これはまだ小林直樹が4年生の頃。
とある秋の日。
直樹は放課後、友達の木村翔と遊ぶ約束をし、せっかくだからと翔の家で遊ぶことになった。
二人は帰り道で一旦別れた後、それぞれの家に帰った。
直樹は宿題を終わらせ、10月からどこに行くのもずっと一緒の2歳の妹の乃々実を連れ、翔の家の前に着いた。
「いい? ののみ。
あまり走ったり騒いだりしないで、おりこうさんでいるんだよ」
「うん! わかった!!」
直樹は乃々実と手を繋いだまま軽く言いつけをし、元気な返事を聞くと、無邪気さに微笑みながらインターホンを押した。
『はーい。』
しばらくすると、聞き馴染みのある、翔の母親の声が聞こえた。
「ごめんください。小林です。
翔、いますか?」
『おー。なおきくーん。
待ってたよー。今、翔呼んでくるからー、ちょっと待ってねー。』
翔の母親は翔に似た、マイペースでのほほんとした雰囲気の人だ。
「はい。ありがとうございます」
“翔は母親の血を濃く受け継いだな”と直樹は話す度にそう思っており、今もそう感じていた。
「お待たせー。ごめんねー」
しばらくすると、翔が玄関の引き違い戸を開けて、顔を出した。
「かけるー!」
乃々実は翔の姿を見るや否や、ハグしに行った。
「おー。ののみちゃん。こんにちはー」
翔もしゃがんで乃々実と抱き合い、頭を撫でる。
直樹と翔は互いの家によく遊びに行っているので、乃々実は翔にも懐き、見つけ次第ハグするのが恒例になっていた。
「こんにちはー!」
ハグが終わり、乃々実はまた直樹の横に行き、手を繋ぐと挨拶を返し、直樹を見る。
「うん。ちゃんと挨拶できたね。偉いよ! ののみ!」
「うん!」
直樹は褒めながら乃々実の頭を撫で、乃々実は嬉しそうに返事をする。
「ふふ。
ほら、仲良しさーん。外も肌寒いから入りなー」
翔はその光景を微笑ましく思いながら、少し茶化すように言った。
「あ、そうだね。
よし。ののみ。行くよ」
「うーん!」
直樹と乃々実は翔に誘導され、手を繋いだまま、翔の家に入る。
「おじゃまします」
「おやまあーす!」
乃々実は直樹の真似をして、“おじゃまします”を言い、玄関で靴を脱ぐと、靴を揃える直樹の真似をして、乃々実も揃えた。
「お。何も言わなくても揃えるなんて。すごく偉いよ! ののみ!」
直樹はそれを見て、頭を撫でながら褒める。
「へへ。
ね、かける! ののみ、えらい!?」
乃々実は照れながらも得意気な顔で、翔を見る。
「うん。えらいよー」
「やったー!!
おにいちゃん! ののみ、えらいって!」
乃々実は翔の言葉を受けてとても嬉しそうな表情をし、小さく飛び跳ねた。
「うん。そうだね。
でも、他の人の家でぴょんぴょんするのは偉くないからね」
「あ……。
そうだった。ごめんなさい」
「いいよ。
それに、ちゃんとごめんなさいできて偉いね」
「…うん!」
「よし。じゃあお手々洗おっか。
翔。ちょっと洗面所借りるよ」
「うーん。
ご勝手にー」
直樹は乃々実を連れ、慣れた足取りで洗面所へ行き、まず自分の手を洗う。
「よし。
じゃ、次はののみの番」
そして、濡れた手をハンカチで拭くと乃々実を蛇口の水に届くように抱え、乃々実も真似して一生懸命手を洗う。
「うん。
ちゃんと洗えたね。
はい、じゃあこれでふきふきしよっか」
石鹸の泡を水で落としたのを見ると、乃々実を下ろし、蛇口を閉め、乃々実用のハンカチを取り出し、しゃがんで乃々実に渡す。
「うん!」
乃々実は一生懸命、手を拭くと、直樹に両手を開いてみせた。
「ピカピカ?」
「うん。ピカピカ!
