どんよりとした雲が垂れ込める、残暑の残る真昼間。
そんな不穏な空の下、二人の中学生が、不穏な空気が漂う森の奥の廃墟へと辿り着いた。
「着いたー!
元ちゃん! 早くー!」
前を急ぎ、はしゃぐのは、大きな赤いリボンが特徴な中1の女の子、刀根虹。
「待てって」
呆れながら後ろを追い掛けるのは、クールそうな見た目な中1の男の子、吉田元喜。
二人は幼馴染で、登下校を一緒にすることも多い。
今も学生カバンを肩にかけているため、下校途中に寄り道しているのだ。
「前から気になってたんだよねー!
間近で見るとこわいね!」
虹はワクワクした表情で、元喜を見ながら言った。
「遠くで見るだけだからな。
ロープも張られてるし。
ほら、“立ち入り禁止”って書いてあるだろ」
元喜は冷静に、建物の入り口に貼られた、ボロボロの張り紙を指さした。
この建物は、かつてこの街の開発計画が盛んなころ、1つの事業が構えた3階建ての大きな事務所だが、開発段階で経営が傾き、夜逃げ同然で事業主が蒸発した。
街としては取り壊す予定になっているが手が回らず、ロープで囲ったまま廃墟として残り、隠れた肝試しスポットとして語種となっていた。
「そっかー。
……よいしょ」
虹は元喜の言葉を聞き流し、ロープを跨いだ。
「おい!
なにやってんだ!」
元喜は慌てて虹の手を引き止める。
「ほら、今年は夏休みにみんなで肝試しできなかったでしょ?
それに元ちゃんも最近、普通の肝試しじゃ怖がらなくなってるじゃん」
「だからって。
……見るだけって言ったろ!?」
「でも!
元ちゃん一回お誘い断ったのに、“あたし一人で行く”って言ったら、元ちゃん、“やっぱり俺も”って言ったよね!
元ちゃんもホントは行きたかったんでしょ?」
「ちげーよ!
虹ひとりで変なとこ行かせると大抵ろくなことないから、おもりだよ!」
しばらく、腕の引き合いが続いたが、元喜はそう言うと力強く虹を引っ張り、ロープの外へ出した。
虹は不満そうな顔で元喜を見る。
「三晴も楽しみにしてるのに」
「妹を引き合いにするな。
それに、三晴ちゃんはいい子だから、立ち入り禁止の場所には入らない」
「でも!
あたしたちの中学が職員会議で、お昼までで終わりでさ! 三晴は今日、クラスのグループ発表のなにかで居残りでさ!
こうやって下見できるのに丁度いいタイミングってなかなかないんだよ!?」
「だめなものはだめだ」
虹は必死になって説得しようとするが、元喜は厳しい表情で、言い放った。
虹は少し泣きそうな顔になる。
「そんなことのために……。
ほら、今日は宿題多いんだから、帰ってやるぞ。
わかんないとこは教えてやるから」
元喜は虹の腕を引っ張り、廃墟から遠ざけようとした。
虹は引っ張られながら、物惜しそうな顔で廃墟を見詰めた。
「元ちゃん、帰りにお菓子買ってあげるよ
なに食べたい?」
「買う代わりに廃墟行くんだろ」
図星をつかれた虹はなにも言えなくなる。
頬を膨らまし、怒った顔になると、急に元喜のカバンのチャックを開け、中をあさった。
「……!?
おい! 虹!!?
なにやってんだ!!?」
元喜はすぐにカバンを虹から遠ざけたが、虹の手には元喜の筆箱があった。
「虹! バカなことしてないで返せ!!」
元喜は怒り、虹の手から奪還しようとしたが
「手が、すべった!!!」
虹は筆箱を廃墟へと投げ、窓ガラスが割れている二階の部屋へと入った。
「あ!! 虹! お前な!!」
「ふん!」
元喜は虹の強引な方法に、叱ろうとしたが、拗ねた虹には何を言っても無意味なので、説教は後回しにして、困り顔で筆箱が入った窓ガラスを見詰めた。
「どうすんだよ」
虹はニヤっとすると、イタズラに笑った。
「入るしかないね!」
してやったりと得意気に言う、虹に元喜は呆れながら、廃墟の方へ歩いた。
「誰かに怒られたら、全部お前のせいにするからな」
「はーい!」
元喜は渋々、虹はごきげんにロープを潜り、廃墟の扉の前へ立った。
扉は、以前肝試しに来ただれかが壊したのか、すぐに空けられた。
「おーー」
中はホコリが舞い、机や椅子などいろんなものが倒れたり散らかったりしていた。
それがいかにも廃墟な感じで、虹は思わず感嘆の声を上げた。
「すぐに行くぞ」
元喜は薄暗い廃墟の中に物怖じせず入っていった。
「うん」
虹も入ろうとしたが、ここに来る前に仕入れた有象無象の噂を思い出してしまい、入るのを躊躇してしまう。
「なにしてる?
