始業のチャイムがなり、談笑し合っていたクラスメイトがそれぞれ自分の席に座る。
麻王も他のクラスメイトが来る前に金縛りから解け、席に座っていた。
しかし、本人は普段通りに振る舞おうと思うものの今朝の消耗で息切れが激しく、力も思うように入らない。
「臼倉さん……大丈夫…?」
明らかにいつもと違う姿に、後ろの席の小野が声をかけた。
「あ……ああ…………平気だ。気にしないでくれ。」
「気にしないでって…。」
麻王は後を向き、作り笑いでなんともないように答えるが、声にいつもの覇気がなく、トーンも少し高い。
常に全てを凌駕するように親に言われ、皆の前では見栄張って行動してきた。
そのため弱々しくすることなど今まで一度もなかった。
だからこそ、今まで見なかった麻王の姿は、体調の変化を露骨に分からせたのだ。
「アタイが今まで………体調崩したことあるか?
心配ねえ………。」
「う………うん。」
麻王は苦し紛れに弁解し、前を振り向く。
(…………!)
その途中一瞬だけだが、チラリと真友美と目があった。
真友美は笑っていた。怒っていた。無表情だった。
どんな表情だったか、麻王は分からなかった。
どんな感情だったか、麻王は体で感じた。
醜態に喜び嘲笑う。
親戚を殺された収まり切らない憎しみ。
大勢の前で現さない裏の顔。
その全てが一斉に麻王の心に襲いかかった。
麻王の手からまた大量に闇の粒子が溢れ出る。
慌ててその手を机の下に入れ、影で隠すが根幹の解決はしたわけではなく、麻王の焦りは止まらない。
「ねえ、ホント大丈夫!?先生来たら言おうか?」
小野は前で蹲るような仕草をする麻王を放っておけず、心配する。
「平気だって、ほっといてくれ!!」
しかしその気遣いとは逆に、麻王は睨みを効かせ、高い声で小野に怒鳴る。
常に人の上に立つよう教えられた麻王にとって、心配されることはこの上ない惨めなことだった。
「う………うん…………わかった。」
麻王の溢れ出る殺気に尻込みし、小野は心配感を残しつつ、仕方なく折れた。
「どうした、臼倉?
大きな声出して。」
そこへ黒木が驚いた顔で割入ってきた。
麻王自身、普段は冷静で声を荒げることはないため、3日前のことからずっと気にしていたのだ。
「え……?」
麻王はかなり低めのトーンと同時に黒木を睨み付けた。
「はい、じゃあ朝の会始めるぞ。」
それと同時に、担任が教室に入りいつも通り朝の会が終った。
「6時間目は体育だ。
今週は男子は教室、女子はC教室で着替えるように。」
『はーーーい!』
体育の時間は男女着替えるとこが別になっている。
意識し始める年頃であり、デリケートな時期なので学校側も配慮している。
麻王は事前に机の横のフックにかけておいた体操着袋を持ち、いつも着替えるトイレへ急いで駆け込んだ。
能力での早着替えを公前とやりたくないのもあるが、未だに治らない痣や傷を見せたくないからだ。
麻王は体操着を袋から出し、その袋を便器の蓋に敷きそこに置く。
そして、体操着に向かい右腕を伸ばすが力を込める前に腕を下げ、普通に着替え始めた。
早着替えは、かなり幼い頃からできていたが、それすらできない現実をみたくなかったからだ。
麻王は両手を握り締めると個室の扉を開け、手を洗いトイレを出て、C教室に体操着袋を置きに行った。
「あれ?臼倉さん、今日はアレ使わないの?」
「ん、ああ、まあね。たまには動かないとさ…!」
いつもは超能力で体操着袋をテレポーテーションしているため、三浦が素朴な疑問をしてきた。
麻王は苦笑いでかえし、すぐに教室を出る。
「“たまには”………ねえ。」
そんな麻王の様子を、真友美は無表情で見届けていた。
今日の体育の時間は自由だ。
まだ合併してから3日しか経っていないので、先生同士の連携もあまり取れていないのだろう。
そのため、種目を決められず生徒で勝手に動いている。
男子は前の学校ごとで分かれてドッジボールをしているが、女子は木陰で喋ったり少人数でバスケットボールをしたりと、あまりまとまりはない。
先程一人の女子がドッジボールの流れ玉に当たってしまい、先生は介抱している。
麻王は三浦とバスケットボールで1on1をしていた。
今は麻王が攻める方であり、絶妙なドリブルテクを披露する。
体育のときはあまり力を使っていなかったので、運動能力の低下はあまりない。
三浦も運動能力はあるほうなので、フェイントに惑わされず抜かせない。
「しぶといね。」
「そういう臼倉さんこそ、そろそろ触らせてくれてもいいんじゃない?」
「嫌だね、ほい!」
麻王は一瞬の隙を付きシュートする。
しかし、ボールは籠を揺らすことはできず、リングに弾かれた。
「あ、惜しい……!!」
麻王は悔しそうに呟く。
「危なかった……次、あたしね。」
「オッケー!」
それでも、麻王は楽しかった。
互角な闘いは、人の上に立つを心情としている麻王にとっては本来不都合なものだ。
しかし、麻王は学校でスポーツというものに触れるうちに、競い合うことの楽しさを感じ取っていた。
さっきまで、辛いことが起きてたのだから尚更だ。
「行かせないよ!」
「ふん!取れるものなら取ってみな!!」
またしてもボールの取り合いが始まる。
立場は逆だが、状況は変わらない。
三浦が体を使いボールを保持し、隙があれば突破を図る。
麻王も僅かな隙を付きブロックをかけ、フェイントにも引っかからずに前へと進ませない。
互いに爽やかな笑顔だ。
こんな時間が永遠に続いたらと、麻王は思った。
しかしそれは、もう二度と叶うことがない虚しい願いだった。
「えっ………?」
突然、麻王の脚に電気的な刺激を覚えたと思ったら、その脚がまったく動かなくなりバランスを崩した。
「隙あり!」
三浦はその隙に麻王を躱し狙いを付け、シュートする。
ボールは一度バックボードで跳ね返り、ゴールを揺らす。
「よし!どう、臼倉さ………って、臼倉さん大丈夫!?」
三浦は得意げな表情で、麻王に振り返るが、倒れる姿を認め、すぐに近寄る。
取り合いで足が絡み転んだのだと思い、心配して手を差し伸べる。
しかし、麻王はそれを見ず、違う場所を凝視する。
「アイツ……!!」
視線の先、電気的刺激が送られた先には真友美が人差し指をこちらに向け、立っていた。
脚の痺れはすぐに収まり、麻王は立ち上がる。
「臼倉さん……?」
心配する三浦をよそに、怒りに満ちた表情で真友美に歩み寄る。
そして、真友美から5m近く---飛び掛かられても逃げられるくらいで立ち止まる。
そして、トーンは高いがドスの効く声で真友美に叫ぶ。
「どういうつもり?
