気がする。マフィアの一ボスであるディーノが、記憶を失くした私を救ってくれたこと、優しくしてくれたことの意味が――……。
ここはマフィアの世界。彼がしてくれたことの全てが"綺麗事"ではないと知って、私はそのことを知ったならば、その時は彼に対して何を抱くのだろう。
私がそれを知るのは、もう少し先の未来の話――――
@設定
茜(アカネ)
銀髪、水色の瞳、推定12歳の小柄な少女。
身長は130cm〜140cmの間とちっちゃい。小5〜小6あたりの見た目年齢。
自分の個人情報、過去に関する記憶を一切失くしている。言語や学力については特に問題なく、自分が話す言葉がイタリア語であることやここがイタリアであることは認知している。