行くぞ」
「待ってよ、元ちゃん!」
虹はやっぱり入るのをやめたかったが、筆箱を投げ入れてしまったてまえ、引くにも引けず、走って元喜の側にくっついた。
「暗いね……懐中電灯持ってくればよかったかな?」
「そこまでじゃないだろ。
奥まで見えるし」
「ねえ、ここって幽霊出るって。
隣のクラスの誰かが、お兄ちゃんの先輩の妹に聞いたって」
「あっそ」
「あとね、ここの屋上から悪い点のテストを折り鶴にして下まで落として、拾いに行ったときなかったら、次のテストが良い点数になるって、どこかのだれかが
「お前、いつも以上に口数多いな。
怖いのか?」
元喜の指摘に、虹は恥ずかしくなり、元喜から離れた。
「そ、そんなことないよ!
廃墟行こうと言ったのあたしだよ!
そんな言い出しっぺが怖がりのはずないじゃん!」
虹は早口でそう言いながら、階段を登ろうと、角を曲がろうとした。
すると、
「うわあああああああ!!!!!」
踊り場の窓の近くで、何かがひらひらと動いたのが一瞬見え、虹は大声で叫び、元喜の体に隠れた。
「お前の声のほうが怖えよ」
「元ちゃん……なんかいる……帰ろうよ」
「……お前な」
元喜は呆れながら角を曲がり、虹が驚いたと思わしきものを見て、笑った。
「風に揺れるカーテンなんかにビビるなんて、今どきの肝試し主催者は程度が低いな」
「……え?」
虹は恐る恐る元喜の体から顔を出した。
さっき見えたひらひらは、元喜の言うとおり、よく見るとただの風に揺れるカーテンだった。
「扉閉めて来なかっただろ」
「……うん」
「どっかの怖がりのためにも、すぐに筆箱見付けて帰るぞ」
「……うん」
その後、風で窓ガラスが揺れる音や、足元の針金を踏んだ音、以前ここで肝試しをしたであろう人が置いていった人体模型などに虹は尽く驚き、大声を出しながら、筆箱の入った、二階の奥の部屋へ辿り着いた。
「はあ……はあ……。
死ぬかと思った……」
部屋の中はオフィスのようになっていて、壊れたパソコンが机に並んでいる。
虹は椅子に座り込み、カバンから水筒を出して一息ついた。
「俺は鼓膜が死ぬかと思った」
元喜は呆れながらそう言うと、窓の近くに自分の筆箱を見付け、ホコリを払うとカバンへしまった。
「筆箱あったんだ……よかった」
虹は疲弊した様子で、安心したように微笑んだ。
「そうだな。
危うくどっかの誰かさんのせいでなくすとこだったからな」
元喜は虹を睨みながら、皮肉のように言った。
「ごめん」
虹は水筒をデスクに置き、反省した様子で素直に謝った。
「二度とすんなよ。
それじゃ、帰るぞ」
「うん」
虹は立ち上がり、水筒を取ろうとしたそのとき
上からドーーンと振動と共に大きな音が聞こえた。
「うわあ!!」
虹は飛び上がり、また元喜にくっついた。
「なになになに? 今の音!」
「カラスかなにかじゃねえか?」
虹は元喜の腕を強く抱きかかえながら訊く。
元喜も冷静を保とうとしたが、大きな音は流石に応えたのか、冷や汗をかいている。
「早く出よー!」
「……そうだな」
さっきの大きな音で恐くなったのか、二人は足早に元の道を引き返し、廃墟を出た。
「はあ……はあ……。
ここはやめよ! 三晴には刺激が強過ぎる!」
虹は真剣な顔でそう言うが、恐怖で足が震えている。
「三晴ちゃんじゃなくて、虹がだろ」
元喜はまた呆れながら言うと、さっき音の正体が何か、廃墟の屋上を見上げた。
だが、屋上にはなにもなく、やはりカラスかと思ったが、コンクリートで作られた建物にカラスが乗ったくらいで、大きな音がでるはずもない。
元喜は霊的ななにかを想像したが、怖くてこれ以上何も考えなかった。
「虹。
帰って宿題するぞ。どうせ数学わからないだろ」
「うん……いつもありがと」
元喜は早く廃墟から離れたく、虹に帰るよう呼び掛けた。
虹も同じのようで、震える足を止めるよう一旦落ち着くために、水を飲もうと水筒を取ろうとした。
だが
「…………あれ?