なんでこう邪魔ばっかりするの…!!」
麻王は全身にドス黒いオーラを出し、それを右手に集める。
しかし、それを見ても真友美は平然とした表情で麻王を見下ろし、鼻で笑う。
「なにが可笑しいんだよ……!?」
「ふ………。
なにおかしなこといってんの?
あなたは犯罪者なんだよ?
犯罪者が一般人に近付いたら助ける?助けるよね。
あっ、ごめんなさい。バケモノじゃそんな概念がないんだね。人殺しを普通にやるとこだもんね。
でもね。
あなたに選択肢なんてもうないの。
闇のバケモノの癖に、光の人間様に歯向かうなんてたかが知れてる。
だからね………………」
「うるさい!!
いかにも私は正義ですって感じな、偉そうな口叩いてるんじゃねえよ!!
コレは闇の結晶!!アンタに闇を入れ、アンタを一生蝕み続ける!!
アンタはずっと後悔する!!
謝るなら今のうちだよ!!」
「はぁ…………。
だからあなたには選択肢なんてないっていってるじゃん……。
あなたみたいな“犯罪者”には。」
「だから……………
犯罪者じゃなぁぁぁいッ!!」
麻王の叫びと共に、右手から巨大な闇の球が放出される。
直径1mを軽く超える弾は地面を刳り、強風を生み出し、真友美に迫る。
それでも真友美は、仁王立ちのまま動かず小さく呟く。
「ホントに馬鹿だね。失うものが増えるだけなのに。」
真友美は、人差し指で軽く弾に触れると、弾は弾丸のような速度で膝をつく麻王の隣を通過していった。
「え…………………?」
全ての力を込めた攻撃がいとも簡単に跳ね返されてしまった。
さらに、その弾は自分が発射した弾よりも速く力強かった。
麻王は目の前の光景を信じられずにいた。
「おい、なんださっきの音!?」
「叫んだの臼倉か?」
「なんか竜巻起こった気が……。」
麻王の叫びがあまりにも大きかったせいか、校庭中の注目は麻王たちに浴びせられていた。
あまりの事態起こったことをそれぞれ口にする。
「いやあああああ!!」
その中で、最悪の結末を見たものが叫んだ。
みな悲鳴に振り向き、なにがあったのか探りだす。
少し遅れて麻王も後ろを振り向いた。
「えっ……………」
そこにはあったのは、跳ね返った球を受け、全身を闇に包まれた三浦の姿だった。
「嘘……………三浦!!」
とんでもないことをしてしまった。
麻王は三浦に駆け寄ろうとするが、すでに力を使い果たし、立ち上がることはできなかった。
麻王の手から、出し尽くした筈の闇のエネルギーが目に見えるほど大量に漏れ出す。
真友美への敗北より、後戻りのできない罪悪感のほうが強かった。
「やっちゃったね。犯罪者。」
「………!」
真友美は一切の悪気のない表情で麻王の前に立ち、蔑んだ瞳で見下ろした。
(何言ってんだ!お前が跳ね返さなきゃ!!)
麻王はそう言い返そうとしたが、声が出なかった。
静かな威圧に負けじと睨み付けるが、真友美の嘲笑は依然変わらない。
「私がやったことじゃないの?
なんて思ってない?思ってるよね。
でも、バケモノは虐げられる定め。事実はどうでもいい。
今から真実が語られる。楽しみにしててね。」
そう告げると、真友美は三浦に集まる生徒たちへと歩いていった。
その後ろ姿は、罪悪感なんて感じさせない、平然としたいつも通り優雅なものだった。
(なんだよ………アイツ………!)
麻王はそんな真友美に姿に怒りを覚え、右手を構えて力を溜めようとした。
しかし、最後にみた三浦の姿を思い出し攻撃を止めた。
麻王は行き場のない手を強く握ると、地面へと叩き付ける。
(なんでだよ…!アンタが恨んでんのはあたしだろ…!!
なんで………なんで三浦が、ああならなくちゃならないんだ…!!?)
理不尽と無力感と罪悪感が一斉に襲い掛かる。
何度も何度も叩き付け、闇で構成された皮膚の形が酷く歪んでしまう。
この場に自傷行為に気付くものはいない。
倒れる三浦と当事者だという者の話に集中し、愚かな少女など目に入らないのだろう。
しばらくし、麻王は自傷行為をやめ地面にうっぷし泣き出す。
性質上涙は出ないが、感情を高ぶらせ、嗚咽をもらし肩を揺らし、泣いた。
時間が経ち、麻王の体に影法師が差した。
少し落ち着いた麻王は、小さく深呼吸して顔をあげる。
「よ、臼倉。」
そこには、黒木が一人静かに立っていた。
涙を流したり鼻を赤くしたりという特徴がでないため、泣いていることはバレなかった。
「三浦は…………三浦は、大丈夫なのか?」
麻王は黒木の顔を見るなり開口一番に、三浦の安否を確認した。
しかし、黒木は何も言わず伏し目がちで麻王を見るだけだった。
「黒木……聞いてんの…?三浦は………三浦は………!どうなってんだよ……!?」
麻王は黒木が答えないのは、最悪の結末を告げるのを、遠慮しているからだと思っていた。
しかしそれは違った。
「どうなったって…!!お前が一番知っていることだろ……!!?」
「えっ…………!?」
黒木の言葉には怒りが込められていた。
表情も悲しみと同時に麻王に向けられた怒りがある。
目も合わせてはくれない。
「ちょ…………ちょっと待ってよ……。
なんで……怒ってんだよ………!
