イギリスの作家、ジェームス・アレンはこのような言葉を残した。
醜い
と。
もういつ死んでもおかしくないという歳になって、儂は気づいてしまった。なぜ自分の顔が好きになれない……いや、自分の顔を見ないように鏡を置かないほど嫌いになったのかを。
思い返せば儂の人生は思い上がりと挫折、卑屈を絵にしたような人生だった。
外交官の父を持ち母親は華族の出身。血筋や恵まれた環境、全てが生まれる前からあった。儂は心の底から思った。『自分は選ばれた人間なのだ』と。
一流の家庭に生まれた儂は泣く子も黙る名門中高一貫校から一流大学へと進学した。
だが儂の人生はここから狂い始めた。
今まで当たり前だったことが当たり前でなくなったのだ。
幼少の頃から完璧な環境で最高に効率の良い勉強術を儂は享受してきた。
自分に分からないことがあっても質問すれば『いつでも』、『すぐに』、『完璧な模範解答を』、『最高に分かりやすく』、『懇切丁寧』に教えてもらえた。
ただレールに乗っているだけで試験に出る必要にして十分な知識を、効率的に習得できるカリキュラムでひたすら受身でこなしてきた。
だがその完璧な環境を取り上げられた瞬間、儂は
何をすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
今思えば社長などの要職に就いている者は、時間をかけて自分の頭で解決方法を考えたり 試験には出そうにない分野を独自に勉強したりなどしていた。
それを見て、儂は「なんて非効率で無駄なことを!」と心の中で笑っていたが……彼らは本当の意味で学んでいた。
答えが用意されていない、そもそも正解があるのかも分からない問題にどのようにすれば答えを導き出せるのかという勉強を。
何とかして単位を取得し、両親のコネで銀行員になった儂は失敗をしないことを重点に誰かの意見に後追い、猿真似。成果を得るため愛想笑い、世辞。自分が被害を被らないように言い訳、責任のなすりつけ……そればかりが上手くなった。
心の内を明かせる友などいなかった。明かせばそれを利用されるからだ。
こうして儂は友も恋人も作らず、ただ失敗しないよう生きていた。
その結果。信頼する友も恋人もいない、成果のみを求めてリスクや責任だけは避ける、誇れることのない人生、金だけはある醜い老人へと変貌した。
もし戻れるなら……自分の力で答えを導き出せる、『本当の勉強』がしたい。
そう願った所で時は戻ることはない。
儂は部屋の一室で泣いた。
社会人になって十数年。勉強とは高校、大学までの出来事……そう思っていました。しかし今では社会人になってからが「本当の勉強なのだ」と思うようになりました。
何も学ばなかった結果。安易ややりたくない行動しか出来ずに年をとったという事実、腐ってしまった性根によって醜い姿だけが残る。
私を含めて皆様がこの主人公の体験が『自分事』にならないことを祈ります。