ない! あれ!? あれ!?
水筒がない!!」
いくらカバンを漁り、探っても水筒がなかった。
「たしかにあったのに!
だってあのとき、あそこで飲んで……
……のん……で」
虹はどこで水筒を忘れたか、自分の行動を振り返り、嫌な予感がした。
「……おまえ、まさか」
元喜も嫌な予感がし、共に廃墟に向き直った。
「元ちゃん……!!」
虹はまた一緒に取りに行こうと、涙目で元喜の方を向いた。
「……わかったわかった」
元喜はあの水筒が、三晴とお揃いの大事なものと知っているので、仕方なさげにそう言うと、廃墟の入り口前まで足を進めた。
「ありがとう!!」
虹は感謝の気持ちをこれでもかとこめて、お礼を言い、元喜の後に続いた。
元喜は入り口の扉を大きく開けると、虹の背中を押した。
「今度は虹のわすれ物を取りに行くんだから、虹が前行けよ」
「え!? やだ!! 元ちゃん先行ってよ!」
しかし虹は、元喜の後ろにいないと怖いため、頑なに拒否した。
「怖いのか?」
「……!!
怖くない!! 元ちゃんが怖いんでしょ!!?」
元喜は軽く煽ったつもりだったが、虹が思ったよりも必死に反論するため、滑稽で笑いそうになってしまった。
「怖くないなら、先頭で行けるだろ?
一回行ったとこなんだし」
「だから!! 怖くない!!
元ちゃんが怖いんでしょ!?」
「あっそ。
じゃあとりあえず中入るぞ」
「え!?
元ちゃんから入って!!」
「……今俺が扉抑えてるから、俺が入ったらお前が入れないだろ」
「あ、そっか!」
虹は恐る恐る慎重に廃墟へと再び足を踏み入れ、怖いので、後から入ってくるであろう元喜に振り向こうとした。
そのとき
「うわ!」
虹は背中を押され、背後から扉が閉まる音が聞こえた。
「……え?
え!! 元ちゃん!!?
なに!! え!!? 元ちゃん!!!」
虹は突然のことでパニックになりながら、扉を開けようとするが、抑えられているのなら全然開かない。
「虹!」
「元ちゃん!! 大丈夫!!?
なにがあったの!!? 開けられる!?
こっちからじゃ開かないの!!」
「流石にお前の
「ねえ!! 元ちゃん!!
大丈夫!? 今何が起こったの!?
あたし、閉じ込められちゃったの!?
元ちゃん!! 開けられる!?
助けて!!」
「……流石に
「元ちゃん!! ねえ!!
開けられないの!? そっちで何が起こったの!?
元ちゃんは大丈夫なの!?」
「虹!!」
元喜は虹になにか言いたかったが、矢継ぎ早に訴えて来るので、大声を出して制した。
虹はびっくりして、動きや口が止まる。
「……流石にお前のさっきの行動。
……筆箱を投げるのはやり過ぎだ。
だからお灸を据えさせてもらう。
一人で取りに行って反省してろ」
元喜は厳しい口調で言い放った。
虹はしばらくフリーズしていたが、やっと元喜の言葉を理解すると
「え!? やだ!!
ごめん!! 元ちゃん!! あたしもう反省してる!!