アタイがいったい何を…………………」
「とぼけんなよ…!!
三浦をああしたのはお前だろ……!?
俺達みんなが、ちゃんと見てたんだ…!!
バスケで中々勝てないからって、力に頼って気絶させるなんてサイテーだ…!!」
「違う……!!
アタイはそんなことしてない…!!
アタイはただ……………………」
麻王は困惑したが、震える声ですぐに否定する。
そして、事実と違うことを語る黒木を訂正しようとしたが、聞きたくない声がそれを防いだ。
『言ったよね……。
事実なんて…………どうでもいいと。』
「………………!」
声の方を振り向くと、嘲笑に満ちた表情で麻王を見詰めていた。
何故か大量に汗をかき、河野に支えられている。
「ただなんだよ…?
前からお前の力は気になってけど、まさかこんな使い方するなんてな…。
ガッカリだ…!」
黒木は突然話すのをやめた麻王に尋問の如く語り掛ける。
「だから違うって…!!
アタイが不必要にそんなことしない…!
わかるだろ……なあ……!!」
麻王は必死に否定するも、黒木は俯いたまま何も言わない。
視線をおろすと握り締めていた拳が震えていた。
余程ショックだったのだろう。
だから、少しでも誤解を解こうと残った力を使って立ち上がり、如月に歩み寄った。
他の生徒たちがザワザワしだし、後退りしていく。
非常に警戒心を持たれている
麻王はそれをわざと見ないよう、如月にのみ視線を当てゆっくり近付く。
「お前……何をしたんだ……!
コイツらに何を仕組んだ!!」
『仕組んだ…?
何馬鹿なこと言ってんの?
私はただ、この子たちに真実を教えただけ。』
「真実だと……!
ふざけんな!!」
麻王は怒りに身を任せ、つい右手を如月の方に構えてしまった。
生徒たちがまたざわつき始めた。
「お前の戯言に、コイツらが騙される訳ない!!!」
右手の放出器官が紫色に光り始めた。
そのとき
「やめろ!!」
黒木がしっかり握り締めた拳で、麻王の頬を強く殴ったのだ。
麻王は、困惑と弱った体が相まって、そのまま地面に倒れていった。
「え……………」
頬にジワジワとした痛みを感じる。
黒木を見ると、今にも泣きそうな表情でこちらを見ていた。
「臼倉……!それ以上人を傷付けるなよ……!!」
麻王はつい目をそらし、如月を睨み付ける。
(コイツ、何をしたんだ……!
アイツらが簡単に信じるわけ………!!)
『そうだよ。
最初は信じなかった。』
「………!」
そのとき、麻王はふと違和感を覚えた。
口にしたわけではなく、心の中で思っただけなのに、それをよんだかのように如月は反応してきた。
さらに如月が喋るとき口が動いておらず、声は
他の人には聞こえていないようだった。
麻王は驚愕する。
嫌な予感が頭によぎり寒気がした。
(テレパシー………!
まさか……!!)
『気付いた?気付いたよね。
あなたの能力、最高だよ。
“念”だっけ?物を浮かせるだけじゃなくて、相手の脳みそを勝手にいじることもできるんだね!
これで嘘も本当になる。結果だけ合えば、事実なんてどうでもいい。ただこの馬鹿なメガネ女が闇に冒されるという真実さえ合っていればね。
まあ、体力を凄く使うってのが難点だけどね。』
(オマエ………!!)
麻王は唖然とした。
如月がやったことは、簡単に言えば記憶のすり替え。
麻王も力を取られる前はできたが、やらなかった。
相手を意のままに操ってしまえば、それに依存し自分自身が弱くなってしまうからだ。
他にも、脳をいじることにより障害が起こる可能性がある。
麻王はそれを危惧していたのだ。
それを如月は平然とやってのけた。
(オマエは絶対許さない!!)
麻王は怒った。
記憶をすり替えたこと、自分自身を陥れるためにクラスメイトを利用したこと。
ありもしない真実のために、友達を泣かし殴らせたこと。
(アタイはどうなってもいい!!
どう思われてもいい!!アイツを………アイツをやらなきゃ気が済まねえ!!)
麻王は力を振り絞り立ち上がると、誰にも見えないよう少し拳を握りながら掌に力をためた。
『ホント馬鹿な子……。
変なことしないほうが楽だよ?』
如月は狙いに気付いているのか、テレパシーで麻王に話しかける。
麻王は答えもせず、睨み付けたまま力を貯め続けた。
『これ以上罪重ねたくないでしょ?重ねたくないよね。
だからやめなよ犯罪者。』
麻王はまた反射的に腕を如月に伸ばした。
如月は静かに笑い、話を続ける。
『大切な大切な友達を殺めちゃった殺人者。』
「………!!」
如月は、麻王を徹底的に煽ることで自分を攻撃させ、皆の好感度をさらに下げようとした。
しかし麻王は如月の予想と違う行動を取った。
覇気を失った顔を俯かせ、腕も垂れ下がり力が放散される。
(なにをしてんだバケモノ…!)
