翌日──05/17(火)
(…………あれ?)
この日、明人が登校すると、上履きがなかった。
明人は一瞬、週末に洗濯に持ち帰ったのを忘れてきたのかと思ったが、昨日はしっかり履いていたので、それはなかった。
(…………ないか)
下駄箱から落ちて、誰かが間違ったところに戻したのかと思い、一通り探したが、自分の上履きはない。
仕方がないため、明人は上履きをはかないまま教室へと向かった。
「おはよう」
教室に着いた明人は、健太に挨拶した。
「おはよ。
なあなあ、アレ、お前のじゃないか?」
健太は挨拶を返すと、明人に顔を近付け、ロッカーの方を指差した。
「? アレって?
…………あ」
明人がロッカーを見渡すと、百合のロッカーに、上履きが入っているのが見えた。
明人は早歩きで近付き、覗き込んで名前を確認する。
それはやはり、自分の上履きだった。
「なんでこんなところに」
明人は上履きを取り、履きながらそう呟いた。
「不来方が隠したのか?」
付いてきた健太が、水やりでまだ教室に来ていない百合の席を見ながら、そう言う。
「いや。アイツはこんな、ねちっこいイタズラはしねえよ」
「じゃあ誰がやったんだ?」
「……さあ?
まあでも、見付かったのならそれでいい。
お前、あんま他のヤツに言うなよ」
「なんで?」
「あんまり大っぴらにすると事件が紛らわしくなるからな……。
とにかく、今回は何もないってことで、相手の動向を伺う」
「おー!
それっぽいことをいいなさる!」
「……まあな」
明人はそう言うと、それをやったまだ来ていない、犯人だと思わしき人の席を見詰めた。
その日は、嫌がらせはそれだけで、特に何もなく、百合も咲希以外の人との絡みはなかった。
明人は確認程度に、百合に百合の姉の事を訊こうと思ったが、昨日からどこか他人行儀で、会話をする気も起きなかった。
翌日──05/18(水)
咲希と百合は、朝の水やりのため、倉庫からジョウロを借り、水を入れて花壇に向かっていた。
「さっち、明日誕生日だね。
なにプレゼントしてもらうの?」
「お花の図鑑!
わたしも、明人くんみたいにいっぱい勉強する!」
百合は咲希の言葉に、胸がキュッと締め付けられるような感じがした。
「…………そうなんだ。
偉いね」
それでも、咲希を心配させたくないため、優しく微笑んでそう言った。
「うん!! 百合ちゃんに負けないくらい、わたしもかしこくなる!!」
「そっか……。
楽しみだなー」
「うん!!」
百合は、ジョウロを両手に持って嬉しそうに隣を歩く咲希を横目で見た。
咲希が花のことを勉強し、もっと奥深い話ができるかもしれないのは嬉しかったが、ずっとこのまま変わってほしくない気持ちもあった。
それに、もしも咲希が賢くなり、もっと頭の良い人と関係を作り、自分が仲間外れにされてしまうのではないかという不安もあった。
「……百合ちゃん?」
不安や、一昨日からまだ取れない疲れが顔に出ていたのか、咲希が心配そうに声を掛けた。
「………………!
なに?」
百合は我に返り、急いで聞き返す。
「大丈夫?」
「……心配しないで。
私は平気だよ」
百合は最近の愚痴を思い切って吐き出そうとも考え、喉まで出掛かったが、どこか、自分が惨めに思えてしまい、作り笑いをし、嘘を付いた。
咲希は追求しようか迷ったような顔をした後、ジョウロを片手に持つと、百合の空いている手を握った。
百合はその温かく小さな手に、安心感を覚え、少しばかり不安が解消された気がした。
「ありがとう」
百合は自然な笑みになり、小さく呟いた。
しかし、その笑顔は花壇に着いた瞬間、すぐに消えた。
花壇に咲く様々な花達。
その中で、ただ一輪──赤いチューリップが踏付けられ、折られていた。
「…………なに……これ……」
百合はショックで持っていたジョウロを落としてしまう。
(……さっち!)
百合はハッとし、咲希を見た。
咲希もショックを受け、何が起こったのか分からない困惑した様子で百合を見詰めていた。
百合の手を握る、咲希の手が震えている。
百合は手を握り返し、安心させようとしたが、百合も落ち着いていられなかった。
恐る恐る折られたチューリップへと近付く。
チューリップは花壇のやや中央付近にあり、仮に事故で転んだとしたら、他の花も一緒に折られているはず。
けれども、折られているのはチューリップ一輪のみ。
誰かが故意で、それを選んで踏み付けたことになる。
(酷い……!!
……誰がこんな事…………!!?)
百合は一生懸命育てた花が、無残な姿にされ、怒りが込上がって来る。
近くで見ると、花と土にしっかりと靴の跡が残っていた。
そしてその近くに、メモ用紙のようなものが埋められているのが見えた。
(……なんだろう)
百合はメモ用紙を引っこ抜く。
(…………え)
百合はその形と、そこに書かれた文章の一部を見ると、急いで握り潰した。
(なんで…………なんでこれが………………
まさか!!)
百合はとんでもない考えが頭によぎってしまう。
その瞬間、百合は何かに急ぎ立てられるように、咲希を強引に引っ張り校舎に急ぎ、教室へと走る。
そして、最近いつも扉の前にいるその姿を見付けると、険しい顔付きになり、叫んだ。
「竹内さん!!」
「……ん?