ごめんなさい!! ごめんなさい!! 反省してますから、一緒について来て!!」
虹は泣いて懇願するが
「だめだ。
流石にこれは甘やかせない。
お前ももう中学生なんだから、後先考えて行動しろ。
ここで待っててやるから、一人で取りに行け」
元喜は毅然とした態度で拒否した。
「やだ。
ごめん……元ちゃん。
暗くて怖い……。
独りにしないで。
罰なら後でいくらでも受けるから。
だから……お願い。
独りにしないで。」
それでも虹はか細く弱々しい声で、頼み込んだ。
その声を聴くと、元喜も流石に気の毒になってきた。
「……虹。
本当に反省してるんだな」
「……うん」
「もう二度とやらないか?」
「……うん」
「……わかった」
元喜は罰とはいえ流石にやり過ぎたと思い、一緒に水筒を取りにこうと、扉を開けた。
廃墟の中が見え、中に入ろうとしたそのとき
「……!!?」
元喜は目の前の光景に一瞬戦慄した。
虹の背後に真っ黒なロープに身を包んだ、大男が身を屈め、虹に手を伸ばしていたのだ。
「……虹!! 後ろ!!」
元喜はハッとし、虹に危険が迫っているのだと瞬時に理解すると、腕で男を振払おうとした。
しかし、元喜の腕は男の体をすり抜け、空を切っていた。
「うわあ!!」
虹は元喜の注意で反射的に後ろを見ると、真っ黒な男が目の前にいたため、驚き、腰を抜かしてしまう。
顔には太極拳のような模様をしたお面を被っており、ますます恐怖を煽る。
「なぜだ……。
虹! 早く逃げろ!!」
元喜は確かに腕が当たったはずなのに、触れた感覚が全くないことを不気味に思ったが、虹を助けるのに精一杯で考える暇はなく、今度はキックしようとした。
だが、キックも男の体をすり抜ける。
「ーーー……」
男はなにかうめき声を上げると、立ち上がり、掌を元喜に向けて開いた。
そして、その掌から禍々しい闇の粒子が溢れ出したと思えば、粒子は球体に固まり、元喜に放出された。
「え……?
ぐわっ!!」
元喜は球体に直撃し、入り口の扉を破壊して、数メートル吹っ飛んだ。
「元ちゃん!!?」
虹は元喜の様子を確認しようと、外を見ようとしたが
「うッ!?」
背中に大きな衝撃が走り、そのまま気を失ってしまった。
「がふっ!!」
しばらくすると、胸に大きな衝撃が走り、虹は目を覚ました。
「……?
この手触り」
朦朧とする意識の中、元喜とは違う、無愛想な男子の声が聞こえた。
少しずつ意識が回復すると、拳か何かが、胸のあたりをグリグリされている気がし
「キャアアアア!!」
虹はおもわず悲鳴を上げ、拳を振り払った。
「な……ななな、なんですか!!?
痴漢ですか!!? あたしの触っても何もないですよ!! 他の女の子と比べても……ぶっ!!!」
虹は男子から飛退くと、カバンを胸もとに抱き抱え、パニックになりながら叫んだ。
しかし、その途中に男子は真顔で虹に近付き、両頬をつまんだ。
その男子はよく見ると、虹が通っている中学と同じ制服をしていた。
顔付きから、1つか2つ上に見え、制服は土汚れが多く、半袖から見える腕は生傷が絶えない。
虹は不良なのだと思い、何をされるかわからない恐怖で何もできなかった。
男子は頭や腕を何度か触ると、虹から手を離した。
虹は恐怖で力が抜け、床にぺたんと座り込む。
「触れるか。
ていうことは、普通の人間?