如月は力が完全に放散されないよう急いで麻王の手に念力をかける。
「えっ………!?」
麻王は突然の事態に何もできなかった。
気付けば、手からは非常に小さな弾が発射され、如月へと飛んでいた。
如月は顔色一つ変えずに飛んできた弾を光を纏わせて打ち返し、麻王の鳩尾あたりに当てた。
「うっ………!」
麻王はよくわからない状況下で感じた痛みに蹲る。
一連の流れを見た生徒たちは唖然とし、如月と麻王の姿を交互に見ていた。
如月は、静かに笑うと麻王に近付きながら、クラスメイトに説明をしだした。
「危なかった………。
みんな今のでわかったでしょ?
この悪魔のバケモノ---ウスクラマオは人一人殺すのも厭わない殺人鬼。
護身術を習ってなきゃわたしは今ので殺されていた。」
みな唾を飲み、蹲るバケモノを見る。
「でも大丈夫。みんな安心して。
特殊な物質が入った球を当てといたから、今それを浴びて何もできないはず。
その間に、危険なバケモノを始末しちゃいましょ。」
みな如月の言葉に困惑した。
確かに不思議なことが連続して起こり、バケモノを恐れた。
しかし、そのバケモノは元双葉小の人にとっては前からの友達。
簡単に裏切ることはできなかった。
元若葉小の生徒も小さく体は動くが、行動には移せない。
「みんな心当たりあるでしょ?
あのバケモノはね、力を入れ見せびらかしてあなた達に恐怖を植え付けてるの。
“自分に楯突くとこうなるぞ”ってね。
でも、今は弱ってる。
今だけだよ!あの悪いバケモノを始末するのは!
今を逃すと、あの子みたいな犠牲者が…………」
その瞬間、如月の瞳が潤み一滴の涙が溢れた。
それを見た一人の男子がボールを拾い上げた。
人の中を進み、前へと出る。
そして、バケモノの前に立ち手に持つボールをバケモノの頭に投げ付けた。
「っ………。」
麻王は痛みを感じるが、怖くて顔を上げることができなかった。
「死ね。バケモノ。」
「っ…………!?」
麻王は咄嗟に顔を上げ、その男子の顔を見た。
信じたくなかった。
気のせいだと思った。
それでも確かに聞こえた。
聞き覚えのある声が、ナイフのように心を突き刺す冷たい言葉が。
ボールを投げたのは増川。
元双葉小の生徒だった。
今まで共に時を過ごし共に笑い合った友達が、蔑んだ目で自分を見ていた。
その紛れもない事実は、麻王の心を空っぽにしてしまった。
ボールが黒木の足元に転がる。
黒木はボールを拾い、増川に視線を送った。
増川は静かに頷き、黒木も答えるように頷いた。
黒木は怒りを込め麻王に向かいボールを投げる。
ボールは麻王の頭にぶつかり、再び黒木の足元に転がった。
麻王は言葉を一切発さなかった。
どうしようもない理不尽を、ありもしない現実を、覆せない力を、麻王は受け入れてしまったのだ。
黒木は何度も何度もボールを投げた。
その度に溢れる涙の量が増えていった。
そしてついに黒木にも限界がやってきて、崩れ落ちてしまった。
それを合図に、やんちゃしている男子たちが麻王の周りを囲い、殴ったり蹴ったり麻王を袋叩きにした。
体操服に蹴られた後が残り、少ない闇で構成された皮膚は酷く変形してしまった。
見るも無残な光景に泣き出す生徒もいた。
「おいお前ら!何やってんだ!!」
そこに、だいぶ遅れて騒ぎを聞きつけた先生が駆け寄ってきた。
流れ玉に当たった女子の介抱で、生徒たちの様子に気付くのが遅くなってしまったのだろう。
先生は口々に状況を話す生徒たちの中から状況を予想した。
麻王を保健室に連れて行き、泣き崩れる如月を呼び出し他の生徒を教室に戻した。
-会議室-
体操服から着替えた如月は、ドアの前に取り巻き二人を待たせ、担任と話し合いをしていた。
無論、麻王の件でだ。
「……………如月くん…。
君は、なぜあんなことをしたのかね。」
「あの子が憎かったから。
それだけです。」
如月は、顔色一つ変えずに淡々と返した。
そして、部屋の中を見渡すとため息をついてから、話を進めた。
「紋切り型の説教は端折っていいんじゃないですか?
録画されてるわけでもないでしょうし。
あの出来損ないを再起不能にする。
あなたの要望は通しましたよ。」
担任はそれを聞くと、手を組んで机に肘をつき、口元を指に隠した。
「分かっている。
だが、君にもう一つ頼みたいことがある。」
「なんですか?殺すのは嫌ですよ。
生憎、私怨が溜まっていましてね。」
「そんなことではない。
光の人間に気を許した出来損ないなど興味はない。
君には、奪った闇の力を自分のものにしてもらいたい。
来年度の春、新たなターゲットを迎えるためにな。」
「ターゲット?」
如月は担任から目線を外し、椅子から立ち上がる。
「どうした。話は終わってないぞ。」
担任は如月がドアノブに手をかける寸前で、止める。
如月は視線を動かさずに淡々と返す。
「私の目的は達成しました。
そういう約束ですよね。」
担任は何も言わず、如月を見続けた。
如月も何も言わず、ちらりと担任を見てから退室した。
ドアが閉まり数秒後、担任は立ち上がり静かに呟いた。
「選択肢がないのは、君も一緒だよ。」
-保健室-
麻王は保健室のソファで寝かされていた。
変形していたところもすぐに元に戻り、血が出ていなかったことから、大事として扱われなかったのだろう。
それよりも、職員は三浦の原因不明の昏睡状態に手を焼いていた。
一切外傷もなく、体温や脈なども正常。
職員では手に負えないため、保護者に連絡し病院を紹介している。
麻王はその様子を見ていられず、終始顔をそらしていた。
「臼倉。大丈夫か?」
そうこうしている内に、体育教師が麻王のランドセルと着替えの服を持って保護者に入ってきた。
「ありがとう………ございます。」
麻王は体を起こし荷物を受け取る。
教師との距離がいつもより遠く感じる。
警戒されているのがひしひしと伝わってきた。
「臼倉、三浦をやったのは、お前か?」
教師は単刀直入にそう伝える。
元双葉小の教師だ。
デリカシーのないことは分かっていたが、いざハッキリ言われると、麻王は俯き黙ってしまった。
「そうか……。」
教師は麻王の態度から分かったような口をきき、三浦の様子を見に行く。
(もうやだ……。)
麻王は、辺りを見渡してからランドセルをギュッと抱き締めた。
刹那、ランドセルから闇が放出され麻王を包み込む。
「おい臼倉……ん?臼倉?」
教師が振り向いたときには、臼倉の姿はそこにはなかった。
-森の深く-
(やっと戻れた………。)
麻王は家の前までテレポートした。
ランドセルの闇を少しだけ吸い取り、体操服から着替える。
玄関の結界をくぐり、家の中に入る。
まっすぐ自分の部屋に入り、体操着袋を投げ捨て、ランドセルを置き、ベッドへ入り込む。
すると、今までの疲れがどっと溢れだし麻王はすぐに眠っていた。
夕方。
麻王は目を覚まし布団をはねのける。
(うわ……こんな時間……!)
