07/21(木)
夏休みが始まり6日目の朝。
「いっぱいたべてねー」
咲希はリビングに置かれたメダカの水槽に、エサを上げていた。
夏休みで、学校が閉鎖する期間があり、教室に入れないため、教室で飼育している動物は誰かが持って帰ることになっている。
5−2で飼育されているメダカも生き物係の誰かが持ち帰ることになった。
初めは明人が名乗り出ていたが、自由気ままな猫がいるのでだめになり、百合も自分の植物の世話が大変だからと、咲希の家でお世話することになったのだ。
「咲希ー!
ご飯だよー!」
テーブルでは、花奈ができた料理を配膳しながら咲希を呼ぶ。
「はーーい!!
あっ! めだまやきー!!」
咲希はイスに座ると嬉しそうに目玉焼きを眺めた。
「はい、ケチャップ」
「ありがとー!」
咲希は花奈からケチャップを受け取ると、花の形にケチャップをかけた。
「じゃあ食べよっか!」
「うん!!
……あれ? 空良くんは?」
「昨日夜ふかししてたから遅く起きるんじゃない?
私達で食べよ」
「うん!!
いただきまーす!」
「召し上がれ!
いっぱい食べてねー」
「うん!!」
不来方家。
「お姉ちゃん。
入るよ」
百合は姉の部屋の扉をノックし、扉を開けた。
「おはよ。
どうしたの? 百合」
姉の千帆は机から優しい笑顔で振り返った。
千帆の部屋にはたくさんのメダルや賞状、トロフィーが飾られている。
この前の終業式でもいくつかの賞状を受け取ったみたいだ。
そんな豪華な部屋の、可愛らしく、それでいて美しい主。
百合はいつも姉の部屋に入る旅に、劣等感を覚える。
今回もそれを感じながらも、恐る恐る部屋に入った。
「これ……なんだけどさ。
……算数…………わからないところあって」
百合は朝ごはんを食べたあと、咲希と遊ぶまでまだ時間があったので、宿題をしていたのだが、途中でわからなくなっていたのだ。
「うん。
どの問題?」
千帆も宿題をしていたが、その手を止め、優しく百合に訊く。
「問題……というか。
全部、よくわからなくて」
百合は口籠りしながらそう言うと、プリント冊子を見せた。
千帆は一通り眺める。
「へー。
百合は夏休み前でもうここまで学ぶんだ。
大丈夫。
私の友達もこの辺りでわからなくなってた人多かったから」
千帆は少しノスタルジックな表情をすると、イスから立って、優しく百合に微笑んだ。
「一緒に解こう」
「……うん」
百合は返事をすると、千帆のイスに座りプリントを広げた。
千帆は膝立ちになる。
「それじゃ。
ここから」
〜〜〜〜
「今日はここまでにしようか」
「……うん」
千帆は教えるのも上手く、丁寧かつ要領もよく、いつも1人でやるときよりも3倍近い早さで解くことができた。
「ありがと」
百合はプリント冊子を持つと、すぐにこの部屋から出ようと、立ち上がろうとした。
「あ、そうだ。
聞いたよ、百合。
また塾通うんでしょ?
百合は覚えるの早いから、無理して行かなくてもいいと思うんだけどなあ。
ママも心配性だよね」
「うん」
百合はそれだけ言うと立ち上がり、部屋の扉を開けた。
同意を得られたことへの喜びや、哀れられた惨めさはあったが、完璧な姉の前ではすべてが戯言のように思えてしまい、百合は必要最低限のことしか姉には言わなかった。
「また分からないことがあったら、いつでも来てね」
そんな百合に、千帆は少し心配したような顔をしたが、優しい笑顔で見送った。
百合は千帆を見ることもなく、返事もせずに部屋から出た。
花畑。
「はいチーズ!」
「いぇい!!」
「いいね!
似合ってるよー! さっち!」
「うん!!」
水やりを終え、花畑で遊ぶ咲希と百合。
新しいお洋服を貰った咲希は、百合に頼んでいつもの花畑をバックに写真撮影をしている。
何枚か撮り終えると、平たい岩に腰掛けて、写真を見返した。
「本当にさっちはどんなときでもかわいいね」
「ありがとう!
ねえ、百合ちゃん!