紛れ込んだのか?」
男子はなにか呟くが、虹にはさっぱり理解できない。
しばらくすると男子は虹の方を向いた。
「いきなり色々……胸とか触って申し訳無い。
迷惑だったな。
立てるか?」
男子は真顔のままそう言うと、虹に手を差し伸べた。
「え、あ、はい!」
虹は怯えきった表情のまま、急いで立ち上がった。
「…………俺は“伊達剣”。
君は?」
「と、とね……刀根虹です……!!」
「刀根虹か。
いい名だな」
「は……はい!!」
男子───もとい、剣の真顔の質問に、虹は怯えながら一々大声で答える。
「安心しろ。
ちょっとした勘違いで、君の胸を殴ったが、俺は別に女性の体に興味はない。
だからそうしてビクビクするのはやめろ」
剣の強い眼力と厳しい口調で、虹は閉口し、頷くことしかできなかった。
「俺が興味あるのは、君がなぜこんな森の奥の廃墟の階段の踊り場で寝ていたかだ。」
「……え」
虹は思わずあたりを見渡した。
確かに剣の言葉通り、踊り場にいた。
また、近くに元喜の姿がない。
虹は不安と困惑でいつの間にか涙を流していた。
「……おい。
泣いてもわかんないだろ。
質問に答えろ。」
突然泣き出した虹に、お構いなしに剣は質問の答えを要求する。
「ひ……!」
虹は鋭い視線に怯え、なんとかわかる範囲でも答えようとしたが、恐怖で声が出せなくなっていた。
「……答えないならいい。
とりあえず、ここは普通の人間の来るところじゃない。
入り口まで送るから着いてきな」
剣は呆れた様子を見せると、階段を降り始めた。
虹は何も考えられず大人しく従い、震える足で階段を降りようとした。
そのとき
(水筒……!)
ふと、水筒を取りに来た事を思い出した。
剣は丁度、虹の前を歩き、こちらを見ていない。
「はあ……ふう………」
虹は深呼吸すると、走って二階へと続く階段を駆け上がった。
「……!?
何を考えてる!?
君!! 戻ってこい!!」
一階から聞こえる声を無視しながら、虹は一心不乱に走る。
今は、なぜ自分が踊り場で寝てたのか、なぜ伊達剣という少年がいたのか、あの男は誰なのか、元喜はどうなったのかなど、様々な疑問は全て忘れ、水筒を取りに行くことしか虹は考えられなくなっていた。
だが、その勢いはすぐに止まった。
廊下に、またあの真っ黒な男の姿が見えたからだ。
「あ……ああ」
虹は再び恐怖に支配される。
後退りしようとしたが、体は全く言うことをきかなかった。
「君! なにしてる!?
死にたいのか!!」
そのとき、剣が怒鳴りながら、階段を駆け上がってきた。
剣は虹の腕を掴み、連れ戻そうとしたが
「……!
はあ!!!」
男の姿が視界に入った瞬間、男に向かって走り出し、大きく叫びながら、男に拳を突き付けた。
「ーーー……」
すると、男の体が切断され、黒い粒子を吹き出して消滅した。
虹はあまりにも衝撃的すぎる光景に愕然とした。
剣が虹に振り向いた。
その目があまりにも冷たく感じた。
剣が歩み寄ってくる。
次はあたしの番なのだと、緊張し、恐怖が更に心を支配した。
「戻るぞ」
剣がそう言って、虹の腕を掴もうとした
そのとき
「わあああああ!!!」
虹は大声で威嚇して、腕を振り払うと、水筒を忘れたへやに向かって一目散に走り出した。
剣は少し驚いた様子を見せたあと、舌打ちすると虹を追い掛けた。
「待て! そっちは危険だ!!」
剣の忠告はやはり、虹の耳には届かない。
部屋に入ると、あたりを見渡し、デスクの上に乗った、水筒を見付けた。
「あった!」
虹は走って水筒を取ると、安心からか急に力が抜けた。
(よかった……父さんの形見)
虹は水筒をギュッと抱きかかえた。
そのとき、ほんの少し虹の胸が光った。
「はああ!!」
その背後では、剣の腕と、3メートルはあるのではないかというほどの、肥満体型の巨漢の拳がせめぎ合っていた。
「なにしてる!!? 早く逃げろ!!」
剣は虹に叫ぶが、虹は自分の世界に入ってしまっているのか、反応がない。
「くっ……!!
早く離れろ!!!」
剣は虹の肩を掴むと、虹を巨漢から離した。
「わっ!」
虹は突然のことで驚き、水筒から手を離してしまった。
「くっ……はああ!!」
剣は体勢を崩したが、それを利用し、巨漢の力をあしらうことに成功し、大きな一撃をくらわずにすんだ。
そして、すぐに虹の手を引き、部屋から出た。
「馬鹿か!!!
