俺はH。結婚を控えた40になる男だ。
色々な仕事をしてきたが向き不向きだったり勤め先の事情だったりと仕事が長続きせず定職に就くことが出来なかったのだが、数年前から勤め出した会社の社長から「正社員にならないか?」と誘われその会社に正社員として就職。そこで真面目に働き、行きつけの居酒屋で偶然出会った2歳年下の彼女と婚約が決まった幸せな男だ。
そんな俺に高校時代の恩師である奥さんからの報せが耳に入った。
同級生のMが亡くなったという報せだった。原因はぜんそくによる呼吸困難による窒息死だった。
「そうか……」
俺はその報せを聞いた時、静かに目を閉じた。
はっきり言って俺とMは特別仲が良かったというわけではない。お互い勉強が苦手で赤点を取っては担当教諭の呼び出しを受け補習を受けていた。
俺は勉強はするけど覚えるのが苦手で点数が取れず、モチベーションが上がらないから勉強をしないタイプ。一方Mは「勉強する暇があるなら遊んでいた方がいい」という自堕落なタイプ。同じ赤点常連でもタイプが違っていた。
あまりにタイプが違い過ぎるため俺達二人は親友と言えるほど仲良くなることはなかったが、同じ赤点を取る仲ということもあり連絡の交換はした。
といっても向こうから連絡がくることと言えば自分の愚痴や自慢話とかばかり。こちらの話は話し半分という感じだったが。
それでも少し感謝すると言えば。これから妻になる今の彼女と付き合えるようになったのはそいつのアドバイスのおかげなのだが。
と言っても「俺、今気になっている
この時の俺は「コイツは他人事だと思って!」と内心ムカついてどうしようもなかったが、少し考えてみると「Mの言う通り、この人に告白してフラれても命を取られるわけではないし俺が一生結婚できないわけでもない」という考えに行きつくことができた。
この人に断られたとしてもそれは縁がなかっただけ。
フラれたらどうしようとかという迷いを消した俺は勇気を振り絞って彼女に近づき、少しずつ会話をしたりするなど接触する機会を増やして……告白した。
結果はOKだった。
そんな俺に対してあいつは色々な女性と遊んでいたので早くに結婚していた。しかし結婚後もあいつのいい加減な性格は直ることはなかった。定職につかず、就いたとしても自分勝手な理由で辞めてしまい、そのままずるずると親に頼っていたらしい。
子どもが生まれてもあいつのいい加減さは変わることはなかった。奥さんの誕生日や結婚記念日は覚えていなくても子どもの誕生日は覚えていたので、父親らしい情はあったと思う。それでもあいつはあいつのままだった。
そんなあいつに我慢できなくなった奥さんはついに離婚を突き出した。親権は奥さん。そして母親にも「もう家から出て行け!」と追い出された。あいつが新しい住居となったアパートでぜんそくで死んだのはその数日後だったとのことだ。
今思えば死ぬ数日前、俺は電話をもらっていた。しかしいつもの下らない自慢話か金を貸してくれという催促だと思った俺は、繁忙期ということもあって出ることもかけ直すこともしなかった。
今思えばあいつは聞いて欲しかったのかもしれない。自分の置かれた境遇を。自分の中で蠢く苦しみを、打ち明けたかったのかもしれない。しかしあいつが死んだ今、その真相は誰にもわからない。
電話に出なかったことを後悔しているかといえばそれほどでもない。繁忙期で肉体的にも精神的にもかなり限界がきていたあの時の俺にあいつを助けてやることは出来なかったように思える。あとあいつの普段の行動から「どうせ話を盛っているだろう」と思って話をまともに聞いていなかったかもしれない。
仮に俺がまともに聞いていたからといって、あいつの未来が救われたかというとそうとも思えない。
あいつが俺の助言を聞いたとも思えなかったし、例え聞いたとしても最早手遅れのように思えたからだ。
はっきりいってあいつが死んだのは自分のことしか考えず、他人に配慮しない自分勝手に生きた結果、周りに見放されて手を差し伸べられることもなかった。だからあいつは一人さびしく死んだ。それは当然の結末だ。
それでも俺は思う。高校時代から付き合いのあったあいつにもっと親身になっていたら、あいつが一人寂しく死ぬことはなかったのではないかと。
俺は心の中であいつを救えなかったことをわびた。
この物語は2020年12月26日に永眠した、作者がM兄と慕っていた男を思って書きました。もちろん作中の友人MはM兄のことです。
はっきり言ってM兄とは数年間音信不通だったので私にはどうすることも出来ませんでした。それでも何かしてあげられたのではないかな、と今でも思います。
M兄のような最期にならないよう、皆様も自分勝手に生きずに他者に気を配れる生き方をしてください。