時計を確認し、一時間遅れた夕食へと向かった。
短い廊下の途中で言い訳を考えるも、何も出る訳なく、すぐさま冷めた料理が並んだ食堂へと辿り着いていた。
「お母さん………ごめん……………その………。」
麻王は、黙々と冷めたご飯を食べる母の姿を見ると、すぐ謝ろうとした。
しかし、自分にとっても母にとっても不都合の事が多すぎて、謝罪の言葉が浮かばなかった。
母は娘の声を確認すると、モニターの画面を消し静かに娘の元へと近寄る。
「…ママ……。」
麻王は甘えたかった。
友達からも大人からも見放され、信じられる人がいなくなってしまった。
だからせめて、親だけでも甘えてもいい。
そう願い、そう信じ母に抱き着こうとした。
だが、現実は非常だった。
「………うッ…!!」
麻王は腹に重く激しい痛みを感じる。
恐る恐る目線を下ろし、痛みの正体を見る。
「なんで………マ………マ…?」
そこにあるのは、他でもない自分の母の腕だった。
表面の皮膚を抉り、内部まで入り込んでいる。
いつもは温かく、とても安心する優しい手が、自らの命を奪うが如く襲ってきた。
本来は闇の力を持つものは光の力以外ではダメージを受けない。
しかし、闇の力は精神力により左右される。
麻王の精神力は崩壊寸前。
闇の防御などあってないようなものだった。
麻王は今まで以上に手から闇の粒子を溢れさせ、母の顔を見上げた。
「やっぱりね。
一族の恥だわ。」
母には驚きの表情はない。
そこにあるのはただひたすら、憎しみしかなかった。
「こんな子………産むんじゃなかった……。」
(………!!)
この一言から麻王の目の前が真っ白になった。
もう何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない。
頼れるものがなくなった。
助けてくれるものがいなくなった。
世界の粕として生きるしかない。
麻王はそう思った。
「汚らわしい。」
麻王の体から腕が抜かれる。
腹からは血が吹き出るかのように、闇の粒子が溢れ出てきた。
麻王は力なく倒れ人形のように動かなかった。
「使えない落ちこぼれが。」
母は汚物を触るような表情をしながら念を使って麻王を掴み、玄関まで行くと麻王を放り投げる。
「気付いてないとでも思った?
すぐに言えば、楽にしてあげたのに。
…………とっとと消えろ。二度と顔見せるな。」
母はそう吐き捨て、玄関の扉を締めた。
胸元に開いた穴は粒子が集まり塞がれる。
しかし、穴の中はからっぽのままだった。
-翌日-
気付くと麻王は、公園のドームの中で一夜を過ごしていた。
自分でも何故ここにいるのか、どうやってここまで来たのか覚えていなかった。
寝たため体は動くが、何故だがとても重かった。
体を起こし外に出る。
時計を見ると朝の8時だった。
(ここまで寝たのは初めてだな………。
今日は金曜日か……。
…………………学校……どうしようかな。)
なにもかも失った麻王に行く宛はなかった。
学校に行こうとも考えたが、ランドセルも教科書も全て家にある。
そしてなにより、あの場所には味方は一人もいない。
不幸な運命にあることが目に見えていた。
(とりあえず……なにか食べよ。)
麻王は思考を停止し、今は本能に従い生きることにした。
手始めに、公園の砂利を一口咥える。
(…………まぁ、食いもんじゃないしな。)
噛もうとするが、なかなか噛み砕けず細かい粒が口の中に残り気持ちが悪い。
急いで蛇口をひねり、水で流し込んだ。
(ふぅ………後でゴミ箱でも漁るかな。)
麻王は体力を温存させるために、二度寝しようとドームまで戻ろうとした。
そのときだ。
(え……?)
突然体が光だし、全身が包まれる。
そして気が付くと、狭く暗い密閉された空間にいた。
(え………なんで………どうなってるの?)
「おはよう……臼倉さん……」
困惑していると、如月の声が耳に飛び込んできた。
麻王は一瞬ドキリとした。
刹那、これからおこる最悪の事態を予想し諦めたかのように顔を俯かせ視線をそらした。
「なに?その大胆にお腹を開けたファッション?
まあ、そんなことどうでもいいか。
今日サボろうとしたよね?サボろうとしたでしょ!