なんであんなバケモノがいる部屋に無防備で飛び込む!?
迷惑なんだよ!」
剣は虹の頬を叩くと、激しい剣幕で怒鳴った。
「だって水筒が!!
……あれ? 水筒は?
……また忘れた!?
取りに行かないと!!」
虹は水筒の事しか頭になく、剣の質問を無視し、また部屋に入ろうとした。
「待て!!
水筒なんてどうでもいいだろ!?」
剣はすぐ虹の腕を引いて止める。
「どうでもよくない!!
あの水筒は、事故で死んじゃった父さんが、生きてたときに、まだ母さんのお腹の中にいた妹の三晴と、ずっとずっと使えるようにって、おそろいで買ってくれた水筒なの!!」
虹は必死に、小さい子が駄々をこねるように叫んだ。
剣はまた虹の頬をひっぱたいた。
「私情は関係ない。迷惑だ。
同じのを買えばいいだろ。
あんなもののために、命を粗末にするな」
「……ばか!!」
虹は目に涙を湛え、拗ねた顔で剣に叫ぶと、剣の腕に噛み付き、また部屋の中に走った。
「イッ……おい!!
…………もう知らねえよ」
「……あった!」
虹は部屋に入ると、再び水筒を見付けた。
さっき手放したときに転がったのか、少し奥の方にある。
落とした衝撃なのか、凹んでいるが、気にしている暇はなかった。
「やった!」
虹は水筒を手に取り、また抱きかかえた。
そのとき、自身に大きな影がさしたような気がした。
「……え?」
虹は影の方を振り返ると、巨漢が目の前に迫り、今にも殴り掛かりそうにしているのが見えた。
虹は愕然とし、なにもできない。
水筒だけに心が行き、この巨漢を認識したのも今が初めてだった。
虹は何もできないまま、体を殴られ、隣の部屋との壁に叩き付けられた。
「うっ……あ……ああ
がはっ!!」
その衝撃は凄まじく、壁にはヒビが入った。
虹は頭から出血し、殴られた腕は酷く腫れていた。
意識も朦朧とするが、なんとか目を開ける。
「……!!?」
そこで、虹は絶望を感じた。
巨漢がまた目の前まで迫り、殴りかかろうとしてるのが見えた。
「ぐっ!!!
や…!……あぁ…………ぁ………………」
重たい拳を5発受け、その度に悲鳴の声は弱々しくやった。
最後には壁が壊され、吹き飛び、巻き込まれてベコベコになった水筒と共に床へ倒れ込んだ。
巨漢は追い打ちはかけず、部屋の隅に鎮座した。
「さっきよりも“テリトリー”が広がってるな。
部屋全体はもう範囲か」
全身から血塗れで倒れる虹の横に立ちながら剣は、穴の奥の巨漢を見ながら呟いた。
虹はうっすらと目を開けるが、視界がぼやけ、なんとなくのシルエットしか見えない。
剣は横目で虹を見ると、淡々と話を続けた。
「あのバケモノは、テリトリーを持っていてそこに入ったものを、見境なく攻撃する。
……そう忠告しようとしたのに、どうして人の話を最後まで聞けない?」
虹に反応はない。
目は半開きで虚ろだが、胸はかすかに動いており、息はある。
「聞いても無駄か。
すぐ片付けるから、安静にしてろ。
……また救急車呼ばなきゃいけないのか」
剣はそう言うと、ポケットに手を突っ込み、崩壊した壁の穴から、隣の部屋へ入った。
すぐに巨漢が反応し、拳を構え剣へと殴り掛かりに来る。
「ここまでか」
剣はバックステップで虹のいる部屋に戻り、巨漢から距離を取る。
そこがギリギリのテリトリーだったのか、巨漢は突進を止める。
「こいつでどうだ!」
剣はポケットの中から、消しゴムを取り出し、巨漢のいる部屋へ投げた。
巨漢は飛んでくる消しゴムに反応し、殴って粉々に粉砕した。
そのときに飛び散る破片にも反応し、粉々の消しゴムに殴り続ける。
テリトリーのギリギリで、背中を見せ、別の標的を狙っている。
「今だ」
剣は好機と思い、走り出し、腕を振り上げると
「はああああ!!」
叫びながら腕だけをテリトリーの中に入れ、手刀のように巨漢の背中にチョップした。
「……なに!?」
だが、巨漢の体は思いの外硬かった。
ある程度まで、切れ込みを入れられたが、有効打に至るまで届いていなかった。
剣は腕を引いて距離を取りたかったが、その動きすら巨漢に感知され、攻撃されてしまう。
(まずい……)
剣はなにとできず動けないでいた。
その間にも巨漢は消しゴムを殴り続け、粉砕しきると、認識できなくなったのか、その手を止めた。
そして、また所定の位置へ戻っていく。
剣はなんとか体を静止させる。
巨漢が所定の位置へまた座ると、すぐさま腕を引く。
巨漢は反応するが、攻撃する前にテリトリー外に出たため、また戻った。
「やはりあの体だと、背後から貫くのは無理か。
だが、正面からだとリスクが高い……
地道に背後から切り裂いていくしか……」
剣は巨漢を見ながら、攻略法を考えていると
「……!?」
一歩も動いていないのに、巨漢が剣の目の前まで突進し、殴りかかろうとしてきていた。
「くっ!
