翌日──05/03(火)
「ほら、アキ!起きな!!」
明人の母親が、険しい顔をしながら布団を払い、無理矢理明人を起こしに来た。
「ん……なんだよ………母ちゃん」
明人は寝ぼけたまま、不満そうな声を出し、払われた布団を掴んで、自分の顔へ被せた。
「なんだよじゃないわよ。
電話。女から。
あんたには珍しく、可愛い声でのお誘いよ」
「…………え?」
母親の半分呆れ半分茶化すような口調と、その言葉に、明人はもしやと思い、家の固定電話へと急いだ。
向かうと、受話器が電話台に、伏せた状態で置かれており、明人はドキドキしながらも、すぐに手に取り、耳に近づけた。
「もしもし、竹内です」
『あ、竹内さん!』
受話器から聞こえてきたのは、間違えなく咲希の声だった。
好きな人から電話が掛かってきたので、明人は思わず頬を緩ませてしまう。
『………えっと、その声は竹内さん……じゃなくて、名字はみんな同じだよね…………。
えー…………下の名前…………』
咲希は本人確認をしたいようだが、下の名前を度忘れしたのか困った様子になる。
「あ、うん。
多分、俺が、早苗さんが用事ある人だよ。
若葉小、5年2組の竹内明人」
『あ!そう!!
よかった!
あ!おはよう!竹内さん!!』
明人の助け舟で、電話の相手が明人だと分かると、咲希は、いつもの無邪気な様子で挨拶した。
「お、おう。
おはよう」
明人は、いきなり電話が掛かってくるとは思わず、どぎまぎしてしまい、素っ気ない感じで返してしまった。
また、いつも教室中にする挨拶を、独り占めできたような気分になり、どこか嬉しく、その分もっとしっかり言いたかったとも思った。
『ねえ、竹内さん!
今日、これからちょっと空いてたりする?
また、水やりするの手伝ってほしいんだ』
「え!? あ……空いてる…! 全然空いてる!!」
昨日だけじゃなく、今日も来た突然のお誘いに、明人は動揺したが、また一緒に係仕事できる機会を逃すまいと、即答した。
『ホント!? やったー!!
じゃあ、8時に学校の花壇でね!!』
「お……おう
8時な……。わかった……。」
『うん! また竹内さんとお仕事できて嬉しいなー!
それじゃ、またね! ばいばい!!』
「おう……。また。」
通話が切れた音がした後も、明人は受話器を耳から離せなかった。
しばらく固まった後、段々と2日連続で好きな人と一緒にいられると理解でき、
「おし!!!」
受話器を戻すと、喜びが溢れ、思わずガッツポーズをしていた。
「なにが“おし!”よ?」
「わっ!? 母ちゃん!!?」
後ろを見ると、母親が呆れたような目付きで明人を見ていた。
明人は、恥ずかしいところを見られたと、目を泳がせ、顔を赤くする。
「そんな驚かなくてもいいじゃない。
それで、可愛いお嬢ちゃんと、どんな取引してたんだい?」
母親は、明人の肩に手を回しながら、声を低くして訊く。
「うるせえな!
何でもいいだろ!!」
明人は手を払いのけ、そう言うとご飯を食べにリビングへと向かって行った。
「………あれ?
母ちゃん!飯は!?」
しかし、テーブルの上には何もない。
「ないわよ」
腕を組み、壁により掛かりながら、母親は呆れた口調で返す。
「なんで……?」
「そりゃ、あんた。今日休みでしょうが。
私もさっきの電話で起きたんだから、ご飯も何もないわよ。
どうせ朝ご飯作っても、あんた達起きないから、休みの日はお昼ご飯からってルールじゃない」
「……でも!
俺、8時に学校着いてなきゃいけねえんだよ!
ほら…………もう7時じゃねえか!」
「そうね……そんくらいなら、家族で熟睡してる時間よ。
なにか食べたいなら、引き出しの食パンでも食べてなさい。
じゃ、おやすみ」
母親は、終始取り合うつもりはなく、眠たそうにしながら、自分の部屋へと戻ってしまった。
残された明人は、料理は勿論、電子レンジの使い方も分からないので、結局その通りにすることしかできず、引き出しに向かった。
「いただきます」
引き出しから、食パンを2枚取り出し、皿を出すのも面倒だったので、椅子に座ったら、そのまま同時にかぶりつく。
(味、薄……)
薄味だったため、ジャムを探しに行こうとも考えたが、時間が惜しかったため、そのまま食べることにした。
「にゃ〜」
「ん?」
足元を見ると、飼い猫のシキが物欲しそうに明人の顔を見詰めていた。
「なんだよ。お前も早起きか?」
普段は、夕方まで眠って動かないため、お揃いで早起きなのかと、冗談混じりに訊く。
シキは、明人の膝を経由し、テーブルに上がると、明人の食パンを狙って手を出す。
「おわっと!危ね!