また後で写真ちょうだい!」
「いいよ」
「やったー!」
咲希はいつものように無邪気喜び、嬉しそうな笑顔になる。
百合は隣で微笑みながら見ていたが、ふいに夏休み明けのことを考えた。
(これから……毎日さっちと遊べなくなっちゃうのか…………)
百合は咲希と遊び、いつも隣でとびきりの笑顔が見れる──そんな毎日がずっと続くと思っていた。
しかし、夏休みが明けると塾に行かされ、咲希と遊べなくなる日が増える。
学業不振が原因なため、持ち直せばまた通わずに済むのだろうが、いつそうなるかわからないため、気が遠くなる。
(早くさっちに言わないと……)
百合はまだ、咲希に塾のことを話せていない。
いつも言おう言おうとしているが、咲希の反応が怖くて、いつも言う前に解散になってしまっていた。
「あ! この前のおはなばたけだー!」
「え?」
百合は考え事をしながら、ボーッと写真を選択していたのか、遠足の日の写真が画面に表示されていた。
「また行きたいねー」
「そうだね」
咲希がトイレに行ってる最中の、明人と話していたときに何気なく撮った写真。
(……あの人なら)
百合はギュッと拳を握りしめると、真剣な顔を咲希に向けた。
「さっち」
「なあに?」
「さっちってさ。
……“恋人”ってわかる?」
「うん!
花奈ちゃんから聞いたことある!
仲の良い男の子と女の子のこと言うんでしょ!」
百合の恐る恐るの質問に、咲希はいつものように元気に答える。
「……うん。
さっちも知ってるんだ。
すごいね」
百合はドキドキする鼓動を感じながら、それを隠すように、落ち着いた調子で咲希に微笑み、頭をなでた。
「うん!
……なんで?」
咲希は頭を撫でられ、嬉しそうな顔をしたあと、唐突に不思議そうな顔をして、百合を見上げた。
「え?」
「なんできいたの?」
「え……えっと」
百合は自分の気持ちの整理がつく前に勢いで訊いたため、なぜ“恋人という概念を知っているのかという質問をしたのか”を追求され、言葉に詰まった。
咲希の表情からして、ただの好奇心だけという可能性が高い。
「な……なんでも…………」
百合ははぐらかそうとしたが、ここで言わないとずっと苦しいまま夏休みを過ごし、塾に行く日の当日まで隠したままになるのではないかと思った。
「さっち……順番に話す。
真剣な話だから、ちゃんと聴いて」
百合は咲希に体を向け、視線を合わせ、真剣な顔でそう言った。
「……うん!」
咲希もその真剣さが伝わったのか、お膝に手を当て、真っ直ぐ百合を見詰めた。
(かわいい…………じゃなくて、しっかり話さないと……ここで。
言いたくないけど、言わないと)
百合は胸に手を当て、深呼吸すると、話し始めた。
竹内家
「あ! また負けた!?」
「アッキーまた弱くなったな」
明人の家では、真也と健太が遊びに来ております、3人で一緒にゲームをしていた。
夏休みになり、いつ咲希と会えるか分からない明人は、なにも手がつかなくなり、咲希のことを考えボーッとすることが増えていた。
そのため、ゲームでも一番先に脱落してしまっている。
「すきあり!」
「あ! おっと、甘いな」
「……あっ!」
「読みが浅いな」
「浅い言うな!」
そんな明人をよそに、健太と真也は一位争いを行う。
むしろ、明人を倒してからが本番とばかりに、2人になってからが盛り上がっていた。
(咲希今なにしてるかな?
……アイツと一緒か。
咲希もゲームとかするのかな?
そういえば最初に2人で係仕事をした日にゲームするって言ってたっけ。
咲希とまた2人でなにかできたらなー。
咲希と話したい。咲希と一緒に歩きたい。
咲希とまた……手繋ぎたい)
「アッキー!
アッキー!!」
「……っ!?
なんだよ!?」
ボーッとする明人に、健太が呼び掛けた。
「次の試合いくぞ!
俺たちの戦いはこれからだからな!」
「お……おう!」
明人は急いでコントローラーを持ち、次の試合となった。
が、やはり集中できず、すぐにまた脱落してしまう。
そしてそのことについて誰も言及はせず、ゲームセットとなった。
「よっしゃー! 俺の勝ちー!!
俺、よみ深い!! 浅くないー!!」
「はいはい。深い深い。」
調子に乗る健太を軽くいなした真也は、心配した表情で明人を見た。
「アッキー」
「……なんだ?」
「ちょっと」
真也は廊下の方を指差し、明人を呼び出す。
「あっさーはちょっとコンピュータとやってて」
「なんだよー。
……まっ! 俺だけ強くなって、全勝してやるから覚えとけ!」
「はいはい浅い浅い。
……アッキー、行くぞ」
「お、おう」
明人と真也は部屋を出ると、小声で話し始める。
「お前、あれからどうなんだ?」
「どうって……なにもねえよ」
仲直りしてから真也はたまに、明人に咲希との関係の報告を待っていたが、最近はなく、明人があんな調子なので、ついに聞き出すことにしたのだ。
「あんなやる気だったのにどうしたんだ?
