灰色の世界に囚われた少女   作:ひばりの

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第20話

 気がつけば、一人ぼっち。

 

 冷え切った教室に、暖かい太陽の一筋が差し込む。それは私の遠く目の前にあって、いつだって届かないもの。

 

 いつからか、こんなにも慣れてしまったんだろう――……。

 

 幸福に餓えて、どうしたらいいのかも分からずに、いつも目を瞑るだけ。自分の世界の殻に閉じ籠って、苦しみや淋しさを耐えるだけ。

 

 そんなことが、私の理性を唯一保てる安全装置だった。

 

 

 ――けれど、彼は、そんなことお構いなしだと吐き捨てるかのように、錆び付いた安全装置のストッパーを壊した――――……。

 

 

 

 

 教室にフラフラとやって来た矢先に、こんなことを面と向かって告げた。

 

「僕が君の記憶を覚ましてあげる」

 

 最初は、いきなりのことに理解が追いつかなくて、目が廻るようだった。それに相手の迫力に、意識がぶっ飛ぶ半ばだった……。

 

 

 

 少し前に、私は人より体が弱いことをツナから聞かされた。自分ではあまり自覚がなかったけれど、運動は避けた方がいいなんて深刻に告げられてしまった。

 

 ツナには出来る限り迷惑をかけたくないし、私も運動にはあまり自信がない。はっきり言えば苦手分野だ。だから、運動場で行われている授業は一人欠席した。

 

 私は今、一人教室の隅でひっそりと過ごしていた。特に何をするでもなく、ただじっと席に座って、退屈を忍んでいたところだった。

 

 すると――

 

 いきなり教室の後ろのドアが開いて、そこには真っ黒なスーツを着たその人が立っていた。

 

 まるで悪魔か死神のように恐ろしく凄んだ黒檀の両目を、表情を失くした私に向けて。

 

 ………確か、ディーノの……。名前は…… 雲雀恭弥……。

 

 しばらく呆気にとられて、強張った表情で相手を見つめているしかなかった。何せ、この人の登場は予想外すぎて、運動場を一周走るより心臓の負担が大きい。

 

 どうして、彼がここにいるんだろう。今朝から獄寺さんを見ないけど、まさか――……。

 

 過った不安は、彼の発した言葉で現実になった。

 

「獄寺隼人が謹慎処分になったから、代わりに君の面倒を見ることになったよ。沢田茜」

 

 まるで、その声は人の反応を探るように、重々しく発せられて、黒檀の瞳は射抜くように遠くから私を見据える。

 

「…………」

「子守りは面倒だけど、丁度良かったよ。君には直接聞きいておきたいことがあったからね」

 

 あの一言を捨て去って行った日以来、音信不通だったのに、いきなり教室に現れたと思ったら、この人は何なの――? その腹底に見え隠れする目的は、一体何なのか。上辺だけの微笑みを向けて、彼は淡々と話を進める。私が思うところも、彼には全てお見通しらしい。ディーノの師弟だとしても、この人には気を許せない。

 

 光の加減で影に覆われたその表情は、裏の世界の冷酷さを思わせるようで、ただの子供の私には、得体の知れない怪物に脅えることしか出来ない。

 

「――けど、確か君には以前の記憶がない。僕が聞きたいのは、そこなんだよ。君が失くしてまった記憶」

 

 何の躊躇もなく、表情も変えず、唐突に彼はそこに触れてきた。でも、薄々はそうじゃないかとも思ってたから、動揺はしない。そんな私の姿は、彼の目にどう映るのか。不敵な笑みが漏れた。

 

「僕が手伝ってあげるよ」

「……?」

 

「君たちの、記憶探しに――――僕が君の記憶を覚ましてあげる」

 

 目を丸くするしかなかった。そんな提案がまさか彼の口から出てくるなんて、聞き間違いじゃないかって自分の耳を疑うしかない。

 

 態々こんなところまで来て、私に協力するという彼の思惑なんて、私には想像もつかないけれど――……

 

 彼に初めて返す言葉は、少しの間もなく、はっきりしていた。

 

「要らない」

 

 そう返せば、彼からの返事は不満な表情。

 

 予想していたけど、こんな相手を不機嫌にさせておいて、ビビらないはずがない。正直、言ったそばから後悔してる。殺気が……。

 

 でも、これ以上干渉もされたくはなかったから。

 

「……あなたの手なんか借りない。余計なお世話」

「ただの小動物と思っていたけど、僕の嫌いな気質(タイプ)だ。生意気」

「あなたにそんなこと言われる筋合いない。私の記憶に干渉しないで」

 

 屈することなく言い返したら、彼はさらに言い返すこともなく、口を閉ざしてじっと私の顔を見据えるだけ。よくわからないけど、ここで目を逸らしたら負ける気がする。

 

「このまま何もしないでいるのかい」

「……何が」

「自問自答してみたらいい。弱虫な君は、記憶を探すなんてはなから思っていないだろう」

 

 ――どうして…………。

 

 冷静でいようとしたけれど、力んでいた指先が少しずつ震え出してきた。まるで、彼のその一言に動揺しているかのように。

 

 そんなことはない。そう何回も自分に言い聞かせる。

 

 だって、ディーノとの約束じゃない。こっちで頑張ってみせるって、そう彼にコード越しに伝えた。次に会えた時には、本当の私を彼に見てもらえるように。

 

 そのために、私なりに一生懸命に頑張っているのに、この人は何を言っているの?