なんだよ……? 朝から」
明人は迷惑そうに返す。
「さっちは先に自分の席行ってて」
百合は教室に入る前に、咲希へ急かすように言う。
咲希はチューリップを踏付けられたショックで声が出せず、ゆっくり頷くと、泣きながら自分の席へ向かった。
「咲希、なんかあったのか?」
明人はいつもと咲希の様子が違うことに、心配して訊いた。
「竹内さん……ちょっと」
百合は廊下を指差しながら、険しい顔付きで言う。
「……はいよ」
明人はお呼び出しだとすぐに理解し、廊下に出た。
百合もランドセルを下ろさずに廊下に出ると、案内するように腕で方向を指し示した。
明人は怒った顔をして何も言わない百合を不思議に思いながら、黙って付いて行った。
そして、辿り着いたのは花壇だった。
「これ見て」
百合は真剣な顔で、踏み付けたチューリップを指差した。
「……酷いな」
明人はそのチューリップが、咲希が百合と喧嘩しているころ、真剣に見ていたものであるのを覚えている。
それほど大切にしていたものが、無残な姿になっているのを見て、明人も息を呑む。
「…………それで……これ」
明人の様子を見ていた百合は、少し躊躇った様子で、ポケットにしまっていた、くしゃくしゃのメモ用紙を広げた。
それは、一昨日、帰りの会の前の時間に、百合が明人に渡したメモ用紙だった。
「これがどうした?
ていうか、なんでお前が持ってるんだ?」
明人はそれが今、何を意味するのか分からず、明人は不思議そうな顔をする。
百合はその顔を見て、口をもごつかせる。
それでも、このモヤモヤする気持ちをどこかにぶつけたく、拳を握りしめ、鬼気迫る表情で明人に訊く。
「これ! あなたがやったんじゃないよね!?」
「……は?」
明人は見に覚えのない容疑をかけられたことに、思わず聞き返した。
「このメモ……花壇に埋まってた……!!
“仲良しじゃないなら仲良くしなくてもいい”って書いてあるけど!!
これは酷いと思う!!」
百合は泣きそうになりながら叫ぶ。
「は?
じゃあ、俺を疑ってるっていうのか?」
明人はあらぬ疑いを掛けられているのだと分かり、少し怒ったように言う。
「……うん…!
さっき……昇降口で靴履いてるとき、靴の裏……見た。
踏んでるのは左足…………あなたの左の靴の裏も……少し、土が付いてた!!」
百合が恐る恐る、言葉を選ぶように慎重に述べる。
明人は左の靴の裏を見た。
確かに、右に比べると土が付いている。
それでも、明人は別の心当たりがあった。
「これはな。また嫌がらせだよ。
下駄箱の中に土が入れられてたんだ……。
取るときビックリしたよ」
明人は面倒くさそうに、冷静に反論した。
その様子に百合は、気が遠くなるような感じがした。
「…………で……でも…………」
百合も、明人が犯人でないことは分かっていた。
メダカの世話をする明人は、花の世話をする咲希みたいに真っ直ぐだった。
そんな明人が、生命を侮辱する行為はしないと信じていた。
それに、花壇は咲希のものでもあるため、咲希が悲しむことはしないとも思っていた。
「あなたじゃなかったら…………
あなたじゃなかったら!! 誰がやるの!?」
それでも、ここ1,2週間の仲の良いフリをしたときに積もったイライラや、冤罪を掛けられたときの不安と恐怖。
「あんな平気そうな顔して、本当は私のこと疑ってたんでしょ!?」
嫌がらせをされても動じない明人と、心が不安定になってしまう自分との比較。
百合はまた、自分がちっぽけに思えてしまった。
「だから仕返しに花を踏み付けたんでしょ!
そうだよね……あなたは私が嫌いだもんね!!
私達! 仲悪いもんね!!」
そのちっぽけさが──自信のなさが、百合の心を蝕み、今一番容疑者に近くて遠い明人を犯人にして、責めることで、心を解放させたかった。
「いい加減にしろよ!!」
百合の勝手な言い分に、明人の怒りはピークに達し、怒鳴った。
百合は萎縮し、身を竦めて口をもごつかせる。
「確かに俺はお前が嫌いだけどな!
なんで、わざわざ花を踏み付けるんだよ!!
そんなことしたら咲希が悲しむだろ!
そんくらい分かれよ!!」
「わ……分かってるよ……!
でも……でも……!!」
「でもでもうるせえよ!!
花が踏まれてショックなのは分かるが、勝手に決め付けて楽しようとしてんじゃねえよ!!」
責められることに、百合はどんどんと身を縮こまらせる。
それでも、こじつけでもなんでも、なにか反論し、自分が正しく、自分が相手より上なのだと思わなければ、自分を保つことができなかった。
「うるさいな!!
あなたに私の気持ちの何が分かるの!?
いや、分かってほしくない!!
それに、あなたこそ楽してるんじゃないの!?
自分のことばかり楽しんで、周りを見ずに熱中して!
なにか起きても澄ました顔して!!
でも私は違うの!!
色んなことに気を張って、気を遣って……毎日大変なの!!
楽なんてできないんだよ!!」
「お前な!」
「私は!!!
あなたとは違うの!!
あなたみたいに天才じゃないの!!」
百合は涙ぐみながらそう叫ぶと、走り去ってしまった。
(なんだよ……
アイツ)
明人は消化不良なイライラのまま、しばらく踏まれたチューリップを見ていたが、時計を見るともう少しで朝の会が始まる時間になってしまうので、急いで教室に向かった。
その日、百合は教室に戻ることはなかった。