アッキーらしくない」
「俺もやることはやった。
……けどさ、咲希って不来方のことには結構心配性で。
アイツ、咲希以外に友達いねえみたいだから、もし俺が告白して付き合ったとして、それでアイツが独りになって、悲しんだりとか怒ったりとかしたら、今度は咲希が悲しむんだよ」
明人はため息混じりで少しめんどくさそうに言った。
「結局、問題は不来方さんなんだな」
真也も腕を組み、難しそうな顔をする。
「そう。
まあ、それもあるけど。
なんか咲希との関係性が、ゴールデンウィークからあまり変わってない……というか、もうそれ以上の発展がないような気がするんだよな。
それに咲希って恋とかよくわからないような気もするし。
告白してもなんか違う意味で捉えられそう」
「おい、諦めるのか?」
「諦めるわけじゃねえよ。
ただなんか……なんかなー。
咲希が異性を意識するまで休戦期間かな…………
それまでアイツとなんとか上手くやるしか」
「いいのか? それで」
「いいわけねえだろ。
だけど、咲希が恋を知らないときに、告白してオッケーもらっても、なんか騙してるみたいで…………
だから待つしかねえんだよ」
明人は悔しそうでそれでいて諦め気味な顔をしながらそう言った。
「……そっか……。
次の土曜日に花火大会あるから。
そこでどうかって言おうとしたけど……難しいか」
「そうだな……アイツがいるし。
そもそも誘えるかわからないからな……」
「……まあ、そう…………だな。
……戻ってゲームするか。
あっさー待ってるし」
そんな明人に、真也は何も言えず、ゲームに戻った。
「じゃあな! アッキー」
「俺らも暇だから、また連絡して」
夕方。
ゲームを終え、少しばかり宿題を一緒に解き、健太と真也は帰る時間になった。
「おう。
……また」
明人は結局、一日気が気でなく、別れ際の今でもボーッとしていた。
2人にしては、明人のこの状態は珍しいものでもなかったので、何も言わずに帰って行った。
それから明人は気力をなくし、外でただひたすら立ち尽くしていた。
「咲希……」
遠くを見詰め、度々ため息や好きな人の名前を呟く。
「……なにしてるの?」
そんなこんなで、30分くらい過ぎ、母親が帰って来た。
母親は家の前で棒立ちする明人を見て、唖然とする。
「アキ、どうしたの?
鍵忘れたの?」
母親は驚きながらそうきき、玄関のドアを開けた。
「開いてるじゃない。
え? どうした?」
奇怪なものを見る目で、明人に訊くが、明人は一切反応がない。
「早く入りなさいよ」
呆れたような顔をすると、母親は家の中に入って行った。
(……咲希)
明人はまた呟くと、何かに吸い込まれるようにどこかへと走り出した。
花畑
道の真ん中にある平たい岩に、まだ咲希と百合の2人はいた。
遊び疲れたのか、咲希は百合に膝枕してもらい、寝息を立てて幸せそうに寝ている。
(あとは……あの人に言うだけ。
でも、どう伝えよう…………。
電話? いやだな……)
百合は咲希の頭を撫でながら、花畑を眺め、難しい顔をしていた。
不意に視線を下におろし、咲希の寝顔を見る。
(かわいい)
百合は咲希の天使のような寝顔に、思わず笑みが溢れ、無意識にカメラを向けたが、足音がきこえ、急いでやめた。
百合は、思わず足音がした方向を見る。
「……あ」
そこには明人がいた。
走ってきたのか、少し息が切れている。
「咲希」
明人は嬉しそうにほとんど無意識にその名を呼んだ。
百合のことさえも気付いていないかのように、とても純粋な目を輝かせ、咲希を真っ直ぐ見詰めている。
明人にとって、この空間には明人と咲希しかいない。
そう思った百合は、呆れたような怒ったような顔をすると
「なにしにきたの?」
と咲希を起こさないように、ギリギリ明人に届くような声で言った。
しかし、明人にはその声も届かないのか、じっと咲希を見詰めるだけだった。
百合は咲希を起こさないようにゆっくりと、岩の上に寝かせると、何も気付かない明人に歩いて行き、頬に平手打ちをした。
「いて!
