俺はどこにでもいるサラリーマン。……一か月前の話だが。
なぜそうなったのか。それはギャグマンガなどでよくある会社が汚いことに手を出してそれが公になり即行で潰れたからだ。ちなみにヒラの俺は会社がそんなことをしていたなんて知るわけがなかったし、そういったことは一切していない。よって俺は刑務所のお世話になることはなかった。
もっとも今の俺にとってそれがどうした? という話だった。家に帰れば通帳と金目のものと共に妻が消えていた。家は賃貸で無一文の俺はすぐに追い出された。
ハローワークに行きながら何とか見つけた日雇いの仕事でインターネットカフェで寝泊まりする。
そんな生活をして何とか凌いできた俺だが不景気のご時世だ。仕事は決まらず生命線となっていた日雇いの仕事もなく、インターネットカフェで寝泊まりする金もなくなった。
「……死のう」
俺は疲れた。頑張っても頑張っても好転の
心身ともに疲れ果てた俺は町の外れにある雑貨店に入った。そこにあった練炭が目に入る。最終処分品ということで今の俺でも買える値段だった。
俺は迷わず練炭の箱を脇に抱えて眼鏡をかけた禿げ頭の店主がいるレジに向かった。
「はい、毎度」
俺はなけなしの金を店主に渡すと店を出ようとする。その時だった。
「よお、
いかにも、という五十代くらいの釣り帰りの男が店に入ってきた。
「おぉ、
山坊と呼ばれた男は「昨晩海に出てよ」とニコニコしながら肩にかけていたクーラーボックスから大きな魚を取り出した。
「ほお、これは立派な
川爺と呼ばれた老人は眼鏡をクイッと持ち上げ男が取り出した魚を見る。
「じゃあこの鰤を煮付けで食おうじゃないか! 確か練炭あったよな。それで作ろうぜ!」
「す、すまん山坊。練炭はそこの人が──」
「あ、どうぞこれ、使ってください!」
二人のやり取りを見ていた俺は練炭の箱をレジの机に置く。
「お、悪いね。兄ちゃん!」
五十代の男は手際よく練炭を数個取り出すと店の七輪を持って店の中へと入っていく。
「あ、兄ちゃん!」
奥に引っ込んだ男がひょっと顔を出す。
「急いで作るからよ、兄ちゃんも食っていけや!」
「あ、でも俺これから……」
「何か用事でもあるのかい?」
「い、いえ。少しだけなら……」
これから自殺しようとしていたので、と言えるわけがなく俺はお邪魔することにした。
店主と共に居間でテレビを見ながらどれくらい待っただろうか。
「待たせたな!」
鰤や大根などが盛り付けられた大きな器と共に男が居間に入ってきた。机に置かれた鰤の煮付けからは食欲をそそる匂いが立ち上っていた。
「これで終わりじゃねえぞ!」
男はホカホカの白ごはんと共にキンキンに冷えたビールを持ってきた。
「よし。それじゃあいただくとするかの!」
店主の言葉とともに俺は「いただきます」と言うと鰤に手を付けた。
ポタッ、ポタッ、ポタッ……
「お、おい! 兄ちゃん!? どうした!?」
涙を流した俺に男が心配そうに声をかける。
「……う、美味いっす……」
脂の乗った鰤が舌の上でとろけた瞬間、俺は不覚にも涙を流してしまった。ここ数日まともに食べずに公園の水が主食だった俺にとって、旬の鰤を煮付けにした料理は名料理人が作った高級料理にも勝る代物だった。
「美味い! 美味いっす!」
俺は無心になって鰤や煮汁がほどよくしみ込んだ大根、白米を口の中に運んでいく。それらと一緒に流し込むビールが体中の細胞という細胞に染み込んでいく感覚を覚えた。
「いやぁ、いい食いっぷりだね!」
「こんな食いっぷり見せられたんじゃあ、これ出さない訳にはいかないだろう!」
そう言って店主は冷蔵庫から一升瓶を取り出す。
「お、そりゃああまりの美味さに女房を質に入れてしまうと名高い『
「ええ、ええ! よぉし、今日は飲んで食って騒ぐぞ! 人間美味いもんがありゃ死ねねぇからな!!」
「……ッ! そうですね!!」
人間美味いもんがありゃ死ねねぇからな!!
店主が何気なく言ったその言葉は、俺にとっては神の言葉のように聞こえた。そして俺の中にあった死のうという気持ちはきれいさっぱり無くなっていた。
俺は店主と男と共に飯を食らい酒を流し込み、酔いつぶれて一晩お世話になった上にシャワーを借りた後、ハローワークに足を運んだ。
そして一年後。俺は店主の店で男の釣った魚を
美味いごはんがあれば人ってそれだけで幸せなんですよね。