そんなことさせないよ?」
如月は麻王の顎を掴み、顔を自分の方へ向ける。
「人の話はちゃんと聞かなきゃ。」
刹那、如月は顔の表情一つ変えず、麻王の腹に膝蹴りをくらわした。
「………ッ!!」
予期せぬ痛みだった。
麻王の精神上、防ぐことや痛みを軽減する動作はできないが、あまりにも急だったため、痛みと同時に困惑もあった。
ニンゲン、迷いや戸惑いがあると弱くなる。
麻王は悶え体を丸めて蹲った。
そして如月は一切の躊躇もなく、麻王の背中に足を乗せた。
「バケモノを野放しにしちゃうと、汚い道路を這い蹲りゴミを漁って迷惑だからね。」
如月は乗せた足をどかし、麻王の前にしゃがむ。
ポケットから犬用の首輪を取り出し、さっきのように麻王の顎を持って上に上げる。
麻王の顔は恐怖に歪み、視線が定まらず口も震 えていた。
如月はそんなこと気にもせずに、麻王の首に首輪をきつくつけた。
そして、念を使い麻王の体を立たせる。
「これでOK。
さあ、おいで、みんな待ってる。
“力を取られ奴隷となった世にも奇妙なバケモノ”をね。」
その瞬間、二人の姿は消えていた。
-放課後-
夕方、門を通った麻王はぐったりしていた。
教室での彼女の扱いは散々だった。
教室に入ると、罵声と怒号が飛び交いものを投げられた。
トイレに逃げ込むと、上から水をかけられる。
少しのことじゃ死なないことをいいことに、掃除の時間では机を投げられる始末。
事実上のイジメが始まってしまったのだ。
髪は荒れ、黒い服は汚れ、顔には生気がない。
終業の鐘がなってからだいぶ時が経ち、辺りに人はいなかった。
麻王はなるべく人目を避け、路地裏に入っていった。
放置されたゴミ袋を地面に落ちてた硝子の破片で破り、中身を漁る。
生ゴミの汁が溢れ、蝿が集る。
麻王は気にせず、だいぶ前に腐った果実を取り出した。
それをゴミ箱の蓋の上に置き、また袋を漁る。
一部だけかじられたパンや、骨だけになった魚、残飯を拾い集めゴミ箱の上に置く。
(このくらいでいいか……。)
麻王はゴミ箱の蓋を外し、床に置く。
(いただきます……。)
そして、集めた残飯を貪り食った。
日の当たらない閉所で蝿たちと食べる食事は不味かった。
闇のニンゲンは、どんなものでも腹の中にはいれば燃焼され闇の力を生成するエネルギーに変えられる。
それ故、闇の世界の料理に味はなく、味覚は意味を持たず退化していた。
しかし麻王は、光の世界の学校で給食があり、他の人に合わせるため、味覚を退化前に戻されていたのだ。
麻王の手から闇の粒子が漏れ出した。
光の世界ではバケモノ扱い。
闇の世界では出来損ないの落ちこぼれ。
死ぬことも生きることも許されない。
自分は一生、如月の“オモチャ”になるしかないのだと、静かに悟った。
-一週間後の土曜日-
(いただきます……。)
麻王は学校から少し離れた路地裏で、集めた残飯を食べていた。
ここは障害物も多く人目につかず、なによりも定食屋がすぐそばにあるため、嫌な臭いが紛れるのだ。
味はかわらないのだが、良いにおいがあるだけましだ。
麻王は必死に貪り食う。
この一週間生きた心地がしなかった。
今でも、自分がホントは死んでいるのではないかと思うほどだった。
服は所々破れ、ほぼ半裸に近くなっていた。
イジメを受け、その都度粒子が漏れ出した。
そのため、睡眠で回復する素の闇の力では足りず、なにかを食べなければ死んでしまう。
この現実から逃げるため、そうしようと思うときもあった。
しかしそんな勇気、麻王は持てなかった。
(まだ腹がすくな………)
麻王は持ってきただけの残飯では足りず、ここでゴミ箱を漁り始めた。
しかし、きっかりと整理されており生ゴミ一つなかった。
(…………。しかたない。)
麻王はしぶしぶ地面に生える雑草を毟り、食べ始めた。
そのとき
「君………何やってんの…?」
ほうきをもった一つくらい年上の少女が、驚いた顔をして麻王を見詰めていた。
「…………!!」
麻王も固まったまま少女を数秒見詰め返す。
(見つかった……!)
麻王は慌てて駆け出し、少女の横を通り逃げようとした。
「あっ!ちょっと待って!!」
少女は咄嗟に麻王の腕を掴み、引き止める。
(……ッ!!)
刹那、麻王は激しい恐怖感に見舞われた。
そして、反射的に手を少女の顔の前に差し出していた。
少女は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに笑顔になり優しく、差し出された手を下ろし、何も言わずに定食屋の中に麻王を連れ込む。
少女は入るや否や、店の中に叫んだ。
「ママー!お客さん!!なにか出してあげてー!!」
「はいはい、ちょっと待っててねー。」
少女の母は、そういうと読んでいた新聞をたたみ、エプロンをかけ厨房に入っていった。
「ほら、そこ座って!今服取ってくるからね!」
少女は麻王をカウンター席に案内し、階段から2階へのぼった。
(なんなんだ……コイツら……?)
麻王は困惑しながらも、静かに時を経つのを待った。
なにもしないで、ただの薄汚いガキだと思わせていれば、美味い飯にありつける。
それだけを考え、キョロキョロするなどの行動は取らず、ただひたすらに待っていた。
少し時が経ち、階段を下る音が聞こえた。
「お待たせ!似合いそうな服選んでたら時間掛かっちゃったよ!
はいこれ、私が小3くらいに着てたやつだけど入るかな?」
少女はそういうと、綺麗にたたまれた可愛らしい色褪せたピンクの洋服を麻王の前に差し出した。
「え………。」
麻王はもらうのに躊躇した。
いくら新しいものを着たとしても、どうせまた破られるだけ。
色褪せ、思い入れが深そうな服をバケモノが着るには価値が合わない。
そう思ったために。
「だめ…………かな?