だめだぞ。母ちゃんには人間の飯なんて食わすなっ言われてんだから」
「にゃ〜」
明人は食パンを上に上げて躱すが、シキはねだるように鳴き声を上げる。
「わかったわかった。少し待ってろ」
明人は面倒くさそうな顔をしながら立ち上がり、餌のあるところへと向かう。
シキは察したのか、いつもの餌場のところで毛づくろいしながら、スタンバイした。
「調子のいいやつだな」
明人はそう言いながら、4分の1くらい食べ終わっていた食パンを口に詰め込むと、餌の準備をして、シキに与えた。
(美味いかー?)
明人は食パンを詰めたままだったので、心の中でそうシキに訊きながら、背中を撫でた。
普段は触らせてくれないのだが、ご飯中の時だけは、食べることに夢中なのか、許可が下りるのだ。
(……そういえば、アイツは来るのかな)
明人は、シキの背中を撫でながらふと、水やりのことを考えた。
(わりと浮かれちまったが、別に早苗さんと二人きりって決まったわけではないもんなー。
アイツがいると、気まずいっていうか、ぜってえ無理!!
はー……訊いときゃよかった)
「にゃう」
そこまで考えると、シキはご飯を食べ終わり、撫でる手に猫パンチの制裁をくわえられた。
(あ……ああ。)
明人は残念そうに、いつもの日向ぼっこの場所へ走り去っていくシキを見送った。
(……まあ、いいか
……アイツのことも、行けば分かるし)
明人は、考え過ぎるのも自分らしくないと思い、楽観的な考えになった。
(なんか、休みの日の学校って新鮮だな……
静かだ……)
集合時間の5分前に学校へ着いた明人は、休みでいつもと違う学校の雰囲気に、新鮮さを感じ、その特別感からか、ドキドキが更に増してきた。
ここへ来る道中でも、影や車の窓ガラスの反射で、寝癖がないか気にしつつ、昨日の咲希の笑顔を思い出してはニヤニヤし、学校へ近づくごとに胸のドキドキが増していたのだ。
そして、花壇が見える校庭の近くまでくると、咲希が1人だけで、花を眺めているところが見えた。
(いた、早苗さん!)
明人は心臓の鼓動が更に速くなり、このまま破裂しそうと思うほどだった。
恐る恐る、なぜかなるべく気付かれないように近付く。
花壇の周りを見ると、傍らにジョウロがあり、すでに道具は用意されていた。
支柱の側のランドセルで、人数を確認しようとしたが、授業があるわけでもないので、ランドセルはない。
明人も手ぶらである。
(後ろ姿もかわいい……)
そして、遂に咲希の真後ろに立てたのだが、これから、どうやって声をかけていいのか分からなかった。
(声をかけるだけ……そう、声をかけるだけだ。
昨日も普通に話せてた。大丈夫……いつも通りをするだけだ。なにも難しいことはない)
明人は決心し、声を掛けようとした瞬間
「竹内さん、まだか…わあ!!!!!」
咲希は、明人が来てないかどうか確認しようとして、振り返ろうとしたとき、真後ろにいる明人に驚いて尻餅を付いてしまった。
「はぁ……はぁ……びっくりした……!!」
「ごめん! 早苗さん…!
そのつもりはなかった……!
別になんか、その脅かそうなんて、そんなことは……!
えっと……あの…えー、大丈夫?」
明人は“やってしまった”と思いながら、なんとか弁明しようと、矢継ぎ早に喋る。
「うん。大丈夫だよ。
ちょっと驚いちゃっただけ!」
咲希は立ち上がり、ズボンのお尻に付いた土を払って、笑いながら言った。
「そう……あ、ホント、ごめんね」
「大丈夫だよ! いつからいたの?」
「ほんのちょっと、今さっき」
「そっかー! 全然気付かなかった!!」
「花見てたから……じゃない?」
「うん! これ、百合ちゃんと一緒に植えた……」
咲希は、さっきまで見ていた赤いチューリップを指差しながら、そこまで言うと、急に顔を暗くさせてしまい、口をモゴモゴさせて何も言わなくなった。
「早苗さん?
……大丈夫?」
明人が心配して声を掛けると、咲希は背中を向け、顔を隠したと同時に
「ぅ……ぅう……うわああああああん!!!」
大きな声で泣き出してしまった。
「え!?」
明人はどうしたらいいか分からず、動揺する。
「早苗さん!?
大丈夫!?やっぱり驚かせたの恐かった?」
明人は咲希の前に立って、理由を訊こうとするが、その都度咲希は方向を変え、顔を隠してしまう。
「早苗さん……」
明人はどうしたらいいか分からず、立ち尽くしてしまう。
そして、そのまま何もできないまま5分くらい経ち、ようやく咲希は泣き止んだ。
「……早苗……さん?