 

 教室に静かな靴音が響く。その音に意識が現実に返る。つい考え込んでいたみたい。このままじゃ、相手の思う壺だ。

 

 表情を窺うと、大人の余裕を振りまいたその人は、その眼差しこそ変わらず獲物を竦めるように鋭かった。目だけが笑っていない。殺気さえ感じるほどの威圧感。どんな思いで構えていても、引けをとってしまいそう。

 

「否定するなら止める気はない。けど、くだらない意地でこれ以上君自身を陥れない方がいい」

「っ…………」

 

 言い返そうと口を開いたのに、言葉を失くしてしまった。やっぱり相手が悪すぎるのかもしれない。

 

「顔が真っ青だね。本当の君は、そんな風に内心怯えてばかりいる。自身の感情をコントロールするのに必死で、周りは愚か何も見えていない。君の言う記憶探しは、今後もお先真っ暗な闇の中」

 

  違うって、彼の言葉を否定したいのに、出来ない。それは彼が怖いからじゃなくて、彼の言っていることは正しいから。

 

 思えば、彼は、最初にあった時から私を見ていた。疑り深いような眼差しを向けて――……。

 

 

 あの時の気持ちに嘘はない。

 

 けれど、彼の言うとおり、真実に怯えている私がいる。記憶を探すと、同時にいつも不安になる。

 

 もし、記憶を取り戻したら?

 

 本当の私は、また彼らに受け入れられるのかな。ディーノは、変わらず私を笑顔で迎え入れてくれるだろうか。

 

 そんな保証はどこにもない。

 

 私は、また見捨てられるのが、たまらない。

 

「……あなたの言うとおりかもしれない。本当の私は、綱渡りを渡れない。怖くて足が竦む。リスクを遠ざけて、スタート地点からずっと止まったままなのかもしれない」

 

 結局、認めてしまうしか、相手に返す言葉がみつからなかった。はいはいと認めてしまう私は、相手の思惑通りなのかもしれない。そう考えると不服だ。こんな人の掌の上で踊らされているなんて認める気はない。

 

「だけど、あなたが思うように簡単なことじゃない。……正直、このまま記憶を探すのは絶望的。あなたには、きっと(わか)ってもらえないけれど……」

 

 頑張ってきたのは、私だけじゃない。私のために、いろんな人たちが動いてくれている。ツナや彼のファミリーの人たちにはもちろん、たくさん迷惑かけてる。そんな彼らの気持ちにも応えたいのに、思い出すことはひとつもなく、彼らの頑張りを無駄にしてしまう。その度に私も自信を失くして、記憶探し(トレーニング)どころじゃなくなってる。

 

 ツナもそれを見通したのか、最近はそのことについてあまり触れてこない。彼はとうに諦めてしまったのかな……。

 

 涼しい顔の彼に、私の今までを何も知らないのに、軽く思われたくはない。急に出てきた人に、何が出来るって言うの?

 

「どうでもいいよ。そんなことは」

 

 簡単にそう言ってのけた。

 

「それが手に入れ難いものほど、燃えるからね。ただあの草食動物たちが無能だった、それだけのことだよ。草食動物に草食動物のやり方があるなら、僕には僕のやり方がある」

 

 最初は何を言っているのか、私にはスケールの大きい話に思えた。けど、その黒檀の瞳の奥に密かに宿る野望に、彼の本気の熱意を見た。彼も決して状況を甘く見ているわけじゃないことは伝わった。

 

 彼が何を目論んで、私にこの話を持ちかけているかはわからないけど、彼なら記憶を取り戻してくれるんじゃないかって、根拠のない期待が湧いた。

 

「……本当に、記憶を返してくれるの?」

 

 騙されたと思って、賭けてみてもいいと思った。利用されることにはもう慣れた。彼は普通の大人と違って変な気回しをしなくて口が正直で態度がでかくて良心を知らないだけで嘘はつかない。そこだけは信頼出来ると思う。だから、私も頷こうとした。

 

「無理だね」

 

 しーんと冷めた教室の空気を痛感したようだった。

 

 ちょっと待って、話が違う!