ママー!他にこの子に合いそうなのない?」
「そうね、ほら4年生のときずっと欲しい欲しいって結局着なかったのあるじゃない!」
「えー!あれはちょっと………
………ごめんね、また探してくる。」
そう言って少女は、振り返りまた2階へ向かおうとした。
そのとき、麻王は咄嗟に自分でもよくわからないうちに、少女の服を引っ張り止めていた。
「ん?どうしたの?
やっぱりこれがいい?」
「……………。」
麻王はしばらく黙り、考えた。
なぜ自分がこんな行動をとってしまったのか、そしてこうなった以上どうするのかを。
「え…もしかして、この服…?
これは君には大きいかと………」
「さっきの……」
麻王は力一杯、小さく低い声で伝えた。
「さっきの……桃色の貸してください。」
「ホント!これでいいの?
じゃあはい!
貸すんじゃなくて、あげる!!」
少女は麻王の言葉を聞くと、笑顔になり再び服を麻王に差し出した。
「ありがとう………ございます。」
麻王は服を受け取り、広げて眺めた。
今まで一度も着たことのない、子供らしく可愛らしいプリントがされてるものだ。
自分が普通のニンゲンなら、今どきこんな服を着て家族とどこか行っているのだろうかと麻王は思った。
「トイレあそこにあるから、着替えてきて!
もうすぐできるから!」
「は……はい。」
麻王は言われるがままに、トイレに駆け込み破れた服を脱ぎ、キラキラした服に袖を通す。
着心地はよく、サイズもピッタリ。
所々解れてはいるが、動く分には全く問題なく、大切にされていたことがよくわかった。
トイレから出ると、今まで残飯のおかずにしていた美味しそうな匂いが店中に広がっていた。
「おー!いいじゃんカワイイ!!」
少女は麻王の姿を見るや否や、目を輝かせ麻王を見詰め、とても嬉しそうな表情をした。
(こんなこと言っても……正体を知ったら…………)
それとは対照的に、麻王は内心落ち込んでいた。
カワイイとは程遠いバケモノだと分かれば、嫌悪の表情を示され、他の人と同じように傷付けると思ったからだ。
優しくされてるからこそ、そこからの落差が怖いのだ。
「ほら、もうすぐできるよ!座って!座って!」
そんなことを知ってか知らずか、いつの間にか座っていた少女は、麻王に隣に座るよう催促する。
「あっ………はい。」
麻王は慌てて言われる通り席に座った。
「どうぞ、おまちどうさま。」
それと同時に、麻王の前に唐揚げ定食が運ばれた。
温かいご飯に温かい味噌汁、きれいに並べられた唐揚げに野菜の盛り付け。
どこか優しく温かい感じがした。
しかし、麻王は全く手を付けなかった。
「どうしたの?食べていいんだよ!君のなんだから!」
「………。」
少女は催促するが、麻王は俯き口を小さく開けたまま動かない。
「……もしかして………唐揚げ、キライだった………?」
少女の質問に、麻王は小さく首を振る。
それでも、俯いたまま動かなかった。
「君、遠慮してるのかい?
なにも心配しなくていい。食べるだけ食べな。
雑草なんかより、よっぽど美味しいよ。」
少女の母は、そういうと麻王の頭を優しく撫でた。
「…………。」
麻王は静かに体を震わせ、手から粒子を流した。
「うわぁぁぁぁぁぁん………!!!」
そして次の瞬間に大きな声で泣き始めた。
涙はでないが、大きく高い声でひたすら泣いた。
もう感じることがないであろうとした優しさと温かさが、今まで我慢してきた感情を一気に爆発させた。
涙が出ない、赤くならない顔を隠さなかった。
怪しく粒子が出続ける手を隠さなかった。
隠すことさえ忘れるくらい、泣くのに必死だった。
「大丈夫……大丈夫………辛かったんだよね。
もう大丈夫だよ……。」
それでも少女は、麻王を優しく抱き締めた。
それを拍子に、麻王は更に脇目も振らずに泣きじゃくった。
「大丈夫……大丈夫。」
少女は耳元で囁きながら、背中を優しくさする。
少女の母は泣きじゃくる麻王をひたすら見守り続けた。
-数時間後-
「ううん………。はっ!」
麻王はふかふかのベッドの上で目を覚ました。
体を起こし、状況を理解するため辺りを見渡す。
(どこだろ………ここ……。)
壁には恐竜や子犬、子猫のポスターが貼られ、開きっぱなしのクローゼットには、可愛らしい服がたくさんかかっている。
視線を下ろすと、床は小さな服やぬいぐるみが散乱し、テーブルの上には今朝出された唐揚げ定食が蠅帳に被せられていた。
(………!アレは…!)
それを見た瞬間、麻王は自分の服を確認する。
身に纏っていたのは、破れてボロボロになった服ではなく、キラキラした可愛らしい服だった。
(………………夢じゃなかったんだ……。
じゃあ……ここは………!)
麻王は自分の状況を予測し、服を踏まないよう隙間を歩きテーブルに向かう。
蠅帳の横には、丸文字で書かれたメモが置かれていた。
麻王はそれを拾い上げ、目を通す。
−おはよう!よく眠れた?
君は何も心配しなくても大丈夫だからこれを食べてちょっと待っててね!あっ部屋はあんまり漁らないでね!暇だったら本読んででね! ひとみ-
(そうだ……あのお姉さんの部屋だ…。)
麻王はメモを読み自分の状況を確信した。
たくさん泣き、手から闇の粒子が出過ぎたため、体が強制的に眠りについたのを、わざわざ定食と一緒に部屋に運んでくれたのだ。
「(ひとみ…さん……………ひとみさんのお母さん……。)ありがとう…ございます………。」
麻王の手からまた粒子が漏れ出した。
人に愛されるという当たり前のことが、今の麻王には特別幸せなことだった。
「いただきます……!」
震える声で言い、震える手で唐揚げ定食を食べ始めた。
(おいしい……!おいしいよ………!)