はあっ!!」
剣は咄嗟に腕でガードし、すぐさま巨漢から離れた。
「そんな時間もないか……
テリトリーが広がってる」
剣はそう呟くと、虹を見下ろす。
(とんだ迷惑が入った。
この子がいなければ、時間をかけて倒せたのに)
剣はデスクに置きっぱなしにされていた消しゴムを手に取り、ポケットにしまうと、またテリトリーの方へ歩いていく。
(痛い……全身、全部痛い。
体が……動かない……)
床に倒れ込む虹は殴られたときの痛みで、朦朧する意識をなんとか保っていた。
体は動かすことができず、なんとか指先がピクピクと動く程度である。
(あたし……死んじゃうのかな……
このまま……
…………嫌だよ……三晴を一人置いていけない)
その指先はさっきまで持っていたはずの水筒を探す。
そして、虹の胸がほんの僅かに光り出した。
(もっと三晴と遊びたい。
もっと三晴の成長を見たい。
もっと三晴と一緒にいたい。)
水筒は少し手を伸ばせば届く距離にあったが、指先しか動かせず、視界もはっきりしない虹に見つけることはできなかった。
(……こんなことになるなら、元ちゃんの言うこときいていればよかった……。
そういえば、元ちゃんは……元ちゃんは、無事かな…………
もしかして)
虹は嫌な想像をしそうになった
そのとき、急に体が起こされ、勢いよく動かされた感覚がした。
「危ねえ……どんどんテリトリーが広がるスピードが早くなってる……」
虹が広がったテリトリー内に入ったため、剣が場所を動かしたのだ。
ただ、虹は状況が理解できず、誰かに抱えられているということしかわからない。
「とにかく速く倒さないと」
剣はそう言いながら、また虹を床に寝かせようとした
そのとき、虹は無意識に剣の腕を掴んだ。
虹自身どうしてそうしたのかもわからない。
「?
なんだ? 水筒ならもう諦めろ。
バケモノに潰されてスクラップになってる」
剣はそう言うと、虹の手を強引に引き離し、また巨漢へと向かっていった。
(水筒……潰された?
……え……父さんからもらった……水筒が……?)
虹は微かに聞こえた言葉にショックを受ける。
そして同時に、心の底から怒りが湧き上がってきた。
虹の胸の輝きが増す。
「ぐあああ!!」
防御をミスした、剣が吹き飛ばされた。
デスクに衝突し、文房具やパソコンが飛び散る。
「くっ……俺としたことが…………
テリトリーの侵攻が早くなってる……」
剣は手触りでデスクの上からボールペンを取ると、巨漢の方へ向かおうとした。
そのとき
「……なんだ?」
虹の胸が強く光り輝いた。
剣はこの現象に覚えがあった。
「俺と同じ」
剣が、“手足が刃物のようになる能力”に覚醒したときも、自分の胸が強く光り輝いた。
剣は足を止め、じっと様子を見る。
「許さない……あの水筒は、父さんが、まだ母さんのお腹にいた三晴とお揃いにって買った……家族のつながりみたいなものなんだ……それを……それを」
虹はなんともなかったかのように、体を起こすと、鋭く巨漢を睨みつけた。
そして、デスクからボールペンを手に取ると、ペン先を向けた。
「絶対に許さない!!