 

「記憶がどうこうより、まずは君自身の問題だ。偽りのない意志表明を示すのなら、僕は君のために手を貸してあげよう」

 

 話は一転した。彼の方も私を100%信用しているわけじゃないらしい。当たり前だけれども。

 

 彼は私に覚悟を見せろと言う。偽りのない本物の意志を。あの性格上手間は省きたいんだろうし、これが証明に一番手っ取り早いのはわかる。

 

 でも、覚悟なんてたいそれたことを示す方法なんて一介の少女が知るわけない。

 

 いつまでもうじうじ考えていると、業を煮やしたのか、彼はひとつ重々しい溜息を吐いた。

 

「ヒントをあげる。君は、自身の殻を抜け出せていない。親の餌に頼るばかりで自身は巣の中で甘えていることしか出来ない雛鳥ってところだ」

 

 ……ヒントも何も、馬鹿にされていることはわかった。

 

 それでも彼が求めるものがわからない。彼を睨んだところでそんなのわかるわけないか。

 

「……わからない。はっきり言ってよ」

「はっきりしてるよ。むしろ簡単なことだ」

「……ふざけてるの?」

「僕も茶番は嫌いだよ」

 

 相変わらず淡々とした言葉で、何を考えているのかさっぱりだ。会話が疲れる。

 

 彼がふざける性格じゃないのはわかってる。何か彼の言葉の中にヒントが欲しかった。少しでも答えに近づきたくて、でもやっぱり相手が悪い。

 

 チャイムの音をきっかけに、今まで彼の肩で大人しくしていたのに、ふと翼を広げて飛び回り始める。チャイムに驚いたのか、それにしては悠々と教室を飛び回ってる。ヒバードだった。また音の外れた校歌を歌ってる。

 

 ふと、先程の彼の言葉が思い浮かぶ。

 

 私が雛鳥なら、親鳥は……。

 

「――――ディーノ……」

 

 ふと脳裏に沸いたその人の名前を呼べば、彼は満足そうに微笑む。

 

 その反応は、どうやら答えに一歩近づけたようだ。

 

 

 でも、どうしてだろう。

 

 胸騒ぎが治まらない――……。

 

 ディーノがこのことにどう関係してくるのか。どんどん顔が青ざめていくのがわかった。

 

 

 

 

 

「私に、ディーノを忘れろって……?」

 

 

 

 自分でも驚くほど、か細い声で、震えていた。

 

 けれど、私の回答は彼を満足にしていないらしい。

 

「違う。跳ね馬だけじゃない。君を縛る全てのものから自分の意思で抜け出してみなよ」

 

 彼はまた淡々と言った。

 

 私を縛るもの――――

 

 彼の言葉は想像に難くない。けれど、それを手放すのは、あまりにも大きなものを失うことだった。

 

 私には、その覚悟は辛すぎて、それを背負うには重すぎる。

 

 それは、何もなかったあの時の私に温もりと笑顔をくれた人たちだから――……。

 

 その恩を仇で返すような真似は、私には出来ない。

 

 出来ない――……ッ。

 

「その程度の覚悟で簡単に取り戻せるものじゃないことくらい、君にも解るはずだよ」

 

 けれど…… 彼の言うとおり、このままでもいけない。結局また変われない。ここで決意しないと、私はこれからもこのままなのかもしれない。

 

 情けないままで、いいはずがない。

 

 彼についていけば、私は変われるかもしれない。

 

 けれど…… それは一度彼らを、みんなを裏切る行為――

 

 

 

「――いつまでそうやって逃げる気だい?」

 

 いつまでも逃げられるなんて思っていない。逃げていても、いつか手遅れになるかもしれない。

 

「君は一度堕ちたんだ。再び巣から落ちたなら、次は上手く飛べるはずだよ」

 

 そんなことなら、私はあんな約束をしなかった。

 

「――――恭弥、さん」

 

 だから、私は約束を果たしに行く。

 

「私は私の居場所を失くさない。絶対に捨てない。だからここに置いていく。そしてまたここに戻ってくる」

 

 いつか貴方に「おかえり」って、その胸に飛び込めるように。

 

「ふうん」

 

 ディーノ――

 

「生意気だね。でもまあ、悪くないよ」

 

 待っててくれる?

 

 

 

「ひとつ言い忘れたけど」

 

 教室を出る際、ふと立ち止まる。そう言うと、一瞬の間に私の視界を何かが横切る。

 

「学校を出れば沢田綱吉との取引は無効。君の身の保証はしない。それでも行くかい?」

 

 いきなりのことで、最初は息さえままならなかった。自分の首元を見れば、すぐにでも私の喉を掻っ切りそうな武器(トンファー)があった。

 

「場合によっては僕の手で君を殺す。僕をがっかりさせるようなことがあればね」

 

 器官を圧迫するような感覚が、私への殺意を示してる。彼は殺すと言ったら殺すだろう。虚言はない。本当に子供だろうが、彼は容赦ない性質だから。

 

 ここで終わってしまったら、もうディーノには会えない。何も伝えられないまま、終わってしまうかもしれない。

 

「あなたが探っていることが何にしろ、それが解明されない限り私は人質ではなく、あくまで交渉人としてあなたと行動する」

 

 動じることはない。いつもの私であればいい。

 

「君に直接交渉してよかったよ」

 

 彼の牙から免れた。詰まっていた息が一気に吐き出される。やっぱり相手が悪過ぎる。

 

「合格点はまだあげないけどね」

 

 ここからは何があるかわからない。この選択が正解なのかも私にはわからない。

 

「……ケチね」

「……ちなみに、発言も減点対象だから」

「テストとか試験とか赤点とったことないから、安心して」

「へぇ…… 期待しておくよ」

 

 けれど、引き返す選択肢はもうなかった。

 

 

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