上手に拭けたね」
「へへ」
「なおきくーん。ののみちゃーん。
いらっしゃーい」
その様子を、翔の母親が微笑ましい笑みを浮かべながら覗き込んでいた。
声で気付いた直樹は、急いで立ち上がりお辞儀をする。
「翔のお母さん。
おじゃましてます。
すみません。洗面所使わせていただきました」
「ました!」
乃々実も直樹の真似をしてお辞儀する。
「うふふ。
いいよー。気にしなくてー。
外寒かったでしょー?」
「いえ。そこまで。
暖かくしてきましたし」
「ののみも! おにいちゃんのお手々あったかかった!」
乃々実は直樹の手を握りながら自慢げに言う。
直樹は少し照れくさそうにしながら、乃々実の手を握り返す。
「暖かくて優しいお兄ちゃんでよかったねー」
「うん!!」
「そうだ、なおきくん。
翔から聞いたんだけど、ココア好きなんだって?」
「あ、はい」
「そー。よかったー。
じゃ。ごゆっくりー」
翔の母親はそう言い残すと、いいものを見たといった幸せそうな笑顔で台所へと入っていった。
「何だったんだろ?
……ま、いっか。
ののみ。いくよ」
「うん!!」
直樹は翔の母親の質問に不思議に思いながら、手を繋ぎながら、少し手狭な廊下を乃々実と並んで歩き、翔の部屋へと向かった。
「お待たせ」
「かけるー!」
直樹が翔の部屋の襖を開けると、乃々実は一目散にテーブルの側に正座している翔の脚へ飛び込む。
「ねえー! なにしてあそぶー?」
翔は嬉しそうに背中を撫でると、乃々実は顔を上げ無邪気に訊く。
「そーだねー? なおきー。なにしたいー?」
「そうだね……。とりあえず、ババ抜きでもする?」
何をするか委ねられた直樹だが、特別なにかやりたいことを決めてきたわけではなかったため、無難にババ抜きをすることにした。
「おー。ののみちゃん。
ババ抜きだってー」
「ばばぬきー!
ののみつよいよ!」
「うーん。
それじゃー。準備するから待っててー」
「はーい!」
乃々実は元気に返事すると、翔の脚から離れ、直樹に飛び付く。
翔は立ち上がり、机の引き出しからトランプを出し、ババ抜きの準備を始める。
「ばばぬきばばぬき!」
配られるカードを見て、これから始まるゲームにワクワクし、乃々実は直樹の胸元ではしゃぐ。
「うん。楽しみだね。
お兄ちゃんも負けないよ」
直樹はあまり家を揺らさないように乃々実を軽く抑えながら言う。
「ののみもたのしみー!」
「配り終わったよー」
「わーーい!」
そうこうしているうちに、カードが配り終わり、乃々実は駆けるようにしてテーブルの前に行き、自分のトランプのところへ向かう。
「そんなに急ぐと転ぶよ」
「だいじょーぶ」
直樹は軽く注意しながら、テーブルの前に座り、トランプを取る。
乃々実はトランプを大っぴらに広げ、ペアのカードを探し、翔はあえて視線を外し、直樹はチラチラと見ながら準備を進めていく。
「ののみ。終わった?」
「うん!」
しばらくし、全員の準備が終わり、翔、直樹、乃々実の順で引くことになった。
「はい! かける!」
乃々実は体を乗り出し、翔にトランプを引かれるのを待つ。
(かわいい……)
直樹は小さな手で大きく見えるトランプを一生懸命持っている乃々実をうっとりしながら見ていた。
「よーし。どれかなー?」
「ふふん」
翔は手を動かし、悩むような素振りを見せるが、乃々実がジョーカーを持っているときは必ずジョーカーを目に見えて分かるくらい上にあげるので、悩んでいる演技をしてあげている。
もっとも、今ジョーカーを持っているのは翔自身なのだが。
「これだー。
よし、そろったー!」
「わー!」
翔は半ばオーバーリアクション気味に、揃ったことを喜ぶ。
それを見て乃々実はちょっと不貞腐れたような表情をし、それを見た翔は反応を伺うようにチラッと直樹に視線を送る。
(翔……お前。)
直樹は翔が自分たち兄妹の仲良しなところを見るために、わざと煽ったと思いつつ、そこまで乃々実が不機嫌になっていないことから、様子を見ることにした。
そして、序盤なため大した掛け合いはなく直樹は翔のトランプを引き、ペアを揃える。
「おにいちゃん! はやくー!!」
自分の番が来た乃々実はまだ前に出してないのに、今か今かと直樹のトランプに手を伸ばしている。
「ちょっと待ってな。
乃々実」
直樹はそう言うと、トランプを乃々実の前に出す一瞬で、数分前からの記憶を呼び起こし思考を巡らせた。
(乃々実が最終的に持ってたトランプは1,3,6,8,9。
そしてさっき翔が揃えたのは6。
残りは1,3,8,9,Q。
俺が持ってるのは2,7,8,9,Q,K,。
だから、8か9かQ!)