麻王は一旦考えるのをやめていた。
今はただ、この幸せな時間を噛み締めたかった。
後のことはどうでもいい、裏切られようが裏切ろうが、この先あるかどうかわからない“幸せ”をひたすらに感じていたかった。
「はいるよー!」
麻王が目を覚ましてから四時間。
ノックの音と共に安心する声が扉の向こうから聞こえた。
「おはよ!ってもう夕方か…!おそようだね!!」
ひとみは麻王が返事を言う前に勢いよくドアを開け、部屋の中に入る。
「おっ!懐かしー!!『ワンっとないたら』だ!」
そして、足でドアを閉め、笑顔で麻王の隣に座りながら手に持ったイチゴの乗った小皿をテーブルの上に置いた。
「ちっちゃいときよく読んだなー………。
あっ!これ、ママから!一緒に食べよ!!」
「はい…。ありがとうございます。」
麻王はお礼を言ってから、さっきまで読んでいた本を棚にしまった。
そのとき、麻王はちょっとの興味で、本棚に立てられた背表紙がちゃんと見える本のタイトルをちらっと見た。
(動物ばっかりだ……好きなのかな?)
麻王はそんなことを思いつつ、元いた位置に戻る。
「いただきまーす!」
ひとみはそれを確認すると、イチゴを一つつまみ、口の中に頬張った。
「ほら、食べな!おいしいよ!」
「は……はい。いただきます。」
麻王も同じくイチゴをつまみ、先端を齧る。
「………おいしい…!」
その瞬間、酸味と甘味が口の中に広がり、思わず口が綻んでいた。
それを見て、ひとみは更に笑顔になる。
「よかった!
やっと君の笑ってるところが見れたよ!
カワイイ!!」
「そ……そうですか………ありがとうございます…。」
麻王は少し照れ臭そうに視線を外し、イチゴを口に頬張る。
それを見て、また笑ったひとみはイチゴをまた一つつまみ、麻王の方に体を向ける。
「私、白井ひとみ!!
中学1年生!よろしく!!」
「え……あっ………はい……!
よろしく………おねがいします。」
あまりにも唐突な自己紹介に、麻王は考える暇もなく頭を下げる。
そして次の瞬間、ひとみは手につまむイチゴを突然麻王の口に当てた。
「むぐっ……!」
麻王は咄嗟に口を開けて、イチゴを咥え、困惑した表情でひとみに顔を向けた。
「やっとこっち向いてくれたー!
そんなお堅くやらなくていいから!
名前、教えて!君の!!」
「え……。」
麻王は困惑し、考えた。
元々はご飯を少しだけいただき、衣服を少し借りるだけのつもりだった。
それなのに、とても愛想よくしてくれて、かなり距離を縮めようとしてきている。
自分の正体がバケモノだということも知らずに。
「あたしは………その…………。」
バケモノだとわかれば、少なからずショックを受ける。
そう思うと、気の毒でたまらなかった。
だから、偽名でもなんでも誤魔化して、ウスクラマオというバケモノをなんとか隠したいが、いい弁解の言葉が浮かばなかった。
「さっきの本さ………面白かった?」
「え……?」
そのとき、何を思ってか急にひとみは話を変えイチゴを抓んだ。
「ちっちゃい頃よく読んでさ。
凄いんだよ、主人公の男の子はさ、犬とお話してその犬の悩みを解決するんだ。
そのとき必ず最初に、自己紹介するの。
『やあ、僕はジャック!ワンっとないてみな。』って。
私そのシーンが好きでさ……犬に合う度に同じこと言って、わかるはずもないのにわかったように会話してさ、面白いでしょ。」
ひとみは、テーブルの端にある爪楊枝を一本取り、抓んでいたイチゴを二つに分け、大きい方を麻王の前に差し出した。
「今でもたまにやるんだ。
ワンっとないてみな。君の全部をその声に乗せて
って。
最後のシーンはみんなそうやってなきながら終わるんだ。
読み終わったら私、悩みとかどうでもよくなってスッキリするんだよね。」
ひとみは、差し出したイチゴを麻王の口の辺りまで近付け、受け取るよう催促する。
麻王は恐る恐るイチゴを受けたり、会釈をした。
それを見てひとみは微笑み、口を開く。
「君も、君の全部を乗せてみて。
何もかも話してとはいわないよ。
だって秘密にしたいって思うのもそれが君の全部だからさ。」
ひとみは優しくイタズラに微笑んだ。
けれどもその中に、どこか真剣さも見え隠れした。
「………。」
麻王はまた俯く。
それをひとみは優しい目で見続けた。
そのままゆっくりと時間が経っていく。
嘘をつくのも気が引ける。
かと言って正直に話せば、いずれか傷付ける。
麻王は悩み、考えた。
けれど、答えは一向に見つからなかった。
「(もういい……なんとでもなれだ。)
あたしは……
あたしは…!うすくらまおって言います!!
おねがいします!!」
麻王は先のことを考えるのをやめ、言われていた通りのことを、大きくハッキリと告げた。
ひとみは最初は初めて聞いた麻王の大きな声に驚いていたが、すぐにまた笑顔に戻り、身を一歩寄せた。
「まおちゃん!
まおちゃんって言うの!!
そう!!」
ひとみはなんども頷き、キラキラした瞳で麻王を見詰めた。
「よし!まおちゃん!!
君は今日から、私の妹だ!!
おー!!」
ひとみはそういいながら、麻王と自分の切ったイチゴを一つに合わせたと思えば、立ち上がりイチゴを上に掲げた。
(………えっと……………)
いきなりの行動に、麻王の思考がストップしていたが、少し経ってから思考が回復した。
「えーーーーーっ!!?」
それと同時に予想だにしない言葉を理解し、思わず叫んでいた。
驚愕した顔でひとみの顔を見上げると、優しくイタズラに笑っていた。