大丈夫?」
「……うん。平気だよ」
「そ……そう?
ホントに? なにかあった?」
「………………ううん。
何もないよ。平気だよ」
「ホントに? やっぱり、驚かせたの恐かった?」
「ううん。大丈夫。」
「…………そう」
明人は理由を訊きたかったが、咲希にその意思がないことが分かると、引き下がってしまった。
それと同時に、もし先生の誰かが来たら、どう説明すればいいか考えていたので、杞憂に済んだことに胸を撫で下ろした。
「ごめんね。
……もう、平気…だよ」
「……そう。
よかった」
「うん。
あ、今日も百合ちゃん、お熱みたいだから。
そのためにお手伝いしてくれないかなって呼んだの。
大丈夫だった?」
「おう!全然平気!
むしろ、今日は特に用事なかったから!」
明人は無意識ながらも、百合がいないことが分かり喜んで、声が元気になっていた。
「よかった」
咲希は優しく微笑むが、どこか無理しているようにも感じた。
「そうそう、じゃーーん!
今日ね、早く来ちゃったから、空良くんと先にジョウロ用意しといたよ!」
咲希は頭を振って明るい笑顔を見せると、得意げに道具を見せた。
「ありがとう
……あれ、空良くんってお兄さんだよね?」
明人は、また二人きりでない可能性が浮上したため、姿見えぬ、好きな人の兄の動向を伺うことにした。
「うん!」
「その、お兄さんは?
今どこに?」
「帰っちゃったよ。
お昼に迎えに来るってさ。
あんまり係のお仕事、邪魔したくないんだって。
でも会わせたかったなー」
咲希はちょっとだけ不満げに言った。
「そっか……また、なにかあったときかな」
明人は再び、二人きりなことが確定したことに安堵し、それを悟られないよう、当たり障りのないことを言った。
「うん!!」
咲希は元気よく嬉しそうに頷くと、大きいジョウロを重たそうに手に持った。
「水やりしよー!!
もう、水は入れてあるー!!
わたし、花壇やるから、竹内さんは、ヒマワリお願いしていい?」
「わかった
………あ、いや、俺が花壇やろうか?
大きいジョウロ重いでしょ?」
明人は、ここで好感度を上げようと、男らしく重い方を担当しようとしたが
「だめ!!!」
と、咲希に大きな声を出され、抑制されてしまった。
「あ、そう……わるい」
明人は、そこまで強く言われるとは思わず、萎縮してしまう。
それを見て咲希はハッとし、目を潤わせてしまう。
「あ……えっと……えっとね、ごめんなさい……!
竹内さんだからだめとか……なんというか……そういうのじゃないよ……!
えっと……だから……あの、その……とにかく、花壇は……だめなの……」
咲希は泣くのを堪えて、必死に弁明する。
「わかった。じゃあ、俺がプランターやればいいんだね」
明人は、なにか説明できない事情があるのではないかと思い、追求することはなく、小さいジョウロを持って水やりを始めた。
咲希は“ありがとう”と言いたかったが、泣きそうになって声がでなかったため、心の中で、感謝しながら花壇に水やりをした。
「よし! 終わり!!」
一通り水やりを終えた咲希は、やり切った感じで大きく宣言した。
「……そっか、水やり……だけだもんな」
明人はあっさりと終わってしまったため、“もう少し一緒にいたかった”と思ったが、それを口に出すことはできなかった。
「竹内さん!
ジョウロ返しに行こー!!」
咲希はジョウロを1つ持ちながら、あどけない表情で明人に言った。
「…………ああ。
あ、走らないでゆっくり行こうな」
明人は返したら、今日は終わりなのかなと名残惜しそうに答えた。
「うん!」
結局、それからなにか発展するわけでもなく、涙の理由も語られることなく、ジョウロを返し終え、校門まで来てしまった。
「…………じゃ、早苗さん。
今日は、ありがとう」
明人は、物足りなさを感じたが、高望みし過ぎただけと自分を説得し、別れの挨拶をかけた。
「うん」
咲希は頷くが、いつもの笑顔がなく、思い詰めたような表情だった。
明人は心配したが、ここから先は二人とも違う道だった。
なんともない顔で、咲希と同じ道へ行って、相談に乗れるのではと考えたが、すでに別れを切り出してしまったために、そうすることはできなかった。
明人が悩んでいると
「ねえ!! 竹内さん!!」
咲希が決意めいた表情をしながら、明人の顔を見上げた。
「……なに? 早苗さん?」
「今日って、なにも予定ないんだよね?」
「……あ、ああ。
ないよ。ホントに。なんにも」
「じゃあ、ちょっと着いてきてほしいところがあるの」
「え……いいけど……どこ?」
「お花畑」