なにす
いきなり叩かれたことに明人は怒ろうとしたが、すぐにまた反対側の頬を叩かれた。
「おっきい声ださないで。
さっちが起きる」
百合は掌を服で拭きながら、躾けるように言った。
「あ……ああ。
てか、なんで叩いたんだよ」
明人は幸せそうに寝る咲希を見て小声で頷くと、それはそうとという感じで百合にきいた。
「あなたがまたさっちのことばかり見詰めてたから。
みっともないし、恋のライバルの近くでよくできる」
「いいじゃねえかよ……
俺はお前と違って、全然会えねえんだから」
「だから我慢できなくなって、みっともなくさっちを探して花畑に来たんだ」
「みっともなくってなんだよ。
……そりゃ、俺もお前に叩かれるまで何やってたか思い出せねえけど」
「さっちのことになると、あなたは周りが見えなくなるからね」
少し恥ずかしそうに言う明人に、百合は呆れた感じで返すと、ちらりと咲希を見た。
まだ起きる様子はない。
百合はギュッと拳を握りしめる。
「しなよ」
百合は明人に微笑みながらそう言った。
「……え?」
明人は今まで向けられたことのない表情と、主語のない言葉に困惑する。
百合はすぐに後ろを振り返ると、しゃがみ、花畑に咲く花を優しく撫でる。
「告白。
…………さっちに」
「…………………………え?」
明人は百合のあまりにも予想外の言葉に、思考が止まった。
「あなたなら、私がいないときでもさっちを守ってくれる。
遠足の日を思い出してそう思った。
あと、ゴールデンウィークのときに、さっちと仲直りさせようと私を花畑に行かせたこととかかな。
自分の損得関係なしに、さっちを大切に思ってる。
だからあなたなら
「えーーーーー!!!!」
百合が淡々と発言の意図を説明している最中。
ようやく百合の言葉を理解した明人は、驚きのあまり大声で叫んだ。
百合は一瞬で、明人を睨み付け手を振り上げる。
「あ、悪い悪い」
明人は急いで、また声量を抑えた。
「はあ……」
百合はため息を付きながら、腕をおろし、咲希を見る。
咲希はまだ寝息を立てて寝ていた。
「もっともらしい理由つけようとしたけど、もうやめた。
あなたに馴れ馴れしくするの虫唾走る」
百合は咲希から明人に視線を戻すと、いつものように明人を睨んだ。
「なんなんだよ。
さっきから」
明人も何を言いたいのか分からない百合に、苛立ち始め、睨み返した。
「簡単なこと。
私が塾に行くことになったから、さっちが1人になるのが増えるの。
だからその間、さっちを守る人が必要だからあなたに任せる。
それだけ」
百合は明人をこれでもかとキッと睨みながら、投げやり気味に告げた。
「じゃあなんで、告白ってことになんだよ。
それだけならいつもどおりでいいだろ?」
明人は急に告白を促す百合を怪しく思い、なにか裏があるのではないかと探りを入れる。
「さっちしか見えてないあなたなら、ふたりっきりになるなら、きっと告白する。
勢いでも。
それを私がいないとこでやられるのは嫌。
だから私が知ってるところでやって」
「……そもそもお前が咲希に告白すればいいんじゃないか?」
「今のさっちに告白してもだめだよ。
さっちは“恋人”は知ってるけど“恋”は知らないの。
だからそれを知るまで私はとっておく。
その間、あなたはさっちの恋人の枠を埋めておいて。
もし、さっちが恋を知ったとき、どこの馬の骨かも分からないのがいつの間にか恋人になってたら取り返しのつかないことになるから。
さっちモテるもん」
「勝手だな……
なら俺もいい。
恋を知るまで告白はしねえ」
明人は告白が許されたことは嬉しかったが、百合の身勝手な言い分を聞くと、どこか手駒として使われているような感覚になり、どこか冷めてしまった。
「……そう。
じゃああの人に頼もうかなー」
百合は一瞬ムッとし、なにか閃いたのかにやりと笑うとわざとらしく言った。
「……え?」
「いや、なんでもないよ。
あーあ。
さっちモテるから、他にさっちが好きな人いっばいいるから、その人に頼もうかなー」
明らかに誘導するような言い方に、明人は嘘だと思ったが、もし本当だったらと思うと、せっかくのチャンスを棒に振ることになる。
「……ホントか?」
明人はなるべく心を落ち着かせて、百合に訊いた。
「なにが?」
百合も獲物を逃さないよう焦らずに、その気にさせようととぼける。
「……他の人って?
いるのか?」
「……さあ。
どうだろうね」
「お前」
明人は百合をまた睨む。
百合は明人に背を向けて咲希を見詰めていた。
明人も釣られて咲希を見た。
(かわいい。好き)
いつでもどんなときでも咲希を見ればその感情に支配される。
今、プライドを捨てれば、とてもかわいい大好きな人を自分の恋人にできる。
明人はそのプライドが本当に大事が自分に問いた。
咲希と会えず、発展もなくモヤモヤした夏休みを過ごすのか。
それとも、形だけでも恋人となり、さらなる発展の兆しとするのか。
明人が答えを出すまで時間はかからなかった。
「不来方。
次の土曜の夜。
咲希いいか?」
「……なにするの?」
急な真剣な声に、百合は不思議に思い、明人に振り返った。
明人は真剣な表情で、咲希を見詰めていた。
百合は思わず息を呑んだ。
「花火大会がある。
……そこで告白する」