ガンバースト!!」
虹が大きく叫ぶと、ボールペンの先から光の弾が発射された。
弾はテリトリー内に入り、巨漢はそれに反応。
パンチでそれを粉砕した。
「ガンバースト!
ガンバースト!」
虹は引き続き、光の弾を発射するが、巨漢はまたそれを粉砕した。
(あの子も、俺と同じなにかしらの能力が)
剣は、驚いた顔をしながらその繰り返しを見ていた。
自分以外で、覚醒している人間を見たのは初めてだったからだ。
だが、今は驚いている暇はない。
自分の場合は覚醒したての一撃で倒せたが、今回の相手は格が違う。
「君!
これじゃあいくら攻撃しても同じだ!
俺に考えがある!」
虹は、剣の声を聞き攻撃を一旦やめ、黙って剣を見た。
「あいつのようなバケモノは胸の中の核を壊せば、倒せる。
そこを攻撃するために、君の弾を囮に使いたい。
弾丸ならなら、テリトリーに入らなくてもあいつの気を惹かせられる。
その隙に俺があいつを倒す」
剣の提案に、虹は黙って頷くと再びボールペンを巨漢へ向けた。
「はあ!」
虹が叫ぶとまたボールペンから弾が発射される。
だが、先程のように技名を言ったときより弾速が遅い。
それが逆に、巨漢をテリトリーのなるべく外側で反応をさせられた。
「一発じゃ隙が足りない!
連続で頼む!」
「はあ! えい! やあ!」
今度は、掛け声を連続で出し、その分弾が連続で発射される。
「よし」
巨漢は弾を一つ一つパンチで潰していく。
その隙に、剣は巨漢の背後へ回り込み
「はああああ!!」
背中を切り裂き、より深く切り込みを入れた。
その隙間から、禍々しい結晶が見える、
(よし……核だ!)
剣はついに現れた、急所につい気が緩んでしまった。
巨漢が背後を振り向き、剣に向かって拳を構えていた。
(しまった)
すぐにテリトリー外に撤退していれば回避が間に合っていたが、遅かった。
剣は腕を交差させ、ダメージを最小限に抑えようとガードした。
「ガンバースト!!」
その瞬間、虹はペンのノックを押しペン先を出すと技名を叫び、先程よりも早い弾速の弾を撃ちだした。
巨漢はその速さに対処できず、脇腹に弾がヒットし、横によろけた。
そして、床に散乱していたキーボードのキーを手に取り、5本の指に引っ掛けると
「はあ!!」
と叫び、一気に5つの弾を発射し、巨漢に向かい走り出した。
巨漢はまた弾に反応し、よろけた体勢のまま一つ一つ弾を粉砕し、最後の一つを破壊した頃には虹に背中を向けていた。
「はあ!!」
虹は巨漢の背中の剥き出しになった結晶にボールペンを突き刺す。
そして
「ガンバースト!!!」
ゼロ距離から光の弾丸を撃ち込み、結晶を破壊した。
結晶が破壊されると、巨漢は体中から粒子を漏らし、その形を留めることができなくなり、消えてしまった。
虹は冷たい視線で巨漢の消滅を見届けると、元のあどけない顔に戻った。
そして、力なく床に倒れ込んでしまった。
剣は、虹の怒涛の連続攻撃に、ただ見ることしかできなかった。
「倒した……のか」
剣は自分の手でトドメをさしたわけではなかったので、倒した実感がわかなかった。
それでも、とりあえずは血塗れの不思議な少女の対応が先だと、外に出そうとしたが、さっきの激しい動きでより傷口が開いており、動かすのは危険だと判断した。
「回復してないのか……
とにかく救急車を」
剣は廃墟を急いで出て、近くの公衆電話まで走った。
(何だったんだろ……今の…………
あたしがあたしじゃないような……
……夢なのかな…………?
ありえないことたくさんあったし……夢かな
……早く起きて、三晴に話そ)