結論を導き出した直樹はハートの8を少し上に出し、手持ちのトランプを乃々実の前に出した。
「えい!
……やった!!」
乃々実は直樹の思惑通り8を引き、ペアを揃えられた。
(ふぅ……。)
直樹は作成の成功を心の中で喜びつつ、緊張を抑えるためほっと一息ついた。
「さあ、かける!」
そうこうしているうちに、再び翔の番になり、乃々実は前のめりでトランプを出す。
「じゃー、これー」
翔は今度は悩むことなくあっさり引き、そして
「ふっ」
と小さく、直樹だけに見えるよう口元をトランプで隠しながら、ニヤッと笑い、手札をシャッフルして直樹の前に出した。
(なっ…!?
ペアが揃わなかった…!?)
直樹は乃々実を勝たせるように、絶対に揃うカードを引かせたく乃々実の持つカードを把握しておきたいが、ペアが揃わないとなると、なにが引かれたか分からないのだ。
「ど………どれにしよっかな……」
直樹は悩むふりをして考える。
(えっと……3人で揃わなかったということは、俺の持ち札と揃うのを取ったってことだろ。
だとすると残っている9とQ……。
くっ……目で追えればそれを引くだけでよかったのに、翔は俺がいつもどうしてるか分かってるから、シャッフルして……。
ほんとうに誂うことに関して抜け目ないんだから…。)
直樹はそう思いながら、翔がどんな表情をして誂っているのか気になり、顔を上げて表情を見るが、ポーカーフェイスという感じで、全く誂っている様子見せない。
「おにいちゃん! はやくー!」
「そーだよー。はやくー」
「……くっ……(考えても仕方ない……)
これだ…!!」
直樹は二人に急かされ、破れかぶれになり適当なカードを引き、その絵柄は
「なっ…!?」
ジョーカーだった。
乃々実が引かせたカードも分からず、自分がババを引き状況が悪くなる散々な結果に直樹は思わず、翔を横目で見る。
「ふっ…」
翔は思う以上に直樹が動揺したからか、思わず吹き出していた。
(翔……お前……!
……まあ、いい。
とりあえず二択。
どっちかを引かせればいいんだ。
そんで、ババは引かせないようにして。)
直樹は気を取り直し、乃々実がペアを揃える可能性のある9を上に上げ、ジョーカーを行き渡らせないよう、下に下げた。
「よーし!
ののみのばん!!」
乃々実はいつも通り、上に上がってる9を引こうとしたが、カードが一つだけ下に下がっているのを見つけ、手を止めた。
「おにいちゃん。ののみしってるよ」
そして改まったような顔をし、得意気な声で語り始めた。
「え? ……ののみ?
どうしたの?」
直樹はイレギュラーな事態に困惑し、翔は面白いことが起きそうだとしめしめと様子を見る。
「ママとね、ばばぬきしてるときにね、おしえてもらったんだー!
ひいちゃいやなのは、はずかしそーにちょっとひっこんでるんだって!」
そう言いながら乃々実はドヤ顔で、直樹が下に下げたカード
ジョーカーを引いてしまった。
「えっ…!!」
「あっ」
いつもと違う行動に直樹は驚き、翔は本当に予想していたことが起きてしまい、思わず声を漏らした。
「…………………」
乃々実は絵柄を見た瞬間、何が起こったのかよく分からないような、キョンとした表情をしたが、次第に理解をし始め、口角が下がり、口をモゴモゴさせ、目に涙を浮かばせてしまう。
直樹と翔は互いに顔を見合わせ、少し立つと翔が謝罪か健闘を祈ってか、手を合わせた。
(翔……。)
それから先は言うまでもないだろう。